探る、裏をよむ。単純な善意を受け取れない。(善なるものへの偽善者呼ばわりなど)

これらはまさに、オートに働きかけられた評価の弊害でしょうな。

そして評価されない限り、人間は自らの行いに正当性を感じられなくなってしまってきている。それが心に閉塞感をもたらし続けている。

だが、そもそも、その評価とは誰の基準で考えられたものなのか。だれの為の評価なのか?

常に思考に優劣を着せつけることで、みんなが得をする。
そんなハズがあるわけもなく。

だからマインドフルネスという習慣が見直されたりする。 

個という単位に置いては評価など邪魔になることが多いが。それにしたがわないと何かしらのレッテルが黙ってても張られてしまう。

ゾンビがシールを持ち歩いて勝手にされを人の額に張り付けてるような社会はやはり、窮屈と言わざるを得ないものがあります。