デイヴィッド・バーガミニ「天皇の陰謀」〔後編〕いいだ・もも訳 1973年

「秘密閥」「天皇閥」「陰謀閥」「秘密士官閥」「股肱」等として訳した
cabalという用語の特異な用法による頻用は、
バーデン・バーデンの盟約を天皇制軍国主義の起点とみなす原著者の把握に由来するものである

摂政裕仁が一九二一年夏のヨーロッパ旅行に際して、日本の在欧大使館付武官ならびに
東久邇宮稔彦王――彼は日本のヨーロッパ情報活動の元締めとされている――と会同し、
それに基いて東久邇宮が「青年将校である武官から成る天皇のcabal」を組織し、
「彼らが天皇の西洋への突撃の黒幕のブレーン」と成るにいたったとする。
この天皇の秘密結社がはじめて会同したのが、一九二一年十月二七日、
南ドイツの有名な温泉地バーデン・バーデンであり、
バーデン・バーデンの盟約者の三羽烏が永田鉄山・岡村寧次・小畑敏四郎とされ、
永田鉄山横死後その任をひきついだのが東条英機とされる。

実は日本語文献でもこのバーデン・バーデンの盟約
――それは「戦争と革命」の時代の開幕期において、
ロシア革命・ドイツ革命そしてトルコ革命をその現場で注視したエリート青年将校らの、
全身的な危機感に衝迫された若き軍事反革命の原点にほかならなかった――
に言及し、解明した史書は意外に数少ないのである。