■■■死恐怖症(タナトフォビア)38棺目■■■
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タナトフォビアとは死そのものや死に関連するものに対する恐怖症のことです。
このスレにはこんな人たちがいます。
1. 意識の喪失による無が怖い人
2. 死に伴う孤独や痛みが怖い人
3. 悲惨な目や災害にあって死ぬのが怖い人
4. 生や死そのものの不可解さが怖い人
5. 死んで人から忘れられるのが怖い人
6. 永遠が怖い人
7. 身近な人の死が怖い人
8. 生きる事やこの世の全てが無意味に感じるのが怖い人
これらのことを考え出すと思考が止まらなくなり、恐怖・発狂恐怖に陥る人。
タナトフォビアの類義語としてネクロフォビアがあります。
しかしタナトスはもともと死を擬人化した神の名を、ネクロは死体を指すので、
ネクロフォビアというと死体、つまり他者の死を意味するときに使う習慣もあるようです。
(ただし海外では同義語として扱われています。)
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前スレ
■■■死恐怖症(タナトフォビア)37棺目■■■
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1593095291/ 昔は老人や病人を見ると死の気配を感じて怖くなっていたが
最近は赤ちゃんを見ると何故か凄く悲しくなって涙が出てくる
特に幸せそうにしてる赤ちゃんの姿はマジで精神に来る 産まれたばかり故にまだ何も知らない=死の恐怖も知らない幸せさ
癌や事故で早死にしなければ自分が見れない60〜80年以上先の未来を見れる羨ましさ
赤ん坊を見ると自分がもう絶対に手に入れられない心の安寧や失った時間を嫌でも想起してしまい
赤ん坊に嫉妬している醜い己が浮き彫りになる
タナトフォビアの自分は老人が若者に嫉妬する気持ちを
既に20代の頃から赤ん坊に対して持っていた タナトの絶望感てのはこの先スマホが6G~10Gと進化してくのが見れないとか映画ブレードランナーの近未来の世界観みたいに空飛ぶ自動車の時代を体験してみたかったみたいなそんなショボいエゴ的不満じゃないだろ
タナトの恐怖てのは自我が消滅するってことだよ、ビッグバンで始まった宇宙もいつか収縮し始めるとかそんなんどーでもいいわけよ
何より自分の自我が完全に消滅する恐怖だわな >>267
自分の場合は赤ちゃんを見るとこの子もいつか必ず死んで無になるんだなと思ってどうしようもなく悲しくなるな
皆に笑顔で祝福されて明るく希望に満ちた未来が待っているのかと思いきや、優しい笑顔で見守り育ててきた大人達は順番に死んでいき、赤ちゃん本人も老いて病んで苦しんで最終的には無になって終了だから
誕生は一見美しいが、裏には残酷な死という現実がどの生き物にもある事を改めて知らされる >>265
それ言われても死が避けられないことを思い知らされて余計辛くなる >>268
どうでもよくはない
タナトの問題の主軸は確かに自我の消滅だが、
その自我の消滅という結論から導き出せる副次的産物も無視できない
それがこのスレッドで他の人が書いている
生きる意味や価値を失うとか、努力や勉強や出世をする気がなくなるとか、
百年後の未来を見れないのが悔しいとか、
この世の全てが虚しく映るとか、宇宙とは何なのか等の、
死後の無を悟ったからこそ生じた
あらゆる疑問や厭世観もタナトが生んだ問題に他ならない
>>269
反出生主義者の気持ちが今なら分かる
自分も何度神や生まれ変わりを信じているのが普通で
宗教がごく普通に否定されず罷り通っていて
科学が発展していなかった遥か昔の時代に生まれたかったと、
何百回心の中で愚痴り嘆いたか数え切れない
科学の進化は人の行動を便利にしあらゆる生活水準を上げた
その代償が、完全なオカルトの否定、神や霊の不在証明…
即ち死後の無の確信であり恐怖と絶望の確定だ
無の恐怖を知りながら生き続けなければならない絶望
これは科学によるあらゆる恩恵を加味しても決してプラスにならない
間違いなく宗教国家や昔の時代に生まれた人達の方が幸せだ 中東のイスラム系の国に生まれれば一生宗教を信じる事が出来て
死の瞬間まで幸せに過ごせる。例えテロリストになって悪逆の限りを尽くそうとも。
日本等の先進国に生まれてもタナトにならない限りは、死について深く考えない限りは
癌等の死が近づく病にかかるまでは人生を幸せに過ごせる。
タナトになったらそこから一生涯を不幸なまま生きねばならない。
金でも努力でも権力でも決して覆せない死が悩みなのだからこの不幸は絶対に治せない。
最大の不幸である死は結論であり結果だが、その結果に辿り着くまでの過程
つまり人生は嫌でも過ごさなければならないし、
その過程までもを不幸で塗り潰していくのがタナトフォビアなのだ。
結果に達するまで幸福な中東の人達。結果に達するギリギリまで幸福でいられる一般人。
過程の全てを不幸で染められるタナト患者。同じ時代に生まれてもこれだけ差がある。
楽しい事を楽しく感じられず、幸福を幸せと思えず、喜びや快楽を享受しても飲み込めない毎日。
これが、老いて死に消えゆくまでずっと続いてゆく…。 >>272
トランプは一応キリスト教信者を公言してるけどあれだけ唯物的に儲けたビジネスマンが本当に神を信じてるんか?
もう74歳だから死の扉が見え始めてる年齢だと思うが何であんな活力あるんだ?
ちょっと話はそれますが、アップル社の創業者であるスティーブ・ジョブズさんは56歳という若さで命を落としました。
彼の直接の死因はすい臓がんですが、私は彼の食生活に原因があったと考えています。彼がベジタリアンだったことは有名ですが、生のアーモンドを好んで食べてたそうです。
そして、これが彼のすい臓を痛めつけたと思われます。
彼は、それこそ、”四六時中”、生のアーモンドを食べていたそうです。さらに、ジョブズはフルーツを好んで食べていたとも聞きます。真偽は不明ですが、フルーツを種ごと食べていたという話もあります。
もし、これが本当だとすると、彼がすい臓がんに侵されたのは、大いにうなずけます。
というのも、すい臓がんで私の病院を訪れる患者さんに食生活の話を聞くと、「フルーツを種ごと食べる」とう人が多いからです。
『ただしい玄米食、危ない玄米食』鶴見隆史著より
逆にトランプ元アメリカ大統領、来日時のメニューを見ても、加熱されたアメリカ産の肉、高温処理されたポテト、など糖化しまくったものが大好きなご様子。
食物繊維の摂取が少なそうで、健康学的には、アウトなものが多いんですね。
ファーストフードが大好きで、マクドナルドもよく食べているとか。
マクドナルドのようなファーストフードを常食したりしている場合、栄養学的には、段ボールをたべているのと変わらないのではないかと思うのですが、
でも、トランプさんは70代で大統領になりバリバリ働いています。今も昔も、とってもお元気そう。
こういうケースを見るに、好きなものを好きなだけ食べてストレスフリー、なほうがいいのかもしれません
https://i.imgur.com/cLbjPVM.jpg >>272
貧富の差は絶望的になったというけど
タナトになるならないの差の方が絶望的だと思うね >>274
非常に究極的な極論を言わせてもらうと
死ぬ瞬間に恐怖を感じていたらその人は不幸だし
感じなかったら幸運な人生だからね
それまでの貧富や苦楽等の一切は関係なく、
脳が止まり全てが無に帰す刹那の脳内電流の差異だけが全て
どんなに金や権力や名声を手に入れて
子供や孫に囲まれた幸せな老後を掴み
高給老人ホームやホスピスで最高級の治療を受けても
臨終の際脳が痛みや苦痛、恐怖の感情で埋め尽くされていたら最悪な人生
逆に生まれた時親がいなくても虐待されても
貧乏でも虐められても障害を持っていても
学歴がなくても犯罪を犯して前科が付いても
ホームレスや乞食になってもどんなに底辺な生活だったとしても
死を迎える場所が安アパートの汚い布団で孤独死だとしても
ガード下のダンボールハウスで凍死や餓死だとしても
恐怖を感じずに死ねれば、その人の人生は幸せだと言える >>275
極端な結果が全てという考え方がタナトを助長しているように思える
どうせ最後は無になるから人生は無意味だという考え方もそうだが
一般人はプロセスが楽しかったり美しかったりすれば結果は二の次という考えの人も多い
こういう考えのほうが「今」を楽しく生きられると思う
プロセスを無視した結果ありきの考え方では虚無感を増すだけだ でも実際そうだしな。
死ねば全てに意味がなくなるのは。
葬儀場で働いていると遺族や弔問客の
(故人は)幸せな人生だったとか天国で見守ってくれてるとか
そういう亡くなった人への想いから悲しみまで毎日数多く聞こえてくる。
そういう声を聞く度に、でももう故人はこの声や想いを聞くことができないと、
無に還ってしまったからこれだけの人が集ってきてくれた事すら知り得ないのだと
他人だとしてもその亡くなった人の事を思うと遣る瀬無くなる。
自分はその度に、神がいないこの世界を、霊が存在しないこの世界を、
天国や生まれ変わりがないこの世界を、
オカルトが存在する事を許さないこの世界を、
物理法則に従った行動や物体しか存在を許されないこの世界を、
「こうなるしかなかった」この地球を、宇宙を、世界を心より憎む。 >>276
どうも死恐怖症には二つのタイプがあるらしい。
自分がおかしいと思っているのと、他の人間がおかしいと考えているのの二つで、これは相容れない。 >>275
断りは入れてるけど、やはり極端すぎるな
また幸福論(人生論)とタナトをごっちゃにしてる
やはり(普通は)地位名誉金銭が欲しいに決まってる
それとタナトは関係ないよ
ただし重度のタナトに罹患したら貧乏だろうと、金持ちだろうと人生が楽しめなくなる
結果的にワァー!!ってなって地位名誉金銭など何もいらない!というパターンもあるかもだけど 人生を味わいつくしてタナトになった釈迦は美しい
苦しい人生から目を逸らすために何もせずに悟ったふりをする者は見苦しい 10年くらい前から既にオカルトは衰退してたけど、ここ数年は更に凄い勢いで文化が失われているなと感じる
心霊番組は全然やらなくなったし美輪さんは実は霊が見えないと言ったりネットでは霊やあの世について語る場も無くなってる
不思議ネットすらまとめるスレが無いのかアクセス数が伸びないのか知らないが最近はオカルトを扱わずに殺人事件だの閲覧注意の死に方だの単に死を扱っただけの記事ばかり
多くの人が霊やあの世を信じてた90年代や占いスピブームだった00年代に戻りたい 僅か数十年で人々のオカルトへの想いも宗教観もすっかり変わっちゃったよね。
それだけ科学が進歩・発達する速さも倍増しているという事だけど。
これから先の世代は生まれた時から神や霊を信じないように社会と文化が教育してくれる。
必然的にタナトフォビアになる人も増えていくだろう。
一切の夢や妄想を抱かず現実主義者に、唯物論者に徹するという事は、そういう事なのだから。 宮台真司はキリスト教(カトリック)信者だけど
このスレにいる俺らより桁違いに頭脳明晰で聡明な人が仏教の色即是空ならならまだしも
本気で神とか復活みたいなキリスト教的なストーリー性を信じてるのかな? >>277
それお前の感想だよな。
色々と間違ってるけど。 心霊スポットとか怖くないわ
むしろ幽霊が出てきて欲しい >>284
日野原重明さんは医者でクリスチャンだったけど、本当に天国があるのかどうかは分からないから毎晩寝る時に死が怖くなる。と本に書いてあった >>285
どこがどう間違っているのか何行かかっても構わないから説明頼む。 >>288
~霊が存在しないこの世界を、
天国や生まれ変わりがないこの世界を、
オカルトが存在する事を許さないこの世界を、
物理法則に従った行動や物体しか存在を許されないこの世界を、~ そもそも死んだら無って考えがおかしい。
死んだら無になるかもしれない恐怖に怯えている、というなら分かる。 _Y_
r'。∧。y.
ゝ∨ノ お前らが死んでも ,,,ィf...,,,__
)~~( 世界は平常運転 _,,.∠/゙`t-nヾ ̄"=ー-.....,,,
,i i, ,z'"  ̄ ̄ /n゙゙''''ー--...
,i> <i 文明はどんどん発達し r”^ヽ く:::::|::|:::〔〕〔〕
i> <i. ていく・・・・・・。 入_,..ノ ℃  ̄U ̄_二ニ=
`=.,,ー- ...,,,__ |,r'''"7ヽ、| __,,,... -ー,,.=' >ーz-,,,...--,‐,‐;;:'''""~
~''':x.,, ~"|{ G ゝG }|"~ ,,z:''" ___
~"'=| ゝ、.3 _ノ |=''"~ <ー<> / l ̄ ̄\
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ヘ 「 ̄ ̄ ̄| / >>281
情報技術の発達もあるが、オカルトが廃れたのはだいたいオウムのせいだな
ただオカルトの盛り上がりについていけなかったタイプのタナトもいたとは思うから良かれ悪しかれかなあ
>>292
発達しとらんやんけ >>293
宜保愛子とかオーラの泉とか矢追純一のUFO特集やあなたの知らない世界のようなオカルト番組が普通に放送されてた時代でも
唯物論者はオカルトなんて信じてなかったよ
情弱な人も流行りの歌番組やお笑い番組見るように惰性で流されて上辺で見てるだけで
今も昔もオカルト的な思想にハマる人は一定数いるだろ
YouTubeでも都市伝説とか怪談話やUFO動画のチャンネルみたいなやつ再生回数が微エロで吊る動画と並んで多いやん 死後の世界はないし遠い未来を見る事のできない哀しさ >>287
最高齢医師であれだけ多くの人を見取って来た医師、
そして生きるとは何かを啓蒙してきた人物だったのだから、
最期の最期まで動画撮影をして死に際を世に見せて欲しかった
大林監督が病に侵され、余命いくばくもない中でカメラの前で後輩に向かって話していた映像は感動した
本当は痛みの苦しみがあったのかもしれない、死の恐怖を感じていたのかもしれないが
口調が穏やかそのもので後輩への熱い願いの語りに涙が出たわ
本当に立派な人だった
死が近い中でも人としての尊厳を保てる可能性を見た気がした
タナトとズレてすまん おまえらまじで幽霊怖くねえの?
やろうと思えば深夜に無人病院で懐中電灯片手にうんこして風呂入って一周したりできるの? >>297
幽霊は怖くないけど、事故とか不審者が怖い 幽霊が居るなら是非出て来てくれといつも思ってるよね
廃墟の探索は建物の倒壊、病原菌の感染、逃亡者や浮浪者との遭遇、犯罪組織が行う取引現場や死体処理の目撃などの方がどう考えても怖い >>299
短期間で何人も何故か入居者が出て行ってしまう家賃が相場の半額の事故物件には住める?
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/sinrei/105chichibu.html >>300
そういうのは近所に頭おかしい人が住んでるとか虫が多いとか湿気が多いとか
事故物件として有名になったことで好奇の目に晒されて人が見に来るなんて可能性もある
幽霊関係なく余計なものを呼び込む要因はありえる >>297
過去スレでは幽霊を見て呪い殺されるのならば死後の無の否定を確信しながら死ねるので
タナトにとってこれ以上嬉しい死に方はないと言ってた人や
廃墟巡りどころかオカルトスポットや深夜の墓地を
幽霊を見たくて頻繁に徘徊している人もいたよ 数十年前までは、死んだらどうなるのなんて薄々分かってる人も黙ってたし
分かってない人も分かってないまま進んで知ろうとはしなかったんだよ
だってそれを調べる文献・媒体が本やテレビしかなかったからね
誰もいちいち科学者や医者に聞いてまで真実を聞こうとは思わなかったし、
だからこそオカルト番組も堂々と高視聴率を稼ぐ事ができた
windows95が生まれて一般人にもインターネットが浸透した
この25年間でその辺りに禁忌に触れる事への繊細さなんてすっかり変わってしまった
死の真実や生命の仕組みを調べようと思えば誰でも、
それこそ小学生でも調べる事ができるようになってから人々のオカルトへの興味も
霊や宗教に抱くイメージも死生観すら急速に、劇的に変貌してしまった
それまで色んな宗教家や自称霊能力者が数千年もかけて築き上げてきた
オカルト要素や精神や心を救う為の神仏への祈り、
死の恐怖を取り払う為の輪廻やあの世の存在がたった数十年で崩壊したんだ
いかに今の科学が凄まじい速度で進化しているかの証左であると共に
たまたま現在産まれてしまった者、そしてこれから産まれてくる者達にとって…
これからの時代は死を恐れる者にとっては絶望でしかないという事でもあるな 中卒ヤンキーやホームレスですら様々な事象に科学的根拠を求めるほど
様々な世帯の隅々まで現代的教育が行き届いている時点で
もう日本という国にオカルトというサブカルチャー文化が復権する事はないのかもしれないな。
それは素晴らしい事なんだが、もう夢や妄想が立ち入る隙が無いというのは寂しいもんだ。
オカルトは漫画やアニメのように嘘は嘘と割り切って楽しめるような概念じゃないしね。
心のどこかで本当にあるんじゃないか…?現実に存在していてほしい!という願望が混じっている。
神や霊や生まれ変わりが絡む心霊現象なんてその最たる物だ。
何しろ否定されたら死んで消滅する現実を受け入れなきゃならないんだから
死を恐れる者だけでなく、夢を抱く者達まで生き難い時代になってしまったと痛感しているよ。 >>307
>様々な世帯の隅々まで現代的教育が行き届いている時点で
別に学校で霊魂は存在しないっていう教育はしてないだろ
高学歴な医師の中にも霊魂の存在を信じていたり科学じゃ割り切れない経験している人はけっこういるようだぞ
https://www.kurotobi-clinic.com/column/entry371.html
https://youtu.be/iDCqeVpHzq8 オカルトとか、霊とかいう単語が入っていただけでもう読む気がしなくなる 霊なんていませんよあるのは心霊現象という未知の現象であり
死んだら無なんですから意識の消失永遠の無何もないから意識もない この世も必ず死ぬって時点でデスゲームだよな。なんで皆へらへらしてんのかわかんね。 「いる」と断言する人も「いない」と断言する人も嫌い
>>311のように無と断言する人も逆に霊やあの世がありますと断言する人もね
「わからない」と言うのが正しい
人間が見てきて知覚できた事を、人間だけが知りえただけに過ぎない事を
勝手に100%とか0%と決め付けて勝手に自分の中で確定して勝手に恐怖したり絶望したりしてる
そうだと断言するどころか、そうだと思うというのにすら虫唾が走る
そうだと思ってるって事はその人の中では100%と変わらないからだ 脳の電気信号が意識で、その信号が途絶えたり、まして火葬して脳が灰になったりして、
死後が無以外の可能性なんてあるか?
厳密に言えば分からないといえば分からないけど、現代的科学思考をして無以外の可能性を信じられる人がうらやましい
仮にあの世や輪廻転生があっても記憶の連続性という都合のいいものも無いから自分にとっては無と変わらんし その現代的科学思考自体が
今の時代の人間が考えてる思考の限界かもしれんのに?
科学を妄信する奴も科学という宗教の信者と同じ 現代科学における思考の限界とやらを超える死後の例を具体的に示してくれ
霊とかオカルト抜きで
それとも何百年何千年後じゃないと解明できないとでも言うのか
そうでなければ死が無である蓋然性は自分にとっては限りなく100%だ 霊、オカルト、宗教、スピリチュアル、これら以外に死後の無を否定した知見など見たことが無い
今後科学が発展しても死後の無説が補強されていくだけとしか思えない
死後の無説を覆せる説があるのなら喜んで知りたいくらいだ 死が無だという文字を見るだけで動機が収まらなくなる
俺みたいな奴もある事を覚えておいてくれ
それが事実だとしてもな
そういう事を書くだけで襟首掴んでぶん殴りたくなる 科学ガイジに何を言っても無駄
オカルトは信じないが科学も信用してない
未来の人間が今の科学しか信じず死ぬ死ぬ言ってる書きこみのログ見たら大笑いするだろうさ 無だと思っている人間も、思っていない人間も、思考を停止するな!
これは>>315の分からないと言っている人間も同じだ
どんな結論であれ、どんな感情であれ、そうに違いないと思いこんで
思考が固定化した時点で終わりだ、それ以上の精神的成長は望めない
残りの長い人生30年も40年も50年も一生絶望の中で生きるつもりか?
俺が書いた前スレの過去ログを貼っておく
608 自分:優しい名無しさん[sage] 投稿日:2020/10/14(水) 23:06:30.12 ID:5MXfiTUJ
思考停止している奴が多すぎるんだよ
無だと分かったらもうそこで結論付けて
そこで諦めてそれ以上思考を広げようとしない
これは普通の健常者でもタナト患者でも特に多い
最も恐ろしく何よりも絶望的な事なのに何故諦める?
何故思考を一番最悪に結論付けた所で止めてしまうんだ?
無がどういう概念なのかも理解していない癖に
死んだら無だけどどうにもならないから諦めろってか?
俺は絶対に嫌だね、死の先が無だとしても
その無に対する希望的観測の思考をやめない
そういう意味においては俺は>>607のように
無の永遠さを疑う人や>>560のリンク先のように
無の先の検証や思考実験を怠らない人を心から尊敬する
生きている内から心を死なせないでほしい、それこそが虚無だと俺は思う で、これが前スレ560に載っていた検証
>>319の心の救いになるかもしれないから読んでみてほしい
「タナトフォビアの4つの検証」
https://note.com/aabc57524/n/nf81c6ada2abc 考えるのを止めるなというのには同意。
死後の無に気付いているのに考えないようにしいる一般人も、
死後の無に怖気づいて立ち止まってしまったタナトフォビアも、
考えるのを止めて諦めて流されてしまっているという意味では同じだ。
考えた末に死後の無に辿り着いたのに、考えるのを放棄してどうするのか。
そこからさらに考えろ。考えるのを止めたら人は猿と同じだ。 >>324
「意識とは脳に依存しないで記憶を持ったまま存在できる可能性がある」から、死後の意識の保ち方を探求しようという意見だと思うが
意識というものに対する見解が浅いように思う
現在の科学の主流は随伴現象説であり、多様な情報を脳の各部分のサブルーチン・回路が受け取り,
意識はそれを統合する際にたまたま生まれている現象と言われている
脳機能の局在からすると,そうした各回路自体は意識を持たないゾンビシステムであり、
それを統合する際に,自己の活動を客観視する「意識」が生まれるという考えなのだ
つまり全意識の大部分は無意識にあり、意識は後付けの情報の統合役に過ぎないというわけだ
また、多重人格者や統合失調症を見ても分かるように、「私」という意識も意識の一部に過ぎない
だから死後の意識の永続のみを追及する考えは的外れのように思える
釈迦のように、自我へのこだわりを捨てよと言う方がまだタナトには的を射ているのではないか みんな最初は足掻こうとするんだよな
だけど調べて知識が深まれば深まるほど、
死がどうしようもなくて逃げようがないと解り
肉体より先に心が死ぬ
自分達より遥かに頭が良い医者や科学者や哲学者が
大勢で立ち向かっても未だに解決していないのが死という問題
一般人として過ごせる唯一の解決策が死を意識せず
考えないようにして暮らすなどという現実逃避しかない >>326
>自我へのこだわりを捨てよ
自我に自分はこだわってる・・
以前持病が悪化した時、死が間近にある感じで
足掻きながら、なんとか自我を捨てる時が来るのを
覚悟しようとした・・
生きる上で、自分の考えや譲れないところや楽しみに感じる情緒や思考は
必要不可欠に感じて、それを死の時に
どうやって手放せるかと今もガクブルしてる・・
死後は自我をもっていけないのなら
人生での悩み事悩んでるとき、自我を少しずつ手放そうとも思うんだが
悩みの思考をとめるのも、できる時とできない時があるなあ・・
釈迦はすごいな 釈迦のことを思い出させてくれてありがとう まあ雑駁に言ってうちは山三つ越える散歩とハードダンシングとクッキングと侘茶が趣味だから悩む暇がないん
まあ雑駁に言って空中回転をマスターすることに励めば死を気にすることはなくなると思われるん そしてさらに言えば今日はじめてサラダチキンを作ってみました
意外と面白いのでキミたちもyoutubeで作り方を見るといいん
ヒトは想像できることしかできないというヒトがいるがうちとしては行き当たりばったりでできてしまうことのほうが多いと思ってるん
まあ雑駁に言ってカラダ動かせ!!
今日も善行を施したん!!
まあ雑駁に言って触れるものすべてを黄金に変える能力とやりたいことやってることは同じなん バイバイなん!! まぁー死とか死に関する恐怖に対しての大部分の人間の想像力のなさ、他人事にびっくりするよ
最期を看取る総合病院ですら精神科がないところが沢山ある
薬で恐怖を制御できるわけでもないが、出来うる最小限の対応も想定されていない
それと死に関する恐怖を語ることが極端に忌避される世の中
寿命をまもなく迎える老人だって死が近づけば恐怖心は抱くハズなのに
それについて何か医療的な対応が論議されることもほとんどない
何なの?このいい加減な社会 街を歩いてる人は普段から死を考えるもんなのだろうか
毎日考える自分の方が変なのかな
自分からしたら必ず訪れる死について考えないのが信じられないな よく一般人が死が怖いのは小学生までで年を取れば怖くなくなると言うが自分の感覚では正反対だ
年を取れば取るほど寿命による死が近づき、体は老いて病死する確率も上がり、年上の世代はどんどん死んでいくから次は自分の番だと知らされる
子供は単純に若いので死がまだ遠く、一般的に健康な体を持ち、それでいて知識や人生経験は無いからオカルトに夢を見たり出来るし、全能感があるから自分が死ぬ想像など滅多にしない
大人になったら何らかの不思議な体験でもしない限り霊やあの世を信じる事など出来ないし、自分が特別な存在ではないと知ってるから車が来たり川で溺れたり山から滑落したり機械に挟まれれば奇跡なんて起こらず簡単に事故死すると分かる
知り合いだって増えていくから自然と死に別れる知人の数も増えていく、子供は最近会わなくなった人に対して今はどこかで元気に生きてるんだろうなと考えるが、大人だと倒産した会社の経営者や閉店した店の店主や突然取り壊されている家の家主と音信不通になると少なからずその人の死を想像する
年を取れば取るほど死を中心に物事を考えるようになるのが自然だと思うのだが、どうやら一般人はそうではないらしい
自分は大人になってからあらゆる出来事に対して死を想像したり、死と結びつけて怖がる生き方をしてしまっている
時間の経過と共に死が近づく以上、解決策はこれからも見つかりそうにない >>336
>よく一般人が死が怖いのは小学生までで年を取れば怖くなくなると言うが自分の感覚では正反対だ
タナト症状バリバリの時に色んな関連記事を読み漁ったが、その時に老人の死生観に関する論文?か
きちんとした機関が取ったアンケートだっけかな?を見つけた
それによると老人は概して死の訪れを怖くないと思っているという結果が出てる
ま、もちろん自分はこの結果には懐疑的で当の老人たちも「そりゃいつかは死ぬわな」とか
まだ死が「想像」のレベルだからだと思う
これはニコニコしながら将来のガンや病気を考えながら、医療保険を販売店でチョイスする感覚に似ていると思う
つまり「色々怖いことは想像しているしわかってはいるが」、「まだ(死なない、先の話)」なのだろう
我々は「まだ」のクッションがなく、死に対する感覚が「絶対」「確実」「すぐ」だからなのだろう
その思考の違いがどうして生じるのかはわからないが タナラーって死が最大の恐怖なのにWALKING DEADみたいなゾンビが有無も言わせず一撃でビシバシ殺されるような作品を好んで見る傾向がある矛盾 仕事始まるのと重なって精神的に最悪だな。
申し訳ないけど幽霊見える人が羨ましい。幽霊に意識があるのかはわからないけど、まだ人生に次のステージが有るかもしれないって希望を持てそう。見える辛さも有るかもしれないけどね。 >>337
究極的には普通の人とタナトの違いなんて
死を意識するのが早いか遅いか程度なのかもね
死が本当に目前に迫ってきた時の狼狽はタナトも一般人も変わらないと思うし
>>339
子供の頃は幽霊が本当に怖くて
幽霊なんてこの世にいなくていい!と心より願っていたのに
今じゃ完全に真逆だよ…まさか幽霊がいる事よりいない方が遥かに怖ろしいとはね
今でも幽霊が目の前に現れてほしいと心より願っているし
幽霊に憑り殺されるのならそれも構わないと思っている
少なくとも幽霊を見ながら死ねるのなら霊の存在や
死後に意識が残るのを確信しながら死ねる訳だからね…希望を持って死ねる 自分は全く疲れない
自分も長文書くし、他の人の長文も全部読んでる
どんなに簡潔にしても短文じゃ伝えられない事もあるし
恐怖を紛らわす為に敢えて自分の心境や悩み、絶望を
文章化する人の気持ちも解るから長文でも受け入れるしね >>340
>狼狽はタナトも一般人も変わらないと思うし
全くその通りだと感じている
有名な何人も看取り経験したホスピスの先生やガン専門医でも
家族が死に直面したり、自分が診断を受けると狼狽する状況になるのを色々見聞きしている
ホスピス医やガン専門医ですら「自分の死はまだ先」と思いながら仕事をしているのさ
自分が末期がんになったらタナトを患っている先生に見てもらいたいぐらい 死恐怖症って家族とか友人に相談したら移ったりするのかな? 生まれる前も無だったんだよ
それ考えると死と比例する気がする >>344
自分は他人に相談は出来ないな
せっかく死の恐怖を忘れている、あるいは深入りせずに良いバランスで平和に生きてる人達に、それを気づかせたり目覚めさせるかも知れないキッカケを与えたくない
家族や友達は自分の様に死を怖がる事なくそのまま平穏に笑って生きて亡くなってほしい >>346
だからこういうネットじゃなくて現実世界で霊やオカルトの話をしている時に
面と向かって平気な顔で死んだら無だよと言う奴がいると凄まじい嫌悪感が湧く
死んだら無だと思っている自分ですら、そう思っているからこそ言いたくないし人に言わないのに
こいつはどこまで気遣いや優しさが無い奴なんだ?と軽蔑する
逆にそいつが死ぬ瞬間にもうすぐ無になるけどどんな気持ち?って言ってやりたくなる
それと>>161の人が言っているけどもしそれを家族に相談して
家族が同じく死んだら無だと思っているタイプだと知ってしまうのが嫌というか、
例えそうだと分かっていたとしてもそれを本人の口から聞きたくない、認めたくないって気持ちもある
自分が無神論者なのはいいけど親兄弟が無神論者なのは許さないって
凄まじく身勝手な事を言ってるのは分かってるんだけどね 死恐怖症になって思うことはもっとみんな転生とか天国とかがあるって信じてる世の中の方が幸せに生きられそうだと思う
救いがなさすぎる 科学はこの数十年で指数関数的な勢いで進歩しているのに
医学は不老不死どころか、未だに癌やエイズすら治せないし
肝心の死を回避する研究は実用化の目途が立っていない上に
宗教や倫理等の邪魔者が死を遠ざける研究の妨害をしている
これ、とんでもない事だと思うよ
最早科学と医学の進化によって死の先に救いが無い事は明らかなのに
国も企業も本気でそれを解決しようと思っていないし打破する気もない
現に良い薬や凄い研究が出てもやれ利権だの大手企業の妨害だのが入って潰されてる
全ての病気や死に近づく原因を根絶し、
不老とはいかずとも一年でも一ヶ月でも一日でも一秒でも寿命を長く伸ばす為に
研究を続け、金も人も惜しまず投入する事こそが企業の、国家の、全人類の義務ではないか?
少しでも長く生きていたいと願う生存欲以上に強い欲望など有り得ないのに
権力者はみんな自分が生きている短い間の利権とか快楽にしがみ付いて、
全人類の寿命を伸ばそうとする研究や努力になど興味を示さない
全ての国家が強権を発動して寿命を延ばす医学研究に国家予算を全振りしていたら
とうの昔に人類の平均寿命は今より20〜30年は伸びていたはずだ >>349
前段まで同意だったんだが、後段には賛同しかねる
タナト的に言えば、寿命を少しばかり伸ばしてどうなる?
一般的に言えば、寿命を延ばせても健康寿命を延ばすことは極めて難しい
(最期に近づくにつれ、無茶な延命医療で苦しまされる)
タナトにとっては「死」なんて大したことではないと思える状況(医療)が必要だよ
重い病気になったら手続きですぐ安楽死できる制度とか、
麻酔投薬で何の痛みもなくすぐ安楽死できる医療とか
それらが実現出来れば少しは「死が近づいてきた時に死について考えよう」と先延ばしは出来る
あとは自分の中で死の概念が、「無」や「無限有限」や「輪廻転生」でなく
「(砂漠の砂が風で吹き飛ばされるように)消える」になればほぼタナトが克服出来たと思えると思う
ま、消えることが怖い人にとっては当てはまらないが、自分はほぼ痛みと無限恐怖だけなので
つまり「死ぬのってどういうことなんだろう、死の先は?」とか考える時間を医療技術によって最短にする
タナトでない人が幸せなのは「死のことを考える時間」が俺らに比べて短いから
例えば普通は、死をリアルに考えるのは重大な病気の宣告を受けてからとか、本当に高齢になって仕方ない年齢に近づいて来たらとかね
(すぐに死ねない難病とか、なかなか寛解しないガンの例とかは確かにあるけど)
現在のタナトの解消法は「死を意識せず、毎日を生きることに徹する」だけど、
これを制度や医療によって担保されれば相当に改善する 死は生物の進化によって獲得されたものとされている
個としての生に意味は無く、種としての存続に意味がある
そのための種の多様性を担保することが死の目的
問題は意識というものが進化の過程で肥大化しすぎた事だ
肥大化した意識が自我の永続性を望むようになった
これは一種のバグのようなものだ
つまりタナトとはバグなのだ、本来個としての生物は死んで当然なのだ 死にたくねぇな…
こんな思いするなら生まれなきゃよかった >>351
人類の脳が巨大化し知能が発達しすぎてしまったのも不幸なバグであろう
人類は知らなくても良い知識を知りすぎて、
理解できなくて構わない事象を理解できすぎて、
作る必要のない概念を脳内で作りすぎた
その結果が宇宙全てに意味の無いこの世に絶望し、
神や霊を勝手に脳内で作って無いと解ったら恐怖に怯え
生きるのも面倒だが死ぬのも嫌というタナトかつ、無気力な人間の誕生だ
死の恐怖や虚無感を知らずに生きるなら、人類は進化するべきではなかった
何も知らない類人猿のまま進化せずに絶滅すべきだったのだ
何が万物の霊長か?生物の頂点に立つ代償が高度な知能による死の理解と
無に戻る確信だというのなら、私は低脳な猿のままでいたかった… 人間の差異はちょっと複雑なパズル程度の誤差しかないから大体みんな死んでも変わりはいるから大丈夫
で自分と呼べるものをものをちゃんと残せる感じでデータ化しとけば埋もれてしまってもちょっとは残んじゃないかな 人は自分のストーリーを変えられると思っている
一生懸命、次の瞬間に色々な方法を試して
どうにかしようと足掻く
でも、コントロールがあると確信している存在自体がストーリー
「わたし(自我)」は夢のキャラクターと同じくらい、不確かなもの
実は、誰も生まれてないし、誰も死なない
誰も何もしてないし、どこにも向かってない
ぜんぶ、起きていて、同時に何も起きていない 記憶も容姿も何もかも全てを再現した自分を
自由に生み出すことができたとしても
そいつはこの自分ではないんだよな 4月から工場に就職して働いてたけど、機械に巻き込まれて死ぬのが怖くて、先日とうとう辞めてしまった。
ハロワに行ってもドライバー、工事、ビル清掃など、死亡率高そうな仕事ばかりで怖くて応募出来ない。
皆はどんな仕事してる? やはりタナトになると普通に働く事も難しくなるのですね。
本気で今悩んでて苦しい。生きるのが辛い。しかしそれ以上に死ぬのは怖い、死にたくない。
最近は夜道を歩くのも無理になった、暗闇を見ると怖くなり動悸が激しくなる。
もっと怖いのは火。火を見ると火葬を連想してしまって、吐き気と涙が止まらなくなる。比較的安全だと思われたパン工場の短期バイトに採用されたのに、パンを焼く行程があまりに怖くて数日で辞めて、迷惑を掛けてしまった。
もうどうすればいいのか分からない。普通の人ならここで自殺を選択するのだろうが、それだけは絶対に嫌だ。
まずタナトを改善しようと思い、藁にも縋る思いでオカルトサイトを幾つか見たけど、オカルトを否定したり馬鹿にするネタとコメントばかりで逆に悪化。YouTubeのスピ系動画などにもやはりコメント欄には罵詈雑言。
彼らは怖くないのか?何故笑って死や火葬の話が出来るのか、霊や天国を全否定して正気を保てるのか。羨ましさより恐ろしさを感じる。俺は否定した先にある恐怖ともうこれ以上向き合えないよ。
いっそのこと生まれた時から宗教とかに染まって育てられて、洗脳されたかった。本当に死の恐怖が無くなるならそれは素晴らしい事で、どれだけ金を持っていかれようと構わないとすら思える。
しかし今の時代では後天的に酔いたくても酔えないな。 亡くなった人は今の社会や変わっていく街を見る事ができなくて
自分も亡くなればその先に俺がいなくて変わっていく社会も街も人も見れなくなる
すごい哀しい >>361
昔まだ今みたいにスマホや携帯が一般的じゃなかった時代、好きなコの家に電話かけてまず最初に親が電話口に出る緊張感、それから娘にかわってもらうワクワク感とか
ラインとか今じゃサクっと繋がれる時代とどっちが幸せとか測れなくね?
今Amazonプライムで4kの大型50型のBRAVIAでFire TV Stickのリモコンでサクっとヒット映画を酒飲みながら見てるけど(ちなみに遊星からの物体Xのリメイク版)
小学生の頃テレビのゴールデン洋画劇場で初めてジョン・カーペンターの初代「遊星からの物体X」見て次の日クラスの映画好きとヤバさを語り合ったワクワク感とだったら小学生の頃のワクワク感のほが勝るなぁ 自分が死んだ後の社会を想像することの恐怖は
SF系の映画やアニメスレにもたまにある
ま、そこにおまえらはいないんだけどな!って
不意にタナト的空気になって白けるやつw
確かに100年後、200年後の社会の発展は人並みに気になるし
そこに自分が全く関われない現実は哀しいけれども
しかしそれなら終末系SFのように人類の歴史の終わりや
宇宙の消滅の可能性まで考えると一番の恐怖ではない気がする
やはり恐怖は宇宙から永遠に消滅することの意味不明さかな 昔の人と今現在の人では未来への想像力に遥かな違いがあるからね
弥生時代の人に電球や電話を想像するのは不可能だし、
江戸時代の人に車や飛行機やパソコンをイメージはできなかったし
大正や昭和一桁時代の人だって
スマホやドローンを若い頃に想像なんてできなかった
でも現在に産まれ生きている人達には、
先人の残した科学・医学だけでなく
小説・映画・漫画・アニメ・ゲームと
あらゆる娯楽で色んな人達が残した創作により
数多の一般人にも未来に作られる製品や娯楽が想像できるようになった
これは特にインターネットの普及により
個人単位での想像や夢も世界中で共有できるようになった事が大きい
未来の技術やできる事の想像力の強さは後の時代に生まれれば生まれるほど高くなる でも、この想像できるようになったというのが辛いんだけどね…
他の人が散々言っているように最初から想像なんてできなければ、
思いつかなければその理想の未来に自分はいないなんてショックは受けずに済むし
癌になった人が癌がもうすぐ完治する時代が来る!なんてニュースを見て
未来の医学を受ける事が出来ないまま死ぬ我が身を呪う事もなかったのだから…
むしろ中途半端に科学が進んでいる現在に生まれて、
他の国より殺される可能性が少ないし
医療による延命処置や平均寿命も最高レベルに恵まれた
この日本という国に生まれてしまったからこそ
タナトフォビアにとっては、逆に不幸なのかもしれない
未来の想像や期待はできるが、それまで生きれず
癌やエイズや不治の病を特定は出来るが、完治は出来ず
神や霊やあの世を否定は出来るが、救いは与えられず
死後の無は解ったが、それを回避や解決は出来ず…
過去より遥かに幸福だが、死の本質に対しては一番中途半端で最も絶望的な時代
これじゃ昔の時代に生まれていた方がマシだったのではないか?
少なくとも宗教が否定されていない時代なら、タナトになる事はなかったはずだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています