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【老いて益々】田中長徳ファンのスレ 6【徘徊】
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0001名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/13(水) 10:06:29.73ID:9ooWCRMi0
尊師降臨

過去スレ
【老いて益々】田中長徳ファンのスレ 5【徘徊】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/dcamera/1496927773/

【老いて益々】田中長徳ファンのスレ Part4
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/camera/1414410549/l50

【老いて益々】田中長徳ファンのスレ その3【耄碌】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/camera/1262227407/

田中長徳(たなか ちょうとく 本名はおさのり) 1947年東京生まれ
日本大学芸術学部写真学科卒業
日本デザインセンター勤務の後、フリーランスとなる
オーストリアのウィーンに遊学 ライカのコレクションを始める
帰国後 ライカなどクラシックカメラに関する執筆をカメラ雑誌に
連載する。以降、クラカメの権威として多くのファンを集める
なお、6/10(土曜)には四谷三丁目のホテルウィングインターナショナルプレミアム東京四谷で、
写真家田中長徳生誕70周年を祝う会が開催される
その写真は時代の空気を切り取り、その時その場所を歴史に定着させたものとして世界的に評価が高い
写真展では氏の写真の前でじっと動かず、滂沱の涙を流す人が後をたたない
その端正な風貌から写真界の貴公子との異名を持ち今日なお多くの女性の心を捉えて放さない
0002名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/13(水) 19:48:35.25ID:4F5v757W0
写真のテーマ主義の脱却というのが重要だと考えている。傍流写真はその意味で非常に重要である。
0004名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/13(水) 19:49:39.10ID:4F5v757W0
猫の写真の大ブームはいつからきたのであろうか?動物写真の有名な写真家に25年位前にインタビューしたことがあって彼はアンタークティカを動物写真取材で環境を破壊しないために自分の排泄物も持ち帰ると言っていた。その岩合さんは最近では猫のトップフォトグラファーになってしまったようだが、あまりに有名な猫写真家なので猫との言葉のコミュニケーションがうまくいってないのである。
0005名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/13(水) 19:49:58.05ID:4F5v757W0
尊敬する日本で最も有名なクリエイティブフォトグラファー田村代表が東京都写真美術館で10年ほど前に講演会をしたときに絶叫したワンセンテンスがある。
0007名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/15(金) 05:47:48.05ID:TMxFCISk0
この一言で会場は静まり返った。猫写真は本より否定されるものではないが猫が可愛すぎるので危険な存在である。そこいら辺で初めて写真を始めた人が猫写真展をやって見に来る人が列ができて30分待ちなると言うのは有名なラーメン屋さんと同じで危険だと思う。
0008名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/16(土) 06:11:34.66ID:ngKH6gn20
ペトリカメラのリヒテンシュタインモデルにはリヒテンシュタインの国のシンボルがカメラの前のほうについている。リヒテンシュタインはスイスとオーストリアの間の小さな国だと思っていたがウィキペディアで調べたらカール一生の頃にできた国でヨーロッパ中に領地を持っていたらしい。それでチェコに所有していた領地でいろいろトラブルがあったりしたようである。
18世紀の初めのころから存続しているリヒテンシュタインが自社ブランドのカメラを極東のペトリカメラに依頼すると言うのはカメラ好きからするとかなり複雑なメーカー関係がそこに浮き彫りにされているのでこういうカメラを持って写真を撮るのは結構嬉しいことなのだ。
0009名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/17(日) 01:53:39.42ID:3aVUh0d40
我楽多屋のにだいめさんとか猫の中田さんとかそーゆー私の周辺にいる連中は普通の日本人であるから、テレビドラマに出たガッキーとか言う女性のことが話題になっていてそのガッキーと言う人は絵空事のテレビドラマで雑司が谷鬼子母神の参道にある普通の家をなんとかBarに見立ててそこに出入りしたりしていたそうである。テレビドラマの好きな連中は現実とフィクションの違いが気がつかないから猫の中田さんなどは雑司が谷のロケ地を通って本物のガッキーがそこにいるのではないかなどと余計なことを気にするのも楽しそうだ。

時代に遅れてはならないと思ってにだいめさんにガッキーが本名は何と言うのかと聞いて3回を教えてもらったがもう忘れている。だから私は東京の路上でガッキーとすれ違ってももちろん気がつかないであろう。
0010名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/18(月) 06:37:54.76ID:Ic4WZHEf0
これは非常に能動的ななおかつ表現手段の目的化と言うやつで世の中に大流行しているレンズマウント交換アダプター1000日回峰行者阿闍梨とかレンズマウント交換美少女写真家上野とかは単にレンズを交換して遊ぶことが目的化していて、それは別に悪い事でも何でもなくて経済を回転させるには良いことであると思うけれども私は昔の人間だからレンズはマウント交換したらやはり表現の荒野をめざすのである。ここら辺が世代の違いですね。

ところでトップコールのごく初期のこの1連の交換レンズであるが自動絞りのリングのところが3.5センチではライトグリーンに塗られているのが非常にお洒落である。ペイントで塗られているのではなくアルマイトがそういう色彩なのだ。標準レンズは普通のクロームで100ミリレンズは持っていないからわからないが確かレッドであったかな?シャッターボタンで色分けして区別すると言うのは当時のレンズは35ミリと50ミリと100ミリが大きさが同じなので混乱しないようにと言う親切心だったらしい。これもいい感じだね。
0011名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/19(火) 06:57:26.85ID:6KLqIZbc0
内田百聞が戦争中に市ヶ谷の家から歩いて丸の内の日本郵船の会社に出かける時に毎日水筒に紅茶を入れて持っていった。砂糖の入っていない紅茶は甘い味がすると百鬼園は書いているがまさにその通りである。

写真家のSeike Tomioがまだ東京に住んでいた40年近く前だが家に遊びに行った時に写真家はロンドン仕込みの本格的な紅茶を作ってくれた。紅茶のポットをキルトの熱い布で被ったりして何か大変なティーセレモニーであったが、写真家が言うにはどうも本当の味が出ないと言うのである。紅茶をうまく飲むと言うのはそれほど難しいことなので写真家はその後英国に行ってしまった。
0012名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/20(水) 05:40:41.98ID:7xrE1l3C0
帰ってきた酔っ払いとかイムジン河で有名な作詞家が私のFacebookに書き込みをしてくれてその人の情報によればびっくりドンキーで1200何十円で売っているそうである。これにはびっくりした。何年もびっくりドンキーには行ってないが松茸を扱うような店になったのかと思った。

別の友達で清里の良い環境にいる人が書き込んで教えてくれたのは、すでになくなった神田の青果市場で仕事をしていた時に業者さんから聞いた話であるとして韓国産とかカナダ産の松茸は香りが足りないので化学的に合成した香料を薄めたやつをふりかけているのだそうである。何か懐かしいなと思ったのは私が何十年来知り合いの友人の離婚した前の配偶者が高砂香料のオーナーなのである。
0013名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/21(木) 06:59:03.67ID:hbixptls0
最近手に入れたペトリカメラのリヒテンシュタイン向けのOEMカメラがやはり同じで28ミリ50ミリ135ミリの3本のレンズが付いてそれがセットケースに入ってネットオークションで5000円であったのでこれはすごいバーゲンだと思った。

しかしそれ以上に私が感心したのは世の中は不合理だからペトリの一眼レフは安物だと言う差別認識があるけれどもこれがリヒテンシュタインの国のマークをつけたプロフェッショナルブラックのカメラになるとそのカメラの角が3段階ぐらい特進するのである。そのことは別のところで描きたいのだが今日私が気にしている事はその標準レンズのアピアランスなのだ。

55ミリef 1.8のCarenarブランドになっているこのレンズの表示の方法が色分けされていて一瞬でわかるので非常に使いやすい。私なども後期高齢者になってきて視神経の方がいかれているのでこういう色分けは非常にありがたい。

カメラ本体の製造番号のデータから見ると1976年の夏に作られた個体のようであるが1976年夏と言うのは私は1時帰国してヨーロッパを翌年から巡回させた現代日本写真家展示会のために東京とかそこら辺をうろうろしていたのである。その時手に入れたのは出たばかりキャノンAE1であった。当然の話で29歳の若造にこんな素晴らしいペトリカメラの魅力が分かるはずもない。
0014名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/22(金) 06:21:04.07ID:0571dm2o0
アルパと言う会社はスイス製のレンズはマクロスイターだけであってそれ以外はフランスのアンジェニューであったり、ミュンヘンのズーマーであったり後半になるとペンタックスのタクマーレンズを採用するようになる。なりふり構わないレンズ選びと批判することもできるが逆に考えると自社のレンズにこだわらない自由な考え方を持っているのは尊敬することができる。そのアルパの研究本に合わせてレンズを揃えたりした。例えばミュンヘンのズーマーが出した600ミリの望遠レンズであるがこれが製造本数が20本とかそういう感じでやたら細かい。

ところがこのアルパの研究本に入っていないレンズを25年位前に手に入れたのがこのフォクトレンダーで出した35ミリから80ミリのレンズである。ご承知のようにこのレンズはアメリカでバカ売れしたBessamaticと組み合わせて大ブームになったので当時のソ連でも同じカメラとレンズを作って売り出すと言うほどのビックヒットであった。1950年代の後半であるから当時はまだ普通に使えるズームレンズがなかったのである。常用のズームレンズの登場と言うのは1980年になってからなのだ。

それでとにかく魔法のレンズであるからこれを最高級のアルパカメラに使いたいと言うわけでごく少数のレンズが生産されたらしい。でも今これを使うと言う事は無い。25年前にフロリダの人から375ドル払って買ったと言う事はよく覚えているしその打ってくれた人がよくこの珍品に気が付きましたねとよいしょしてくれたのもよく覚えている。

ズームレンズに関しては数年前にタムロンのズームレンズのアダプトオールのシステムのやつをネットオークションで23本買ってそれに支払ったのが100円であった。それで23本のレンズをライカフレックスにつけたりアルパフレックスにつけたりしているからもうズームレンズは買う必要がないと言う

幸せなズームレンズの国に住んでいる私 なのだ。
0015名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/22(金) 23:12:07.31ID:Cla9Fdwb0
日本写真芸術専門学校は90分のひとこまが2000円位だったと思う。毎回その月の支払い調書を私が自分で持ち込んだオーバーヘッドプロジェクターで学生諸君に見せるとやたら受けたものである。田中長徳をあまり安く使っているといけないと言うので3年目に確か250円位ギャラが上がったと思う。オーバーヘッドプロジェクターは私の私物であって佃島からタクシーで渋谷まで運んだのであるが写真学校辞める時にまたタクシーで持ち帰るのは嫌だから学校に寄贈してきた。考えてみればまだPCから直接液晶画面などできない時代だったのだ。Jリーグがスタートした直後だったのでヨーロッパのサッカーの日本人の活躍の話をすると受講生諸君は真面目に聞いてくれた。

真面目な写真芸術の話になるとみんな寝ていたりうるさくなる。それで私はでかい声を出して901教室の1番奥に向かってチョークを投げるのである。何年かやっているとその問題児にピタリと当てることができるようになった。私はエースのサウスポーなのだがなかなかコントロールが良いのである。
0016名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/24(日) 05:58:15.78ID:DkAp3ycJ0
ここにあるのはリヒテンシュタインがOEMでペトリに依頼したカメラのアウトフィットである。リヒテンシュタインはカール一生の頃に作られた歴史ある国家であるが、タックスヘイブンなのでいろいろカメラメーカーなどが暗躍している。このカメラはOEMであるがどうもロットがかなり余ったようで私が手に入れたのは立派な金属ケースに入って、接写リングと小型のストロボライトとケーブルレリーズまでついていて驚いたのは日本語の取扱説明書があったことだ。このカメラの名前は

カリーナ

と言うのである。カリーナと言えば1970年頃に登場したトヨタの新しい車の名前であってずいぶん撮影のために磨きました。しかし不思議なのはリヒテンシュタイン向けにはそんなカリーナと言う名前は全然表示されてない。リヒテンシュタインの国の紋章を簡略化したのがカメラ本体に付いているだけ。

要するに余ったやつを国内でセットにして売ったものらしくてその日本語の取扱説明書の最後に日本メールオーダーとか言う会社の名前が印刷されていた。多分スポーツ新聞あたりに安い広告を出して日本国内で販売したものと思われるが私のようなペトリカメラ人類にとっては貴重なアウトフィットである。トータルの価格が5000円であった。いちどのスーパーマーケットの買い出しの値段でこれほど遊べるのである。
0017名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/25(月) 06:30:21.46ID:KpfTkb6w0
日本では1万数千円しそうな普通のホンジェラスから来たパナマ帽子が4000円位なので感心したのは生活必需品のせいであろう。その後市場でハモンセラーノを買うときに専門店のご主人と話をしたのであるが、通常のハモンセラーノとイベリコ豚のハモンセラーノの味くらべをやって、味なら通常の豚肉の方がはるかにうまいと言うことを教わって日本に帰ってきたらちょうどイベリコ豚のブームらしくて町中そこら中にイベリコ豚の端が立っていてとんでもないインチキな国にやってきたと気分が悪くなった。

パナマには続きがあって私が本当に欲しいのはクラッシャブルパナマなのであるがこれはちょっとしたライカカメラと同じ位の値段がする高価なものなのである。マラガで帽子を買った数年後にライカコレクターからクラッシャブルパナマをいただいてこれは嬉しかった。クラッシャブルパナマの正しい使い方と言うのは小さく折りたたんでパンツのポケットに入れるのがかっこ良いのであろうがライカクラスの値段がするクラッシャブルパナマであるからそんな事はした事は無い。

昨年と今年は夏に強風が吹き荒れていて大切なパナマをなくしてはいけないので夏に1度も出番がなかった。ライカもパジャマも閉まっているのではダメで実際に使うのが1番正しい事は言うまでもない。
カメラエプソンRd1
0018名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/26(火) 06:22:49.46ID:rCJhhi6c0
バブルぼけとかフレアーとか言うものはマイナスのイメージでやられていたのである。それがモダンな現代の世の中になってそういうマイナスイメージではなくなって不思議な画面効果を生じさせるプラスのファクターとして認識されるようになったと言うのは私のようなオールドレンズ時代の人間にとってはかなりびっくりすることではあるのだ。

それで繰り返しになるけれどもバブルぼけもフレアーも自分の写真表現にはもともと無縁であると言う事ははっきりさせておかなければならない。1973年にヨーロッパに行ってウィーンで7年間暮らしたわけだが最初東京で買って持っていったレンズはSigmaレンズの数本であった。ニッコールは高くて買えないからそういうことになったのである。ワイドラマと言う名前のSigma18ミリのレンズがあって値段は安かったがフレアーが多すぎて使えなかった、ゴーストもすごかった。それですぐヨーロッパで手放してしまったがこのレンズはアルルの写真ワークショップをスタートさせた写真家のルシアンクレイグが好んで使っていたそうである。

この写真家の仕事は私は大嫌いであるが確かによく見ればフレアーだらけのゴーストがすごい。私から見ればはしにも棒にもかからない写真作品であった。
0019名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/27(水) 06:18:24.41ID:sxUqpEYl0
初めて出かけたイスタンブールはまさに素晴らしい街であった。ブルーモスクからガラタ橋のほうに降りていった路地の突き当たりあたりにカメラ屋さんがまとまってあるところがあってそこを物色して適当なライカM2を発見したのでお店の人と交渉してM2クローム本体1台と、ニコマートとレンズ数本のトレードに成功して私は有頂天であった。まぁイスタンブールのカメラ屋さんからすれば型遅れのライカレンジファインダよりほとんど最新型のニコマートの方が商売になると判断したのであろう。

1968年に標準レンズ付きで60,000円近くしたニコマートの当時の価格の感覚はニコンエフに比べればかなり安いと言う印象であった。このカメラは大成功して世界中にかなり販売されたと思われる。この間懐かしさにつられて1台のブラックボディーを手に入れたらちゃんと使えるのでますますびっくりした。ネットオークションでその価格が日本円で500円と言うあまりにも無残である。
0020名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/28(木) 05:42:39.71ID:xuEKVerN0
ベル&ハウエルの35ミリ撮影機が当時はスタンダード機材であった。最近手に入れたベル&ハウエルのEyemoであるがファインダーがやたら長いやつがあった。これが私には何であるかわからなかったのだがファインダーを覗いてびっくりしたのはこれこそシネマスコープ様の専用ファインダーであった。そのファインダーのシェアをiPhoneで撮影したのがこの画面であるが画面全体は50ミリのシネマスコープ画面であって中央のフレームは100ミリ相当のシネマスコープの画面なのである。

今の時代にシネマスコープで撮影しようとは思わないが、ベル&ハウエルのこのカメラはスプリングドライブであるからバッテリーを気にしないで取ることができる。35ミリのアリフレックスとかたくさんあるのだけれども十数年前にそっちの方を管理してくれている友人にバッテリーのチャージャーを頼んだままそれっきりになっている。それに対してスプリングドライブのプロ用35ミリカメラは自分の筋肉のパワーでフィルムを巻き上げるのだからこちらの方が信用ができる。
0021名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/29(金) 05:58:55.99ID:ocQLOUBA0
路面電車などに乗っていて東洋人である自分が何が違和感があるかと言うと風貌と言うよりも座高が高いから座っている現地の人よりも頭半分突出しているのである。これがどうも格好悪いと言う事がわかってそれ以来私は無意識のうちに猫背になって座ったときの座高を短く見せるような防御反応が働いていたようだ。

それから40数年経過してしまったので今更強制することも不可能であるが、普通の生活で部屋の中で第三者が私を観察するときには私の猫背はほとんどわからない。それがこのように佃の大通りの道を隔てて反対側からバスストップの椅子に座っているところを撮影されると猫背がちゃんとわかるというのが面白い。

このバスストップは中央区のミニバスの停留所であるが東京都の老人パスが使えないのが実に不便である。数年前足の状態が悪かった時に通漬けの聖路加病院に行くのでこれに乗ったのだがコミュバスは中央区を行ったり来たりして行くから家から隅田川を渡って15分で到着する聖路加病院が混むバスだと47分かかると言うことがわかった。
0022名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/30(土) 06:26:11.88ID:n1rROhv70
ところでレニングラードに仕事で行った時に私はレニングラードカメラを持参した。仕事は全部ニコンのフルサイズのデジカメでしたのであるが趣味のカメラとしてレニングラードと言う名前のソ連カメラをレニングラードに里帰りさせてあげたいと言うアイディアがあった。それで数本のフィルムをレニングラードでレニングラードによって撮影してなかなかの良い写真が撮れたと思っている。

杉ちゃんという人はギャラリーバウハウスでも写真を展示したりしている写真家であって同時に日立の偉い人でもある。その杉ちゃんが会社の業務で2ヶ月ほど富山に工事の監督に出かけたのである。杉ちゃんは毎朝現場に行く時に運河のほとりから朝の富山の運河の風景を撮影する。そして帰りにも撮影する。

それが私がレニングラードを取材していたときの宮殿の脇にある水路の様子にそっくりなので私が杉ちゃんがアップする写真に対して、レニングラードの朝とか夕方の写真だと、レニングラードの夜景が綺麗とか書き込んだのであるが2ヶ月と言うものを完全にそのコメントが無視されていた。

一旦東京に戻ってきた杉ちゃんであるがすぐ会社からの業務命令でまた富山に行ってくれと言うことらしいのである。それを杉ちゃんはレニングラードに戻ってくれと言われたと書いてあったのでこれは嬉しかった。要するに私のレニングラードの冗談が杉ちゃんに通じたわけである。

レニングラードは第二次大戦中にほぼ2年半ドイツ軍の攻撃に持ち堪えた英雄である。それでレーニンから英雄都市の称号を受けたりした。
0023名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/10/31(日) 00:01:15.50ID:yIsUtnjk0
でもくPraktinaはなかなか優れたシステムカメラであってそれ以来40年以上手元にある。ただしこのカメラは自動絞りのシステムが途中で完全に変わってしまったので初期型のモデルFXと後期型のモデル2aでは交換レンズに互換性がないので注意が必要だ。

交換レンズは各種あって1番短いのが25ミリFlektogonであるがこのレンズはマウントがエム42とかExaktaは普通にあるけれどPrakticaは非常にレアである。10年以上ドイツで探し回ってアメリカのeBayで探しまくってなくて、ある日私のカメラレンズの先生であるタムロンの金型制作部長の前田さんから新宿のカメラ屋さんに25,000円で出ていると言うことを教えてもらって走って買いに行った。

他にレアなレンズは180ミリゾナー、それと同じブランドの300ミリである。これも専用マウントは非常にレアで私は旧東ドイツの古い都エルフルートからeBayで手に入れたのである。

50ミリはテッサーレンズが1番だが、Flexson 59/2と言う名前の不思議なレンズもあってこれは実際にはPancolor50/2の別ブランドなのである。
0024名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/01(月) 06:35:59.93ID:pp9RfAXl0
ローライフレックススタンダードを肩から下げて大和法隆寺の夕暮れの風景の中を歩いていたのである。これは事実であるのだが法隆寺に到着したらすでに山門が閉じられていたのでがらんをぐるりと回って夢殿の前まで来てそこでローライフレックスで撮影をしたと言うことなのであるが、そこら辺は記憶が半々であって実際に山門が閉じてしまって夢殿の前まで行ったのであるが、ここでローライフレックススタンダードで撮影したら素晴らしいであろうと言う記憶がそのままに刷り込まれて法隆寺でローライフレックスで撮影したと言うような記憶が形成されているらしい。

ローライフレックススタンダードのこのカメラはフレームファインダーになるところが磨挙げられてアルミニウムの金属の光沢が出ているのでそれが気にいっている。それともう一つはカメラ本体から紐が付いていてその先にレンズフードが結び付けられているのである。そのレンズフードは佃のカメラジャングルで紛失してしまったのであるが、思うにこれを実際に使っていた前の持ち主はかなりの写真の腕があった人と思われる。

つまり私がゆうに断腸亭クラスのローライフレックススタンダードの使い手と言うわけだ。
0025名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/02(火) 00:25:44.75ID:UDneYcwC0
しかしあの当時のサッカー場と言うのはまだ人口芝生とか言うのではなかったような気がする。人口芝生より普通の芝生の方が良いのに決まっている。オーストリアのウィーンなどでもそうだが公園の芝生の中に立ち入る事は禁止されている。ところが日本から来たツーリストの皆さんは

あら!素晴らしい芝生

と言う感じで勝手に芝生の中を歩いているので、また非国民が極東から来たと言うので批判されたものである。プラハの路面電車で普通はレールの間は石畳で固められているが街の北のあるセクションだけ石畳ではなくてそこに芝生が植えられているところがあってそのセクションを路面電車で走るとなんとも自然主義な感覚がそこに芽生え、私はそれが大好きであった。もうプラハに行く予定は無いけれどもあのプラハの北の郊外に近いところの石畳ではない芝生の上を走る路面電車はちょっともう一度乗ってみたい気がする。
0026名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/03(水) 00:46:58.68ID:SeqTovOa0
日本製のコンドルカメラはそのスタイルがニコンS2にそっくりなのだ。オリジナルのニコンよりもこちらのコピーカメラのニコンの方がオリジナルのニコンの特徴を真似て作っているそっくりさんだから、こちらが本物のように見えるのも面白い。ところがこの同じカメラメーカーでニコンエスツーの後の当時の最高級カメラニコンSPにそっくりのカメラも制作していたことがわかってびっくりした。かなりニコンのコピーカメラなど勉強しているつもりなのだが勉強不足であった。

ニコンSPと言うカメラは28ミリから135ミリまでのユニバーサルファインダーを装備していてアメリカのフォトジャーナリストなどが愛用したカメラである。そのカメラの特徴はファインダーのウインドウが異常に横に長いと言うところなのだがそれをそのまま真似るとほとんどニコンSPのそっくりになるのだ。

巻き上げレバーの存在感と巻き戻しクランクの立体感が本物のニコンSPよりもこちらの方がリアルに作られている。しかもレンズ交換ができないから写真に打ち込むとなったらこのフェイクニコンSPの方が写真はちゃんと撮れそうな気がする。
0027名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/04(木) 05:47:50.63ID:tL0NZAwZ0
ずいぶんあちらこちらに書き古したことであるがソ連製のジュピターと言うレンズは実際にはカールツアイスのゾナーであるわけだから悪いわけがない。そのことに気がついていた私は1970年代のオーストリアウィーンに滞在中にもっぱらこのレンズをメインとして使っているのである。果たして非常に良い結果でモノクロームのプリントにはベストマッチのレンズであった。

ギャラリーバウハウスでこの10年間に67回個展を開催しているがそのポストカードになったのが仕事場の壁に貼ってあってそれを見るとソ連製のジュピターで撮影した作品が圧倒的に多い。写真を選んだのはギャラリーバウハウスの小滝ディレクターであって彼は別にソ連製レンズフェチでは無いから良い写真を選んでいたら必然的というか偶然にソ連製の50ミリレンズに行き着いてしまったセレクションになったと言うわけだ。
0029名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/05(金) 07:02:51.78ID:a+PPnOAr0
私もカメラ人類としてはかなりハイブローなほうに来てしまっているから最近では実際にフイルムを入れて使えないと意味がないなどと言うところは既に超越してカメラが壊れていたってフィルムがなくたって全く構わないのである。それで25年お付き合いのあるeBayインターナショナルで色々と当時のこのカメラを物色しているのは生きがいのあるカメラ道楽だと思う。

銀座ではレストランウィークとか言って落ち込んだお客を掘り起こす運動やっているようだが私はもともと対人関係は悪い子人間と話をするのも面倒だし、誰かと会って一緒に食事をしても別においしいとも思わない。典型的な変人であるから部屋にこもってせいぜい感染しないようにするのがベストなライフだと思う。
0030名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/06(土) 00:07:05.96ID:+W/lKHjl0
若い頃であったから近くの女子大小路に飲みに行って暴れたりもしたのである。トヨタの自動車工場に行くときにはカローラのレンタカーを借りて往復していた。1日中スタジオで車を磨いて撮影をして1日に2回ほど名古屋の現像所の人がフイルムをピックアップに来るのである。それがあまりにも定期的に長いことやっているので現像所の人に、ここに住んでおられるのですかと聞かれたのだがいくら我々タコ部屋のアシスタントでも工場の撮影現場に宿泊する事はありません。当時の日当が2000円であって、給料は35,000円だったから1ヵ月出張になると給料を超える高い収入になるのである。

毎日毎日40キロの砂袋を持って走り回って運動をしているから最初のトヨタのスタジオの撮影で体重がいっきょに10キログラム増えたのである。体に良い事は間違えない。
0031名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/07(日) 05:46:13.60ID:67ZrNHLr0
ツァンパを作って食べるシーンで1番感動したのは何もないところで川の水で大麦の粉を練って食べるというのがいかにも良さそうである。でも基本的には日本人の味覚には合わないのであろう。ツァンパに関して初めて私がしたのは1980年に出た藤原信也の前東洋街道でラマ教のお寺に偉い坊さんを訪ねてそこでツァンパを食べたときの印象をひどいものであると書いているのである。異なった文化に対しての尊敬が藤原には最初からかけている空子のツァンパ嫌いなのを読んであーこいつは駄目だなと思った。
0032名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/08(月) 06:47:18.02ID:KJXvJp6h0
自分は自分の作品の存在感に関しておろしたばかりの歯ブラシとか、まだ使っていない靴墨とかおろしたてのクレヨンのような存在感があるものを描きたい。

つまりクレパスへの使用方法と言うよりもその存在感に対する憧憬なのである。考えてみればごく初期のパソコンで最初は256色しか再現できないのが16,800,000色になってすばらしいと思ったこともあるが、色の数が多いから良い仕事ができるわけでもない。

パブロピカソは12色のクレヨンで良い仕事をしたではないか?
0033名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/09(火) 01:33:34.34ID:JjZ6mVJl0
東行の最後の目的地隅田川のほとりに暮らして30年を超えたのである。ベンジャミンブリテンの隅田川のテーマになったところであるからなかなかポエティックでいいと思うかもしれないが実際にはアスファルトジャングルである。佃島の住吉神社には70年代終わりにレヴィストロースがやってきてこういう街に住みたいものだと言ったそうであるが、彼は記念写真で石灯籠の脇に立って写っていたから足元がどうなっていたかは気がつかなかったに違いない。

コンクリートジャングルの東京の街の中で私の狭い行動範囲からするとこの写真に写っている長さ20メーター位の範囲が私の生活圏でほんとにただ1つ地面を踏んで歩くことができる貴重なエリアなのである。そのせいぜい数10本の方向であるがこの歩行は脳天に響かなくて非常に優しい。その方向感覚がそのまま30年間暮らしたプラハの地下鉄の終点の本ルナパークだった原っぱを思い出すのである。
0034名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/10(水) 06:00:24.79ID:yzr5qywt0
私のFacebookなどで10年前に写した写真があって着ているシャツもパンツも今と同じであると言うフレーズがよく出てくるが、40数年前にウィーンの古道具屋さんで亡くなったウィーンのジェントルマンのワードローブ一式を購入してもうこれで一生着るものはいらないと感じたのであるが日本だとなかなかそういうちゃんとしたものを着る機会もない。それで相変わらず擦り切れたカモフラージュジャケットにお尻のポケットの穴が開いたカーゴパンツなのである。
0035名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/11(木) 01:12:49.76ID:1T/vPKLI0
レンズのフォーカシング感覚で1番人気があるのは最近中国製でも同じものが復刻された8枚弾のズミクロンであるそれの35ミリ。しかし初期型のズミクロン35ミリよりも超えるセクシーな操作感覚のフォーカシングのカメラがあるとしたら私はまずこのロードSL取り上げたい。

セレンメーターが入っているカメラであるから当時のカメラは非常に苦労したようで何が苦労したかと言うとセレンメーターのついていないカメラは巻き戻しクランクを何の問題もなくつけられるがセレンメーターが素行占拠してしまうと巻き戻しクランクを設定する位置がない。それでこのカメラも非常に不思議なからくり座異空になっていてよくこんな面倒な作りをカメラに設定した感心するそのこと自身が魅力なのである。

もう一つ私がカメラ美学として凄いのはこのカメラのSLと言うロゴタイプなのである。どこのフォントにも存在しないような非常に不思議な東洋の美学がそこに具現化されているのがこのカメラの魅力だな。ただしレンズは明るいf1.9なので実用性はほとんどない。こういうカメラで絞り開放で使った事は50年来1度もありません。
0036名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/13(土) 00:36:47.78ID:WxGfbRIM0
それで関連して思い出したのは、ブロック塀屋の娘であって、ユージンスミスの映画の解説ではないがそれは実在の女性なのである。ヨーロッパをどっか旅行中に知り合った人でいろいろ話をしてみたら実家が建材店であってブロック塀を見るとノスタルジーを感じると言うので好きになりなかなかXXな感じになった。女性というのが強いものであるなと感心したのはブダペストの民宿で1本きりのジーンズを洗濯したので、ペンションのお母さんのスラックスを借りてそれで市内見学に出ると言うようなフレキシブルな人間なので男性なんか最初からかなわないと思った。

それからしばらく経ったらベルリンの壁と結婚をしたドイツ女性と言う人がいてこれもなかなか素敵な感じの知的な人だった。ブロック屋の娘さんに関して言えば、私が会った後に30年ほど前にロンドンに語学留学してそこで英国人の先生が好きになっていろいろがんばっていよいよと言う時にその先生が同性愛者でダメでがっかりしたと言うコレスポンデントが最後に佃島に届いてそれから後は消息不明で30年経つのだけれど彼女は間違いなく還暦にはなっているな。
0037名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/14(日) 11:25:10.10ID:Tml6oz9X0
アルパ研究会でひょうたんから駒と言うのは当時日本に漂着するアルパカメラはほとんどが壊れていた。カメラ屋さん修理屋さんもそんなのは修理引き受けたくないから手先の器用な連中がスイス製の高級カメラを分解して自分でカメラを修理するようになったのである。

四半世紀前の話である。その当時は定年退職したらカメラの修理屋になるか手打ち蕎麦屋になるかと言う人生の2つの選択肢があって皆さんそれに夢を描いていた。しかし冷静に考えてみれば定年退職した部長の自慢の手打ちそばなど部下は食べたくないであろうし、カメラ屋さんも同じ理由でそういう偉い人に修理は頼みたくないものであって結局この人生設計は達成しなかったのである。

しかしこの表彰状を見て驚いたのはその日付がちょうど25年前の12月14日つまり25年前の我々の結婚記念日の日付であったことだ。その時ずいぶん長い時間が経過したなと思ったがそれからさらに25年が経過して今年は金婚式なのである。表彰状に格好をつけるために私の実印が押してあるのが面白い。実印等は日常生活で最も使わないものであるから最後に実印を使ったのが四半世紀前と言うわけだ。
0038名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/15(月) 09:25:27.18ID:rKNzARrn0
私は石ころが趣味で外国に行ってプラハとかリスボンの石ころを拾ってきたりする。神奈川県の大磯に行ってそこの石ころを拾ってきたこともある。別に日本最初の海水浴場だからその記念にとかそういう意味ではなくて単に石ころと自分が等しい価値を持っていると言う興味にあるのだ。

それで田中 正造が所有していた3つの石ころだが想像していたよりも大きかった。それが発見であった。他には書きかけの原稿とか新約聖書とか憲法の本とかいろいろ入っていて資料によれば自ら採集した川の下りも入っていたようである。他のものは栃木県の中を文化財になっているのに、川法は食品であるから重要文化財としての認定を受けられなかったのであろうか?
0039名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/21(日) 16:24:59.01ID:54MH9Etn0
私に綴り方を教えてくれたのは長く編集長をやっている矢野さんなのである。これを私は家の文章学習塾と呼んでいる。30代そこそこで文芸誌の編集長になって初めて瀬戸内寂聴さんにお目にかかったとき、矢野さんは気を遣っていろいろ動いていたら寂聴さんにピシャリと言われたそうだ。

編集長はチョロチョロしない!

確かそんな意味の言葉で爆弾を投下されたのである。

10年前に連載をしていたときに雑誌の目次を見ると言う事はほとんどなかったが、今回10年ぶりに見て気がついたのは目次の文字の大きさが上がっていることである。こういうところに自分の名前が掲載されると言う事は、晴れがましくもあり恐ろしいことでもあるのだが、大相撲の番付表みたいなものでなかなか細かく見ていくと面白い。

新潮巻末にはそれぞれの人名と経歴がついている。同じ町内の方で今月号の雑誌に関係したお名前を探すと吉増剛三さんがある。私は1947年生まれの写真家と紹介されている。この雑誌以外に私は自分を紹介するときに写真家随筆家とか、写真家作家とか書いたりするが、家の編集長の前ではシンプルに写真家なのである。物書きなんてとんでもない。
0040名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/22(月) 09:40:22.11ID:HhtGU3T50
10年前にプラハからアストロベルリン800ミリef子と言う15キロ以上ある望遠レンズを買った。到着してびっくりしたのはチキータのバナナの段ボールを何枚かつなぎ合わせてその中にさらさらのパッキングでプロテクションを作ったさらにその内側にレンズが入っていたことである。

そのレンズはレンズ単体で送られてきたわけではなくてシッピングケースの非常に頑丈なものに入っている。だから国際的にこういう品物を送るときはシッピングケースの表面に送り状を貼ればそれで用が済むのである。それでチキータの箱を分解して皿皿をゴミ袋にいくつか詰め込んでほとんど半日仕事であった。

その15キロもある重い望遠レンズをバルコニーに持って出てイッポンテストでフィルムを撮影しただけで後は使っていないのである。レターパックでカメラが到着したと言う話をFacebookに書いたら友人で以前アメリカのeBayで買ったスーパーイコンタがやはり封筒に入って到着して、プチプチのプロテクションもなかったらしい。でも考えてみればスーパーイコンタは蛇腹式カメラで本体を閉じてしまえばシェル構造になっているからそのまま封筒に入れて地球のあっち側からこっち側に送ってもまず大丈夫だと思われる。
0041名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/23(火) 00:11:30.77ID:lPALVhga0
eBayは25年位のお馴染みの私だが四半世紀前にアメリカのどこかのセラーさんでOdd dogと言うハンドル名の人がいた。そのタイトル写真が太郎君と同じようなすんづまりのちょっと体型が可愛らしい小型の黒いワンチャンでおまけにすごいぎょろぎょろした目玉である。そのタイトルフォトが気にいっていたのでいかにもその黒いのがセラーのお店のオーナーと言う感じがした。

それから25年経ってその当時のことを思い出していたのであるが偶然に探していたベル&ハウエルの付属品をゲットしてそのセラーさんの名前を見たら、Odddog2となっていたのでやたら懐かしかった。2と言うサブタイトルが付いているから2代目になったのであろうか?

そのOdddogがまだ初代の頃に手に入れたのがこのミノルタに付いている35ミリの広角レンズなのである。ミノルタスーパーAは1950年代の終わりごろにレンズ交換式のレンズシャッターを各メーカーが本気で作っていた5日の中で最も素晴らしい作りのカメラであった。スーパーロッコール50ミリのef 2とそれからf1、8の付いているモデルもあった。交換レンズは85ミリと100ミリと135ミリがあったが意外と手に入らないのが35ミリレンズなのである。それをOdddogで手に入れたら革ケース付きのフロントリアのオリジナルキャップのついたものだった。ただし25年使っている間にキャップも何もなくなって手元に残っているのはレンズ本体だけ。

手元に3台のミノルタスーパーAがあってそれぞれに、50ミリ、35ミリ、135ミリのレンズをつけっぱなしにしている。レンズ交換ができるカメラなのにレンズ交換をしないと言うのは水俣で有名になったユージンスミスみたいだな。
0042名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/24(水) 06:47:17.23ID:xG/JXOg10
文芸春秋の何とか言う専門雑誌でデザイナーズマンションで暮らすと言う特集があって私の部屋を取材に来たことがある。たまたまその時尊敬する黒川紀章先生もご自身の部屋にいらしたのでそこを見せていただいてちょっとお話を聞いたのも忘れられない経験であった。

この2月にコロナで亡くなったプラハのフォトジャーナリストPavrこの2月にコロナで亡くなったプラハのフォトジャーナリストPavelが日本に来るので安いホテルを探していると言ってきたことがある2003年頃の話で、10平米の狭い狭い部屋だけど寝るだけなら何とかなると言うので彼が来る予定で空気で膨らませるベッドなどを用意していたが結局彼は来る事はなかった。

中銀カプセルタワーが1番きれいに見える一瞬と言うのは、東京駅を出た新幹線が新橋のガードをくぐるその一瞬に見える未来建築としてのAugenbrick一瞬に見える瞬間が1番素敵である。それがなくなってしまうのは残念だ。
0043名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/25(木) 08:58:02.42ID:755pIeq50
友人の野々宮はセスナ飛行機に乗って関東上空を行ったり来たりして周囲に迷惑をかけているのであるが以前上空から観察して佐野厄除け大師だと思ったら全く別のお寺であったと言うことがわかって、野々宮のセスナ飛行機には同情しない方が良いと言うことを決心したのであった。

佐野厄除け大師はマイナスのイメージなのは年末にしょうもない広告を打ってそれで有名になったことにある。本来の名前は、、惣宗寺(そうしゅうじ)であって歴史は西暦900年にさかのぼるそうだ。それでその間にいろいろなことがあったらしいが1番有名なのは寺が建立されて1000年経った頃に田中正造の葬儀がそこで行われたと言うことである。田中正造が人生の最後まで持っていた信玄袋の中に聖書とか書きかけの原稿とかちり紙とかのほかに3つの小さな石があったそうだ。これは何かいい感じだな。

その路傍の石は栃木県の文化財になっていて田中の縁のコレクションで公開されているらしい。写真を見ると画像があまりはっきりしないのであるが左の下のほうにある物体がその石ころであろうか?
0044名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/26(金) 09:00:00.32ID:5RrVWm6a0
ローライフレックスはもともと上の方から覗くと言う独特の撮影スタイルで人気のあるカメラであるが人によってはアクションファインダーとして目の高さでリアルなピントを見たいと言う人もいる。でもローライフレックスの実際の使い方としてはこれは10年前に私が書いた2眼レフワークショップでも触れたことであるが本来のローライフレックスはウェストレベルファインダーで使うものなのだ。アクションのあるモチーフの場合はカメラに付いているフレームファインダーを使うのが正しい撮影方法なのである。

1950年代のニュース写真の取材のカメラのギャザリングを見ていて面白いのは、レンジファインダのライカやコンタックスに混じって、フレームファインダーバージョンにしたローライフレックスを使っているカメラマンが多いことだ。もっと面白いのは自動車競走のルマンなどであるが、望遠レンズをつけた35ミリ一眼レフに混じってローライフレックスのフレームファインダーで撮影しているモータースポーツもカメラマンが結構いたことである。

そういう意味からするとペンタプリズムファインダーの出番は無いようにも思えるが私がこのプリズムを使うときには、長年覗くのに慣れている右と左が逆のウェストレベルファインダーはもう飽きたから少しは現実に近いファインダーの世界に自分の視神経を遊ばせてみようと言う時である。

25年前によく使っていた二台のワイドアングルローライフレックスはその1台にいつもペンタプリズムファインダーをつけていた。それは撮影の目的と言うよりもマンハッタンのカメラやから買ったそのファインダーはアメリカの写真家が使い方が荒いものだから頭が凹んでいるのである。そこにバンドエイドを貼るとなかなか人間的な存在感があって気にいっていたものだった。

それで最初の?の答えになるのだけれども、プリズムファインダーをつけて重くないですかと言う質問がFacebookであったのだが、確かに部屋でプリズムをつけたローライフレックスを手にしているときは非常に重く感じる。

それは自分の体がカメラに対して重さを感じているからだ。ところが条件が変わっていざ撮影となるとプリズム月のローライフレックスは自分の体の1部になる。だから重さ等は感じなくなるのである。私が標準体重より10キロ位重い人間の油を体にまとっていてもそれほど苦痛にならないのと同じことだ。
0045名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/27(土) 00:14:21.97ID:f7VeeEtZ0
Mayerの戦前のレンズで好きなのは当時アメリカ市場のために作られた100ミリf 2.8というのがあってこれは仕上げも素晴らしいし描写も素晴らしい。タムロンの金型制作部の前田さんと言う人は私が本気でカメラやレンズの話をして負けない唯一の博学のジェントルマンであるが、30年位前に中古カメラ市に行ったら前田さんがいて、今日は何がお買い得ですかと言ったら私を黙ってそのレンズを売っているブースの前に引っ張っていってくれたのである。

当時25,000円したからずいぶん高いと思ったが今ではその10倍でも買えないレアレンズになってしまった。
0046名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/28(日) 07:07:53.57ID:MJyzms040
カメラを手に入れた後にガラクタ屋さんが私のギャラリーバウハウスの友人スミスのトークショーに来てくれてその時の話によれば、やはりこれは理ペイントではなくてオリジナルのブラックペイントのようである。面白い話としてはガラクタ屋さんの常連さんで知り合いの人であったかその常連さんの父上であったかそこら辺は忘れたけれども、このブラックペイントのヤシカペンタを手に入れてかっこいいブラック仕上げではあるがニコンエフのブラック仕上げには劣ると言うので結構差別されたようなのである。

しかし2020一年の現代で価値観から考えればニコンエフのブラックは当たり前すぎてそれよりもペンタのブラック仕上げのほうがレベルが高いのは当然である。シャッターが壊れていても別に写真を撮るためには家人からお下がりでもらったiPhone SEがあるから何の問題もない。
0047名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/29(月) 13:43:48.78ID:UihBFFs80
雑誌中央公論の巻頭グラビアで各界の有名人何かを取ったことがあるが、その時にはエルマー65ミリと言うレンズが男性ポートレートの場合非常に向いていると言うことに気がついて私は愛用していた。それと同じ考えで55ミリから90ミリと言うのはまさに男性ポートレートの理想的な焦点距離なのである。

そういう事は理論的にわかっているのであるが実際にこのレンズで撮影することがなかった。最初から65ミリのエルマーレンズを一眼レフに付けて撮影すればフットワークで距離はなんとでもなるものだし最初からズームの設定焦点距離を決めるのがめんどくさいからだ。
0048名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/11/30(火) 09:16:20.15ID:6TnUpFJz0
ローライマジックはロンドンから買って使い始めたらセレンメーターがちゃんと動いているのであるがトランスペアレンシーで撮影するととんでもない露出がずれる。しかも最初のローライマジックは露出をオーバーライドすることができない。それで今は3台のローライマジック2型を使っているのである。

その数年前に二台手に入れたローライマジックに付録で付いていたと思われるローライブランドの感度25のモノクロフィルムが出てきたので思いつきでそれをローライマジックに入れて1本撮影した。カメラの操作感覚の歯切れが良いので実に素晴らしい撮影体験である。

フィルムカメラのライカやローライが素晴らしいと言うのはまさにこのことなのであってデジタルカメラはどんなに進化しても操作の感覚が素晴らしいと言う感じがもたらされないのは非常に不幸なことだと思う。そしてデジタルカメラの場合は行く先が全く見えない性能向上戦争。

普通のローライファンの皆さんはカールツアイスのレンズが良いと言っているけれども私はカールツアイスのレンズは古くなると黄色っぽくなるので嫌いである。シュナイダーの砂がよろしい。このレンズはちょっと色彩が青っぽくなるのが私の好みなのであるが、黄色っぽくなるよりはるかに素晴らしい。ただしこの場合はモノクロームで撮っているからそーゆーうんちくは全く関係なし。
0049名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/01(水) 06:32:04.66ID:FssO7QYL0
最近ペトリカメラのマイブームになっているのであるが、ネットオークションなどでペトリカメラやレンズは長年いろいろ見てきた訳なのだけど、この専用のカメラバッグと言うのは今まで見たことがない。カタログ等でも見落としていたのである。ネットオークションで数ヶ月500円のままで誰も落札しないので私が落札した。ゆうパックの着払いで送料が1030円であった。

このカメラケースはショルダーからかけた状態で上蓋を開けてカメラを簡単に取り出すことができる。カメラの置いてある床の下がめくるとパテーションになっていて小さな3つの小部屋があるから大きなレンズでなければ2本入れてあと数本のフイルムを入れることができる。

カバンをぶら下げるスリングは革ではなくてプラスチックなのだけど実際にはそのほうが使いやすい。こういうカメラケースは設計した人はショルダーからかけると言う認識しか当時はなかったであろうが実際の撮影の現場ではこれをたすき掛けにするのである。レンズを交換するときにたすき掛けにしたカメラバッグが胸のほうにあってレンズを交換したら今度はカメラバッグ本体を背中のほうに回すのだからこれがプラスチックの方が滑りやすいから取り扱いが楽なのである。実に数十年ぶりに実用のギャゼットバックが手に入ってうれしい。

念のため付け加えておきますがカメラバックでバッグではありません。
0050名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/02(木) 06:59:20.74ID:HD+pRBVC0
ローライマジックで撮影するときに常に手首にリストストラップを通しているわけではない。しかしカメラを落としそうになったときにこのぐらいのカメラのしっぽがついていると落下はさせないものである。ネックストラップが付いていると安心してカメラを路上に落としたりそれからもう一つの事故であるがカメラのリングが外れて落下すると言うこともある。その意味でリストストラップはカメラを扱うときに注意力のレベルがより高くなるものだと思う。

私がライカカメラを落としたはい災害は1973年の夏にオーストリアウィーンで撮影中にライカM3にテリーと200ミリがついて一眼レフ装置のVisoフレックスがついていたのをライカのネックストラップアイレットが外れてウィーンの硬い石畳の上にカメラが落下した。その修理代金と言うのは1ヵ月の生活費を上回るものだった。それ以来生活のダメージになるからカメラは落とさないことにしているが決してその生活信条のようにカメラを地球にぶつけたことがないわけではない。
0051名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/03(金) 08:01:05.95ID:9FhslLXq0
ウォーカーエバンスが人生の最後に作った写真集で、ファースト&ラストというのがあるがそこには2枚のウォーカーエバンス自身のポートレートが並んでいて26歳の時と晩年の時の2枚の写真なのである。これが非常に良い感じで大昔ハードカバーの写真集を持っていたことを思い出してそれは今手元にないので同じタイトルのソフトカバーの写真集を手に入れたらそこにはこの典型的な2枚のエバンスのポートレートは掲載されていなかった。

要するにブックカバーの帯みたいなところに、呼び込みの文章と一緒にちょっとKitcheな感じで印刷されていた小さな2枚の写真なのである。それでこの50年前の写真をFacebookなどにアップして世間を困らせてやろうとしたらあっという間に200近いいいねをいただいたので感謝感謝。

そのコメントもいろいろあってトレンディーな若いカップルの俳優さんかと思いましたなどと褒めてくれるのである。しかしながら女性の方はどうであるかは知らないけれども、時々の私の感覚としては20代半ばのへなちょこな目つきの鋭いヘンテコリンな男の子であった私よりも今のひげ爺で何やらわかったようなふりをして周囲の写真家とかデジタルカメラの悪口ばかり言っている自分の方が面白い。
0052名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/04(土) 00:38:17.00ID:4xX6ll3L0
それでハノイでは持参していたコニカ現場監督に持ち替えて撮影をしたら当然のことながらちゃんと映っていた。その年の3月の初めに千葉県銚子市の犬吠埼に出かけたのである。犬吠埼の灯台とその周囲の断崖絶壁と言うのは非常に荒々しいものであってポルトガルの1番西側の大西洋に面したロカ岬などよりも迫力がある。これが現場監督を持参して数枚撮影したのである。

そのフィルムを現像してみたらフィルムの前半分はハノイの街角が写っていたのでびっくりした。数本ハノイで撮影したのだが最後の1本を取り切らずにそのまま持っていたので、ハノイと千葉県の調子の犬吠埼が連続的になってしまったというのがこれはある種のフォトモンタージュだなぁと思う。

犬吠埼の灯台と言うのはなかなか飛行機の最終着陸態勢で上空数百メートルから観察すると迫力のあるものである。ヨーロッパから帰ってくるときに成田空港へのアプローチにはいくつかあるけれども犬吠埼川のアプローチに当たると私は嬉しくて仕方ない。
0053名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/05(日) 08:30:00.95ID:mxuYdqp90
撮影した時期であるが1967年の11月終わりにライカを手に入れたのだから翌年の夏あたりと推測することができる。同じ時期のショットでやはり銀座の御幸通りで鏡に映ったセルフポートレートもある。それはともかくこの時期の私はごく普通の島国の日本人だらけの中にいる青年であった。それから5年後にオーストリアのウィーンに行ったときびっくりしたのがウィーンの中心街をライカを持って歩いているときに鏡などに瞬間的に自分が映ったときの驚きである。

目のつり上がった正体不明の東洋人が歩いているのだ。

写真家の川田さんが全く同じことを若い頃ヨーロッパに撮影に行った時に自分が異邦人であると言うことがストレスになったと言う話を直接聞いたことがある。これは一体何なのであろうかと考えるのだ。

ヨーロッパで日本人がストレスを感じて1周の内面的な人種差別感覚を持っていたと言うのは日本が開発途上国の時期と重なっている。それが経済大国になってヨーロッパのホテルに泊まる日本人がいっきょにホテルのクラスが3つアップグレードされるようになってから我々の日本人コンプレックスは少しは解消したのかもしれない。それと同時に日本人の態度が非常に大きくなったのは情けない。

それから30年近くが経過してまた後進国になったからまぁそこら辺は心配することもないか。
0054名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/06(月) 08:10:56.41ID:4NdbwVHz0
1980年のポーランドの戒厳令の直後にワルシャワに取材に行った時に私はウィーンから1キログラムの砂糖を持っていった。あちらのカフェでお砂糖が手に入らないのでその防衛手段なのである。撮影と言う労働をするときにはコーヒーにお砂糖を入れないとやっていけない。ワルシャワのカフェでコーヒーを頼んだらブラックしかないので私は1キログラムの袋を開封してスプーンでお砂糖を入れて飲んでいたら周りの人もほしがったので分けてあげた。

しかしその時気がついたのだが最初からお砂糖が入っている飲み物がある。ペプシコーラである。当時のポーランドはまだ帝国主義のコカコーラは入っていなかった。だからわざわざwinからお砂糖を持っていく必要もなかったわけである。そのことを皮肉とともに思い出して佃島のスーパーのことを考えてみるとスーパーの店にお砂糖はあるのにそこがチェックアウトを待つ人で満員になって買うことができないと言うのは結局ポーランドのあの頃の物不足と全く同じと言うことに気がついた。物質の流通がダメになっているのである。

東京で買うことのできないお砂糖の代わりにケーキを買ったと言うことには故事来歴を思い出した。マリーアントワネットのパンがなければお菓子を食べればいいじゃないと言うことである。
0055名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/07(火) 08:50:04.34ID:6WAKjfM00
プロの映画用カメラを別に撮影するのではないが室内の見えるところに置いておくというのが私の人生の目的になってしまって亀フレックスなどは知らない間に増殖してごだいぐらいに数が増えてしまった。それに関連して各種のアクセサリーも収集してもう後には引けないところまで来てしまったのである。初期の35ミリの映画撮影機のかなりプリミティブな存在感の良さというのがこのカメラにはあって例えばごく初期の映画術で普通であった手回しクランクでフィルムを撮影することもできるし、スプリングモーターをつけて映画を撮ることもできる。ー

10年以上前パリに滞在していた時にウィーンのライカショップのペーターのところで亀フレックス本体と各種交換レンズに加えてたくさんのマガジンとか付属品がいちどに登場したのでまとめて購入したことがあった。パリの仕事を終えて東京に戻ってきたら不幸なことにウィーンから来た山のような段ボールの方が先に私よりも佃島に到着していたので、マンションのエントランスから中に入れないような状況になってあの時は困り果てたのである。
0056名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/08(水) 06:41:51.91ID:ALOGav7a0
ボロボロになったフィアットの小型車というのが私の好きなモチーフである。1973年にウィーンのアパートに住み始めた時にいつも通り掛かる街角にフィアットの500がボロボロになったまま家捨てられていてそれを見るのが楽しみであった。その理由は単純であってフィアット500が走るのはコマネズミが走るようなもので当たり前で道具としての目的にかなっているのであるが、一旦これが車でなくなってそこに車の分解を開始すると同時にオブジェとしての存在感がどんどん開示されてくるのである。

このエジプトカイロの路地裏の黄色いフィアットも同じ感じだな。これは何と言うのかフィアット500よりもちょっと大きいエンジンサイズのやつでよくこれがフィアットアバルトとして改造されて、リアのエンジンカールを半分開いたまま固定して高速道路で私の車を追い抜いていくその後姿が実に痛快であった。

エンジンカールを半開きにしたフィアットアバルトのかっこよさと言うのは同じ時代の車で考えれば本田エス800のキャブレターを膨らましたもっこりした感じよりもはるかにダンディーなのである。
0057名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/09(木) 06:51:26.23ID:SEyCHLsY0
スーパーのフジマートでキャッシャーのおばさんが葉っぱを切りますか?と聞いてきたので家持って帰ります炒めて食べるとおいしいからと言ったら、おばさんは笑ってそういうことではなくて荷物が大きくなるから2つに切りますかと言う意味ですと言うので私は、切らないでください2つになってしまうと手に持てなくなるからと言うのでそのまま持ち出したのである。一緒に大きなネギも買ったのであるがこれらを持つテクニックについていろいろ考えた。

70も半ばになって思い大根を持ち歩く技術について考えると言うのは非常に人生の経験としては重要である。背中にはリュックサックに刺身やら生牡蠣やらメンチカツやら白菜やら入っているのである。それで大きな大根と長いネギをワンブロックごとに右手と左手で持ち替えて支えるようにして歩いた。老人で体力が低下しているからこれでも結構な運動量であって、時々いつもの定位置のベンチにちょっと座ってそれからまた歩いたりしたのである。

家のタワーマンションに到着する最後の50メートルで気がついたことなのだが右手もしくは左手にホールドした重い大根をもう一つの手を添えると負荷が減少すると言うことに遅ればせながら気づいた。物理の高校の授業で赤点を取ったような経験があるからなかなかそういうところまで頭が回らないのであるが、しかしもう遅い。それでも最後の50メートルは重い大根を楽々と持ち運ぶことができた。
0058名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/10(金) 06:38:15.33ID:7Z5sC0050
グリップのほうはアナトミカルなスタイルでいかにも使えそうな感じなのだけど最大の欠点はグリップの取り付け角度がそのようにされているのであるがこのグリップは右手でしかホールドができないような構造になっているのである。ローライフレックスの場合右手でフイルムクランクを操作して、このグリップのケーブルレリーズでカメラに直結してやはり右手でシャッターレリーズをしなければならないことになる。

ここが非常な問題点であって、右手でフイルムクランクを操作して巻き上げてから手を持ち替えてグリップを握ると言うのはローライフレックスのスピーディーな操作感覚を300%ぐらいマイナスにするのである。それでもこのようにカメラにつけたスタイリングがなかなかカッコ良いので騙されて買う人が多いのがローライフレックスの品役と言うものである。

しかし世の中には別の道具の使い方と言うものもあってグリップをこのようにセットアップしてその見え方を楽しんでいると言うのは別にマイナスでも何でもない。
0059名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/11(土) 10:05:06.26ID:ka3NDTI00
1970年代にドイツでユダヤ人の女流写真家がいて彼女がいつも使っているのがライカM3に5センチのf2.8のエルマーレンズなのである。そういえば最近大流行の傍流写真主義で活躍しているFacebookの投稿者である出雲の女性写真家がやはりライカM3、50ミリエルマーレンズなのだ。その人は他にレンズを持っていないらしくてここら辺はライカ使いのトップクラスであると思う。別にアンリカルティエブレッソンが50ミリレンズしか使わないと言う歴史を引っ張ってくるまでもない。

それで私の場合キャノンスクリューマウントの50ミリf 2.8と言うのに昔から異常な興味を持っているのである。先程の出雲の女性写真家は1本のレンズで真面目に写真を撮っているのだが、私の場合は三千本のレンズを食い荒らしているわけだからそこらは非常に真面目でないのはこれは仕方がない。

このキャノンの50ミリf2.8のレンズが素敵なのはレンズのバレルそのものは50ミリf 1.8と同じものを使っていてそれでレンズが小さいと言うところにレンズ機械学のダイナミズムみたいなものを強烈に感じるのである。人気のあるレンズだからネットオークションに登場したりするとごくありふれて大量に供給されている50ミリf 1.8よりも落札価格が高くなったりするところも面白い。
0060名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/12(日) 07:32:27.03ID:KbMK7xQC0
有名なフィアットアバルトの場合はリアのエンジンのカウルが閉まらないので半分開けて走ったりしているわけであるがこちらはちゃんと問題を解決しているところが素晴らしい。1型から3型までがあって最初のモデルが特殊バイオネットマウントで50ミリレンズ1本しか作ることがなかった。つまりレンズ交換は可能なのだけれどもつけるレンズがないと言うカメラなのである。

最初のモデル1型はしばらく使っていたがネットオークションに出したらイタリアのコレクターが買ったのである。次のモデル2からは標準的なライカスクリューマウントになったのでレンズ交換ができるようになった。私が1番使うのはそのモデルである。かなりへそまがりなのはご覧のように距離計のカップリングのローラーがライカの場合は12時の方向にあるがこれだと3時の方向にある。距離計の精度は心配になるけど私の場合は広角レンズしか使わないので別に問題が起こった事は1度もありません。

それで最終モデルがモデル3となるのだが実際問題として私は違いが何だかわからない。ネックストラップアイレットの有無のような気もするが。このカメラがすごいのは巻き戻し機構がついていないことにある。つまり最初からダブルマガジンで使うように設計されているのだ。

それでこのカメラを使うために私はプラスチック製のフィルムリロード用のカセットをたくさん買ってきてこのカメラ専用に使っていた。そうすればダブルマガジン方式で使えるのである。ただし最近は撮影の本数が減っているから1日20本取るとしたら重労働であるが、1日1本取るだけならば撮影が終わってダークバッグでゆっくりフィルムを取り出してパトローネに指で戻せばいいだけの話である。
0061名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/13(月) 00:11:14.08ID:t8O8e9kZ0
SX 70のプリントの使い道と言うのは1970年代にはいわゆるエロ写真を撮影するのが目的であって、今のようにインターネットでポルノグラフィーが大洪水と言うような情けない時代ではなくてちゃんと品格が当時はあったのである。

ウィーンの旧市街のフランシス金チャーチは小さいおしゃれな広場であってそこで1976年に劇映画の撮影をして私も手伝ったりしたりしたのであるが、そこにクライネスカフェと言う名前の小さな文字通りのカフェがあってそこのカウンターに座って

例のものを見せてくれ

と言うとお店の人が袋に包んだ数十枚のSX 70のエロ写真を黙って私に差し出すのである。あのサービスは粋なものであったが今でもやっているのであろうか?映画第3の男のウィーンのペニシリンバイバイみたいな感じで。
0062名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/14(火) 09:58:54.41ID:qgbZXGSJ0
ところで私が50一年前に持っていたロードカメラはクローム仕上げである。その理由は知らないが当時このカメラのブラック仕上げがあると言う事は知っていたのだがほとんど見かける事はなかった。それがこの10年位の間であるが幻のロードのブラックカメラがどんどん登場するようになったのだ。なぜか?

答えは単純であってネットオークションなのである。漁業と同じようでブラックロードのカメラが大量発生してびっくりすることもあるしこの数ヶ月未来なと言うこともある。以前はブラックロードが現れると必ず手に入れるようにしていたのだがそのおかげでサッカー選手のチームの数と言うほどではないがかなり増えて片手の指の数では数えられない位になってきた。

そうするとそこに私のカメラの傲慢というのが働いてきてロードで写真を撮るよりもブラックロードをずらりと並べるというのが本末転倒で人生の目的になってしまうのである。同じようなカメラに介する人生の間違いと言うのは他にもあって1932年に登場したいわゆるブラックコンタックスをサッカーチームの数ぐらい揃えてそれを閲兵するのが楽しみになっている。これも間違ったカメラの楽しみ方なんですね。しかしこの間違った思想と言うのは第3帝国的でけしからんわけであるがそれによってホロコーストが起こるわけでは無いから少しは許せると考えているのである。

ブラックロードのブラックペイントの仕上げと言うのは何度も書いたことがあるがあまりにもペイントの質が良いので全く理解してそのことを指摘しておこう。ライカM2を1967年の11月の終わりに手に入れて1週間経ったらトップカバーが全部剥がれたのでそれでライカが嫌いになった私であるが労働の場合はそういう事は無い。労働50年間使っていて、考えてみれば12月の14日が我々の金婚式なのである。金婚式とロードと言うのはエクイバレントなのだ。
0063名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/15(水) 09:04:16.95ID:t9IXNedh0
パンを現代美術としていかに展示するかと言うことをお店のご主人は知っていたのであろうか?ところが残念なことに2年位前から店のガラス戸のカーテンが閉まって閉店になってしまったのだ。そしたら捨てる神あれば拾う神ありでどこかのブックデザイナーさん家そういう形かな職業の女性がお店を買い取ってご自身でパンを焼いてまたコッペパンを並べるようになったそうである。

ただしその女性は仕事があるから早朝にパンを焼いてなんでも朝6時半から8時半とかそういう短い時間だけしかコッペパンを販売していないのだそうである。何かお豆腐屋さんに近いコッペパン屋さんと言う感じがするが考えてみればオーストリアウィーンなどではパン屋と言う職業が重要であるから午前6時にはしっかりお店が開いているのである。その意味ではヨーロッパ的ですね。

ぽちが欲しがるコッペパンと言う話は、この店の大昔の紙袋のバージョンにそういうプリミティブなイラストが存在したのを知ったのである。でも横丁のぽちはコッペパンは食べないと思うけどね。
0064名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/16(木) 06:45:31.21ID:gQ3xljFI0
1985年の頃にシンガポールとクアラルンプールに行ってあそこら辺はスコールが凄いから1台のニコノス1台の生カメラバッグに入れていた。クアラルンプールで東洋最大のモスクを撮影中にスコールが来たので近くに止めておいた撮影の車まで走って帰ってニコノスを用意して去って撮影しようと思ったら雨はあっという間に止んでしまった。そういうわけでカメラとしては面白いのだけれども、本格的に活用するチャンスが1度もないのである。

1番最初のモデルを取り出してみてちょっと感動したのはご覧のように富士山のマークの昔のロゴが付いている事だった。そんなに昔のカメラではないと思っていたのだが、実はかなり昔のカメラであることがわかって嬉しかった。
0065名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/17(金) 00:10:48.64ID:xsgTIWuM0
ロードSLカメラでもう一つ私が興味を持っているのはニコンSPみたいに一体型の長いレンジファインダーウインドウでその中にセレン式メーターが組み込まれているわけだが、ロゴタイプのデザインが非常にユニークな点を評価しているのである。この非常に個性的なフォントはポストスクリプトのフォントの中には絶対に見いだすことができないかなりユニークな存在で何かじっと見ているとそこに東洋の神秘みたいな存在感覚を感じるのである。

2つ目の面白さは非常に高級な40ミリef 1.8のレンズが付いていることだ。1.8のレンズと言えば35ミリ頭ミクロンがあまりにも有名だけれども。それより5ミリ焦点距離が長くてしかも明るさがエフ1.8なのである。大変な高級レンズですね。

しかし私の場合ロードカメラは40ミリの明るさがエフ2.8で充分だ。大体絞りはエフ8よりも小さい状態で使うからef 2.8で撮影した経験もないほどなのである。

ロードの前シリーズが素晴らしいと思うのは最初のモデルから最後のモデルまでカメラの焦点距離は40ミリ1本だけで他に浮気をしなかったと言うところがすごい。コルゲンコーワのカメラ等はその逆の方向であってレンズシャッター式の 35ミリワイドカメラを始めとしてその後に50ミリ、85ミリ、100ミリ、さらに28ミリ付のえすダブリューカメラまで出している。

ロードSLの3つ目の特筆すべきポイントはその以上に長いフォーカシングレバーにある。このフォーカシングレバーのスタイルはロードカメラシリーズの他のモデルにはないこのモデル独特のものであるが操作してみるとわかるとこの操作感覚がなかなかエロチックなのだ。そこがこのカメラの魅力と言ってよろしい。フォーカシングのフィーリングがエロチックで代表的なレンズと言うのは35ミリ頭ミクロンの初期モデルの8枚弾と皆さんが足に言っているやつであの指が明かりのついたフォーカシングレバーは素敵だがそれとは方向が違うけれども匹敵できる位の素晴らしいフォーカシングフィーリングなのである。こういう優れたカメラ弥次喜多さんさんはガラクタ屋さんでフード付きで2500円で買ってきたと言うから大変なバーゲンハンターだな。
0066名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/18(土) 00:25:36.84ID:OS5p0Zme0
パリの東駅で忘れられないのは現代日本写真家展で日本に行く時に朝っぱらに駅に降りたから駅を出そうなところで初めて、アルミケースにライカが6台入っているのをコンパートメントに忘れてきたのを気がついて慌てて戻ったら、ちゃんとそこに残っていた。

この路線でドラマチックなのはフランスのナンシーの手前の小さな川でそこが国境になっていて越えたら当然ながらドイツ語からフランス語に権利である。日本人は島国でそういうのに慣れてないから非常にトリッキーでそれを楽しみにしていた。

帰ってきた酔っ払いとイムジン河の有名な作曲家は、この夜行列車で旅の仲間の3人とワインを飲んで楽しんだそうだが、当時は私は若かったからユーレイルパスを持っていてファーストクラスのコンパートメントで他はみんなアメリカ人で1人の奴がコンパートメントのカーテンを閉めるので、あーこれはこいつらやるなと思っていたらマリファナパーティーが始まったのである。これは匂いでわかるからやばいよね。
0067名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/19(日) 06:28:29.58ID:pQjuzVG80
今回の喫茶店の行った目的はハムサンドを食べることだった。60年代の喫茶店の定番メニューであって他には当時の定番メニューと言うのはスパゲッティーナポリタンと、生姜焼きが交互にメニューに登場するのである。そしてみんな煙百で知っているタバコはハイライト。

シンプルなハムサンドが甘かった。お礼を言って神楽坂の坂をゆるゆる歩き出して先ほどマスターに30年ぶりに来ましたと言ったのは間違いであることに気がつく。1981に当時ガールフレンドと行ったのが最後の訪問だからじっくり40年ぶりなのである。

このイングリッシュスタイルのハムサンドと言うのはどう思う日本独特のものだと思う。ニューヨークのはボリュームが大きすぎるし、パリのはジャンボサンドだからかなり存在感が違う。こういうの本当の日本食と言うのではないか?
0068名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/20(月) 06:44:54.78ID:7X2Kklx00
それで考える、1936年生のライカカメラを戦後になって距離計付きのモデルに改造するにしてももともとの板金加工のライカ等と言うものはライカの会社では作れなくなっていたであろうし旧型ライカのボディーサイズのシェルのダイカストタイプのものが用意されていてそれに部品を組み込んで最後に受け取ったオリジナルの製造番号をスタンプしたと考えるのが自然である。

当時のライカのサービスはどんなに古いライカであっても最新型のモデルに改造が可能であって、私が見たものでは300番台の穴スティグマとレンズ付きのモデルをブラックシンクロ付きのスリーエフに改造したものがある。コレクターの立場と初期の300万と言う非常にレアなオリジナルライカが改造されてただのゴミになってしまったと言うので残念がっているわけである。しかし一方ではアメリカなどにこのような公式改造されたカメラを集めるコレクターがまた存在するのだ。

バルナックライカの板金加工のやつとダイキャストのやつとか後のカメラでは握ったときの感覚が明らかに違うのでそこら辺は好みと言うことになるのだがこういう改造ライカで撮影をするのはそれなりに楽しい。
0069名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/21(火) 00:14:41.57ID:MZtZzOsr0
そこで話はいきなり変わるのであるが、10年前にジュネーブサロンに行った時に私に声をかけてくれたのが帰ってきた酔っ払いとかイムジン河で有名な時計の王様の選手であった。その時私は感激して、ジュネーブサロンと言うのは面白いことに飲食が無料なのである。それでその紳士と昼間から大宴会を大いにやれた。

その時ヴァシュロンコンスタンティンのプレスに行って感心したのは、新製品は3種類だけであってそれが500,000と5,000,000と50,000,000の時計なのである。なるほど時計のカスタマーと言うのはそういう幅が広いなと言うことであった。私はその500,000のほうの顧客だから1番メーカーを数で設けさせているわけだ。何10年も時計の話をあちこちに書き散らしていたのであるが私の自慢の時計はチェコのプラハで買ったチェコ製のプリムと言う奴が多くてこれは500円位で30年使ってネジが切れたりしているので、それで考え方が変わったのである。私の持っていた1台のチェコ製時計は金属ベルトが外れたので有楽町のなんとかカメラに見積もりを出したら8000円するとか言われた。それで断って歩いて佃島に帰るときに途中の時計屋さんに聞いたら800円で直してくれたのである。

でもネジの切れた時計はまさかそういう値段ではなかろうから1時私がよくやっていたのは有楽町のなんとかカメラにたくさん並んでいる腕時計の中で1番安いやつのクオーツを買っていた。大体500円位で買えるのである。しかし1年たつとバッテリーが切れるからそれを交換するのも面倒である。それで最近やっているのはこの時計がそうなのであるがネットオークションで大体2000円位で買えるやつだ。1週間か10日使ってクロノメーター並みの精度だからまたこれで良いわけである。
0070名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/22(水) 06:15:49.04ID:rnoIcTtg0
私の1番好きなオールドクラシックデジタルカメラがこのオリンパスペンデジタルの1番最初のモデルである。12年前に私はペットロスになって参っていた時にデジタルカメラマガジンの編集部からこのカメラを使ったムックを依頼されてそれでかなり助けられたこともあった。新しいデジカメのムックと言うのはペットロスにもかなり効いたものと見える。

その中の白いカメラというのが1番気に入っているのはまず歴代の辺デジタルシリーズの中でこれが1番デザインとして優れているからである。細かいところの作り込みはかなり上品であって旬こーゆーデジタルカメラを作れるデザイナーはいないと思う。それでその動く速度がちょっと遅いと言うのは、雅な感じがしていて私は気にいっているのである。

現在のデジタルカメラの最高にだめなところは性能を至上主義で速読こそベストであると考えられているのは頭の良い人が作っているからデジタルカメラのゆとりと言うようなものは最初から考えに入っていない。デジタルカメラのシェアがスマートフォンに食われているのは仕方のないことだが、それを打開するためにただただ西野第一のほうに突き進んでいくのは私は疑問を持っている。
0071名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/23(木) 00:14:42.09ID:Pibk7uUa0
ところで実際にローライマリンで撮影をしたダイバーは大変だったであろうなと同情するのは何しろ撮影枚数が12枚であるから水に潜ったら12枚ぐらいすぐとってしまうのでまた船の上に戻ってフイルム交換をしなければならないと言う手間が同情するのである。

フランスのアクアラングのメーカーが作っていた35ミリ版のカリプソは水中ハウジングに入れなくてそのまま使えるというのが素晴らしい機能であってそれをニコンが引き受けてカリプソニッコール、今のニコの子になった。フォーマットからすれば35ミリだからマイナスポイントではあろうが一旦ダイビングしたら36枚撮影ができると言うのはかなりのメリットであったのだろう。

ところでローライマリンを私が手に入れた理由と言うのはふざけた理由であってこの中に水を入れて金魚を買おうと思っていたのである。ところがそういう馬鹿な考えはローライを侮辱していることだと言うことにすぐ気がついて、ローライのカメラとマリンを連結する細かいパーツ等はなくさないようにビニールの袋に入れてローライマリンの本体の中にしまってそのまま40年が経過したと言うわけだ。
0072名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/24(金) 00:06:54.27ID:WoahuzPo0
全部の原稿であるから写真集の終わりのほうに乗せた私の若い頃の写真を他の人が撮ってくれたやつも一緒に出てきた。その中の1枚がここに示す写真であってこれは1975年頃にベルギーに行った時にベルリンというか当時の東ベルリンの友人が撮影してくれた20代の私である。ライカM2にソ連製のジュピターレンズをつけているからやってる事は昔も今も同じである。

感心するのは当時の東ベルリンのDP屋さんで普通にプリントしたものが40年経過してもちゃんとアーカイバルスタンダードになっている点だ。まだメルケルが大学生の時代である。

家人が写真集を読み返していてあとがきの一説にこんなことを書いていたと言うのを私に指摘してくれた。曰く

2025年はライカカメラが登場して100周年になる。私はその時にドイツのライカの本社をもう一度訪問しようと思う。

写真集を出した1995年には私はライカに対してまだ夢を持っていた。ところが今のライカのようなヘンテコリンな会社になってしまったのでこの夢は全部取り消しと言うことである。
私にとっては東西ベルリンの壁が崩壊したのは良かったがライカの会社があんなになってしまったのは残念無念。
0073名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/25(土) 00:08:20.82ID:IE7Fknar0
当時のライカビットの広告にもそのリーフレットに記載されているのであるが早く巻き上げられるだけで巻き上げながらフォーカシングをするのは不可能であると説明があった。人間の体は一本しかないから当然の話だ。1950年代のタイムライフで活躍した当時の写真家はスーパースターであるからあちこちにカメラを構えているポートレートが登場して私はそれを分析していたのである。

その調査結果によるとライカが60%でレンジファインダのコンタックスが35%。そしてローライとか大判カメラは残りの%を占めていた記憶がある。コンタックスのレンジファインダカメラと言うのは1932年に登場してから西ドイツの最後の製品までついにレバー巻き上げになる事はなかった。そこで思ったのであるがタイムライフのカメラマンでこの迅速巻き上げ装置を使っていた人がおそらくいたのではないかと言うのが私の推測である。

細かく製品を観察するとCllと刻印されているのである。つまりコンタックス3には使えないと言う意味であるらしい。実際に戦前のコンタックス3につけてみると、露出計のブロックに巻き上げのレバーが当たってしまうから迅速に1回転させることはできない。それで分割で2回、作動させて使えば充分実用になる。

巻き上げ装置の部分が高くなっているのでその穴に指を突っ込んでシャッターを切る必要があるが逆にアクシデントでシャッターが切れてしまう心配はないのでまず安全である。戦前のドレスデンと戦後のコンタックスモデルの最大の違いは戦前のものは巻き上げ部分がそのままシャッターダイヤルになっている。戦後のものは巻き上げの部分の下にシャッターダイヤルが別に設定してあるのだ。だからこのアクセサリを使ったときの使い勝手であるが戦後のコンタックスにつけたほうが使いやすいと思う。
0074名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/26(日) 08:39:59.81ID:lGzbZEaO0
1980年代の半ばにHiraki Osamuが編集する小学館だか集英社だか忘れたけど写真芸術本があってその1冊の最後のショットにこれを使ってもらったことがあって嬉しかった。開きがまだ元気だった頃の話である。開に最初に会ったのは彼が初めてヨーロッパに来たときのことで、プラハの中央駅に迎えに行ったのである。あーゆー風貌の東洋人であるからすぐわかった。意気投合して写真芸術論を戦わせたがその時いっしょだったのはプラハのPavelであるから今何を話しているかの概略を日本語から英語あるいはドイツ語に翻訳して伝えるので時間がかかった。

そのPavelもこの2月にコロナで80歳の生涯を閉じた。

縦画面で撮影したニューヨークのパノラマシリーズはまとめてまだカメラのDoiがあったときに渋谷のギャラリーで展示したのだが私がびっくりしたのは私本人はロケーションでヨーロッパに行っていたのでギャラリーに展示を任せたのであるが日本に戻ってきてびっくり仰天。全部ドライマウントで裏打ちされていたのである。ギャラリーは良かれと思ってやったのであろうがこれではプリントの保管がまずできない。それでその場で全部破棄してもらった。
0075名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/27(月) 06:08:34.63ID:2p76qvJl0
チベットのらさで何をしたかったかと言うと私の場合はアルパの360度周囲が映るパノラマカメラを持っていてそれでらさの街を取ろうと思っていたのである。しかしこのカメラは重さが5キロ位あってバッテリーがないと動かないので面倒になってやめたのである。今の時代ならiPhoneのパノラマモードもあるしね。

河口はそのような大冒険をしたのであるが、東京の杉並区に彼が住んでいた家が小さな公園になって残っているので時々そこに行ってみることもある。ヒマラヤ山脈の雪の峰を超えたすごいアルピニストであるわけだが、80になって彼が亡くなったときの事故というのが昭和20年であったがよる歩行しているときに防空壕の穴に落ちてひどく体を痛めたことが原因でなくなったのである。

人生の生き死にを極めた冒険家の大宗教家でもそのように単純な事故でなくなるというのが悲惨であると同時に極めて宗教的な直感であるとも思える。
0076名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/28(火) 07:42:06.56ID:bhKIOZlm0
長く暮らしたオーストリアウィーンの私のアパートメントから5分のところに巨大な公園があってそこ皇帝フランツヨーゼフが好んで散歩したりとか中にポルゼランのアウガルテンの工場があったりとか、ウィーン少年合唱団の指揮者があったりするところなのであるが広大な公園の2カ所に巨大な第二次大戦当時の大空陣地がある。1つはスクエアな巨大なコンクリートの構築物でもう一つはこれと似たような円形の大空陣地なのである。

ウィーン暮らしのときの散歩の行き帰りにこの奇妙な巨大なコンクリートのオブジェを見るのが楽しみであった。なんでも戦争が終わった後にコンクリートが硬くなっていて壊すのに非常にお金がかかるとか言う理由でその巨大な建築物はそのまま残されて、オーストリア軍が再度使ったりあるいは水族館になったりした。ただし家のウィーンのアパートメントのそばにあった巨大な2つのコンクリートのオブジェは別の目的を持たないままそのままオブジェとして放置されている。まぁそのほうが良いかもしれない。
0077名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/29(水) 00:09:35.98ID:zTKg9M080
そういう細かい事はともかくとしてウィーンの路面電車の雪の夕方の風情と言うのはなかなか寒くて大変なのだが思い出すと懐かしい。さっき書いたように本当に寒いのは雪の降ってない冬の夜であって雪が降るとやや暖かく感じると言うことをもう一度申し上げておきたい。このタイプの電車は今はもちろん走っていなくてウィーンが時に観光客ようにわざとクラシックな電車を旧市内で走らせるときには使っているのであるが私がウィーンに住み始めた1973年にはこのクラシック電車は未だに使われていた。

家人がウィーンの音楽大学の1年生であった頃ドアが開けっ放しのこの電車でアカデミーに通っていたのである。この電車を見て思い出すのはウィーンの名物の馬車カーである。電車の内部は暖房は聞いているがドアは開けっ放しだから運転手さんは寒いそれで運転席の脇だけ毛布みたいなもので外の寒い空気を遮断しているのである。これが何か記憶に非常に残っている。その記憶と共通点があるのがウィーンの馬車であって冬の寒い時はお馬さんに毛布みたいなマンテルをかけているのである。
0078名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/30(木) 07:14:05.76ID:cjFJAeVq0
1980年代初めにKonica FS1と言うモータードライブ付きの便利なカメラがあってそれをニューヨークに携えて行ってその後メキシコシティーでこのカメラでたくさんスナップシューティングをやったのである。ニューヨークではニコンのリトルニコンで有名なEMが欲しかったが当時日本円のレートが280円だったから買えなかった。帰国した翌年にニコンF3の広告に登場した私であるが、実はあれはコニカカメラで撮影したのである。もう時効ですね。

コニカFS1と言うのは一体どういう型番なのかなと思っていたら大昔に似たような名前のカメラが存在してそれの改良型であったと言うことを私はつい最近にしたのである。レンズは52ミリのものが付いていて1.8かもしくは1.4と言うことになっている。面白いのはそのレンズのロゴタイプがこれは何と言うのか日本語で適当な言葉が見当たらないのであるアメリカのNASA航空宇宙局がよく使っていたような未来的な文字を使っているのが凄いと思う。だって1960年に作られたカメラで2001年宇宙の旅ができたのが1968年だからね。
0079名無CCDさん@画素いっぱい
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2021/12/31(金) 02:22:18.89ID:Jgl3JasF0
天下のエプソンだからお金のない会社と思われるのが嫌だったようで坂崎さんと私はそれぞれ300,000円のギャラを頂戴した。もっとも日本郵船で講演会をやったときのギャラは1,000,000円であったからバブルの残りみたいな時代でしたね。そのトークショーの直後に私の写真集が出ることになって編集者さんが思いつきで坂崎さんと私の対談を入れたら良いと言うことになったので、急遽坂崎さんと私が別件の打ち合わせで彼がもうこれでスタジオに行くと言う時にあと15分待ってくださいと私がお願いして立ち話でトークをやったのがそのまま写真集のイントロダクションになったのであるがそういう切羽詰まったときの対談の方が何かリアリティーがあって私は好きである。

それであれから15年が経過してクラシックデジタルカメラとなったエプソンをいまだに使っているわけだが別に不足は何もない。唯一の問題点はSDメモリーはもう過去のものになってしまったことぐらいだが、画像は毎回iPad Proに吸い上げているから2 GBのSDメモリがあれば別に不便も感じていない。

最近の最新型のデジタルカメラに私が興味を示さないのはまず性能第一主義であると言うことが面白くないのと、私の目から見ると全部同じカメラデザインに見えるので全く魅力を感じないのである。
0080名無CCDさん@画素いっぱい
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2022/01/01(土) 03:56:49.39ID:zUvYKlL90
そういう昔の文筆家の暮らしを真似たいと思っている私にとって神楽坂で重要なのは文芸雑誌の編集長矢野さんである。15年位前に福田和也さんから紹介されて、その直後にプラハの連載をやりたくて相談をしたらすぐに快諾の返事が来た時は嬉しかった。その連載は24回やってその後単行本になった。つまり私にとって新潮社の矢野さんと言う編集長は、かつて稲垣が年1度原稿を買ってもらっていた当時の編集長にオーバーラップするのが私のこの界隈での世界感覚なのである。

日本の代表的な雑誌と言えば文芸春秋と新潮があるけれど前者の編集長は割と後退が激しい。後者の編集長はそのポストに20年いらしたと言う方がいてすごいなと思ったのだが、矢野編集長の場合はそれを遥かに超えて30年を超えているのである。

1947年、昭和22年の5月号のこの雑誌はそれまで無地の表紙だったのが初めて5月号から色刷りの表紙になった記念すべきIssueである。私はこのissue を複数持っていたので矢野さんにも差し上げたことがある。1947年の5月号のトップが稲垣のヰタ マキニカリスなのである。これを見た後のユリイカの伊達得男が騙されて当時久が原に住んでいた稲垣の下を訪ねてそれからお付き合いが始まったと言うわけだ。

その時のこの雑誌の編集後期によると、太宰治の新作を掲載したかったのだが印刷用紙が統制になっていて今回はペーパーが足りなかったので次の号に繰り越しになりましたと言う言い訳がなかなか素敵である。
0081名無CCDさん@画素いっぱい
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2022/01/02(日) 05:58:39.68ID:NIg0SCP20
一方のミノルタオートマットのほうはずっしり重い大和魂と言う感じがする。カメラは精密機械であるがこの当時のドイツ製のカメラと日本製のカメラを比べてみると日本製のカメラがいずれもずっしりと重いのである。要するに工作制度が悪いのでそれが上げられないから壊れないように頑丈に作るたのではないかというのが私の素人考えである。

当時のミノルタ製のカメラでもう一つ好きなのがあってそれはプラウベルマキナをそのまま国産化したようなカメラでミノルタオートプレスと言うやつだ。これも大和魂が頑張っていると言う存在感がある。戦前と言えばまだニコンカメラはなかったしキャノンがニッコールのレンズを借りて頑張っていた時代だからそういう時代背景を考えても当時の千代田光学のレベルと言うのは並大抵なものではなかったと言う気がしている。
0082名無CCDさん@画素いっぱい
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2022/01/03(月) 06:22:10.30ID:C6w2ihSn0
コンドル2と言うカメラであるが自社製のシャッターと自社製のレンズを使っているところがすごい。対抗するローマのレクタフレックスなどはミラノのガリレオからレンズを買うのが悔しかったのか全部外国製のつまりフランスとかドイツのレンズを自社のレクタフレックスに使っているのである。

このカメラがへんちくりんなのは50ミリF2のレンズが付いていてレンズシャッターなのであるがそれをわざわざコラプシブルなメカニズムにしていることだ。例えば日本のコニカの最初のモデルなどはやはりコラプシブルレンズであるがこれはセルフコッキングになっていない。ところがコンドルの場合はちゃんとセルフコッキングになっているのである。なんでそんな面倒な手間をかけてカメラを作るのかよくわからない。

しかしこのイタリア製の工芸品とも言えるようなカメラの作りは素晴らしいので時々鑑賞しているのである。Facebookの友人で自分ブランドの時計のファクトリーを持っている人がいてその人が時々Facebookで紹介する時計のメカニズムのパーツ作りの話はかなりマニアックで面白いのである。

それで私がこのカメラの話をFacebookにアップしたら結構長い評論を加えてくれて、専門家の工作の立場からしてもこれはなかなかめんどくさいらしい。◇仕上げの巻き上げパーツであるが上下を残して中央部分がロレットになっている。このロレットの文様がライカなどでは◇になっているのであるがこれは碁盤の目のようになっているのが特別な工具を作だ手間のかかる仕事であると分析してくれた。

なるほどそんなものなのかと感心したのである。撮影しているときにはそういう細かいデザイン上の事とか美術的な仕上げの事等は全く気がつかないのは当然だがこのカメラを手に取ってみると何かルネッサンスを感じるのである。ちなみにレンズの周りもカメラの精密機械としての普通の仕上げの常識を超えているようなところがある。◇仕上げの表面が特に素晴らしい。
0083名無CCDさん@画素いっぱい
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2022/01/04(火) 06:10:37.47ID:SnvwsKzw0
当時はアルパ研究会と言うのをやっていて1本のレンズの相場が25,000円であってそれでもずいぶん高いと言う気がしたのだが今では250,000円でも買えないようなダントツな値段になっている。

ユニークなことにこのレンズを愛好する人はごくレベルの低いアマチュアさんのお金持ちであるから全く例外なく作例がひどいのである。ピントがボケボケでさすがスイス製のレンズがすごいとか言って褒めているからこれはすでにエンターテイメントの部門としては伝統的な存在感を誇っているのである。

私も1時はアルパのコレクターになってアルパのコレクターガイドと言うのは非常に親切でドイツ語版が500冊出ただけで英語版すらないのであるがそれぞれの細かいアクセサリーまでいくつのユニットが作られたのか全部細かく説明されている。でも私の場合は写真表現として使えるカメラしか欲しくないからアルパのカメラを整理して今では7台位になった。

第3世代のアルパカメラはモデル9というのから始まってモデル11で終わるのであってそこに非常に多くのバリエーションがある。不思議なことに当時のアメリカ政府はこのバカ高いカメラを政府の公式な記録カメラとして使っていたのも実に不思議な次第である。日本にも同じ時代にごく少数が入ってきたのであるがアルパ11と言うモデルでは標準レンズ付きで450,000円と言うので当時のライカカメラよりはるかに高かった。

それでここに紹介するのはポストアルパと呼ばれているやつで、当時の電話機の度数形を撮影してそれを顕微鏡で見てそれぞれの加入電話に電話代金を請求するときの道具として使われた複写用アルパなのである。ついこの間というか80年代後半までこの電話度数を撮影するアルパカメラが生産されていたと言うのも考えてみれば不思議な気がするのだ。

クリスマス時期でもあるしそれ以上に結婚50周年記念を祝うわけではないけれど今まで持ったことのないアルパを手にしようと言うのでこれを手に入れたのだ。最近の私のフィルムカメラとデジタルカメラの分離の考え方は以前とかなり変わってきて、以前は何が何でもフイルムで取らなきゃだめだみたいなことを言っていた。これで1種のノイローゼになるのは周りにあるすべてのフィルムカメラがすべて使えるように調整しておくと言う強迫観念なのである。
0084名無CCDさん@画素いっぱい
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2022/01/05(水) 21:57:42.67ID:F+WA1OH20
しかも私の経験でもっとすごいのはつげさんから家に電話がかかってきたことだ。私は電話に出なかったけれど家人が取り次いだときの印象というのが地獄の底からかけてきたような電話の声だったと言うのである。もちろん本人は名前は名乗らなかったがすぐ誰だかわかったのでこちらからコールバックした。これが1980一年の話でそれ以来時々多摩川住宅の団地中央の喫茶店で会って国産カメラの話をしたのである。ジーパンにワイシャツに下駄履きで背筋を伸ばして1人称で自分はと言う体育会系の人と言う感じがした。

ちょうどShosukeさんが生まれた頃の話でつげさんはなかなか精神的に大変だった時代だろうがカメラがそれを救ってくれたのであろう。大漫画家の時代からするとカメラを売る、の時代だから原作をライブで見せてもらえたような貴重な体験であった。
0085名無CCDさん@画素いっぱい
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2022/01/06(木) 00:10:28.93ID:RHNdRaeG0
クレムリンから赤旗が降りてようやく西側にこのヘンテコリンなカメラが流れるようになった。25年位前に京セラコンタックスの広告の仕事でシュトゥットガルトに行った時に小さなカメラ屋さんでこの20ミリレンズを発見したのである。とにかく交換レンズが珍しくて値段はともかく発見したら買っておくと言うモードの私であったから勢い込んで20ミリのこのレンズを手に入れた。ガラクタ屋さんで買った品物は全部プライスのシールを貼ったままにしてあるがこの20ミリの広角レンズもその時のプライスタグが貼ってある。

まだドイツマルクを使っていた時代でプライスを見たら200と書いてあるのですぐ手に入れた。珍しいものを買ったと言うので嬉しかったがそれから1年ぐらい経過してよくPrice Tagを見たらこれは200ドイツマルクではなくて100ドイツマルクなのであった。ドイツ人の筆記体の数字の1と2は間違えやすいのである。だから定価の2倍で買った馬鹿な東洋人が私なのである。でもセラーもバイヤーもハッピーになったのだからその事は問題なし。

十数年前の日本カメラの連載でタイトルは忘れたがこのカメラとこのレンズの組み合わせでカラーで写真を発表したことがあった。言うまでもないことだが非常に優れた描写でちゃんと映っていたのである。
0086名無CCDさん@画素いっぱい
垢版 |
2022/01/07(金) 08:48:19.02ID:ZOXUvUNY0
35ミリ2眼レフと言うのはいくつかあるが私が長年使っているのはカールツアイスのイマダフレックスの2眼レフである。優れたカメラであるのだがあまりにも重いというのが問題である。今の私は後期高齢者であるから体力低下しているのは当然として還暦の頃でもこのカメラは結構重かった。それでイマダフレックスの後に使うカメラと言うのでこのカメラを思いついたのである。

日本にArcoと言うカメラメーカーが存在してそこの蛇腹式の35ミリカメラが当時のアメリカのボルシーに気に入られてOEMの打診があったそうである。天才カメラ設計家のジャックボールスキーから見ても、Arcoはかなり魅力的でそのような交渉をスタートしたのだが結局話はまとまらなくて、しかし日本のこの会社はカメラ雑誌などで、アメリカが特許を買いに来た会社。と言うのでこれは当時良い宣伝になったらしい。何しろ敗戦国日本だから。
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