>>43
の続きです。

私としては比較論証をして当時のイギリスの工作を証明できる話なら、春画の規制でもなんでも良かったのですが、
やはり、万人に興味を持ってもらえる話の方が、情報としても広がりやすいでしょうからね。
例えば、学校の日本史で葛飾北斎の話題が出た時に「先生、葛飾北斎の蛸と海女って作品を知っていますか。」と質問すれば、男子校なら大ウケ間違いなしです。
彼らの息の掛かった教師なら、私の書き込みを連想させるこの質問はプレッシャーになるでしょうね。
普通は馬鹿な話で流すような話を立証手段として論じるには、
芸術を理解する心と、相当な文章力が必要になります。
これを成せるのが、彼らがマネをするほど恐れる私の文章力なんですけどね。
この私の文章力こそが、私が「憎しみの連鎖」という言葉を最初に提唱した者だという証明にもなりますけどね。
私「注釈の人」こと荒谷直人が考えたその言葉をパクったイギリスの傀儡には、その言葉を生み出すに値するだけの文章力はありませんからね。
ましてや、大抵の人が笑いの種にする葛飾北斎の「蛸と海女」を、クソ真面目な芸術論で、なおかつ、今まで見たことのない斬新な切り口で論ずる事は出来ないでしょうから。
所詮、モノマネはモノマネです。
その言葉を考えた者の力量まではコピー出来ません。
しかも、私がその「憎しみの連鎖」という言葉を考え、その表現をパクられたのは、今より20年近く前です。
その後、こんな命をかけた「駆け引き」によって私の文章はその頃より、更に洗練されています。
コピーした側はコピーした以上の説得力のある文章は書けません。
それが出来るぐらいなら人のマネなんてしてないでしょうからね。
このように、自分の力量を誇るのは悪い事ではないですよ。
日本の教育過程で刷り込まれる「謙虚さは美徳」という考えは、イギリスの王族が私たち日本人を奴隷にする為に、
「礼儀」という日本人の文化を、自分たちにとって都合の良い形に書き換えて、刷り込んだ洗脳みたいなものですからね。
だから自分だけの才能、力量を持っている人は、その才能を見つけ出して大いに誇って下さい。
それも他者に、自分が支配されない為のコツのようなものです。
所詮、人生は約80年しかありませんからね。
良い形で歴史にその名を刻んだ者の勝ちです。