つづき

同じ言葉をすぐ近くで使う事について猛烈な反感を持つ人がいるが、程度はともかく同意である。しかし、つい使ってしまうのである。なぜそうなるかを考察すると大変なのでここでは触れない。ただ小説を書くとしたら、同じ言葉をすぐ近くで使う事を嫌うというのは必要な事だと思われる。
もちろん絶対ダメ! なんて事はなく、しようがなく使わざるを得ない場合もある。しかし、意識して他の言葉に言い換えるという事を怠ってはならないだろう。なぜか。小説で同じ言葉を近くで使われると気持ち悪いからである。なぜ気持ち悪いのか。なぜでしょうね?
ともかく小説では避けた方がいいのである。あ、これ、ちょっと前に使った言葉だ。なにか他の書き方ないかな? という風に書き換えを検討しなければならないだろう。作家はボキャブラリーが豊富でないとならないと言われる所以である。
小説では、小説では、とうるさいのはこの文章で、同じ言葉を使ってるじゃん! と言われるのを避けるための姑息な策だ。
単語だけならともかく、同じフレーズ(?)が近くにあったらなんとしても言い変えなけれならないだろう。
「の」の繰り返しに反感を持つ人も多い。本来はいくつ重なってもいいはずだが、小説ではなるべく避けたい。わかりにくいし、やっぱり気持ち悪いからだ。減らせる表現があるならそれを使うべきで、「の」が重なれば模索すべきだろう。
自分的には三つはセーフ。だがなるべく少なくしようと努めている。ハズ。

さて、長々と書いてきたが、ディテールについてのレスを見てちょっと考えてみた次第である。自分の作品を読んでなにかが足らないと思っていた。原作者のようにまるっと書かないなどという事はないが、細部が不足していたのだと目からウロコが落ちるようだった。
文章を直すなどにはほとんど意味がないのかも知れない。見るべきはディテールが描けているか。読者を引き込める事を書いているか。詰まるところ、世界を描けているか、という事なのだろう。
でもやっぱり文章も大事だよね!

長文連投失礼しました。
原作者は「皮肉」と「平易」の意味を辞書で調べろ! と言いつつおしまい