分かってなさすぎ
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文学に限らないが、事、モノを語るにしては、現在あまりに多くの人たちが
社会科学を知らな過ぎる。
事、モノの本質や実態を理解しないまま、逆に誤解したまま、ただなりゆき
任せの感情で文章にしても、それは「ざれ言」でしかない。
つまり、「チラシの裏」レベル。
文学ならまだしも、現状は人にとって最も重要な政治の世界に社会科学の視線がない。
大江健三郎や坂本龍一のような姿勢が「文学にならなくてはならない」。 小説であるなら、そこに人間の血を通わせなければならない。
血の通った人間が書かれるならば、背景にもまた本当の空気が充満していなければならない。
村上春樹のような小手先の空想家であっては文学も意味がない。
石原慎太郎のような人間は文学とも政治とも日本文化とも縁のない人間である。
小説を書こうと思うなら、才能以前に社会科学にまずは埋没してくれ。
埋没するのには君らは他の誰より優れているという自負があろうから。 先日、こういうことがあった。
自称囲碁アマ7段、ちなみに彼は自称柔道4段でもあり、自称高知一の進学校の出であり、
自称中学三年の時、佐渡ヶ嶽部屋からスカウトされたぐらい相撲が強く、自称名古屋のM
大学出身であり、自称高知のコーヒー豆店の倅である。
彼を知って8年になるが、囲碁アマ7段であると言い始めたのは、柔道4段であるという話を
しなくなった頃からである。
いつ、どのように4段を取ったかは語ったことがない。
私の身近に本当の4段がいたので紹介したら、以降一切その話が消えてしまった。
彼の手を見せてもらった。
かぼそい、女の手のようだった。 自分だけが世の中の事わかってる、そう思うのは中二病 彼と飲んで驚愕したことがある。
高知一の進学校から大学まで卒業したというのに三権分立の意味も知らず、従って
もちろん国会が何をするところかも知らなかったのである。
彼は法律がどのように制定されるのかを知らなかったのである。
私はかつての職業上、英語が話せる。
負けず嫌いの彼は自分もある年に、某プロジェクトによりフィリピン行きを命じられた
ので一年近く夢中で英語を学んだという。
しかし、「アトランダム」の一言の意味すら分からず、プロジェクトは中止になったので
覚えた英語はすっかり忘れてしまったのだそうな。
実家がコーヒー豆売っているというからコーヒーの話を始めたら、「自分はコーヒー屋の
倅なのにコーヒーが嫌いなんだよ」などという。 彼はまた少年野球のコーチもやっている。
私が信じられるのはこの話だけである。
なぜなら彼の息子は野球で有名な私立高校から社会人野球に進んだ事実があるからである。
さて、先般、私たちがお世話になっている取引先の幹部方お二人を招いて酒の席が催された。
私の会社からは彼を含めて6人が出席したのであるが、まさかこのような席で彼の例の妄想
(と確信される)話が出るとは思わなかった。
そこには、ここで名前を出すとすぐに私たちの組織がバレルので書き込めないほどの名のある
人物名が出て、さすがに驚いたわけであるが、座は沸くはずもなく、ドッチラケの空気一色に
染まった。
が、私が言いたいことはこの後に起こったのである。 わかったわかった。わかったからそういう世の中に対する主張を作品にして出版してくれ。
そしたら読むわ。 いや、こいつさ、はじめは文学の現状か自分の考えと違う作家を評価する読者に
文句つけてるのかと思ったら
知り合いのコーヒー屋のうそつき息子の話に変わってるじゃん
こういう人の書く文章は論理が飛び飛びで破綻してて変な方向に饒舌になって
すごく読みづらいよ
しかも、文句もコーヒー屋の息子がコーヒーが嫌いとかさ、そこは別に彼の汚点じゃないだろ、
そのくらい許してやれよw
家にうんざりするほど魚があるんで、逆に魚嫌いの魚屋の息子だっていっぱいいるだろうし スレ主がいちばん「わかってなさすぎ」という結論に落ち着いたな スレ主であるが、君らは結論を出すのが早すぎる。
コーヒー屋の倅の話は私がこれから主張したい本質に関わる前ふりでしかないのだし、
彼を「うそつき息子」と断定してもいない。
ただ、>>8が「うそつき息子」と断じたことで、私の主張もしやすくなったとはいえる。
>>8の急ぎ過ぎ、過剰反応も私が主張したい本質に外れてはいない。
>>7のコメントも素晴らしい。
>>9は、まだ私が何も語っていないうちから「わかってなさすぎ」などという結論を出している。
我慢性がないのもまた現実の教育の破綻の一環かもしれない。
まずは私の主張をこの先理解していってほしい。
ただ、私も自由な身ではないので毎日の書き込みはできないかもしれない。
文学好きなここの住人たちなら、必ずや私の言い分を分かってくれるだろう。 そんな事より>>1よ、ちょっと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
こないだついうっかり「素人にはおすすめできない」とか書いちゃったら
通じなかったんです。
…もう2chで吉野家コピペが通じない時代なんだね
いや、
面白いよ。
続きを読みたい。
いるんだ、そういうやつ。 ◇ ミ ◇
◇◇ / ̄| ◇◇
◇◇ \ |__| ◇◇
彡 O(,,゚Д゚) /
( P `O
/彡#_|ミ\
【ラッキーAA】
このAAを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
ちょっと>>1、読んでるから、読んでるから続きを!!
気になるじゃないか!! スレ主であるが、一昨日の夜書き込んでアップしようとしたら何と書き込み規制にあってせっかくの文章が
全て無駄になってしまった。
まさか創作文芸欄においてさえ規制が発生するとは!
一字一句同じ文章は書けないと思うが、話を続けていこう。
さて、自称コーヒー屋の倅であるが、なぜか お招きした幹部方のうち、肩書きに「長」のつく方にやたら
気に入られていた。
私が思うに、おそらく自称コーヒー屋の倅が「少年野球のコーチ」という清々しい響きのあるボランティアを
やっているからだろう。
しかし、私はそれとて実は”自称”なのではないかという疑問を払拭できていない。
ただ、彼の息子が社会人野球の試合で新聞写真に載ったことは事実なので、他の事例に比べればまだ信用度が
高いというだけの話である。
これまでも異常に早い段階で(半年も前から)「少年野球合宿」の目的で有給休暇の申請を出しているし、
誰もが「早いよねえ」と笑いながらも信用しているのである。
自称高知一の進学校の同窓会の幹事もやっているからと、その打ち合わせと称して有休申請をしたこともある。
ただし、肝心の同窓会の話をしたことは一度もない。 >>1は規制だったのか
いまごろ刃物持って高速バスとか乗ってんじゃないかと心配で心配で
彼は前は水道関連の会社に勤務していて、談合に参加したというが、こちらが聞きたいと思う
具体的な話は一切ない。
彼はまた、その会社にいたので図面が引けるという。
私は図面は引けないが、ボイラー2級資格を取る時に図面を覚えさせられたので少しなら見る
ことが出来る(とはいえ、大半は忘れたが)。
彼は図面は引けるが、読めないのだそうな。
「そんなバカな」と、測量をやっていた経験者が言っていたが、経験者でなくても首を傾げるだろう。
※これからオルフェーブルが出走する凱旋門賞が始まるので、続きはまた明日にでも。 >>7-9
最後まで話の聞けないガキはvip、なんJ、嫌儲にこもっていればいい。 前ふりが長すぎる、とは思う
なんでもかんでもつめこまずにはいられないんだろうけど
これ、もともとは文学の話なんだぜ
それの前ふりとしてのコーヒー息子の話なのに
まだコーヒー息子の話題の中心にもいたっていないw
だめだろ
談合はあったかも知れんがわからん、野球もよくわからん、製図の話題も
それらぜーんぶ投げっぱなしで収束してない
繰り返すけど、文学の話題がメインなんぜ
このあとコーヒー息子のふった話題を全部結論だしても
まだ文学の話も残ってるw
このコーヒーの量以上の事書かないと、前ふりだけがでかい
言いたいことがしょぼい頭でっかちになるだろ
仮に、仮にだぜ、こいつが病気だとしたらみんなも文章から病名が想像つくだろw
なんていうかさ、捨てることを学べ、思いついたもの全部入れるな
焦点がぼやける
2ちゃんは酔っ払いのおっさんの話を聴くつもりで読むからなあ。
社会科学ってのは多分柳田国男につながる気がする。
その辺に期待して我慢の子であった >>24
真摯なご意見ありがとう。
文学好きらしい、とても真っ当な意見で嬉しい。
まあ、論文を書いているわけではないので、苛々は分かるが許してくれ。
なんでもかんでも詰め込もうという気はないし、そのへんはわきまえている。
この先少し付き合ってくれたまえ。
※オルフェーブルはほとんど勝ったと思って大声援したので喉が痛い。
さて、酒が進むと同時に私が恐れていた事態も進んでいったのである。
この”自称”で塗り固められたコーヒー屋の倅は安倍という名にしておこう。
安倍はお客の○○長からは指導力があり、業務にもよく通じていると評価されていた。
私などは「は?」てなものであるが、実際、周りでもそれは一般的によくある商業用のお世辞の
類だろうと言われている。
しかし、安倍はそれがよほど嬉しかったらしく、誰も問わないし考えてもいないにも関わらず
自ら切り出したのである。
「いやあ、実は僕は前の上司の○○からは僕のやり方を制御されていて、本気で打ち込めない
ところがあったんですが、今の○○さんに変わってから方針が一変したでしょ? それで僕も
ようやく堂々と、存分に自分流に仕事が出来るようになったんですよ」
おいおい、まずいだろ、例えそれが本当だろうと嘘だろうと客を前にして上司を比較して
褒めたりけなしたりしたらいかんぞ。
さすがに一人を除いては、それが分かっているので彼の話に乗る者はいない。
安倍はひとりいい気分を味わいながら、妄想話?に浸る時のいつもの目を細めてやや顎を上に
向けるポーズを出し始めていた。
危ない。
そろそろ”自称リスト”から今夜の演題を選択しかかっているのではないか?
案の定である、囲碁ネタが始まった。
ここまでひとりの人物を語って面白いのはなかなか。
続きを正座して待つ。
物語ならば、語り手の方に狂気があったというオチになりそうだが。
私が先に挙げた村上春樹がノーベル文学賞に落選したそうである。
大変良かったのではないか?
そもそもノーベル賞などに価値を置くようでは真の文学徒とは呼べないだろう。
村上はイスラエルの文学賞を拒否しなかった。
そして受賞しながら「自分は常に壁にぶつけられて割れる卵側につく」とかなんとかいかにも
ヤツらしい恰好つけたメッセージを発していたな。
プッ!
なら最初から殺人国家イスラエルの文学賞なんか拒否しろよ。
コイツは自分が政治的人間などと大きな錯覚を起こしているらしい。
コイツと最近まで芥川賞の選考委員をやっていた石原慎太郎にどのぐらいの違いがあるというのか?
地に足のつかない空想をダラダラと小説と称して臆面もなく刊行して大家面している。
まあ、多少は政治に関わりを持たないと本物とは思われないとか甘っちょろく考え始めでもしたのだろうか?
コイツがとってつけたようにオウム事件に関心のある振りをし出してからだろうな、社会のリアリティーに接近を
図ったのは。
所詮、付け焼刃で無惨としか言いようがないのであるが。 そんなんより続きを書けよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww ピンドラもハルキの影響を受けまくりで好きになれなかったな。
つーか村上春樹の作品なんて読んだことないんだけど。 大江健三郎はノーベル文学賞受賞者である。
出来ることなれば拒否してほしかったのであるが、大江には文句つける勇気が私にはない。
彼は若さのあまりというべきか、ほとばしる政治的情熱を小説にぶちこんだ。
机上の空想じみたところは村上に似ているが、大江の場合は田舎の空気を吸って育った分、
また時代が政治的情熱にあふれていたぶん、甘ちゃんの村上とは全然違う。
大江に真の革新的情熱があったのかどうか、それは分からない。
しかし、天皇暗殺を堂々と原稿に書き込んだ狂的情熱はほかの凡庸な小説家には見られない。
「政治的少年死す」(?)というタイトルであったかはいまだに日の目を見ない。
大江が政治的なモノにリアルに接触し始めたのはまだ最近なのであるが、村上などとは違って
政治的なメッセージは常に発していた。
私は神田神保町の三省堂で大江が猿のような赤い顔をして署名販売に精を出している現場を
見たことがある。
寺山修司に会った時ほどの興奮はなかった。 さて、話を本題に戻そう。
○○長との宴席はその日が初めてというわけではない。
今年の2月に、どちらかといえば○○長のお誘いで一度飲んでいるのである。
その時の私の会社からのメンバーは4人で、私と安倍、私がコネで入社させた田中、去年約10年ぶりに
本を出したライターの滑川(彼はこれまでに10冊を超える本を出版している)で、今回もみな出席している。
この時に”自称”囲碁アマ7段の話は既に出ていて、○○長もご存知である。
私と滑川はその話には最初から懐疑的なのであるが、田中は信じ込んでいて、○○長に向けて
「安倍さんは囲碁クラブの指導者より強いんですよ」などと大きな声で強調した。
その時の安倍のいかにも心地よさそうな目を細めた得意顔が厭らしく忘れられない。
○○長からは特にこれという反応は窺えなかったのだが、安倍自身は田中の後押しで”信じてもらえた”
という思いがあったのだろう。 安倍は貫禄じみた表情に声まで変えて、出席者全員が知っているオセロで有名な某人と手合わせした話を
持ち出した。
「いやあ、僕は勝っていると感じていたんだけど、一瞬で全てひっくり返されちゃったんですわ」
私は囲碁もオセロも知らないので正確な判断を下すことは出来ないが、似てはいても別のゲームであるからには
オセロとて学ばなければ出来ないというのが常識ではないだろうか?
安倍からオセロを学んだという話を聞いた者はいないのだが、それには誰も突っ込まなかった。
まあ、囲碁をやっているのならついでにオセロもどこかで覚えたのだろうぐらいの感覚だと思われる。
しかしまた、よくあの某人に安倍と対戦する時間と機会があったものである。
というのも、某人に気安く近づけるような雰囲気はないし、本職も大変忙しい人だからである。
安倍は今度は妙に声をひそめ、「その時、○○さん(某人のこと)に、あなたは囲碁をやっておられるでしょう、
その手筋は囲碁をやっている人にしか思いつかないですよ、と言われたんですわ。いや、さすがだと思いましたね」
芝居じみた口調になっいる。
この話の間に何度か○○長から「素人でなければいいんですよ」という言葉が何度か発せられたのだが、酔いと、
胡散臭さに満ち満ちた安倍の話に耳を塞ぎ気味だった私は、その意味を捉えることが出来なかった。
田中の話によると、その時私はしきりに笑っていたというのだが、知らない間に嘲笑ぐらいはしていたのかも知れない。 スレ主であるが、よくもまあこのタイミングで森口尚史なる人物が登場したものである。
山中云々という日本人がノーベルなんとか賞を受賞したのであるが、そのiPS細胞云々で
森口は既に6人もの患者(最終的には1人)の手術を成功させていたという読売新聞の報道である。
私がまさに全ての文学徒(村上春樹を含む)に主張しようと始めた安倍という男の前振りは、
完全に森口君が果たしたようである。
すなわち、社会、世間の現状を一般生活次元に「真実」として報道することで成立しているメディアが
完璧に一般生活者(月4000円の購読料を払っている)=読者を騙した典型的な事例である。
私はまさに文学徒に社会科学を学べという視点でこのスレを始めたのである。
なぜ日本一の販売数を誇る読売新聞はこんな惨めで半分犯罪に当たるデマを新聞一面で掲載したのか?
そこにあるのは緩慢という、無責任な偽エリート層の怠惰な人生観にある。
よりによってメディアがこの失態では、人は何を拠りどころにして社会を感じたらいいのか?
読売新聞がしでかしたこの失態は「ゴメンナサイ」ですむ問題ではない。
この程度の社会的視点、あるいは科学的視点もない日本一の販売数を驕るメディアとは一体何なのか?
諸君、真面目に考えてくれ。
私が現在前振りで紹介している安倍なんぞはまだ可愛いほうである。 寿司という食いものがある。
店によっては酒飲んでの勘定は2万円を超える。
酒の飲み方によっては3万も超える。
寿司と同様にラーメンは日本人に人気がある。
本場と思える(無論、実は本場ではない)中国人も取りつかれるぐらいに美味いのである。
私の知人のアメリカ人は「トンカツ」に感動していた。
が、有名なトンカツ屋でも一人1万円を超えることはない。
寿司は高級なのであるが、しかし一箱500円なる寿司がスーパーで売られている。
外国人にしてみれば同じ「寿司」である。
価格の差がどこから来るか歴然としているのだが、寿司は寿司という言葉でまかり通っている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています