【作り手】ゲームデザイン・ゲーム哲学を語るスレ【クリエイター】
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開発者・作り手の目線で、ゲームデザインとかゲーム哲学を
語ってみましょう。 ドラクエから学んだ、ゲームデザインの哲学というのはつまるところ、
時間さえ掛ければ、誰でもクリアできるという事だ
時間さえ掛ければ下手でもなんとかなるという、確実な救済措置がある
ところがソウルライクには、それがない
下手なほど不利になり、進行不能になり、商品としての義務や責任を放棄している 目が潰れてるバカガキには、薄味無限ダンジョンでもやらせとけ アイテムの所持量が少なく、多くのアイテムを捨てなければいけないってデザインは
ほんと糞だよな
取捨選択して捨てていく作業がゲーム性なのだと言われれば、もっともらしいが
実際には苦痛だし、ゲームの面白さをあえて捨てたデザインは、無謀としか思えない 嫌いな演出なら沢山あるけどな
色収差
フィルムグレイン
シネスコ
被写界深度
レンズフレア
あと水をかぶると画面に水滴がつくような演出
車ゲーでしばしば見かける、速度による画角変更
これら全て、人間の目ではなく、あくまでカメラを通した映像であると意識させ
没入感を損なう、クソな演出
全部消えてほしい >>98
「城」を必ず「お城」と表記する癖があるけど、それも幼児語的で違和感あるんだよな >>103
まったく逆だな
アイテム所持に制限がないなら
「捨てる」「拾わない」「選ぶ」とか
多くの選択肢がなくなる、考える必要もなくつまらない 1周何十時間も費やす1本道JRPGの固定宝箱にトライ&エラーは求めない
一方OWに良くある取得アイテムがランダムなゲームでは取捨選択が楽しみのひとつ ゲームはスペックじゃない
売ったもんと、楽しんだもんが勝ちなんだ >>103
『風来のシレン』の場合は、所持数に制限があるからこそおもしろい。
アイテムを使うことで所持数を増やしていける。
増えるととても嬉しい 今はゲームのストーリーは自分で作るものだからな
昔はハードの表現力が貧困で、一本道にしかできなかったというだけだ
そのかつての残骸のような流儀を、今でも引きずっている作り手や受け手は、滑稽だよ 関係ないよ、ルナドンみたいのもあったし
ドラクエも船手に入れると自由だしな
一本道だとバランス調整とデバッグがやりやすいし
ゲーム外のライターも使えるってだけ >>110
>>111
そもそも自由の意味を勘違いしている
それにゲームの事についても勘違いしている
ゲームの面白さに付いて
今のゲームは自由度がない一本道だ
この意味は要するに昔は自由度が存在したという言葉
この意味のさす自由度と今の人間が言っている自由度では別物
今の人間たちの言っている自由とは、自分の好きな道へ進む事
自分の好きなやり方で実行出来る事
思い通りに進む事
これらは自在に出来るという意味を自由といってる
でも自由と自在は違う
ゲームで元々言っていた自由度がないの自由とは
プレイングの事
プレイングとはプレイヤーが自発的にゲーム中で選択する意思決定の事
フィールドにプレイヤーがいる場合北へ進むといいか?南へ進むといいのか?西へ進むといいのか?
ゲームならばそれを判断する立場に立たされていなければいけない
その選択権こそが自由度
だからゲームでは、東へ行った場合の結果、西へ行った場合の結果、南へ行った場合の結果、北へ行った場合の結果をそれぞれ作っておかなければいけない
それを作らないで、次進む場所に進んだ場合の結果しか作っていないのが一本道で自由度の少ないゲーム
本来東西南北どこに進む事も考慮されており、プレイヤーはその選択を迫られているはずが
次回進む北へ進むという行動しか用意されていないので、その通りに進むしかない
これが自由度のない束縛された一本道
本来は、プレイヤーが自由に選択をして、正しい行いをとった場合にのみ先に進め
誤った行動をとったら失格にされる構造になっているのがゲーム
そうなっていないから一本道を突き進むだけになる
ゲームとは正しい道を見つけ出す遊び
そしてそれを楽しむのがゲームの楽しみ方
だから好きな事を自在に出来ました
これではゲームとしての面白さを得られない
そしてこのような構造になっていないものはそもそもゲームとは言えない
自分の思ったやり方を出来るっていうのは自由でも何でもない 低予算に飼い馴らされてるやつらなんて哀れなもんだよ
作り手だろうと受け手だろうと 一般プレイヤーはともかく
作り手まで和ゲー主義者だったりしたら、怖いよな
そうして世界レベルから目を反らし続けて、駄サイクルが続いていくのか >112
>自分の思ったやり方を出来るっていうのは自由でも何でもない
思い通りのやり方が出来ることを、あなた以外の人達は皆「自由」と呼んでいます。
なぜ自分だけが世間一般と真反対なのか、よく考えてみましょう。
言葉のコンセンサスがとれないと意思疎通がかなわず、ゲーム論以前の日本語の
話になってしまいます
あなたと話すより、翻訳ソフトを介して外国人と話す方が、ずっとスムーズです >>115
皆が間違ってるという意味
元々自由度という言葉を人間が使い始めたところから使い方を間違えてる
「自由度が低いゲームがダメだ」という意見から生まれた自由度
「自由度が低いゲーム」のいう不自由
自由度が低いゲームとは、レールの上を歩かされるようなゲーム
どこどこへ行き何々をやれ
それを反復する
この対義語にならない
OWの自由もquestでレールの上を歩かされる
○○へ行って××を護衛しろ
○○をどこどこで受け取り△△へ届けろ
○○に行き○○を持ってこい
どこも変ってない そもそも「思い通りのやり方が出来る」事は”自在”の意味で自由の意味ではない
自由とは、他からの強制・拘束・支配等を受けないで、自らの意思でものを決める事
作者の作った行動リストの中から選んでる点で自分の意思ではない
作ってない事をするのが自由
そこが勘違い 間違ってるじゃなく皆が共通認識を持ってるのにお前だけが持ってないだけだろ
言葉の定義なんてTPOでいくらでも変わるのに空気が読めないから対応できないだけ >作者の作った行動リストの中から選んでる点で自分の意思ではない
>作ってない事をするのが自由
こういう一文一文に気違いっぷりが現れてるんだよな。
君の論はたとえば「職業選択の自由」という言葉と相容れない 共通認識を持ってる事が間違い
自由とはゲームで自分の見たいところを見れるって感覚
思った結果に出来るっていうのは自在
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q117687291
この質問にこんな答え
自由に生きるとは、与えられた環境に束縛されず、無限の心を闊達に生きる事。
自在に生きるとは、与えられた環境に適応して上手に自らの思いの方へ生きる事。
OWは与えられた環境に適応して思った通りの結果を作り上げる
ゲームの自由とは束縛されず見たい場所を見れる >>119
「職業選択の自由」という言葉は
職業選択を家柄や門地および性別等によって国家から決められないで自分で決められるという意味
別に思い通りの職業になれるという意味ではない 君は女性だから君の選んでいい職種は看護師と受付事務とこれとこれとこれだ
この中だけから選んでいいよと言ったら
大工?それは男性の仕事だ
女性らしい仕事をしなさい
これは「職業選択の自由」のない状態 クエストマーカーは他ジャンルで言うとステージと捉えるべきだな
エアーマン倒せと言われて、倒さないルートないから不自由だと言わないのと同じ
「○○へ行け」
言葉だけ見ると行って終わりだが、山賊のような道中の障害はOWでは良くみかける
倒すもよし別ルートを探すもよし、それこそルート選択は自由 クエストマーカーじゃない、クエストだ
マーカーはまた別要素なんで取り消す >>123
基本的に考えの前提が違ってる
倒さないルートないから不自由だ
という言葉は要するに「倒すか」「倒さないか」を自分が決めたい
って思想でOWの自由と同じ
「別ルートを探す」っていうのも
用意された別ルート
用意された中から選んでよいよと与えられたもの
ゲームの自由っていうのは自分の見たい場所を見れる事 共通認識なのは
「自由と言う言葉単体で使う多くの場合には自在の意味を含む」
だな
特にコンピューターゲームのようなデジタルなものは無限や中間がない場合が多いので
ほとんどの人は自由≒自在として話している
そもそも自由度なんて、元々との意味で使ってるやついないしな
それでも会話が成り立つのは共通認識があるからで
そこを無視した人が異星人扱いされるのは自然な流れ >>121
否定の仕方一つとってもまともじゃない。
屁理屈の程度が本当にどこまでも下がるんだよな。
これ以上は面倒なので、この話はこのへんでやめとく 別ルートは文字通り別ルート
遠回りの街道を使うもよし、山を突っ切るもよし自由だよ
マップがシームレスないわゆるOWだと実現しやすいな questでも一本道ゲームでも基本的に同じ構造
どちらも、どこどこに行って何々をしなさい
はい分かりました
NO
どちらもただお使いをやってるだけ
始めたならプレイヤーのとる行動はたった一つになる
どこどこへ行って何々を達成する
これをこなすだけ
仮に途中にルートを自分で決めても同じ事
その○○を達成するという行為を作業的にこなしているに過ぎない
自由度の高いゲームっていうのはゲームが始まってそこからが自由に動ける
○○へ行って○○をやれと決まったら
好きなものを自分の目で見れる
基本自由を受け手が感じるためには、受け手に束縛や制限を間近まで近付けないと感じ辛いはず
制限に対してどれだけの事が出来るか?
だから
だだっ広い何の制限もない草原に一人いて好きな場所へ行っても今自分が自由かどうかは分からない
四方を山で囲まれた中で隅々まで調べられてどれだけ自分の見たい場所が作られているか?
それなら自由度を認識出来る >>126
間違って使うからいつまでたっても本来の自由度が担保されない状態
元々自由度のないゲームはつまらない
という言葉が発端なのだから
その言葉のさす自由度のないままの状態で
でも、もう自由度は再現されている事になる
自在を自由の意味で使うから
なので今もなお自由度はないが、もう自由は作られている
ゲームは限界だ
になる
ではゲームの面白さとは?
昔のゲームは自由で面白かった?とは?
となる だから、みんな自由≒自在が前提なんだってば
自由を自在に置き換えて話しな
「本来の意味に戻す」とか、お前以外ほぼ全員の共通認識を壊すような面倒なこと誰が賛同するかよ >>132
「みんな自由≒自在が前提にする」
それが問題になってる
それが自由という事になる事で本来の自由が無いにも拘らず
もう担保出来てるとみんなが認識する
そして自由度のないゲームが自由度が高い事になり
本当に自由度の担保されたゲームは一つもない 本来の自由を語りたい場合に言葉がない状態にもなる
また、本来の自由を語ろうと自由という言葉を使うと
受け取りてはみんな自在の意味で受け取るから話にならない そもそもな
「自由度のないゲームはつまらない」の自由自体が、お前で言う自在度を意味してるんだぜ?
そこに皆が話していない本来の自由とやらをお前が持ってきて、話をかき混ぜてるだけだろう >>135
違う
その勘違いが事の始まり
自由度のないゲームを指す言葉で
この言葉は「(昔は自由度が在ったのに)今のゲームは自由度がない」という意味でいっている
要するに昔のゲームは自由度が担保されていた
では今言うOWのような自由度のゲームが昔のゲームだったのか?
それは違う ここで何度も聞いてることを聞く
「自由だったゲーム」のタイトルを述べよ それは自由度がないといった人に聞けばいい
そもそも自由度がない一本道は云々
という言葉自体、元々は自由度は存在していた事を意味する
元々は自由だったけど今はないからそこと比べなければ出ては来ない言葉
元々が自由が無いところから始まるなら「もっとこんな選択出来るような機能が出来るようにしたい」になるはず
言葉が否定文になるのはもともと存在していたものが出来ていないから出る言葉で
元々が自由度がなかったのなら今が不自由だとは認識出来ない
選んでいい職種は看護師と受付事務とこれとこれとこれだ
それがさらに花屋と美容師とどんどん増えて行っても
それで自由の制限が解除された訳では無い
OWのいう自由度は、すりが出来るようになりました
自動車を壊す事が出来るようになしりました
人を殴る事が出来るようになりました
お城Aに行けます
お城Bにも行けます
行ける場所、出来る事、依頼の数を増やしました
というものなのでそれと同じ
要するに制限されたレールが増えただけ 昔のゲームは自由を担保されていたといったのはお前だ
共通認識の「自由」を意図的に排除してるのもお前だけだ
お前が自由を担保されたゲームの実例をあげる必要がある
当たり前な話なんだよなぁ 「自由度が低い一本道はダメだ」という言葉自体が
昔のゲームは自由を担保されていたという意味に自動的になる
昔も同じように自由度が低ければ今ダメだにはならない
ダメだというからには過去にいい例が存在する
そこと比べ「ダメだ」になる 自由を担保されていたという状態を知らなければ
一本道がダメかどうかを認識出来ない 話を続けるら他人と共通の前提を持ってからにしろ
>>137に回答できない=そもそも議題が存在しない 自由度が共通の前提
今のゲームで言っているところの自由度とゲーム本来の自由度の違いの話 お前一人がその前提が違うじゃねーか
そのせいで2行目の意味がお前と他で噛み合ってない
というか、>>137答えろ
それでお前が何百書き込んでも誰にも受け入れられない理由がはっきりする 何か難しいことを色々言ってるけど・・・
まず、遊んでもらえなければ意味がないのでは そんなに難しい事ではないはず
自在というのは結果を自分の思い通りにする
自由というのは始まりを自分の思い通りにする
自分のやり方でやりたい
自分の好きな結果を選びたい
その場合結果を複数作らないというけない
自由を感じるために必要なのはプレイヤーの自発的な発想をいかに守るか?
プレイヤーの発想に対して受け身に考えなければ自由を作る事は出来ない
○○を出来るようにしましたっていうのは
プレイヤーの考えではない
作り手が勝手に作り与えただけ
プレイヤーが自分からの発想で○○をやろうとした場合
そこがきちんと考慮されているかどうか?
OWの発想
・どの窓も一括して割れるようにしました
・どの扉も一括して開けられるようにしました
・どの電話も一様にかけられるようにしました
それらのオブジェはどこで見つけても同じように動作します
と最初に教えられていて動作する事分かっているからそれを使おう
という発想
自由度の発想はこう
何がどう動作するかという前提はない
密室に閉じ込められたプレイヤー
そのプレイヤーはどんな発想をするだろうか?
密室に閉じ込められた人間だったら
・窓を開けようとするかもしれない、窓をもし開けようとしたらどう動作するか?
・扉を開けようとするかもしれない、扉に近付いたらどう動作するか?
・電話を使おうとするかもしれない、電話を使おうとしたらどういう挙動をするか?
プレイヤーが自分からの発想で何かをしようとしたらそこがどれだけきちんと作られているか?
プレイヤーの発想っていうのは同じような対象でもその場その状況によって全然違って来るのだから同じオブジェでも作品によってプレイヤーがするだろう発想は全然変って来て当たり前で
同じ窓や扉でも、失敗して上司かなんかから逃げようとしていたら、逆に閉めて開かないようにしたいはず
人間はどの場面でもどの作品でも同じものには一様に同じ発想する訳では無い
人によって何に興味を持つかも変る
失敗の言い訳をしたい人、隠したい人
それらをきちんと考慮して考えなければ受け手が自由がないと感じる
自由度というのは減点式で
受け手は○○を思いついたけどそれが作られていなければマイナス1
となる フィールド何かでは次進む場所が北東に位置するなら
その他の方角にも進んでみたいと考えるのが普通の欲求で
その他の方角には何が存在するのだろう?と
その状況で北東へしか進みようがない
これだと不自由を感じる
東西南北どこへでも進めて
そこへ行こうとした場合どうなるのか?
プレイヤーが発想するだろう全てが作られていて初めて不自由感を消す事が出来る
要するに自由度とはプレイヤーに対して受け身で考える必要 >>145
彼は難しい話なんかできないよ。
延々言葉をいじくりまわしてるだけで、実体は空虚だ 簡単な話だけど理解出来てないからゲームをちゃんと作れない 何で先日の話無視してるの?
議題にあげるつもりなら先に>>137に回答して基準を示せ
基準がない=お前の気分次第になるだけ >>151
それは典型的な間違った自由度
自在に出来る事を自由だと思っている人間が言う自由
”ゲームの自由度”というのはそういうものと対極に存在する
本当のゲームの自由度に付いて語っているのがここ 従来の評価基準を否定して、新たな評価基準を作るなら>>137をどうぞ
実例で基準点を作れないんですかねぇ? >>151
そこに書かれてるとおり、ビデオゲームにおける
自由度には明確・厳密な定義なんてないんだよね。
慣習的に使われてるだけの言葉だから ”ムービーゲーム”、”一本道ストーリーゲーム”というものが出て来るまでは「自由度がない事」を問題にする人が殆どいなかったのなら
要するに、OWのいう自由がそこで言ってる自由とは異なるものだという事は分かるはず
ムービーゲームのいう不自由のさすものは自動的にOWのさす自由でない事になる
要するにOWのような自由の方が後から出た概念
人間が本当の問題点を正確に見極められない事が問題 言葉の意味を本来は本来はといいながら
OWについては本来の意味で使ってないのはなぜだろうか 一律に壷が割れるのも
マーカーが表示されるのも
クエストにしたがって動くのも
好きなところへ行けるのも
全てOWの定義に含まれない
まして2D3Dも関係ない
一律に坪が割れる大神はOWではないし
クエストやジャーナルが出るDQ11もオOWではない
ただし新しい言葉なのと変化の激しいゲーム界の用語だから揺らぎはある
そういう理由でOWという単位で論議することに価値はないと思う OWのいう自由度という言葉はOWの定義で言ってる訳では無い
OWのいうような自由に付いて言ってる
要するに現代人のいうところの自由度の事
この自由度を指す適当な言葉がないので便宜的に使っているだけ
単に自由度というとここで言いたい本来の自由度と区別がつかない
一般がOWでいうところの自由度
という意味
それは好きなところへ行けるや一律に壷が割れる等の意味
マーカーなんて一度も言っていない OWの発想
・どの窓も一括して割れるようにしました
・どの扉も一括して開けられるようにしました
・どの電話も一様にかけられるようにしました
それらのオブジェはどこで見つけても同じように動作します
と最初に教えられていて動作する事分かっているからそれを使おう
という発想
これはあなたの発言だよね
あきらかにOWの定義を誤認してる >>160
そこで言ってるのは定義の話ではない
正確にはOWを指示してる人のいう発想
ここではOWの定義そのものは関係がないので
OWそのものを問題にしている訳ではないからそれで問題ない
OWそのものに付いて議論するのなら必要になる
という話 それいっちゃあ、その本来の自由度については一人を除いて誰も議題にしてない
勝手に持ってきて皆が間違ってると喚いてるだけだよ >>162
ここでは自由度そのものがどうか?を問題にしてるけどOWの上の話はただ現代人の思う自由度とはをさすために言ってるだけでOWに付いて言ってる訳では無い 自由度の是非?
その意見、このスレで誰か話してるか?
我こそが議題にあげると言うなら
お前らもwikiも間違えてる、から入って議論になると思うの? wikiはそんなに関係ない
今の人が言ってる自由度という言葉の意味が間違っているというだけで
本来ゲームには自由度は絶対必要でなければ成り立たない
ゲームを語るうえで自由度は必要になって来るけど
自由度の意味そのものを間違ってるから話にならない 自由度はゲームをゲームにする為に必要な3つの要件の一つに係って来る
ゲームは
ゲーム目的、プレイヤーのプレイング、ルールによる裁定によって成り立つ
プレイングが実行されるには自由度が前提になる 一応苦言
お前が話したい自由のことを、自由度と言っていることが間違っている
> ゲームの自由度というのは、プレイヤーがその中でどんな行動選択をするか?それを決める立場にいる事をさす
こんな定義この世のどこにも存在しない新語でしょ
前々から思ってるんだが、論じたいのは
「プレイヤーがどれだけ自由意思で行動していると感じられるか」
じゃないのか? >>167
”自由度が低い”ゲームという言葉は、ムービーゲームのようなものを指す
要するにそこでいう自由度というのがここでいうゲームの自由度の事で どちらかといったら
OWの(現代人のいうところの)自由度こそ
プレイヤーがどれだけ自由意思で行動していると感じられるか?では? ゲームの自由度って言葉はwikiに記載されるくらい一般的な意味が既にあるんで
どうせ新しく定義するなら他の言葉に言い換えてくれ
紛らわしくてしょうがない
ムービーゲームはソレが低いというが、どこがどうだから低いと判断するの?
ソレが高いゲームってどんなゲーム?
今のところ、実態がない雲状態 自分一人だけがAという考えを持ち、自分以外が皆B、世界中の人々がBだとしたら
間違ってるのは自分一人なんだよな。
気が狂ってるとそれが分からない 「自由度(選択肢)が増えても自由を感じるとは限らない」
っていう意見ならまだ理解できるんだがね
あとは
「ゲーム内で自由を感じることは楽しみに直結するのか」
あたりならまだ話は膨らませそうなんだが
この辺りも実際のタイトルあげないと共有難しいよね >>170
今の人間のいう自由度は結果を与えられた複数の選択肢から自分の思った結果にしたい
というもの
本来の自由度は自分の思う発想や選択が選択肢に含まれるかどうか?
>>171
皆は地球は平面だといっていて、一人だけ地球は丸いと言っている事も
>>172
「ゲーム内で自由を感じることは楽しみに直結するのか」
この言葉が要点
ゲーム本来の自由度の観点から見れば
自由度がなければゲームとしての面白さは得られない
OWのいうところの自由度でいえば面白さとは関係ない
そもそも自由とは増やすものではない
束縛されるかされないか?制限されるかされないか?
拉致され監禁されている子供が加害者からどんなに選択肢を与えられても自由な訳では無い wiki自由度(ゲーム)以外に自由度と言う言葉使わないでお願い
まず、自由度とは言葉の通り度合いであり
自由度が高いとされる簡単な例は提示される選択肢が多いこと
後ろにかかれてる「望む結果にしたい」は別案件なので除外する
で、見たところ「ソレ」は選択肢を見る前に考えた行動が選択肢に含まれる確率
この確率をあげる方法のひとつは選択肢を増やすこと
もうひとつはプレイヤーの考えを誘導すること
自由度と「ソレ」は目的と手段の関係であり、比較対象はないと考えるがどうだろうか こっちが本当の自由度
wiki自由度(ゲーム)こそ別の単語を使いたいところ
便宜的に自在度と
「ソレ」というから何だか分からない
その考えだと、現代人のいう自由度と同じ
結局自分の思う結果を選びたいってだけで
考えた行動が選択肢に含まれる確率も
プレイヤーの考えを誘導する事も
どちらも選びたい結果を見ている
プレイヤーが持っていきたい結果が大事で
プレイヤーが思った結果に出来るように作られているか?
「望む結果にしたい」は
言葉が実は不足してる
「与えられた選択肢の中から望む結果にしたい」
本来の自由度はその逆の観点
与えられてない自発的な行動
与えられた瞬間それは支配者によって与えられたものになる 自由度と言う言葉に「ソレ」が該当する意味が存在しないのでそちらが折れてね
「ソレ」と書いてるのは、結局なんなのかが明記されてないから
> 本来の自由度は自分の思う発想や選択が選択肢に含まれるかどうか?
この言葉から「選択肢を見る前に考えた行動が選択肢に含まれる確率」としたんだが
コレジャナイならなんなの?
得たいの知れない物なので「ソレ」としか呼べない まだ念仏長文の相手するやついるんだ
何言っても聞かない真性キチガイなのに 自由度の是非、ゲームに自由は必要か
あたりはこのスレに適合してるし、まぁ許してくれw 本来の自由度というのは、一つは与えられた手札の内のプレイ可能な度合い
部屋に洗濯機、テレビ、机、椅子、収納
窓と扉が付いていたら
扉だけが触れられる
洗濯機、テレビ、机、椅子、収納、窓は背景で触れられない場合受け手はどう感じるだろうか?
触れられて当然のものが触れられない
これが自由度のないゲームの雑な例
カードゲームで言えば
1,2,3,4,5のカードが配られている
実際にプレイ可能なカードは1のみ
2,3,4,5は使えるはずなのに使えない
これが不自由さ
カードゲームは一本道を例えやすい
手札には1,2,3,4,5のカードを持っているが
1のみを出す事が出来る
1を出すと勝利する
やってる側は単にその指示に従っただけ
だから要するに自由度の高いという状態はこう
1,2,3,4,5のカードを持っている
1も2も3も4も5もプレイヤーは出す事が出来る
1を出した場合こんな結果になり勝利する
2を出した場合こんな結果になり敗北する
3を出した場合こんな結果になり敗北する
4を出した場合こんな結果になり敗北する
5を出した場合こんな結果になり敗北する
手札に持っているカードは全てのカードが扱える前提
ジャッジの求める正しい選択を出来た場合にのみ勝利出来それ以外は敗北する
手札に与えられたものでカードとして扱えるものが100%に近い程自由度が高い
OWのいう自由度の場合はこう
手札には1,2,3,4,5が与えられている
プレイヤーは1と2を選ぶ事が出来る
1を出すと勝利する
2を出すと勝利する
3,4,5は飾りで触れられない
プレイヤーは勝ち方を選ぶ事が出来る
その勝ち方の数をどんどん追加するのが自由度の高さだ
っていうのが今の人のいう自由度 OWのいう自由っていうのはプレイヤーぷの目線に対してれ受け身に作っている訳ではないので
基本的には完全に自由度から乖離する
カードゲームで言えば
扱えないカードが大半で
その状況でやってもいい選択が量産される状態 wikiに書いてあるゲームの自由度=お前の言うowの自由度でいいんだよね
wikiに書いてある「クリア条件が多数用意されている」の部分について語っていると思われる
「Xを出した場合こんな結果になり勝利する」を増やすことが自由度を増やすことについては同意
ただし敗北を作らない(増やさない)ことは別問題
自由度とは関係ない「RPGにおけるゲームオーバーのデザイン」になる
言葉の定義置いとくと、これについて語りたいのかい? 以下に書いているのは例えで単純化したもの
簡単な話、モンスターがこっちに来た場合
手鹿なところに鉄パイプのようなものが描画されている
横を見ると拳銃のようなものが机の上にデザインされている
が、それらは背景の飾りで触れない
モンスターからはパンチで戦う事しか許されない
これに対して人は自由度が低いと感じる
何故ならば、この状況では本来鉄パイプや拳銃はカードに含まれて当たり前だから
使えるはずのものが作られていない≒自由度が低い
そんな状態でどの窓ガラスも割れるように作りました
どのテレビも割れるように作りました
横の鉄パイプやけん銃も殴って破壊出来る
のような考え方なのがOWのいう自由
要するに自由度はプレイヤーに対して受け身に作るもの
プレイヤーはこんな場面だったら何に興味を持ちどんな考えを持つだろうか?
そこをもれのないよう埋めるのが自由度
OWのいう自由は作者が勝手に作りたい出来る事を増やしてるだけで
これらは一つの見方に過ぎず
本来的には結果に対するものなのか発動に対するものなのか? 書かれた例にたいして忠実に回答すると
wizardryで表示される宝物に剣が表示されるが実際には取得できない
ドラクエの壁に掛けてある剣は取れない
スカイリムの壁に掛けてある剣はほぼ全て、実際に取得できて使用できる
店にあるものとれば泥棒になる場合もあるし
そうでないなら自分のものにできる
いわゆるowほどやりたい事ができるようになってないかい? 例えなので忠実に再現すると違う
OWの自由度というのは作ってそれが出来ると指示された事のみが出来る
スカイリムだったら例えば床をはがす事は出来ないのか?
っていったらNOとなる訳で
人間はその場や状況に応じて物に対してどう見るかを変える
それなのに最初に作って出来る事のみが動作範囲となるとその場の状況での思い付きが否定される訳で
予め出来ると分かってる事だけが出来るのがOWのいうところの自由度で
本来の自由度の感じられるものはその場で思い付いた事が出来るように作られている 床を剥がすことがクリア条件に含まれるならば
「クリア条件が多数用意されている」に該当するからwikiの自由度を満たしているね
クリア条件に含まれないが、全ての床が剥がれるだけならば
ガラスが割れると同義になりowが自由でないと言う意見と反するね
クリア条件に含まれないが、特定の床のみが剥がれるだけならば
それただの隠し要素で自由関係ないよね
こういう例え出されても、結局「ソレ」の存在が矛盾になるよ 分かりいいよう言い方を変えると
OWのいうところの自由度っていうのは出来る事が出来る
最初から「これを出来る」とプレイヤーは分かっていて
それを出来る前提の事だけが出来る
本来の自由度とはそのような制約がない
プレイヤーがふと思い付いた事が作られているかどうか?
◆OWのいうところの自由度の例は
北と東にお城が建っていてそのどちらにでも行っていいよ
という自由度
◆ゲーム本来の自由度の例は
プレイヤーは東西南北好きな方向へ進める
どこに進むのもプレイヤーの勝手だ
北へ進むとお城が在った
東へ進むと別のお城が在った
それらに入るとどうなるか?
OWのいうところの自由度は最初に出来ると宣言された事のみが出来
その中からプレイヤーは選ぶだけ
本来の自由はプレイヤーはプレイヤーの行動選択決定は何でも出来る前提で
プレイヤーのやった事に対して結果が返って来る 先に出来る事のリストが在って
その中でのみやっていいよ
先に示された出来る事リスト
起きる事リスト
可動範囲の限界を全て分かった上で
その中から選ばされる
この範囲でのみ可動する
その範囲の広さ
というのがOWのいうところの自由度
与えられた範囲で何をやってもいい
とだけ言い渡されて、与えられた空間
その中で自分の発想で、好きな事を試してみると
どうなるか結果が返って来る
というのが本来の自由度
要するに、何が起きるかは分からない
これから知る
だからプレイヤーがどんな発想で何をやってもそれが考慮されていて作られている率
それが自由度 「東西南北好きなところに行ける」が自由度
城があるか、行ったらどうなるかは結果であり自由度とは無関係だね
そういう意味で、進行可能方向に関しては自由度は同じ
違いは事前情報の有無で、結局過剰提供による精神的束縛の事を言いたいんじゃないの?
それなら>>167に話を戻してもいいよ? 北と東にお城が建っている
そのどちらかに行っていい
そこ以外の方角へ進んでも何もない
またはそもそも進む事が出来ない
またはそこ以外の方へ進む事は考慮されていないので作っていない
その前提で、選んでいい場所をどれだけ増やすか?
って発想がOWのいうところの自由度
先に出来る事、起きる事が決まって
プレイヤーは後からどう行動するか?を決める
一方、本来の自由度は、先に決まってるのはプレイヤーの行動だけ
出来る事、起きる事を決めるのは真実だ
東へ進むか西へ進むか南へ進むか北へ進むか
ペンをとるか?床のシミを見るか?壁の模様を見るか?
東へ進んだ場合の作り込み
西へ進んだ場合の作り込み
南へ進んだ場合の作り込み
北へ進んだ場合の作り込み
をどこまで完璧に作れたか?って度合いが自由度 >>191
違う
OWの自由度は先に結果が決まるけど
本来の自由度は結果は後から決まる
「東西南北好きなところに行ける」が自由度
だけだとOWの自由度
「東西南北好きなところに行ける」が「東西南北どこへ進む事も考慮されており作られている」
要するにプレイヤーがどんな発想で行動選択してもいいように作っている
これが自由度 スカイリムも考慮して作っていますので安心してください
ホワイトランで西の塔へ行けと言われても東西南北かどこでも行ける
東にいけば都市(ウインドヘルム)がある
西に行けば見張塔がある、無視して進めばいずれは都市(マルカルス)につく
南にいけばもといた村(リバーウッド)がある
北にいけば山がありそれを越えると大学(ウィンターホールド)がある
ちゃんと話は進むし、先に塔へ行った時と後回しにしたときとで反応が変わることもある
むしろ用意されてないRPGはクソゲーと呼ばれるだけ 「東西南北好きなところに行ける」
要するに
東にも行けますよ、西にも行けますよ、南にも行けますよ、北にも行けますよ
だけを作りました
だけだとただ動いていい範囲を動いたに過ぎない
東へ進むか西へ進むか南へ進むか北へ進むか
を決めるのはプレイヤーだ
東に自分の判断と選択で進んだ場合どんな事が待っているのか?
西へ進んだ場合どんな結果が待っているのか?
南へ進んだ場合どんな結果がかえって来るのか?
北へ進むとどんなものに出会うのか?
っていうのが自由度 >>194
OWのいうところの自由度は結果込みで先に提示される
カードゲームで示すと分かりやすいはず
1,2,3,4,5のカードを持っている
1を出してを出すも2を出すも自由だ
1を出しても2を出してもきちんと勝利出来る
っていうのがOWのいう自由度の要約
1,2,3,4,5のカードを持っている
1のカードの次に2のカードを出した場合にのみ勝利出来る
それ以外の手順やカードを出した場合敗北か同点になる
その条件でどのカードをどの手順で出すかを決めるのはプレイヤーだ
プレイヤーのとった行動によって結果が決まる
っていうのが本来の自由度
要するにOWの自由度っていうのは与えられた選択から選んだだけ
本来の自由っていうのはプレイヤーの自分で決めたプレイングがルールによって裁定される
という工程をとる プレイヤーの行動可能範囲に対してなんの結果も返さないシステムは存在しないね
最低でも「なにもありませんでした」の結果を返す
シューティングだと、いつでもボムが打てるのが自由度
敵のいないところでボムを撃てる
もしかしたら隠しアイテムがあるかもと考えボムを撃てることが自由度の要素で
何もなかったからといって自由度が下がるわけではないよね 要するにOWの自由度は「これとこれとこれとこれが出来ますよ」というガイドが付いていて
そこから選んでる
本来の自由度というのは道がない場所を進む
どのカードをどの順番で捨てるか?は完全に何のガイドもない状態で自分で決める
但しプレイヤーの行動は全てルールにより監視されており裁定されますよ、と >>197
いつでもボムを打てますよ
って考えはOWの自由度
ボムを撃った結果どんな隠されたものや結果が返るか?
がどこまで作られているか?本来の自由 カードゲームの例え、ガイド=マーカーやジャーナルになるけど
本当にそれでいいの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています