>執筆力を上げるには読書に読書をするしかないと思われ。

漫画をごまんと読んでも漫画が描けるようにはならない。これは当たり前のことだが
小説の場合はわかりにくい。小説をごまんと読めば書けるようになると思っている人
が多い。小説も漫画と同じで繰り返して書くという練習をしないと上達しない。
読むのは理解の練習である。だから読書をすれば速く読めるようになるし理解する
のは速くなる。しかし理解力があっても書けるようにはならない。先ず馬鹿にでも
年寄りにでも解るように書けるとかなり筆力があるといえる。だから子供の本を書く人
は筆力のある人が多い。馬鹿や子供にかみ砕いて解るように説明するのは非常に
骨が折れる。その前に「なんでこんな簡単なことが分からないのかさっぱり分からない」
という低い低いハードルがある。ハードルは降りていくハードルの方が難しい。登山でも
降りる時に死ぬ。書くという行為も寧ろ低きにおりて寄り添うような根気と愛の必要な
作業なのだ。
 「語彙を増やして難しいことをカッコよく書いてやろう」というような魂胆の人は上達しない。
語彙は不要だ。書く場合には語彙は寧ろ邪魔になる。そもそも語彙がたりないという
ような人は書くことには向かない。語彙があるのは当然でなくてはならない。語彙は
増えて増えて仕方ないというような人にしか書くことは向かない。