今のRPGってストーリーなぞるかお使いしかないの?
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自由度の先にはお使いしかないのか
なら一本道でいいやって最近思うようになってきた 物を隠して見つけて貰うこと自体はそんなに楽しくない。
そんなことは目的にもならないし。隠した物をどういう手順で探させるかを
工夫することで面白い遊びになりえる。
単純な例で言うと戦闘に勝ってガチャをまわしてるだけでも遊べるわけだしな。
最初から全て知ってることを他人に探させるよりは、何が出るかわからないものを
見つけるほうが100倍楽しいと思うんだけどさ。 「隠した物をどういう手順で探すか」と言うのは隠したものと言うものは確定してる訳で
それは実質は「これをやれをその通りにこなす事」になる
何が出るかは分かってる
それは答えで
探すからにはその答えを発見しろって事だから
特定のものを発見してもらう為に隠すって事はそもそも特定のこの行動をやれっていうのと同じ意味になるから
結局のところ特定の筋書きをただなぞる事に変りないと言う
まずこれを発見して次にこれを発見して次はこれ
次やる事を直接的に指示はしていないけれど、特定の行動だけを結局のところとる事になるのだから結局のところ指示されたように動かされているだけで
何か具体的な例が挙がればそれを意地悪に曲解して悪い例に出来るんだけど
例えば開発者がここではこの行動をする事を発見しなさい、発見したらはい次、今度はこの行動を発見しなさい、そしたらはい次・・・
次から次、次やる事の羅列をやらされる訳で
何でそう感じるかというと自分の意思でやってる訳でない為で
実質的には開発者の次やる事に振り回されてるだけになってる
要するに面白い遊びになりえるけれどなりえない場合もどっちもどっちなのではっきり言って隠すかどうかは重要な部分ではないかと
まず町を出たら次、洞窟にいって奥の宝箱を取ってきて戻ってきて次、中身を渡す
それと
自分で洞窟に行って宝箱を見つけ出したいと思っているから洞窟を探して洞窟に入り探索をする、何故かというと洞窟に入るがどれだけすごい事か、認識しているから、そのための情報や環境が作られているから
と 分かりいいように言い換えます
全体から見たストーリーの大局から見て
ゲームなら問題を出されている訳ですね
例えば「魔王を倒しなさい」とか
その問題に対してをれを解こうとしていてそのために隠されたものを見つける場合
それと大局的な問題はプレイヤーは自分自身では考えない、その末端で命じられた探し物だけをする場合
魔王を倒す為に船を捜す、それは自分の判断と結論で、何故なら船を使えば魔王の場所までいけると言う情報を得る事が出来たから
この場合は自分の意思でストーリーを進行している事になる
魔王を倒すには船を取るしかない、その行動しか取れない、する事が無い、それは指図によって決められた事だ、では船の場所を探し出すぞ(ここだけプレイヤーの考える事)、探しだしたら次の指示を受けよ
この場合は「お使い」または「作られた話をたどってるだけ」になる
自分で考えた事を自分でやり遂げる為に見つけ出そうとするか
それとも自分考えと無関係に決められた事を見つけ出さなきゃいけないか
極端な例で言えば
「子供が誘拐された」「これからその子を助けに行かなければ行けない」それしか出来ない、それをするしか次にする事はない→その子の居場所を探し出す
と言うのは自分で探してはいるけど、ただ「子供を探してきなさい」と言う命令(=お使い)を聞いているだけだけど
これに、「子供を捜してきなさい」と言う直接の指示を与えなかったとして、「子供を捜しにいけばストーリーは進む」としても
実質的にはお使いをしていると言う部分は同じで
プレイヤーが自分だったらそんな事はしないと一言言ってしまえばそれきり
もしもやってる人はそれをやる気は無いのに次する事を発見してそれをただたどっても
でも、それにプレイヤーを説得するという面を追加すればプレイヤーの自分の意思でそれをやったと言う事に出来る
まず最初にするのは、「プレイヤーをそれをやりたい(探するなら探したい)」と言う状態に持っていって
そうなるまでは、次する事を強要しない
プレイヤーが「それをやりたい」と思って初めて「自分でそれを見つける」形状を保つ
プレイヤーがプレイヤーにとって別にそれをやりたいとも見つけたいとも思ってもいない状態でやらなきゃいけない事、見つけなきゃいけない事が決められているその一点 例えば前情報で病弱の子供の治療を出来る薬をもってきたら沼で拾った城の裏口の鍵をもらえると思ってるなら
自分から子供を助ける為に「治療薬を探そう」と決断するんですよ
でも主人公が「自分は子供を助けるぞ」と言って、助ける事しか出来ない
とその助けると言う行動はプレイヤーにとって自分の意思じゃない
さらに、今度はそれも黙って、子供を助けたら突然鍵が手に入る
プレイヤーはこう思う「何故助けようと思った?」「何故それで偶然にも次必要なものが手に入った」と
こんな調子で次々不自然に進んでいると結局無意味で理解も出来ないストーリーをなぞってるだけ
と言う
プレイヤーはきちんと自分の打算や思考で動いているので
えさのようなものをつるさなければ自分からは動かない
魔王を倒す事が出来ると思っているから船を探そうとする
鍵をもらえると思っているから子供を助ける
逆に打算なしで人助けをするプレイヤーの心を試すようなものを作ってもいいけど
それでシナリオが基本的に進むようなゲームではストーリーに引っ張られるやらされ感強い
まれに入っていて、どうしても進めない困った困った、と思っているところにそういうシナリオと言う演出はOKだと思う
それか、メインの話からそれてこなさなかったとしてもいい展開としてだったら 人の作った話というのは最初から決められた内容で本に書かれたりするわけだが。
最初から決められた内容でそこに書かれてるからといって今からそれを読む人まで
最初から内容をわかってるわけではない。最初から決められた内容だけど
今まさに初めて読む人がいるわけなんだが。 逆を言えば、プレイヤーの思い通りの行動して思い通りの結果が出たところで
それはとてもつまらないことだと思うんだけど?
まあ、極端な例かもだがRPGツクールで自分が作ったシナリオを自分だけで遊ぶのが
それほど面白いことだろうか?
開発者が最初から仕込んであることを探せるから面白くなるんじゃないの? 3種類
・プレイヤーの思い通りの行動して思い通りの結果になる
・プレイヤーの思い通りの行動をできず話を作った人の道筋をたどる
・プレイヤーの思い通りの行動とれて話を作った人の道筋をたどる
ゲームではどちらも両立してる3番目でないといけない訳で
ゲーム的に物語り展開をきちんと作れていれば自分で作ったゲームを遊んでも面白いとは思う
プレイヤーは何だか分からないけど、ゲームが無言でこれをやれと言うのでやった(発見した)と言うのと
プレイヤーが開発者の作ったシナリオを自らやりたいと思ってやる違い
プレイヤーは高い山脈に囲まれた場所に入りたい
空を飛ぶものを手に入れたい
だから自分からそれを各地を渡り歩いて手に入れようとした結果手に入れ
無事山脈の中に入る
それと
何だか分からないけどゲーム的には次の行動は空を飛ぶものを探すらしい事を発見する
何だか分からないけど適当にいじっていたら、空飛ぶものが手に入って、何だか分からないけど山脈の中に入ったらストーリーが進んだ
何だか分からない事だらけだけど、次に進む為の条件を自分で見つけて進む
でも話の内容は付いていけてない
そして主導は製作者なのでお使いになってる
そういう違い プレイヤーは高い山脈に囲まれた場所に入りたい
何故そこに入りたいかと言うとそこに入ればゲームの目的「魔王を倒す」ために必要となる鍵か何かが眠っているからだ
では山脈の内側に入るには山脈を越えられる空を飛ぶものが必要だ
では空を飛ぶものはどうしたら手に入るか?
全部プレイヤーの頭で理屈で繋がってる
この理屈とはプレイヤーの行動した歴史でストーリーになる
お使いになるのは
はっきりいってプレイヤーは何をすればいいのか分かっていない
または、何かしたいという欲求または要求をそそられない
その状態で、命令文または無言命令が来る
「次する事」
自分だったらしない事を淡々とこなすなら、直接の命令を受けても
自分でそれを見つけるでもどっちでもお使いは同じ
必ず「自分でその行動を選んだ」と言う構図にする必要性
他に行動を選べるけど、それを選んだ
それか
その行動を選ばない事も出来たけどその行動を選んだ
それか
自分からやる気になってその行動を選んだ
主体性をプレイヤーに持ってこないとだめ いや、プレイヤーが面白そうだとか興味をもったからやってみようってだけじゃダメなの? ダンジョンの最深部にあるオーブを取ってこい
たったこれだけなのにFFなどのゲームより鮮明に冒険を覚えている
陳腐なメインストーリーだとかお使いだとかいらないんだよなあ
目標だけ用意されたゲームだけが自由で没頭して冒険できる 「面白そう」っていうのと「やりたい」「やらなければいけない」と言うのは違う
面白そうっていうのはカジノが設置されてるやってみたいっていうのでもOKだけど
そういうのはストーリーにはならない
「やりたい」「やらなければいけない」と言うのはそれをもってストーリー
何で「やりたい」「やらなければいけない」かと言うと理屈、整合性からの延長
「何故それをやるのか?」って部分がないとストーリーにはならないから
それとプレイヤーの自発性を両立しないと
ストーリーっていうのはシステムじゃないからシステム的に作ろうとしても無理で
何故ならばという理屈やプレイヤー自身の頭の中で繋がってないといけない
何故それをやるのか?の理屈がきちんと分かっていてそれをやる
と言う条件と
それをやるのは強制ではない、自分の自発性だ
と言う条件を両立
自分の意思で進んでいるのだから仮に色々な今できる選択が無数に存在していても必ず製作者の作った筋書きどおりに自分から進む
または最終的には自分から進む
またはどう進んでも筋書き通りになる(作者が意図的に統合するのとかを抜きにして)
そういう状態
無言で次の展開を見つけた場合の感覚は
ここでこういう事をしたら次に進んだ
次に進むにはここでこういう事をしろと製作者がおっしゃっているのでその通りにした
自分では何でそういう行動が必要なのか特に分かっていない
で、次の指図は?
一番の問題はお使いと言うのは、プレイヤーが何だか分からないけど進んでるって所かと
例えば主人公が鍵を探しているとして、動機は自分で鍵を必要だと思ってるから自分で見つけたいから探しているのか
それともそうすると次の展開に進むので何だか分からないけどその通りにやってるだけか どういうストーリーを鮮明に冒険を覚えているかというと
自分の判断で見ているストーリー
〜をするためにはオーブが必要だ(自分での自発性と自分で目的を認識する意味を持ってる)
そのオーブはダンジョンの最深部で手に入る
と言う条件
〜をするためにはという部分がないと
何だか分からないけど、次はオーブをとって来い
その次はどこにいけ
その次は何をしろ
それに付き合ってるだけになる
自分で「このオーブをとればどうなる」と言うのを知っていてとる
もっといえば、その後も大体理解している
このオーブをとったらそれを何に使って、するとどうなるから、そうしたら何をして・・・・・・・・・・
当然その前も理解している
何でオーブをとらなければいけないのか?そうなった理由
簡単に言うと、理屈として理解している
魔王を倒す為には、魔王の城まで行かなければ行けない
そのためには船が必要で
船を得るためには何が必要で
そのためにはこういう条件を満たす事が必要で
その洞窟に入るのはその歯車のひとつを満たすための一つの要素
というプレイヤーから見てきっちり理解している理屈 とりあえず、頭空っぽにして
ハイドライドスペシャルかシンプルTHE原始人でも遊んでみたらどうか。 >>574
要するにそれに無いのは「動機」で
ストーリーを自発性にするためには仮に別な道が存在しても自らそっちに進まなければいけない訳で
動機が無い事が最大の問題かと
「長老が病気で困っている」 (長老を直しなさい、何で?)
「特殊な薬草をもってれば病気はなおるんだが」 (薬草を持ってきなさい、何で?)
これだけだと命令されているように聞こえる
これに動機をつけると
例えば
・お城に入って王様に会って話をしなければいけないと言う目的を持たされている
・兵士や門番がいて王様のいるお城には門前払いされる
−−−−−ここまで現在の状況−−−−−
ここの長老に便宜を図ってもらえれば王様に会う準備をしてもらえるよいう情報を得る
長老は病気で困っていると言う情報(王様に会う為に長老に便宜を図ってもらう為に長老を治さなきゃ)
特殊な薬草の効果の情報(王様に会う為に長老に便宜を図ってもらう為に長老を治す為に薬草を探さなきゃ)
特殊な薬草の場所の情報(王様に会う為に長老に便宜を図ってもらう為に長老を治す為に薬草を探さす為にその場所に行かなきゃ)
これで自ら王様に会いたいからそのための手順をこなす
と言う構図が出来上がる
何の目的も打算も与えられていないのに命令するからお使いになってる 何で王様に会うのかと言うと、関所を通してもらう為で
何で関所を通りたいかと言うと、関所の先に船を譲ってもらえる人がいるからで
何で船が必要かというと、魔王のいる場所には船でなければつけないから
一番最初に与えられた目的「魔王を倒す事」の為に全ての行動は一貫して通ってる
一筋 「最深部にあるオーブをとってこい」←これがお使いではないとする理由がわからないんだが。
結局「○○をとってこい」が面白いと認めるなら、別にお使いだけでいいって話になる。 例えば「Aをとってこい」Aを持っていくと「Bをとってこい」Bを持っていくと
「Cをとってこい」…いわゆる、こういう一本道(メインストーリー)がウザいと言うなら
「Aをとってこい」「Bをとってこい」「Cをとってこい」を順番関係なく
どこからでもできるように並列に置けばいいって話になる。
その「○○をとってこい」だけのほうがゲームが面白くなると言うなら。 プレイヤーは一番最初に与えられた目的を達成しようとは目指しても
途中でころころ指示される目的を理由も分からずに達成しようとは考えない
最初の目的が与えられてないとプレイヤーは何をすればいいのか分からない
何もしようとしてないプレイヤーに次する事としてこまごま目的を与えても不愉快なお使いにしかならない
目的をとるだけで全然印象は変る
何だか分からないけど、次にする行動は長老を治す事で
長老を治すためには、何が必要で
その条件を満たすにはどこに行かなければ行けない
では行けと言っても
プレイヤーは長老を治す動機を持ってないので
それでしかストーリーは進まないならしぶしぶやらされるしかない
何故やらなければいけない?
だから作り手はそれを言葉で説明しようとする
「これはこんなに必要なんだ」って
そんな話の理屈プレイヤーは何も聞いてないし覚えてもいない
それは無言でやっても同じで
自分で発見したものはストーリー感より謎解きしたって感じになる
その謎解き感も、きちんと整合性やその他を作ってないと製作者のシナリオどおりに動かされてるだけって感じになる >>647-648
ああとってこいって書き方が悪かったかな、お使いを繰り返すゲームじゃないよ
そのまんまダンジョン潜ってオーブとって地上に戻れば終わり、ただのゲームクリア条件
作者が考えたストーリーやキャラはないし、指示もされない、クエストもない、攻略手順もない
アイテムに恵まれなかった、神装備を拾った、珍しい地形を引いた、キャラロストしかけた、こうやって攻略した、こんな縛りをしてた
そういった体験したことが全てだけど、自キャラに思い入れがあるし冒険が記憶に焼きついてる >>648
「最深部のオーブをとってこい」
とってきたら
「次はこれをやれ」
だったらお使い
「プレイヤーの目的は最深部のオーブとって来る事だ」
「そのためには何が必要だ」
目的を達成する為に何をする
「さらにそのためには何が必要だ」
だったら自主的な行動
ストーリーになるのは「のためには」で繋がる一連の目的
「魔王を倒しなさい」←最初の目的=ゲームの目的
「魔王を倒す為には」←「その為には@が必要」←「その為にはAが必要」←「その為にはBが必要」←「その為にはCが必要」←「その為にはDが必要(=最初にする事)」
最初の目的を無事達成したら感動のエンディング
最初に与えられた目的を達成する為に必要な事を自分でやってるだけになる
そこから目的を取ると
体感的には
何をするのか分からないでいると指示を受ける→
「Dをしてきなさい」→「次はCをしてきなさい」→「次はBをしてきなさい」→「次はAをしてきなさい」→「次は@をしてきなさい」→「最後の敵らしきものが出てきたので倒しなさい」→エンディング
プレイヤーは最終的に自分がどうなりたいのかも分からず、ただ何だか分からないけどゲームの進行する為に必要な事を探してその通りやってる
すると話が勝手に進んで気がついたらエンディング >>650
だから、途中に指示がない「○○をとってこい」が並列に置いてあればいいんだろ? 一つの目的を終始実行するのはゲームだけど
目的を明かされず、指示を一つ一つこなすのはお使い
それにストーリーを乗っけた場合
上はゲーム的なストーリー展開で
下はストーリーをなぞっているだけ
になる
ストーリーを乗っけなければ上はただのゲーム
一つの目的を解決しようと試行錯誤する遊びをゲームと言う >>652
ピーチ姫救ってこい、クッパ倒して来い、クッパ城最深部を目指せ
どれ選んでもゲームの内容は一切変わらないけど、並列に置く意味あると思ってるの? 昔(80年代PCゲー)だとマニュアルに読み物として書いてあったのを、
ゲーム機用ソフトだと紙面が足りないとか、そもそもマニュアルを読まずにやる子が多いとか
そういう事情でゲーム内説明いれるようになっただけだろう。 脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談 今的なストーリー展開は
一つは
遊び手から見て自分のやってる事を認識できない
脈絡を分からない
赤いペンキを持ってきなさい(または赤いペンキをとる事を自分で見つける)→そうしたら扉に爆弾を仕掛けなさい→強敵登場→倒す→エンディング
昔のゲームの展開は
自分の意思による展開
魔王をやっつけなさい
→魔王をやっつける為には魔王の城にいかないといけない:魔王の城を目指す
→魔王の城に入る為には船を手に入れなければいけない:船を目指す
→船を手に入れるためには港を目指さなければいけない
やりたい事を最初から見ている
その他にも
いける場所を歩いていたら高い山々に囲まれた塔を見つける
その塔に入ってみたい(まず最初やりたい結論を見える)
その塔に入る為にはどうしたら良いんだろう
何を必要で
このやりたい事なければただ、順番どおりにたどってるだけでやらされてると感じる
何だか分からないけれど、次は砂漠に行って、何だか分からないけど次平地にいって
何だか分からないけど敵を倒して
気付いたらスタッフロール
逆で砂漠に行きたいから砂漠に入る為の手段を探し出して、平地に入りたいから平地に入る為の手段を探して そして無事自分のやりたかった事を達成できたらスタッフロール
やりたかった事って言うのは作り手の決める事
プレイヤーの勝手に決める事じゃないから
どうすればプレイヤー(=他人)は自分(=作り手)の作ったそれに興味をそそるか?
いきたいと思うか?やってみたいと思うか?
そここそ一番の欠落
画面に未知の城を見つけたら入ってみたいと思うそれ
いじってみたらどうなるか?入ってみたらどうなるか?
何なのか?
じゃ、どうすれば入れるのか
入ったらどういう結論をやってる人に与えるのか?どういう結論付けするのか?
この洞窟はこの道に抜けるためのものでした
とか FF13とかあそこらへんかね。ゲームである意味がないって感じ 別にお使いでいいのにね。何がしたいのかようわからん。 この長文さん、きっとRPG原体験がハイドライドスペシャルだったんじゃないかと思う。 >>664
それはもうスクエニがゲーム会社だから、映画や漫画の企画は立てられないだけだとしか…
ニトロプラスみたいに元ゲーム(ただし18禁)会社、今脚本家集団
だったりしないし。 スクエニッて今から300年前の会社だ
ユイアートが今の主力だぞ?続く おつかいとかストーリーなぞるゲームって俺のひいおじいさんのころ頃の話しだぞ?続く 駄目なRPGの例
・進行が足止めタイプ
ある地域に到着したら、その地域でのイベントをこなさないと次へ進めず、
おまけに前のマップに戻れない。ステージクリア型というか、完全な一方通行。
うんこ、論外
・自動イベントが長い多い
操作が台詞送りくらいしか出来ないので、くっそイライラする。
・スキップできないムービーやOP、チュートリアル
さすがに今時これはねーか
・クリアしないと先に進めないミニゲーム
ダンジョンの仕掛けならともかく、シューティングや15パズルとかやらされたりする。
元からそういうシステムではなく突然挿入される。
なんか昔のゲームに多い 操作がほぼ一切できない時間が長いゲームほどカス
戦闘モーション時間ですら慣れてくるとイライラするってのに
リアルタイムとかアクションでもないのにモーションやエフェクト飛ばせないのもカス
そういう意味じゃポケモン初代は画期的だったな 育成要素あるゲームなんて、他のジャンルより作業量が多くなるのは必然
ならば少しでも無駄な時間を省くべき 話なんて一本道でいいし寄り道もなくていいんだよ
操作できない時間とかが長いから一本道お使いゲーって言われんだよ 一本道ってオリジナルのFF4みたいなまじでリプレイ性のない奴のことだろ
今更ああいうの作るのは流石に古いわ プレイヤーなんて馬鹿ばっかなんだから時間さえかければ誰にでもクリア出来るようなゲーム性に
しないと売れないから
STGやアクションで難易度の高い物を出してもクリア出来る奴は全体の1%や2%だろうし STGはコアなファンが一定数いるから出せば1〜2万本は売れるんだよ?
低予算で作れば赤にはならない
利益が少ないから大手は出さないだろうけどな クリア出来る奴はほんの一握りだけど、一定数は売れるんだし良いだろ
クリア出来ないと買わないとかならヌルいRPGでいいじゃんみたいな 今出てる弱小メーカーのゲームの販売本数が1万本以下ばかりだって知ってた?
確実に1万本売れるSTGって実は凄いんだぜ? ゲームの売り上げを、買う側の人が気にするのってどういう心理なのかね。
使ったらなくなる(だから利益が出ないと発売中止になって手に入らなくなる)でもなし
自分の手元に一本あったらいいタイプの消費物じゃん。
あれか?みんなと同じものを俺も持ってる勝ち組だー系の安心感? スーファミの一本道RPGで止まってる人に限ってスレタイのような事を抜かす 今の開発は一回ファミコンソフトを作った方がいいと思うんだよな
すごい開発費をかけて大作を作ってやろうとするから企画というか、発想が萎縮してしまってる感じがする テーブルトークが原初のRPGで、それに近い感覚を持つゲーム、自由度の高いロールプレイが出来るゲームって言ったら
昔のUOだろうかね。やや飛び道具感があるけど。
ベンチに座って駄弁って、幽霊が走ってきたら蘇生して荷物回収を手伝い、家を建て家具を作りPKと闘う。
戦士達の鎧を直してやり、武器防具を作って(偉そうに)売り、テイマーで馬をテイムして街角で売り払う。
派閥に別れて闘い、ダンジョンの真っ只中で戦争をやる。
自由に生きられるもう一つの世界だった(過去形)
だから今のスカイリムとかが空虚に感じられて仕方がない。
誰も居ない世界で決まり切ったイベントしか起こらない。どこまで行っても何をしてもそれを一緒に味わう友人が
隣に居ない。
例えばUOでPKハウスにディスカウント品を買いに行ってPKに遭遇した時の緊張感とかと比べると味気ないの一言に尽きる。
自分の場合は数秒の緊張の後、普通にPKにいらっしゃいませされたw
だがスカイリムは現在のオープンワールドゲーではほぼ最高峰と褒め称えられているわけで。
ワールドシミュレータの性格を持つリアルなゲームはもう頭打ちなんじゃないかと思う。
かといって既にネトゲももうそこまで作り込まれたゲームは存在しないし、UO自身も腐ってしまった。
それなら戦闘のみのwizとかの方がまだマシに感じるな。
ムービーばかりのゲームは論外。それはノベルゲーだと思う。
自由度という点で語ればだよ。ゲームとしての善し悪しはともかくとして。 いやちゃんとモロ、オブリから劣化してるって言われてるっしょスカイリム
さらにfo4でトドメ刺された感じかな
それにしてもUOの話はどこで見かけるのもホント面白い
やってたら絶対人生狂ってたわw 「ただいま勇者募集中」の方向性が発展しなかったのもなあ。 ないよ。ハードに限界がある。何が限界かって大人がやるにはこのハードでは限界なんだよ。 UOの話がでたので、ついでにEQも。
EQは3Dになり、建物は立てれなかったが
ほんの少しストーリー性が加わってた。
選んだ種族によって出身地(スタート地点)が変わったり、
サーバーごとに1回しか発生しないイベントがあったり
3本だけの聖剣と、そのクエストに対して、
ほとんど手がかり皆無の状態で、発見したユーザが一躍有名になったり
神ごとのプレーン(神界)があって、そこへPC大人数で進攻したり、楽しかったなぁ ttps://twitter.com/nachi_ibuki
ttp://blog.livedoor.jp/nachi_ibuki/ UOは面白い人たちがいたから面白かった
今同じようなシステムで出したたらとてつもないクソゲーになる
クズどもが自由度を悪用してゲームを壊すから
UO自体、結局いろいろな制限をかけていくしかなかったわけだし
UOに限らずゲームがつまらなくなったというよりプレイヤーがつまらなくなったのだと俺は思う
配信を見ると楽しく遊べるというのは一種の技芸なのだということを思い知らされる >>701
RogaliaやWild Terra Onlineの悪口はそこまでだ >配信を見ると楽しく遊べるというのは一種の技芸なのだということを思い知らされる
前から思ってたけど、日本でプロゲーマー(というか職業ゲームプレイヤー)が定着するとしたら
それは選手としてではなくパフォーマーとしてなんだろうなあ… 他人が見て面白そうってのと
自分が遊んで面白いって価値観が違うんだよな
どっちが正解とは言えないけど 手段こそGMとの話し合いで色んな方法探れるけど
TRPGのシナリオって基本おつかいや一本道と言われるような
GMの用意した流れにある程度乗ってあげないと収集つかなくなるよね
ゴブリン退治の依頼があるけど俺は絶対に受けたくない!
それしかないなら隣町までいくぞー!とかやられても
シナリオなんも用意してないアドリブオンリーで面白くできるか?って
コンピューターゲームの場合、シナリオ途中過程のアドリブにしろ全くシナリオ外のアドリブにしろ
その役割を持つのはシステムになるだろう
たとえば物理エンジンやAIで、ゴブリン退治にしても正面突破殲滅だけじゃなく
交渉したり罠を仕掛けたり、おびき出して物理エンジンで動く木材で足止めとか
シナリオ外ならTRPGで言うランダムイベント表的なものとか
そういう方向性とは別に、ドラクエ1あるいはメルセデスメソッドだっけ?
大目的のための小目的を複数用意してどれから始めてもかまいませんよ、みたいな
その小目的がセッション1回分くらいのボリュームだとすると、TRPGでやるのは現実的じゃない
CRPGならではの手法ってことになる
アドベンチャーだったら順番が変わるだけじゃあんま意味ないかもしれないが
RPGならその過程で戦闘能力変わったりするから、順番次第でゲーム展開結構変わる可能性もある
レベルや装備だけじゃなく、アライメントや街の復興的な要素も絡めば更に複雑化するかも >>706
まあ、まず小学生にはついてこれんゲームになるだろうなあ… 今北、長すぎて読む気にならんのだがスレ主は結局どんなゲームがしたいの? >>706
壊レコまだ生きてたの?
一生そうやって妄想垂れ流し続けるの? 物理演算やAIに夢見ちゃってるアホは自分で作ってみりゃいいのに
今はunityがあるんだから 物理エンジン活かしてたゲームというとアクションだけどRBPくらいかなぁ
自作モードでパズルだのシューティングだの作ってた人いたw 長文の中でほんの一言触れられただけの言葉に
これほど噛みついてくる方こそ俺は心配だが もしも
「共産主義で衰退した日本経済を立て直せばいい」
と政治家が言った場合、おまえは「共産主義」をほんの一言で済ますのか? それで今回の話のたとえになると思ってしまえる時点でもうダメ >>709
こらっ!なんて人違いだ!
“あの壊レコ”がUOやスカイリムの
具体的なプレイトークなんてできるはずないだろw
ドラクエすらやったかどうかって御仁だぞw >>706
それは逆で
GMの用意する一本道シナリオに強制するのがGMの役目で
用意された一本道に強制されるのがゲームとしていいゲーム
ゴブリン退治のシナリオだったらプレイヤーがどんな行動をとってもゴブリン退治以外できないようにするのがいいゲーム
だからといってプレイヤーがゴブリン退治以外の選択をとる事そのものは一切否定できない
本来のゲームは正解に到達するという明確な意図が存在していてそれを消す事はできない
ため自由度 スカイリム結局全然やんなかったな
犬が消えて探しにいってもいないし
家買ったら満足したわ ストーリーなぞるのもお使いも同じもの
どっちもプレイヤーのする事を順番に並べてたどらされているだけ
本来のゲーム展開というのはプレイヤーの自由の上に成り立っていて
プレイヤーは@もAもBもAもBもCもできる
その状態の中で展開を織り込まないとゲームにならない
最初はABCの場所に行ける
Bに行った場合行き止まり、Cの場所に行った場合強敵がいて通れない
Aの場所に行けば通過できる
Aを通過するとABCDEFの場所に行けるようになる
Bは引き続き行き止まり、Cは強敵
Dは関所で通れない、Eは行き止まり、Fには行ける
Fにいった場合鍵を手に入れてBを通過できるようになる
この時点で、ABCDEFに行ける
その中でAはもう行ったので通過済み
Cは強敵、Dは関所で通れない、Eは行き止まり、Fはもう通過済み
Bはこの時点で初めて通過できるようになっている
Bを通過すると関所の手形を手に入れられる
するとDを通れるようになり・・・
Dを通過すると、ABCDEFGHIの範囲を自由に動けるようになる
Gに到達するころになるとレベルも上がりCを通過できるようになり・・・
というのが本来のRPG展開
今のRPGっていうのは
現在行ける場所はAだけ
Aをこなすと次行ける場所はBだけ
Bをこなすと次行ける場所はCだけ
(以後繰り返し)
これがお使いでストーリーをなぞっているだけ ちなみに自由度の高いとされる今のRPGの展開はこう
ABCDEFのどの場所にも最初から行ける
お好きにどうぞ
どこに行ってもいい
だから何だという事でもないけど
ただいけるというだけ ゲームって自由度が高過ぎても面白く無いよ。
一定の制約の中で問題解決するから達成感も得られるし楽しいんだよ。 聖剣3の神獣みたいにすればいいのかな。
最後の8匹目以外は倒す順番自由で
一体倒すごとに他の神獣が強くなって行く >>722
自由度の高さは必要だけど、自由度という概念を現代人は勘違いしているのではないかと
今の人の考える自由度が高いっていうのは、自分のやり方でやる事ができるように作っている事
ゲームでいう自由度っていうのはプレイングを許可しているという事
今の人が作る自由度というのはこんな感じ
・行きたい場所に行ける
・選択肢が多い
・分岐が多い
自分のやり方を選べる事
ゲームでいう自由度が高いっていうのはこう
・与えられた空間(場)は隅々までいじれる
・空間(場)と可動範囲に矛盾がない
与えられた空間を隅々までいじれる事
RPGで一つの大陸を与えられたら山や海などの進行を阻むものがなければ隅々まで探索できるはずだ
隅々まで探索したら(次進むべき場所とは無関係に)何か見つかるはずだ
また山など道を阻むものまでは必ず進めて然り(行き止まりまで探す事が許されている)
現代人の自由度が高い低いっていうのはフリーローミングか一本道かでしかないからその間でどう調節してもつまらない事が最初から決まってる 例えば、ゲームに一つのフィールド(場)を与えられたら
場を自由に動けなければ、ゲームの指定した行先にしか進行が許されないという事になる
それがストーリーをなぞるお使いだけのゲーム
要するにゲームでは特に制限がされていなければ自由に行動できるという前提になければいけない
(制限がなければ最初からゴール地点の魔王まで直通で行けてしまう自由)
実質的に行動する場所(通る場所、通過する場所)が次進むべきシナリオの場所だけっていうのがお使いのゲーム
では、自由すぎるプレイヤーにどう制限をかけるかっていうのがゲーム制作
プレイヤーに目的地まで直進されちゃ困る
だから目的地まで進めないよう行動範囲を山で囲む
するとプレイヤーの行動範囲はその範囲内に絞れる
西のフィールドに進むのを制限するために、西のフィールドに出る敵のレベルを上げる
また山で隔てて洞窟を通過しなければ向こうへいけないようにする
洞窟に入るには鍵が必要だ
自由なプレイヤーを様々な手段で制限をかけた事になる
そこを自由に歩いて、自由にいじって話を進める
それが普通のゲーム
現代人の言う自由っていうのはそういうのと全然関係無い
制限をとりました(主人公を阻む山をとったので直通で魔王の場所まで行ける)
仕事を自由に受けれる(仕事が一覧になっている)
選択肢を増やしました
分岐を増やしました
自由に動ける場が与えられていないのでゲーム的な自由度は実際のところお使いと同じ
ゴブリンを倒して来い⇒ゴブリンの洞窟まで一直線⇒報酬 場っていうのは、この目的を達成するためには、この範囲で自由に動いていいという範囲
ゴブリンを倒すという目的を達成するのにこの範囲を使っていい
この範囲には塔と洞窟、城がそびえている
ゴブリンは洞窟にいるが洞窟には鍵がかけられていては入れない 世の中のほとんどの人間は資本の奴隷
自分の意志で生きれているやつは1%も居ない
その自覚すらなく生かされている家畜みたいなもん
自由の無い状況を自覚すらできない者に
自由の本質など理解できない 「範囲内での自由」の代表例が戦闘
自分のHPが0になる前に敵のHP0にできれば過程は色々
何度も戦闘するならそれも含めてのリソース管理があるし
戦闘前の準備の段階から、限られた金や、成長に方向性つけられるならそれもどこにつぎ込むか
まーでも無限にレベル上げできて物理で殴ればいいようなゲームだと
過程に色々できたところで、ってのはあるね >>729
それは自由の代表ではない、のでは?
過程が変るっていうのは、道筋や選択肢を複数用意したから自由っていってるのと同じ
自由っていうのはようは自分の意思で動けるかどうか
西に行きたい時に西に行けるか
自由でないというのは、「北へ行かなければいけない」と自分以外のどこかから指図を受け自分の行き先が他人によって決められている事
範囲内での自由っていうのは自由のままに動けるプレイヤーに対し自由に動かれないように動ける範囲が制限されている状態
プレイヤーが西に向かえば目的地へ着いてしまう
直通で
これじゃゲームにならない
だから山でプレイヤーの行動範囲を囲って見る
するとプレイヤーは自由に動けても目的地へとはいけない
その山を越えた時にのみ目的地へといける
その山を越えるために必要なものはその山で囲まれ制限された範囲内で自由に行動する事で見つけられる
その山から抜けるためのものを直通で得られないようにさらに行動を細かに制限する
というように、自由というのを制限する事で基本的にゲームは成り立つ
要するに自由でないゲームっていうのは
制限されていないのに、自分の行きたい場所に行けない、行動をとれないゲームの事
自由なゲームっていうのは、自分は完全に自由だけど、制限されているから限られた範囲でしか動けない
西へ進む事ができず、指図された北へしか行けないのが不自由なゲーム
西へ向かうと山にぶつかりそれ以上進めない、北には何か先へ行けそうだ、ていうのが自由なゲーム
不自由なゲームはプレイヤーそのものを制御しようとする
次はどこへ行け、何をやれ
自由なゲームっていうのはプレイヤーそのものを制限しない
プレイヤーが自由に動いた結果、制限する壁にぶち当たるのが自由なゲーム
東西南北どこにでも自由に動ける ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています