■■■死恐怖症(タナトフォビア)38棺目■■■
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タナトフォビアとは死そのものや死に関連するものに対する恐怖症のことです。
このスレにはこんな人たちがいます。
1. 意識の喪失による無が怖い人
2. 死に伴う孤独や痛みが怖い人
3. 悲惨な目や災害にあって死ぬのが怖い人
4. 生や死そのものの不可解さが怖い人
5. 死んで人から忘れられるのが怖い人
6. 永遠が怖い人
7. 身近な人の死が怖い人
8. 生きる事やこの世の全てが無意味に感じるのが怖い人
これらのことを考え出すと思考が止まらなくなり、恐怖・発狂恐怖に陥る人。
タナトフォビアの類義語としてネクロフォビアがあります。
しかしタナトスはもともと死を擬人化した神の名を、ネクロは死体を指すので、
ネクロフォビアというと死体、つまり他者の死を意味するときに使う習慣もあるようです。
(ただし海外では同義語として扱われています。)
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前スレ
■■■死恐怖症(タナトフォビア)37棺目■■■
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1593095291/ また恐怖の波がきて眠れない
今寝たら起きられない気がする
死んだと自覚できないのが怖い 色んなことをここで言ってる人がいるけど
死んだら跡形もなく何もなくなるに決まってんじゃん 今日友人宅に集まって皆で楽しくピザを作ってたのにオーブンで生地を焼く作業を見た瞬間に火葬をイメージしてしまい怖くなって吐き気と嗚咽が止まらなくなって体調心配されて半泣きで帰った
友人達への申し訳なさと自分の情けなさと火葬の怖さに涙が止まらんわ
こんなこと誰にも相談出来ないし相談しても皆いつか必ず死んで焼かれて灰になるのだから解決なんて出来ないしもうどうしようもない
毎日毎晩泣くしかない タナトフォビアって、発作が起きた時だけが地獄なのではなくて、
発作を起こしていない平常時の気分も憂鬱で最悪なんだよね。
生きているのに生きるのを諦めているというか、
常に無常感と虚無感と厭世感が付きまとっているというか。
死ぬのも消えるのも絶対嫌だしどうしようもなく怖いけど、
今現在の人類の科学力や医学力ではどうにもならないから諦めるしかないし
実際諦めている。そんな感じの感情を一言で言い表すと「諦観」。
これが平常時何を考えている時でもずっと頭の中を駆け巡っている。
人類の不老不死の技術に希望がないし希望的観測もできないから
だから何をしても面白くないし何をやっても楽しめない。
普通の人をこんな事忘れるか意識せず考えないようにしている。だから普通に生きられる。
でもタナトフォビアは少しでもこの疑念が浮かんだら一生それが頭からこびり付いて離れない。
心の底から楽しめず、遊べず、笑えない。そんな心境が一生続くんだ…。 >>417
タナトフォビアの病態を四六時中、死を考え、時々発作的な恐怖に襲われると定義するならば私は今寛解している状態だ。
死を目の前にすれば、誰もが死を恐怖する。それがタナトフォビアの場合は死が目の前ではないにもかかわらず、死の恐怖に怯えている。死過敏症というべきだろう。(もしかしたら現代人の脳では常に死の恐怖におびえることが正常で、忘れている人の方が異常、死鈍感症かもしれないが)
だから薬を飲んでその過敏な状態を和らげるか、死の恐怖を上回る何かを見つけるしかない。釈迦を文字通り修行し悟ったし、例えばホリエモンは常に仕事をし続ける事で、死の事を考えなくして済むようにしているらしい。
私の場合は幸せの絶頂であった結婚した当時が一番タナトの症状がひどかった。この愛する妻が何時か死ぬ。もちろん自分も死ぬ。それこそ四六時中死を考え、夜は発作的に飛び起き泣き叫んだ。
私が寛解へ向かったのは、変な話だがひょんなことからソープへ通うことになってから。愛のない快楽だけのセックスが、死の恐怖を上回ったのだ。そうこうしているうちに死の恐怖というのもしょせん脳が生み出した感情で結構いい加減なものだと気づいた。薬ではもちろんのこと、天気やその時の環境によってずいぶん変わってくる。そう考えると気が楽になった。
寛解しているとはいえ、たぶん癌の余命宣告をされたら死の恐怖に慌てふためくだろう。妻や子どもにはあらかじめ、その時は死の恐怖でじたばたするよと言ってある。 子供が出来たらできたで、子供がいくつの時に自分は〜って考えちゃってきついだろうね
でも、働いている間は仲間もいるしいいけど、段々と皆既婚になって人付き合いも悪くなっていく中、定年退職して1人になった時孤独に耐えられるかな
ずっと一人で孤独死するかもしれない、周りは既婚で家族の仲を大事にする中、自分はたった一人で誰とも時間を共有できない
本来なら妻や子、孫がいて、もしかしたらタナト的にも、俺は十分頑張ってきたなとか思い残すことはないなとか、心変わりするかもしれない 自分は結婚する気無い
一人暮らしは寂しいけど、死の恐怖に四六時中取り憑かれたこんな暗い人間が家庭を作ったり人の親になってはいけないと感じる
家族を楽しませて笑顔にさせる力や守る力が無い
生まれた子供が成長してやがて自分と同じく死の怖さに気づいた時にどう接してあげたらいいのか全く分からない 子供やその子孫に死の恐怖を味わって欲しくないから絶対に作らない ホリエモンや宮崎哲弥や宮台真司なんかはタナト的思考や鬱を経験してるようなのに
同じように頭がそれなりにキレるひろゆきがタナト的思考にならいのが不思議だわ
https://vt.tiktok.com/ZSJaxoCja/ ひろゆきは実用主義かつ快楽主義だからな
考えても無駄なことは考えないタイプ 世界中の人がタナトフォビアだったら戦争はなくなりそう なぜ100年前でも100年後でもない今に生まれ
自分の兄弟などではなく自分として生まれた理由が最大の謎 誰であれ、死後が無でもいいじゃん、と言うふうに納得させにかかる人間とは一線を画したいと思う。
もし死が無なら本物の不条理だからね。
たとえ私以外の全ての人間が、「いや、無でもよくねえか・・・?」と言ったとしても、私一人で「違う!違う!」と叫び倒すつもりだ。 今日ホリエモンと渡辺正峰准教授の「機械に意識は宿るのか」っていうZOOM会議見たけど、
ホリエモンは忙しくするのと同時に不老不死ビジネスに自ら関わって行動してるのすごいなぁと感じた。
確かにそういうアプローチもあるのかと考えさせられた この記事にかなり救われたよ。心の拠り所を科学に持ってもいいのだと。不老不死ビジネス黎明期である現在にはまだまだ途方もないように思えるが、神によってあの世や転生を作れないのであれば人が作るしかないという考え方。そう考えても良いのだと
https://note.com/thanatos_forever/n/n7b77146a5613 死ぬまぎわも今と同じように暮らしてるだろうし
老いを感じても若い頃と同じように暮らしてると思うし
そんなふうに今日と同じ感覚のまま死ぬまぎわにたどり着くと思うと怖いな
なんの対策もなく数年後も数十年後も今日と同じ感覚のまま死を宣告されたり
嫌だなまだ死にたくない 子どもの頃、少しだけ霊感あったから、あまり死の恐怖はなかった。
でも、魂があっても、生まれ変わりはあっても、記憶がリセットされるのは確実で、
今の自分はなくなってしまう、それはどうしようもない。
あと、『私の人形は良い人形』ってオカルト漫画で、死んで残るのは「念」だけ、
自我みたいなのはなくなるって読んでから死ぬのが怖くなった。 >>414
心療内科より精神科の方が良いかもしれない
私の場合は心療内科行ってタナトのこと話してもお薬出しときますねで終わったから
まぁ薬でマシにはなるけど一時的なもの
精神科の方がまだ親身に聞いてくれるかもしれない
まぁ病院によるけど >>436
アドバイスありがとうございます
皆さんは臓器提供をどう考えていますか? 死ぬまぎわの練習しておくか、まだ死にたくないまだ生きたい
若い人達はいいなあ 自殺したいと言ってた人に話を聞いたら死ぬのがだいぶ先だと思って生きてるっぽい
明日死んだらやだなぁって思いながら生きて怯えてる身としては正反対だなぁと思った
でもそっち側だとタナトにならないんだなぁ 俺は40くらいの年齢だから普通に暮らしてたら明日死ぬとか想像しなくてすむけど
60過ぎたらやっぱり今日死ぬか明日死ぬかと恐怖するのかな なんかの本に人は47歳から死について真剣に考えるようになる傾向があると書いてあった
なぜ47歳なのかは忘れた >>443
そうなのか?
今、50代だが6歳くらいからずっと死を考え続けてきて、最近むしろ考えるのが面倒くさくなってきた。 >>444
確かに人が最初に死について考えるのは6歳からと書いてある本が多い
ただ一般人はすぐに考えるのをやめて中年になるまでは真剣に死とは向き合わない
一方タナトは死を知ってからはずっと心が死に支配されるという違いがあるのだろう うちは弟も死恐怖症
育った環境や教育の話にされがちだけど、脳の構造のどこかに問題がある気がしてならない
強迫性障害のように止めどなく確認やこだわりが湧いてくるように
タナトは絶対に訪れる死が対象だから、それとは違うと言われそうだがそうではなく
対象が解決するしないとは関係なく、止めどなく恐怖が湧いてくることが本質なのでは
もちろん誰しも極一部を除いて死期が迫れば恐怖は感じる、ただそれは当たり前なのでここで言われるタナトではない 昆虫やマウスの脳をハックしてラジコンにする研究がたまに報じられるけど
ゆくゆくは哺乳類など高等生物にも適用する
後は受精卵を弄って大脳欠損の小児を作成できれば無限の労働力を手に入れられる
一見倫理的に著しい問題があるが、そもそも大脳欠損では苦痛を感じる自我は無いので人権も無い、ロボットと同じ
生体ヒューマノイドの方がメカニカルなロボットより「人間の代替」になる
火星やガニメデの開拓には多くの生体ヒューマノイドが働く事になると思う >>423
>>447
ひろゆきや養老先生の物事に対する観察能力は半端じゃない。この二人を論破するのはほぼ不可能。自分の自我や死ですら客観視出来ている。
死が怖い? それあなたの感想ですよね? >>449ホーキング博士も死を恐れないって言ってるし本当に頭のいい人は死を恐れないのかも…… 養老孟司は「死ぬ時には意識が消えるのだから死の恐怖など存在しない」という、我々とは考え方が全く異なる典型的なタイプだから本を読んでもあまり参考にならなかったな >>451
タナトも生きている今、いつか自我が消滅して無になることが100%確定してることに恐怖しているわけで
死んだ後のことまで恐怖してるわけではないのでは? >>452
一人称の死は存在しないのだから、考えても仕方がないというスタンスだね。 ちなみにひろゆきは無がずっと続いているって経験したの? だから死の恐怖ってあなたの感想ですよね? っていうスタンス。 >>452
そう
死ねば意識が消えて無になるから死が怖い
だが養老孟司は死ねば意識が消えて無になるのだから死は怖くないと語ってる
「消えるから怖い」と「消えるから怖くない」
思考が根本的に違うのよ 俺たちはそこから一歩踏み込みすぎて、
無とは何か?無の先に何があるのか?を考えるから頭がおかしくなる タナトで怯えてる人や死んだらどうなる?って悩んでる人に
「そんな事を考えるのは中学生まで」みたいな言い方をする人が嫌いです。
人類が100%絶対に回避できない絶望的な問題を、大の大人が真剣に考えて何が悪いのか。
それを呆れたり冷笑嘲笑する人はどのような立場から物を言っているのか。
自分だけは死なないとでも思っているのか?不老不死者にでもなったつもりか?
そして何よりも、まるでそれでは死の問題を忘れるか
何も考えずに思考停止して生きるのがまともな大人だと、
全人類のこの世の正しい生き方だと言われているみたいではないですか。
そんな思考ではこれ以上人類が寿命を延ばし進化する事は出来ない。
正しく死を死と理解し正しく怯え、正しく死に抵抗して
もっと死に抗う研究や医学を突き詰める学者や費用を投資する方々が増えなければ
人類は悟りという名の諦めに達したまま檻から出られなくなる。
(死ぬ事は)どうにもならないんじゃない。どうにかするんだ。 スレチぎみでごめんなさい。
ずっと今まで老後の心配ばかりしていました。
何十年も先のことなのに。
老後が心配で自殺も考えました。
(「健康のためなら死んでもいい」くらい本末転倒)
でも、抗不安薬や、その他、いろいろ不安を消す薬を飲んだら、今はとても楽になりました。
毎日をせいいっぱい生きるだけで、そんなに先のことはどうでもいいやという感じです。
ここの人も、合う薬があれば、楽になれるかも。 鬱病を現代病だと言う人がいるが
自分はタナトフォビアこそが現代病だと思っている
神や宗教を信じているのが一般的で、
幽霊や輪廻転生が有り得ると皆が思っていた過去の時代には
必然的にタナトフォビアも少なかったはずだ
オカルトを排除し科学と唯物論が思考を支配している現代だからこそ
タナトフォビアが増えるのは当然であり、
タナトフォビアから鬱病を併発する人が現れるのも必然と言える
誰が悪い訳でもない、これも科学の発展の代償であり
現代社会を生きる人類の運命であり業なのだ
恨むとすれば過去でも未来でもなく現在に生まれてしまった己の運と
オカルト要素の存在を許さないこの世の物理法則を恨むしかない… 思い出した。
なぜ文学部にすすんだか。
それは、作品を後世に残すという形で、永遠の命が欲しかったから。 >>458
末期医療や死に対する医療(法も含む)が全く進歩していない
というか、ほとんどの人間はタナトではないから
それらに想像力や興味が全く働かない
ガン告知を受けたり、不治の病になって初めて末期医療の貧弱さに
怒りと絶望を感じ出す
世の中に「何故、貴方も死ぬのにそれがわからないの?!!」といっても
ほぼ誰にも通じない “死”の受容への5段階【高齢期に関わる用語集】
老いの工学研究所
世界的なベストセラーとなった「死ぬ瞬間」の著者、エリザベス・キューブラー・ロスが唱えたモデル。死にゆく人の心理の変化を、5段階で捉えた。
1.否認と孤立
自分の命が長くないことに衝撃を受け、その事実を感情的に否認したり、その事実から逃避しようとしている段階。周囲の認識や態度にギャップが生じるため、孤立しがちになる。
2.怒り
死ぬという事実は認識したが、一方で、「ではなぜ、自分がこのような境遇になってしまうのか」といった思いが強く、周囲に反発したり、怒りがこみあげてきたりする。
3.取り引き
死をもう少し先延ばしできないか、あるいは、奇跡が起こって死を回避できないかと考えて、神仏にすがったり、善行を行ったりする。
4.抑うつ
死を避けられないことが分かり、あきらめや悲観、むなしさ、憂うつ、絶望といった気持ちが支配して、落ち込む。
5.受容
死を、誰にでも訪れる自然なものとして受け入れるようになる。これまでの価値観や視野とは異なる次元があることを理解し、心静かに暮らす。 >>460
どうだろう?
昔は今より死は身近にいた。ムンクなんか死の恐怖に取り憑かれまま一生を過ごした。
今は死が遠い。死を意識していない人は過去より遥かに多い。 暴論を承知の上で言うが
究極的には自分勝手な人間が増えているのも日本の景気や政治が悪いのも、
科学が発達し無宗教が蔓延してオカルトを信じない人が増え
政治家が神も霊も生まれ変わりも信じない無神論者ばかりになってきたからだと思っている。
自分が生きている間の利権ばかり考えている人や
己が死んだ後の事などどうでもいいと思っている人。
科学と文化が発達した先進国で、無宗教無神論が基本思想の国なら当然そういう人も増える。
>>64や>>349の人がそれらしい事を言っているが
そんな人間が金持ちや政治家になってもろくな事がない。
自分が生きている間の自分の利益と快楽の事しか考えないからだ。
後世に伝える。歴史に名を示す。子や妻の為に遺産を残す。事業や研究を部下に継がせる。
これらは皆自分が死んで無になると思っていて、
自分が無になった後の事はどうでもいいと思っている人間には決して思い浮かばない生き方だ。
こういった身勝手な人間を増やさない為の戒めとして、宗教や地獄天国という概念があったのだ。
良き行いをして徳を積めば死後天国に行ける。悪しき行いをすれば死後地獄に落ちる。
この概念が嘘だと分かり善行を積んでも悪逆非道を尽くしても
死ねばプラマイゼロだしこの世で起こした全ての行動は無意味になると悟ったら、
当然悪人も増えるし宅間死刑囚や加藤死刑囚や青葉容疑者のような
後先考えない大量殺人者が何人も現れるし
自分が死んだ50年後100年後の先の事まで国の事を考えず、
目先の利権を貪るだけの政治家だらけになるのも当たり前なのだ。
宗教はダメ人間を増やさない為の抑制剤としての効果もあった。
もし本当にこの世に神がいて天国や地獄があったら誰も罪を犯さなかっただろうし
本当にあの世があって死んだ後も己を客観的に見つめられるのなら
もっと真面目な政治家や金持ちが増えていたはずだ。
死んだら全て終わり。良くも悪くもそれが悪人や腐った政治を増やした。 スレチでごめんなさい。
『史記』の講義で聞いたけど、
中国人は基本的に宗教を信じていない。
では、何が彼らを悪行に走らせないかというと、
善い行い、悪い行い、どちらも書物に書かれて、後世に伝わってしまうから。
「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」 自分は明日死ぬかも分からないのに人類の大半は自分が死んだ後も存在し続けるし
やがて人類が滅亡した後も地球は存在し続ける
だがいずれ地球も消えてなくなる
の思考に陥ると薬で安定しているはずの時でも過呼吸発作が起きて辛い 同じこと考えたことある
どうせ自分は無になるから関係ないのに、
いつか地球は滅びて人類も滅びると思うと、無性に悲しくなる
でも、大丈夫
それまでに、人類は宇宙のどこかに植民地を作ってるから
宗教団体にからまれたら怖いので、消えます タナトのこと考えると全てが憂鬱になって何もかもいやになる、
何もやる気が怒らない。思考の根底には常にタナトがこびりついていて前向きに生きれない 【調査】不老不死の薬が実現したら飲む米国人は3割しかいなかった…否定的な意見が多数という結果に★2 [ニライカナイφ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1623095732/ 科学的にも医学的にも意識が身体の中にしか存在しない(正確には脳の中)と
理解させられると、今度はこの世の全てが不条理に見えてくるんだよね。
それまで美しく見えていた景色も、素晴らしく見えていた世界も、
機能的に出来ている都会の街並みも、合理的に出来ている社会も、全てが。
死んでも終わりじゃないと思っていた頃は、全くそんな風に思わなかったのに。
科学で説明が付く生命の仕組みも、
脳が停止や破壊された程度で消えてしまう自我や意識も、
自分が無になった後も続いていく世界も、全てが憎いよ。
科学や物理法則なんて糞食らえだ。科学で説明が付かない現象があってほしかったし、
死んだ後も希望が持てるオカルトがあってほしかったし、
人間の自我や意識が脳に依存してほしくなかったし、
この世が死んだ後にも希望を持てる世界であってほしかった。 タナト状態の時には紫色の物を見ると落ち着くので
色んな種類の紫の物を日頃から集めてしまっておいて
落ち入った時には一番落ち着く色を取り出して側に置いて見てたりする
ぬいぐるみとか造花が手っ取り早いかな 最も平和な日本に生まれ、かつ科学の恩恵により
テレビだゲームだアニメだインターネットだと
数多の娯楽に興じる事ができるおかげで暇潰しには困る事がない
死ぬまで退屈という感情に支配される事はないだろう
だが、そこまでだ
そこまでの科学力(医学力)なのだ
ここまで科学が進んでも、未だ人類はワープもできなければ
記憶や自我や意識を脳から機械に移し替える事もできず
それどころか癌の完治根絶すら目処が立っていない
なまじ今が娯楽に事欠かないから、
娯楽漬けの人生を送る事もできるから忘れがちだが
今の時代は死を忘れて遊び呆ける事ができる程度の科学力はあっても
死を否定できる科学力には届かないし
それどころか死を先延ばしにする科学力にすら及ばない
科学の限界にあと何十年、何百年で到達するかは不明だが
少なくとも我々が生きていられる間ではない事だけは確かだ… いつまでも続くと思ってる人生に終わりがくるなんて嫌だ タナト患者の最大の不幸は、
この世のどんな酒池肉林や金銀財宝を手に入れても
決して心の底から幸福とは思えず、感じる事ができない事だ。
何しろ生きて死ぬという自然の摂理その物を地獄と思い
死という結果の前ではあらゆる人生は無意味、
過程がどんな波瀾万丈な生き様であろうが価値は無いという思想なのだから。
その場その場では小さな快楽に溺れる事はあっても
全体的大局において、己は良い人生だとか
生きてて楽しい、生まれて良かった等と思う事はない。
いつも心の片隅にいつか死ぬ、消滅したら全てが無意味という
決して解消されない汚れがこびり付いている。 >>476
「量子力学では研究者に対して
「若いうちは解釈問題には立ち入るな」と言われることが多いんですね」
タナトにならない人は生きてる間は量子学でいうとこの解釈問題に意識的にせよ無意識的にせよ立ち入らないんだよ
君はウィグナーの友達のパラドックスについてどう思う?
もしかしたら神を信じる人には死後の世界があるという世界線もあるかもしれんよ?
http://scoby.blog.fc2.com/blog-entry-1917.html 「我々の意識が未来を変える。
なぜなら、我々が未来をどう見るかは我々の意識次第だからだ」
ユージン・ウィグナー博士(Eugene Wigner 1902~1995) 多分、戦争状態とか他に恐ろしい切迫した状況が自分の身に迫ったら
タナトからは一時的に解放されるよ
タナトの人はだいたい頭の中に思考の余剰スペースがある人
金銭や家族関係に多少余裕があるとか、ぼーっと出来る環境があり過ぎるとか
ただし鬱由来のタナトはそれとは関係なく死の恐怖がぐるぐる回り続ける >>474
本当にそう思う。
何故ここまで恵まれた日本という国に
日本人として生まれたのにこうも苦しまなければならないのか。
治安も良く、福利厚生もしっかりした平均寿命世界一の国に生まれておきながら
なぜ私は未だにアミニズムを信仰している土人や
架空の神を信じている宗教国家の国民を、羨ましいと思ってしまったのか。
私は20年前の同時多発テロ事件で宗教テロリストが暴れまわった時、
不謹慎にも彼らが羨ましいと思ってしまった。
日本でオウム教がサリンをばら撒いた時は全くそんな事は思わず
ただただ許せないと怒ったにも関わらずにだ。
彼等は一般的道徳観や価値観に照らし合わせたら
間違い無く悪人で、かつ狂人の類だろう。
そんな事は解っている。解っている上で、
科学と唯物論に染められた現代の世界に生を受けておきながら
あそこまで淀みなく完璧に神を信じる事ができて、
死を恐れる事なく簡単に自分の命すら捧げられる人生観が、羨ましいと言っているのだ。
あのテロリスト達は爆弾を巻き付け自爆する時も、
飛行機ごとビルに突っ込む時も、欠片ほどの恐怖も抱かなかったであろう。
生を受けてから死ぬ瞬間まで神や天国を信じたまま、
全く死の恐怖を意識する事なく一生を全うできる。
それは私にとってはどんな利権や肩書きよりも羨ましい。
テロリスト相手に少しでも羨ましいと思う自分を恥じる。
だが、タナトフォビアの私にとっては死を恐れない思想は
善悪の境界を超えて最も憧れる思想なのだ。
科学思想と唯物論に染まった私にはもう彼等の考え方を信じる事ができない。
できないからこそ、羨ましい。 >>474
それだけではない。人類は想像力が強くなりすぎた。
神やあの世や幽霊を作ったのも想像の力だし
あらゆる小説・映画・漫画・アニメ等の創作で
魔法や超能力、現実を超越した道具や夢のような世界に
物理法則を無視した現象を作ってきた。
これらは全て人間の想像力だ。
遥か昔から想像や妄想が娯楽となり、商売になり、人を楽しませてきた。
想像に限界はない。想像は無限大で、
どんな事でも思い、作れ、叶えられる。
それ故に現実とのギャップも激しくなる。
現実は物理法則があらゆる可能性を潰し、邪魔をする。
映画では人が空を飛べる。現実では人は飛べない。
漫画では魔法が使える。現実では超能力は誰も使えない。
アニメにはあの世も幽霊もある。現実にはあの世も幽霊もない。
創作の作品が楽しくて、夢や希望に溢れているほど
想像の世界が面白ければ面白いほど
現実の世界で出来る事の少なさ、やり難さが浮き彫りになり
科学で出来る事の限界や物理法則の壁の厚さを思い知る。
娯楽を娯楽と割り切って楽しんでいても、
どうしてもこれが本当に出来たら…こんな物が本当にあれば…
という羨ましさや悔しさが芽生えてしまう。 いいね最近のこのスレ
どのレスも全文同意出来る
心に抱えていた謎の陰鬱な感情の正体が他の人によって言語化されて少しだけ楽な気持ちになれる >>481
まさにタナトの自分が漫画読むたびに感じていた鬱屈そのものです
なろう小説やなろう原作の漫画が最近よく叩かれているのですが
自分の場合は逆にそういう何でもできて何でも叶う作品どころか
普通のファンタジーやSF作品ですら、読むのが辛い時があります
特に幽霊やあの世が出てくる作品、これが一番つらい
そんなの漫画やアニメじゃ普遍的、あまりにもポピュラーすぎるのですが
タナトにとってはその当たり前が、一番眩しくて最も羨ましいのです
死んでも続きがある事のなんと素晴らしい事か!
なろうの転生物読んでもどの主人公も
すぐに新しい世界や新しい人生に順応はするけど
生き返ったり生まれ変わった事その物に対する驚きや
神や輪廻転生が現実に存在した事の嬉しさ、
死んでも無にならず人生の続きがある事への感謝まで
表現して書いている作品は全然ありません…
もっと喜べよ!無にならずに済んだ事を心の底から感謝しろよ!
なんて普通の人とは全く違うズレた突っ込みをタナトの自分はしているのです… >>483
無もあの世も輪廻転生も怖い自分はどうすばいいんだろう……… アニメ化した幼女戦記の主人公なんか
死んで実際に神と会って転生したのに
それでも頑なに神を認めず否定し続けているからな
生まれ変わる事が出来た上に神の実在を実感できるなんて
タナトにとってはこれ以上ない喜びであり絶頂なのに
それを意地になって否定する奴なんてタナトにとってはふざけんなって思うわ 漫画やドラマや映画や時代劇の中での登場人物の死は
「美しさ」すら感じるのに、現実の死を考えると悶絶する
自分にとって死が「美しい」ものであったあの時に、時計の針を戻したい 幽霊やあの世や生まれ変わりを信じていなくて
死んだら無になると思っているのが前提の上で、
どうせ無になるなら精一杯生きよう人生を楽しもう!というのが普通の人
どうせ無になるのに何故頑張る?勉強しようが金持ちになろうが最後は無だというのがタナト
無になる事が分かっていても人生を出来る限り良くしようとするのが一般人で、
無になるからといって何もやる気が起きないし努力を怠るのはただのダメ人間
そんな事は解っている
解ってはいるが、納得はできないし共感もできない
マジョリティの一般人にとってはマイノリティのタナトフォビアの方が
異常な考え方で自堕落したいだけの言い訳に見えるだろう
だがタナトフォビアの自分にとっては一般人の思考は
無になると分かっているのに怯えず、不安にならず、解決法を模索しようともせずに
遥か先の死を、いつかは必ず来る無をただただ受け入れているだけにしか見えない
いや、諦めているといった方が正しいか
死んだら無になるんだぜと笑いながら話した直後にゴルフの話をし始めた上司、
無になるなら逆に怖くなくていいやと言った友人
そんな先の話はどうでもいいとほざいた同僚…
自分には全員狂人の思考としか思えない
だがそれを言ったら向こうも狂っているのはお前だと言うに決まっている
故に一般人とタナトフォビアの死生観の違いは永遠に平行線なのだろうな… キューブラー・ロスの「死の瞬間」と死後の生、タナトフォビアが酷くて常に動悸と吐き気に苦しんでいた自分がこの本を読んでからはかなり救われたので読んでみてほしい。 タナトフォビアとアペイロフォビアの両方を持ってる自分にとっては気を逸らすしか救いがない…… 集スト界のまどかとして、
答え書いといたよ。
アデュー♪ >>492
動画の結論部だけ見た
最期は穏やかに亡くなったとあるね
こういう医療従事者や周りの人間の適当な描写にはいつも腹が立つんだけどな
(ま、遺族はそう思いたいというのがあるから別として)
穏やかに死ねる病気なんて何一つないよ
どうせ致死率100%なんだから、死期が迫った時には速やかに鎮静できるよう
法整備しろよ
それだけでもタナトにおびえる一部(一般人は全部か)の人間の救いになる わかる
YouTubeで宇宙の大きさを体感できる動画
ってタイトルの観た時、おそろし過ぎて涙出た
コメントで癒されるとか書いてる奴等が信じられん >>173と>>177を書いたのは自分なんだけど、
オカルトを信じていた頃はまだ宇宙が神秘的で夢のある世界に見えていたんですよ
神様も幽霊も天国も輪廻転生も無いと確信した後だと
宇宙が闇と虚無が無限に続く絶望の世界にしか見えなくなったんだよね…
神や霊が実在したら、自分はこんな思考には絶対に至ってなかった
でも、宇宙を知れば知るほど神はいないって
理屈ではなく心で実感してしまう
ただただ広く暗く冷たく苦しい世界が無限に無意味に続いていくだけ…
そんな世界に意識や自我なんて概念がある生物がいるのは
観測できる限りこの地球だけ…
>>25の方が言ってるように、無こそが正しくて
有になる事が間違っているのではないかと、
我々がこうやって怯えている原因である
意識や自我なんて発生した事自体が有り得てはいけない事だったのだと
タナトになった後に宇宙を知るとそう感じてしまうのです… もし神様のような高次元・上位世界の存在が人類やタナトの連中見てたら
自分達で勝手にあの世とか天国とか幽霊とかの概念生み出して
自分達で勝手に否定して怖がってらぁwwwww
って嘲り笑ってるんだろうな…
人間が庭や公園で除草してる時に何万何十万の蟻の群れを見ても何も思わないように
神様がいたとしても人類一人一人の不安なんて歯牙にもかけないだろうし
ましてやタナトフォビアの連中の死や無が怖いなんて極々マイナーな悩みなんてそれ以下だろう
宇宙規模の神様なら猶更だ、地球なんて宇宙の片隅の石ころ以下の塵芥でしかないし
俺達なんてその塵芥にこびり付く埃やばい菌以下の大きさの分子や原子だ…
宇宙規模で考えるとこういうネガティブな思考になっちゃうから、
宇宙の事考えるのも語るのも嫌なんだよ… 特攻3時間前の写真らしいけどこれから自分が無になるとについてどう思ってたんだろな
どの写真も信じられないくらい全員が純真で素直な表情してるのが不思議だわ
https://i.imgur.com/m67yZv9.jpg
右上の人なんて今の時代でもクラスに必ずいるようなおちゃらけで周りを和ませるようなタイプの人なのにこの後の無の恐怖や無念さとどう折り合いをつけたんだろうか
https://i.imgur.com/fWhmW50.jpg
https://i.imgur.com/mVyl5xK.jpg
今の時代、学校や職場で集合写真撮ってもこんな凛々して優しい表情の野郎の顔ってめった見たことないけど俺らもいつか死を覚悟する時が来た時はこんな表情できるんかな・・
https://i.imgur.com/LolPicP.jpg
https://i.imgur.com/iFmk2e3.jpg
https://i.imgur.com/38hnf2s.jpg >>498
日本海軍の桜花特別攻撃隊の人が、「俺は絶対に特攻なんて嫌だ!無人島に不時着して生き延びてやるんだ!」って言って、泣きながら宿舎の廊下をバタバタと走って暴れていたという話があった
気持ちがわかるが故に、制止はするものの、かける言葉が見つからずみんな黙っていたらしい
だから恐怖は底知れなかったと思う
ただ、戦争という極限状態にあり、常に死と隣り合わせだし、ある意味死を美徳として教えられていたのもあったり大切な人を守るという使命感で常にアドレナリンが出ていて、寧ろあまり恐怖を感じなかったのかもしれない
幕末の人もすぐ切腹をしていたしね… >>498
>これから自分が無になるとについてどう思ってたんだろな
>どの写真も信じられないくらい全員が純真で素直な表情してるのが不思議だわ
>この後の無の恐怖や無念さとどう折り合いをつけたんだろうか
まずこの時点で間違い
この時代の日本人はまだまだ霊や神を信じている人が多くて、
心の底から神を信じていない無神論者も己が無になると思っている唯物論者も少数だった
宗教やオカルトが否定され一般層や学が少ない底辺層に至るまで
無神論と唯物論が浸透するのは戦後高度成長期に入ってさらに科学が発達してから
だから靖国神社で会おう、というのを決め台詞にして
死ぬ兵士同士を結束させてた訳だしね
ISISの自爆したテロリストと同じで
自分が無に還ると思っていないのだから
特攻して死んだら靖国神社で英霊になると思っているのだから、怖い訳がない
それでもまだ疑う兵士には覚醒剤まで打って特攻させていた
逆に言えばこの時代に本気で敵前逃亡したり
自殺や特攻すら嫌がるほど死に怯えていた兵士は、
まだこの時代には少なかった本物のリアリストであり
この頃から既に死後の無を確信していたタナトフォビアの大先輩だよ 私は6歳位の時に死を認識して以来、死を片時も忘れる事が出来ず、40歳になるくらいまで夜は大声を出して飛び起きる事もしばしばあった。でも私はタナトフォビアとしては半端なのか、何とかこの状態から抜け出そうとあがいていた。
若い時分から宗教書や哲学書やよくある死が怖くなくなるとか書かれた本の部類等を読み漁ったが、全く効果は無かった。
変わることが出きたのは肉体的な修行と愛の愛の無い快楽だけのSEXだった。100kmを超すマラソンレースを走ったり、一歩踏み外せば谷底に転落死するような山を何日も歩いたり、一晩中走り通すトレイルランニングしたり、また四国八十八箇所を歩き通したり、そしてソーブで快楽を追究したSEXをしまくったり…
少なくともそれらをやっている間は死は全く考えられない。さらに生きている実感が身体にひしひしと伝わってくる。いつのまに死の恐怖より生の喜びが上回った。もちろん死の恐怖自体は変わることはないが。
今、50代後半になって感じる事は焦りだ。いよいよ死がはっきりと見えてきた。人生を楽しむことが出来る時間は多くない。少しでも濃厚な時を過ごしたい。そう思い私は数年前にアーリーリタイアをした。
死の恐怖も生の喜びもさほど感じず、相変わらず会社に通い、ルーチンワークをしている同世代を憐れむ気持ちになっているくらいだ。 あの戦争で徴兵されたのは皆ごく普通の国民や百姓だしね、神とか普通に信じてるのが多くても不思議じゃない
むしろ日本軍の場合生粋の軍人や上官の方が無神論者や現実主義者は多かったらしい
やっぱ軍隊の教育と洗脳の賜物だったんだろうね…特攻ってのは
↓ ここから下は、タナトスレの前スレの一年半前のレスね
47優しい名無しさん2020/01/09(木) 23:15:49.66ID:FJ8byfNx
例えば、特攻して死んでいた日本兵に隊長が
「お国の為に死んでこい!英霊となって靖国で会おう」ではなくて
「ぶつかってバラバラになった瞬間お前達は永遠の無を彷徨うのだ!」とか
「靖国にも行けんし仲間にも会えん!墓参りに来た遺族の顔も見えんし知る事もできん!」
なんて言われたら銃殺刑になっても逃げ出すのがいたかもしれないし、
飛行機でビルにぶつかったり未だに街中で自爆している中東のテロリストだって
あれは本気で天国を信じているから自殺できるんだよね…
239優しい名無しさん2020/02/23(日) 14:18:09.05ID:c5VR9p1+
お国のために志願してゼロ戦に乗った靖国に眠る英霊たちは君達を天から見てどう思うだろな
244優しい名無しさん2020/02/24(月) 09:16:13.19ID:YiyFi0JC
>>239
英霊が君達を「見て」?
見てたらそりゃあ軽蔑されるだろうね、呪い殺されるかもしれない
それでも構わないよ、「見て」いるのならね…幽霊に呪われたり殺されるのなら本望だよ
それは幽霊が「存在する」って事を確信できるのだからタナトにとってこれ以上の救いはない
実際は自分が死んだ後の未来の日本を見届けていく事も叶わず無に還っているんだよなあ…
教官も特攻兵に「お国の為に死んで来い!」とか「靖国で会おう!」ではなく
「お前達はもうすぐ無になって何も解らなくなる!靖国にも行けないし英霊にもなれない!だけど死んでこい!」
って言ってたら中には銃殺刑になるのも構わず脱走した兵士もいたんじゃないかなあ…
…で、ここはタナトフォビアスレッドなんだけど
貴方は本気で英霊が存在していると思っているの? >>501
重度の大鬱病や燃え尽き症候群にならないだけすごいな >>498
彼らは陸軍飛行兵だね。知覧特攻平和会館へ行った人ならわかるが、彼らは軍隊で純粋培養されてそれなりに覚悟が出来た人たちだ。
海軍の学徒兵は違う。大学で青春を謳歌していた連中だ。インテリでもある。きけわだつみのこえを読めばわかるが皆、自分の死を何とか納得させるために非常に苦しんでいたことがよくわかる。 アマプラ見れる人は新着無料で「三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実」ていう当時、東大駒場キャンパス900番教室で行われた
三島由紀夫と東大全共闘の討論会の記録映像がアップされたから見てみるといい
「三島を論破して立ち往生させ、舞台の上で切腹させる」という全共闘の異様なテンションが充満している敵地に警察が申し出た警護も断り三島はその身ひとつで乗り込んでゆく
三島ほど頭がキレて洞察力もずば抜けている人間がなぜタナトにならず最終的に自決したのかこの映像を見ると考えさせられるわ
https://youtu.be/M0Q2nigaY_M 街を歩いてる老人、楽しそうに笑ってるお婆ちゃん
酒飲んで上機嫌の爺さんを見る度に
あんたらもうすぐ消えちまうんだぞ!
天国なんてねえんだよ!先に死んだ親も連れ合いにももう会えねえんだよ!
確実に消えて永遠に無になっちまうんだよ!
怖くねえのかよ!?悔しくねえのかよ!?
って叫びたくなる衝動に駆られてしまう
完全にタナトの自分の八つ当たりだし
言ったら俺がキチガイ呼ばわりされるのも解っているから何とか抑えている
解っている、おかしいのは無を受け入れない俺なんだ
自分が老人になった時の事を考えると
とてもあんなに楽しく老後を過ごせるとは思えない
俺は毎日無に怯えてストレスを抱えて他の老人より早く死ぬだろう >>498-500
一昨年亡くなった私の祖父は太平洋戦争で激戦区だったレイテ島の戦いの生き残りでした。
子供の頃祖父から何度も話を聞きましたが、戦争当時は全く死の恐怖は感じていなかったそうで
戦闘でも常に一番前で撃ち合い、敵兵士を何人も殺したそうです。
実際に脇腹に弾痕もあったので、本当に最前線で命の奪い合いに勝利してきたのでしょう。
何故怖くなかったのか?と聞いたら、まさに>>500さんの言う通りで
当時は日本の仏様や八百万の神様を信じていて、
死んでも靖国で戦友や家族と会えると本気で思っていたから、と祖父は言っていました。
当時は、と言ったのは、終戦後に祖父の死生観が変わってきたからです。
祖父の思考が変わってきたのは自分が生まれた後のここ数十年からで、
まさに科学の変貌でひょっとして神はいないのではないか?
死んだ戦友達は皆消えてしまったのではないか?と思うようになり始め、
インターネット等で数多の他人の意見を知れる様になってそれが確信に変わったとの事。
私が子供の頃の祖父は老いていても若者のように勝ち気で明るい性格だったのですが、
死生観が変わってからの晩年の祖父はまるで別人のようでした。
歳を取れば死ぬのが怖くなくなる、なんて幻想だと私は強く思い知りました。 >>507の続きです。
具合を悪くして布団に入るといつも言っていた
消えとうない、消えとうない…
という祖父の泣き声が今でも耳から離れません。
今でもはっきり覚えているのは祖父は「死にたくない」と言った事は一度もなく、
常に「消えたくない」と言っていた事です。死ぬ事と消える事の違いを理解して、
天国に行けたり幽霊になれると思っていた頃ではなく
そうはならないと解ってしまったから、死という言葉を使わなくなったのかもしれません。
私がタナトフォビアになったのは正直に言うと、祖父の晩年を常に介護し
祖父の死への恐怖と絶望の嘆きをずっと見続けていたからなのですが
私は祖父を恨んではいません。
死ぬのが、消えるのが怖いのは当たり前なのですから。
祖父も変わりゆく科学の進化と先進国の街や文化の成長…つまり
時代に無理矢理現実を突き付けられ、価値観を塗り替えられた犠牲者です。
そのまま神を信じる事ができたまま、死んだら英霊になれると思い込んだまま死ねたら
最期まで苦しむ事も怯える事もなく安らかに逝けたのですから。
私はむしろ、科学が発達した先進国故に小学生の頃には正しく死のメカニズムを知り、
天国や幽霊等の心の逃げ場すら許さないまま成長する
これから生まれてくる子供達や若者の死生観が心配です。
私の次の世代、次の次の世代にタナトフォビアがこれ以上増えない事を私は強く祈ります。 私の父方の祖父は、戦争が始まるまでは楽天家で好調だったのに、
敗戦色が濃くなってから鬱転し、自殺しました。
だから、戦争中は〜とか、発展途上国では〜というのは違うと思います。
私は鬱の底で、この病は母方からの遺伝なのだと、
自分が先祖の因果の全てを引き受けて死んでいく、
それが自分がこの世に生まれた唯一の意味なのだと思っていました。
でも、終戦三か月前に自殺した祖父のことを思い、
あと一日だけ我慢しよう、あと一日だけ我慢しよう、
それを積み重ねていって、やっと躁転できました。
躁になって、生きていること、それだけで怒涛の幸福感を味わいました。
(今は少し落ち着いていますが)
その怒涛の幸福感を味わえたので、もう死ぬことも怖くありません。
そして、この病気が父方、母方両方から来ていること、
父方も母方も身体は非常に丈夫であることから、
全ての病気の遺伝子はプラスとマイナスの要素がある、
全ての生きているものに意味があると思えるようになりました。
マリア、あなたのこと、別のスレで私に粘着してる荒らしだと勘違いしてました。
ただ、怖かっただけなんですね、ごめんなさい。 まだ科学も医学も発達していなくて
普通に神仏や天国や輪廻転生が信じられていた
室町時代の有名な一休宗純ですら、
断末魔が死にたくないだったのが
当時から死ねば無だと思う人がそれなりにいた証だ
神仏を信じているのならば死ぬのが怖い訳がないではないか!
死ぬまでの苦痛はあくまで過程でしかなく、
死ぬ瞬間の痛みが地獄だとしてもその先にあるのは天国なのだからな
死を怖がるという事は、死ねば地獄に落ちるという自覚がある悪人か
まだまだこの世に未練があるか、でなければ死=無と確信しているか
当時の宗教観や死生観を鑑みてもこの3つのどれかしかない 社会や宗教や哲学的なコメントであふれているけど
タナトが鬱や強迫性障害の類だとそのうち判明すると思っている
なぜタナトが精神医療の対象と思われないかと言えば、
対象がたまたま絶対避けることができない死というものだから
「避けられないもの」→「怖いもの」→「当然そう思う人もいるよね」と
そこで話が終わってしまう
「当然」すぎることだから、それに苦しむタナトの当事者も
当たり前に身の回りに存在する社会、宗教に解を求めようとする
鬱病が気分の落ち込みや意欲の喪失、睡眠や食欲の低下といった
生きていれば誰しも経験する当然すぎる症状だった故に
長い間「人生の悩み」として「放置」されてきたのと同様
いつ、何がきっかけでタナトが社会的に認知され、明確に精神
医療の対象となるかはわからないが、いつかその日が必ず来ると思っている 中途覚醒なので、きちんと調べられなくて、うろ覚えだけど、
R.E.MのThe Great Beyond を聴いてみてほしいです。
アメリカ人のクリスチャンの考え方が表れていると思うので。
マドンナがカバーしていたDON McLEAN の「アメリカン・パイ」は
音楽が死んだ日について書かれていますが、
これも現代のアメリカのクリスチャンぽい考え方が詞に表れていると思います。
あと、『電気羊はアンドロイドの夢を見るか?』という小説もです。
キリストはインチキだった、フィクションだったと分かってしまう、
それでも信じられずにいられない、それが人間だ的な作品です。
そして、読者には、最後まで、キリストが本当にインチキだったのかどうか、
よく分からない、判断は読者に委ねます的なラストです。
実は私は、この作品の中の人間たちのように、わりとキリスト教を信じています。
入信はしませんが。(教会内にもドロドロした人間関係があると聞くので)
だから、死がそんなに怖くありません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています