強迫性障害を治す2
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強迫行為をやめなければ強迫性障害は治せない。
しかし、実際には、自分の意志で強迫行為をやめることは極めて難しい。
我々にできることは曝露だけ、と思ったほうがよいだろう。
強迫行為をしても構わない。しかし、強迫行為をしたらすぐに曝露すること。
曝露を続けていれば、やがて強迫行為は無意味な行為となる。
強迫性障害 = 強迫観念を打ち消すために強迫行為をしてしまう障害のこと。
曝露 = 強迫観念に身を曝すこと。自らの意志で強迫観念を生じさせること。
反応妨害 = 観念に対する反応(強迫行為)を妨害すること。
■ 当スレッドの使い方
・曝露したら書き込む。
・反応妨害の経過を書き込む。
■ 参考サイト
OCDサポート 強迫性障害の案内板 - http://kyou89.fc2web.com/
Wikipedia - 強迫性障害 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3
厚生労働省 - 強迫性障害 - http://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_compel.html
小さなことが気になるあなたへ - http://ocd-net.jp/
原井宏明の情報公開 - http://harai.main.jp/
■過去ログ
1 - https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1506442320/ 今現在の俺は、強迫症状が鎮まっている状態だな。
モヤモヤ感はあるが特別強迫行為をしたいとは思わない。
何か生じたらここに書き込むことにしよう。 長年強、迫性障害を患ってきたのだが、最近になってようやく理解したことがある。
それは、自分の意志では行為をやめることが非常に難しいということ。
というより、殆ど不可能に近いのではないだろうか。
そしてできることといったら曝露しかないのだ。
曝露反応妨害法のおかげで、手洗いに関してはかなり改善したように思う。
糞をした後に手を洗わずにいられるくらいになった。
ただし、通常はちゃんと手を洗うが。
改善したとはいうものの、手を洗い続けてると、
すぐにまた手洗いが強迫的な行為となってしまい、強迫性障害が再発してしまうのだ。
このような状態ではまだ完治とは言えないだろう。
なんとかして正常な状態を維持してゆきたい。
とりあえずションベンを絞り出してくるか。 屋内での手洗いは特に問題ないな。
ただし、外出後の手洗いについてはどうなのかまだわからない。
マンション共用部のドアの取っ手など、強烈に触りたくない部分がある。
そういう部分に触れた後、手を洗わずに居られるかどうかいまいち自信がない。
今は外出の予定はないが、そのうち曝露にチャレンジしてみたい。 俺が抱えている依存症も曝露反応妨害法みたいな療法を用いて治したいと思っている。
ネットでアルコール依存症やギャンブル依存症の事例を見る限りでは、
やはりこれらの依存症も自分の意志で止めるのは非常に難しいのではないかと思う。
しかし依存症の場合は強迫性障害の治療法とは真逆になるのではないか。
たとえばアルコール依存症では
アルコールを摂取しながら治すなどという治療法は間違っているはずだ。
アルコール依存症を治すにはアルコールを1滴も飲んではいけないとされるのを見ればわかる。
ではどうすればいいのか。 意志ではなく行動、やめるではなくやる、が重要。
依存症を治すために何をやればいいのか。 依存症についてちこっと調べた。
以下の記事がとても参考になった。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/archives/matsumoto-t/
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/040500003/
俺が今まで勘違いしていたことがある。
それは、依存は快楽を求めるための行為ではないということ。
逆だ。苦しみから逃れるための行為なのだ。
つまり、依存に対しては罰といった苦痛を与えることは逆効果になるということ。
苦しみを与えるとより依存が強まる。
ある実験によると、悪い環境では依存が強まり、良い環境では依存が弱まるという。
それから依存から抜け出すための行動の継続が必要なのだという。
たとえば依存が治るまで通院を続けることなど。
そして通院先では何かしらの御褒美が待っていること。
叱られるために行くのであれば病院を変えたほうがいいし、
褒められるために行くのであれば通えばいい。といったところか。 文章がわかりづらかったので訂正。
それから依存から抜け出すための行動の継続が必要なのだという。
→依存の治療には、行動の継続が必要なのだという。
(ここでいう行動とは依存から抜け出すための行動のこと) 俺が何かに依存してしまうのも環境に問題があると言えなくもない。
リアルの人間関係が希薄であるということと、
家にひきこもっていること、あたりか。
依存から抜け出すための行動もしていないように思う。
このあたりを少しずつ変えてゆきたい。 強迫障害自然に寛解して自然に再発する。
腰痛みたいに諦めるしかないのかな 観念は自然に発生するものだからねえ。
曝露を繰り返して観念に慣れれば、観念の意味も変わるのでは。
汚さに慣れれば、汚いものが汚くなくなるみたいな。 「強迫性障害」と「依存症」はどちらも「やめられない」障害。
強迫性障害は強迫観念の苦痛から逃れるために強迫行為をし、
依存症は記憶や環境等の苦痛から逃れるために依存行為をする。
苦痛を避けるために何らかの行為をしている者にとっては、
それをやめることはさらなる苦痛を与えることになる。
苦痛が増せばより依存が強まるおそれがあるため、
治療法としては好ましくないと言える。
強迫性障害や依存症の好ましい治療法は、
「やめる」のではなく「やる」でなければならない。
強迫性障害の治療であれば「曝露する」こと、
依存症の治療であれば「楽園を造る」こと。 曝露については苦痛を与えることではない。
たとえば物に汚物をつけたとしてもそれを苦痛と感じるかどうかは別問題なのだ。
自分の所有物に汚物がつけば苦痛に感じるだろうが、
見ず知らずの他人の所有物に汚物がついても苦痛には感じないはずだ。
つまり、曝露は良い観念を得るための訓練とも言える。
楽園を造るということは、良い環境を造るということだ。
何かが足りないから依存に走るのではないか。
その何かを考え、不足しているものを得るようにする。
そうすれば依存も克服できるのではないかと思う。 偉そうなことを述べているが、俺もまだ治療の半ばである。
今後は強迫性障害と依存症の克服を目指して日々精進してゆきたい。 曝露は停止中。
とりあえず自然に曝露したときはなるべく強迫行為をしないように心がけている。
今は依存症のほうをどうにかしたいと思っているところ。
ちなみに俺は酒は殆ど飲まないしタバコも吸わないしギャンブルも殆どしない。
依存といってもそこまで強い依存ではないのかもしれない。
楽園を造るとは言うもののどのような楽園が良いのかはまだよくわからない。
楽園は一人ではなくそれなりに人がいることが条件になるのだろうか。
助けてくれる人、だな。 スレ違いかもしれないけど
運転免許の更新の時に診断書出してますか? >>19
メンタル系の病院には行ってないので診断書などないぞ。
出す必要があるかどうかは医師に聞かないとわからんし、
医師が出さなくていいと言ったら出さなくていいのでは。
出せといったら出すしかないね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています