さてと。

【民主主義と個々人の考え方について】

まず。
民主主義下において、ある政治制度や政策が実施されるか否かは、民意の支持・不支持が直結する。
即ち、民主主義下において、制度の必要性とはイコール民意である。
コレが嫌なら独裁国家にでも移住した方が良い。

次に。
↑の前提は実は「他人も自分と同等に、理性と知性を以て真摯に考えて判断してる」ということである。
コレを許容できないと、一票の重さの等価さに納得できず
民主主義の決定にルールだから仕方なく従う人格ができあがる。

そもそも、人間の判断とは本質的にはどこまで行っても主観的なもので
本人にとっては熟慮の末に辿り着いた客観的・合理的判断のつもりでも
要は「〜を客観的と自分が思っている」に過ぎない。
だから数を数える。
無数の主観が「客観的に考えてこうだ」とする判断を集め、判断の分布を観測して、集合体の行く末を決める。
何せ似たような性能の個体ならば、多くが正解とした方向性こそが正解の可能性が高い。
民主主義とは「より多くが是としたものを渋々受け入れる制度」ではなく
「より多くが是としたものを『正解の可能性が高いもの』として採用する制度」なのである。


自分の主観と客観的事実に区別が付いてるなら、そんなことは自明として受け入れられる。
もちろん、より多くの個体が下す判断の傾向を無価値とする傲慢を呈すこともなく、
己自身の判断やその根拠の保持と、多くの個体の判断の軽視を同一視することもない。

自分が「『〜は〜だ』と言う判断こそ客観的に正解だ!」と確信すること、
しかし「そう考えてるのは他ならぬ自分であり、コレは主観的判断だ」と一線を引くこと
己を客観視し、多くの個体が「〜は〜ではない」と判断してることにこそ必要性を置くこと。
その全ては矛盾するモノではなく、むしろその同居こそ民主主義国の一員に必須の感覚だろう。