森田療法を理解する
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この新しい森田療法スレでは、「俺は治った」「お前は治っていない」
みたいな低レベルの子供の喧嘩みたいなのは極力避けましょう。
またわざわざ森田療法と名付けるのだから、その諸概念、
(森田)神経質、恐怖突入、精神交互作用、純な心、感情の法則
などの検討がパラパラと入ってくればいいと考えています。
というのはこれまでのスレを見ていると、
根本的な理解がないままに、あるいはそのために
子供の言い争いをしてるように思えるからです。
基本的なこの療法の検討により、無意味なレスが減るだけではなく、
その理解そのものにより、現在、神経質で苦しんでいる人が、
自らの症状を客観化し、5ちゃんではないリアルな世界での行動に進める可能性に、
微少でも寄与できるのではないかと考えます。 そんな時代遅れの古くさい法律より、母子家庭の母親に育てられた子供は母子家庭を再生産しがちな現実の方がはるかに厄介な社会問題だろ
負の遺産てか負の連鎖が子供を蝕んでるじゃねーか >>2
確かに社会問題は対象外ですね。
いやもしかしたら引きこもりの人々の
いくらかでも適応可能だったら
こちらも有効かもしれませんね。 >>4
正馬の2冊
「神経質の本態と療法」
「神経衰弱と強迫観念の根治法」
前者が理論、後者が具体的な傾向がある。
両方とも表現が古くて、読書が苦手な人には
キツイかもしれないが、俺にはベスト。 禁煙禁酒
禁副流煙
禁受動喫煙
糖 質制限は意味ない
長生きしてる黒柳さんも中村メイコさんもそんなのしてない
長生きだった高倉健さんもしてなかった
健さんはたばこCMしてたが
禁煙禁酒してた真面目さw
爆笑太田さんと
一茂さんは加湿器使うが大病に無縁
いつも元気にTVでてる 森田なんて古いもん知ってる時点で高齢者だし
もう治ってるw
一行目に『俺は治った』とあるがメンタルなんて時間たてば癒えるもんだし
治ってる確率は高いw >>7
文章をちゃんと読みましょう
>>8
別にそれでいいと思います スレのほとんどを埋めていた狂犬君が消えればいいスレになる。 宇佐先生語録
「実践が全治で、知ることとは関係ありません」
「(講話について)分かったところから離れなさい、なにかがあるのではないのです」
「その不安が妙薬です、不安をのめばすぐに全治します」
「自分についての考えなら決していいとはいえません」
「体調はふり返らないこと」
「心ではなく仕事で向上」
「体調にお手本を設定しないこと」
「実行々々」
「こわごわ前進が全治の姿です」 「慣れたところから、さらに緊張してやっていきなさい、慣れることはよいことでもなんでもありません」
「前進のときは心がどうあろうと全治です」
「冷暖自知が「無寒暑の処」です」
「(心に歴史が成り立たないから、トラウマも成り立たないことについて)これがはっきりすれば天下無敵です」
「活動即生命(そのもの)」
「気も神経も惜しみなく使いなさい」
「自分を客体化しない、絶対主体の道です」
「(そのまま前進)これひとつで十分です、一生使いきれません」 宇佐の言うことは聞く必要は無い。安心したまえ。私の療法で「全治」など無い。
勘違いするな。「全治した」などと思うな。一生あるがままの生活が続く、そしてそれで良いのである。 そう、岩井のように、あるがままに生き、その死の直前まであるがままであろうとせよ。
彼を私の療法をその命尽きるまで全うし続けた者として、その手本として見習うがよい。 あるがままの精神、行動とは何か?
例えば君がある特定の異性を好きになったとする。
その想いを相手に伝えなければ、その後も無いし、前に進むことも無いであろう。
その想いを好きな異性に伝えることは、怖く、不安で、あがり、緊張することだ。
しかしその「怖く、不安で、あがり、緊張すること」に従い、告白を止めれば、どうだろう?
君の人生がずっとそのような態度である限り、そこにはいつでも立往生の人生が待ち受けているだけだ。
即ち、君がある特定の異性を好きになったならば、その想いを相手に告白することを妨げようとする、
「怖く、不安で、あがり、緊張すること」を「怖く、不安で、あがり、緊張すること」のままに、想いを打ち明けることを為すのだ。
これを私は恐怖突入と呼んでいるが、人生はこの連続なのだ。
気分に従い、想いに従い、恐怖から逃げ、行動することを回避し続けるなら、
君の人生が前に進むことも君の成長も無い。 このようなあるがままの精神、為さねばならぬことは、その時々のままならぬ想いや気分そのままに為す。
このようような態度で君が人生に立ち向かって行く時、君は神経症からの回復のみならず、一つ一つのことがらから、
人間としても一つ、又一つと成長していくことだろう。
このような人生やものごとにあたる態度が身についていくと、ちょうど兎に亀が追いつくように、
君は周囲の普通の人間よりも強い人間ともなることができる。
神経質・神経症に日々悩まされていた弱い人間だった君は「強い人間」として生まれ変わっていくのである。 ↑(訂正)
兎に亀が追いつくように→x
亀が兎に追いつくように→○ 小さい頃からいつもオドオドビクビクしていた小心者で神経質あった君たちが、
このあるがままの生活態度で、のっぴきならないこの現実、現実社会に立ち向い、
あらゆる困難を乗り越え、君たちの人生という大空を自由にかけめぐるようになっていく時、
私の子である君たちは私の誇りとなり、そして又、森田療法、否、あるがままの「人間の生き方」として、
ますます世間に広まっていくことだろう。私はそう信じ、願ってやまない。 森田の間違いはいろいろあるが、上がり恐怖のままに、行動していく、というのは森田のやり方。
、もう一つは、あくまで自分の気持ちに正直に、上がるのはみっともないしカッコ悪いからいやだ、頑張って震えない堂々とした人間として行動する努力をしよう、という直しながら行動するやり方と二つあるはずだ。
このどっちを選ぶかは本人が決めればいいのであり、なにも森田が選んだ方を強制的にやる必要はないのだ。
そこんとこを森田患者たちは勘違いしている。
森田が言うのは森田の考えにすぎないのであり、それが正しいという証拠はどこにもないのだ。
唯一確かなのは、自分はみっともない思いはしたくないということと、だから震えないように頑張りたいし、顔も歪まないようにいい表情をつくろうということだ。
それだけがこの世で確かなことである。
森田のゆったことは確かなことではなく、森田が単にそう思うとゆっただけである。
人のゆうことはどこの馬の骨かわからない、あてにならないことなのである。
仮面精神病だったかもしれない。 変質的な奴だったかもしれない。
人のことなどどうでもいいと思っていたかもしれない。
だから全くあてにならないのである。 この世で確かなのは自分がこう思うということだけである。
だから人のゆうことは、あてにならない。
森田につていくのは無理なのである。 >>22
ゆったこと
これだけで知能レベルがわかるw > ゆったこと ・・・ これだけで知能レベルがわかるw
そんなちっぽけなことで大きな問題を判断するから対人が直んないんだよ あほーーーーー >のっぴきならないこの現実、現実社会に立ち向い、 あらゆる困難を乗り越え、
戦わない、直そうとしない者が、たち向かいとか、巧妙にうそを並べているじゃないか? ww
やはり弱弱しい行動に引け目を感じているのだろう。
直すべきである、という揺るがぬ現実に目を背ける、臆病なだけでなく愚かな行為にいつまでたっても気がつかない底なしのバカがこの系統のスレに集合しちいる。
社会の足を引っ張る劣等人種。
にもかかわらず正論を吐くものを攻撃する魂の腐り方。
霊界でもくるし−−−−−−場所に行かされるだろう こいでこの連中が、底なしバカ、脱腸、天然痘だとゆ―――――――〜〜〜〜〜〜〜揺るがぬ証拠が揃いました。
じゃ記念に、焼き鳥りでビールでも飲みますか ??
いーーーーー店知ってるよ ww ID:LgkHUcatなどにイチイチ反論することは無い。好きに言わせておけ。
私の提唱した療法に同意する者は、只それを日々の生活の中で実践し、効果を体験するのみである。
そしてできるのなら、その自分の経験をここに発表せよ。
その発表された経験を読んだ者は、あるいは「自分もやってみよう」という気持ちになるだろう。
私の療法に関する書籍の紹介も歓迎する。
私の療法に関するつまらぬ批判者のつまらぬ批判や揚げ足取りに同レベルの反論をすることを私は推奨しない。 私の提唱した療法を実践し、体験し、その効果を確かに感じ取っている者は、
この療法へのあらゆる批判に動ずることが無い。
むしろ批判者を憐れむに至る。 >あるいは「自分もやってみよう」という気持ちになるだろう
ならんけどねえー〜〜〜〜〜〜 ??
こんな子供にも馬鹿にされるような方法で治ったとすると、あきらかに妄想の世界で生きてんじゃないの??
またこの田吾作森田の物の言い方の気取ってること。 www
斉藤と似たレベるじゃん ! >私の療法に関するつまらぬ批判者のつまらぬ批判や揚げ足取りに同レベルの反論をすることを私は推奨しない。
↓
>宇佐の言うことは聞く必要は無い。 「森田療法」をより自分のものにするためには、必ず日記・記録をつけることだ。
日記と言っても寝る前に枕元で書く日記では無い。
手帳などを持ち歩き時間日記のような形で思ったこと行ったこと気分の変化を記録する。
これは森田療法の実践に大いに役に立つ。 >>32
日記はどうなんだろ。
正馬(本物のw)や、今でも入院療法や生活の発見会でも
日記療法みたいな感じのものはあるけど、
あくまで指導者がいて、その内容を批判したり褒めたり、
あるいはあえて無視したりすることがあってこそ有効で、
自分一人でやるのはマイナスの方が多いんじゃなかろうか。
特に気分(=感情)を記述するとなると、全く賛成できない。
これは正馬なんかの指導でもそうで、特に神経症による苦痛の感情は
書かないように指導してるみたいだ。
というのは神経質症は現在、感情に振り回されて行動ができなくなっているわけで、
感情に注意を向けると症状から離れにくくなるように思う。そうではなく事実を書くという。
例えば「人の視線が気になったけど、言われた仕事を適切にやれた」みたいな、
やれたという事実を中心にした方がいいだろう。
これを「気分本位」から「事実本位」へ、と言ったりするみたいだ。
しかしこれも一人でやってるとなんかしんどい。実際には苦しいことが多いのだし。
だから両方書いてけばいいのかな。苦しいことと、それより意識的にやれた事実を多めに。
でもその程度のものだから、少なくとも一人で書く日記は、それほど有効でもないと俺は思う。
書いてて苦痛にならず、励みになる程度がいいと思う。 >これは正馬なんかの指導でもそうで、特に神経症による苦痛の感情は 書かないように指導してる
ほらな。 森田の思想は 「逃避」 なんだよ。 苦痛だろうが何だろうが、生じるものは現実であり、これは対処し、これは対処しない、と区別することがそもそも正当な根拠がない。
生じたものが苦しさなら、その苦しさをいかに処理するかを真剣に考えなければならないのだ。
何度でもいうが、それを腰かけ式に解決しようとして、森田はかえって苦しくなったので慌て逃げだし、治そうとしてはいけないと考えたのである。
対人の恐怖くらいで腰を抜かして逃げ出した者の云うことについて行くほど愚かなことはない。
その時森田のすべきことは、その恐怖に立ち向かい、戦うことだったのはゆうまでもない。
こんな簡単なこともわからない者が一人前に発言する不思議さ。
ww >>34
あなたの言ってるのは、まったく逆ですね。
あなたの対処法は、一般的な悩みとか苦痛に対する
のには一見有効に見える、誰でも最初に思いつき、やってみる方法です。
だからこのスレで主対象にする(森田)神経質になった人も最初にやってみるわけです。
というか、神経質という状態になった場合、こういうことをすること自体が
症状を形成する要因に既になってしまっています。この循環を「精神交互作用」と言います。
例えば人の視線が気になる場合、普通に気にしないようにしようとか、
強い心になろうとか、人の目を見る練習をしたりして克服
(というより実はそのうち忘れて通り過ぎているだけのことが多いように思う)
するのでしょうが、神経質という状態になったら、そんな努力をすること自体が
さらに人の視線に意識を集中させ、結果、生活の全体が、人の視線との
格闘状態になっています。この状態ではそういう努力を止めようということでさえ
同じ循環になり、結果なんともやりようのない地獄のような状態です。
この状態に対して森田療法は、比喩的に言えば一つ上の次元で対処するわけです。
症状は既に触りようがない。触らないようにすることでさえ、触ることになってしまっている。
そこで「なすべきをなす」という実際の行動を行うことで、結果として、
精神交互作用の循環を止めるという方法に気づいたわけです。
実際にこの体を使って動いたら、ただ歩くことでさえ、注意して歩かないとぶつかったり、
それがヤンキーだったりしたら痛い目にあったりするので、自然と嫌でも症状から意識が
離れている時間が生まれているわけです。
このような「なすべきをなす」という時間を積み重ねることで、
気づいたら症状が無くなっていると言うのが森田療法の考え方だと思います。
ちなみに正馬自身は自分の療法を自然療法と言っていたそうで、
これは外観の行動を普通にすることで、感情の異常も自然と
治っていると言う意味ではないかと思います。 俺、先生が先年逝去された森田療法施設に2回入院して
足かけ4年世話になったけど、入院中は森田療法関係の本は読書禁止だったよ
頭から入ることは厳禁で体得するべしが方針だった
治っちゃった人は生活の発見会にも出入りしないし、森田の本も読まない
気づきを待つから治療者からの介入は日記を元にした面接以外にも無い
だからもの凄く時間がかかるしお金もかかった(全額保険は効かない)
正解が提示されないから厳しい治療で、治癒率も高くはなかった
(入院している「同期」がやる気の無い人達ばかりだと足を引っ張られる)
今では宇佐先生と慈恵しか入院療法はもうやってないけど
治療を受けるなら本格的で保険の利いて良心的な宇佐先生の病院しかないと思う
神経症は頭で理屈をこねくり回す悪癖があるから森田が向いていると思ったら
思い切って入院することをお勧めします
入院に際しては森田本を読んで得た予備知識は治療の妨げになり得るから
向いていると感じたら直ぐに入院するほうが結局、治りも早いです >>36
三聖病院はもうない
入院やってるのは慈恵と三島と浜松医科だけ 571 優しい名無しさん 2018/02/07(水) 20:26:35.14 ID:nTboiMY6
今月の自助会の生活の発見の会誌に我々対人恐怖のために
書かれた名文発掘があったので転載します。入院療法の水谷啓二先生の言葉。
目上の前や会議や朝礼の緊張に応用して。
「...対人恐怖の人は、目上の人の前での平気でいられるようになることを治ること
だと思っているが、とんでもないことである。目上の前でビクビクするのは当然の
人情であってその気持ちがあってこそ目うの人からも迷惑がられず、好意を寄せられ、
引き立てられるのである。古語に「君子は親しんで狎れず」というのである。」
578 優しい名無しさん 2018/02/07(水) 20:58:21.98 ID:nTboiMY6
生活の発見会で治った人の、治るとはあるがままとは何かが書かれている文章がありました。
http://www.geocities.jp/yokohamadai2/sub1-d.html 89 優しい名無しさん 2018/01/30(火) 20:17:08.36 ID:UQLxRHx3
>>87 の続き。
あと、対人恐怖の治し方(森田正馬) という本と
自助会の生活の発見会の会誌も参考に読んでいるうちに
対人恐怖があるがままそのままで治りましたので推薦します。
87 優しい名無しさん 2018/01/30(火) 12:25:15.22 ID:UQLxRHx3
>>53
自分は症状が客観的にバレないタイプです。
症状が自分違うので回答できません。
そこで、こちらを参照します。神経症が治った人です。
http://www.yo.rim.or.jp/~hm01/index.html
リンクが途切れてしまうのでクリックではいけないので
コピペでURLに貼り付けてください。
154 優しい名無しさん 2018/02/04(日) 02:24:08.95 ID:/Ea/Jj2I
対人恐怖を森田療法で克服
https://www.youtube.com/watch?v=gqMhRABpc80
327 優しい名無しさん 2018/02/17(土) 01:15:22.75 ID:6iHTULFS
森田療法による対人恐怖の治療「臆病は臆病のままに、心配は心配のままに」
https://www.youtube.com/watch?v=4A3jGNiRhPg 一般に、不安神経症にしても、対人恐怖などにしても、徐々のものは先ず不安、苦しみがなくなっていき、それらの嫌さのみ残る。その後に、その嫌さもおちていき、それだけになっていく。急速の場合は、不安、苦しみ、嫌さが一遍におちていく。
この「それだけ」になり切ったとき、われわれの心は自由で、安定している。そして、自らの本来の欲望に直進する心的態度が、内発的に展開するのを常とすることを知っている。
こうして、森田先生のいうヒポコンドリー性基調は陶冶されて、即物的、活動的人間像がきずかれていく。
即物的とは事実に即して生きる態度である。 >>37
じゃあ駄目だね
逝去された先生は慈恵に指導に行っていた
病院の敷地内に治療者が起居を共にする森田の原法に最後まで忠実だったのは三聖病院だったので
森田療法は絶滅した訳だ
亡くなった先生は晩年は生活の発見会(メンタルヘルス岡本記念財団)が資金補助して
制作したビデオに出演してたけど生活の発見会に対しては批判的だったよ
頭で考えて理屈をこねくり回している間は絶対に治らないって >>41
藤田先生?
ちなみに宇佐先生も発見会批判してる
三聖は入院費安かったから入院したかった …これらから考えると、神経症の人達は繰り返し述べているように、ねばる態度を忘れてはいけないのである。
悲観するにも及ばないが、悲観するようになったら、仕方がない、悲観しながらも、よろよろねばるのである。
このよろよろでもよいということを忘れないことである。 どうもなあ、森田療法はそんな難解なものではないとおもうんだけどな。
別に正馬に直接指導されなくても、その弟子の入院療法でなくでも
考え方は同じだと思うんでな。
それと妙だと思うのは、例えば発見会でもいいけど、
批判する人は、これも例えば鈴木知準のところが入院したら素晴らしくて完治した。
興味で発見会を見に行ったら全然ダメだ、と言うんなら話はわかるけど、
そこで入院したけど、さして良くもなくて、でも三省なら入院したことはないけど
良いはずで、そこがないからもうだめだ、みたいな。どうも言いたいことがわからない。
とにかくもうみんな死んだので、今の人は手遅れだみたいなことを言いたいのかなあ。
私は森田療法は、そんな一子相伝みたいな神秘的なものではないと思う。
自分の治り方を書くと、「なすべきをなす」行動をはじめて、たぶん3ヶ月ぐらいで
精神交互作用が止まった。これは自分ではあまり意識できなかった、まだ苦痛が大きくて。
1年ぐらい経つとはっきり自覚できる。いわゆる「症状はあっても治った」という状態。
これはどういう意味かというと、症状のひどいときは、症状があるのは絶対的に駄目で
異常なことなので、とにかくその症状をなくさないといけないとほとんど無意識に思いこんでいた。
この体に染み込んだ思い込みにより精神交互作用の循環が起こる。
これに対して行動を重ねると、症状があっても行動はできるという体得・認識が生まれる。
その結果、症状はなくなっていないが、それを取り去ろうとする循環はなくなっている。
要はこれだけのことだ。これで普通の生活人の出来上がりだ。
このときにも症状の苦痛はあるけど、それは仕方ない。それいがいにないんだもん。
これを続けていると、徐々にその苦痛も減っていく。
そして極めて少数の人からは症状がまったくなくなる。やってることは同じなので、
何が理由かはわからない。もともとの症状自体が違うのかもしれない。 なんか僕は人に打ち解けるのが得意じゃなくて、怖さがあって、身がすくんじゃう。
特に仲良くしたいと思った場合はぎこちなさMAXで、挨拶しても、こちらの緊張があちらに伝わるみたいで、(それまでは普通だったのに)挨拶返されなかったり、『キモい』と言われたこともある。
相手から好意を持って来てくれた場合も、眼を合わせられないで挨拶して、『キモい』とか言われたりとか、なんかぎこちなくなる。
自分では対人恐怖及び、回避性人格障害だと思っている。
この場合、森田療法的な方法でなおりますか?
この場合の
『なすべきことをなす』って、身がすくもうが、心臓痛かろうが、息苦しかろうが、相手に違和感を感じさせようが、無視されようが、
挨拶したり普通に話しかけようとする感じ? > 「神経質という状態になったら、そんな努力をすること自体が
さらに人の視線に意識を集中させ、結果、生活の全体が、人の視線との
格闘状態になっています。この状態ではそういう努力を止めようということでさえ
同じ循環になり、結果なんともやりようのない地獄のような状態です。 」
こういう理屈で森田は > 「神経質という状態になったら、そんな努力をすること自体が
さらに人の視線に意識を集中させ、結果、生活の全体が、人の視線との
格闘状態になっています。この状態ではそういう努力を止めようということでさえ
同じ循環になり、結果なんともやりようのない地獄のような状態です。 」
こういう理屈で森田は 恐怖心と戦うことを否定したが、それは中途半端に戦ったために、うまく出来なかっただけである。
現にポクは何人もこのやり方で直してやったし、実績がある。
相手の目を見る練習とか、必要と感じたらやればいい。
必要と感じたときはそれが助けになる場合が多い。
公の手の問題で肝心なのは恐怖心と戦い負けないことだ。
当然敗けるときがあるから、その時が重要であり、何度負けてもあきらめない粘りが大事である。
対人治療のコツは粘りと云ってもいい。 後はよく考えること。
知性と粘りが対人を直す。
森田は知性的とは言えない。 ケラの顔見てみろ?
頭悪そ――――――だろ? ww >>47
対人恐怖に多いんだが、
>眼を合わせられないで挨拶して、
↑やたら目を合わせられないと嘆く人
普通の人は目を合わすとか考えてないぞ
ほんの一瞬、チラッと目を見るだけだ
凝視されたらそっちのほうが怖いわ >>42
そう、藤田千尋先生
入院時にケースワーカーに持ち物検査されて
森田療法の本を取り上げられた
三聖病院は保険診療で入院療法を維持していたのが立派だよね
鈴木知準先生の病院は30年前で月50万円かかったそうだから
慈恵も保険使えるみたいだけど治療者が、ね >>49
森田療法よりか、認知行動療法的だね。
君は具体的にどんな症状があって、どう治したの?
>>50
ああ〜、逆に凝視しちゃって怖がられたこともあるね。
そういう視線含む言動を普通にするにはどうしたら?
普通にしようと思わないで挨拶だけする?
ぎこちなかろうが、相手を怖がらせようが。 >>46
> それと妙だと思うのは、例えば発見会でもいいけど、
> 批判する人は、これも例えば鈴木知準のところが入院したら素晴らしくて完治した。
> 興味で発見会を見に行ったら全然ダメだ、と言うんなら話はわかるけど、
> そこで入院したけど、さして良くもなくて、でも三省なら入院したことはないけど
> 良いはずで、そこがないからもうだめだ、みたいな。どうも言いたいことがわからない。
> とにかくもうみんな死んだので、今の人は手遅れだみたいなことを言いたいのかなあ。
> 私は森田療法は、そんな一子相伝みたいな神秘的なものではないと思う。
あなたは対人程度だから自力で治せたんだと思うよ
重篤な強迫神経症である不潔恐怖は森田療法施設でも治りが悪い
入院中に都合4人の不潔恐怖の人がいたけど軽快したのはたった一人
それでも他の治療法に比べて著効があるとされている
プロ中のプロの医師が週に1回、1時間から長いときは2時間面接して、薬物療法を併用しても治せない
そんな人が集談会の話し合いだけで治せる訳がない >>52
喫茶店とかに一人で行って、いかにみんなが目を直接合わさずに会話してるか観察してくるというのは?
あとはそれを真似するようにすればいいかと
まずは型から >>54
あなたの見方もとらわれですね。
テレビのインタビューなどを見ていると、終始相手の顔をまっすぐ見ながら話をしている人も多いです。見るのが自然とか、見ないのが自然だとか思っている間はとらわれがあるということです。 >>55
はい、これが森田の回答
森田も自分の場合はどう対面して話すか書いている
「小生は自分の子供や女中に対しても、その顔を見つめることができず、君等を診察するときでも容易にその顔を見つめることはなく、多くは伏し目で、その人に面と向かいません。
これが小生の本来性で、そこに小生の人に対する畏敬の情と小心さとがあり、人を冷視し圧倒せぬ態度があります。小生もこれが自分の持ち前ですから強いて人と対抗しことさらに強がることはせず、自ら独り守っている態度です。
小生は人を平気で見つめるような人は嫌いです。女などはとくに人を見つめぬようなつつましやかさがなければ、まことにいやなものです。」 >>53
それだったら、どこでも治せないってことだから意味ないでしょう。
そこの施設ではバンバン治してたっていうんなら、
主張する意味があるけどね。 >>54
そういうの良いですね
ありがとう
>>55
そんなこと言ったら、55さんは囚われないってことに囚われてる ってことになっちゃいません?
とりあえず今の囚われパターンに対するアンチテーゼとして54さんの意見は参考になりました。
具体的に何か他にも方法がありますかね? >>56
ああ、いろんなパターンがあるが、自分に合ったパターンってのがあるかもですね。 >>57
鈴木知準の本に入院で手洗い強迫の完治例が載ってるよ
二百日くらいの入院だけど >>47
もう色々レスがあるみたいなんで簡単に。
森田療法への適性があるかどうかは
本を読んでピンとくるかどうか自分で判断するのが一番良い。
私だったらさらに嫌がられるよりはあきらめるね。
森田神経質的なものだったら努力したらよけいに
ひどくなるのがわかってるからね。
あなたの場合、努力で改善できるタイプかもしれないんで
そこら辺はわからないね。 >>60
それは私ではなく>>53さんに教えてあげてください。 >>58
>55さんは囚われないってことに囚われてる ってことになっちゃいません?
なりません。自分がしたいように(楽なように)すればよいということです。
見なければいけないとか、見てはいけないなどと決める必要はありません。
他人の真似をする必要はないということです。 >>57
あなたもわかってないね
不潔恐怖で入院する時点で他の医者は完全にさじを投げてしまって見放されているくらい重篤な訳
そんな患者を僕が見聞した範囲で4人に一人、25%も治せたこと自体が凄いんだよ
不潔恐怖は年齢を重ねると自然治癒することが殆どの対人とは違っていて重篤な疾患で予後不良だよ
調べればわかるけど一生を棒にふる人達が多い 一緒に入院してた不潔恐怖の患者はあらゆる治療を試みて戸塚ヨットスクールにまで行ってた
最初は臥褥が明けても一日中シャワーを浴び続けていた
日常生活が破壊されていた
それが集団生活のお陰で日常生活を支障なく過ごせるようになった
だが強迫行為は続いていたので治療者サイドは完治とは看做さなかったが
日常生活を送れるようになったので自主退院していった
このケースを治癒と看做すならば「治癒率」は50%になるよ?
たまたま僕がいた時期に限定されるので医院開設以来の数字だと治癒率はもっと上がる >>64
>見なければいけないとか、見てはいけないなどと決める必要はありません。
その辺の機微がわからないから対人恐怖の人は困ってるんでしょ
だから森田自身も自分のことを例にあげて書いた
「まず形から入る」のは森田の基本ですよ >>67
「・・・人を冷視し圧倒せぬ態度」などは森田先生のひとりよがりだと思いますよ。
慈顔で相手を温かく見つめるということは普通にあることですから。
森田先生の言われることにもとらわれない自由人になってもらいたいものです。
(>>46さんにはいろいろな見方があることを示してあげることが大切でしょう。) >>68
遡るとここから↓
>>47
>眼を合わせられないで挨拶して、『キモい』とか言われたりとか、なんかぎこちなくなる。
に対して、俺は他人を観察してそれを真似てみてはと提案した
そしたらあなたはぎこちなくなるのが困ること、それをもとらわれだと言う
いや、挨拶なんて「型」でしょ?ビジネスの挨拶も友達との挨拶もただの「型」でしょ?
だから森田も自分の方法を一例として挙げたんだと思う。まあ森田を絶対視する必要もないけど妥当な助言でしょうに。
挨拶の一連の動きは型に過ぎないと言い切った方が親切ですよ
それすらとらわれないで自由に、なんていったらそっちの方が迷わせちゃうよ >>64
>自分がしたいように(楽なように)すればよいということです。
見なければいけないとか、見てはいけないなどと決める必要はありません。
他人の真似をする必要はないということです
そう出来ない場合はどうすれば?
具体的な方法はありますかね?
また、
『楽なように』した場合、おそらく今のまま、人と関われないまま、なんですが、それで良いと言う感じですか?
>>61
なんか、打ち解けてくれる人もいるから、そういう人から行くのも手かもですね。 >>65
なんか話がずれるんだよなあ
不潔恐怖がどうこう言ってるわけじゃなくて > 「あなたの見方もとらわれですね。
テレビのインタビューなどを見ていると、終始相手の顔をまっすぐ見ながら話をしている人も多いです。
見るのが自然とか、見ないのが自然だとか思っている間はとらわれがあるということです。 」
歪んだ思想を自分だけで持つならまだしも、周囲の人間に対しても同じゆがみを持つように押し付けてくる。
まさに精神公害だ。
思想犯として刑務所に放り込んだ方がいい。 >それでも他の治療法に比べて著効があるとされている
>プロ中のプロの医師が週に1回
精神科医というのは医学界では一番出来の悪い学生が行く分野とされている。
そんなことも知らずに、「プロ中のプロ」とはまた知識なさすぎで笑える。
森田なんか支持してる時点で頭とセンスは三流。
こうゆーーーー人を説得しようとしても無理かもね? ww 地球の医学界は心霊界を認めないから,分裂病が地獄霊の作用で起きてることも知らない。
だから本当の治療ができず治せない。
トンチンカンな薬出して終わり。 脳の活動押さえつけるような短命で終わるような読飲ませてる。
全くこれで万物の霊長とは笑わせるよ ww >>70
>そう出来ない場合はどうすれば?
>具体的な方法はありますかね?
一般的に言って、正視恐怖の人は人の「目」を見なければいけないと思い込んでいる人が
多いですが、目ではなく「(目を中心とした)顔全体、表情」を見るようにすることですね。
>打ち解けてくれる人もいるから、そういう人から行くのも手かもですね。
そうですね。正視恐怖に限らず対人恐怖はすべて他人との間に厚い心の壁を作っていることが
原因ですから、気の許せる友人から始めて心を許せる人を増やしていくことも大切ですね。
(ひどくない場合は出来るだけ薬は使わない方がいいですが、人の顔を見ようとすると自動的に
目を閉じざるを得なくなるほど苦痛が大きい場合は、少量の抗不安薬を使って人の顔を見ることに
慣れることも役に立つと思います。) >>75
ありがとう。
皆さん、真剣に答えてくれて、参考になります。 昨日みたいにかなり乱戦的な複雑さで盛り上がると、
感情的に意地になったりもして、
翌日、これは書き込まなければよかったとか、
これは書き込まないでよかったとか、
これもまた複雑な気分になりますな。 私が「宇佐の言うことは聞く必要は無い」とあえて言ったのは、
そのような私の説いていない細かいことを(進化させたつもりで)馬鹿丁寧に新たに付け加え書いて、
かえって、実践者を迷わせる、森田療法実践の単純な本質を見失う可能性があるからである。
加えて、できることなら、「精神交互作用」「ヒポコンドリー性基調」「恐怖突入」「気分本位」「目的本位」「実生活上の後退」
などの森田療法を知る者ならなじみの専門用語も、できるだけ使わないように今説いている。
目的本位・恐怖突入などと説かずに、『「今日はxxxで仕事に行きたく無い」という想いのあるがまに「仕事にいく」』、
これが気分に従わず、為すべきこと為していく、そうすれば「いつのまにかその人は気分に左右されない生き方を身に着けていく」
という森田療法の本質であるところを、初心者にも伝わりやすい、理解しやすい、だろう、
というところを狙っているのである。
まずは実践。そしてなるほどと体験し、興味が沸いた人は本を読んで、「精神交互作用」「ヒポコンドリー性基調」「恐怖突入」「気分本位」「目的本位」「実生活上の後退」
「人のためにつくす」などの意味などを学んでいくと思われる、と私は考えるのである。 >>77
その気分や後悔やさまざまの想いのあるがままに、又、行動したり、書き込んだりすれば良いのである。 >>78
お前が岩井好きで宇佐嫌いなのはわかったから「森田正馬」を名乗るのはやめろ >>81
いや私の直接書いた著書を全て読んで欲しい。「目的本位」という言葉は使用している。
しかし私がいいたいところはそういう処ではない。私の伝えたい概要を受け取って欲しい。
行動本位という言葉についても同様である。
しかしながら私の勘違いということもあるのでその場合ご了承願いたい。
初心者にとっつきにくい、私の言葉や、私の療法の継承者が使用する専門用語についての使用を、
少なくするのが狙いである。 『神経衰弱と強迫観念の根治法』
『自覚と悟りへの道』
『対人恐怖の治し方』
これら等を読むと(私の使用語句に関して)正確なことが分かる。 >>81
気分本位とか事実本位とかはあったかなあ?
《事実唯真》はやたら言ってるな。
これ造語なんだな、変換で出てこない。
ちなみに「じじつただしん」と言ってたらしい。
じじつゆいしんと当たり前に長く読んでいて、
これを知ったときは語呂が悪く感じたが、
「事実だけがただ真実」をそのまま呼んだ正馬らしい
露骨なセンスの悪さでありかなと思えてきたな。 認知行動療法、対人関係療法、フランクル行動療法、来談者中心療法 ....他の心理療法については、
さほど精通しているわけではないので、ここであれこれ私が勝手に意見することはできない。
それらのと森田療法の対比については、私の後継者の森田療法を継ぐ学者が見解を述べているので、
そちらを参考されたし(多くの森田療法の後継者らは、森田主義なので多く、それらの心理療法を(主観的)批判的に述べていることが多い)
ので参考にはならないかも知れないが。 >>84
《事実唯真》
うん。確かに、初期本で繰り返し述べた。勉強してるね、君(笑)。 『森田療法』講談社現代新書 岩井寛(恐らく廃盤)
この本は自分の死の直前まで「あるがまま」の実践を続けた最高の森田療法殉教者医師の本なので、
古本などで見つけたら一読をお勧めする。 >>78
>>17
>そう、岩井のように、あるがままに生き、その死の直前まであるがままであろうとせよ。
>彼を私の療法をその命尽きるまで全うし続けた者として、その手本として見習うがよい。
森田は「僕は生まれるときと同じ心持で死ぬる。その事実をみてごらんなさい。僕は自由自在に泣きもし怒りもする…。偉人や天才や高僧の死の場合、いかに苦悩と虚偽にみちていることか。凡人の死は随分気楽なものだ。」と言っている。
岩井の死とはある意味正反対じゃないか。岩井の死に際のどこが気楽なんだよ。
単に好き嫌いで語ってるくせにまるで森田の本心を代弁してるかのようなまねはやめろ。 >>87
なにが「おそらく廃盤」だよ。
アマゾンで見てみろ。今でもちゃんと売ってるわ。
思いつきで適当なこと言うのはやめろ。 >>88
そこまで君が言うのならば私はカキコミをすることを今後止めよう。
君たちの健闘を祈る。 >>89
家にある同じ色の同じ大きさの版の『森田療法』講談社現代新書 岩井寛
が無かったので廃盤と思った。もし内容は同じなら、大変失礼した。
それでは本当にさらば。 別に書き込みをやめることはない
森田を僣称しなければそれでいい >>91
そのコテが出落ちなんで
やめどきだろうね >>88
> 森田は「僕は生まれるときと同じ心持で死ぬる。その事実をみてごらんなさい。僕は自由自在に泣きもし怒りもする…。偉人や天才や高僧の死の場合、いかに苦悩と虚偽にみちていることか。凡人の死は随分気楽なものだ。」と言っている。
>
> 岩井の死とはある意味正反対じゃないか。岩井の死に際のどこが気楽なんだよ。
>
> 単に好き嫌いで語ってるくせにまるで森田の本心を代弁してるかのようなまねはやめろ。
森田は往生際が悪くて
「どうか見放してくれるな」と医者に懇願して
「死にたくない」と言って
少しでも体調が良くなると枕元で弟子達に快気祝いをさせていたんだよなw >>96
そういう自分の姿を事前に弟子たちに予測しておき
実際にわざわざ弟子たちを集めて意識的に
見せたところがあるので分からなくなる
たとえば高良だったかな、お見舞いに行って
看護婦が腸洗浄の準備を始めたので帰ろうとしたら
「なぜ帰るのかね。今後のためにやり方を見て起きたまえ」
と言って、自分が肛門を洗われてる姿を見せたんだって。
まさに事実唯真なんだろうけど、
ここまでくると俗人なのか偉人なのか分からなくなる。 >>95
君は優しすぎる。その気持ちで十分だよ。
大体書きたいことは書いたしね。あとは知識豊富なここの住人が頑張ってくれると思う。
このスレの繁栄と療法の広がりを陰ながら祈ってます。 俗人でしょ
神経症の治療方法を編み出したのはすごいことだけど、それ以外は普通でしょ
ノーベル賞受賞者が皆聖人君子じゃないのと一緒 なんで医者問題で聖人とか俗人とか持ち出すのか全く意味がわからん。 あれっ、なんかズレてるだけで
これ何も問題ないんじゃないの
誰も聖人なんて言ってる人といないでしょ
宗教じゃあるまいし
偉人っていうのは分かりきってるんだから
俗人と偉人は対立概念ではないので >>97
> そういう自分の姿を事前に弟子たちに予測しておき
> 実際にわざわざ弟子たちを集めて意識的に
> 見せたところがあるので分からなくなる
いや、本当に見苦しい最期だったって
高良先生の高弟で森田療法家で英文の森田療法の研究書を出した先生が
森田自身の生への執着と死への恐怖が人一倍強かったことの証として話されたから
森田は聖人君子じゃないよ 癌の手術の名医が聖人君子である必要はないのと同様に、神経症治療の名医も聖人君子である必要はないでしょう。
名医というのは「知性のある常識人」でありさえすれば良いのであって、ことさら立派な人間である必要などはありません。 >>102
いやだから聖人君子とか
素晴らしい人格者とか思ってないよ
他の人もそんなこと言ってないんじゃないの
また人間は当たり前だけど単なる生物だから
立派な外観でなくなる場合もあるし、
あるいはある日鉄骨が落ちてきて
せんべいみたいにぺちゃんこになって
惨めな外観の死に方をするときもある。
でもそれってそれだけのことで
それ以前にやったこと関係ない気がする
それと惨めな死に方だったとか言いふらす人って
基本的にどうかと思うわ。
そういう言い方をしないお弟子さんが多いので
見方次第なんだろうけど、後者のほうが良いと思うわ。 カッコ良く死んで立派なお墓に入ることなんかどーでもええ。
どー生きるか?どー生きたか?「生きる」を考えようや。
死は降って来るもんや。んなもん天候に任せとけ。 >>104
> それと惨めな死に方だったとか言いふらす人って
> 基本的にどうかと思うわ。
> そういう言い方をしないお弟子さんが多いので
> 見方次第なんだろうけど、後者のほうが良いと思うわ。
このスレの流れがだいたい読めてきたけど
入院治療を受けたことのない、森田療法家の謦咳に接したことのない
ただただ字面だけ追っているあなたが偉そうに仕切っている訳ですね?
人の話に全く耳を傾けようとせず森田の言葉を金科玉条として字面に囚われているのは
さしづめ発見会で言うところの「治りすぎ」の御仁のようですな
私は「森田自身の生への執着と死への恐怖が人一倍強かったことの証として話された」とはっきりと書いているのに
なぜそうした返しが来るのか本当に理解に苦しみます >>107
それは
>いや、本当に見苦しい最期だったって
とかいてたり、誰も聖人なんて言ってないのにくどく
>森田は聖人君子じゃないよ
とか書いてあるからじゃないの
こんどは俺が本だけ読んで治り過ぎになった人だと
攻撃的に失礼な文言で決めつけてくるし。
藤田とかいうところに入院してた人だっけ?
入院療法がそれをやったことがない人を、
そのことだけでひれ伏せさせるほど効果的ではなく、
逆にアンチみたいな人をたくさん生み出してるってのは
5ちゃんの森田やってる人はたいていしってるので、
ひつこく自分の優越性を書き込むのではなく、
それに見合った有益な内容を書いてもらえるとうれしいです。
しかしそうなると本とかも取り上げられて
理論も教えらなかったわけだし、発見会への批判も
多分そこで言われていたことなのか的外れだし、
何か言えることがあるのかどうかが疑問ですがね。 >>107
それと仕切ってるとかはないですね。
5ちゃん、あんまりやったことないですか?
たぶんそういうの普通ないですよね。
どうやって仕切るんだろ? なんだかなあ......。何でもっと人に優しくなれないんだろう。何で自分の意見と違う人の意見があると、人を殴るような書き方しかできないんだろう?
相手の人、嫌な想いしてると想うよ。嫌な想いさせられたから嫌な想いさせていい、ってこと無いよ。
文章の書き方ってあるよ。もっとわかりあったり、そこは悪かった、とか謝れるような反論の仕方もあるよ。
何故傷つけ合うような書き方をするんだろう?わからんわ。これじゃあ、そのうち誰も意見書くのやめちゃうよ。 やっぱり、このスレは良くならないと思うわ。思いやりがないのと、傍観者。
最悪の構図だよ。みんなココやめて本読んで実践した方がいいと思うよ。
余計なお世話でした。さよなら。 >>111
ここは5ちゃんなんでな
強制でもなんでもないんで好きに来て好きに来なければいい
それにしてもあなたのレスもかなりきついこと言ってるんだけど
それは意識しててね
でないと偽善者かカマトトだ
人間はそんなに単純じゃない >>97
>ここまでくると俗人なのか偉人なのか分からなくなる。
こんなのどーでもいい話 神田橋條治氏が、精神療法を理解しようとする場合、
後年の解説本じゃなくて、創始者のものを直接読んで、
その療法が出てきた背景とかも知ったほうが良いとか書いていて、
その意味で、正馬が育った環境やエピソードも興味はあるな。 >>110
発見会の古株で自分は自力で治したという変なプライドのある奴ほどきっついこと言う
生身の人間を相手にしているという自覚が欠落している
ただ集談会もセルフヘルプグループを名乗っているので治療者役を演ずる人も必要なんだけど
入院なんかした人はまずいないからいろいろと的外れなアドバイス程度しか出来ず
彼らの聖典である長谷川本の標語を引いてくるしかない
結果、このスレのようなとんちんかんな話を延々と繰り返すことになる
集談会も最盛期の20年前は人も沢山いたし、20代の若い人達も結構いた
共感的な人も多かったので、語弊はあるけど愉しい集まりではあったよ
ただ入院もそうだけど治っちゃった人は出て来なくなる
中途半端に本を聞きかじって、言葉の字面に囚われた人達が
治療者でも難しい治すことを試みるからおかしくなる
最近は人が激減して若者も寄りつかなくなって閑古鳥が鳴いている
聖典が時代にアップデートされていないから魅力も感じられないんだろう
入院も本部学習会も両方やった経験者だけど
字面に囚われている間は駄目だし、何かにつけて標語を持ち出すのも治ってない何よりの証拠
残念だけど発見会では神経症の治癒は難しいね
意識を通さず体得すべきなのに座学で「理論を学習する」なんて百害あって一利なし
懇親会で酒を酌み交わすのは効果があったけどね
今でも会ったりするから
会って、ああこの人は20年も経つのに治ってないんだなあとは思う
向こうもそう思っている可能性はある ただ一つ言えるのは対人の人は発見会は効果がある
対人は重篤じゃ無い限り働き続けていれば、時間が解決してくれるから
その間の支えの一つにはなると思う
本人に意欲のない場合は適用外だけど
適用外疾患の人が来ていたけど幹事が抱え込まずに直ぐに病院を紹介したら
投薬治療が奏功して仕事も失わずに済んだ
あれは幹事さんがネットワークを築いていたからこそ
森田の本を読みあさるよりもそういうネットワーク作りに精を出すほうが100倍くらい有益だと思うよ >>115
俺を発見会の古参とかと決めつけてしまったけど思い込みが激しすぎて
だいたい君みたいな人は自分が超能力でも持っているかのように思い込んでるなあ
しかし発見会にも行ってたことがあるってのは面白いね。
でも先に発見会に行ってたんなら、もう理論的な事が頭に入ってたはずで、
それが入院中にマイナスになったというようなことがあったのだろうか?
これまでのレスから藤田自体がそう良くもなかった感じみたいに思えるので、
どちらのどこが良くて、どこが悪くてとか見えるのかな?
そういうのは面白いね。 >>116
あらっ
上の方のレスでも、これもまた決めつけて書かれたけど、俺対人じゃないんだよね。
例としてわかりやすそうだから使うことがあるだけで。
ああそれと前のスレでもあなたみたいな超能力のある人が何人かいて
おまえは軽めの強迫だから治ったみたいに決めつけられて、
「自分みたいな対人は治らない」お前のは軽症だから治ったと
言いたいみたいで、面倒くさくなって対人の例を使いだしたんだったかな。
でも俺も相当ひどいこと言われてるよな。
俺のほうが言ってるようにはとても思えないんだが。 >意識を通さず体得すべきなのに座学で「理論を学習する」なんて百害あって一利なし
答知ってる側からすると、こんな考え方は解決してな人間だと思うね
こりは他の対人の人にゆうんだが、座して理論を練るのは答を出すためには欠かせない作業。
対人の答は、 え??! そんな簡単なの??!! と驚くほどの簡単な理屈なんだ
だがその簡単な答えに達するまでは、ここはこうして、それからああしてこうしてと、延々と色んな事考えなくちゃならない
その根気があるかないか。
時間も相当長くかかる。 仕事しながら考えるとすると、かなり苦しい期間が続く。
でもそれに耐えなきゃ解決しない
どうせ放り出したら一生苦しいんだから、それよりは一時期苦しいのもしょうがない
それに治れば人に教えてあげられるし、社会も明るくなる。
やはり苦しくても解決に走るべきだ。
そして答えは森田にはないと俺は確信をもって言える。 >座して理論を練るのは答を出すためには欠かせない作業
違いますね
まさに下手の考え休むに似たり
繋驢?(けろけつ)という言葉があります
検索してみて下さい
森田の言葉に囚われている時点で治っていません
臥褥をすると悩み尽くす訳です
そしていったん悩むこと、考えて小手先で何とか小細工しようとすることを止めさせます
また森田療法家は基本的に「正しい答え」を提示しません
患者があれこれと理屈をこねてきても相手にしません
日々の日常生活を通じて何とか体得させようとします
はからう心が捨て切れない人は治りません
森田関係の書を捨て去り、日常生活に没頭し尽くすことが治る早道です
もちろん内省は必要ですが1日の出来事だけの日記をつけると良いでしょう
治ってから森田の本を読むと良いのかもしれませんが
入院療法を受けて治癒した人は森田の本は読みません
現実のほうが優れた教師だからです
変えられない現実を前にしてあれこれ心で小細工をする人が神経症です 対人の答えは青い鳥の話と同じなんだよ。
青い鳥を探して方々歩き回ったが、気がついたらその鳥は自分の部屋にいたということ。
対人の答えは不何の変哲もない、普遍的なものであり、ややこしい哲学も仏教的な悟りもいらない。
そうゆーーーーー難解な言葉が出て来る場合はそれは本当の答えではないといえる。
動揺や恐怖を解決するもの ・・・・・ それは単にそうならないように努力するだけである。
そうなりたくないのが人間の正直な心である。
だからそうならないように頑張る、努力していればいいのだ。
そういうとそれで解決するなら苦労しないという頭の悪いものがいる。
ちょっとやってみてうまくいかないから駄目だという。
こういう人間は、何をやっても一生ダメだろう
考えるということを忘れている。 >はからう心が捨て切れない人は治りません
おやおや、おかしいですね?
僕は何十人も治してきましたが?みな努力して震えないように頑張って治りましたが? www
>変えられない現実を前にして
ほらほら、変えられないと初めから決めつけてるじゃないですか? ww
それも森田の受け売りであり、もうそこから間違ってると何百回も言ってるでしょ??
現実はいくらでも変えられるんです。 森田が変えられないと言ったら変えられないんですか??
森田は神の様ですねえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?? www
森田は神Hじゃないんですよ?? 「タダの」 人間で、あれじゃ治せないと対人関係の本に書かれていますよ?? www
あんたらは森田式の催眠術にかかってるんです。 ただしいと思い込んでるんです。
森田式は全く間違っています。 無知な大衆に悪弊を垂れ流しにしてるんです。
死ぬとあんたらも霊界で罪を償うことになるでしょう >>122
>僕は何十人も治してきましたが?
それはあがり症や対人緊張の人だけなのです。
あがり症や対人緊張は神経症ではありません。
神経症ではないから、あなたの努力療法で治ったのです。
逆に言えば、努力療法で治るものは神経症ではないということです。 >はからう心が捨て切れない人は治りません
今まで何万人がこんなことばに振り回されてきたか。
そして正しい道から外れて彷徨ってきたか。
人生は正しい物の考え方ができるまで繰り返させられるのだ、という心霊界の鉄則が森田式を広めている者たちに重い十字架を与えるだろう。
森田思想の欠陥は、人間としての自然な感じ方、考え方を否定しているところにある。
上がって震えたり、顔がゆがんだりするのは傍から見て、不快なことである。
その常識的な視点が欠落しているのである。
ところが森田式で何とか行動力を得た対人恐怖患者は、森田式から離れたらまた元の恐怖症に戻っていしまうのである。
自分の頭で考えたやり方を持っていないから、森田式を捨てたら動きが取れないのである。
生活ができない。 生きていけないのである。
だから必死に森田式を守るのである。 命に代えても守るのである。
森田患者たちが妙に森田思想にこだわるのはそーーーーゆーーーーーーー理由があるのだ。
かやいそーーーーーに、他人のふんどしで相撲取ってる手前、我々のよーーーーーな自由な立場で発言ができないのだ。
かやいそーーーーーーーーに。
かやひそーーーーーーーーーーーーーーに ・・・・・・・・ >森田式から離れたらまた元の恐怖症に戻っていしまうのである。
そ、そ、そーーーーーーーーだよね〜〜〜〜〜〜
我々のよーーーーーーーに、健全な考え方も理解していて、そいでマトモな行動力も持っていてなおかつ森田もやってるとゆーーーーーー余裕のある奴ならいいけどね〜〜〜〜〜
森田でやっと行動力yを曲がりなりにも持てたってゆーーーーー奴が一番やばいんだよなーーーーーー
他人のゆうことについて行くとゆーーーーのはこうゆーーーーーーー落とし穴があるんだよな〜〜〜〜〜〜〜
くわばらくわばら。
人のふんどしで相撲取るってのは 脱腸脳膜炎天然痘 だよな〜〜〜〜〜〜〜〜〜 >森田でやっと行動力を曲がりなりにも持てたってゆ――ー奴
そうそう。 森田におんぶにだっこで生きてる奴つて、完全に森田に寄りかかって生きてるんだよな〜〜〜〜〜〜〜
森田を外されたら、バタ−−−−――――――ーン !!! って倒れちゃうんだよなーーーーー
他に何も頼るものもないからな〜〜〜〜〜〜
何かに頼るってのがいけないとゆーーーーーーーー事だよなーーーーー
じゃどうしたらいいかとゆーーーーと、やっぱ自分のドたまで考えるとゆーーーーーーー事だよなーーー
自分の頭でこりしかないとユーーーーー真実・事実・ウソのない現実・ を知ることだよなーーーーーーー
これこそが本物だとゆうものにぶち当たるまで考えることだよ
俺はそうゆ――――物を追求してきた。
そして見つけたのだ。 おれのゆう事は本物であり、、何百億年たっても色あせることはない真実である。
片や、森田式は本物ではない。 今でさえ治らないと対人関係の本に書いてあるほどだが、今後は本格的に否定される時が来るだろう。
本物と偽物は属するものを幸不幸に分ける。 でもそれを見分けて正しいほうに行くにしても時間がかかることだから、環境によってはそれが難しい人もいるだろう。
永い間じっくり考えるのは働きながらでは楽じゃない。
だからそこは正しい考え方を教えてくれる人を利用するのもいい。
俺のよ―――――ナ人が一杯いればまたこの世も生きやすくなるのだが。
俺のよ――な心の優し――――――ー人が一杯いるよ―――な良い世界でわないから。
この世は魑魅魍魎バッコするから。
脱腸デベソ天然痘が一杯いるから。
きゃは( ̄∇ ̄;はははは 森田式は、森田がこう思った、とゆうだけのことである。
それが正しという根拠も証拠もない。
間違ってるという根拠ならいくらでもある。
不自然だから。 フツウの人間なら否定する内容だから。
刺身に砂糖かけて食べるようなものだから。
うんこを臭いと云ってはいけないとゆうようなものだから。
人間の自然な感情を否定しているから間違いといわれるのだ。
森田患者はこれを否定したら他に頼るものがないので 、『仕方なしに』 頼らざるを得ないとゆうことなのだ。
動機不純である。
何億年どころか、百年でも信じていることはできない。
歯やjくこの森田の呪縛から逃げ出すことである。 ドッカーン!  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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|::( 6∪ ー─◎─◎ )〜<正馬が正しいんだ。
|ノ (∵∴ ( o o)∴)〜 正馬が正しいんだ。
| ∪< ∵∵ 3 ∵> ムッキー!
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|;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜 オレは森田療法で治った!
|::( 6∪ ー─◎─◎ )〜<オレは森田療法で治った!
|ノ (∵∴ ( o o)∴)〜 オレは森田療法で治った!
| ∪< ∵∵ 3 ∵> ムッキー!
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