【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】8 [無断転載禁止]©2ch.net

1名無し三等兵2016/09/14(水) 22:22:24.04ID:5Pt2CVH5
モンゴル帝国による元寇を軍事的に考察しましょう。

前スレ
【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】7
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1413082769/

【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】6
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1402160978/

【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】5
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1358050246/

【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】4
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1353671134/

【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】3
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1346923005/

254名無し三等兵2018/05/06(日) 23:17:01.10ID:rzIPlPS6
>>254
全軍2万を領す「立場」と「地位」なら
一部隊の話ではないじゃないか。
忽敦は都元帥いわば総司令官、洪茶丘は右都元帥で
福司令官、忽敦とともに全軍を指揮する立場。
そのことを元史の洪茶丘伝は述べているに
過ぎない。
都合の悪い史料は個人史で片付けようと
してもそうはいかない。

それに高麗史の金方慶伝は壱岐での
蒙漢軍の洪茶丘や弘安の役でも
蒙漢軍の動向に触れており、個人史
のみでは決してない。

また、仮に今津を占領したのが洪茶丘軍のみだったとした場合、その夜に忽敦・金方慶と同じ場所で同席しているということも致命的。

今津以東を忽敦らが占領していた場合、後方に後退し
今津で洪茶丘らと合流するのも不自然。

また、仮に今津にいた洪茶丘を忽敦が
今津以東に呼び出したとしたら
洪茶丘の進軍をあらわし、最終的に
進撃できた地名までを元史に記すはず。
結果は今津までだった。

元軍の進軍限界地点は今津までだった。
そう考えれば不自然なところは全くなくなる。

255名無し三等兵2018/05/07(月) 21:56:05.33ID:rGLESemz
>>254
「領舟師二万」の意味は置いといて、高麗人部隊を率いる洪茶丘が、忽敦らの本隊と分かれて
別行動(例えば今津上陸)が可能であったことを君が認めるなら、特に言うことはないよ。

>今津を占領したのが洪茶丘軍のみだったとした場合、その夜に忽敦・金方慶と同じ場所で同席
>しているということも致命的。

致命的でもなんでもない。19日夜に今津に上陸した洪茶丘軍が、翌20日朝から夕方までの間の
十余時間のうちに鳥飼潟周辺まで移動して、戦闘に参加したと考えればよい。金方慶から見れば、
それもまた「諸軍與戦」の一つだ。
あるいはまた、今津に上陸した部隊が洪茶丘軍の全部ではなく、その一部であったと考えてもよい。
今津制圧など、1000人もいれば十分だからね。
その場合、今津上陸軍の指揮官は洪茶丘の部下だということになるが、部下の功績は上官の功績だから、
洪茶丘伝に載ってもなんの問題もない。

>それに高麗史の金方慶伝は壱岐での蒙漢軍の洪茶丘や弘安の役でも蒙漢軍の動向に触れており、
>個人史のみでは決してない。

当たり前だ。私が言っているのは、個人史の中に全軍の戦闘記録を「必ず、かつ全て」書くことは
あり得ない、ということだ。

256名無し三等兵2018/05/09(水) 11:13:06.86ID:q8jEcGKy
追加
今津から鳥飼潟まで移動するのは、陸上移動したとすると、地形的になかなか大変だ。
十余時間という時間のうちでは十分可能だけどね。

ところで最近気が付いた。元軍は「舟師」というように水陸両用部隊なのだ。
バートルを使って百道浜まで海上移動したと考えればなんでもない。

257名無し三等兵2018/05/24(木) 22:47:53.16ID:4OLes7ab
>>244
知兵馬事の韋得儒は上官である左軍使の金侁が航海中に溺死した事で軍規違反に問われ、
金方慶を恨んだ。
つまり操船作業も高麗軍の軍務だったということだ。
高麗兵を水夫に使わなければ、そもそも韋得儒が金方慶を恨むこともなかった。

>>245
済州、東寧府、北界の能く水に習れた人は実際に文永の役に投入されてるだろ。
忠烈王六年記事によれば高麗は求められた梢工引海水手の定数である大船126艘分、
つまり、50人×126艘で6300人に満たない人数しか動員できなかった。
ところが女真軍を待つ段階で梢工引海水手は定数より多い6700人。
あきらかに高麗が動員してない梢工引海水手も含まれてるわけで、それが済州、東寧府、
北界で動員された分だな。
で、残り174艘の担当だった女真軍が到着しなかったことで高麗軍8000人も操船に従事し
大船300艘含む900艘の艦隊で遠征した。
これで諸史料に一切の矛盾なし。
完璧だろ。

258名無し三等兵2018/05/25(金) 00:12:54.91ID:VJuCq/9N
>>246
>博多湾への侵入なら、亥の刻(午後十時ごろ)と時間まで指定するのはおかしい。
>また「博多湾内」を示すのに、なぜ広く隔たった四つの地名で表すのか。

金綱集はモンゴル軍が博多湾から出て行った時間を「同廿一日卯尅」と書いてるんだから、
侵入の時間も書くだろ。
博多・箱ア・今津・佐原と博多湾内の代表的な地名を挙げてるのも明らかに「博多湾内」を
示してる。
そもそも時刻が書いてあるということは、その時に日本軍がその場所にいたということ。
つまり、上陸時刻と戦闘開始時刻は一緒だ。
金綱集によれば上陸時刻は「同廿日辰尅」。

259名無し三等兵2018/05/25(金) 00:23:16.15ID:VJuCq/9N
>>254
いや、その夜に忽敦・金方慶と同じ場所で同席しているということは致命的だよ。
金方慶も洪茶丘も忽敦と共に今津を破ったと書いてるからね。
そして元史や益斎乱藁が九州において今津の地名しか書いてない以上、金方慶や洪茶丘は
鳥飼潟周辺まで移動していない。
「諸軍與戦」が行われた場所は今津しかない。

260名無し三等兵2018/05/27(日) 00:00:14.01ID:fACUA6/0
>>259
金方慶や洪茶丘が鳥飼潟に参加していないなら、元軍の相当部分が参戦していないことになる。
つまり、全兵力の半分とか2/3とかの兵力で戦ったということになる。

その場合、戦闘継続すれば翌日には5割増しとか倍の兵力で戦える。
それでも、少敵の堅と言って元軍は即日撤退している。
これは、その程度では勝てないぐらいボロ負けするぐらいしか理由はない。
実際には、解というぐらいでそこまでの完敗ではなさそうだ。

つまり、初日に日本軍主力と戦った元軍を少なく見積もった場合には、
翌日に戦闘を継続できない理由がないと納得できない。

261名無し三等兵2018/05/29(火) 17:30:43.85ID:OZJ1+xSB
>>260
君は壱岐軍議くん改め今津軍議くんの説を誤解している。
今津軍議説の骨子はこうだ。

●戦闘は20日の一日だけだった。19日の上陸は無かった。
●20日に洪茶丘軍、金方慶軍を含む全軍が百道原に上陸した。
●同日の日本軍との戦闘で上記全軍が今津に退却した。
●同日夕刻、今津で軍議を行い、翌日午前6時に博多湾から退去した。
 (午前6時までに、ではない。きっかり午前6時に退去)
●今津における日本軍との戦闘の有無については両説を唱えており、
 いまのところどちらかは判然としない。

今津軍議くん、これでいいかな?

262名無し三等兵2018/05/30(水) 13:42:32.08ID:s7GaAnIj
>>97
ちょうど文藝春秋に服部氏の記事 > 服部氏の蒙古襲来借りてきた

 元寇の真実「神風」は吹かなかった 服部英雄
http://bunshun.jp/articles/-/7210

263名無し三等兵2018/05/30(水) 14:11:45.34ID:DxxsD8Mi
今津軍議くんと議論していちばん困るのは、言うことが一定しないで、コロコロ
変わることだ。

>>227
>高麗史金方慶伝に「舟を早良に捨てて道を分けて進んだ」と書いてあるんだから高麗軍の
上陸地点は早良だよ。

>>259
>そして元史や益斎乱藁が九州において今津の地名しか書いてない以上、金方慶や洪茶丘は
鳥飼潟周辺まで移動していない。

この二つですでに金方慶の上陸地点が食い違っている。

264名無し三等兵2018/05/30(水) 16:53:52.80ID:IM/8vA9B
>>260
金方慶や洪茶丘が率いていた2万人はあくまで「舟師」、つまり水軍だからね。
その内1万5000人は操船に必要で、日本軍主力にぶつけて大きな損害を受けた場合、
帰りの航海に支障をきたす。
元軍にとっての主戦力は忽敦と劉復亨に率いられた部隊で、それが日本軍に大敗すれば
挽回不可能を判断するのは当然。
忽敦・金方慶・洪茶丘の戦闘が解で終わったのは、そこが主戦場の鳥飼潟周辺から離れた
今津だったからだろ。
殿軍を務めた劉復亨が重症を負ってるのを見ても、戦闘が元軍の完敗だったのは確実。

265名無し三等兵2018/05/30(水) 17:24:22.53ID:IM/8vA9B
>>263
読み直したら>>259はアンカーミスだった。
>>254ではなく>>255が正しい。

自分の主張は一貫してるよ。
金方慶・洪茶丘が上陸したのは早良で、破ったのは今津。
自分で>>261にまとめてるじゃん。

日蓮とかいくつかの史料から19日に上陸前の元艦隊に松浦党が海戦仕掛けた可能性も
あると考えてるけど、現時点ではまだ立証するには十分じゃない。

266名無し三等兵2018/05/30(水) 22:08:28.31ID:DxxsD8Mi
>>264
>金方慶や洪茶丘が率いていた2万人はあくまで「舟師」、つまり水軍だからね。

「舟師」とか「水軍」とか言うのは「舟に乗った軍隊」、つまり渡海遠征軍のことだ。
その証拠に、洪茶丘伝の第二次東征記事は次のようになっている。

(至元)十八年,與右丞欣都將舟師四萬,由高麗金州合浦以進,時右丞範文虎等將兵十萬,
由慶元、定海等處渡海,期至日本一岐、平戶等島合兵登岸。兵未交,秋八月,風壞舟而還。

「右丞欣都と與(とも)に舟師四萬を将す」だから東路軍ぜんたいが舟師であることが分かる。
したがって第一次東征の蒙漢軍もまた「舟師」だ。

267名無し三等兵2018/05/31(木) 09:06:32.51ID:Iy6NkeO6
アンゴルモア元寇合戦記

ゴーストオブ対馬

スレ民なら注目してるよな?(´・ω・`)

268名無し三等兵2018/05/31(木) 09:06:54.42ID:Iy6NkeO6
北からの蒙古襲来も有名になってくれ

269名無し三等兵2018/05/31(木) 09:38:44.86ID:Gh5ua7p9
266の続き:
もうひとつ。洪茶丘伝のなかの、第一次と第二次東征の軍勢を較べて見よう。

第一次:與都元帥忽敦等領舟師二萬
第二次:與右丞欣都將舟師四萬

二つの文章の構文は全く同じ。したがって、第二次東征の四万が定説通りに東路軍の
全兵力であるのならば、第一次東征の二万もまた全兵力である。

また、第一次東征の四万は高麗軍一万を含むことは知られている。そうであれば、
第一次東征の二万もまた高麗軍五千三百を含む数字である。

270名無し三等兵2018/06/01(金) 04:22:53.36ID:Ku46LxGp
>>266
「舟師」が渡海遠征軍という意味なら範文虎率いる江南軍も「舟師」のはずだろ。
洪茶丘伝の第二次東征記事では渡海遠征軍でも東路軍の「舟師」と江南軍の「兵」が
使い分けられていて、逆に「舟師」が渡海遠征軍のことじゃない証拠になってる。

271名無し三等兵2018/06/01(金) 05:31:12.97ID:WdoFyIXV
江南軍は南宋の降兵だから正規軍とは扱いが違って当然だろ。

272名無し三等兵2018/06/01(金) 10:37:42.46ID:GcRD+r5b
元寇で好きなフレーズ

凡自天照皇大神耀天統

273名無し三等兵2018/06/01(金) 10:53:07.66ID:hG3wT4lm
>>270
>洪茶丘伝の第二次東征記事では渡海遠征軍でも東路軍の「舟師」と江南軍の「兵」が
 使い分けられていて

なるほど、東路軍四万のぜんたいを「舟師」と呼んでいることは認めるわけだな。
それならば第一次東征の舟師二万も、それが東征軍の全兵力だということになるではないか。
同じ伝のなかの同じ構文で、東路軍四万に対応しているのだから。

274名無し三等兵2018/06/01(金) 11:04:49.40ID:m2vFk6G7







275名無し三等兵2018/06/01(金) 11:19:11.00ID:GcRD+r5b
>>274
敵国降伏

響きはいいよなwww

276名無し三等兵2018/06/01(金) 11:22:30.74ID:odBgZXNX
筥崎宮もいいが
県庁横の東公園も行ってみ
上皇像と日蓮像は圧巻!特に日蓮像!!デカい

277名無し三等兵2018/06/01(金) 11:26:01.92ID:GcRD+r5b
ハリウッドクラスの元寇映画を見てえ!!

278名無し三等兵2018/06/01(金) 11:59:44.78ID:ytClXKak
日中韓蒙の合作でな!w
米仏も当然出資!

279名無し三等兵2018/06/04(月) 21:45:02.97ID:N8MMAXXo
壱岐軍議くん改め今津軍議くんが「舟師」にこだわるわけがわかった。

ブログから引用:
「恐らく高麗軍は征東右副都元帥・洪茶丘の指揮下「舟師」に編成されて今津方面へ侵攻し、
残りの主力部隊が征東左副都元帥・劉復亨に率いられて百路原赤坂方面へ侵攻したのでしょう。」

金方慶軍と洪茶丘軍は「舟師」という特別な部隊であり、その他に劉復亨ひきいる「主力部隊」が
いたというのだ。
これだと第一次東征軍の兵力は、舟師二万プラス主力部隊で合計数万人だったということになる。

しかしこの説は洪茶丘伝の第二次東征記事に見える「舟師四万」という文字で崩れる。
第二次東征の東路軍は第一次と同じような構成で、その兵力は約四万だったことは定説だ。
「舟師四万」の文字は、「舟師」が特別の部隊ではなく、単に「舟に乗った軍隊」の意味
であることを示している。

ブログの書き直しが必要だな。

280名無し三等兵2018/06/06(水) 00:03:12.31ID:s9mzIin4
>>273>>279
文永の役の「舟師二万」が遠征軍の総数じゃないことは史料により確定してる。

元史 卷一百五十二 列傳第三十九 劉復亨
「十年,遷征東左副都元帥,統軍四萬、戰船九百,征日本」

高麗史 巻二十八 世家二十八 忠烈王一
「與元都元帥忽敦右副元帥洪茶丘左副元帥劉復亨、以蒙漢軍二萬五千、我軍八千、梢工引海水手六千七百、戰艦九百餘艘、征日本」

高麗史の蒙漢軍、高麗軍、梢工引海水手の合計は3万9700人で約4万人。
元側史料、高麗史料とも文永の役の遠征軍の総数が4万人だったことで一致してる。
だからこれが実数。
その4万人の内の2万人が「舟師」だ。

281名無し三等兵2018/06/06(水) 13:50:51.03ID:ASNiQjEp
>>280
では聞くが、第二次東征・東路軍の「舟師四万」は何を意味するのか?
この場合も舟師四万の他に「主力部隊」がいたのか?

282名無し三等兵2018/06/07(木) 21:51:17.23ID:NWUtOhn9
「主力第二次東征・東路軍の「舟師四万」は何を意味するのか?」
壱岐軍議くん改め今津軍議君はこの質問に答えない。

それならこちらから教えてあげよう。
高麗史世家・忠烈王六年八月記事によると、この月、忠烈王は洪茶丘らとともにフビライに拝謁した。
このとき洪茶丘がフビライに奏上した言葉を、高麗史は次のように記録している。
「茶丘・忻都は蒙・麗・漢四万の軍を率いて合浦を発し、范文虎は蛮軍十万を率いて江南を発し、倶に
日本の一岐島に会し、両軍集まり畢(おわ)りて直ちに日本に抵(あた)らば、之を破ること必せり」

わかるかな? 第二次東征の蒙古軍、漢軍、高麗軍の合計が四万なのだ。
一方、元史・洪茶丘伝は次のように述べる。
「十八年,(茶丘)與右丞欣都將舟師四萬,由高麗金州合浦以進,時右丞範文虎等將兵十萬,由慶元、
定海等處渡海,期至日本一岐、平戶等島合兵登岸。兵未交,秋八月,風壞舟而還。」
この文章の内容・すじがきは上記、忠烈王世家の文章とぴったり同じだ。
そうであれば「舟師四万」=「蒙・麗・漢四万」=東路軍の全兵力、ということになる。

舟師はなにも、壱岐軍議くん改め今津軍議くんが考えるような、特別編成の軍隊ではない。
普通の軍隊が、たまたま船に乗って出かけるのが「舟師」なのだ。

そうであれば元史・洪茶丘伝の「舟師二万」の舟師もまた「舟に乗った軍隊」であり、
二万は第一次東征軍の全兵力、ということになる。
同じ洪茶丘伝で二、三行離れた二つの「舟師」が、異なる意味であるはずがないからね。

283名無し三等兵2018/06/08(金) 13:46:44.60ID:K4s+lGWE
>>282
訂正;
誤「主力第二次東征・東路軍の・・」
正「第二次東征・東路軍の・・」

284名無し三等兵2018/06/13(水) 02:09:39.49ID:5lbekqLe
>>281
>では聞くが、第二次東征・東路軍の「舟師四万」は何を意味するのか?
>この場合も舟師四万の他に「主力部隊」がいたのか?

「主力部隊」は範文虎率いる江南軍10万人だろ。

元史・洪茶丘伝
「十八年,(茶丘)與右丞欣都將舟師四萬,由高麗金州合浦以進,時右丞範文虎等將兵十萬,由慶元」

東路軍4万は「舟師」、江南軍10万は「兵」で明確に役割が区別されてるじゃん。
文永の役では遠征軍4万が洪茶丘の水軍2万と忽敦劉復亨の主力軍2万で編成されてたのに対し、
弘安の役では東路軍4万全体を水軍に特化させ、主力軍はそれとは別に大幅な兵力増強の上で
慶元から10万人を出発させることになったということ。

285名無し三等兵2018/06/13(水) 04:45:59.88ID:IkVMMXTM
ゴーストオブ対馬新映像きたぜ

隻狼 vs 仁王2 vs 対馬
http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/ghard/1528778485/

286名無し三等兵2018/06/13(水) 06:53:35.94ID:5lbekqLe
>>282
忠烈王六年八月記事にある洪茶丘が奏上した言葉は結局実現しなかった。
忠烈王七年三月記事によれば、高麗へ派遣されたのは蒙古漢人からなる軍3万人ではなく
「帰附せる1万5千」だからね。
一方、高麗は忠烈王六年十一月に「梢工水手1万5千、正軍1万」の動員を報告。
梢工水手の人数は遠征時には1万7千29人に増えてるから「帰附せる1万5千」の内、
2000人は梢工水手だったということ。
つまり高麗軍(軍1万、水夫1万5千)と帰附軍(軍1万3千、水夫2千)の合計4万が「舟師」。
東路軍は陸戦の戦闘力を犠牲にして水軍として海戦能力を大幅に増強させた編成だ。
「舟師四万」≠「蒙・麗・漢四万」なのね。

287名無し三等兵2018/06/13(水) 10:44:27.92ID:Plqd7EZG
Ghost of Tsushimaが楽しみ過ぎる
https://www.youtube.com/watch?v=FhqTNAlErQc&t=567s

これ相当調査して再現してるみたいだから、ただ散策するだけでも楽しめそう

288名無し三等兵2018/06/13(水) 14:19:39.41ID:k0R2H5t8
中世の軍隊を近代的な分業で考えるからおかしくなる

289名無し三等兵2018/06/13(水) 22:25:36.55ID:a18otus/
>>284
>東路軍4万は「舟師」、江南軍10万は「兵」で明確に役割が区別されてるじゃん。

舟師はあくまで特殊部隊だと言いたいらしいが、残念ながら漢字の本場、中国人の
語感はそれとは違うようだ。
明史・日本伝は次のように述べている。

乃命忻都、範文虎等帥舟師十萬征之,至五龍山遭暴風,軍盡沒。
乃(すなは)ち忻都、範文虎等に命じて舟師十万を師して之を征せしむ。五龍山に
至りて暴風に遭い、軍盡く没す。

総兵力十四万を十万と間違えているが、忻都の東路軍も、範文虎の江南軍も、いずれも
「舟師」と見なしていることは明らかだな。

290名無し三等兵2018/06/13(水) 22:32:53.48ID:a18otus/
>>289
これに対する、壱岐軍議くん改め今津軍議くんの反論はもうわかった。

東路軍四万と、江南軍のうち範文虎軍六万、合わせて十万が「舟師」、江南軍の残り四万
が「本隊」だ!

違うか?

291名無し三等兵2018/06/14(木) 07:15:56.29ID:wntdI5bk
>>289
史料は後から編纂されるほど改編されて間違った内容になる。
その典型だな。

>>290
いや、東路軍四万が「舟師」、江南軍10万が「軍」だから全て「本体」だ。
元史にそう書いてある。

元史・洪茶丘伝
「十八年,(茶丘)與右丞欣都將舟師四萬,由高麗金州合浦以進,時右丞範文虎等將兵十萬,由慶元」

292名無し三等兵2018/06/14(木) 07:59:28.80ID:wntdI5bk
東路軍の編成について根本的な間違いは抜都魯輕疾舟300艘を揚陸艇としてること。
だから汲水小舟300艘の意味がわからない。
外洋航海用の大船は陸地で真水を調達する必要があるが、接岸できる地形が限られるため
上陸して水を汲むための小舟が必要。
つまり汲水小舟とはもともと上陸用の船なわけで、上陸作戦も当然汲水小舟で行う。

では抜都魯輕疾舟は何かというと、「勇者」という意味なんだから水上戦闘艦だ。
高麗の水上戦闘艦については、日本の史料「内蔵石女等申文」に詳しい記述がある。
刀伊の入寇で女真に拉致され、高麗水軍に救出された女の報告ね。
それによると二重構造で櫓や櫂を使って操船し、投石器を備えていたという。

実はその高麗の水上戦闘艦の特徴に合致する船が蒙古襲来絵詞に描かれてるという指摘が
以前よりあった。
クビライは元寇に高麗水軍を投入したということだ。
当然そのための人員が要る。
抜都魯輕疾舟300艘で水上戦闘を主目的とした部隊が「舟師」なんだよ。

293名無し三等兵2018/06/15(金) 10:43:27.25ID:hA/4jOCP
>>291
>史料は後から編纂されるほど改編されて間違った内容になる。 その典型だな。

なるほど。明史が江南軍を舟師と呼んだのは「間違い」というわけだな?
それでは同時代の舟師を示そう。
元は弘安の役の十年後の至元二十八年に琉球に対して国書を送った。その国書の
末尾に次の文章がある。
「若不效順、自恃險阻、舟師奄及、恐貽後悔、爾其慎擇之」
「若し順を効(いた)さず、自ら険阻を恃むならば、舟師奄(おお)いて及び、後悔を
貽(のこ)すことを恐る。爾其れ慎みて之を撰べ」

属国の務めを果たさず、海を隔てているから安心と思っているならば、舟師が海を覆って
やって来て後悔するぞ、身の程をわきまえてどちらかを選べ、というのだ。
どこかで聞いたような文句だが、このなかの「舟師」は何を意味するのか?

>つまり汲水小舟とはもともと上陸用の船なわけで、上陸作戦も当然汲水小舟で行う。
>抜都魯輕疾舟300艘で水上戦闘を主目的とした部隊が「舟師」なんだよ。

確認するが、舟師は抜都魯輕疾舟で渡海して、汲水小舟で上陸するのか?

294名無し三等兵2018/06/15(金) 15:35:31.66ID:S9UgSYqZ
>>293
琉球じゃなく瑠求ね。
沖縄じゃなく台湾。
目と鼻の先だから沿岸水軍がそのまま小舟で侵攻できる。
弘安の役の江南軍とは全く別物。

>確認するが、舟師は抜都魯輕疾舟で渡海して、汲水小舟で上陸するのか?

抜都魯輕疾舟は帆走能力がないから、そのまま日本まで渡海することができない。
千料舟に繋いで曳航したと考えられてる。

295名無し三等兵2018/06/15(金) 21:18:38.21ID:hA/4jOCP
>>294
>琉球じゃなく瑠求ね。 沖縄じゃなく台湾。

瑠求が沖縄か台湾かは両説ある。

>目と鼻の先だから沿岸水軍がそのまま小舟で侵攻できる。

また小舟か。フビライにすれば「小舟で押し寄せるぞ」では恫喝にならないではないか。
また国書を受け取った瑠求王は、古典しか知らず、もちろん今津軍議君のブログも読んだこと
ないのに、なんで「舟師=小舟」と解釈できたのか?

その古典を見れば、舟師はむかしから普通に使われている言葉だ。
例えば三国志に名高い赤壁の戦いを、後漢書は次のように述べている。
「曹操以舟師伐孫權,權將周瑜敗之於烏林、赤壁.」
「曹操、舟師を以て孫権を伐つも、(孫)権の将・周瑜、烏林、赤壁に於いて之を敗る」

数十万と言われる曹操の軍は小舟に乗って赤壁に押し寄せたのか?
また君によれば舟師は補助部隊であって本隊は別にいるらしいから、曹操軍よりもっと大きな
本隊が別にいたのか?

296名無し三等兵2018/06/16(土) 10:19:43.72ID:FrFkSPnN
>>294
古典の舟師はまだまだあるぞ。兵典から:
「武コ中,李靖隨河濶、孝恭討輔公祏。賊一軍舟師三萬頓於當塗,柵斷江口,傍江築城,
又遣陸軍二萬據當塗南路,亦造柵自固,並蓄力養鋭,」

武徳年代に、李靖は河濶、孝恭に随って輔公祏を討った。賊の一軍の舟師三万は當塗に
頓(とど)まり、柵で江口を絶ち、江岸に築城した。また他に陸軍二万を派遣して當塗南路
に據り、これ亦柵を造って自らを固め、同様に力を蓄え、鋭を養った.

「舟師」と「陸軍」が対語として用いられている。いずれも目的地に着いたら築城して立て
籠もった。舟師と言い、陸軍と言えども最終的にやることは同じで、違いは舟で行くか、歩いて
行くかと言う移動手段の差に過ぎない。

「舟師」とは舟に乗った軍隊の事であり、普通の軍隊がたまたま舟で移動するものだ、と私が言う
所以である。以前に「渡海遠征軍」と書いたが、大河なども含むから「水上遠征軍」と言った方が
よい。もちろん江南軍も舟師だ。この語を用いず「兵」と書いたのは一文の中で重複を避けた
からだ。だから分かるようにわざわざ「渡海」の語を添えている。

付け加えれば上記の例で、舟師三万と陸軍二万だから、数から言えば舟師のほうが主力だ。
舟師が補助部隊とは限らないことがわかるだろう。

297名無し三等兵2018/06/16(土) 10:31:54.07ID:FrFkSPnN
>>296
祏は[示石」

298名無し三等兵2018/06/16(土) 17:02:42.15ID:FrFkSPnN
壱岐軍議君改め今津軍議君が「舟師は小舟で水上戦闘」に粘着しているのは、
ひょっとして「舟=小舟」「船=大船」と思っているからではないか?

新漢語林を見れば「舟も船も同じ。昔、中国では函谷関以西では舟、函谷関以東では
船と言った」とある。つまり古典の時代は舟と船は方言の差に過ぎなかったのだ。

もちろん後世には「舟=小舟、船=大船」という慣用が生じた。高麗史、元史などの
「抜都魯輕疾舟、大船」という用語もこのような慣用を写している。
しかし「舟師」という言葉は古典から来ているから、上記の慣用に囚われないのだ。
だから舟師は「大船に乗った軍隊」でも良いのである。

299名無し三等兵2018/06/20(水) 09:57:30.06ID:sUhgay1E
>>295
>また小舟か。フビライにすれば「小舟で押し寄せるぞ」では恫喝にならないではないか。

元史瑠求伝
「祥乗小舟至低山下,以其人衆,不親上,令軍官劉閏等二百餘人以小舟十一艘,載軍器,領三嶼人陳W者登岸」

瑠求へは小舟に乗って攻め込んだと元史に明記してあるじゃん。
クビライが「舟師が押し寄せるぞ」と恫喝し、その結果小舟による侵攻が行われたんだから
「舟師=小舟」であることは史料によって証明されてる。

>また君によれば舟師は補助部隊であって本隊は別にいるらしいから、曹操軍よりもっと大きな
本隊が別にいたのか?

舟師が補助部隊なんて書いてないぞ。
一貫して舟師は水上戦闘を主目的とした水軍だと書いてる。

>>298
>だから舟師は「大船に乗った軍隊」でも良いのである。

良くない。
舟師とは水上戦闘艦に乗った水軍のことであって、単に「大船に乗った軍隊」は「兵」。
元史は舟師とそれ以外を明確に区別してる。

元史・洪茶丘伝
「十八年,與右丞欣都將舟師四萬,由高麗金州合浦以進,時右丞範文虎等將兵十萬,由慶元」

水軍である東路軍は「舟師四萬」、「大船に乗った軍隊」である江南軍は「兵十萬」だ。

300名無し三等兵2018/06/20(水) 17:09:33.92ID:umSBOe2j
>>299
>水軍である東路軍は「舟師四萬」、「大船に乗った軍隊」である江南軍は「兵十萬」だ。
>元史は舟師とそれ以外を明確に区別してる。

では「元史張禧伝」はどうするのか?
「時朝廷議徵日本,(張)禧請行,即日拜行中書省平章政事,與右丞範文虎、左丞李庭同率舟師,
泛海東征。至日本,禧即舍舟,築壘平湖島,約束戰艦,各相去五十步止泊,以避風濤觸擊。」

張禧・・右丞範文虎、左丞李庭同と與に舟師を率い、海に泛びて東征す。

元史は江南軍を舟師と呼んでいるではないか。

301名無し三等兵2018/06/20(水) 17:18:14.59ID:umSBOe2j
>>300
徵は「徵」の字ね。
辞書にないが「懲」の異字だろう、

302名無し三等兵2018/06/20(水) 21:53:16.27ID:umSBOe2j
>>300
ごめん、
徵は[懲ー心]の字ね。
ついでに、
擊は「撃」の異字だ。

303名無し三等兵2018/06/21(木) 20:03:24.88ID:FciMMLdZ
こんなの見つけました
源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/kokusai/1505816832/

304名無し三等兵2018/06/21(木) 23:38:07.61ID:ICCzw5RX
武家はみんな農民から発生だしなあ

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