【金字塔】横溝正史Part9
今、ブラム・ストーカーのドラキュラを読んでるが、
やたら日付に「◯月◯日の間違いか?」といった註が入る
真珠郎にもドラキュラにも事前にチェックしてくれる優秀な校訂者がいなかったんだろうな
アリバイ崩しみたいに日付が肝でもない限り、気にしないようにはしてるが、モヤモヤはするw ネットで検索すると真珠郎の冒頭の生原稿が閲覧可能ですが
原稿の文字を見るに速筆といいますか
読むのにちょっと時間が掛かる原稿ですね
植字の際に読み違えた可能性はあるのかも? >>661
以前ここで出てたのに「大正二年」を「大正一一年」って誤読説もあったな。
元々『真珠郎』は没になった『死婚者』(昭和8年)をサルベージした作品なので、
この関係で舞台が昭和8年(1933年)設定なら、
・大正2年(1913)+21=20年前だが、横溝先生時々数えで年を計算するので基準年=1年目なら合う。
ただ、これでも遊女が切られた事件とのつじつまが合わなくなるが。 >>664
>横溝先生時々数えで年(注:年齢の意味ではなく年代)を計算する
それか! 前々スレで言われてた「年代が合わない」謎が解けた。
『八つ墓村』
・要蔵の凶行は26年前の4月下旬と言われているが、辰也は大正11年(1922)9月6日生まれなので最低でも翌年のはず。
辰也は本編部分で数え27歳なので本編部分は昭和23年(1948)の5月25日から3か月ほど。
→最短の大正12年4月でも25年後では?
→事件のあった大正12年が1年目(数えなので)、13年1月1日からを2年目と数えるなら昭和23年は26年目。
あと『心』も確認してみたけど、
・昭和12年(1937)の話です(冒頭で明記)
・そこで「大正5年(=1916)7月26日」を「22年前」
→21年前じゃね?
→大正5年が1年目、大正6年1月1日以後を2年目とすれば昭和12年は22年目。 >>667
それが他の本も調べてたら『迷路の花嫁』で「日数」のカウントが数えのもあった。
落ち葉だまりの穴から2人目の死体が見つかった際に、新井刑事がそこは前調べたけど何もなかったと言い、
調べた日を「事件があって四日目、五月二十九日のことです。」って言い切る(「落ち葉の底 4」ラスト)のだが、
事件は「五月二十六日」(「破鏡 4」のラスト)。
5月26日→1日目、27日→2日目、28日→3日目、29日→4日目ってしてないと計算が合わん。 四日目なら、29日で正しいんじゃないかな
四日後なら、30日 列を作っている集団に対しての、「先頭から3人目」とかもそう 東京駅から3つ目の駅──
こんな場合は、東京駅をカンウトしないなあ それは無意識のうちに「東京駅(を出て)から」としてカウントしているから
乗車していれば、動き出す前と動き出してからの状態が大違いなので、なおそう感じるもの
地図を眺めながらなら0,1両方の感じ方があって、その食い違いをトリックに使えたりもする 「東京駅から3番目」を
乗車感覚で捉えれれば「東京駅(を出て)から3番目」となって0起点
単に図上の点として捉えれれば「東京駅から(数えて)3番目」となって1起点
そういった違い 鮎川哲也のある小説で「n日の夜」というのがn日の午前未明と午後深夜の、
20時間以上離れた双方を指していたトリックがあったな。
しかしこれ、狙ってやるには無理がある(証言者は無関係の人物で偶然言っただけ)ので、
知らない間にアリバイが成立してたとかにしないといけないけどな。 常日頃の言動からどちらの感覚の人間であるかを把握していれば
意図する方向へ誘導することは可能だろうけれど
警察が目掘り葉掘り証人に質問すれば結局は実状が明らかになってしまう
かといって、証言後に証人を始末してしまえば怪しまれるだけだし
鮎川作品には、そういうトリックが結構あって
例えば「竜王氏の不吉な旅」など、警察が証人に【メ欄】を見せさえすれば
あのトリックは一瞬で崩壊する(長編化が断念されたのは、おそらくそれが理由)
スレ違なのでここまで 横溝作品だと『蝶々殺人事件』の最後の殺人に似たようなツッコミあったな。
犯人が「あること」をしている最中に偶然最後の被害者に出くわしてしまい、
口封じで突発的に殺したはずなのにわざわざアリバイ工作してから逃亡。
だからか『探偵・由利麟太郎』だと、別の人を狙ってたことにされ、
成り行きで殺ってしまった被害者に本命用のトリックを代用で使用になってた。 まあそこは、本命に対する二段構えの計画だったとでも脳内補完して
(【メ欄】のも犯人だったので) 個人的にちょっと気になったんだけど、八つ墓村の鍾乳洞の事を書いた歌って誰が書いたんだろう? 最初に書いたのは隠した落武者に違いないだろうけど
その後は村の長に代々語り継がれ書き継がれてきたんだろう
(長年のどこかに発見者がいて独自に書き残したという可能性もあるだろうけど
いずれにせよ旧仮名で書かれていたはず)
ここら辺も脳内補完が必要なところ >>680
それ最初に考えたんだけど「宝の山」って堂々記載あるなら、
田治見家の人たちが取っちまわないかな?
それとも知ってても落ち武者の怨霊を起こしたくないと手を出さないでいたか?
(案外竹&梅に要蔵が殺されたのはこれだったりして。) 鍾乳洞の地図と御詠歌が書かれた紙は麻呂尾寺に伝わっていたらしいから麻呂尾寺のずっと前のお坊さんが書いたんじゃないの?
お坊さんが知的好奇心から財宝を探して見つけたが僧侶故の無欲さでそのまま手をつけずにいたとか? 落武者の殺害直後に鍾乳洞を探っている者がいたというので(「発端」より)、地図と歌はやはり落武者が遺したもの。
(当時は文字の読める者は限られていたので、他の村人たちには別の場所を探させて、その間に独り占めしようとしていた者がいた)
が、落盤のため死亡(同)。同時に宝への道も閉ざされた。
宝を独り占めすべく何年、何代にも渡って落盤箇所を取り除いていくが、その間に地盤の侵蝕により宝の手前の床岩が削られ、宝は人の目に触れない高みへ(「黄金の雨」より)。
ようやく地図どおりの場所へ辿り着いた時に見つかったのは数枚の大判のみ。うち三枚は猿の腰掛に収めた(「その後の事ども 三」より)。
ここでもまた落盤があったか、落盤箇所で死んでいたのは僧侶で(「その後の事ども 一」より)、相棒がいたらしい(「大団円」より)。
その相棒が、宝は既に持ち出されてしまったと考えたのと、祟りを恐れて地図と歌は寺へ奉納。以後、探す者はあっても宝は誰の目にも触れられずにきた。 現実問題、いま戦国時代の財宝なんてのを個人が発見したら全部独り占めできるのであろうか 映画「ベニスに死す」に起用された、“世界一の美少年”。
あんなの見たら惹かれはするけど、肉体的な欲情は起きない。 >>684
それもだがそもそもどうやって換金するのだろうか? >>683
出典ありがとう。確認したら確かにそういう記述があった。
・・・まさか冒頭の「突然、落盤のためにあえない最期をとげた」が、
超重要な伏線だったとは思いもしなかったわ。 『八つ墓村』というと、どうしてバレバレなのに「大正×年」「昭和二十×年」なのかと思ったら、
出版芸術社の横溝正史自選集の『八つ墓村』の解説に、
「(連載時は大正十二年と昭和二十三年と明かしてあったが)初刊本以後伏せ字になった」
「原因は年代や主人公の年と合致しなくなるからだろう」ってある。
理由について「横溝氏が『何年生まれあるいは何年に何歳ということでそれから一つ二つと数えていく』と語っていたこと」
「大正→昭和の改元が急で『新青年』にも大正十六年表記の雑誌があった」ということから、
横溝正史が昭和元年は大正十六年にあたると誤解してたんじゃないかだそうな。
で、納得して読み直してたら本文の森美也子が初登場したところで諏訪弁護士曰く。
「(美也子が八つ墓村に居ついて)もう何年になるかな。終戦の年からだから、足かけ四年か。」
やはりこれは横溝先生が昭和20年を「1年目」と数えているのではないでしょうか・・・? 「足かけ」は起点も終点も1とする数え方
今日から来年の元日まででも「足かけ2年」になる クリスマスすぎちまったけど、
『悪魔の降誕祭』で最初の被害者の志賀葉子は、毒殺計画に気が付いて金田一に相談に来たのに、
金田一が戻る前に来た(メル欄)を室内に入れてそのまま一服盛られて死んでいた点がよくツッコまれるが、
これってやっぱり葉子は毒殺犯を関口たまきと勘違いしてたって設定なんだろうか?
これなら(メル欄)を逆にたまきの標的だと思っている可能性が強いので金田一が説明してた、
「(メル欄)が訪ねてきたなら入れざるを得ない」っていう説明もつじつまが合うし。 >>690-691
>「足かけ」は起点も終点も1とする数え方
辞書で確認してみたらそうだった、勘違いすまん。
勉強になったわ。 >>694
・昭和の6年だったか7年に占い師に「心臓に不吉あり」と言われ延命祈願。
・昭和8年に喀血し「ヨコセイも年貢の納め時」と仲間に言われ、翌年から結核療養生活開始。
・昭和24年に結核再発し「あの世に旅立ってたかも」と後に本人が語るほどの危機。
これだけやっておいて死んだのは1981年末に結腸癌だったという。
まさに「人間なんで死ぬか分からん」を体現したお方。 『八つ墓村』でちょっと気になるんだが、角川文庫の表紙にいる印象深い老婆は何者?
(小竹or小梅を単独で描くのはなんか変な気がする) >>698
そういえば髪が影で見えてないから尼もありか。 原画は髪の毛あるね
小説は読まずに描いたらしいから>>697が正解っぽい 一文『真珠郎なあ・・・まあええ、おっぱい描いたろ』 >>702
逆に映像化で濃茶の尼に髪の毛ふさふさが多いのはなぜなんだろう?
古い作品は分からん(51年度版はそもそも尼じゃなくて巫女らしい)が、
ウェブ検索で確認したら77年度版(演:任田順好)以後全員フサフサ(ボサボサ)頭ばかり。 表紙の老婆の唇は兎口には見えないので濃茶の尼はちょっと考えにくいような
と言って小梅小竹姉妹の髪は真っ白とあり表紙画の髪は白髪はあるものの真っ白?にもあまり見えないような(耳元の髪の毛)微妙な感じ 髪の手入れなどしないボサボサ・ザンバラは、狂人にふさわしい 八つ墓村でよく考えると潔い展開。
1:殺人事件の主要容疑者の久野先生が逃げる
2:いろいろあった末洞窟で遺体発見。しかし腐ってて顔が分からない。
3:くっそわざとらしく紙片が置いてあり、久野を殺した主旨が記載。
Y先生
「探偵小説のトリックに顔のない死体ってのが(中略)被害者と犯人が入れ替わっている。
だからこういうのが出た時点で被害者だと思われてるのが大抵犯人だなって予想が付いちゃうんです。」
→死体はマジで久野先生でした。
この1件だけ人相不明の死体なので、何か怪しいなと思ったらなんでもなかったw ニンテンドーDSで『八つ墓村』のアドベンチャーゲームがあるのだが、
OPだけ見ると要蔵がバッタバッタ村人を倒していくという
『キラー7』のようなアクションゲームに見えてしまうという怪作。 仮面舞踏会の最終盤で、少女が青年に向けて発した「あるとあらゆる露骨で猥褻な言葉」とは、具体的に何だ? >>709
その前の時点。事件が進行形のとき。
逃げた辰弥を追って、村人も洞窟探索。その際に発見されるはず。
そしたら、袋叩きか。 要蔵ばかり有名なせいでクライマックス的な部位に出てくる周さんの、
「白髪頭で向こう鉢巻きに鶴嘴と龕灯提灯装備」の殺人鬼(未遂だが)は、
いまいち映像化に恵まれない気がする。 >>715
言われてみると吉蔵は結構出てくるんだが周さんだとはっきり分かる人は記憶にないな。
調べたら96年版に「博労の周平」(演:保木本竜也)ってのがいたけど、
周さんがアレンジされたというより名前が似ている別人だよな・・・? 稲垣版では、竜也の辰弥が村人大勢に追われていた。
あの中に周もいたのだろうけど。 作品ネタバレになるんだけどさ、
「探偵小説の構想」っていう横溝先生のコメントで、
「私は今まで金や財産目当ての殺人というのを書いてないので(中略)、
『犬神家の一族』ではどうせやるならと莫大な財産にした。」ってある。
戦前のマイナー短編とかは忘れてても仕方ないかもしれないけれど、
犬神家の少し前の『八つ墓村』は財産目当ての殺人じゃないのかな?
あと金田一物に限っても「蝙蝠と蛞蝓」は金をめぐっての殺人だったが、あれはちがうのか? 『八つ墓村』の動機を財産目当てとしか読めんやつは読解力なさすぎ >>719
「慎太郎を結婚する気にさせる」が最終目的だけど、
「〇〇のために金が要る」のは十分金目当てじゃないのか?
例えば、乱歩の『パノラマ島奇譚』の犯人は最終目的は「パノラマ島を作る」だけど、
「金目当てで死んだ富豪に化けて財産を横取りした」と言っても間違いじゃないでしょ。 こいつ、エンジェル家の殺人(三角館の恐怖)も「動機は財産目当て」で済ませそう 横溝先生は随筆を多く遺されているので先生が作品をどのように捉えていたのか知ることができて興味深いですね
犬神家の直前に書いた長編の八つ墓村のことは失念されているはずはないだろうと思うので先生は八つ墓村は金目当て遺産争いというよりは人々の怨念や因縁あたりが主題と捉えられていたのではないかと
いやどう思っていらしたのかなんて、先生御本人でないと分からないですがね
蝙蝠蛞蝓のほうは短編ですからねえ、気合いの入った本格長編では書いてないなあ、ということなのかもしれませんな、いやどうなんでしょうね
横溝先生は古い作品を改稿して新しい作品に仕上げることもありましたから犬神家の原案構想を執筆以前から温めていたということもあるのかなあ いわれてみると獄門・八つ・犬神って、
全部「犯人が望む人間を名家の当主にさせたい」が直接動機なんだな。
で、当主にさせてどうしたいのかは三者三葉。 犬神家と言うと佐兵衛の遺言「菊乃に乱暴狼藉を働いた松竹梅トリオへの嫌味」ってされているんだが、
よくよく読み返すと原則的に佐清が継承者になる設定だよな。
(静馬がすり替わったりするなどといった状況はいくら何でも佐兵衛の予想外)
基本:珠世が選んだ孫(清・武・智)のうちの誰かが全額継承。→珠世は元々佐清と仲が良かった。
珠世が死亡時:佐清が継承者、後2人は父(双方入り婿)の地位を継ぐ。
佐清死亡時:武&智が共同で継承しろ。
年功序列だとすると、3つ目の条件で佐武(佐智より1歳年長)が優遇されないのはおかしいし。 >>696
角川表紙だと個人的になんとかならんのかと思ったのが『壺中美人』。
杉本さんよ、あれを美人と言うには無理がw
(中身読んでなくてもこれはタイトルで分かるでしょ)
他の表紙見る限りあれが杉本一文の美人ってわけでもなさそうだし。 あの時代の「美人」は顔立ちが美しい人という意味のほか単に若い女性を指す言葉でもあった
古い新聞記事には「首なし美人の死体」といった表現もあるし、涙香にも「片手美人」のタイトルがある >>726
あれ、表題の人物が(メル欄)なので、意図的かとも思ったが、
『仮面劇場』や『夜光虫』見る限りもう少しまともに描けるのに不思議。
あと表紙絵だと『スペードの女王』って2パターンなかったっけ?
「座っている女の背後に赤と青の目」のパターンが復刻版で使われてたけど、
表題通りトランプのスペードQが描かれたものを見た記憶がある。 「壺中美人」は個人を指しているんじゃなくって演目の題名なんだけど >>728
トランプのカードが表紙は3作品あるけど全部ハートのQだよ。
・悪魔の百唇譜:ハートのQとJが半々混ざったカード
・死神の矢:ハートのQに矢、背後に女性の顔。
・毒の矢:ハートのQの王妃の部分に口づけする女同士
ちなみに『金色の魔術師』表紙もカードがあるけどトランプではない。
>>729
短編版が「壺の中の女」だったし、やはりあれは華嬢(お花)の事じゃないかな? 仮に短編版はそうだとしても長編版は演目名だということは読めば分かること >>728
もしかしたら春陽文庫の『スペードの女王』と混同しているのでは?
画像検索してみると言ってるとおりのトランプが描かれた表紙だけど >>733
これとは違うと思う。
スペードのQはもしかしたら記憶違いかもしれないが、
「赤と青の目」の表紙以外にもう一パターンあると思ってた理由は。
・自宅にかつて角川文庫の横溝作品がたくさんあった。
・『スペードの女王』を読んだ記憶がある。(ラストの「女王の首が反対になっている」まで覚えている)
・にもかかわらず、「赤と青の目」の表紙に見覚えがない。
映画化とかでスチール写真の表紙になっているのが時々あるけど、
『スペードの女王』にそういうのあったのかな・・・? 掲載時の「蔵の中」を再掲したのは、どの刊行物?
もちろん挿し絵付で、再現・・
某図書館の蔵書をコピーしたのを持ってるのだけど、いまその図書館の蔵書を検索しても該当するものが無い・・
立風書房の「新青年傑作選」には、「かいやぐら物語」は収録されてても「蔵の中」は無いし 挿し絵つきの「蔵の中」は、徳間の『横溝正史の世界』 スペードの女王の角川文庫版カバーは一種のみです
以上 ところで幻影城の「横溝正史の世界」は、徳間のとはどう関連してるの?
あとブーム時に、横溝よりも金田一に焦点を当てた(今で言うムック)があったのだけどな。
表紙の金田一は写真のような絵でした。 >>740
「幻影城」増刊は、諸家の横溝正史に関する文章が中心
徳間の方は、横溝正史のエッセイ集
「幻影城」に向けて用意された「書かでもの記」と「桜日記・第二部」が
それを初出として収録するはずだった徳間の方が先に出てしまって
初出誌より収録書の方が早いという捩れ状態に
金田一耕助のムックはこれ
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=367791751 ちょっと検索すりゃ分かるようなことをわざわざ訊ねてるやつは何なんだ
>>741
>初出誌より収録書の方が早いという捩れ状態に
編集後記で島崎編集長が愚痴ってたな 犬神家読み直してたら、松子が最後まで菊乃恨みぬいているんだなって気が付いた。
最後に珠代の殺害未遂や佐武・佐智殺害の件は詫びているんだが、
静馬殺害は自分をだまそうとしてたんだから自業自得と判断してたとも、
菊乃を追い出した件に関しては全然何も言ってない。 nhkの犬神家、見ていないけど、珠代が襲われる場面ありました?
原作では、犬神家に影響を与えた外国のミステリーの真犯人が珠代に似たキャラだったから、
珠代を無実だと読者に認識させるために、襲われる場面を入れる必要があるけど、
珠代が怪しい雰囲気(または、珠代が怪しいと匂わせる結末)にしたいなら、
直接入れずに証言だけで済ませておいた方が効果がある。 >>747
そもそも犬神家(に限らず金田一耕助物の大半)って、
「横溝先生が金田一耕助から聞いた話を元に書きました」って体裁なのに、
なぜ佐智が珠世をさらって廃屋に連れ込む場面で佐智の心理描写があるのか気になった。
(佐智はこの後殺されるので他人に報告する余裕はないはず)
むしろこれ以後も珠世や猿蔵が疑われる場面もあるんだし、
1:佐智が行方不明になったので皆で探し始める。
2:猿蔵がなんか知ってそうだが口を割らないので珠世に頼む。
3:珠世、困惑するも佐智にさらわれたことを説明。(あくまで彼女の自己申告)
4:猿蔵の案内で皆が佐智が縛られている廃屋に行く。金田一が何かおかしいことに気が付く。
5:佐智が死んでた。
とかの方がよかったと思うんだよな・・・ >>748
>「横溝先生が金田一耕助から聞いた話を元に書きました」って体裁なのに、
そんな半七捕物帳みたいな構成だっけ?
角川文庫読み返しても、そんなことは書いてないようなんだが >>479
「黒猫亭」で「本陣」の話が本になっていると知った耕助が連絡してきて、
そうしてこれからもいろんな話を聞かせてくれる説明が冒頭にあるよ。 Y先生が出てこない話は三人称です
それくらい読んでりゃ分かるだろ その『黒猫亭事件』で金田一も「どういうふうにアレンジされるか、ひとつお手並み拝見といきたいものです。」と言ってるし、語り手も「小説ふうに書いていく」と言ってるのだから金田一が居合わせなかった場面の心理描写があろうとおかしくないのでは? 作中に書き手がいる(=今読んでいる小説が作中にも存在する)場合
作全体が、最後に示される解決から逆算する形で再構成されているのだと考えるべき
いわゆる「神の視点」とは根本的に違う >>753
犬神家は冒頭で「大弐と佐兵衛の男色関係」とか中盤のネタバレやっているんで、
形としては「横溝先生が事件簿読んで書き始めた」って構図なんだよな。
八つ墓村も鶴子逃亡→三十二人殺しとか冒頭でネタバレしているが、
これも「横溝先生が辰弥の手記を見て書いている」という構図だし。 作者はそんなこといちいち考えてないでしょ
くだらんこと深読みすることに何の意味があるのか 「〜とは、そのときには思ってもみなかったのである。」
などといった文章は、(神か)その先を知っている者にしか書くことが出来ない。 『鬼火』で正体がバレた犯人が速攻自殺した(=遺書を書き残す時間はない)のに、
犯人しか知りえない犯行状況が語られている謎もあったな。
あれ、話してくれた元刑事が実は犯人だったんじゃないか?
と語り手が気が付くオチでもよかったかもw 古谷一行の本陣殺人事件見たら最初のアバンでネタバレしてて笑ったわ >>759
本編開始前に流れているあれ。
ちなみに金田一耕助物のネタバレだと早くも映像化第一作目の『三本指の男』、
広告で「謎を秘めて廻轉(かいてん)する水車!迷宮に尾を曳く天井の琴糸!」と
盛大にトリックばらしているのがあったりするぞw そこまでいくと、ミステリーというものが根本的にわかってなくて
トリックでもなんでもただの次回の「見どころ」「映える場面」としか見てないんだろうな クリスティなんてカーテンが出版された時に帯に「遂にポワロ死す!」って書いてあったよ