三島由紀夫による男女論
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三島由紀夫「女嫌いの正体は馬鹿正直なロマンチストである」
「女性は抽象精神とは無縁の徒である。
音楽 と建築は女の手によってろくなものはできず、
透明な抽象的構造をいつもべたべたな感受性でよごしてしまう。
構成力の欠如、感受性の 過剰、瑣末主義、無意味な具体性、低次の現実主義、
これらはみな女性的欠陥であり、
芸術において女性的様式は問題なく「悪い」 様式である。
私は湿気の高い感性的芸術のえんえんと続いてきた
日本の文学史を呪わずにはいられない。」 「女嫌いとは、・・・人格としてではなく、
単に肉塊として、脂肪として、劣情の対象としてのみ、女の存在を承諾する こと。
(婦人にたいしてこれほど・・・・・冒涜の思想があるだろうか)
しかしながら、・・・多数の有りふれた人々が居り、同様の見解を抱いている。
殆ど多くの、世間一般の男たちは、初めから異性に対してどんな精神上の要求も 持っていない。
女性に対して、普通一般の男等が求めるものは、常に肉体の豊満であり、脂肪の美であり、
単に性的本能の対象としての、人形 への愛にすぎないのである しかも彼等は、この冒涜の故に「女嫌い」と 呼ばれないで、
逆に却って「女好き」と呼ば れている。
なぜなら彼等はどんな場合に於いても、女性への毒舌や侮辱を言わない から。
(「女嫌い」と呼ばれる人々は、女にたいして)
単なる脂肪以上のものを、即ち精神や人格やを、真面目に求めているからである。
・・・・それ故に女嫌いとは?或る騎士的情熱の正直さから、あまりに高く女を評価し、
女性 を買いかぶりすぎてるものが、経験の幻滅によって導かれた、不幸な浪漫主義の破産である。
然り!すべての女嫌いの本体は、馬鹿正直 なロマンチストにすぎないのである。」 三島由紀夫は100年前から
女の糞さを見抜いていたな
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