>>731
「システムだからぁ」で新しい例を持ち出されたら「や、やっぱさっきの例で! あっちだと選択肢でぇ…」と言うとはネ。さすがの無様さだネ、君。
そも、コレは表現の問題だ。選択を行なう集団という視点で表現しなおすと、君のデータは【旧植民地や独裁解放時にはすでに大統領制だった国もゴチャマゼ】となるだけだ。
そして、君が逃げ込んだ「個別事情」の先にあるのは、君が必死で目を背けてきた《比率》の問題が存在する。


    従業員10人〜10000人まで全部ゴチャマゼの上、従業員5000人以上の企業が大半のデータで
    「事業システムに年1000万円程の経費をかけるのが、平均してもっとも利益を追求できる」というデータが出たからって
    「従業員100人以下の企業も事業システムに年1000万円程の経費をかけるのがもっとも効率的だという蓋然性が高い」などと言えるわけがない。
                       ↓
    同様に、植民地化の際に君主を奪われた(=解放された時点で君主を持っていなかった)国が大半のデータでは、
    「立憲君主国も含め、共和制こそが効率的だという蓋然性が高い」「立憲君主国も含め、王様は無駄・不要だ」と言えることはない。
    

さらに言えば、視点が変われば、そもそも旧植民地にとっても共和制が効率的だったかというのも疑問が生じる。


    事業システムが導入されて久しく定着している企業が大半のデータで「事業システムを継続購入が多かった」というデータが出たからって
    「未導入企業も事業システムを導入するのが効率的だという蓋然性が高い」などと言えるわけがない。
                       ↓
    植民地化・共産化・軍事クーデター等により、強制的に共和制に移行した国が大半のデータで、共和制が引き続き選択されているからと言って、
    それは「一度共和制に移行した後は、共和制を継続した方が効率的だという蓋然性が高い」に過ぎず、立憲君主国が移行した方が無駄が省ける証左には全くなってない。

というお話さ。