■■■死恐怖症(タナトフォビア)38棺目■■■
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タナトフォビアとは死そのものや死に関連するものに対する恐怖症のことです。
このスレにはこんな人たちがいます。
1. 意識の喪失による無が怖い人
2. 死に伴う孤独や痛みが怖い人
3. 悲惨な目や災害にあって死ぬのが怖い人
4. 生や死そのものの不可解さが怖い人
5. 死んで人から忘れられるのが怖い人
6. 永遠が怖い人
7. 身近な人の死が怖い人
8. 生きる事やこの世の全てが無意味に感じるのが怖い人
これらのことを考え出すと思考が止まらなくなり、恐怖・発狂恐怖に陥る人。
タナトフォビアの類義語としてネクロフォビアがあります。
しかしタナトスはもともと死を擬人化した神の名を、ネクロは死体を指すので、
ネクロフォビアというと死体、つまり他者の死を意味するときに使う習慣もあるようです。
(ただし海外では同義語として扱われています。)
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前スレ
■■■死恐怖症(タナトフォビア)37棺目■■■
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1593095291/ >>373
自分と同じ
死そのものが怖いわけでなく「永遠に終わりなく死に続けること」が怖い
仮に魂が残るとして「永遠に終わりなく魂が存在し続けること」が怖い
つまり無限恐怖症 それって要するに五感のほとんどが奪われた状態じゃろ?
ジョニーは戦場へ行った的な あの映画のジョニーですら、
何も見えず聴こえず匂いも味も分からないが
暗闇の世界で「生きている」という感覚だけは残ってるからなあ。
実際失明した事ないから見えない=黒い暗闇かどうかは解らないけど。
>>167が言っているが
正確には無恐怖症か消滅恐怖症と言うのが正しい。
死ぬ事自体は過程でしかない。消える事が恐ろしいのだ。 他者の恐怖を否定したいわけじゃないけど、少なくともわいが持ってる(>>373で語った)恐怖に関しては、>>167とは違うと思う
無への恐怖と無限への恐怖は分けて考えた方が良さそうや
(>>376のレスが直前に対するレスではなくタナトフォビア一般に関するレスとして書いてるなら大体はそうだと思うけど) 心配するな、宇宙消滅と共に時間はなくなるぞ
だから無限も糞もない、真の無になるだけや 科学的に考えるなら宇宙は一つではなく、泡の様に生まれて無数に存在するというのが現代の定説だから、少なくとも世界そのものは消えて無になる事はないよ。
荒唐無稽に聞こえるがこれは決してオカルトではなく、多元宇宙論という真面目な物理学
無神論者のホーキング博士ですら多元宇宙論を思い付き、実証しようと晩年に論文を書いていた。 >>379
それは知ってる、一説には超ひも理論の解の数から10の500乗個あるとも言われてるね
でも生物の生まれる物理定数の宇宙はこの宇宙以外限りなくゼロとも言われてる
観測者のいない宇宙は存在しないに等しい 宇宙を認識する人がいなくなった時点で世界は消滅するでしょ これだけコロナが世界中に蔓延して、
物凄く怯えている自分や消毒や清潔に気を使っている自分がいるが
それとは別に恐ろしく達観しているというか、
全てに投げやりでどうでも良くなっている自分がいる。
例えば政治の事とか、現実でもネット上でもやれ〇〇が悪いとか××党は潰れろとか
あちこちで文句言ったり喧嘩したりしてるけど、自分なんかは
自分が死んだ後の国の未来なんて考えてどうするの?って思ってしまい
全く誰かを支持しようとか、叩いてやろうとか、良かれにしろ悪しきにしろ全く熱が入らない。
こういうのノンポリって言うらしいけど、自分の場合は政治だけではなく全てに於いてそうだ。
自分が無になっているであろう、50年後以降を見据えた政策や開発全てに興味を持てない。
いや己が寝たきりになっているであろう30年後ぐらいの未来辺りから、もうどうでもよくなっているかも。
だから自分が憎むとしたらそれは政治でも国でもなく、この世をこう作った物理法則だ。
死んだ後に無にならなければ、100年後も1000年後も自分の国を見届け続ける事ができるのなら
自分も真面目に政治に関心を持ち、生き甲斐や遣り甲斐を持ちながら生きていけたのに。
人間が脳髄に魂を縛られるような構造の生命体でなければ、
脳が破壊されても消える事ない意識があれば、自分ももっとより良い人で有り続けられたのに。
何を言おうが客観的に見れば自分は己の不甲斐なさを死に責任転嫁している負け犬だ。
そんな事も自分で解っている。解っているが、それでも無で全てが終わるのは怖いし、悔しい。 そして>>382を書きながら思った。
全ての人類が自分のように、己が死んだ後の事を考えず
未来を鑑みずに虚無的に、厭世的に、刹那的に生きてゆけば
その先にあるのは間違いなく人類の破滅であり、滅亡だ。
これだけ科学が浸透し人類が合理的思考になっていても、
宗教が未だに無くならない筈だ。無くなる訳がない。
死んだら消えるという正しい事実が地獄でしかないのなら、
死んでも大丈夫という間違った嘘の天国に縋るしか己を奮い立たせる方法はないのだから。
自分は嘘に縋る事ができなかった。事実を事実として受け止める事しか出来なかった。
かといって普通の人達のようにそれを忘れたり気にせずに生きる事もできない。
だから子供の頃から今までずっと、タナトフォビアとして生きながら死んだ人生を送っている。
忘れられる物なら忘れたい。普通の人達が本当に羨ましい…。 天国が本当にあるなら行ってみたいなぁ
狭き門より入れとはいうが 神様、幽霊、天国を信じるのが結局一番効き目あるらしいね
以前読んだ医学書に書いてあった 生きててこんなに楽しいのにどうして死なないといけないの 死にたくないで目が覚める
意識がなくなるのが嫌だ
生きてるのが好きだ 全人的苦痛っていうのがあって、
・身体的苦痛
体の痛みや症状、日常生活動作の支障。
・精神的苦痛
不安、いらだち、うつ状態、孤独感、対人関係への支障
・社会的苦痛
仕事、家庭、人間関係、経済的な支障
・霊的苦痛
人生の意味への問い、自責の念、死への恐怖、価値観の変化、死生観に対する悩み
なんだけど、自分は30で10年以上前からタナトなんだけど、恐怖を覚えているのはずっと変わらず霊的苦痛だ
自分の意識がなくなるのが怖い
他の人が死ぬことも怖くて、その人ともういられなくなるのが怖い 俺もそうだけどタナトになる人っておそらく自己というか自我が強すぎるんだよな
よくプロ野球やサッカー観戦や音楽のライヴなんかで自己を無くしてファン同志が一体化して(まるで小鳥や小魚が群を作ってひとつの大きな生物にカモフラージュして個体を守ろうとするように)
隣のファンと肩くんで一心同体で熱狂してたりするけど、タナトの人ってああいった共同体的な催眠状態にめったならないだろ?
子供の頃なんかも仲のいい友達と夢中で遊んでいても、その夢中で遊んでいる自分を俯瞰的に認識してる自分が常にどっかにいるみたいな
たぶんそれって自己愛が強烈に強いか、もしくは性格や資質が形成される前に(0~3才くらいの間に)そういう乖離ぽくなる何らかの経験をしたのかもしれないな 分かる気がするわ
デ○ズニーランドみたいなところに行っても
客観的に自分をみてる自分がいて1人だけノリきれない ディズニーランドは夢の国、死後の世界のメタファーなんだ 怖いと感じたらどうすればいいの?何か他のことを考えて気をまぎわらせばいいの? >>393
今の事だけ考えて先の事は考えず生きる
欲望や執着を捨てて自我を薄める
神様や死後の世界を信じる
このどれかが効果的 >>394
ありがとう今のことだけをなるべく考えるようにするよ 何をしてても死について考えちゃうときあるな
考えても答えなんてないからつらい ホリエモンは死について考える暇を持てないくらいわざとスケジュールを埋めまくって、今にのみ熱中する生き方をして恐怖を忘れる様にしてるらしい
あと誰だか忘れたけど仕事以外の時間に映画、ドラマ、漫画、アニメなどをとにかく見まくって、作品の事で頭をいっぱいにして自分の死について考える余地を無くしてると語ってた芸能人もいた まぁこればかりは誰でも通る道ですから、適当な点数高いお薬処方しておきますねぇ ぶっちゃけこのスレにいる人って転生とかあの世とか信じてる?
信じてる方が生きやすいならもう信じちゃおうかな もし、信じたにもかかわらず実際に無だったら(もはや確かめることはできないけれど)、
とてつもない不条理だと思う。そのことを確かめられないという事実も込みで、「騙された!騙された!」と
叫びたいほどのやるせなさ。
だから、死後の無を見据えた後で、例えば無が永遠に続くという根拠は何か?とか記憶がなくなっても同一の自分と言える根拠はあるか?
とかを考えた方が、なんというか・・・騙された気はしない。うまく言えないけど。
私は、単に安心して死にたいわけではなくて、その安心がどの程度信憑性に足るかのテストを何重にもしないと、誠実でないと思ってしまう。
もし、本当に全ての生命が最終的に永遠の無になることを運命づけられているなら、それは世界の側がいかれていたということであって、世界がはじまってきたのがそもそもの間違いだったと、
心から思うよ。しかし、全く救いがないね・・・生きるって恐ろしいね。 もし、信じたにもかかわらず実際に無だったら(もはや確かめることはできないけれど)、
とてつもない不条理だと思う。そのことを確かめられないという事実も込みで、「騙された!騙された!」と
叫びたいほどのやるせなさ。
だから、死後の無を見据えた後で、例えば無が永遠に続くという根拠は何か?とか記憶がなくなっても同一の自分と言える根拠はあるか?
とかを考えた方が、なんというか・・・騙された気はしない。うまく言えないけど。
私は、単に安心して死にたいわけではなくて、その安心がどの程度信憑性に足るかのテストを何重にもしないと、誠実でないと思ってしまう。
もし、本当に全ての生命が最終的に永遠の無になることを運命づけられているなら、それは世界の側がいかれていたということであって、世界がはじまってきたのがそもそもの間違いだったと、
心から思うよ。しかし、全く救いがないね・・・生きるって恐ろしいね。 >>399
鬱で心療内科行ったついでにタナトの相談したら抗不安薬だしてもらえたよ
365日意識がある間ずっと死に怯えてたのが嘘のように考える頻度が減った ベルセルクの三浦先生亡くなったね
人間いつ死ぬかわからないから毎日を悔いなく生きたい
その悔いなく生きるっていうのが難しいんだけどね >>404
なるほど、それは良かった
このスレでは恐怖の発生源を「考え方」とした発言も多いけど、
自分は脳の病気である可能性も伝えたい
激烈なタナトが発生した時に精神科の医師に相談したら、鬱と診断されて治るからと言われた
嘘だろ?!鬱とは関係ないじゃんと思ったけど、医師のみたての通り抗うつ剤の
投薬治療が進み、相当期間療養したらほぼ改善された
自分の鬱の症状は特殊でタヒにたいとかやる気が起こらないとか、体が動かないとか
ではなく、中核症状はまさにタナトだった(もしタナトさえ消え去れば外を歩き回れるぐらい)
典型的な症状のない鬱だった
ここからは私見だけど、それなりに生活が出来ているがタナトで怯えている人は
中核症状がタナトである鬱病なのではないかと思う
(通常の鬱のやる気が起きないとか体がだるいとかの症状がほとんどないから、
鬱であることに気づけない)
ただし、精神科に行っても鬱起因のタナトを気づける、知っている医師がどれだけいるのか疑問 ちなみに、自分も>>404と同様に1年ぐらい(前医から)安定剤が処方され
それでタナトが抑えられていたけど、その後脳内が決壊するような感じでタナトが激烈に沸き起こった
そして次の医師には鬱病と診断されて、抗うつ剤の投与が始まった
前医には「私は鬱ではないでしょうか?」と何度となく聞いたが(典型的症状はないものの
異常な不安感があったため)、しかし(タナト以外の)典型的な鬱症状が見られなかったので、
単なる恐怖症として診断されていたと思う
【まとめ】
・タナトは鬱病などの脳の病気で引き起こされている可能性もある
・タナトが単なる不安症や恐怖症でなく、鬱病である可能性がある(鬱病の前駆症状の可能性も)
・鬱の典型的な症状がなく、タナトが主症状だと鬱病を見逃される(←重要)
・したがって、精神科に行っても間違った治療が進められることがある
・タナトが抗うつ剤の投与で医療的に治療可能な場合がある
・鬱病起因のタナトを見分けられる医師と出会えるかどうか 私も診療内科で抗不安薬貰ってる
何かこの病気になると毎日生きた心地がしない
生きながら死んでるような感じ 私も抗鬱剤を処方してもらっていますが>>209の方と同じ理由で
その場だけは不安から逃れられても根本的な改善は望めません。
>>209の方が言っているように、薬を飲んで不安が取り除かれる事で
逆にこの世界がどこまでも科学的に出来ているのだと確信するのが怖いのです。
やはり人間は脳有りきで己を保っているちっぽけな存在なのだと自覚するのが、
オカルトなんてないのだなと確信するのが嫌で嫌で仕方がないのです。 最近寝る瞬間(まさにうとうとして意識が消える瞬間)に急にタナトの恐怖が襲ってくるようになったのですがそういう方います?
昔は布団に入って色々考えてる時に考え過ぎてじわじわ恐怖がくる感じのタナトだったのですが、ここ数年はあまり起きなくなってました
しかししばらく前から意識が消えそうになる時に、それまで何も考えてなかったのに急にゾッ!という感覚とともに死への恐怖が頭いっぱいに広がって起き上がって耐えきれなくなって声を上げる、という事が頻繁に起きるようになりました
本当に毎度毎度意識が落ちる直前に襲ってくるので、脳内で意識が落ちる事をきっかけに恐怖をフラッシュバックさせるような癖?がついてしまったのでしょうか?
コロナ禍で家に籠る事が多くなったのも原因だと思うのですが
こういう自分の考えとは別に決まったタイミングでタナトが襲ってくるようになった事は無かったのでかなり困惑してます また恐怖の波がきて眠れない
今寝たら起きられない気がする
死んだと自覚できないのが怖い 色んなことをここで言ってる人がいるけど
死んだら跡形もなく何もなくなるに決まってんじゃん 今日友人宅に集まって皆で楽しくピザを作ってたのにオーブンで生地を焼く作業を見た瞬間に火葬をイメージしてしまい怖くなって吐き気と嗚咽が止まらなくなって体調心配されて半泣きで帰った
友人達への申し訳なさと自分の情けなさと火葬の怖さに涙が止まらんわ
こんなこと誰にも相談出来ないし相談しても皆いつか必ず死んで焼かれて灰になるのだから解決なんて出来ないしもうどうしようもない
毎日毎晩泣くしかない タナトフォビアって、発作が起きた時だけが地獄なのではなくて、
発作を起こしていない平常時の気分も憂鬱で最悪なんだよね。
生きているのに生きるのを諦めているというか、
常に無常感と虚無感と厭世感が付きまとっているというか。
死ぬのも消えるのも絶対嫌だしどうしようもなく怖いけど、
今現在の人類の科学力や医学力ではどうにもならないから諦めるしかないし
実際諦めている。そんな感じの感情を一言で言い表すと「諦観」。
これが平常時何を考えている時でもずっと頭の中を駆け巡っている。
人類の不老不死の技術に希望がないし希望的観測もできないから
だから何をしても面白くないし何をやっても楽しめない。
普通の人をこんな事忘れるか意識せず考えないようにしている。だから普通に生きられる。
でもタナトフォビアは少しでもこの疑念が浮かんだら一生それが頭からこびり付いて離れない。
心の底から楽しめず、遊べず、笑えない。そんな心境が一生続くんだ…。 >>417
タナトフォビアの病態を四六時中、死を考え、時々発作的な恐怖に襲われると定義するならば私は今寛解している状態だ。
死を目の前にすれば、誰もが死を恐怖する。それがタナトフォビアの場合は死が目の前ではないにもかかわらず、死の恐怖に怯えている。死過敏症というべきだろう。(もしかしたら現代人の脳では常に死の恐怖におびえることが正常で、忘れている人の方が異常、死鈍感症かもしれないが)
だから薬を飲んでその過敏な状態を和らげるか、死の恐怖を上回る何かを見つけるしかない。釈迦を文字通り修行し悟ったし、例えばホリエモンは常に仕事をし続ける事で、死の事を考えなくして済むようにしているらしい。
私の場合は幸せの絶頂であった結婚した当時が一番タナトの症状がひどかった。この愛する妻が何時か死ぬ。もちろん自分も死ぬ。それこそ四六時中死を考え、夜は発作的に飛び起き泣き叫んだ。
私が寛解へ向かったのは、変な話だがひょんなことからソープへ通うことになってから。愛のない快楽だけのセックスが、死の恐怖を上回ったのだ。そうこうしているうちに死の恐怖というのもしょせん脳が生み出した感情で結構いい加減なものだと気づいた。薬ではもちろんのこと、天気やその時の環境によってずいぶん変わってくる。そう考えると気が楽になった。
寛解しているとはいえ、たぶん癌の余命宣告をされたら死の恐怖に慌てふためくだろう。妻や子どもにはあらかじめ、その時は死の恐怖でじたばたするよと言ってある。 子供が出来たらできたで、子供がいくつの時に自分は〜って考えちゃってきついだろうね
でも、働いている間は仲間もいるしいいけど、段々と皆既婚になって人付き合いも悪くなっていく中、定年退職して1人になった時孤独に耐えられるかな
ずっと一人で孤独死するかもしれない、周りは既婚で家族の仲を大事にする中、自分はたった一人で誰とも時間を共有できない
本来なら妻や子、孫がいて、もしかしたらタナト的にも、俺は十分頑張ってきたなとか思い残すことはないなとか、心変わりするかもしれない 自分は結婚する気無い
一人暮らしは寂しいけど、死の恐怖に四六時中取り憑かれたこんな暗い人間が家庭を作ったり人の親になってはいけないと感じる
家族を楽しませて笑顔にさせる力や守る力が無い
生まれた子供が成長してやがて自分と同じく死の怖さに気づいた時にどう接してあげたらいいのか全く分からない 子供やその子孫に死の恐怖を味わって欲しくないから絶対に作らない ホリエモンや宮崎哲弥や宮台真司なんかはタナト的思考や鬱を経験してるようなのに
同じように頭がそれなりにキレるひろゆきがタナト的思考にならいのが不思議だわ
https://vt.tiktok.com/ZSJaxoCja/ ひろゆきは実用主義かつ快楽主義だからな
考えても無駄なことは考えないタイプ 世界中の人がタナトフォビアだったら戦争はなくなりそう なぜ100年前でも100年後でもない今に生まれ
自分の兄弟などではなく自分として生まれた理由が最大の謎 誰であれ、死後が無でもいいじゃん、と言うふうに納得させにかかる人間とは一線を画したいと思う。
もし死が無なら本物の不条理だからね。
たとえ私以外の全ての人間が、「いや、無でもよくねえか・・・?」と言ったとしても、私一人で「違う!違う!」と叫び倒すつもりだ。 今日ホリエモンと渡辺正峰准教授の「機械に意識は宿るのか」っていうZOOM会議見たけど、
ホリエモンは忙しくするのと同時に不老不死ビジネスに自ら関わって行動してるのすごいなぁと感じた。
確かにそういうアプローチもあるのかと考えさせられた この記事にかなり救われたよ。心の拠り所を科学に持ってもいいのだと。不老不死ビジネス黎明期である現在にはまだまだ途方もないように思えるが、神によってあの世や転生を作れないのであれば人が作るしかないという考え方。そう考えても良いのだと
https://note.com/thanatos_forever/n/n7b77146a5613 死ぬまぎわも今と同じように暮らしてるだろうし
老いを感じても若い頃と同じように暮らしてると思うし
そんなふうに今日と同じ感覚のまま死ぬまぎわにたどり着くと思うと怖いな
なんの対策もなく数年後も数十年後も今日と同じ感覚のまま死を宣告されたり
嫌だなまだ死にたくない 子どもの頃、少しだけ霊感あったから、あまり死の恐怖はなかった。
でも、魂があっても、生まれ変わりはあっても、記憶がリセットされるのは確実で、
今の自分はなくなってしまう、それはどうしようもない。
あと、『私の人形は良い人形』ってオカルト漫画で、死んで残るのは「念」だけ、
自我みたいなのはなくなるって読んでから死ぬのが怖くなった。 >>414
心療内科より精神科の方が良いかもしれない
私の場合は心療内科行ってタナトのこと話してもお薬出しときますねで終わったから
まぁ薬でマシにはなるけど一時的なもの
精神科の方がまだ親身に聞いてくれるかもしれない
まぁ病院によるけど >>436
アドバイスありがとうございます
皆さんは臓器提供をどう考えていますか? 死ぬまぎわの練習しておくか、まだ死にたくないまだ生きたい
若い人達はいいなあ 自殺したいと言ってた人に話を聞いたら死ぬのがだいぶ先だと思って生きてるっぽい
明日死んだらやだなぁって思いながら生きて怯えてる身としては正反対だなぁと思った
でもそっち側だとタナトにならないんだなぁ 俺は40くらいの年齢だから普通に暮らしてたら明日死ぬとか想像しなくてすむけど
60過ぎたらやっぱり今日死ぬか明日死ぬかと恐怖するのかな なんかの本に人は47歳から死について真剣に考えるようになる傾向があると書いてあった
なぜ47歳なのかは忘れた >>443
そうなのか?
今、50代だが6歳くらいからずっと死を考え続けてきて、最近むしろ考えるのが面倒くさくなってきた。 >>444
確かに人が最初に死について考えるのは6歳からと書いてある本が多い
ただ一般人はすぐに考えるのをやめて中年になるまでは真剣に死とは向き合わない
一方タナトは死を知ってからはずっと心が死に支配されるという違いがあるのだろう うちは弟も死恐怖症
育った環境や教育の話にされがちだけど、脳の構造のどこかに問題がある気がしてならない
強迫性障害のように止めどなく確認やこだわりが湧いてくるように
タナトは絶対に訪れる死が対象だから、それとは違うと言われそうだがそうではなく
対象が解決するしないとは関係なく、止めどなく恐怖が湧いてくることが本質なのでは
もちろん誰しも極一部を除いて死期が迫れば恐怖は感じる、ただそれは当たり前なのでここで言われるタナトではない 昆虫やマウスの脳をハックしてラジコンにする研究がたまに報じられるけど
ゆくゆくは哺乳類など高等生物にも適用する
後は受精卵を弄って大脳欠損の小児を作成できれば無限の労働力を手に入れられる
一見倫理的に著しい問題があるが、そもそも大脳欠損では苦痛を感じる自我は無いので人権も無い、ロボットと同じ
生体ヒューマノイドの方がメカニカルなロボットより「人間の代替」になる
火星やガニメデの開拓には多くの生体ヒューマノイドが働く事になると思う >>423
>>447
ひろゆきや養老先生の物事に対する観察能力は半端じゃない。この二人を論破するのはほぼ不可能。自分の自我や死ですら客観視出来ている。
死が怖い? それあなたの感想ですよね? >>449ホーキング博士も死を恐れないって言ってるし本当に頭のいい人は死を恐れないのかも…… 養老孟司は「死ぬ時には意識が消えるのだから死の恐怖など存在しない」という、我々とは考え方が全く異なる典型的なタイプだから本を読んでもあまり参考にならなかったな >>451
タナトも生きている今、いつか自我が消滅して無になることが100%確定してることに恐怖しているわけで
死んだ後のことまで恐怖してるわけではないのでは? >>452
一人称の死は存在しないのだから、考えても仕方がないというスタンスだね。 ちなみにひろゆきは無がずっと続いているって経験したの? だから死の恐怖ってあなたの感想ですよね? っていうスタンス。 >>452
そう
死ねば意識が消えて無になるから死が怖い
だが養老孟司は死ねば意識が消えて無になるのだから死は怖くないと語ってる
「消えるから怖い」と「消えるから怖くない」
思考が根本的に違うのよ 俺たちはそこから一歩踏み込みすぎて、
無とは何か?無の先に何があるのか?を考えるから頭がおかしくなる タナトで怯えてる人や死んだらどうなる?って悩んでる人に
「そんな事を考えるのは中学生まで」みたいな言い方をする人が嫌いです。
人類が100%絶対に回避できない絶望的な問題を、大の大人が真剣に考えて何が悪いのか。
それを呆れたり冷笑嘲笑する人はどのような立場から物を言っているのか。
自分だけは死なないとでも思っているのか?不老不死者にでもなったつもりか?
そして何よりも、まるでそれでは死の問題を忘れるか
何も考えずに思考停止して生きるのがまともな大人だと、
全人類のこの世の正しい生き方だと言われているみたいではないですか。
そんな思考ではこれ以上人類が寿命を延ばし進化する事は出来ない。
正しく死を死と理解し正しく怯え、正しく死に抵抗して
もっと死に抗う研究や医学を突き詰める学者や費用を投資する方々が増えなければ
人類は悟りという名の諦めに達したまま檻から出られなくなる。
(死ぬ事は)どうにもならないんじゃない。どうにかするんだ。 スレチぎみでごめんなさい。
ずっと今まで老後の心配ばかりしていました。
何十年も先のことなのに。
老後が心配で自殺も考えました。
(「健康のためなら死んでもいい」くらい本末転倒)
でも、抗不安薬や、その他、いろいろ不安を消す薬を飲んだら、今はとても楽になりました。
毎日をせいいっぱい生きるだけで、そんなに先のことはどうでもいいやという感じです。
ここの人も、合う薬があれば、楽になれるかも。 鬱病を現代病だと言う人がいるが
自分はタナトフォビアこそが現代病だと思っている
神や宗教を信じているのが一般的で、
幽霊や輪廻転生が有り得ると皆が思っていた過去の時代には
必然的にタナトフォビアも少なかったはずだ
オカルトを排除し科学と唯物論が思考を支配している現代だからこそ
タナトフォビアが増えるのは当然であり、
タナトフォビアから鬱病を併発する人が現れるのも必然と言える
誰が悪い訳でもない、これも科学の発展の代償であり
現代社会を生きる人類の運命であり業なのだ
恨むとすれば過去でも未来でもなく現在に生まれてしまった己の運と
オカルト要素の存在を許さないこの世の物理法則を恨むしかない… 思い出した。
なぜ文学部にすすんだか。
それは、作品を後世に残すという形で、永遠の命が欲しかったから。 >>458
末期医療や死に対する医療(法も含む)が全く進歩していない
というか、ほとんどの人間はタナトではないから
それらに想像力や興味が全く働かない
ガン告知を受けたり、不治の病になって初めて末期医療の貧弱さに
怒りと絶望を感じ出す
世の中に「何故、貴方も死ぬのにそれがわからないの?!!」といっても
ほぼ誰にも通じない “死”の受容への5段階【高齢期に関わる用語集】
老いの工学研究所
世界的なベストセラーとなった「死ぬ瞬間」の著者、エリザベス・キューブラー・ロスが唱えたモデル。死にゆく人の心理の変化を、5段階で捉えた。
1.否認と孤立
自分の命が長くないことに衝撃を受け、その事実を感情的に否認したり、その事実から逃避しようとしている段階。周囲の認識や態度にギャップが生じるため、孤立しがちになる。
2.怒り
死ぬという事実は認識したが、一方で、「ではなぜ、自分がこのような境遇になってしまうのか」といった思いが強く、周囲に反発したり、怒りがこみあげてきたりする。
3.取り引き
死をもう少し先延ばしできないか、あるいは、奇跡が起こって死を回避できないかと考えて、神仏にすがったり、善行を行ったりする。
4.抑うつ
死を避けられないことが分かり、あきらめや悲観、むなしさ、憂うつ、絶望といった気持ちが支配して、落ち込む。
5.受容
死を、誰にでも訪れる自然なものとして受け入れるようになる。これまでの価値観や視野とは異なる次元があることを理解し、心静かに暮らす。 >>460
どうだろう?
昔は今より死は身近にいた。ムンクなんか死の恐怖に取り憑かれまま一生を過ごした。
今は死が遠い。死を意識していない人は過去より遥かに多い。 暴論を承知の上で言うが
究極的には自分勝手な人間が増えているのも日本の景気や政治が悪いのも、
科学が発達し無宗教が蔓延してオカルトを信じない人が増え
政治家が神も霊も生まれ変わりも信じない無神論者ばかりになってきたからだと思っている。
自分が生きている間の利権ばかり考えている人や
己が死んだ後の事などどうでもいいと思っている人。
科学と文化が発達した先進国で、無宗教無神論が基本思想の国なら当然そういう人も増える。
>>64や>>349の人がそれらしい事を言っているが
そんな人間が金持ちや政治家になってもろくな事がない。
自分が生きている間の自分の利益と快楽の事しか考えないからだ。
後世に伝える。歴史に名を示す。子や妻の為に遺産を残す。事業や研究を部下に継がせる。
これらは皆自分が死んで無になると思っていて、
自分が無になった後の事はどうでもいいと思っている人間には決して思い浮かばない生き方だ。
こういった身勝手な人間を増やさない為の戒めとして、宗教や地獄天国という概念があったのだ。
良き行いをして徳を積めば死後天国に行ける。悪しき行いをすれば死後地獄に落ちる。
この概念が嘘だと分かり善行を積んでも悪逆非道を尽くしても
死ねばプラマイゼロだしこの世で起こした全ての行動は無意味になると悟ったら、
当然悪人も増えるし宅間死刑囚や加藤死刑囚や青葉容疑者のような
後先考えない大量殺人者が何人も現れるし
自分が死んだ50年後100年後の先の事まで国の事を考えず、
目先の利権を貪るだけの政治家だらけになるのも当たり前なのだ。
宗教はダメ人間を増やさない為の抑制剤としての効果もあった。
もし本当にこの世に神がいて天国や地獄があったら誰も罪を犯さなかっただろうし
本当にあの世があって死んだ後も己を客観的に見つめられるのなら
もっと真面目な政治家や金持ちが増えていたはずだ。
死んだら全て終わり。良くも悪くもそれが悪人や腐った政治を増やした。 スレチでごめんなさい。
『史記』の講義で聞いたけど、
中国人は基本的に宗教を信じていない。
では、何が彼らを悪行に走らせないかというと、
善い行い、悪い行い、どちらも書物に書かれて、後世に伝わってしまうから。
「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」 自分は明日死ぬかも分からないのに人類の大半は自分が死んだ後も存在し続けるし
やがて人類が滅亡した後も地球は存在し続ける
だがいずれ地球も消えてなくなる
の思考に陥ると薬で安定しているはずの時でも過呼吸発作が起きて辛い 同じこと考えたことある
どうせ自分は無になるから関係ないのに、
いつか地球は滅びて人類も滅びると思うと、無性に悲しくなる
でも、大丈夫
それまでに、人類は宇宙のどこかに植民地を作ってるから
宗教団体にからまれたら怖いので、消えます タナトのこと考えると全てが憂鬱になって何もかもいやになる、
何もやる気が怒らない。思考の根底には常にタナトがこびりついていて前向きに生きれない 【調査】不老不死の薬が実現したら飲む米国人は3割しかいなかった…否定的な意見が多数という結果に★2 [ニライカナイφ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1623095732/ 科学的にも医学的にも意識が身体の中にしか存在しない(正確には脳の中)と
理解させられると、今度はこの世の全てが不条理に見えてくるんだよね。
それまで美しく見えていた景色も、素晴らしく見えていた世界も、
機能的に出来ている都会の街並みも、合理的に出来ている社会も、全てが。
死んでも終わりじゃないと思っていた頃は、全くそんな風に思わなかったのに。
科学で説明が付く生命の仕組みも、
脳が停止や破壊された程度で消えてしまう自我や意識も、
自分が無になった後も続いていく世界も、全てが憎いよ。
科学や物理法則なんて糞食らえだ。科学で説明が付かない現象があってほしかったし、
死んだ後も希望が持てるオカルトがあってほしかったし、
人間の自我や意識が脳に依存してほしくなかったし、
この世が死んだ後にも希望を持てる世界であってほしかった。 タナト状態の時には紫色の物を見ると落ち着くので
色んな種類の紫の物を日頃から集めてしまっておいて
落ち入った時には一番落ち着く色を取り出して側に置いて見てたりする
ぬいぐるみとか造花が手っ取り早いかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています