貨物列車総合59
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>>50
ありがとうございます
上りは直通便が無いって事か 連投すみませんが、
もしかして迂回返却は、逆に最終ペアから始まって最後は1028+857で締めるんかなぁ 日本通運・・・・アロー便(関西地区から)カゴ+バラ
福通・・・・カゴ(関西地区) 私有コンテナだと片道が空になるけどJRFコンテナなら両方向積荷アリになる
みたいな話かな!? >>53
機関車の返却回送なら持って来た時と同じように日数掛けて所定列車に1両ずつ繋いで返すだけでしょ 今はコンテナで、しかも全国に扱う駅がいくらも無いからいいけど、2軸貨車の
時代は、貨車をどうやって、管理をしていたんでしょうね
田舎のちいさな駅にも持って行かないといけないし、コンピューターもないし 基本は貨車の側面に差し込んだ車票でどこ駅行きだから次の何レに繋ぐ
○○駅で解放するって感じでは
どっかちゃんとした本があるならそっち読むのがいいと思うけど
これから出ていく予定やここまで着いてるよってのを紙と手書きベースで
記録して電信連絡で共有したりはしたてのかねー? >>59
操車場についたら行き先みて入換。で、次の操車場に送る。お近くの操車場にきたら
各停貨物に繋ぐ。難しくはないけどすげー時間かかるから廃れた 「○○駅ですけど、ワム1両頼むわ」と言われても、どこでワムが遊んでるか、を
把握しておかないといけないし
コンテナの話と同じで、ある駅には空のワムが滞留してくることもある、じゃぁ
それをどこの駅に送りだすのか
「吹田か新鶴見にでも放り込んでおくか」って感じなんですかね >>59
発車前に編成の前から後ろまで歩いて車票を見る
そして車番と行き先を紙に全部書き写してくのが貨物の車掌の仕事だった
ただ書くだけじゃなくて、通る駅の順番をちゃんと考えて、次の駅で何両切り離すみたいな指示までやってた
貨物の止まる側線なんて基本的に夜は真っ暗だし、雪が積もれば歩くだけでも大変
台風の時とか紙がぐしゃぐしゃになった
貨車の位置も管理してなくて、たまたま空で検切れ近い車両を発見すると、車票に貨車区と書いて送り込んでた ここ数レスはとても興味深いです。
そういったヤード式貨物(?)の詳細が書かれた資料を教えてもらえませんか?
ネットで見ても断片的な情報しか拾えなくて。
ローカル駅の貨物側線に一両置いてくる/引き取るやり方
操車場末期の集中管理システムができる前のポイント操作
結局、一両ごとの貨車や車票は誰も管理していないのか
など、謎は深まるばかりです。 来週に北海道に車中泊ドライブに行くんだけど、夜中に貨物が多数行き交うのを寝ながら感じつつ、そのまま夜明けの貨物写真撮影ができそうな北海道らしい景色のオススメ場所がありましたら教えて下さい。 有蓋貨車は少々の不便はあったかもしれないが無蓋貨車は多数派であったからか比較的ざっくばらんにやり取りしていたように思う。
たいがいどの貨物取扱駅にも、見て一発で空車と判る無蓋貨車が所在なさげに転がっていたし、
貨物輸送以外にも事故や災害の救援としてや保線要員の輸送にも供されるなど最も手軽に扱える貨車だっただろう。
空車だと軽いから一人でも容易に手押し出来たからね、積車でもコツさえ知っていれば押せたけど。 >>65
その手の資料って本当に専門書当らないと出てこないと思うよ。
だからまぁ、知る限り国鉄時代の〜と言うより電算化前の時代と言う話を前提に進めるけど(誤りがあったら指摘ヨロ>各位)
そも、貨車だって所属区があって車輌一両ごとにキチンと台帳があって走行距離とか使われた列車が管理されてた訳よ
んで、全検期限が来る前に回送手配が行われて、所属区指定の貨車工場で検査を受けてた
国鉄時代には貨車専門の工場も幾つかあって(横浜線の橋本とか)、そこでは各所属区の貨車を集中的に検査してた(はず)
それで、実際の話としてはかなりいい加減と言うかフィーリング的な運用が行なわれていて、
例えば汐留から梅田まで車扱いの貨車一両お願いします〜とか荷主の要望を受けて貨車を仕立てた時だって、
汐留の片隅で出番待ちの貨車から一両抜いて使ったわけ
で、編成に組み込む時に出発駅では編成係が車輌のナンバーと検査期限書いて記録するんだけど、
その記録は鉄道電話で関係各所に全部送られる事になる
言うまでもなく全て人力だし、この辺りは鉄道記録映画なんか見てると専門スタッフが資料の山をひっくり返すシーンがチラホラ出て来ると思う
(雪と戦う鉄道あたりだとラッセルの運転手配を司令が決定して関係各所に通達するシーンがあるけど、基本それと一緒)
通達を受けた貨車区は自区所属貨車の台帳に全部記録するわけだね
だから昔の会社とか企業団体などは、とにかく人手が必要だった訳だ (〜承前)
例えば、支線も支線の盲腸線レベルみたいなところでも昔は貨物扱いをしていて、その手の駅には必ず駅員がいた
だから駅長や助役は貨物を出したい客が来ると車扱い貨物の運賃計算をして見積もりを書いてたんだね
さて、実際にそれで輸送契約が結ばれると、駅長なり助役が司令に貨物の手配を依頼する。
司令は輸送計画を作るべく運転計画担当に○○駅から◎◎駅まで貨車○両の指令を出す。
こうなるともう実際は流れ作業で、それぞれ専門の業務担当箇所が司令を元に貨車を手配し、連結を指示し、編成が作られる
今時の貨物列車ならまず編成がコキ20輌とか決まってるけど、その時代は機関車の能力から持てる貨物の重量が先に決まってた
現車○両、換算◎◎ってのはその時代の名残なんだわ (〜承前)
輸送計画を作った担当者は貨車を探すわけだけど、ここでも貨車区に『空いてる貨車ある?』と指令を出す
すると貨車区の担当者は台帳ひっくり返して運用に乗ってない貨車を探す事になるんだけど、これまた繁忙時期は貨車が無い訳だ
だから今度は各路線の駅にリレー式に貨車の在庫を聞いていく事になる。それこそ側線で遊んでる貨車を探すわけ。
それで、見つかったら回送手配して出発駅に送り込んでやるっていう、まぁ長閑な時代だった
世の中の道路網が改善され、貨車の回送を待って『来たから使っていいよ』と言われる前に自前のトラックで出発した方が早い
そんな事してたから鉄道貨物が衰退し、コンテナ列車化されたって面も決して無視出来ないと思うんだけどね
それこそ、国労のアホどもがスト権ストだの振りかざして政治闘争してた時代、組合関係者がアチコチ視察に行って
貨物列車無しでも物流が全く止まってない事に愕然として、貨物列車だけは動かそう!とか大慌てになったって時代の頃には
もう車扱いなんて事実上滅んだんだよ そして今は山陽線の貨物が3ヶ月以上止まっても別に大したことはなかった
その頃よりも更に鉄道貨物の比重は低下してるわな はぁ
じゃあ今鉄道を使ってる荷主が3ヶ月止まったことを問題視して
別の手段に乗り換えていくこともないわけだ(ニヤニヤ
大したことなかったんだから(ニヤニヤ 貨物って、旅客と違い、生活そのものに密接するから面白い
・牛とか豚とか家畜運搬車はどうだったのか
・現金輸送車の人員は命狙われていたのか
・黒ワムと茶ワムに違いがあったのか
とか・・・
あと貨物ではないけど、垂れ流しで客が線路に落とした糞尿は誰が回収したのか
も現代では謎のひとつ >>73
糞尿なんて誰も回収しねえよ
雨に打たれて崩れて自然に流れていくか
カピカピに乾ききって自然に粉になって風で飛んでいくかだ
尻を拭いた紙も風でぺらぺら飛んでいって落ちてそのへんで自然分解されるに任せるのみ
小田急のSE車が国鉄東海道線で最高速度アタックやったときの記録映像
撮影地点を通過していって起こった列車風で線路端に落ちてた紙がひらひらひらひら
舞い上がってるのがすげえ目立つ
だからトイレを使う人数、線路上に落とされるうんこおしっこの量が自然にどうにかなる量を
はるかに超えてしまった東京都心付近は臭いわ不潔だわで問題になった 大沼のテントサイトからは音しか聞こえないぞ
それも上り列車だけ 2072レ・・
ムドはいいけど正直EF200は好かんのよね・・ 59です。詳しく教えていただいて、ありがとうございます
考えてみれば、貨車だけではなく、指定券も手書きの帳簿だったんですよね
小荷物の流れも謎ですね。行き先駅毎に載せる車両は決まっていたようですが、目的駅で確実に下ろすには、車内でまた、仕訳をしていたのか? 時代に翻弄され、本来の力を封印された機関車って、なんかストーリーがあっておれは好きだけどね まぁ吹田に23時過ぎ着
迂回DD51付きだから行きたい人は行けば >>68
私も大変参考になりました。
車扱って、今では考えられない古き良き時代のシステムだったんですね。
密林でポチればすぐ届くなんて、当時の人が聞いたらビックリですね。
でも、そんな昔ののんびりした不便な時代がなんだか羨ましいです。 ヤードで編成ばらして繋ぎ変えてた時代なんて、今じゃ考えられないよなw 岩波の映画に当時のヤードを撮影したのがあったはずだけど何だったけな どっかに動画ないかなぁと探していたら見入ってた
昭和59年の大宮操車場とか懐かしすぎて泣けてくるレベル
ttps://www.youtube.com/watch?v=KpjSeJdAKtE
貨車に入れてある車票の情報が全てだった時代があるんだよなと、今さらながら思い出す
半世紀近くの昔、あの貨車にぴょんと飛び乗る係りになりたくて、地元の駅で職員のおじさんと話をしたもんだ >>82
それを細かくしたのが宅配の集配所だと思えば今も昔も変わらないよ
貨物の大きさや重量が変わって、荷札を貨車1両から段ボール箱1個へ貼り付けるようになり、ヤードで貨車を組み替えていたのが長距離トラックのバラ積み混載へ変わっただけ
小荷物なんかはトラックが荷物車で集配所が駅構内ってだけで今も昔も基本的な仕組みは相似形だよ
宅配の集配所にあるトラックヤードの自動仕分け装置なんて自動化したヤード仕業の貨車振り分けと相似形もいいところ コキに車票がまだあった時代、撮影に行くと沿線にいっぱい落ちてた
あれ中身分かんなくなんねぇかなぁと、当時心配だったわ 昔は割れ物・こわれものは仕訳ベルトに流さなかったんだが
技術が進歩してそんなことも解決したんだろうけどな
われもの・こわれもの(コップが欠けた)シールが懐かしい
いまでも貼ってんのかよ。 過去スレで東武の貨車が鹿児島で見つかったなんて話があったが
三沢駅にいる東武ワラ1の画像は見つけたけど 今の倉庫で積んでいる空パレットを勝手に使うようなもんか >>75
>>76
ありがとうございます。
後出して申し訳ないのですが、北海道と言いながら、新千歳に夜に着いてレンタカー借りてちかくで寝られればと思ってます。
この近辺ではいかがでしょうか? >>91
夜貨物走ってっかわからんが大岸〜礼文のあの線路脇は?
車も止められるし 千歳近辺だと大して素晴らしいって程ではないが
それなりに北海道らしい風景しかないぞ
しかも架線下
植苗や旧美々駅付近の踏切とか
長都とかサッポロビール庭園の駅センでストレート狙いでもやるの? >>91
ブルトレ廃止前は同じ様な事よくやったわ、懐かしい。
苫小牧〜室蘭間の36号線は室蘭本線と並走してるんで適当なコンビニは?
走れるなら黄金の定番オーバークロス近くのローソンが駐車場広くて、線路から程よい距離でオススメ。 新千歳周辺はガチの原生林地帯だし冬眠前の熊がやばそうだぞ
人そこそこいるウトナイの道の駅とかなら大丈夫だが
深夜運転苦じゃないなら長万部
そこそこなら>>94のいう東室蘭界隈見つつ非電化へ
きついなら沼ノ端や苫小牧見つつ錦岡辺り >>78
その通り、荷物車には人夫が乗ってて、荷物の積み下ろしをすべて人力でやってた
荷物車の中がいっぱいで荷物を乗せられないと次の列車まで待たされた
人夫が仕事をサボりたい時は、窓際に荷物を積み上げて、外からは満載に見えるように細工してた >>94
あのオーバークロス、フェンスついたから微妙じゃ? >>91
北舟岡
直ぐそばに銭湯もある。湯船に浸かりながら列車もみれる。 >>98
59.2の乗務区分廃止前は速達と書留区分を車内で、大型定形外や小包は締め切り大郵袋って郵便番号二桁区分されたのをスユ15なんかに積み込みながら仕分けていた。(ただしかさばったり、壊れやすいのは個〆、一個単位で搭載)
スユ44はその超大口直行版で、例えば九州あて「80〜89」地域の郵袋だけで締め切った郵袋を集めてドボンと入れて直行させていたみたい。
なお定型の一般信と呼ばれるのは飛行機へ・・・ 昭和51年当時は、就職のために夜具を鉄道貨物(駅へ持ち込み)していた。
当然、翌日になんか着かないから・・・
で、会社の寮には数日後荷物到着していたんだが
その当時以前から鉄道荷物っうのは集荷配達の制度はあったのか >>101
国鉄自身が集荷配達はしてなかったんじゃないかな?
日本通運や、地方ならその地域で営業してる地元の運送業者が貨物取扱駅に
支店構えたりトラックと人の出入りをするような取り決めをしてて
集荷配達は運送業者が引き受けて、荷主側から見るとトラックと鉄道で一体と
なっているような使い勝手になってたんじゃなかったかなあ
「通運」という業種名・サービス名が、トラックと鉄道とを通して運んでドアツードアを
実現するって意味だったらしいし 個人を対象とした鉄道荷物の集配は国鉄傘下の鉄道荷物会社がおこなっていた。
主に大都市圏対象で別料金なうえ集配地域にも制限があったので、
ほとんどの利用者は自分で駅の手小荷物窓口に持込・受取りをしていたよ。
鉄道貨物は貨物局、鉄道荷物は旅客局の管轄。 >>103
ああ、いわゆるチッキね
貨物のスレだから貨物前提の話しか考慮せずに書いたんだけど
たしかに101は内容から考えて貨物じゃなく小荷物で送ったっぽいわ
補足サンクス 時代背景(極度の売り手市場など)や企業によりけりだが、企業自体がトラック業者と随意契約、もしくは自社の定期便などを用いたりして、
各駅の集積所と自社関連施設とのフィーダー輸送を担っていた可能性もある。
別に国鉄公認の運送会社以外は出入り禁止だったわけでもないし。 >>103
駅に小荷物や手荷物を持ち込むときに、係員から配達か駅留めかを聞かれたんだよね。
>>104
小荷物と手荷物は厳密には違う。
小荷物は、旅行はしないで荷物だけを送る場合。
手荷物は、乗車券の区間を、自分の荷物を別送すること。(航空機の預託手荷物と同じ。)
本来は、むかしは自分の乗る列車の荷物車で運んでいたんだろうけど、
そのうち荷物車を連結する列車が少なくなってきて自分の乗る列車以外で運ぶようになったので、
手荷物の受け取りのために、再度到着駅に出向く必要がでてきた。 貨物スレかと思いきや、鉄道荷札のかをりがする懐古スレだった チッキ、やり方によっては未来がある気がするがなぁ
とりあえず、受益の割に異様に安い道路利用料(ガソリン税)と
労働法規無視の宅急便が跋扈するこの国では無理かな >>102
それを独自でやりはじめたヤマトは、
やっぱ凄いことになるのか >>108
アマゾンを始めとする通販をメッタメタに叩き潰せば運輸業界は正常化するよ
全てが製品表示法違反で胡散臭すぎるテレビ通販も撲滅すればマスコミも潰れて一石二鳥
だからお前らアマゾン使うなよな 90年代によく欧州に行っていて、スイスで何度かチッキ利用したことあるよ。
駅ホームの端とかに窓口があって手荷物預かりを兼ねていたんだけど、朝チューリヒからバーセルに送って、その日の夕方に駅の窓口に取りに行くと届いてる感じ。
早めに預けると可能な限り自分が乗る列車に乗せるようにしてくれてるようだった。
身軽になってるから現地の駅に着いて直ぐに目的地に移動出来るから便利で楽だった。
今もやってるかは不明。 >>102
因原駅に三江線運輸という運送会社があったけど
その種の会社かな? >>102
>>112
そのとおり。チッキ以外の一般的な貨物は
国鉄が窓口にならず、全国規模の○○通運や地元の運送会社が
窓口となって取り扱ってた。
その源流が日本通運。
通運系の物流会社は、その後様々な輸送手段を組みわせて「物を運ぶ」3PL
(厳密には保管業務も含むが)
会社へと事業拡大しているのは、周知の通り。
余談だけど、旅行業はJTBが源流。
>>109
ヤマト運輸は当時の国鉄の、主に「チッキ」のサービスの悪さに対抗すべく
宅配便を始めた。
>>108
駅への引取の不便さを駆逐したヤマト運輸が、営業所への引取を
求め始めたのは、ある意味会社の存在理由に相反するとは思う。 >>110
田舎住みは通販がなくなったら死ぬ
不便さから東京に引っ越し、地方は過疎化がどんどん進み仕事も荷物もなくなるから運輸業界は正常にならない ヤマト運輸の敵は郵政省(郵便配達)ではなかったか? >>115
鉄道貨物輸送に消極的な日本郵便はJR貨物の敵 ttps://www.post.japanpost.jp/whats_new/2008/1202_01_c01.pdf
このせいじゃね? >>115
それはメール便の信書扱いの件からだったかと思う。
>>118
その文面だけだと、通運業者が主たる原因なので、これが他手段でも
起こりうる事故だと個人的には思う。
日本郵便逓送から現行会社に移行する時期と重なるが、このときに
輸送体制において、この件が影響あったかどうかだね。
個人的には、単純に運賃の折り合いがつかない、かつ自社便で回せると
想定したからと想像している。 郵便屋が通りますよと。
>>119
影響があったら全部飛行機かトラックに移行してる筈。
けれども、ゆうパックとかゆうメールの中には航空搭載できないのもあり、また遅延承諾を得て一通当たりの単価を低く抑えてるのも多々ある。
加えて自動車便の臨時便が確保しづらくなった事もあって、JRコンテナ便は実は最後の頼みの綱だったりする。
現場の"旗振り"(ヤードの旗振りに通じる、上級現場職員を指す符丁)次第では静岡でも仙台でも新潟でも、出すのは出す。
最近では、トレーラー便っていうのが増えてる。アレだと確かに10dトラック以上に運べるのだが、構内取り回しに時間と手間がかかって他のトラック便の邪魔になるので、輸送計画サイドではいい顔をしてないのが現況かと 第一中元歳暮を他者に委ねるなんてのは甚だ失礼な話である。
てめえが直に持ってけと 昨日
70レ:EF66 102
66レ:EF210-15(低速)
5032M:相模貨物657
2059レ:EF66 109
3074レ:大磯728
1097レ:EF66 116
2053レ:EF210-150
今日
2052レ:鶴見447
50レ:大船505
5032M:根府川616
3074レ:根府川627(EF65 1022)
2059レ:EF66 27(?)
1097レ:EF66 130
5086レ:新鶴見(信)815:EF65 2074 >>123
そりゃ3ヶ月以上もストップしてたら信用失うに決まってるわ
信用を失わないためには山陽線をもう止めないようにする以外の方法はないんだが、なぜか明後日の方向なことばかり考える人が多いな 素人と合理的な判断ができな人:
> 山陽線をもう止めないようにする以外の方法はない
合理的な人=「リスクをゼロにはできない」ことが理解できる人:
(以下、>>123のリンク先より抜粋)
『真貝康一社長は「今後も災害が起きる前提に立って、代行輸送力の確保に取り組む」と応える。』
『社内では現在、全国各地で広範囲に災害が発生した際の代行体制について、洗い出しを進めている。
ある地域が被災した場合に、いつまでに何割の代行輸送力を用意できるか。
船・トラックの手配や迂回輸送の可能性などを、あらかじめ検討して早期に対応するのが狙いだ。
対策を顧客に提示し、理解を求めていくことが、信頼回復への第一歩となる』 そりゃ根っからの破壊思想に染まった脳味噌真っ赤っかな連中にしてみれば、
常に基幹輸送路を唯一無二の単一にしておいてサブを許さず、いざというときにはその単一の基幹ルートを破壊すれば簡単に麻痺させられるのだから、
二次、三次ルートの常設なんて破壊する側には激しくめんどくさいので嫌がるのは当然だわな。 噛まずに言ってのけられたらさぞや気持ちいいとは思うが、絶対に噛む自信があるからやらない。 二次三次のルートなんか全く役に立たなかったという事実を見ていなかったのか?
もう忘れちゃったの? >>126
合理的な人=「鉄道なんか駄目だ、もう使うのやめよう」 ヲタ目線で極論を言わせてもらえれば、輸送機関として役に立たなくても被写体として絵になればそれで十分なわけで
ただ絵的にももうちょっと編成長くして輸送量確保してほしかったな >>133
客レ並みの編成にするという発想で可能になったと思う。
本来なら夜間走行で本数を多く走らせられたらもう少し効果はあるのですが。
今後あるとしたら機関車が課題。 DF200かDD200が乗り入れられるか?って疑問
DF200だと軸重が重く、DD200だと信号システムが合うか判らない
定期運用に入っている常用線区以外へ実車を持っていけるかの机上調査だけで地味に手間が掛かりそう 手間がかかって実現可能かもわからない
仮に実現できて迂回輸送やったところでほとんど足しにもならない
結局は鉄道は災害に弱い安かろう悪かろうな輸送機関として承知して使ってもらうしかない DD200は今回の件で検討はするんじゃないかな?
山陰以外にも磐越とか北海道の山線とか… 東日本にもキヤが入ってるし
将来的には機関車全廃だろうな
ななつ星みたいに豪華列車を客車にして
貨物と同型機関車を採用して貰えば良かったけど >>138
勾配区間で数百トンクラスのカモレを牽くにはDD200は非力すぎる
重連総括すればって、それには2倍の両数を用意していかないといけないし
機関車が重連必須になると単線で待避線有効長もそんなにない迂回路線で
牽引できるコキの両数が減ってしまう
まあ今回のことを踏まえてJR貨物と旅客会社と国交省が次以降の災害に
どれだけ本気で対策を考えるか次第でしょ
鉄路迂回に期待せず船とトラックの確保策を用意するんでもそれはそれでアリだし >>91です。
色々教えて頂きありがとうございました。
地図とにらめっこしましたが、室蘭やそれより遠くははちょっと遠いので、>>95さんの錦岡駅にて寝ようと思います。
今から楽しみです! ずっと北陸に住み毎日のように貨物列車も見ているのだが、今日初めて車輪輸送の配給らしきものに遭遇した。
コキ6両、機関車次位のコキには一点の錆もない光輝く車軸付き車輪を積んだ無蓋コンテナが2つ、あとは全て空コキ。
行先は一つしかない、富山貨物だわな。
数年前に見た青ワムドナドナ以来の衝撃的な出会いだった。 >>142
質問だけど、北陸で20両を超えるコキが連結された貨物列車ってあるの? FSJコンテナが西に来てるぞ。
1052レに載ってるからいま神戸あたりか。 今日
66レ:EF66 120
3074レ:EF64 1033
5086レ:EF65 2097
1097レ:EF66 110
2059レ:EF66 107(大磯750)
54レ:EF210-130
2053レ:EF210-115(根府川848) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています