■■■死恐怖症(タナトフォビア)38棺目■■■
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
タナトフォビアとは死そのものや死に関連するものに対する恐怖症のことです。
このスレにはこんな人たちがいます。
1. 意識の喪失による無が怖い人
2. 死に伴う孤独や痛みが怖い人
3. 悲惨な目や災害にあって死ぬのが怖い人
4. 生や死そのものの不可解さが怖い人
5. 死んで人から忘れられるのが怖い人
6. 永遠が怖い人
7. 身近な人の死が怖い人
8. 生きる事やこの世の全てが無意味に感じるのが怖い人
これらのことを考え出すと思考が止まらなくなり、恐怖・発狂恐怖に陥る人。
タナトフォビアの類義語としてネクロフォビアがあります。
しかしタナトスはもともと死を擬人化した神の名を、ネクロは死体を指すので、
ネクロフォビアというと死体、つまり他者の死を意味するときに使う習慣もあるようです。
(ただし海外では同義語として扱われています。)
スレが埋まりそうになったら新スレが立つまで書き込みを控えましょう
前スレ
■■■死恐怖症(タナトフォビア)37棺目■■■
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1593095291/ 死にたくねぇな…
こんな思いするなら生まれなきゃよかった >>351
人類の脳が巨大化し知能が発達しすぎてしまったのも不幸なバグであろう
人類は知らなくても良い知識を知りすぎて、
理解できなくて構わない事象を理解できすぎて、
作る必要のない概念を脳内で作りすぎた
その結果が宇宙全てに意味の無いこの世に絶望し、
神や霊を勝手に脳内で作って無いと解ったら恐怖に怯え
生きるのも面倒だが死ぬのも嫌というタナトかつ、無気力な人間の誕生だ
死の恐怖や虚無感を知らずに生きるなら、人類は進化するべきではなかった
何も知らない類人猿のまま進化せずに絶滅すべきだったのだ
何が万物の霊長か?生物の頂点に立つ代償が高度な知能による死の理解と
無に戻る確信だというのなら、私は低脳な猿のままでいたかった… 人間の差異はちょっと複雑なパズル程度の誤差しかないから大体みんな死んでも変わりはいるから大丈夫
で自分と呼べるものをものをちゃんと残せる感じでデータ化しとけば埋もれてしまってもちょっとは残んじゃないかな 人は自分のストーリーを変えられると思っている
一生懸命、次の瞬間に色々な方法を試して
どうにかしようと足掻く
でも、コントロールがあると確信している存在自体がストーリー
「わたし(自我)」は夢のキャラクターと同じくらい、不確かなもの
実は、誰も生まれてないし、誰も死なない
誰も何もしてないし、どこにも向かってない
ぜんぶ、起きていて、同時に何も起きていない 記憶も容姿も何もかも全てを再現した自分を
自由に生み出すことができたとしても
そいつはこの自分ではないんだよな 4月から工場に就職して働いてたけど、機械に巻き込まれて死ぬのが怖くて、先日とうとう辞めてしまった。
ハロワに行ってもドライバー、工事、ビル清掃など、死亡率高そうな仕事ばかりで怖くて応募出来ない。
皆はどんな仕事してる? やはりタナトになると普通に働く事も難しくなるのですね。
本気で今悩んでて苦しい。生きるのが辛い。しかしそれ以上に死ぬのは怖い、死にたくない。
最近は夜道を歩くのも無理になった、暗闇を見ると怖くなり動悸が激しくなる。
もっと怖いのは火。火を見ると火葬を連想してしまって、吐き気と涙が止まらなくなる。比較的安全だと思われたパン工場の短期バイトに採用されたのに、パンを焼く行程があまりに怖くて数日で辞めて、迷惑を掛けてしまった。
もうどうすればいいのか分からない。普通の人ならここで自殺を選択するのだろうが、それだけは絶対に嫌だ。
まずタナトを改善しようと思い、藁にも縋る思いでオカルトサイトを幾つか見たけど、オカルトを否定したり馬鹿にするネタとコメントばかりで逆に悪化。YouTubeのスピ系動画などにもやはりコメント欄には罵詈雑言。
彼らは怖くないのか?何故笑って死や火葬の話が出来るのか、霊や天国を全否定して正気を保てるのか。羨ましさより恐ろしさを感じる。俺は否定した先にある恐怖ともうこれ以上向き合えないよ。
いっそのこと生まれた時から宗教とかに染まって育てられて、洗脳されたかった。本当に死の恐怖が無くなるならそれは素晴らしい事で、どれだけ金を持っていかれようと構わないとすら思える。
しかし今の時代では後天的に酔いたくても酔えないな。 亡くなった人は今の社会や変わっていく街を見る事ができなくて
自分も亡くなればその先に俺がいなくて変わっていく社会も街も人も見れなくなる
すごい哀しい >>361
昔まだ今みたいにスマホや携帯が一般的じゃなかった時代、好きなコの家に電話かけてまず最初に親が電話口に出る緊張感、それから娘にかわってもらうワクワク感とか
ラインとか今じゃサクっと繋がれる時代とどっちが幸せとか測れなくね?
今Amazonプライムで4kの大型50型のBRAVIAでFire TV Stickのリモコンでサクっとヒット映画を酒飲みながら見てるけど(ちなみに遊星からの物体Xのリメイク版)
小学生の頃テレビのゴールデン洋画劇場で初めてジョン・カーペンターの初代「遊星からの物体X」見て次の日クラスの映画好きとヤバさを語り合ったワクワク感とだったら小学生の頃のワクワク感のほが勝るなぁ 自分が死んだ後の社会を想像することの恐怖は
SF系の映画やアニメスレにもたまにある
ま、そこにおまえらはいないんだけどな!って
不意にタナト的空気になって白けるやつw
確かに100年後、200年後の社会の発展は人並みに気になるし
そこに自分が全く関われない現実は哀しいけれども
しかしそれなら終末系SFのように人類の歴史の終わりや
宇宙の消滅の可能性まで考えると一番の恐怖ではない気がする
やはり恐怖は宇宙から永遠に消滅することの意味不明さかな 昔の人と今現在の人では未来への想像力に遥かな違いがあるからね
弥生時代の人に電球や電話を想像するのは不可能だし、
江戸時代の人に車や飛行機やパソコンをイメージはできなかったし
大正や昭和一桁時代の人だって
スマホやドローンを若い頃に想像なんてできなかった
でも現在に産まれ生きている人達には、
先人の残した科学・医学だけでなく
小説・映画・漫画・アニメ・ゲームと
あらゆる娯楽で色んな人達が残した創作により
数多の一般人にも未来に作られる製品や娯楽が想像できるようになった
これは特にインターネットの普及により
個人単位での想像や夢も世界中で共有できるようになった事が大きい
未来の技術やできる事の想像力の強さは後の時代に生まれれば生まれるほど高くなる でも、この想像できるようになったというのが辛いんだけどね…
他の人が散々言っているように最初から想像なんてできなければ、
思いつかなければその理想の未来に自分はいないなんてショックは受けずに済むし
癌になった人が癌がもうすぐ完治する時代が来る!なんてニュースを見て
未来の医学を受ける事が出来ないまま死ぬ我が身を呪う事もなかったのだから…
むしろ中途半端に科学が進んでいる現在に生まれて、
他の国より殺される可能性が少ないし
医療による延命処置や平均寿命も最高レベルに恵まれた
この日本という国に生まれてしまったからこそ
タナトフォビアにとっては、逆に不幸なのかもしれない
未来の想像や期待はできるが、それまで生きれず
癌やエイズや不治の病を特定は出来るが、完治は出来ず
神や霊やあの世を否定は出来るが、救いは与えられず
死後の無は解ったが、それを回避や解決は出来ず…
過去より遥かに幸福だが、死の本質に対しては一番中途半端で最も絶望的な時代
これじゃ昔の時代に生まれていた方がマシだったのではないか?
少なくとも宗教が否定されていない時代なら、タナトになる事はなかったはずだ >>362
タナトが激烈に強い時期は、昔の映画とか怖くて怖くて見られなかった
出演している俳優女優はもうこの世に居ないか、存命でもボロボロの超高齢だったり
自分は無限恐怖が強いけど、それ以外に人の一生の無常に対して激しく悲しくむなしくなる感情を持っている
生れたら父母祖父母に囲まれ温かいまなざしを向けられて育てられ、
学校生活や受験で悩み、
社会人になって苦しい時も楽しい時も
子供が生まれ自分がされたように喜びに涙し、
泣き笑いの子育てをし
あっという間に子供は独立
落ち着いたかと思えば祖父母の死、親の介護が始まり
ずーっとずーっと先だと思っていた定年をあっという間に迎え
苦しい介護生活が終わったと思ったら、ついに自分に重い病気が見つかり余命宣告
もう、人生なんてあっという間
全てが霧のように消えて行く、苦しい記憶も楽しかった記憶も全て
ああ無常! 早く人生なんて終わりにした方が良いと思う
人生は苦痛の連続なので死はむしろ望ましく喜ばしいことであって、悲しみではない
それでも死は苦しみを伴う、なので最初から産まれないのが一番良い 久々に本屋に行って何冊か読んだら幾らか落ち着いた
外出はコロナ感染の危険性こそあれど、癒しや励ましの言葉を一人でゆっくり探したいなら本屋へ行くに限るな
ネットは情報の豊富さと便利さでは敵無しだが、あまりにも悪意のある雑音が多いので何気ない場所でのたった一言が心に致命傷を与えかねない
昔はそんな事無かったんだが、気づいたら他人の心の拠り所を破壊して喜んだり、怖がる人間を見下して悦に浸る層が蔓延している
本屋ではそういう悪意に遭遇する心配が無いので安心して自分に向いた本を探せる
救いを求めるなら著者が知識人揃いで研究や調査がきちんと行われていて、疑り深い人間を心変わりさせる可能性がある新書の棚に置かれた本が最適だ
この中から自分の心に強く響き、明るく前向きな気持ちにさせてくれた商品だけを購入して生涯の家宝とする
ただしネットでその本の評判を調べてはいけない、例え少数の批判でも一度目にすれば心に負の感情が蓄積されて、一時は聖書に思えたその本が一転して価値が下がって見えてしまう
タナトはとにかく神経過敏で死にまつわる事、死を連想するもの、無などの単語を見聞きすると恐怖を感じてしまい日常生活が狂ってしまう気質だ
希望を見つけては何らかの要因で絶望し、また新たな希望を見つけては再び些細な事で絶望する日々を繰り返すのがタナトの宿命なのだろう
絶望を完全に取り除くのが不可能ならその時間を一秒でも少なくして生きる為に、嫌な気持ちを感じたら翌日に近所のショッピングモール内の書店へエスケープする人生を歩もうかなと今日思った >>369
コロナレベルでこれだけあたふたしてるのに不死とかまだまだオカルトニュースレベルだろ
仮に10~20年後に不死の研究が成功しても人類はまだ惑星間移動で火星に行くのも難しいし時間もコストもかかる
さらに火星に住めるようなコロニーを建設するのは遙かに先だから
それより先に不死が実現したら今でさえ人口問題とか食料問題とかかかえてるから新生児産んじゃいけないみたいな法律になるぞw
沖縄の小さい孤島とかだと島民数百人くらいで島民は全員顔見知りだったりするらしいが
不死が実現して新生児産むのも禁止なら何れ地球人みんな顔見知りになるな 死は生物学的に言うと必要不可欠な戦略だよ
DNAは活性酸素や食物のなかの発ガン性物質などのストレスによりキズつき、
このキズが時問とともに蓄積されてゆく
生殖細胞がキズを負うと、それは子孫に引き継がれるから、
これを安全に回避するためには、ある時間生きてDNAがキズついた個体は、
そのD NAを個体ごと消去するシステムをつくっておけば良いわけだ
ある程度の期間が経つと死ねるプログラムを書き込んでおけば、遣伝的荷重による種の絶滅を防げるわけだ
だから死は種の生存のために必要不可欠というわけだ
問題なのは脳が肥大化しすぎて遺伝子に反逆していることだ
意識が永遠に続くという目的と手段が逆転した欲望を持つようになってしまった
これこそがタナトの問題であって、死は固体生物に必要なことだと悟ることが重要だ 今日も死後の世界を考えてブルッとなった
死んだらどうなるか?
通常の科学観を採用すれば、自分は無になって永遠に無の状態が続く
(正確に言えば、原子や分子の配列の変化による原理的な復活可能性を残しながら無が続く)
そしてその世界はずっと続く
全てが終わっても続く
ガチでヤバすぎて頭が壊れる… これは死恐怖症というより永遠恐怖症という方が近いんだろうか
「無の永続が怖い」と書いてるが結局は(自分の場合は)「有の永続」でも怖いわけだし、死に固有の問題ではない気がしてきた >>373
自分と同じ
死そのものが怖いわけでなく「永遠に終わりなく死に続けること」が怖い
仮に魂が残るとして「永遠に終わりなく魂が存在し続けること」が怖い
つまり無限恐怖症 それって要するに五感のほとんどが奪われた状態じゃろ?
ジョニーは戦場へ行った的な あの映画のジョニーですら、
何も見えず聴こえず匂いも味も分からないが
暗闇の世界で「生きている」という感覚だけは残ってるからなあ。
実際失明した事ないから見えない=黒い暗闇かどうかは解らないけど。
>>167が言っているが
正確には無恐怖症か消滅恐怖症と言うのが正しい。
死ぬ事自体は過程でしかない。消える事が恐ろしいのだ。 他者の恐怖を否定したいわけじゃないけど、少なくともわいが持ってる(>>373で語った)恐怖に関しては、>>167とは違うと思う
無への恐怖と無限への恐怖は分けて考えた方が良さそうや
(>>376のレスが直前に対するレスではなくタナトフォビア一般に関するレスとして書いてるなら大体はそうだと思うけど) 心配するな、宇宙消滅と共に時間はなくなるぞ
だから無限も糞もない、真の無になるだけや 科学的に考えるなら宇宙は一つではなく、泡の様に生まれて無数に存在するというのが現代の定説だから、少なくとも世界そのものは消えて無になる事はないよ。
荒唐無稽に聞こえるがこれは決してオカルトではなく、多元宇宙論という真面目な物理学
無神論者のホーキング博士ですら多元宇宙論を思い付き、実証しようと晩年に論文を書いていた。 >>379
それは知ってる、一説には超ひも理論の解の数から10の500乗個あるとも言われてるね
でも生物の生まれる物理定数の宇宙はこの宇宙以外限りなくゼロとも言われてる
観測者のいない宇宙は存在しないに等しい 宇宙を認識する人がいなくなった時点で世界は消滅するでしょ これだけコロナが世界中に蔓延して、
物凄く怯えている自分や消毒や清潔に気を使っている自分がいるが
それとは別に恐ろしく達観しているというか、
全てに投げやりでどうでも良くなっている自分がいる。
例えば政治の事とか、現実でもネット上でもやれ〇〇が悪いとか××党は潰れろとか
あちこちで文句言ったり喧嘩したりしてるけど、自分なんかは
自分が死んだ後の国の未来なんて考えてどうするの?って思ってしまい
全く誰かを支持しようとか、叩いてやろうとか、良かれにしろ悪しきにしろ全く熱が入らない。
こういうのノンポリって言うらしいけど、自分の場合は政治だけではなく全てに於いてそうだ。
自分が無になっているであろう、50年後以降を見据えた政策や開発全てに興味を持てない。
いや己が寝たきりになっているであろう30年後ぐらいの未来辺りから、もうどうでもよくなっているかも。
だから自分が憎むとしたらそれは政治でも国でもなく、この世をこう作った物理法則だ。
死んだ後に無にならなければ、100年後も1000年後も自分の国を見届け続ける事ができるのなら
自分も真面目に政治に関心を持ち、生き甲斐や遣り甲斐を持ちながら生きていけたのに。
人間が脳髄に魂を縛られるような構造の生命体でなければ、
脳が破壊されても消える事ない意識があれば、自分ももっとより良い人で有り続けられたのに。
何を言おうが客観的に見れば自分は己の不甲斐なさを死に責任転嫁している負け犬だ。
そんな事も自分で解っている。解っているが、それでも無で全てが終わるのは怖いし、悔しい。 そして>>382を書きながら思った。
全ての人類が自分のように、己が死んだ後の事を考えず
未来を鑑みずに虚無的に、厭世的に、刹那的に生きてゆけば
その先にあるのは間違いなく人類の破滅であり、滅亡だ。
これだけ科学が浸透し人類が合理的思考になっていても、
宗教が未だに無くならない筈だ。無くなる訳がない。
死んだら消えるという正しい事実が地獄でしかないのなら、
死んでも大丈夫という間違った嘘の天国に縋るしか己を奮い立たせる方法はないのだから。
自分は嘘に縋る事ができなかった。事実を事実として受け止める事しか出来なかった。
かといって普通の人達のようにそれを忘れたり気にせずに生きる事もできない。
だから子供の頃から今までずっと、タナトフォビアとして生きながら死んだ人生を送っている。
忘れられる物なら忘れたい。普通の人達が本当に羨ましい…。 天国が本当にあるなら行ってみたいなぁ
狭き門より入れとはいうが 神様、幽霊、天国を信じるのが結局一番効き目あるらしいね
以前読んだ医学書に書いてあった 生きててこんなに楽しいのにどうして死なないといけないの 死にたくないで目が覚める
意識がなくなるのが嫌だ
生きてるのが好きだ 全人的苦痛っていうのがあって、
・身体的苦痛
体の痛みや症状、日常生活動作の支障。
・精神的苦痛
不安、いらだち、うつ状態、孤独感、対人関係への支障
・社会的苦痛
仕事、家庭、人間関係、経済的な支障
・霊的苦痛
人生の意味への問い、自責の念、死への恐怖、価値観の変化、死生観に対する悩み
なんだけど、自分は30で10年以上前からタナトなんだけど、恐怖を覚えているのはずっと変わらず霊的苦痛だ
自分の意識がなくなるのが怖い
他の人が死ぬことも怖くて、その人ともういられなくなるのが怖い 俺もそうだけどタナトになる人っておそらく自己というか自我が強すぎるんだよな
よくプロ野球やサッカー観戦や音楽のライヴなんかで自己を無くしてファン同志が一体化して(まるで小鳥や小魚が群を作ってひとつの大きな生物にカモフラージュして個体を守ろうとするように)
隣のファンと肩くんで一心同体で熱狂してたりするけど、タナトの人ってああいった共同体的な催眠状態にめったならないだろ?
子供の頃なんかも仲のいい友達と夢中で遊んでいても、その夢中で遊んでいる自分を俯瞰的に認識してる自分が常にどっかにいるみたいな
たぶんそれって自己愛が強烈に強いか、もしくは性格や資質が形成される前に(0~3才くらいの間に)そういう乖離ぽくなる何らかの経験をしたのかもしれないな 分かる気がするわ
デ○ズニーランドみたいなところに行っても
客観的に自分をみてる自分がいて1人だけノリきれない ディズニーランドは夢の国、死後の世界のメタファーなんだ 怖いと感じたらどうすればいいの?何か他のことを考えて気をまぎわらせばいいの? >>393
今の事だけ考えて先の事は考えず生きる
欲望や執着を捨てて自我を薄める
神様や死後の世界を信じる
このどれかが効果的 >>394
ありがとう今のことだけをなるべく考えるようにするよ 何をしてても死について考えちゃうときあるな
考えても答えなんてないからつらい ホリエモンは死について考える暇を持てないくらいわざとスケジュールを埋めまくって、今にのみ熱中する生き方をして恐怖を忘れる様にしてるらしい
あと誰だか忘れたけど仕事以外の時間に映画、ドラマ、漫画、アニメなどをとにかく見まくって、作品の事で頭をいっぱいにして自分の死について考える余地を無くしてると語ってた芸能人もいた まぁこればかりは誰でも通る道ですから、適当な点数高いお薬処方しておきますねぇ ぶっちゃけこのスレにいる人って転生とかあの世とか信じてる?
信じてる方が生きやすいならもう信じちゃおうかな もし、信じたにもかかわらず実際に無だったら(もはや確かめることはできないけれど)、
とてつもない不条理だと思う。そのことを確かめられないという事実も込みで、「騙された!騙された!」と
叫びたいほどのやるせなさ。
だから、死後の無を見据えた後で、例えば無が永遠に続くという根拠は何か?とか記憶がなくなっても同一の自分と言える根拠はあるか?
とかを考えた方が、なんというか・・・騙された気はしない。うまく言えないけど。
私は、単に安心して死にたいわけではなくて、その安心がどの程度信憑性に足るかのテストを何重にもしないと、誠実でないと思ってしまう。
もし、本当に全ての生命が最終的に永遠の無になることを運命づけられているなら、それは世界の側がいかれていたということであって、世界がはじまってきたのがそもそもの間違いだったと、
心から思うよ。しかし、全く救いがないね・・・生きるって恐ろしいね。 もし、信じたにもかかわらず実際に無だったら(もはや確かめることはできないけれど)、
とてつもない不条理だと思う。そのことを確かめられないという事実も込みで、「騙された!騙された!」と
叫びたいほどのやるせなさ。
だから、死後の無を見据えた後で、例えば無が永遠に続くという根拠は何か?とか記憶がなくなっても同一の自分と言える根拠はあるか?
とかを考えた方が、なんというか・・・騙された気はしない。うまく言えないけど。
私は、単に安心して死にたいわけではなくて、その安心がどの程度信憑性に足るかのテストを何重にもしないと、誠実でないと思ってしまう。
もし、本当に全ての生命が最終的に永遠の無になることを運命づけられているなら、それは世界の側がいかれていたということであって、世界がはじまってきたのがそもそもの間違いだったと、
心から思うよ。しかし、全く救いがないね・・・生きるって恐ろしいね。 >>399
鬱で心療内科行ったついでにタナトの相談したら抗不安薬だしてもらえたよ
365日意識がある間ずっと死に怯えてたのが嘘のように考える頻度が減った ベルセルクの三浦先生亡くなったね
人間いつ死ぬかわからないから毎日を悔いなく生きたい
その悔いなく生きるっていうのが難しいんだけどね >>404
なるほど、それは良かった
このスレでは恐怖の発生源を「考え方」とした発言も多いけど、
自分は脳の病気である可能性も伝えたい
激烈なタナトが発生した時に精神科の医師に相談したら、鬱と診断されて治るからと言われた
嘘だろ?!鬱とは関係ないじゃんと思ったけど、医師のみたての通り抗うつ剤の
投薬治療が進み、相当期間療養したらほぼ改善された
自分の鬱の症状は特殊でタヒにたいとかやる気が起こらないとか、体が動かないとか
ではなく、中核症状はまさにタナトだった(もしタナトさえ消え去れば外を歩き回れるぐらい)
典型的な症状のない鬱だった
ここからは私見だけど、それなりに生活が出来ているがタナトで怯えている人は
中核症状がタナトである鬱病なのではないかと思う
(通常の鬱のやる気が起きないとか体がだるいとかの症状がほとんどないから、
鬱であることに気づけない)
ただし、精神科に行っても鬱起因のタナトを気づける、知っている医師がどれだけいるのか疑問 ちなみに、自分も>>404と同様に1年ぐらい(前医から)安定剤が処方され
それでタナトが抑えられていたけど、その後脳内が決壊するような感じでタナトが激烈に沸き起こった
そして次の医師には鬱病と診断されて、抗うつ剤の投与が始まった
前医には「私は鬱ではないでしょうか?」と何度となく聞いたが(典型的症状はないものの
異常な不安感があったため)、しかし(タナト以外の)典型的な鬱症状が見られなかったので、
単なる恐怖症として診断されていたと思う
【まとめ】
・タナトは鬱病などの脳の病気で引き起こされている可能性もある
・タナトが単なる不安症や恐怖症でなく、鬱病である可能性がある(鬱病の前駆症状の可能性も)
・鬱の典型的な症状がなく、タナトが主症状だと鬱病を見逃される(←重要)
・したがって、精神科に行っても間違った治療が進められることがある
・タナトが抗うつ剤の投与で医療的に治療可能な場合がある
・鬱病起因のタナトを見分けられる医師と出会えるかどうか 私も診療内科で抗不安薬貰ってる
何かこの病気になると毎日生きた心地がしない
生きながら死んでるような感じ 私も抗鬱剤を処方してもらっていますが>>209の方と同じ理由で
その場だけは不安から逃れられても根本的な改善は望めません。
>>209の方が言っているように、薬を飲んで不安が取り除かれる事で
逆にこの世界がどこまでも科学的に出来ているのだと確信するのが怖いのです。
やはり人間は脳有りきで己を保っているちっぽけな存在なのだと自覚するのが、
オカルトなんてないのだなと確信するのが嫌で嫌で仕方がないのです。 最近寝る瞬間(まさにうとうとして意識が消える瞬間)に急にタナトの恐怖が襲ってくるようになったのですがそういう方います?
昔は布団に入って色々考えてる時に考え過ぎてじわじわ恐怖がくる感じのタナトだったのですが、ここ数年はあまり起きなくなってました
しかししばらく前から意識が消えそうになる時に、それまで何も考えてなかったのに急にゾッ!という感覚とともに死への恐怖が頭いっぱいに広がって起き上がって耐えきれなくなって声を上げる、という事が頻繁に起きるようになりました
本当に毎度毎度意識が落ちる直前に襲ってくるので、脳内で意識が落ちる事をきっかけに恐怖をフラッシュバックさせるような癖?がついてしまったのでしょうか?
コロナ禍で家に籠る事が多くなったのも原因だと思うのですが
こういう自分の考えとは別に決まったタイミングでタナトが襲ってくるようになった事は無かったのでかなり困惑してます また恐怖の波がきて眠れない
今寝たら起きられない気がする
死んだと自覚できないのが怖い 色んなことをここで言ってる人がいるけど
死んだら跡形もなく何もなくなるに決まってんじゃん 今日友人宅に集まって皆で楽しくピザを作ってたのにオーブンで生地を焼く作業を見た瞬間に火葬をイメージしてしまい怖くなって吐き気と嗚咽が止まらなくなって体調心配されて半泣きで帰った
友人達への申し訳なさと自分の情けなさと火葬の怖さに涙が止まらんわ
こんなこと誰にも相談出来ないし相談しても皆いつか必ず死んで焼かれて灰になるのだから解決なんて出来ないしもうどうしようもない
毎日毎晩泣くしかない タナトフォビアって、発作が起きた時だけが地獄なのではなくて、
発作を起こしていない平常時の気分も憂鬱で最悪なんだよね。
生きているのに生きるのを諦めているというか、
常に無常感と虚無感と厭世感が付きまとっているというか。
死ぬのも消えるのも絶対嫌だしどうしようもなく怖いけど、
今現在の人類の科学力や医学力ではどうにもならないから諦めるしかないし
実際諦めている。そんな感じの感情を一言で言い表すと「諦観」。
これが平常時何を考えている時でもずっと頭の中を駆け巡っている。
人類の不老不死の技術に希望がないし希望的観測もできないから
だから何をしても面白くないし何をやっても楽しめない。
普通の人をこんな事忘れるか意識せず考えないようにしている。だから普通に生きられる。
でもタナトフォビアは少しでもこの疑念が浮かんだら一生それが頭からこびり付いて離れない。
心の底から楽しめず、遊べず、笑えない。そんな心境が一生続くんだ…。 >>417
タナトフォビアの病態を四六時中、死を考え、時々発作的な恐怖に襲われると定義するならば私は今寛解している状態だ。
死を目の前にすれば、誰もが死を恐怖する。それがタナトフォビアの場合は死が目の前ではないにもかかわらず、死の恐怖に怯えている。死過敏症というべきだろう。(もしかしたら現代人の脳では常に死の恐怖におびえることが正常で、忘れている人の方が異常、死鈍感症かもしれないが)
だから薬を飲んでその過敏な状態を和らげるか、死の恐怖を上回る何かを見つけるしかない。釈迦を文字通り修行し悟ったし、例えばホリエモンは常に仕事をし続ける事で、死の事を考えなくして済むようにしているらしい。
私の場合は幸せの絶頂であった結婚した当時が一番タナトの症状がひどかった。この愛する妻が何時か死ぬ。もちろん自分も死ぬ。それこそ四六時中死を考え、夜は発作的に飛び起き泣き叫んだ。
私が寛解へ向かったのは、変な話だがひょんなことからソープへ通うことになってから。愛のない快楽だけのセックスが、死の恐怖を上回ったのだ。そうこうしているうちに死の恐怖というのもしょせん脳が生み出した感情で結構いい加減なものだと気づいた。薬ではもちろんのこと、天気やその時の環境によってずいぶん変わってくる。そう考えると気が楽になった。
寛解しているとはいえ、たぶん癌の余命宣告をされたら死の恐怖に慌てふためくだろう。妻や子どもにはあらかじめ、その時は死の恐怖でじたばたするよと言ってある。 子供が出来たらできたで、子供がいくつの時に自分は〜って考えちゃってきついだろうね
でも、働いている間は仲間もいるしいいけど、段々と皆既婚になって人付き合いも悪くなっていく中、定年退職して1人になった時孤独に耐えられるかな
ずっと一人で孤独死するかもしれない、周りは既婚で家族の仲を大事にする中、自分はたった一人で誰とも時間を共有できない
本来なら妻や子、孫がいて、もしかしたらタナト的にも、俺は十分頑張ってきたなとか思い残すことはないなとか、心変わりするかもしれない 自分は結婚する気無い
一人暮らしは寂しいけど、死の恐怖に四六時中取り憑かれたこんな暗い人間が家庭を作ったり人の親になってはいけないと感じる
家族を楽しませて笑顔にさせる力や守る力が無い
生まれた子供が成長してやがて自分と同じく死の怖さに気づいた時にどう接してあげたらいいのか全く分からない 子供やその子孫に死の恐怖を味わって欲しくないから絶対に作らない ホリエモンや宮崎哲弥や宮台真司なんかはタナト的思考や鬱を経験してるようなのに
同じように頭がそれなりにキレるひろゆきがタナト的思考にならいのが不思議だわ
https://vt.tiktok.com/ZSJaxoCja/ ひろゆきは実用主義かつ快楽主義だからな
考えても無駄なことは考えないタイプ 世界中の人がタナトフォビアだったら戦争はなくなりそう なぜ100年前でも100年後でもない今に生まれ
自分の兄弟などではなく自分として生まれた理由が最大の謎 誰であれ、死後が無でもいいじゃん、と言うふうに納得させにかかる人間とは一線を画したいと思う。
もし死が無なら本物の不条理だからね。
たとえ私以外の全ての人間が、「いや、無でもよくねえか・・・?」と言ったとしても、私一人で「違う!違う!」と叫び倒すつもりだ。 今日ホリエモンと渡辺正峰准教授の「機械に意識は宿るのか」っていうZOOM会議見たけど、
ホリエモンは忙しくするのと同時に不老不死ビジネスに自ら関わって行動してるのすごいなぁと感じた。
確かにそういうアプローチもあるのかと考えさせられた この記事にかなり救われたよ。心の拠り所を科学に持ってもいいのだと。不老不死ビジネス黎明期である現在にはまだまだ途方もないように思えるが、神によってあの世や転生を作れないのであれば人が作るしかないという考え方。そう考えても良いのだと
https://note.com/thanatos_forever/n/n7b77146a5613 死ぬまぎわも今と同じように暮らしてるだろうし
老いを感じても若い頃と同じように暮らしてると思うし
そんなふうに今日と同じ感覚のまま死ぬまぎわにたどり着くと思うと怖いな
なんの対策もなく数年後も数十年後も今日と同じ感覚のまま死を宣告されたり
嫌だなまだ死にたくない 子どもの頃、少しだけ霊感あったから、あまり死の恐怖はなかった。
でも、魂があっても、生まれ変わりはあっても、記憶がリセットされるのは確実で、
今の自分はなくなってしまう、それはどうしようもない。
あと、『私の人形は良い人形』ってオカルト漫画で、死んで残るのは「念」だけ、
自我みたいなのはなくなるって読んでから死ぬのが怖くなった。 >>414
心療内科より精神科の方が良いかもしれない
私の場合は心療内科行ってタナトのこと話してもお薬出しときますねで終わったから
まぁ薬でマシにはなるけど一時的なもの
精神科の方がまだ親身に聞いてくれるかもしれない
まぁ病院によるけど >>436
アドバイスありがとうございます
皆さんは臓器提供をどう考えていますか? 死ぬまぎわの練習しておくか、まだ死にたくないまだ生きたい
若い人達はいいなあ 自殺したいと言ってた人に話を聞いたら死ぬのがだいぶ先だと思って生きてるっぽい
明日死んだらやだなぁって思いながら生きて怯えてる身としては正反対だなぁと思った
でもそっち側だとタナトにならないんだなぁ 俺は40くらいの年齢だから普通に暮らしてたら明日死ぬとか想像しなくてすむけど
60過ぎたらやっぱり今日死ぬか明日死ぬかと恐怖するのかな なんかの本に人は47歳から死について真剣に考えるようになる傾向があると書いてあった
なぜ47歳なのかは忘れた >>443
そうなのか?
今、50代だが6歳くらいからずっと死を考え続けてきて、最近むしろ考えるのが面倒くさくなってきた。 >>444
確かに人が最初に死について考えるのは6歳からと書いてある本が多い
ただ一般人はすぐに考えるのをやめて中年になるまでは真剣に死とは向き合わない
一方タナトは死を知ってからはずっと心が死に支配されるという違いがあるのだろう うちは弟も死恐怖症
育った環境や教育の話にされがちだけど、脳の構造のどこかに問題がある気がしてならない
強迫性障害のように止めどなく確認やこだわりが湧いてくるように
タナトは絶対に訪れる死が対象だから、それとは違うと言われそうだがそうではなく
対象が解決するしないとは関係なく、止めどなく恐怖が湧いてくることが本質なのでは
もちろん誰しも極一部を除いて死期が迫れば恐怖は感じる、ただそれは当たり前なのでここで言われるタナトではない 昆虫やマウスの脳をハックしてラジコンにする研究がたまに報じられるけど
ゆくゆくは哺乳類など高等生物にも適用する
後は受精卵を弄って大脳欠損の小児を作成できれば無限の労働力を手に入れられる
一見倫理的に著しい問題があるが、そもそも大脳欠損では苦痛を感じる自我は無いので人権も無い、ロボットと同じ
生体ヒューマノイドの方がメカニカルなロボットより「人間の代替」になる
火星やガニメデの開拓には多くの生体ヒューマノイドが働く事になると思う >>423
>>447
ひろゆきや養老先生の物事に対する観察能力は半端じゃない。この二人を論破するのはほぼ不可能。自分の自我や死ですら客観視出来ている。
死が怖い? それあなたの感想ですよね? >>449ホーキング博士も死を恐れないって言ってるし本当に頭のいい人は死を恐れないのかも…… 養老孟司は「死ぬ時には意識が消えるのだから死の恐怖など存在しない」という、我々とは考え方が全く異なる典型的なタイプだから本を読んでもあまり参考にならなかったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています