松本清張20 [無断転載禁止]©2ch.net
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>ホント低能しかいないな。ここは
>馬鹿ばっかりだ、バーカ・くるくるパー
上の方で馬鹿さらした奴が反論できない悔しさに、八つ当たりだなw 新珠三千代か…
某宮様も若い頃新珠のファンだと発言して、渋い好みと話題になったっけ 清張はテレビプロデューサーは女優を世に出す時一発やれるんだろ羨ましいなあ
と和田勉に言ったそうだが、ただの下ネタジョークだったのか本気で枕営業を信じていたのかどうだったのか プロデューサーはわからんけど、映画監督は特権的なものはあるだろ みうらじゅんとか泉麻人とかの昭和ノスタルジーに取り憑かれた老害に清張語らせるのは止めて欲しい
どうせいつも同じような類型的なことしか言わないんだから 語る奴はなんでも自分の分野にして語るんだよな
岩井志麻子が清張を語るとホラーとして語るし、そういうのはもうあーハイハイとしか思わない 「書道教授」や「鉢植を買う女」だったか
(ドラマ版しか視てないが)父親が絶賛してたな
わりと普遍的な内容だからかな
最近、新装版や新文庫化されたりするけど
昔読んだきりだから、「家にあるかも?」って思って
本屋の棚の前で悩むな >>428
電子書籍
実は最近また書道教授が読みたくなって、Kindleで購入した 清張読みたくなると図書館に行くんだが、清張のような古い作家の本はほとんど閉架書庫で本も30年40年前に出たような古いものだから
ページがブヨブヨになったりしている
貧乏自治体だから新しい版に買い替えてくれとかの贅沢は言うまい 酒飲みの習性の描写は上手くはないな
晩酌に5合飲むとか一升飲むとか、あり得ない 最近金利の本読んだら「書道教授」が引用されてたな清張は金利や経済にも
詳しいんだね歴史古代史まさにスーパーマン 経済犯罪を描いた『眼の壁』の評判がいいのに対し
誰だったか経済小説の大家が、実際の経済犯罪はあんな生易しいものじゃないとか言っていたらしい 眼の壁に出てくる競馬場は府中だが、映画で使ったのは中山
競馬ファンには一目瞭然 『眼の壁』は活劇シーンもあるけど、大藪春彦よりはるかに上手い 清張のハードボイルド風のと言ったら『蒼ざめた礼服』があある
案外大藪辺りを意識して書いてたのか 清張原作映画ベスト3は「砂の器」「張込み」「影の車」、
(ちなみに横溝正史原作映画は「八つ墓村」のみ秀作)
野村芳太郎の海外での評価は市川崑に劣るが、いずれ逆転すると確信している。 >>438
たどったら、読みたくなって注文しました。ありがとう♪ 清張原作映画ベスト3の常識 ゼロの焦点(久我美子版) 証言 鬼畜 >>439
> 清張原作映画ベスト3は「砂の器」「張込み」「影の車」、
個人的には
・ゼロの焦点(久我美子、高千穂ひづる)
・張り込み(大木実)
・砂の器(加藤剛、緒形拳) 清張映画印象に残るシーン best3
東京タワーのエレベーターの閉まる所 (鬼畜)
2階から隣家見下ろすアングル (張り込み)
久我美子の切羽詰まった表情 (ゼロの焦点)
補欠
巡礼シーン (砂の器)
江波杏子おっぱいもろ出しシーン (告訴せず)
島田陽子オッパイもろ出しシーン (砂の器) 最近、古い邦画だが「幕末太陽伝」ていう映画を見た
これの主人公「佐平次」という男が
「天保図録」の茂平次にちょっと似てる(性格生き方キャラクターが)
映画のほうの元ネタは落語その他であり架空の人物、
天保図録の茂平次は実在の人物で、ある程度は史実に沿って書いてある
だから偶然なんだろうが、だいたい同じ時代設定でよく似たキャラクターがいるもんだと、ちょっと驚いた 「清張鉄道1万3500キロ」 赤塚 隆二 文藝春秋
この新刊本読んだ人いる? 以前このスレでその本紹介してる人がいたから読んだ人いるんじゃない? 不世出の天才である事は間違いない
誰か2代目を名乗るべきだ 井の頭線線沿いの高井戸の旧住居は何やってんの、なんか名札出てたけどよく解らなかった >>453
近くから見たことあるけれど、あそここそ、今の住人を追い出して
清張ミュージアムにすべき。
小規模な展示でも、東京なら北九州よりも絶対人が集まるから。 「現代官僚論」というのを読んだんだが、執筆当時(昭和39年)の中央官庁の人事を
実名を挙げてやけに詳しく論じている
どこから情報を得てたんだろう やっとネモの岡田離れができたのに、簡単に元には戻らんよ 清張の情報網って凄いよ
あちこちに張り巡らせ情報屋も使っていた >>458
まあ、大作家が○○の内部事情を知りたいと言えば 編集者や関係者が、手を尽くして然るべき人物を探してくるだろうからな
逆に言うと、何かの内部事情を喋りたい!っていう人物はいつも存在してるんだよな
週刊誌のスクープなども、大半は関係者のリークだろ 帝国書院100周年×文藝春秋95周年記念
「松本清張地図帖」「清張鉄道 1万3500キロ」 スペシャルトークショー!!
〜著者・編集者が”地図と鉄道と松本清張”の魅力を語り合います〜
https://www.shosen.co.jp/event/66081/ 松本清張『鬼畜』、玉木宏主演で新たにドラマ化
さまざまなジャンルで多数の著書を残した作家・松本清張(1909- 92年)の初期の短編小説を原作としたドラマスペシャル『松本清張 鬼畜』が24日(後9:00)にテレビ朝日系で放送される。主演は玉木宏。『砂の器』(2011年、同局)以来、清張ドラマは2作目となる。
清張が実話をもとに1957年に執筆した作品。善良な人間の心に悪魔が生まれる瞬間と親子の絆を描いたセンセーショナルで深い人間ドラマ。78年に映画化(監督:野村芳太郎、主演:緒形拳)、2002 年にはビートたけし主演でドラマ化(日本テレビ)もされている。
今回、脚本化するのはベテラン・竹山洋氏。演出は『相棒』シリーズでおなじみの和泉聖治監督が務める。 熱い絹(講談社文庫)
国際】シルク王ジム・トンプソン失踪の謎解きに終止符? マレーシア共産党による殺害説
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1512643445/
タイのシルク王として知られるジム・トンプソン氏が1967年にマレーシアの山中で忽然と消息を絶った事件から50年の歳月が流れ、未だにその失踪の真相は深い謎のベールに包まれている。しかし、タイの英字紙「ネーション」がこのほど、
米記録映画プロデューサーによる謎解きの記事を掲載、複数の証言などからマレーシア共産党によって殺害された可能性が極めて高いことを指摘した 『旅と女と殺人と 清張映画への招待』
上妻祥浩 幻戯書房 12月下旬刊行
日本の特撮映画と50~70年代のハリウッド映画を得意分野とする映画研究家による、清張映画完全ガイド。
常連俳優やスタッフの肖像を含め、網羅的に凝縮。図版多数。
http://genkishobo.exblog.jp/26211931/ 今日は三億円事件が起きた日だが、米軍基地をアジトに使ったという清張の説は
もう定説と言っていいのかな? 「利根の川風、袂に入れて…」年配者でももうあまり馴染みがないかもしれないがこの台詞で有名な「天保水滸伝」
これについて調べていたら、某質問サイトの或る回答がヒットした
長文で説明しているのだが、この回答者、本来の「天保水滸伝」(江戸時代の侠客の話)と、清張の「天保図録」と混同している。
ネットの質問サイトにはありがちな誤答ってやつだが 一部抜粋引用
【Q】天保水滸伝とは何ですか?
【A】天保時代(1830年〜)以前の30年程前から、江戸庶民に人気だったのは読本と呼ばれた物語です。
(水滸伝は)元々は中国の豪傑36人の架空の物語りとして書かれていたものを、日本で訳し1757年に岡島冠山によって刊行されています。
(中略)
松本清張が書いたのは、天保の改革を推し進めた水野忠邦を中心とした「天保水滸伝」。
この物語には権力慾を背景にした幕府内の駆け引きと、江戸庶民が天保の改革と称した奢侈令に混乱する姿、更に権力に入り込もうとして裏切りを重ねる鳥居耀蔵や、貨幣改鋳の役目を利用し、私腹を肥やす後藤三右衛門など、現代と然して変わらぬ物語が展開しています。
やはり水滸伝は面白い、と読まれると感心するのは、現代の世相によく似て、誰もが目先の利益を追いかけまわしている姿。
(以下略)
…………… 補足だが
本来の『天保水滸伝』とは天保15年に大利根河原で起きた侠客同士の争いを描いた講談や浪曲。(笹川の繁蔵と飯岡の助五郎)
松本清張とは何の関係もない 本来も何も題名からして違うのにね
合ってるのは天保の2文字だけだ 親の本棚にあった「黒い画集」を高校生の頃に読んだのが初体験
それ以来、ふと読みたくなる事がある 新潮は黒い画集は草と濁った陽入れて一冊にできなかったの?
上下巻でもいいけど 自分が子供の頃はテレビや新聞でよく清張の名前を聞いたな
或る時、「点と線ておもしろいの?自分でも読める?」と聞いたら、近所のインテリのおじさん(文筆業)に『中学生にはまだ無理だよ』と言われた思い出 みうらじゅんが何かの本で松本清張好きを書いていたのを思い出した ミステリーは短編よりも読みごたえのある長編が好きなんだが、
清張は短編もいいなというか短編の方が清張の本領発揮していると思う 砂の器を読んだんだが、指揮者は元警官を殺す必要なんてなかったのではないでしょうか?強請られたりしていたわけでもないのに。
そこの描写がハッキリしないんですよね。 あの過去は知ってる奴がいると思うだけでウアアアってなっちゃうほどのもんなんだろうな
その辺の心理はむしろ映画の方が丁寧に描写してるね 両親に確認したんだが、ハンセン病って事で家を出て、その事を知っている人を殺したなら、「元々ハンセン病で差別してきた人を逆に殺しにいく」っていうストーリーじゃないと、
おかしいんだよ。って言っていたんだ。松本清張の砂の器はゴミって言っていたんだよな >>476
清張の作品も、そういう『それ、むしろやらなくてもいいんじゃないの?』っていう行動パターン結構あるよ
『それ、やらないほうが平穏に生活できるのに、何故わざわざそれやるのかな?』みたいな行動ね。
主人公とかそれ以外の登場人物でも。
まあ推理小説全般、突き詰めていくと、ほころびや疑問はいろいろあるんじゃないかな、清張に限らず 田舎の人間なんて自分が有名人と知り合いだと分るとほいほい喋りまくって噂を広めるから
知られたくない過去がある人間には目障りだ 砂の器ってハンセン病抜きにしてもトリックが凄いって言うけど、トリック自体は何ら凄く無いと思うんですよね。結局時代をうまく反映しただけってオチにもなりますよね。
映画とか、「音楽」がより一層高揚させるから感動話になる感覚がありますが、ミステリーとしては至って普通。でもハンセン病を取り入れたから評価が上がったって感じにも受け止められるんですよね。 前スレで書斎ってコテさんが何度かコメントしてた菊池寛の『入れ札』、ふと読んでみた。
これなかなか面白いな
そしてやっぱり清張の作風と若干似通った点もある。
菊池寛も清張と同じく、もってまわった文学的表現をきらって尚且つ心理描写がうまい。
国定忠次と子分連中のエピソードの形だが、誰の心にも潜む弱さを描いてるし、ちょっとしたどんでん返しもある 砂の器は戦前の探偵小説みたいな文章で面白くない
点と線も古臭い文体で好きじゃない 新しい文体って何?
例えば森鴎外の初期の擬古文を現代語訳でリライトした井上靖みたいなのを
松本清張に求めてるんだろうかとふと思った 明治時代に口語文が確立して以来、新しい文体なんて物はない
まだそれから100数十年しかたってないから、あと200年ぐらい先になれば口語文も変るだろう いや新しい古いって感じかたはあると思う
自分にとっては明治の例えば泉鏡花なんか非常に読みにくい。
文体もそうだが、使っているちょっとした用語が今の感覚からすると古いし、 また生活様式も昔のことゆえ描写がどうしても古くなる。
清張の小説で昭和30年代を舞台にしたものなんかは 今の若い読者からすると全体に古いと感じられるんじゃないかな(電話を借りるとか電報を打つ等の行動なども)
それと清張は結構漢語を使っているしね(今はほとんど使われてないような漢語)
来年平成が終われば
昭和は二つ前の年号になる。つまり俺たちにとっての明治と同じだ。
世代間ギャップは大きい
日本語自体随分変化してる。文章のみならず発音やアクセント、略語、接続詞の使い方等々ここ40年でもかなり変わってきてる。 電話が携帯スマホに変ったとか行ったことは本質じゃないと思う
文化文明風俗は変る
今バブル絶頂期の作品を読んだら違和感あるだろうし 言葉は生き物だからその時代に即した文章に改変すること自体は良いことなんだろうけど
そう考えると翻訳物は新訳でいくらでも現代風にできるから得だよね 旧い時代の文章がそんなにきついかな
旧いのは旧いのでその文章自体が旧い風俗描写も含め面白いけどな
旧くても新しくても下手な文章は読みにくくうまい文章は読みやすい
幸田露伴の五重塔が面白そうなので電子書籍ポチったら、思い切り文語体であせったw
だけど、読み始めると面白くてすぐ慣れてスラスラ読めたよ 呼び出し電話とか、長距離電話がつながるまで何時間も待たされるとかいったことは
昔はそうだったんだなと思えばいいだけで、
それで昔の作品は古臭くて読めねえということにはならない >>490
> 旧くても新しくても下手な文章は読みにくくうまい文章は読みやすい
文章の読みやすさは論理構成と的確な描写、あとは音感の良さというのも大きい
作家の倉橋由美子や翻訳家の別宮貞徳といった人たちは、下手な文章を音痴と呼んでいる
もちろん、リズムだけでなく、ことばの選び方や組合せの妙もそれに含まれている
方丈記、風姿花伝、奥のほそみちなど歴史に残る古典は、文章に独特な音楽的魅力を備えた
読みやすいものが多い
谷崎潤一郎 『刺青』 の書き出しも、そういった読みやすい名文のひとつ
其れはまだ人々が「愚(おろか)」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように
激しく軋(きし)み合わない時分であった。殿様や若旦那の長閑(のどか)な顔が曇らぬように、
御殿女中や華魁(おいらん)の笑いの種が盡きぬようにと、饒舌(じょうぜつ)を売るお茶坊主だの
幇間だのと云う職業が、立派に存在して行けた程、世間がのんびりして居た時分であった。 >>491
それはある程度年配者の感覚だろ
またその読者個々の文学的感性にも拠るだろう
おたくが『こう読めばいい』と言ってもそれが万人に通用するわけではないよ >>493
その谷崎の文章は、よく谷崎を語る上で引用される部分だし、確かに名文だとは思う。
でもそれを感じとるのも読者の文学的素養次第なんだよね
五木寛之が昔エッセイに書いてた
『いくら古典が素晴らしいとか古典を読めとか言っても、その古典を理解したり味わうことのできるのは、知識教養のある一部の人間でしかない』(正確な文章忘れたので大意) >>495
知識や教養も最初から持ってる人はいないから
古臭いのは最初からだめって切捨てないで、読んでみよう慣れようって姿勢も大事だと思うんだよね
読書だけじゃなく、ゲームやスポーツや絵みたいな趣味だって楽しめるまでにはちょっとした修練もいる
それができない奴は、あまり楽しい人生は送れない >>494
491さんが年輩者だったら「昔はそうだったんだな」じゃなくて「昔はそうだった」だろw
逆に俺みたいな年寄りが若い人の(ラノベ的?)文章読むのはきついと思ったけど
これも、下手な文章は読みにくくうまい文章は読みやすいというのは一緒だった
若者の恋愛にあまり感情移入できないので、そちらの原因で読みづらかったけどw 砂の器の文章は名文でもなんでもないんだから古典的名作と同列に扱えんだろ というか、>>484以降の流れで言うと、文章の善し悪しや読みやすさは、
それが書かれた時代や言葉の新旧とは、あまり関係ないという話だね 砂の器の「文章」を話題にするなら、
ここまでなぜ、誰も口述筆記の話題を出さないのかが不思議(単に知らないから?)。
まず、口述筆記作品(砂の器、球形の荒野など)とそれ以外の作品(点と線、ゼロの焦点など)で
明確に区別する必要がある。
口述筆記による作品は、濃密な描写というよりは、語り口調に近づくし、
文章の点で言えば、より読みやすく大衆的になっているのは事実。 清張の口述筆記について、
文庫の解説などでもほとんど取り上げられていないのは何なんですかね。
その結果、読者側で、自筆作品と口述筆記作品の区別がついていないように見える。
口述筆記は代作(=文章自体他人がこしらえる)ではないのだから、別に不名誉なことではないし、
清張作品の文体に興味を持つなら、むしろ知らないと恥をかく類の、前提知識かと思う。 >>484はそこまで、厳密な話をしてないと思うがな 口述筆記以前の長編も濃密な描写じゃないよ
点と線とか眼の壁とか読んでたらわかるでしょ 『文体』でスレ内検索するといろいろ出てくるな。
例えばこれ↓
>>75
> ちょっと出来ない事だとも思うんだけど
> 清張の小説、勿論傑作も多いし素晴らしいものが多いけど
> さすがに文章がもう古臭くなってやしませんか?
>
> さすがに50年以上経過してるものは現代用語にしては?
>
> 「ゼロの焦点」の一部をあげても
> 「−来てかがみ接吻した」
> 「−の吸い方は激しかった」
> 「君の唇は柔らかいね まるでマシマロみたいだ。夫はそれを賞翫して言った」
> などなど一部読んでても、とても読みにくく古臭い表現が出てきて
> 若い人が読んだ時、硬質な文体と伴って清張作品を読みにくくしてるような・・
>
> 漱石や谷崎の文章なども今は現代文字に置き換えられている
> 清張作品はまた翻訳とは異なるけれど、最近、村上春樹ではないけれど
> 「50年経てば表現は古くなって当たり前。現代に新訳されるべきも当たり前のこと」
> と語り、クリスィー、フェッツジェラルド、チャンドラーなどは新訳されて発売されている
>
> 清張の素晴らしい作品の数々を若い世代にこれから残すためにも
> 若干文章の書き変えは必要な気がするのですが、やはりこれは小説への冒涜になるのかな
>
> どうも周りには清張はドラマで見るのはいいが小説は難しすぎると言った人達がいたりするのですよね
> 稚拙な文章にするのではなく、どうも古臭い文体は変える方がとも思うのですかどうでしょう 今60年前の清張のような文体で書いたら少し古く感じるかもしれないが
60年前はそれが普通だったので、文体が古いとかケチ付けてる奴はおかしい >>505
>>75はトンデモすぎるからスルーした方がいい意見だと思うけどね
翻訳ものや戦前の旧字体と清張のような戦後の小説の文章を一緒にしてる時点でもうね
漱石や谷崎は旧字体を新字体にはしてるけど、文章を変えられたわけでもないし
そんなことが許されるはずもない あーもーうるさいわね
文体が古いとかいちいちケチ付けるんだったら
新人の新刊だけ読んでればいいでしょ オマエラが松本清張の天才性を理解できないのはよくわかった。
三島由紀夫がビビッて小便ちびった天才性を 「隠花平原」読んでるのだけど、一つ違和感
探偵役の若い画家が長い髪をしていて、その「長い髪だけで」画家と知れてしまう描写がある
ミュージシャンとか売れない小説家とか色々あるだろうに、なぜ画家と特定されてしまうのかがわからん
1967年連載だから、俺はこどもだったけど、当時画家限定の髪型があったとも思えん それとは関係ないが、手塚治虫の自画像みたいなやつも、ベレー帽じゃなかったか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています