愛着障害 Part.4
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「愛着とは、生まれてから数年間に右脳の自己が経験した記憶である」
心は複数の自己からなる「内的家族システム」(IFS)である―分離脳研究が明かした愛着障害の正体
https://susumu-akashi.com/2017/02/ifs/
※ 注 意 事 項 ※
定義は「3歳児までに愛着が形成されていたか」であるため
毒親・アダルトチルドレンなどの話題はスレ違いとなります。
「親のせいで〜」「毒親が〜」など、愚痴吐きや自分語りをしたい方は専用スレへお帰りください。
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過去スレ
愛着障害 Part.3 【毒親AC害児の愚痴禁止】
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/utu/1487744637/
愛着障害スレ
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1461439038/
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1477713493/
VIPQ2_EXTDAT: default:vvv:1000:512:----: EXT was configured >>421
私のことかと思った
ずっとぼーっとしてるかんじ
私の場合は昔から現実逃避の手段に妄想することを選んできたからだと思う
真剣に自分と向き合えない あ、あと負の感情を抑圧してきたのも大きいな
心というのは嫌な感情を押さえると良い感情も同時に押さえてしまうらしい
結果なにも感じなくなる…といまネットしてたら書いてあった 愛着障害と直接の関係は無いのかもしれないけど
うちの家族って両親も兄弟もものすごく感情的になる一方で
小さい子供にまで本音と建前を強要する変なところが多かった
今でも覚えてるのは幼稚園の頃に友達の一家と一緒にショッピングセンターに行ったとき
友達はおもちゃを買ってもらって、自分は買ってもらえなくて泣いたんだ
そしたら帰宅してから母親が
『ああいうときは、「わたしはいらないから買ってくれなくていい」って態度しなさい。
周りや世間にどう思われるか、親に恥をかかさないで!」
って激怒されて…
いろんな感情や、自分の要求に蓋をしてきたから
ほんとにいろんなことがわかんなくなったのかな
長文で自分語りごめんなさい 貧困世帯のほうが幸福度が低いのって我慢しなきゃいけない場面が多いからなんだろうな
・友達が買ってもらえているのに自分は買ってもらえなかった子供
・経済的事情で子供に買ってあげられなかった親
どっちの気持ちもわかるだけに悲しい >>425
自分は親になったことがないのでわからないのだけれど
買ってあげられない無力感で泣くことは許されるんだろうか 要するに世間がどう評価するか、世間から見てなにも問題ない聖家族
に見えるのが、総てそれだけの、他人(世間)の目、もちろん想像の他者
が家族運営の無意識の指針見たくなってしまってる事か
家族内が本来の自分の感情や甘えたりすることを気兼ねなく表現出来るとこでは
なくて、芝居のように聖家族を演じる空虚なのっぺらぼうのなにもない
中身のない容れ物だけだったという事なのかな、なるほど形だけの居場所
みんなのっぺらぼう、幽霊と同じだわな、自分が何者かなど希うべくもない
居心地悪くても、居心地悪ささえ表現することも機会を失われたままの
じつに絶望しかない居心地悪さだろな、きっと居心地悪ささえ自分の感情
であるとすら感じられないだろなと やっぱり読みづらい文章だろな、悪気はないけどこうなってまう(笑) 世の中本当にいろいろな家庭があるんですね
自分のところも>>425みたいに本音とか感情を出せなくて
周囲から期待される役割をどれだけきちんと果たせるかで
評価され、家族内の序列が決まってたような
>>429さんが書いてるみたいに、家族内って本来の感情や
甘えたい欲求を出していい場なんだって新鮮な驚き
むしろ一番そういうのを抑えなきゃいけない場所にしか思えなかったよ
やっと最近、居心地の悪さを感じるんだけど
それを感じると自分の中で罪悪感がこみ上げてくる
なんかもう無間地獄 誰かに認めてもらいたくて色々な事をしてきて生活は安定してが結局虚しい
この穴は一生埋まる事はないと思う >誰かに認めてもらいたくて色々な事を
自分はその点だけは脱出出来たように思ってる、承認欲求の問題だが
何年前かのベストセラー「嫌われる勇気」と言うのがあったが
自分は自分、認められればそれは結構だが、認められなくてもそれも結構
結局、自分を認める最大の応援者は自分だと、まあ開き直りから始まって
結構、これが突破口になったような気がする、認められない自分も自分であって
なにも変わらない、依然として自分は自分としてあるより他にない、
という覚悟みたいなものが出来ていった、慣れると孤独も引き受けられるし
孤立も、そういうことも人生の一部で、ありがちな事だというので受け入れた事が
大きかったし、自分の足場にさえ感じられるようになったからだろ
他人と違ってても、それこそが自分なのだと
例によってしつこい文章ですまんが >>433
他者からの評価基準から抜け出せるのは自分を強く持っていて基本的に他人は異物でしかない回避型のほうが早いだろうな
自分は不安型だから自分に応援されたところで何の価値が?としか思えなかった 回避型とはかなり違うね〜同じ愛着の問題に対する距離の取り方で
まるで別の道を歩いてるようだな、もの心着く前に
実際、無意識に生きる力のようなものが別の道を選んだんだよね
不安型の方が人間的かも 一日中情緒不安定で辛いなどうすればいいのかわからない 結局は意識的にも無意識的にもつながるもので統合の方向へ
方向つける、具体的には自分の好きなものを探しそれに夢中になる
"我を忘れる"事ができること、この言葉は示唆的だ、自我領域が希薄になって
無意識領域が活性化してるという事で、この状態を継続していければ
ゆっくりとだが自分の居場所ができていくのではないか
結局不安は居場所がなく、他者の命令、批判してくる想像の他者が(ウルサい親)
自我領域に介入してくることからきてる(この推測は当たってるか?)
自我領域に多分に親の価値観に従わざるを得ない過去の亡霊が活きてる
未整理のまま残ってる、しかもどういう命令が下されるのか予測不能
規則性がないという事、たとえ怒られてもなにを怒られたか解らないとか
親のその場の都合だったりする 必死で対応しても満足な顔はされない
残るのは、自分のダメなイメージ、オレってクズ このネガティヴ自己イメージは
説明した通り、本来の自分ではないとはっきり自覚が必要 カウンセリングはクライエント中心療法が多いだろうけど、相互のコミュニケーションと言うより、自分自身との対話になるような応答をしてくるから、話しているけどなんか一人みたいな感じがしてさ >>437 持論? 心理学的な内容ならソース出して ブログとかダメよ >>440
最高記録 7年目
一般事務です
最短は1週間未満 ソースかあ、まあできないかなあ
後期の精神分析と禅仏教系の本読んで、いつの間にか
頭の中で出来上がって、自分でも納得いってといった
自分流の漠然としたものにすぎないから、お役には立てないのかも
ただ自分ではストンと腑に落ちるという、直感的なものの集積 >>442
苦労してますよ、人付き合い
実は異動させてもらったりして、何とかつないでる
だいたい1つの職場(部署)に3年が限界 >>437
少し分かる
親は大体矛盾したこと言うし怒鳴ったり同情引いたりして半強制的に言いなりだった気がする
今もその呪縛はある気がする その積み重ねが自分の体を狂わせた 毒親を何とかしようと思ってるのは、無意識に依存してると思う ネガティヴな自己イメージは自分本来のものではない
親に困らせられて行き場がなくなっていた子供だった過去の自分
それが無意識に沈んでいて、今現在の似たような不安を感じる
困った状態に陥った時に、その無意識、寄る辺なく頼れるものも
ない自分(これは現在に起こっていたとしても、過去に味あわされた自分)が
今に賦活して来るのだと思う
現在であるようで実は過去の亡霊であって、親との関係で味あわされた
気分、不快感、誰も当てにできない寄る辺のない情けない自己イメージ
自分だと思ってる、クズだと思ってるものが実は思わされて出来た自分で
偽の自己イメージ、本来の自分ではない
まあ、何度も同じ事を繰り返して言ってるようだが、これが払拭できれば
消してしまえれば突破口に、出口に立つ事ができる
もっと言えば巧妙な操作で毒親によって、頼りない、自分ではなにもできない子供を
必要とされて、その罠にはまっていた事だってあり得るだろ
毒親による支配、毒親に頼らざるをえない子供、自分で喜々として好きなこと
やってられたら毒親自身は無用になってしまって困るから自立させたくない 理由はどうあれ、自分のネガティヴをつくってる無意識に切り込んで
それを消してしまうのは、自分しかいないので、憂鬱な気分に
落ち込んでいても埒があかない、時間は無慈悲にどんどん過ぎてくだけ
何か自分なりのトバグチ、取っ掛かりになるキッカケを
自分で掴んで、自分を変えていくしか無いから
ネガティヴ感情は自分の感情でいて、本来の自分ではない偽の自己イメージ
を補強する感情、気分に過ぎない そうだ、分からんのだよ、ただしつこく、考えて、あーでもない
こーでもないと考え続けて、ある時、なるほど、これらの感情って
自分のものじゃないと実感できるときを待つしかない、ということしか言えない
薬飲んでカゼを治すようにはいかない、心が納得しないと変わらない
何か他に方法があるのかもしれない、それは自前でやるより他ない
頭の中だけの薄っぺらな言葉だけの納得ではどーもならない
自分の心がなるほどそうだと納得しないと変わんえーんだよなー
自分の実践は神奈川なので禅系のお寺が多いせいもあって
参禅会みたいのがやたらあるのでよく参加した
今ならマインドフルネスが流行りでアレは禅系の理屈をエッセンスだけ
汲み取ったもので、まあ自分としては積極的に勧めはしないが
曹洞禅系との共通点は多い
自分の心の変化に向けてなんらかの具体的な行動が伴わないと
同じ状態を維持するだけで、一向に変わることはない
心を、無意識を組み換えるのは、実に真剣に向き合わないと
なにも変わらない旧態以前の自分を抱えたまま生きてくことになるし
普通の人はこんな経験しなくて済んでるので、相談相手にもならない
だから自分を変えよとするものには人生の難題なんだわ 悪魔祓いって本を読んだのだが僕には悪魔祓いが必要なのかもしれない 持論の長文の連投はSNSとかでやってよ
改善したい人とか、有識者が来ても去ってしまいがちだし
スレが機能しなくなるから よろしく 別に誰に何言われようがやめるこたあ無いと思うけど(読む側が読みたくないのであれば簡易ワッチョイで簡単にあぼ〜んできるわけだし)
黙るくらいならブログとか始めてみるといいんじゃないか
自分の考えを一箇所に積み重ねてゆけば自分が何を一番の軸にしているのかも見つかりやすいだろうし
俺はアウアウウーさんの書き込みを読んで
「自分をクズだと思うこと」は同時に「『誰かにクズだと思わされている』と思っている」ということだ、という確信が深まったよ
少なくとも自分の側に「誰かにクズだと思わされている」と前提を置くことで
諦めようとすることを正当化する、一種の共依存(自分の責任を丸投げする行為)なのだろうね
どうせ甘えたい気持ちがあるのなら(多数派の人たちがそうやっているように)
ストレートに表現するほうがずっといい。もちろん断られたり上手くいかなくて傷つく回数も多くなるのだろうけれど。 うーん…なんかもうちょっとで
「人から嫌われるのが怖い」と「人から嫌われてもどうでもいい」は本質的には同じ、という考えがまとまりそうな気がしてるんだけど 「人から嫌われるような自分に耐えられない」だからだと思う
個人的なアレだけど
だから人に嫌われてもOKな地盤ができれば安定すると思う
言うは易しだけど 個人的には人から嫌われて関係終わらせた方が色々と楽になるんだよな
大切にされていないこと・後回しにしていい存在として軽く扱われていること・容易に代替が効く存在であること
結局のところこういう部分は変わらないわけだし 自分に自信を持てればすべて解決するよね
たとえ見当外れでも本人がそれでいいと思ってればいいわけで
図太い自己中ってどうやってそんな性格になったんだろう >>467 過保護で育った人は、自己中になりやすいと思う 心と体は繋がっている 心の問題は体の問題でもある 逆もしかり 726 名前:花火 ◆5kuiMAFVxQ [sage] :2018/03/17(土) 22:43:45.35 ID:s5a7T/ML
おまえが学校で皆からどう思われてるか教えてやるよ
732 名前:花火 ◆5kuiMAFVxQ [sage] :2018/03/17(土) 22:44:32.91 ID:s5a7T/ML
「何勘違いしてんだバーカ!内申点稼ぐ為じゃなかったらてめえなんかと仲良くしねえんだよ」
って皆思ってるよ 脳感覚じゃなく皮膚感覚な、距離の取り方ってみんな違ってる
理由は説明できないが、大体この距離だ、という勘どころな
これが産まれながらのものでなく、物心つく前の幼児期に
母親との関係で決まるのかも、また母子が密着すると
腹立てて邪魔にはいる父親というのもいるらしい(笑)
そんな甘やかしたら、強い子にならないとか理由をつけて 岡田尊司の新しい書籍が出るね 回復法というけれどどんなもんかな 大人になって回復できる範囲って20%とかもっと低い割合なんじゃないかな
体にプログラムとして染み付いているもんを心がけや後から学習してどうこうなると思えんし >>475 アマゾンで売ってるね 1人で出来る方法があればいいんだけどな 方法はあると信じたい 問題は一人一人状況が違うという事 愛着アプローチ 医学モデルを超える新しい回復法
(角川選書 600) 単行本 – 2018/3/22
岡田 尊司 (著) \1836
高いすなあ 予約受付中 上の方のレスで禅とか仏教的な思想にふれてる人いたけど
ラマナ・マハルシとかニサルガダッタ・マハラジとかラメッシ・バルセカールみたいな
「私なんてものはそもそもいない」系の非二元論アドヴァイタの覚者の本を読むと少し楽になった
っていうか、たぶん普通の人は私はいないとか言われてもあまり理解できないんだろうけど
愛着障碍者だと自己の希薄さっていうのは嫌というほど身に染みてるわけだもんね
潜在意識チャンネルでアドヴァイタの考えに近い人のまとめなんかも見てためになった あんまり宗教系の本とかだと現実に落とし込めないから俺は助けにならんかったな
実際に困ってる事の解決策はそんな概念的な事じゃないって感じてしまってな 「この世界に居ちゃいけない」みたいなのは愛着障害抱えている人全員に当て嵌まりそうではある
不安型の自分は「人から存在することを許されていない」みたいな感覚なんだけど
回避型の人の場合はまたちょっと違う感じっぽいね 回避型は人知れず己が道を行く求道者、なんちゃって、何処にも何も見つからない 宗教も色々だが宗教的なエネルギーが必要な気もしている 宗教なんてなんだかなぁ…と思う一方で
宗教のようなエネルギーなり宗教的転回みたいな劇的な変化でもないと
もうずっとこのまま虚無感の海を漂ってるしかないのかなとも思う
なんだかなぁ… この世に無いなら作り上げようって魔王化した宗教家や政治家に若干感じる 自分が言いたいのは 宗教 じゃなくて 宗教的な ってことね
カウンセリングじゃエネルギーが足りない 本とか動画とかサイトとかを見てるとそう感じた そうだな、言葉や感情だけのレベルでお行儀よくやってたら何も進まないのは確か
普通人レベルの、今まだ知らなかったことがカウンセリングでわかったとかのレベルではダメなんだろ
なにか修行者が精神の新たな次元に覚醒していくような、激烈な身体を含む体験みたいな気がする
それがなにかは、わからないのだが カウンセリング関係の本を読み漁ってた時に
どこかの先生が著書の中で
「クライエントを決定的に変えることができるのは、部屋の中で起こる共感とか解釈じゃなくて
その人の生きている環境で起きる生々しい体験なのです」
みたいなこと書いていてなるほどなぁって思ったんだけど
自分に降りかかる体験って、トラウマになってくものばかりやった… >>489
俺も色々武道やってきたけどああいう所ってちょっと普通の社会からははみ出してるような人がちょくちょく混じってるね
修行系って問題抱えてる人種を惹き付ける要素があるのかな?
まぁ愛着の解決じゃなくてそんな物どうでもいいやって方向にいきがちだけど >>479 これ買う人いたら、内容よろぴく
アマゾンで中身検索が出来たらいいんだけど 本気で何かにすがりたいなら1800円くらい出せばと思う
まぁ本として高いとは思うが 結構内容似てるんだよな岡田尊司の本は 買おうか迷う しんどいよねぇ。
最近、お医者さんに言われた事が「自分で自分を育て直せ」ってコトなんだけど
幼少時の、根っこの部分すらないのも同然だから
内心ではムリゲー強いるなふざけんな!って思う。
ニンゲンってなんなの?うんこ製造機ですよね?レベルでわかってないもんで。
それでも、オトナになった以上「育て直し」ができるのもまた
自分しかないとも思ってる。 自分でどうこうしようと足掻きはするけど、普通の人にも起こり得る程度に本当に見捨てられる経験は現在進行形で発生してくるわけで
そんな時一気に引き戻されるよ
理屈でどうこうではない 情けないぐらい打たれ弱い
おぼろ豆腐メンタル(自嘲 もう少しメジャーな存在で自助グループ的な物があり当事者がリアルな形で話したら、他人の姿を見て自分を客観的に見やすくなるのかもとか思うが
これを定義化しても何も救いが無いのでは意味が無かったような 今月金欠であまり使いたくないんで2ヶ月くらいしたら買って感想もよければ書こうか?
アマゾンレビューのが早いだろうけど みんな金ねーんだ、オレもないけど、誰か買ったヤツの
読後感聞いてから、どうしようか決めようと
うん、みんな堅実だ そのうち何とかなるかも 「毒親」の正体
精神科医の診察室から
((新潮新書)) 新書
水島 広子 (著)
どういう問題親からどういう愛着タイプの
子供が作られてしまうかの説明本
これ、知ってることだろけど
まあまあ、整理にはいいかも
特にすすめるわけでもないが
読まないよりは読んでもいいかな このスレでヴァンデアコークの本を知り読んでいるところなんだけれど、
得るものが多過ぎて、ここで触れていた人たちに感謝の意を表したい。 このまま愛着障害を抱えたまま老人になったらどうなるのかな 身体はトラウマを記録する
脳・心・体のつながりと回復のための手法
べッセル・ヴァン・デア・コーク、 柴田 裕之
高いぞ >>506
痴呆と混じって他人を全く受け付けないヤバい人になるんじゃないのか?
歳とったらただでさえ人間関係切れてくだろうしな〜 こういう心理系精神系の本って高いのよね 無職だから躊躇する >>125にも書いたけどはっきり特定できない身体という言葉でしか
言えない場所に遺されて、症状として発現してくる凝りのようなものが
きっとあるんだろなあと、漠然としたヒントは受け取ったた気がする
以前、皮膚−自我という本を読んだとき受け取った時の感興と似てる
買おうかなあ、どっしようかなあと 借りるんじゃダメなの?
「身体はトラウマを記憶する」は前に本屋で見かけた時に、帯にEMDRって書いてあった気がするだけどその辺も気になるな
一応自分は取り寄せて借りて、最後まで読めず返却する羽目になったんだけど、面白かったからまた機会を見て借りるか買うわ 自分の存在の意味も理由も全くわからない
自分で頑張って意味を作り出そうとしても失敗したり
虚しさに襲われてわからなくなる
そもそも、自分が存在しているという実感がない 自分だけかもしれないけど、改めて「ないものを守ろうとしている(最初から存在していないものを失ってしまうと怖がっている)」なんだなあって思った
それ自体は悪くはないんだろうけど、そのために自分の時間(寿命)なんかを犠牲にしてるなら意味が無いよなあって 俺は普通の人間になれるなら犠牲や負担なんてって思うけどな
最後は心折れて自殺でもしてるかも知れんが今は普通になる為に死にものぐるいになろうと思う 普通になりたいねえ
自分自身も含めて誰からも粗を指摘されることのない、弱味も瑕疵の無い状態でいたい 不安回避混合型なんだけど愛着障害について調べていくうちに
相手が回避型だと気付いて「(今までは自分が悪いと思ってなんとかしないと…と疲弊していたけど)あくまで相手自身の問題であって、自分が悪いと思う必要は無いんだな」って気付いた
水島広子先生の本にあった「相手の問題と自分の問題は切り分けて考える」というのはこういうことだったんだなあ
「自分が悪い」と囚われてしまうと、それをなんとかしようとして更に悪循環を生むことが多いけれど
そういうことにならなくて済むし、治すと言うよりQOLを上げるという考えで行くのはいいのかもしれない >>520追記
なんというか、そのほうが相手を「あなたはそういう人なんだね」と受け入れられるというか
心理的な距離が確保できることで無理に(自分が望むように)変わって欲しいとか思わなくなる気がする ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています