■■■死恐怖症(タナトフォビア)38棺目■■■
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
タナトフォビアとは死そのものや死に関連するものに対する恐怖症のことです。
このスレにはこんな人たちがいます。
1. 意識の喪失による無が怖い人
2. 死に伴う孤独や痛みが怖い人
3. 悲惨な目や災害にあって死ぬのが怖い人
4. 生や死そのものの不可解さが怖い人
5. 死んで人から忘れられるのが怖い人
6. 永遠が怖い人
7. 身近な人の死が怖い人
8. 生きる事やこの世の全てが無意味に感じるのが怖い人
これらのことを考え出すと思考が止まらなくなり、恐怖・発狂恐怖に陥る人。
タナトフォビアの類義語としてネクロフォビアがあります。
しかしタナトスはもともと死を擬人化した神の名を、ネクロは死体を指すので、
ネクロフォビアというと死体、つまり他者の死を意味するときに使う習慣もあるようです。
(ただし海外では同義語として扱われています。)
スレが埋まりそうになったら新スレが立つまで書き込みを控えましょう
前スレ
■■■死恐怖症(タナトフォビア)37棺目■■■
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1593095291/ 宗教と同じ
神みたいなそんな「ふわり」としたものがこの宇宙にいて、この人類と関わりを持っているとかありえない
けれどその神を信じることで、恐怖が遠のくならそれはそれでいいと思う
人体保存に希望を見出すのも結構かと思う
死が訪れ、自我が消失するまで恐怖が遠のけばいいのだから >>814
本当に不老不死が実現したら法律やルールが色々変わるだろうね
自分はまず受験競争や学歴社会が劇的に変わると思う
老いがこの世から無くなるのだから年齢による制限もなくなり、
一流会社が大学を一発で卒業した二十歳そこそこの新卒だけに拘る必要がなくなる
働く方も30や40過ぎまで中卒のままでいてもいいし、
良い暮らしをしたくなったら50過ぎでも60過ぎでも勉強して大学受験して
大卒になってから70や80歳から良い会社に転職すればいい
もちろん何回受験に落ちてもいい、5浪や10浪しても全然問題ない
何しろ寿命に限りはないし仕事の年齢制限もないのだから >>815
なんだよ「ふわり」って。
そうやってすぐに宗教だとかオカルトだとか言って悟った気になってる人が多くて、研究が進まない方が問題だと思うんだが。 815は別に宗教賛美や宗教押ししてないだろ
やっぱりageてる人は厄介な人率高いな
自分と意見が違っても当たり前 >>818
喧嘩腰になって正直すまんかった。
個人の考えを無理に変えようと思ってるんじゃないんだ。ただ、諦めるのが当たり前みたいな風潮があるのが納得できなくてな。 まあ死後の世界はあるんだけど
でもそういうのにもかかわらず、死というのは クライオニクス論にしても遺伝子操作にしても
不老不死研究は技術の限界=技術の進歩で解決されうる問題ではなく
量子の大きさの操作の限界や分子サイズの情報になったときの不可逆性まで判明していて、もう物理的法則的に不可能だとうところまでいきついてるからなあ
不老不死を信じるのは宗教と同じと感じるのはわかる >>821
ナノマシンとか物理的、量子力学的に技術的発展の余地に限界があるというのは一理あるとは思う。ただ、不老不死が無理っていう人のほとんどはそこまで考えて発言してなさそう。 >>821
上の方のレスでアダムとイヴの知恵の実を例に出した人がいたけど、自分もそう思うよ。
人類は頭が良くなりすぎた。知らなくて良い知識を知りすぎたし、
解らない方が幸せに生きていけた事象や概念を、解りすぎた。
科学と医学の発達によるオカルトの排除。神の不在。魂の正体=脳。
あの世や輪廻転生の否定。死とは消滅。物理法則の限界。
宇宙の存在。宇宙にすら神はいない。一番近くにいる宇宙人とすら、地球人は会えない。
宇宙も地球も人も生命もこの世の全ては偶然生まれ、無意味に消える。
これら全てが知りたくなかったし、知る必要のなかった事だ。
知れば知るほど虚しくなるし、解れば解るほど絶望しかない。
何故こんな色々な事が「解って」しまった時代に我々は生まれてしまったのか?
全てを知った果てが何の救いも希望も安心もなく、無意味に無価値に無に還れ。だ。
それが嫌でも諦めろ。死後が無だと自覚していても絶望を顔に出さず、
恐怖していない振りをしながら毎日を生き続けろ。と言われているような気がする。
これこそが現代社会の安全で豊かな先進国に生まれた最大の代償であり、
罰であると自分は思わざるを得ない。発展途上国で無知なままでいたほうが、
宗教をそのまま信じて一生を終えられる国に生まれた方が幸せだったのではないか?
と最近は思うようになってきた。江戸時代の人が、弥生時代の人が、原始人が、猿が羨ましい。
こんな事を知るぐらいなら私は無知蒙昧な猿のままでいたかった…。 知らないこと、わからないことは最大の恐怖というからな
だから、地震とか台風とか噴火とか昔の人には全く理解不能な現象に、昔の人は合理的な理由(神様がお怒りになっている)をつくった
プレートのズレやら海上の気象やら全く知らず、大きな驚異が突然起こるとか、自分ならその恐怖に耐えられそうにないよ
なにもわからない意味不明な現象が目の前で発生するより知識がある今の方が幸せだと個人的には思うな >>823
全てを知ったって…w
僕たちは何も知ってないですよ。
現代の科学の知識も全部表層的な受け売り。
その受け売りの知識の中で恐怖している。
だけどその無知さが希望でもあると思う。 幽霊が見たい
幽霊を見たとか言う人が羨ましい
幽霊の存在が信じられたらどんなに救いだろうか >>826
子供の頃は幽霊がいる事に怯え、幽霊なんていなくていいと心から願った
大人になったら幽霊がいない事に怯え、幽霊がいてほしいと心から願った
皮肉な事に、幽霊はいる事よりもいない事の方が遥かに恐ろしい… >>826
自分は今までに三回幽霊を見た事がある
母も学生時代に集団で心霊体験したらしく、父も単身赴任してた時に社宅で霊障に悩まされたって話を聞いた
でも恐怖症は全然治らなかった、幻覚だと言われれば確かにそれまでで、幽霊がいる決定的な証拠にはならないから
世の中の体験談には幻覚や思い込みでは説明がつかない事例もいっぱいあるけど、それも創作を疑う悪い考え方になってしまう
もっと霊やあの世の存在を信じられそうな情報を求めて信憑性のありそうな色んな本を読む日々
でも先週は読んだ本がどれも大失敗で、十五冊くらい連続で死後は無と断定してる本に当たってしまって今かなり辛い
この一週間ほぼまともに食べられなくなり、立っても歩いてもふらつきと頭痛と嗚咽と動悸と過呼吸に襲われる
自分が死んで無になる怖さ、家族が死ぬ怖さ、死んだ人達が今は無になって二度と会えない怖さを再確認し、愛犬を亡くしたペットロスも再発し、最悪の状態
今回ショックだったのは、臨死体験に関する本を読んで、自分が長年心の支えにしてた事例の情報源が不正確で怪しげだったり、実はとっくの昔に解明されてた事例があると知った事
これは本当に辛かった、ネットの唯物主義者が煽る理由が分かった瞬間だった、もちろん全てが解明された訳ではないし、脳内現象説の方も誤りや誇張が多すぎて同じくらい怪しいのだが、どうしても悲観してしまう
それと以前から読みたくて気になっていたある三冊の本を入手して読んでみたら、作者は別々のはずなのに、どの本も気功や波動や龍神など怪しさ全開な内容だった事も辛い
これなら恐怖症を治してくれるんじゃないかと期待していた数年越しの夢や幻想が簡単に破壊されてしまった
無知の方が幸せだって>>823の言葉に同意したい
知らない方が絶対に穏やかな生活が出来てたはずなのに、余計な事を知ってしまったせいで苦しい
誰かに助けてほしいのに自分で勝手に疑ってしまう、その悪い癖だけでも治せたらまだ生きやすくなりそうな気配は掴めてきた
今は本当に怖くて苦しくて誰かに助けてほしい、でも何を見聞きしても疑う、どうにかしないとこのままじゃ発狂しながら衰弱死しかねない >>827
俳優の中村倫也がエッセイで「幽霊話をする人は嫌い。理由は怖いから。話を聞いて怖くなったら、科学的に幽霊を否定してるサイトを見て安心する」と言ってた
我々とは真逆の考えだよね
どう考えても幽霊がいない事の方が怖いよ 幽霊を感じたいなら、奥野修司の「魂でもいいからそばにいて」や、最近発売された「死者の告白」を勧める。ノンフィクションならではの真に迫るものがある。が、悲しすぎて別の意味で読むと辛くなるかも。 昔は眠ってる間だけは安らげたのに、年取ってからは夢の中ですら死の恐怖に怯えてる悪夢ばかり見る
心身を休める時間がいよいよ無くなった 幽霊がいるってわかれば死後の世界の証明になるから死後の無が怖いタイプは救われるんだよな
でも結局のところアニメみたいに目に見えて会話できるぐらいわかりやすい幽霊じゃないと信じることはできないだろうなぁ
金縛りにとかおきてもすぐ「ああ睡眠麻痺だ…」と考えてしまうような脳味噌じゃ生半可な心霊現象や怪談話ではぜんぶ疑ってしまう >>833
それは辛いな
今からでも遅くない。修行しろ
座禅でも滝行でも何でもいい
お遍路とかもおすすめだ
宗教書、哲学書もたくさん読んだが、全く死の恐怖は変わらなかった
つまり脳は脳では変えられことがわかった
身体のみが脳を変えられる
今、アラ還だが若い時は発狂しそうだった死の恐怖が随分と和らいだ >>835
すいません。
歳を取ると死の恐怖が和らぐってよくきくのですが、本当ですか?
だったらもう少し歳を取ると私も死の恐怖から救われるのでしょうか? 小学生のとき死の恐怖にとりつかれ
20年近く経ったが恐怖の大きさは変わらんけどなあ
単に年をとっただけで恐怖が和らぐだろうか
自分の血をひいた子供ができると「死んでも自分の存在がなくなるわけじゃない」と恐怖が和らぐとか
親しい人が死ぬと「あっちにあの人がいる」と恐怖が和らぐとか聞くけど
どっちも経験がないからわからない
経験者がいれば教えてほしい 人によるね
やなせたかし先生や日野原重明医師は90歳以上生きたけど最期まで死にたくないと言いながら亡くなった
内田裕也や野村克也監督は愛妻に先立たれたせいかもう生きててもしょうがないと言いながら亡くなった むかしからたまーに考えてたけど、
ここ2ヶ月ぐらい頻繁に死が怖く感じる。
今34歳。
この病気の仲間入りかもしれん、よろしく! >>836
>>837
わからない。人によると思う。私は和らぐどころか増すと思っていた。それは嫌なので私の人生の主題は安らかに死ぬことにした。そのため色々な事を行った。哲学を勉強したり、宗教をかじったり。
結局、身体を動かす事が心を変化させる事がわかった。山歩き、滝行、お遍路、マラソン等それらが私を変えて行った。せわしない世の中へ執着が薄れ、この一瞬一瞬の素晴らしいさや心の自然への一体感を感じるようになった。
死ぬ事は多少怖く無くなったが、逆に生きることをやめなくてはいけない事が少し怖い。たぶん晩年でも人生が充実していた日野原先生ややなせたかしさんのような心境なのだろう。 今だけを生きるって重要かもね
実際今の自分しかいないし、「あったかもしれない他の可能性」なんてくだらない妄想でしかない >>837
残念ながら変わらないと思う
若い時に中年を見ておっさんおばさんだなぁと思ったけど、
いまその年代になって(外見はまああれだけど)基本的な意識や考え方は全く変わってないので
自我は連続しているというのかな、どっかで途切れれば変わるものもあるかもだけど すぎやまこういちさんが90歳で亡くなって追悼コメントでみんな大往生と言ってるけど、90年って全然短いと思う
自分は今30歳でこれまでの人生あっという間だった
このあっという間の30年をあとたった2回繰り返しただけで、周囲から大往生と言われ、死を受け入れて当然な扱いの年齢になってしまうのがたまらなく怖い
まだまだやりたい事はいっぱいあるし生きてて楽しいから例え120年生きようとも全然足りない、強制的に終わりたくない
これからもっと年を取って体が壊れてきたり、親や知人がどんどん亡くなれば生きる意欲が失せていくのかも知れないけど、そういう失い続ける日々が来てしまうのもまた怖い
いっそ若い頃に眠ってる間に何も分からないまま突然死する方が幸せだったのかもと最近思う >>843
アンパンマンを作ったやなせたかしさんも90歳過ぎて尚、
人生まだまだやりたい事があるのに何で死ななきゃならないんだと嘆きながら死んでいった。
知識があって創作意欲がある者にとっては今の時代100年生きても寿命が足りなすぎる。
一般人にとっても、ゲームやネットやスマホと科学の発展であらゆる娯楽が生まれ、
現在進行形で娯楽が増え続けている今の時代に生きるとなれば、やはり人生100年程度では少ない。
何しろ「人生に飽きる」という事がないのだから。新たな娯楽が生まれ続ける限りは。
人生が死ぬまでの暇つぶしと言うのなら、暇になる事がない人間はどうすれば良いのか?
その気になれば大した金をかける事もなく、飽きる事も暇になる事もなく
無限に人生を楽しめるように今の科学や娯楽は進化し生まれ続けているというのに。
そんなずっと楽しく幸せだと言っている人間の人生すら、寿命や病は無慈悲に命を奪う。
娯楽が演劇と博打と遊郭しかなく、飲む・打つ・買うしかなかった戦国時代や江戸時代は
織田信長の言う通り人生50年が平均寿命だった。
戦で殺された人間や今の医学なら容易く治せる病で死んだ人達も含めての平均寿命だが。
娯楽が無尽蔵に増え、進化していく現在…そして未来においては
平均寿命が100年に到達しても足りないだろう。それどころか、おそらく飽きる事は永遠にない。
脳その物が老いて痴呆に達しない限りは、「人生に飽きる」事はもうないだろう。
それだけ、科学も娯楽も進化し過ぎたのだ。
娯楽などたかが暇つぶしと言うかもしれないが、その「たか」が楽しくなりすぎた。 遠い将来の死を想像して恐怖する。これは現代人だけに与えられた神経症だ。本来、死を目の前にした時だけ恐怖が必要なのだ。鼓動を速め、死から逃れるため行動する。もし死の恐怖なければ、他の生物等より簡単に捕食され絶滅してしまうだろう。
人類はいつ遠い先の死を恐怖するようになったか?一説によると農耕を始めた時はからと言われている。それまでの狩猟採集生活は毎日獲物を捕まえたり、木ノ実を取ったりの繰り返しで、先のことを考える必要はなかった。その時その時に集中する。
ところが農耕はそうではない。時期を見て種をまき、育て、また時期を見て収穫を行う。ここで初めて遠い未来を思い描かなくてはならなくなった。同時に将来に対する不安を知った。
また現在?つい最近まで?存在したアフリカの奥地の人々やイヌイットの人々も未来の概念はなかったらしい。
ケニア出身の牧師による1970年の頃著書「アフリカの宗教と哲学」によると、アフリカ人はとって未来は事実上存在しない。未来の出来事は起こっていないし、実現していないので、時間を構成しえないと記している。
一瞬一瞬を楽しみ、永遠の現在を生きていれば、遠い未来の不安に悩むことは少なくなると思う。私はそれを色々な修行から感じ取った。でも老後のお金の計算はしっかりね 笑 44歳だけど趣味とか関心が薄れて、時間が足りないなんて思わなくなってきた感じがする
まあ少しは怖いけどもうやりたいこともあまりないし死は仕方ないなと はじめてこのスレを覗いたけど長文で難しい事をずらずら書いてる人ばっかりで困惑した
気軽につぶやこうと思ったけど疲れた >>846
その考えだったんだけど、死にそうな病気になると精神的な安心が一気に崩れた。
もう一度最初からやり直し。
何でこんなに怖がりになってしまったんだろうか? 大切な人がもうこの世にいないから、死後に何にもないのかもしれないけど、
その人と同じ存在になれると思ったら前よりは恐怖心なくなった
心霊的な現象を何度か体験してるのもあるけど >>843
いっそ若い頃に眠ってる間に何も分からないまま突然死する方が幸せだったのかもと最近思う
いつ(何歳)かはともかく、我々にはこれしかないだろうな
自ら選択することはできないけど
急性心筋梗塞とか全身麻酔中の手術中の死亡とか
これが自分にも起こるかもしれないということが唯一の希望 永遠の無という恐怖は、死のおそろしさをごまかさずに直視している証拠じゃないか?
だから、この恐怖に打ちのめされている人は、そうでない全ての人よりも誠実さの点で上位に立っていると思う。
でも永遠の無ってどれほど確実性のある議論なのか。脳と意識が相関しているという事実だけが根拠か。 まあ俺もそうだけど、この恐怖症持ってる人は神経症に他ならないだろうね
何らかの精神疾患を持っているよ あー俺双極性障害って言われたし、それだろう。
こんな恐怖を普通の人は感じないのは良かったと思う反面、羨ましく思う。 サチモスのベースが32歳で永眠って
若いなぁ
倍野菜さん‥‥ 倍野菜さんのベースは小田急線で飛び込みしたという噂だけど、
それが本当ならちょっと違う案件やな 自分の中では、死が怖いからじさつしたいというのは全く矛盾してない 死ぬのが怖くなりすぎると自殺したくなるってたけしの映画でも言ってたな 大昔の新聞紙上でラサール石井が人生Q&Aに回答してた
読者質問はずばり「死ぬのが怖い」
ラサール石井の回答の要旨
・世の中にそういう人がいる。有名落語家とか。
・あなたが死んでも原子という形で永久にこの宇宙に残る。
自分は時間・無限恐怖だから何の参考にもならなかった。 原子が残ったからといって自我が残ってないんじゃ今生きてる自分からすれば消滅と変わらないんだよな
唯一無二の自分は存在しないという原始仏教みたいな考え方が風潮が哲学や科学の発展で最近復活しつつあるけど、個人や個性という幻想を信じ込まされてきた世代なので簡単には受け入れられない考え方だ >>860
そりゃそうだ
捨てた爪や髪や垢を自分とは認識せんもん
自我があるのが自分
自我がなくなる=死
自我がなくなるのが怖い
千年後も万年後もずっと自我が復活することがないのが怖い この前まで希死念慮強くて死にたかったのに、今は逆に死ぬのが怖くて眠れないタナトフォビアになってしまった…
俺の場合は突発的な感じなんだがマジで嫌だ
風呂入ってる時も突然死したらどうしようとか考えて怖い あるある
俺も病気で障害者になってしまって、しばらくは自殺方法を探していたけど、その後突然死するのが怖くなってしまって大変だった。 自殺しないように、コツコツ人生や日常を生きて
積み重ねているのが
全部死で失われるのが大変で嫌だ。 人生ゲームのキャラクターってだけでそこまでの差異はないから
恐怖も小さい頭の中でハムスターが駆け回っている程度の事
思考をスローにしてみれば、恐がってる内容も見えてくる >>861
>千年後も万年後もずっと自我が復活することがないのが怖い
これ、身震いするほど怖えーわ
しかも万年でもなく、億年でもなく、無限年だぞ…
タナトに取りつかれてはやうん十年。
作家って想像力豊かで、思考が深い人が当然多いけど、じさつ者も多いよね
自分も作家とか成れる能力全然ないけど、想像とか物事の本質を考えすぎる傾向が強いわ
そうするとそりゃ最後には「死とは何か?」に行きつくよな
あ、俺発達障害だけどさ(苦笑)
タナトに取りつかれた人は未通院の神経症圏の人も含めて、8割ぐらいが何らかの精神疾患があるような気がする
だって想像力が異常だもん、自戒こめて言うけど 死ぬのがとても怖いせいで
自殺しなくて済んでいるかもな自分だけど
やっぱり死ぬのは怖い 何も成し遂げないまま死にたくないと思う反面
結局死ぬのだから何もしなくていいかとも思う 死によって自我が喪失するのだから、もはや自分とって「時間」は存在しない。
この説明納得する? 気がつけばこの世界にいて
それだけでも十分不可解なのに
訳わからんままこの世界から去らなきゃならんときた
とてもじゃないけとこの人生、楽しむ気になれんのよね
根本的に色々おかしいわ いや楽しむ気満々だわ
100年そこそこじゃ楽しみきれないから5億年くらい寿命ほしい
飽きたら自由に死ねてだが意に反して突然途中退場なしでお願い
明日死ぬ可能性が0じゃないとか嘘だろ怖すぎる 5億年生きようが、5兆年生きようが結局最後には無だよ 最後には無になったとしても5億年生きればぬ無の恐怖はなくなるのでは? 病に侵される事なく、日常で死を意識している人間なんてどれくらいいるのだろうか?
最前線で戦っている戦場の兵士や海外のマフィアぐらいしかいないのではないだろうか?
知識として霊や生まれ変わりやあの世が無い事を知っていても
死の先に絶望しかない事、いや絶望すらもない事を理屈として解っていても
それでも、誰も死を意識しないし考えないようにして誤魔化しながら生きている
タナトフォビアになっている自分ですら平常時はそうだ
死の思考をすると止まらなくなるが、思考しない時は本当に全くしない
そうやって己が少しずつ老いていくにも関わらず死を考えないようにして生きていき、
ある日突然身体の調子が悪くなり、病院に行ったら癌を宣告される
大概の人間はそこで初めて死を意識するのだろう
いや、末期癌にならないと死を意識しないと言った方が正しいか
でもそれでは、死を覚悟するにはあまりにも遅すぎる…
死刑囚が拘置所で死刑を待つまでの期間ですら、癌患者が末期になり死ぬより遥かに長い
しかし常に死を意識している人生が不幸なのは、
このタナトフォビアスレの皆の書き込みを見ても明らかである
死を意識せず、意識し始めたら残りの寿命は風前の灯火な普通の人生か
死を常に意識して常に頭の中に霞が舞うような人生か…どちらがマシなのだろうか? 死を意識して、充実した人生を送ろうとするのが一番マシだと思う。 >>874
>日常で死を意識している人間なんてどれくらいいるのだろうか?
いない 誰もが無になると解っているのに誰も無を意識しない
さりとて恐怖しない訳ではなく死を目の前にしたら
即ち無を目の前にしたら誰もが怯え狼狽する
知ってる癖に知らない振りをして
怖い癖に怖くない振りをし続けながら生きていく
科学が先行した先進国の国民は皆そうしてる
これ、とんでもない事だと思うよ 死に恐怖しても克服できるわけじゃないし
見ざる聞かざる考えざるは良い判断だと思うよ >>534
この前なんJに建った死後の世界はないって趣旨のスレ
https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1635175670/
ニュー速でもどこでもこういうスレ見て思うのは
科学がああだこうだ脳がどうのこうの言って
死んだら無だよって書くだけでそこから話進まない奴多すぎ問題
諦めてんのか思考停止してんのか知らんが
そんな事は分かってんだよ、で?って言ってやりたくなる
そういう事スラスラ書いて平気で生きていける奴の方が俺は怖い
お前もその内必ず無になるのに怖くないの?
自分だけを枠の外に置いて悪い意味で客観的に語るのやめなよって言いたくなる
意地が悪い言い方するとそいつが死ぬ瞬間の怯えや絶望の顔を見たくなる
ほら、無だ無だと他人事みたいに語っててもやっぱりお前も無になるの怖いんじゃんってね
まだ無は怖いし恐ろしいと正直に自分の気持ちを吐露しているタナトの人たちの方が健全だ >>879
死が怖いのは当たり前
しかし死が目の前に無いにもかかわらず、恐怖しているのは病気。 死という言葉の定義も使い方も人によってあやふやで
天国があると思っていたり幽霊がいると思っている人間が言っている死も
完全な唯物論者で死ねば無になると思っている人間が言う死も
同じように扱ってしまうからややこしくなる
己の記憶も意識も自我も消滅し完全な無に還る事を、事だけを「死」と定義すべきだし
「死」はそういう意味で使うべきだ
ほとんどのタナトも死恐怖症ではなく無恐怖症であり
タナトの使う死はあくまで状態の変化を表す過程としての単語の意味でしかない
「死」とは恐ろしく残酷で許せない概念なのだ
「死」という言葉から恐怖を取り去ってはいけない >>879
その当たり前が自分は当たり前と思えない。
宗教でも何でも無根拠でも非科学的でも
何かを心の拠り所にして死後の無を否定しながら生きている人間なら解る。
それこそ漠然と死んでも続きがあるんじゃないかな、と思っているだけの人でもだ。
自分は無神論者だが無神論者だからこそ理解できるし
死ぬのも消えるのも怖いから消えるのが怖くて
自分を騙して生きている人間を笑う事などできない。
だが死後の無を理解しておきながら普通に振る舞えたり
それを平気で他人に話しながら人生楽しめる人間は虫唾が走る。
自分に言わせればそれこそ異常者としか思えない。
人に言わず自分の心の中にだけ閉まっている人間なら理解できる。
本当は不安だけど強がって死んだら無だよと言って普通の振りをしている人間も理解できる。
だが平気で死んだら無と他人に言って本当に平気な顔をしている人間だけは理解できない。
ネットの死後の世界や死んだらどうなるみたいな話題のスレッドを見ると
いつもその手の輩がいる。同じ無神論者としても腹が立つ。
死んだら消えるのが不安なのはタナトじゃなくても当たり前だろうが。
なのにあちらが正常な一般人扱いで、こちらだけが異常な病人呼ばわりだ。
死にも消滅にも不安を抱かない人間が正常だと言われる事自体が間違っているんだよ。 全ての人類が無神論&唯物論に目覚めたら
無の絶望に押し潰されて狂うしかなくなる
それだけでなく生の無意味さにも気付いて
社会が、国家が、世界が立ち行かなくなる
タナトフォビアもペシミストも
科学の進化で発展した現代社会
即ち現在のこの世を動かすには
邪魔だし害悪でしかないのだよ >>881
皆んな死ぬのは怖いよ。俺だって怖い。もし死の恐怖がなければその生物は絶滅してしまう。
ただ、今死ぬ訳じゃないから今から怖がって仕方がないというか意味がない。そんなずっと先の事を考え、恐怖しているのは神経症、つまり病気だ。
また死の事を平気で話している人は死に方を決めている、また覚悟が出来ている人だな。そんな人は結構いる。
まあとにかく死ぬまで一生懸命生きようよ。楽しもうよ。 まあ、毎回の長文と小難しい解釈の書き込みを見ていると
やっぱりタナト以前に何か基礎的な精神疾患があるんだよ
何でも通院すればいいとは思わないけど、無理に精神疾患を
否定して認知や思考の問題に逃げてる奴多くないか? 焦らなくていい
最期にはタナトを克服して死んでいくよ
俺は克服した 俺は頭悪いから長文書けないけど長文書きたくなる人の気持ちはわかる
なんというか不安を文章化しないと気が済まないんだろう
頭の中だけで思って怖がってるだけじゃ叫びだしそうになるから
文字にして恐怖を理屈に変えて吐き出してるんだと思う あぁ、だめだ、怖いわ
半年前から急にきたけど、みんなきっかけってあるの? 小学生の頃寝る前にふとこのまま死んだらどうなるんだろうと思った瞬間だな >>889
中学生の時にネットで死んだ後の事を調べた時ですね
あの世や幽霊はないとか死んだら何もないって
書かれていたのを見て、どういう事なんだろう?と
思考を繰り返していたら急に天と地が逆転したような、
空に落ちていくような恐怖感が駆け巡って部屋で泣き叫んだのを覚えています
自分もそうなのですが、タナトになる人というのは
思考停止ができないというか、考えなくていい事まで
考えてしまう気質の人が多いと思うのです
普通の人は死んだら無か〜、怖いなぁ…くらいでそれ以上考えない所を
タナトになる人は何故無なのか?無とはどういう事なのか?
どうして無になるようにこの世は出来ているのか?
という風に思考が止まらなくなってしまう
上で言われている長文を書く人が多いというのもこれが理由ではないかと思います
こうして説明するだけでも結構な長文になりますし… >>889
予兆は大学のキリスト教の授業で生と死の話を聞いたとき
発症は鬱病を発症した時
(概ね)寛解は鬱病が治った時 >>889
コロナの流行による運動不足とストレスで再発した
再発するまでは自分がいつか死ぬってことを「忘れて」いた 死と向き合うときに発症が多いのね
新年始まったあけおめ!から、
もう年末か、、1年早かったな
を、事故がなかったとしてもあと何十回かしか繰り返せないんだよね
めっちゃ怖ない 光陰矢の如し…
タナト人口ってどれくらいなんだろう? 日本で無神論者が増えているのに
自殺者も増えているというのは興味深い
タナトの価値観だと死後が無だと理解しているからこそ
自殺なんてしないと思うのだが、無神論者の一般人の価値観では
死後が無だからこそ逆に安心して自殺してしまうのだろうか? >>879
なんJやおーぷんに立つこの類のスレは読んでも得られるものが本当に何にも無いな。
ドヤ顔で「無」「永遠」「終わり」「脳」「電気信号」などの定番ワードを連呼し、マウント取った気になってはしゃぐしょうもない連中ばかり湧く。
科学的に考えて死後が無なのは子供の頃に誰しも分かってて、それ前提で死について語ってるのに今さら唯物主義を説法するとか周回遅れも甚だしい。
偉そうな態度で死後は無だと断言してる奴ほど思考停止してて、最新科学の情報もオカルトの情報も調べる気がないから知識不足で、マウントを取る事を目的としてるから恐怖の克服法なども何にも考えてないので、会話しても時間の無駄にしかならない。 >>897
自殺する理由にタナトへの反発もあるのかもしれない
本当に死を怖がってない事を証明するには自殺するしかない 知識として霊や生まれ変わりがない事を知っていても、
死んだら無だよとネットで書きまくっていても、
無だと最後の最期まで信じながら死ぬかどうかはそいつが死ぬ時にしか解らない。
死の間際に神を信じようとしながら死ぬかもしれないし、
死ぬ一秒前にあの世や霊があってほしいと願いながら死ぬかもしれない。
死後が無だと思っている人は大勢いても、
無であってほしいと願っている人は少ないと思う。
皆諦めているだけなのだ。どうしようもないから仕方ないと諦めているだけ。 地獄に落ちるくらいなら無の方がマシって人もいたな 死後の世界を信じてる人の一部は死んだ後消滅した方が罪の意識を背負ったり責め苦を受けずに済むから良いと思っているのかもしれない。私は不可知論を取ってたけどここ数年やっぱり消滅するんじゃないかと思い始めたのでこの人の感覚はあまり理解出来なかった 地獄でも良いから死後の世界は存在してたら良いのになあ そうかなあ
世の中の多くがタナトだと思う
言わないだけで
だって多くの人は人の死が悲しいと思えるじゃないか >>907
そりゃ人が死んだら悲しいし、自分自身が死ぬの怖い。だけどさしあたって死が目の前に無いにものかかわらず四六時中死を考えて怖がっているのがタナトフォビア。いわゆる神経症。 >>907
>多くがタナトだと思う
ないない
普通の人が死を本当の恐怖として認識するのは、重い病気や進行性の障害を告知された時ぐらいだよ
事故や事件で恐怖を認識するのはタナトや普通の人でも同じだし
普通の人がふだん死をどう思っているのか色々考えたことがあるけど、
「生命保険や損害保険を選んでいる時の気持ち」レベルでは?
死亡時の保険金額をいくらに設定しようかなぁ〜みたいな軽い感じ
つまり死、死と口にすれども「ずっとずっと先のいつか」ぐらいにしか思ってない
俺らのタナトは少なくとも神経症以上の何か タナトの人ってシャンプーとかトイレットペーパーとかよく使う調味料とか乾電池とか
今使ってるやつの残りが半分以上あってもそれ以外に予備に最低ワンセットは新品買っておくタイプじゃない?
あといちお買っておいて読んでない本とかあったりみたいな >>910
あんた前から同じ事言ってない?
一般人は死の恐怖を感じないとかタナトは病気だって
そんなに一般人とタナトは別人種だと線引きしたいのか?
タナトは病気だと決め付けて病人アピールしたいのか?
はっきり言うがあんたの考え方は嫌いだな >>906
そう思うのはタナトだけとはどの下りに対しての返答なのか
そこを具体的に言ってほしい。
普通の無神論者でも
>死の間際に神を信じようとしながら死ぬかもしれないし、
>死ぬ一秒前にあの世や霊があってほしいと願いながら死ぬかもしれない。
と書いた下りの事か、それとも
>死後が無だと思っている人は大勢いても、
>無であってほしいと願っている人は少ないと思う。
>皆諦めているだけなのだ。どうしようもないから仕方ないと諦めているだけ。
の下りの方か
後者の方なら反論したいのだが。
それとも普通の人々は死後の無を、
無になる運命を諦めてすらいず、考えてすらいないと言いたいのですか? レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。