鹿島鉄道は茨城県の政策が不思議だった。
茨城空港がすぐ近くにあるんだから茨城空港のアクセス鉄道にすればよかったのに、開港の一年前に廃線。

96年に百里基地の民間共用化が決まっていたのだから、
01年の榎本駅-百里基地のパイプライン廃止の提案に対して百里基地までの鉄道敷設を逆提案して
空港アクセス路線としての立場を明確にしていれば、鹿島鉄道は今日まで空港アクセスと基地への燃料輸送で経営は成り立っていた。