現状では、姓は「家族という集団を想起させる名称」として事実上機能している。
(最高裁判決を見てもそれは明らかである)
事実上、姓とは家族名なのだ。今のところは。

夫婦別姓とは、例え選択制であっても姓の持つ意味(として、大多数の国民が共有している感覚)を一部の人間の価値観に合わせて変更するという事になる。
ならば「姓とは何なのか?」について国民の共通認識を新たに作る必要がある。(仮に、個人の名前の前半部分という意味しかないなら、姓廃止が妥当なはずである)

国民の大多数が共有しているであろう認識を変えてしまう事を「影響が少ない」とは暴論であろう。