>>80
の続きです。

その後、ネット上における創価問題新聞の草の根掲示板での「駆け引き」によって、私は更なる情報を引き出し、創価学会の私に対しての組織的な嫌がらせを封じる事に成功するのですけどね。
その後の事は、このスレのpart1からpart3まで、いままで何度も書いているので省略します。
この20年間の「駆け引き」を書くと、私「注釈の人」こと荒谷直人の半生分だけに、相当長くなりますからね。
その創価学会が再び「駒」として動かされたのは、ちょうど、私がイギリス大使館に手紙を送り始めた頃です。
それまでは、近所の創価学会員までは使われなかったんですが、私が手紙を送ったために、そこが「本体だとバレた」勘違いした焦りだったんでしょうね。
そのタイミングで仕掛けてきたおかげで、後にイギリスが本体だと気づくきっかけになったんですけどね。
最初はボクシングにおけるジャブのような小さな騒音から、近所の昼夜問わぬ騒音は徐々にエスカレートしていきました。
ちょうどその頃、上の階の502号室の白戸さんが引っ越してきました。
その頃になると、創価学会員による騒音により一日中、寝られない毎日が続きました。
その事を警察に訴えても無駄でした。
この街における創価学会の犯罪は、全て警察によって揉み消されます。
それから、私は耳栓をして寝るようになりました。
その時の後遺症で、耳の奥は今でも炎症の状態が続いています。
その頃になると、私は母に対して「創価学会や、その背後にある北朝鮮とグルであるお母さんとは、もう親子関係を続けられない。
自分の北朝鮮関係者との繋がりを正直に話したら親子に戻る。血の繋がった親子なら隠し事はなしやろ。」と言って、絶縁状態になってました。
寝てる間に合鍵を使って母が部屋に入って来たので、私はドアにチェーンをかけて寝る事にしました。
部屋に入れなくなった母は、今度は警察に通報し、「息子が部屋で倒れている」と嘘をつき、ドアのチェーンを警察に切断させ部屋に入って来ました。
レスキューを「建て前」とした国家による「脅し」ですね。