>>487
で、長〜い充電期間の末に「合理性」の意味合いを広く取ったのは《思考の幅の拡充》って意味では正解。
でも、これは君の目的である《廃止論の牽強付会》にはむしろマイナスかもしれないよ。

君の主張する通り「合理性」は実は何を利益と置いているかによって、大きく結論が変化する。
例えば、韓国政府の反日政策は、韓国民の繁栄を利益とするならには非合理的だが、時の政権が支持率獲得を利益とするなら合理的だし、
例えば、中国政府の少数民族弾圧は、中国人民の繁栄を利益とするならには非合理的だが、中国共産党が己の支配の安定を利益とするなら合理的となってしまう。



       さて、では、現存する共和国が共和制を選択した際に重視した「利益」は、今の日本にとっても「利益」足りえるかな?

       例えば、バルバドスの件を合理性で解釈するなら、バルバドスが民族自決を利益と置いた上での合理性だと解釈できる。
       >メイソン総督は「植民地だった過去から完全に脱する時が来た。バルバドス人はバルバドス人の元首を求めている」と強調。
       (ttps://www.jiji.com/jc/article?k=2020091700236&g=int)

       しかし、日本は既に日本人による民族自決を成立させている。つまりバルバドスの共和制化の「合理」は日本にとっては「合理」ではないわけだ。



おそらくこれは、君が今まで一貫して「何か利益があるはず!」ぐらいでボカしていたその「利益」の内容を見なければ始まらない理論だ。
数で希釈しようとすれば、現存する共和制国家の大半が被植民地からの独立組である以上「利益の大半は『民族自決』」に収斂する。

さ、考えてみたまえ。