>>213
>以来日本は立憲君主制を採っています
以来ということは、従前はそうではなかったと認めているわけです
しかしながら、帝国憲法そのものは以来とされた時期においても従前のままです
つまり、制度そのものは従前のまま継続していたわけです
歴史を学んでいるなら、ご都合主義で従前を無視するのはやめましょう

>明治天皇は「これは朕の戦争ではない」と承知せず皇祖皇宗に報告もあげなかった
伊藤内閣も慎重論であったとされていますね
しかし、その後、明治天皇は自ら宣戦しています
その理由が「治外法権の撤廃の成功」であることは明白であり、明治天皇・伊藤博文の戦争慎重論の足かせが外れた瞬間でもあったわけです
ちなみに、日露戦争の時も同じようなことを睦仁は言っていますが、もはや形骸化していました
なぜなら
・「今不幸にして露国と釁端を開くに至る豈朕か志ならむや」はまさに宣戦の詔勅の中にあった
からです
・大権行使で宣戦しておきながら、自分は逃げちゃうチキンだった
というわけです