>>192
実際に足が止まるか?は脅威の実現性によって決まって来るはず
実現性が高い程、脅威に対する警戒が強まる

日常生活でロッカーから物音がしてその音を確認したい
ケージから逃げ出した人を殺す異形の化け物が潜む宇宙船の中で、血の跡のついたロッカーから物音がする

前者では確認に踏み出す事に抵抗は少ないけど
後者ではロッカーを開けるのに大きな抵抗を感じるはず
その抵抗が大事

初見のプレイヤーにとっても同じで
ゲームはまず最初にルールを理解しないと始められない
道順通りに進むと出て来る敵を銃と体術で倒しながら進むとゴールにたどり着けるってルールのゲームでは
敵を銃と体術で倒すとストーリーが進展し予め決められた結末になる前提でそこから始める訳だから
その結末がバッドエンドでも助かる結末でも最初から結末は決まってる状態

プレイヤーが恐怖を感じるには結末が未知でなければいけない
自分の踏み出す一歩がもたらす未来の不確定性

扉を開けていいのか?いけないのか?
進んでいいのか?いけないのか?
倒していいのか?いけないのか?

確実に開けていい、進んでいい、倒していい前提では恐怖は感じない
開けて進んで出て来た化け物を機械的に倒す前提

扉を開けた結果悪い結果にも、良い結果にもなりえて、その判断がプレイヤーにかかるからこそ、行動した場合に起きる結果を恐れる事が出来る訳で
扉は必ず開けるもので、結果に影響はない前提ならそれは確定要素で
安心して開けられる
精々、いきなり登場する敵に対する警戒で
開けたらどうなってしまうんだろう?とてつもない悪い事が起きたらって状態にはならない

まず前提の修正も必要で
敵は常に障害として出現する
その敵は必ず対処(倒す、逃げる、ステルス)してそこを乗り越える前提

これでは、敵がなんの恐怖の対象にもならない訳で

本来、敵は「そこにいる」だけで問題になり、「いない方がデフォルト」「いるのはイレギュラー」
もし「いた」場合、「殺される方がデフォルト」で「いても助かる方がイレギュラー」(またはそう思い込まされてる)
倒したりステルスで乗り越えればいいって前提にはない

だからこそ、遡って、扉を開ける前、扉を開けたら、「それがいる可能性」を警戒して躊躇する
それが恐怖心