松本清張20 [無断転載禁止]©2ch.net
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共犯者
恐喝者
という短編を続けて読んだが、どちらもいい加減なオチでわろた
でも、途中のリーダビリティはある >>847
そこの作品全部読んだわけじゃないけど納得だわ
あと「けものみち」とか完読出来なかった
たしかに短編は良いよ
>>848
映画化=その作家の代表作ってことになってしまうんじゃない
でも清張さんは、映画の方が良い場合が結構あるからね 清張長編好きだけどな
90年代頃から分厚いミステリーがよく出る以前は分厚いミステリーと言えば清張で読み応えがあって
いつまでもこの世界に浸っていたいと思ったよ >>852
俺は清張の時代物が好きなんだけど、かげろう絵図なんかも厚さにわくわくしたな
西海道談綺は長すぎて薄いのが8巻だったのが残念w >>848
映画は名作だけど、小説の方はどう
かな、ちょっと変な設定があるし。 最近清張の代表作の映画を見たんだけど、
「点と線」「ゼロの焦点」「砂の器」の中では抜群に「点と線」(1958年)が駄作だった。
2007年のビートたけし主演のテレビドラマの方がずっといい。
映像化スタッフの力が大きいんだなと再確認。 まああれはたった85分だし、最初から原作のダイジェストでいいや感があるよな
ストーリー自体はたけしのドラマの方が圧倒的に重厚で良い
でも映画は原作小説の発売の同年にすぐ作られた事に価値があると思う
小説内に書かれてる1958年の日本の風景がそのままリアルタイムに映像で、
しかもカラーで見れるという、資料的に高い価値がある
ゼロの焦点だと映画化は原作の3年後と近いがモノクロ
砂の器はカラーだが劇中設定が原作の1960年から
1970年代半ばに変更されちゃってるし 黒い画集収録の「凶器」について
http://d.hatena.ne.jp/trivial/touch/20140104/1388803970
清張の参考は従来囁かれてきたロアルド・ダール「おとなしい凶器」ではなく、
バロネス・オルツィのレディ・モリーでは?という説 長編であっても頭の出だしを考えたら筆を執って書き始め、
書いているうちにお終いまで何とかなっていた清張だった。
ところが、晩年は途中で行き詰まって四苦八苦することも多くなっていた。
清張が、清張宅を訪れていた橋本に尋ねる。
「橋本さんはシナリオを書くと決めたら、最後まで決めてから書かれるんでしょう?」
橋本が応じる。
「途中で考え込んで時間がかかったら、
忙しい俳優さんのスケジュールまで狂ってしまうから、
形は最後まで決めてからでないと、仕事にかかれません」
わが意を得たりとばかりに、清張がつづける。
「だったら僕のために、小説の構成を立ててください。
僕がその構成の通りに小説を書けば画期的なものになるような気がします」
橋本は思わず膝を乗り出し、
「構成・橋本忍 小説・松本清張か。これはいける!」
と、声をあげていた。清張の顔も晴れ晴れとしてくる。
先行する橋本が、あれこれと材料探しに取りかかる。
普通のものでは面白くないとのことで、
日本の最古代、太平洋のまっただ中で海底火山が爆発し日本列島が海から現れる、
日本の創世からはじまる物語を考えていた。ところがそこで、病を得た清張は急逝してしまう 清張が自分の映画化作品で出来の良いものに
影の車を挙げてなかったのがちょっと意外だった
これこそ原作に完璧なまでに忠実で、忠実過ぎて
小説を読まなくてもいいんじゃないかって思えるぐらい
むしろそれだから挙げなかったのか? >>861
まったく同じなら、逆に映画を見なくてもいいんじゃないかだからじゃね?
まあ、岩下志麻を見る目的はあるわけだが(俺の場合はそうだった) >>861
そんなに忠実だったあれ?
例によって原作相当膨らませてる印象だけど 影の車ってよく分からないのは
どうして題名が「影の車」なんだろう?
原作の題名は「潜在光景」だと思うが… >>864
そもそもが「影の車」という名の短編シリーズを婦人公論で連載していて、
「潜在光景」はその中の一編だった
短編集として単行本化した時もタイトルは「影の車」
ちなみにその中に「影の車」という題の短編は無く、あくまでシリーズ名
映画のタイトルにシリーズ名をつけたのは単純に「潜在光景」より
「影の車」の方が映画のタイトルとして映えるって判断だろう
別にあの映画って車が重要な意味を持つわけじゃないから
上記の経緯を知らない人には意味不明だけど 清張お得意の連作短編ってやつだな、「黒い画集」みたいな感じの。 連作短編って登場人物や環境設定が共通している短編を繋げて一つの世界にしているようなもののことだから
清張の場合は単なる短編集だと思う >>867
あとで組み替えて出版したりもしてて割と無頓着だしな
純然たる連作短編は「絢爛たる流離」とかちゃんと書いてる 『家紋』読んだ
これって実際にあった事件がモデルになってるんだな。そしてそれが都市伝説『赤マントの怪人』の元ネタ
なんだそうな 清張全集、善意で復活 全国のファンが寄贈申し出
https://web.smartnews.com/articles/frduTQs7WEi
北九州市立中央図書館(小倉北区)で、9月に盗難に遭い書架から姿を消していた「松本清張全集」(66巻、文芸春秋刊)が善意の寄贈で1セット全てがそろい、1日、約3カ月ぶりに書架に並んだ。
報道で清張の出身地・小倉での盗難を知った全国のファンから寄贈の申し出が相次いでいた。 それほど希少価値ってわけでもないよね
BOOKOFFなんかでも歯欠けだけど時々見かけたりするし 西郷札のラストは雄吾が第三の選択をしたことになっているが
それが曖昧すぎて、どんな結末だったのか予想が難しい。
塚村に直接的な危害を加えた事実がないことになっているから
雄吾と季乃が駆け落ちしたのか?
妻に不貞を働かれた塚村がそれだけで没落するとは考えにくい。
二人が派手に心中して、なおかつ塚村の計略を暴露したら
流石に塚村も面目を失い高級官僚の地位から転落するかもしれない。 神奈川近代文学館特別展「巨星・松本清張」
2019年3月16日(土)〜2019年5月12日(日)開催
本展では、北九州市立松本清張記念館をはじめとする関係者の協力のもと、
約400点の資料で清張の多彩な作品世界を展観します。
https://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input[id]=92547 今日は松本清張の生まれた日。
本当は同じ1909年2月12日らしく、届出の関係で今日になっているようだ。 生まれた日の十月十日(とつきとおか)前だから、届け出というよりは仕込みの関係では.... 昔は実際の生年月日と戸籍の生年月日が違うのはよくあった ドラマで多少脚色するのは良いけど人物の性別まで変えないで欲しい 俺は面白くなるならどれだけ変えてもいいと思うけど
女どうしの対決にするのは岩下志麻と桃井かおりの真似だからなあ
山田風太郎の魔界転生の映画版で深作監督がラスボスを天草四郎にしたのを、以後みんな真似してるのと一緒
疑惑も最初の映画版がそれだけ良かったってことだろうね 『疑惑』は悪女キャンペーンを張った新聞記者が、悪女が無罪になって復讐されることを恐れ
精神がおかしくなるというところがキモだから、女の対決とかどうでも良いんだけどね
むしろ新聞記者役を女に変えたら どうでもいいことを踏襲するのは、TV的には女対決はどうでもよくないんだろう 「顔」も最初の映画版は主人公が女だったが性別だけじゃなく
ストーリーまで改変してクソ化してたな
あれが清張映画の記念すべき第一作なのって汚点だと思う
TVドラマ化も何度もされてるが、やっぱり女主人公に改変したものが多くて、
戸田菜穂版とか松雪版なんかは原作に忠実なので悪くないし、
むしろ女に変えた事で面白くなってるが、疑惑と違って女改変が
あの映画版の功績と考えるのは複雑だな
ちなみに珍しく原作通り男でやった谷原章介版は未見
観たことある人いる? 女の情念みたいなものを打ち出せば受けると思ってるみたいだね最近の清張ドラマ制作者は
清張作品はは男の世界でもあるんだけどそれが等閑視されている >>888
大昔だが、山崎努がやったのは見たことある
あの印象的な顔を生かしてて、面白かった
大昔なのに、突然顔をあわせてしまった固まる山崎努の表情をよく覚えてる 「顔」と「巻頭句の女」と「家紋」はつべの朗読で聞いた。ぜんぶ良かった。 「この秘密がバレたら破滅する」みたいなパターンが清張は好きだよね
秘密を守る為にさらに犯罪に手を染めて泥沼に落ちてゆく感じ
それを捜査側の視点から書く時も、犯人視点から書く時も、どっちも上手い 「顔」や「遠い接近」とか殺す相手をどこかに誘導しようとするって
やり方多い気がする。 TVの犯罪ドラマは相変わらず断崖での罪の告白シーンが多い
こうした部分的なシーンで著作権料が徴収できたら相当な金額になると思う 断崖絶壁でのクライマックスは清張自身の発想ではなく
最初にやったのは『ゼロの焦点』の映画化の時でしょ 「砂の器」の代表的イメージになっている巡礼も映画版だしな 東野圭吾の『祈りの幕が下りる時』が現代版『砂の器』だと言われているけどね
確かに華やかな現在の境遇から過去を隠すための犯罪というのが『砂の器』に通じるんだけど 俺も、過去の悪行がバレやしないかと内心穏やかではない。
一流私大を出て大企業に入り、出世街道まっしぐらで将来の
重役の座がようやく見えてきた今なのに・・・
・・・・というパターンのストーリーは、誰でも一度は
考えそうだよね(笑) 正体がバレないかハラハラさせるというのは応用範囲の広い手法だよね
下は魔法少女ものの古典 「魔法の天使クリィミーマミ」 第5話より
あぶない!? マミの秘密!
https://www.youtube.com/watch?v=vSiWVi1lgig ブルックナーは「計数マニア」だったか - 松本清張『数の風景』より
http://kj-books-and-music.hatenablog.com/entry/2019/01/18/004704
自分は「数の風景」は読んでいるし、ブルックナーの交響曲もソコソコ知っている手合だが、
ブルックナーの計算狂説にクローズアップした言説というのは他にほとんど見ないので、
確かに奇異な印象はあった。
「数の風景」以外で、日本でこの説を話題にする人は殆どいないが、英語検索では出るのだから、
ひょっとすると英会話の出来た清張は、シェンツェラー以外に何か確信させるネタを聞いたのかも知れない。
「数の風景」の取材先が飯守泰次郎だったことは初めて知った。 「数の風景」で些か腑に落ちないのは、クラシック音楽マニアの扱い。
「数の風景」の落ちを明かすことになるので具体的に書けないが、
ああいう書き方、クラシック音楽ファンは苦笑するしか術がないんじゃないですかね。
キチガイじゃないんだから。 計算狂の女なら『Dの複合』にすでに出ているのでネタの使い回し 《超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪首謀者の実名と住所/死ねっ!! 悪魔井口・千明っ!!》
【要注意!! 盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪工作員】
◎井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
【超悪質!盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所/井口・千明の子分たち】
@宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)
G肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2 清張原作のドラマって誰が演出をやろうが脚本をやろうが、一定のレベルの
面白さは保障されてるのが凄い
テレビ向けにかなりアレンジされていても、原作の骨格の部分が面白さのツボを
きちんと押さえているから
だから半世紀以上もドラマ化が途絶えないという 「時間の習俗」はなんでコケたんだろうなあ
原作を読んだことは無いけど、タイトルはいかにも面白そうなのに
「フジテレビ100周年記念」とかで、
製作者のほうも気合入ってた訳でしょう まあ、今のフジテレビじゃ何をやっても駄目、という事なんだろうなぁ。
何せ、比較的視聴者が多いと思われる正月特番なのに、2%とか叩き出し
ちゃうクソっぷりだからな(笑) ググったけど、「時間の習俗」のドラマはフジ55周年記念で2014年4月にやった内野聖陽主演のか?
正月特番ってのは今年? 時間の習俗やるなら、たけしと高橋克典の点と線コンビでやってほしかった 清張作品は抽象的なタイトルが多くてどういう話だったかぱっと思い出せなかったり混同したりする 『数の風景』読んだ。不覚にも初読。
大きく三つの専門的世界をバックボーンに(知らない世界のことゆえ勉強になった!)
それが錯綜展開しつつ謎解きへと集約してゆく手腕はやはりさすが。
当初は連作短編の構想だったらしいので、その形でも読んでみたかった。 >>914
漢字二字の熟語多数で混乱
中島みゆきの曲なんかもそう 今度の日曜スカパーのホームドラマチャンネルで「脊梁」やるよ。無料放送。池上季実子のやつね。知らないけど、面白い? 清張作品にも「小説三億円事件」みたいなそのものズバリのタイトルものもあるんだよな 「小説帝銀事件」「高校殺人事件」「アムステルダム運河殺人事件」 浮気調査を依頼された興信所の調査員が
現場宅にトラックを突っ込ませ
浮気相手が飛び出してくるかどうか試してみる・・・
んなアホな テレビが弱くなったと言われる昨今だからこそ
思いきって「黒字の絵」をドラマ化してほしいな 常に読者の裏をかく二コだから球技大会の続きもありそうもない気がしてきた
何をやるかといえば進路を決める業者テスト回かな 「ミステリと東京」の著者、川本三郎の新刊
『松本清張の時代 昭和・犯罪・格差社会』 3月22日発売予定 毎日新聞出版
https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784620325798 「砂の器」で質問なんだけど
なぜ和賀英良は三木を殺してまで父親に会いたくなかったの?
本当は会いたかったんでしょう?
そのへんの心情がよくわからない >>925
発症してるのがわかったら
本人だけでなく、身内すら村八分になる難病
その病気にかかっている病人に息子が会いにきた
しかも有名人
多分、話題になるけど難病の病人の身内というだけで
芸能界(芸術の世界)で忌避され、周りから人が去っていき引退に追い込まれそう 映画だと丹波哲郎が「三木は和賀の前身を軽々しく口外するような
人物ではありません」って台詞があったんだよな
あれがあったから余計になんで殺したの?って疑問が湧くんだが、
延々と流れる音楽と巡礼シーン、緒形拳の老三木の「すでお、何故だ!」の迫力、
最後の丹波の「彼はもう音楽の中でしか父親に会えない」で
強引に説得させられた感じだった
原作では丹波と緒形の台詞、どっちも無かったから、
普通に三木がペラペラ喋りそうだから殺した、で納得できた でた物語もラスト付近で
たまたま刑事が裏に住んでいたとか 普通の意味で三部作ではないけど、最も有名な3作というのは間違いないね
クリスティの有名な代表作はアクロイドとそして誰もとオリエント急行というのと同じ意味で
有名なのよりもっと面白いのがあるのも一緒 砂の器で和賀がやっていた音楽は原作では前衛音楽のミュージックコンクレート
だからああいうトリックが成り立った 三木に事情話すよりも殺すほうがマシなくらい恐怖だったのか 原作は事情話せばいいじゃん、で終わりだが、映画だと親父に会ってしまうと
メンタル的に「宿命」を完成させる自信がなくなる、とも解釈できる
じゃあ曲が完成してコンサートが終わった後に会うと約束すりゃいいじゃん、で、終わりだがw
原作・映画どっちも納得させるとしたら、三木が正義感強すぎるあまりに
「親父さんのためにも自分は本浦千代吉の息子、秀夫だと世間に
堂々と公表するべきだろう」と、迫られたとしか
そういえば映画スレでは三木にゆすられたから殺した説を執拗に唱えてた奴がいたな
そういう妄想がまだしも成り立つのはむしろ原作な気がするが 映画は緒形の勢いからすると親父に会った後も引き取るとか今の親族に紹介した方が、とか色々言い出しそうな感じはした
人がいいだけに 原作での和賀の専門は前衛音楽のミュージックコンクレートだから
後の映像化作品のようなありきたりなクラシック的音楽ではなかった そう思うと映像化作品は原作を通俗的に顴骨堕胎したに過ぎないんだなとよく分る ソウトコワレシイイのネタで敷かなかった一作目を現代風雨に調理したのは同だ
新たな樹上者があったろう >>938
>顴骨堕胎
換骨奪胎なんだろうが、なんかカルト宗教のやばい儀式みたいですごいな リメイク版制作するたびに曲を新しく作っていたか気になったりしています。 とりあえず中居版は映画のリメイクなので題名はそのまま「宿命」だが、
曲そのものは映画とは別の曲を新たに作った
仲代達也版と玉木宏版も観たけどどうだったかな… 和賀が陳腐なクラシック風音楽を作る奴だったら
ヌーボーグループなんて前衛芸術家集団なんかに入らないよな >>934
島崎藤村の破戒と同じだよな
秘密の暴露=社会を追われる >>943
まだ一行も読んでないが、タイトルと作者が女ってだけで
清張作品の女は頭カラッポの男に都合の良いコマでしかないじゃない!
女をただの道具としか見てないのよ!
これだから昭和の男は許せないわ!!
みたいな内容を想起するのは偏見だろうか レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。