>>276
>皇室はただの犠牲者だ
国民からの上前を撥ねてのうのうと生きていた連中が犠牲者面?
その顛末が臣民大虐殺?

ちなみに、275で書いた
・君臨し統治するが、統治に対してはわざと無策を貫いた
は裏付けがちゃんとあって
・1945年8月14日のとある場所で、裕仁は請われる形をとりながらも「統治に対してはわざと無策を貫いた」を撤回し、「統治に対して策を弄した」事実がある
もし、大日本帝国が真の立憲君主制を執っていたのなら、内閣は裕仁に乞うことはしないだろうし、裕仁の発言は当然無視するはずである
ところが、8月14日のあれは、鈴木内閣において裕仁の意向を汲む意思が明確にあった
つまり
・天皇も内閣も、大日本帝国が立憲君主制ではないことをちゃんと認識していた
となるわけです