思索を注視すれば目的も見えてくると思うけど

・トゥメルの思索
トゥメルの思索は神の眠りを祀ること、言い換えれば神に対する冒涜を避けること。何かによって神の眠りを妨げるのがおそらく冒涜のこと。
この何かが劇中で一番符合するのは聖体拝領のことだと思う

・メンシス学派の思索
メンシス学派はミコラーシュの台詞から瞳の探求だと分かる。何故瞳が必要かと言うと獣の愚かさを強い意思、即ち瞳によって克服しようとすることにある。
再誕者が上位者のなりそこないならミコラーシュの台詞から分かるように上位者から瞳を授かろうとしているか
もしくは自分達自身の肉体を上位的な位に押し上げれば自ずと意思も格上げされ獣を克服出来るようになると考えていたとか

ウィレームのそれは内面的アプローチによる瞳(思考)の格上げだったけどメンシスは肉体的アプローチによる瞳の格上げだったんじゃないかな

逆に聖歌隊はウィレームの思索に回帰して内面的アプローチから瞳を獲得しようとした

メンシスはトゥメルよりもそのエリアのモブや獲得出来る聖杯からローラン色の方が色濃く表れてると思う