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自由度と、ストーリーは、トレードオフだと思うのは何故?
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0001ゲーム好き名無しさん
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2020/02/01(土) 22:34:34.69ID:R4Gih4Ae0
今の人間が作ると、ストーリーをたどって読むだけになるか
それが嫌なのでその逆にすると
今度は、ストーリーが無いただ放浪するだけになる

要するに自由度をとるかストーリーをとるかどっちかだって発想になる

それは何故?
両立すべきだとは何故考えない?
0002ゲーム好き名無しさん
垢版 |
2020/02/02(日) 00:45:48.43ID:+PPFNG9I0
まずどういうゲームをやってそう思ったのか、
教えてくれないかね
0003ゲーム好き名無しさん
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2020/02/02(日) 00:49:09.11ID:DoTgObvj0
>>2
そう思ってるのは他人

今の人はみんな、自由度と、ストーリーは、トレードオフの関係だと思ってる
0004ゲーム好き名無しさん
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2020/02/02(日) 00:58:00.45ID:+PPFNG9I0
これ以上、具体例を欠いた空虚な論争を
したくないのでね
お前のくだらない暇潰しに付き合いたくもない
他にやる事ないのか
0006ゲーム好き名無しさん
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2020/02/02(日) 02:52:06.72ID:ycJS29cG0
横からだけど
ストーリー=FF系
自由度=ロマサガ系
スレタイ見てこう思ったかな
0008ゲーム好き名無しさん
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2020/02/17(月) 23:44:44.44ID:w8dbG8S40
自由度と、ストーリーは、トレードオフではない
0010ゲーム好き名無しさん
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2020/04/16(木) 15:35:04.26ID:ugyqjB5k0
難易度と恐怖についても同じような事言ってる
0011ゲーム好き名無しさん
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2020/05/28(木) 00:53:08.10ID:m+64U2Kd0
>>1
>両立すべきだとは何故考えない?

完全な両立は出来るわけがないので、考えても仕方ないんだよ
0012ゲーム好き名無しさん
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2020/06/01(月) 01:30:49.40ID:L2qqwL2a0
>>11
両立するのは当然な事で
両立しないとゲームにならない

現代人だけが、ストーリーと自由度を両立出来ないと言っていて
両立しようにもどうしても出来ないだけ
もともとは普通に両立されていた

不器用なのか頭が固いのか
頭が回転しないというか

最大の誤解は
ストーリーを[プレイヤーを束縛して、指図通り動かす事]
自由度を[プレイヤーの選択した進み方を出来るよう設計する事]
だと思っている点
この理屈で両立出来ないと思い込んでいる

本来のストーリーと自由度とは
ストーリーは[プレイヤーの辿るチャート]
自由度は[プレイヤーの可動範囲の事]

通行証を取り、関所に渡してそこを通過して、港へ入るという手順だったら
プレイヤーは通行証を関所に渡してその先に港へ行ったというストーリー
プレイヤーは自由に動きそこから行ける範囲に存在する関所にもお城にも洞窟にも行ける
その環境で関所へ行ったらどうなるのか?お城へ行ったらどうなるのか?洞窟へ入ったらどうなるのか?
これらは両立されて初めてゲームになる

それをプレイヤーは次はここへ進むしかない、その次はここへ進むしかない
とやるからストーリーをとると自由度がない

プレイヤーが好きな進み方をする事を自由度とするからストーリーが作れない

どちらが欠けてもゲームにならない

ストーリーをたどってるだけなのはゲームではないし
好きな場所へ好きな進み方をするというのもゲームにならない
一つの筋書きという答えに対して様々な自由を行使してその進み方を自分で発見するからゲームになる
0013ゲーム好き名無しさん
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2020/06/01(月) 16:21:42.78ID:KgLvXhLI0
>>12
そのように自由度が最大でないなら、ストーリー性をある程度もたせることは、あなたに言われるまでもなく当然可能だ。
自由度と背反するストーリー性というのは、要するにおもしろさ・感動・驚嘆のことなんだ。
展開の枝葉を増やせば増やすほど、その全幅に魅力ある物語性をもたせて維持することは難しくなる。

おれが>>11で言ったのは「完全な」両立、あなたが言ってるのは妥協した両立。
前提が異なるというわけだ

>好きな場所へ好きな進み方をするというのもゲームにならない

この文には単純な誤りがあるように思えるが…
0014ゲーム好き名無しさん
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2020/06/01(月) 19:14:31.08ID:KgLvXhLI0
>>11のように1行だと解釈の幅が広がりすぎてしまうようなので、補記するが

自由度を完全(最大)にする = 実世界同様、物理法則のみを行動可否の制約とする

これを実施すると、シナリオ展開の枝葉は無限に発散してしまう(厳密には有限だが)。
ドラマチック・ロマンチックな展開を用意しても、プレイヤーの作為により真反対にまで
改変できるようになり、事象の最小単位レベルでシナリオの根本的な破壊が可能となる。
つまりドラマ性を追求する限り自由は可及的だ
0015ゲーム好き名無しさん
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2020/06/01(月) 20:03:05.91ID:L2qqwL2a0
>>13
それがそもそも現代人の典型的な勘違い
どちらかを上げるともう一方に干渉してもう一方が下がると思っている

そもそも自由度が最大だとストーリー性が減るなんて事実はない
この条件ではストーリーを保ちかつ自由度も最大
どっちかが干渉し合うような条件ではない

自由度とストーリー性は背反しない(ここが根本的な勘違い)
むしろ両立しなければゲームにならないし
自由度がなければストーリーは得られないでただのお使いになるし、ストーリーが在っての自由度

現代人の想像する自由とストーリーの関係は
次に関所へ進むというストーリーだったら、行ける場所は関所のみ、実際にプレイヤーの行動しうる範囲は関所への道のりのみ
だから自由度を上げると関所へ向かうという行為自体を強制出来ない
困った
こんな考え方

本来は両方必要で両立が標準
プレイヤーの行動は全面的に自由
どこへ行ってもよい
北には洞窟が存在して、南には関所が存在する、東には木々の茂る大地が存在して、西には海岸線が存在する
プレイヤーは東に行ってもいいし西に行ってもいいし南へ行っても北に行ってもいい
それぞれの場所へいった場合それぞれの結果が返される
どんな行動をとるかは全てプレイヤーに委ねられ、完全に自由に自分の判断によって行動出来る前提
プレイヤーの行動を制限出来るものはルールだけ
例えば通れない海岸線やがけにぶつかればそこ以上は進めない
関所が封鎖されていればそこを通れない
特にルールによって封鎖されていないならプレイヤーは完全自由でプレイヤーの意志によってのみ動ける

その上で、ストーリー性が作られている
関所へ通行証を持っていった場合プレイヤーは関所に通行証を提示してそこを通過する
というストーリーを得る事になる
通行証を得るためにお城へ行ったという行為も
洞窟へ行き洞窟が今は閉鎖されているという事を知らされる事も関所を通るというストーリーを浮き彫りにする要素の一つとなっている

だから自由度とストーリーは背反するというのは勘違い
ここから抜け出さない限りゲームを作れない
0016ゲーム好き名無しさん
垢版 |
2020/06/01(月) 20:10:37.67ID:L2qqwL2a0
>>14
これも典型的な現代の勘違いによる発想かと

自由度というものを[自分の望む結果になる事]だと思っている
だからシナリオ展開の枝葉は無限に発散するという発想になる

本来ゲームの自由度というのは、プレイヤーの行動選択の自由
結果を自由に決められる事ではない

こてこてのゲーム的な構造っていうのは
自由な行動選択とルールによる判定によってなり立っている
目の前に三つの分かれ道が存在する
プレイヤーはどの道へ進むかを自由に選べる
それがゲームでいう自由度
どの道を進めばゴール出来るか?
それはルールに書き込まれている
道を選んで進んだ結果それがストーリー

それを今の人間たちはこう解釈する
目の前の三つの道
プレイヤーは自分の進みたい道を使ってゴールする事が出来る
それが自由度だ
だから際限ない
0017ゲーム好き名無しさん
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2020/06/01(月) 20:17:22.46ID:L2qqwL2a0
カードゲームで例えると分かりやすい
ABCDEのカードを持っている

本来のゲームではこう
ABCDEの中から好きなカードを選んで出す事が出来る
これがゲームでいう自由度
Aを出した場合勝利出来るがBを出すと引き分けCDEを出すと負ける
という結果になる
という事が織り込まれている
それがストーリー

現代人の思う自由度の高いゲームはこう
ABCDEのカードのうちどれを選んでも勝てる
好きなものを選べ
これが現代人の言う自由度
そしてストーリーはない

現代人の思う自由度のないゲームはこう
AというカードしかもっていないしAというカードしか出す事は出来ないし
出さないという選択肢もない
だからAというカードを出すと勝利する
盛大にムービーで飾られている
これが今の人間の言うストーリー
そして自由度はない
これが今の人間の思う自由度のないストーリーのゲーム
0018ゲーム好き名無しさん
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2020/06/01(月) 21:17:42.69ID:bdBuk0TK0
ちょっと訂正
今の自由度の例
どれを選んでも勝てる→どれを選んでもいいが勝ちという概念はない
0019ゲーム好き名無しさん
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2020/06/01(月) 21:17:43.30ID:bdBuk0TK0
ちょっと訂正
今の自由度の例
どれを選んでも勝てる→どれを選んでもいいが勝ちという概念はない
0020ゲーム好き名無しさん
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2020/06/01(月) 22:20:15.54ID:bdBuk0TK0
閉じ込められた部屋から外へ出たい
その部屋には扉と窓と
天井には通気口、テーブルといす、はしごが備え付けられている

本来のゲームの自由度とは自由に行動選択が出来るという事
扉にも窓にもその部屋のものすべてに自由に行動選択出来る
扉を開けようとした場合カギがかかっている
窓を開けようとした場合下には降りれない
天井の通気口には手が届かない
テーブルやいすを踏み台にしてもギリギリ通気口には届かない
はしごを使った場合に外へ取れ出れる
どういう経路で出たかがストーリー
プレイヤーの取りうる考えられる行動は全て作られている
それが自由度

今の人間の考える自由度は自分のやりたい結果を実現する事
扉から出てもいいし窓から出てもいい
通気口から出てもいい
好きな出方で出て下さい
出たからと言って何でもない
出る必要もない
だからどうという事でもない
ちなみにテーブルと梯子が部屋に見えるが外に出る事と関係ないので作ってない
それかまたは、殴って壊す事が出来る
これが今言うところの自由度

自由度のないストーリーと言ってるのはプレイヤーに行動選択の余地がない
閉じ込められた部屋でまずは梯子へ行けと指示される
それ以外の行動はとれないし取りようもないように出来ている
梯子をとると次は梯子を通気口の下へ立てるという行動のみがとれる
その後通気口から外へ出るという行動のみがとれる
その他の行動は想定されていないので
作っていない
ストーリーだけは作られる
0021ゲーム好き名無しさん
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2020/06/02(火) 09:24:48.21ID:YSFSpUXn0
>>20 氏はおれが何を言っても一切理解しないと思うので、あなたへのレスはやめることにする。

トレードオフだと考えている人達の代弁をすると、要は脚本の質(ドラマとしての魅力・おもしろさ)が低下する
という意味なんだよ。
トレードオフ「ではない」と考えてる人達のほとんどは、ゲーム制作やシナリオ作りの経験がない素人だと推測する。
おそらく映画などの脚本の出来不出来を見る目も、素人並みだろう(=見る目がない)
0022ゲーム好き名無しさん
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2020/06/02(火) 17:34:47.29ID:OAnKxw640
>>21
どちらかというとトレードオフだと考えている人達がまさにゲーム制作の素人ではないかと感じる
今現在ゲーム作りの現場にいる人たちの大半がこの層で何故ちゃんとゲームを作れないのかと悩んでいる
作れないのはゲーム作りを知らないから

単に簡単なドラマを作ってその上にレールを敷いてそこをたどるようなものしか作れていない
トレードオフだと悩んでいるのもその層たち

この層たちはゲームを根本的に理解出来ていない
ちゃんと理解出来ていればこのような疑問や悩みが発生しない
この層たちの作るものは大半はゲームにちゃんとなっていない

ゲームとは本来ルール内で勝敗を決める遊び
まずその根本を理解出来ていない
だから感動的にストーリーを演出するが、ただ指示やマーカーをたどるだけのようなものを平気で作る
それはストーリーを眺めるだけでゲームになっていない
映画と同然だけれど、映画は見ているだけなのに対して
自分の行動で何か変る訳ではない結果が変化する訳でもないのに自分で手動で進めなければいけない分ただ映画より面倒なだけ

また自由度の高いといえば、ただ作ったすごいプログラムの動作確認を一通り実行するだけの内容でしかない
こちらもゲームにはなっていない

ゲームというのは勝敗を決める遊び
勝敗を決めるとはゴールの事
ゴールを目指す遊びと言い換えられる
だからゲームでは一番最初から、自分がどのような結果を達成すれば勝ちかを分かっていなければいけない
そしてプレイヤーはそのゴールを目指すものだというのが大前提に存在する

ゴールを目指すためには、プレイヤーは自由に動ける大前提がなければいけない
どのような行動をとればどのような選択をとればちゃんとゴールまでたどり着けるのか?勝ちなのか?
そのプレイヤーの自由な選択行動をプレイングという

そしてゴールを目指すためにとったプレイヤーの行動はルールによって裁定される
その行動はゴールへ対して前進なのか、後退なのか、無変化なのか?
ここも大前提

そして最終的にプレイヤーはプレイヤーのプレイングによってゴールにたどり着けたのか?
そこを見る遊び
それがゲーム
0023ゲーム好き名無しさん
垢版 |
2020/06/02(火) 17:44:26.50ID:OAnKxw640
ゲームになっていない今の人間の作ったもののストーリーは一つの特徴が存在する
それは先にストーリーが来て、その後プレイヤーのプレイが来る
まずこうこうこういうストーリーが展開された、だからその通りにする
だから指示になる
またはお使い
本来のゲームではストーリーは後に来る
プレイヤーが関所を通過したというストーリーだったら
その関所を通過したというストーリーがプレイヤーに認識出来る様になるのは、そこを通過した後
プレイヤーは様々の行動選択を取り通過の仕方を試した結果、関所を通れた
通った後やっとそれがストーリーになる

自由度については、今の人間のいうところの自由度というのは
結果を自分の指定する結果にしたい自由
または選べる結果のバリエーションの多さ

ゲーム本来の自由はプレイヤーの行動が自由に行える事
プレイヤーの取りうる行動がすべて作られているか?

今の人の言う自由度というのは結果を自分で決めたいという自由だけれど
すべてのプレイヤーの取りうる行動が作られている訳ではないので束縛感は消えていない
例えば梯子を使えば登れるのにと考えられる場所の梯子が実際は背景で使う事を想定されていなかったり等
0024ゲーム好き名無しさん
垢版 |
2020/06/02(火) 18:09:59.97ID:IPeY3F3R0
>>21 について、ある例を用いて再説

新規性の高い映像をもって、アクション映画をスタイリッシュに見せたその革新性と、痛快な
ストーリーにより、多くの人々の心を捉えカリスマムービーと呼ばれたのが、マトリックス。
しかし一作目に比べて二作目は、残念ながらおもしろさが低下してしまっていた。
そして三作目はさらに低下していた。
四作目を待望する声は聞いたことがない。

現実には起こり得ないことだが、もし続編が10作、100作、1,000作、10,000作…と作られ続ける
としたら、それら全てに一作目と同等の圧倒的なおもしろさを期待する人は、無論いないだろう。

自在性の最大化(=実世界の人間と完全同等の自由)はあくまで理論上の話であり、それを現代の
コンピュータ上でシミュレーター化することは、原理的に不可能だ。
よって可及的最大にしたゲームを作ったと仮定する。

それを一万人がプレイすれば、万別のシナリオ展開をすることになるわけだが、非トレードオフ論を
主張する人達は「1万 全プレイに付与された極めて動的なストーリーが、全て等しくドラマチックで
おもしろく感動・感激できるものとなる」このような奇跡が実際に起こり得ることを、肯定できるだろうか?
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