引用者解説:
日本の(守旧派に対する下剋上を狙う)簒奪者は
――自国に勝る外国による――国外からの力を利用してクーデターを起こし、
主流派に転じようとする、ことを常のパターンとした。
その典型が《ペリー来航》(を利用した非主流派の徳川斉昭、松平春嶽らによる幕閣主流、
井伊直弼への反旗であり、次期将軍問題であり、をバックとする水戸藩「天狗党」による《桜田門外の変》)である。
薩長を外から支えていたのはイギリスであり、そのイギリスのバックで日本はロシアと戦った。
イギリス薩長連合軍に徳川幕府は敗けている。
そのイギリスが第一次世界大戦で、第二次欧州大戦で、ドイツの猛攻を受けてよろめき始めたとき、
旧幕臣側(の過激派=陸軍「統制派」)が巻き返しを図ろうとする。
だから北進しようとした「皇道派」に対して南進=対英米戦なのである。
明治維新に対して昭和維新、なのである。
そしてソ連に和平を仲介する、なのだ。何故なら幕府はロシアと戦わなかったから。
ロシアと戦ったのはイギリスと薩長だ。だから彼らはソ連とは和解できると考えていた(?)。