>>900
なれば法や権利の根拠を相互承認に限定する視座は不整合を生むでしょう。
現実に法は違った考えを持つ=相互承認を否定するモノを排斥する作用も持っているのですから。
そして相互承認は法の形式に限定されないとしたら相互承認論と君の法実証主義は最悪の相性を呈するでしょう。
前者は慣習段階から相互承認を認めなくては権利論に耐えられず後者は法定以前の相互承認の法源性を否認するものです。
もっとも相互承認論も君の法実証主義同様にプリミティブな領域での生来性で迷宮入りするでしょう。
即ち人間の慣習が人間の本能的快楽に基づく部分も多いのならば
そしてその本能的快楽の充足を約束するものを生来の権利と見出した際
相互承認の土台にあるべき潜在的な生来の権利を否定できないことになるのです。

……すっごい簡単に言うと
「クソ暑い砂漠でラビ以外が捌いた出所不明の肉売るんじゃねぇぞゴラァ」は
相互承認ですか生来の権利ですか、
或いは、両者に区別を付けること自体が詮無き話ですか、ってことよ。