真田幸村って実は本名じゃないって知ってた?
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それより祖父の幸隆が本名じゃないってネタの方が
知られていないと思われ ちなみに兄が真田源三郎信之で弟の幸村は真田源二郎信繁
二郎三郎が逆だから本当は幸村のほうが兄貴じゃないか?って説があるよね そんなこと言い出したら織田信長も織田三郎とかのはずだし。
戦国武将全員違うみたいになるよ お前の田舎じゃ今更「真田丸」の放送が始まったんか?
何年遅れだよ。 そうそう、信繁だ。 徳川の世になって、徳川の敵だから、大ぴらに言えないけど、言わば、最後の戦国武将だから、 あとから、別名を付けて、物語とした。 >>8
真田丸では、 嫡男となると、狙われやすい!ということで、弟の信繁が、一見、兄貴のように、兄の信之は弟と見えるように、父 昌幸が偽装したとか? 真田丸は面白かった。 真田一族は、 徳川家康をそこまでおちょくり振り回したんだな〜〜と。 >>12
いや家康の忠臣である信之の弟という立場だったから家康は信之を気遣って戦の後も信繁の事を立ててたし
信繁自身が秀頼に呆れていて投げやりな気持ちで負け戦に挑んでいた事は信繁が信之に宛てた書状で判明してるんだが
真田幸村伝説なんてオカルト脳の人間がでっち上げたUFOやネッシーと同レベルの捏造話よ >>8
家の由緒とか嫡庶の交替などにより仮名(けみょう)で
遣われる「数詞」が前後するケースもある
足利は「三郎」が嫡長子。足利家氏(斯波氏遠祖)は
当初は三郎だったが、母が正室の座から降りると共に
廃嫡・庶子とされ下位を太郎と改めている
高氏(尊氏)も兄・高義が三郎であり、兄早世後の
元服で態々「又太郎」との仮名を付されているので
当初は足利の家督を嗣ぐ者とは看なされてはいない 真田幸村なんて人生の最後にちょっと結果残しただけの過大評価
人生のほとんどを人質とか引きこもりで育った
普通は10代で初陣に出るのに40代で初めて戦場に出た高齢童貞
真田昌幸>>>>真田幸隆>>>>>>>>>>>>>真田幸村
真田と言ったら昌幸 「全部こんな感じか」
「全部こんな感じです」ワロタ 兄貴は信幸だったが徳川に気を使い
真田家通字の幸を捨てて信之に改名
江戸期の人が当時大っぴらには呼べなかった真田信繁を
幸村と名付けて呼んであげたのにはその点への心遣いがあったのかもね 信幸を憚ってとは云われるけど、それは幕府の情報操作でしょ。江戸時代ってのは
今の中国みたいな超管理社会だったので。なんでも政権側の意のままになったのさ >>24
管理社会はまだ未分化じゃね?
むしろ慣習という触媒を介しての忖宅社会
イコールその結果
往事の日本的封建社会の副次的要素たる
偏諱を賜っての「名乗り」は
例えば代替わりに伴ってはいとも容易く変更
されたり賜る諱の「賜字」の位置に対して
倒置を来したりさえするし 真田左衛門佐信繁
徳川三河守家康
吉田綾乃クリスティー
なるほどね‥。 昌幸の次男で上田城を根城にしてたことから
上田の次男坊と呼ばれてたらしい 赤揃えの甲冑の色は家臣だけで
本人は黒なんですよね。 そもそも江戸時代以前の日本では本名は父親以外の家族にも言わない
本名は秘密にしておくものだった 真田十勇士とかいうナルト並みのインチキ忍者
「真田幸村は本物の武将!」とか言ってる奴は「ナルトは本物の忍者!」とか言ってるアホと変わらん というか名前が多いんだよな。
幼名があり、とうり名があり、諱を決めても、権力者に一字を譲られたり ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています