日本駆逐艦・小艦艇・補助艦艇スレ34隻目
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旧帝国海軍にて艦隊に随伴し縦横無尽に活躍した駆逐艦と、
水雷艇、砲艦、海防艦、駆潜艇、掃海艇、哨戒艇、漁船、捕鯨船など船団護衛等に、
文字通り粉骨砕身して散っていった小艦艇達について語るスレ
内火艇や大発・給油艦や工作艦等の大事な裏方達もどうぞ
日本駆逐艦・小艦艇・補助艦艇スレ33隻目
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1523277515/ 実際の軍艦艦種のポジション的な狭義の軍艦、戦闘艦というより、艦種単独でスレたてに至らないもの全てって話だからね
専用スレの立っていた戦艦、巡洋艦、空母、潜水艦はそちらへどうぞ
それ以外の子たちはここで引き受けますでいいんじゃね?
という事で特設監視艇とか特殊漁船、補助監視船たちもここでいいな? >>5
過去スレで特設監視艇の話題は結構出てたから全然問題ないと思うよ。 それどころか陸軍の船舶工兵が運用してた大発や小型艇の話もしてたし。 果ては英豪軍が鹵獲利用してる大発の写真を肴に駄弁る始末
まぁこういう裾野の広さがこのスレの魅力でもある 1001 名前:1001 :Over 1000 Thread
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life time: 412日 1時間 9分 55秒
そこそこ長命の前スレ ゞ 艦本式ディーゼルの実物って見られる所ないかな。
ボイラーは大和ミュージアムでみられるけど。 条約明け後の日本海軍は、真珠湾攻撃や空母機動部隊を中心とした作戦を行うならば、
水雷攻撃用の甲型駆逐艦ではなく、防空用の乙型駆逐艦の量産を優先すべきだったではないか?
艦隊防空能力の不足により、珊瑚海海戦では翔鶴が大破し、
ミッドウェー海戦では赤城、加賀、蒼龍、飛龍が沈没した。 まーた既知のデータから後知恵で「○○すべきだった」か
仮に甲型を全部止めて乙型に絞ったところで建造実数は史実の甲型+乙型を下回るだろうよ >>14
防空駆逐艦って水雷戦型駆逐艦よりも建造機関や建造コストが余計に掛かるの? 高射装置が量産間に合わなくてな……
あと、実質的には約4000tの小型軽巡だぞ 高角砲塔を4基から3基に減らしてもたいして安くならなさそうだが コスト的にはざっと秋月3隻と陽炎4隻がバーター。
そして工期はほぼ同時期に起工された陽炎型「秋雲」が1年2ヶ月、「秋月」は1年11ヶ月。
あるいは「長波」が1年2ヶ月、「涼月」が1年9ヶ月。
「秋月」が1番艦で色々手間取ることを考えればこちらの方が比較としては適当かもね。
まあともかく秋月型は陽炎型や夕雲型よりコストで3割以上、工期で5割以上も余分にかかる。
加えて長10cm砲や高射装置の製造がボトルネックになる。
秋月型は年間二桁建造ができるかどうか微妙なライン。
ちなみに陽炎型や夕雲型のボトルネックは四連装魚雷発射管で、年50基(つまり25隻分)が天井。 扱いやすくて連射できる対空砲と40mm機銃を量産できるていたら・・・
大和・武蔵に積んでたかな
せめて、潮曙に積んでいれば翔鶴も・・・随伴艦が一隻って時点で焼け石に水か >>18
長10cm高角砲や高射装置が手間になってしまうのか
アメリカみたいに、防空、対水上砲撃、水雷戦闘、対潜のすべてに満遍なく使える駆逐艦を大量生産みたいな事をするにはハードルが高いな 高角砲や高射装置は超のつく精密機器
アメリカはともかく、イギリスでさえ製造に手間取ってダイドー型が楽しいことになってるだろ? >>19
「扱い易く連射が容易」にする為には発電機の容量を増やす必要がある訳で、
結局のところ機関の能力がネックになる。
だから大和型は副砲を対空砲として頻繁に使っていたし、対空火器をトップヘビー気味に
なるまで載せていた訳で
(大和最終時は25mmの載せすぎでトップヘビー気味だった、と戦闘詳報に
あったりする)。
扱い易く連射が容易になる駆逐艦を求めると、史実よりももっと駆逐艦不足に
苦しんだかもしれない。
>>20
当のアメリカの駆逐艦乗りは「対水上戦は常に機先を制され、水雷戦は
知らんうちに撃たれまくって冗談じゃない」と思ってたろうよ。 >>22
日本の甲型駆逐艦は対水上戦に特化していたから、バランス型のアメリカ駆逐艦では水上戦で苦戦してしまうのは仕方ないよ
その代わり、甲型駆逐艦は航空機の襲撃から戦艦や空母を効果的に守れないし、ガトー級潜水艦の掃討にも苦労した 乙型を量産すればってのは、そりゃ欲しい話だけれども、
重巡の建造すら間に合わないと考えている日本にとって甲型駆逐艦の建造を削ってでも、という発想にはなりきれないわな >>24
天龍の防空巡洋艦化(兵装は秋月と同じ)とかも考えられたけど、じゃあ天龍がやるはずだった任務は誰にやらせるんだよって問題が。
甲型駆逐艦の代わりに乙型をってのも同じで、じゃあ甲型が活躍するはずだった任務はどうすんだって話になるだけ。 >>25
せめて5500トン型を例示して欲しいところ
天龍は旧式化が酷くてもはや改造の価値なしと判定されたわけでな
金かけて改装しても秋月とどっこい程度の防空艦にしかならんのでな >>26
5500t型も水雷戦隊旗艦任務があるし、旧式の球磨型なんかでも練習艦へ格下げ改装予定がそれどこじゃないって
現役続行になったくらいで、ヤッパリどこにも余裕が無いのよ。
多摩とか木曽とかそれで引っ張っちゃったら、それだけでも第5艦隊の戦力激減しちゃうでしょ? 巡洋艦の量産が追い付かなくて、旧式の5500t級でアメリカ海軍の新鋭巡洋艦や新鋭駆逐艦と対峙しないといけない悲しさよ >>28
それも不足して新月みたいに乙型へ水雷戦隊旗艦やらせたりね。
5500t型でも重雷装艦のコンセプトで役に立たんかった北上と大井なんか高速輸送艦にされちゃってるし。 >>29
そも重雷装艦自体が、機関の出来がアレで稼働率が低かった大井・北上の
廃物利用に近い部分があるしな。
(特に大井に顕著だけど、球磨や多摩ですら中支沿岸で酷使されていても
水上機搭載も無しで兵学校練習艦が長いんだよな)
その辺は前スレにも出ていた、樅型若竹型の哨戒艇転籍に経緯が似ているわな。 >>30
他に峯風型も哨戒艇転籍艦があるし、神風型も老朽化で機関全力が難しい駆逐艦が増えてきてるから、
正味のとこ乙型の整備なんて待ってらんないって切羽詰まった事情もあるんよね。
巡洋艦以下だけでも八八艦隊計画通りに建造されてりゃ、予備艦扱いで温存できてたかもしれんけど。 結論を言ってしまえば、日本の貧弱な経済、財政、工業力、生産力、資源で、
米英海軍に対抗する大艦隊を作ろうとしたのが間違いって事になるよね。
限られたリソースで大海軍国に対抗可能な艦隊を作り上げるのは本当に難しい。 >>32
大抵の話題は「みんな貧乏が悪いんや」でカタがついてしまうからねぇ。
それ自体はどうしようも無い事だから、「貧乏が問題になる前に終わる戦争しかしない」と決めるしか無いんだけど、
貧乏人の悲しい性でギャンブルに一度ハマると取り返せるような気がしてしまう。
そしてもうひとつ貧乏人の悲しいとこは、「小銭(このスレで主題となる艦船)も自分たちにとっては実は大金」って事に
気づけず、「アレいつの間にかお財布にお金が無いぞ…?」ってな事が多い。 >>33
日本人を絶滅させたいと考えているフランクリン・D・ルーズベルトがアメリカ大統領になり、
更に日本帝国を潰したいアメリカの権力者階級やアメリカ政府に入り込んだコミンテルンなどが日本との戦争を望んでいたのだから仕方が無い。
日本は被害者。
真珠湾のアメリカ艦隊を攻撃して自国の延命を計ったのはやむ終えない選択だった。 >>34
そういう話と日本がそもそも貧乏なのは無関係だからヨソでどうぞ。 >>35
関係あるぞ
こういう経緯もあって、限られた予算や生産力でアメリカに対抗しないといけなかった。 >>36
「そういう経緯」と日本がそもそも貧乏なのは無関係だからヨソでどうぞ。 万一にも関係があったとして
このスレで陰謀ガーって演説をぶつ必然性があるのかねぇ >>38
全く無いねぇ。
「貧乏だからこそ、『手を出したらちょっとメンドクサイと思わせる程度の戦力』の維持に腐心して、戦争は絶対にしちゃダメだった」
とか、そういう話ならともかく。 まあ、そのちょっかい出されないための戦力が史実の艦隊計画だったりするのだけど、
アメリカはアメリカで日本に(フィリピンとか諸々に)ちょっかい出されないようにと3倍規模の艦隊計画おったててしまうこの藪蛇感 >>40
そこでにらみ合う分には「3倍?勝手にやっててくれ」で済むんだけどねぇ。
アメリカも大儀が無けりゃ正面切って戦争する状況でも無かったし。
むしろアレコレ秘密兵器じみたプロジェクトをやらずに、マニラを表敬訪問とか、酸素魚雷の見学会とか
堂々とやっといた方が良かった感。まあ後知恵に過ぎんけど。 WW2後にリバティ船やタンカーを改造して今の自動車運搬船というか立体駐車場みたいな風通しの良い5〜6層な甲板作って、
食肉用の牛や羊なんかを豪州あたりから出荷する家畜運搬船ってのはあったな >>43
WW2後なら冷凍設備を備えた貨物船はわりかしあるはずで
今の感覚で食肉用途に生体輸送と枝肉にして冷凍船で運ぶのとどっちが手間かなぁと思ったけど荷役の問題もあるのかしら
生体の家畜は自力で歩かせて船積みさせたり降ろしたりできるけど枝肉は全行程を機力なり人力なりで積み下ろしになる
積出し港まで・荷受け港からの輸送路や冷凍倉庫などの輸送・保管設備の面で冷凍輸送ができないケースもあったのかな、と あの羊運搬はハラールの絡みがあったのと、羊毛とったあとの老齢な個体を安い肉としてうっとばすから途中で死んでもおkな扱いだったかと なるほどハラールが絡むのか
それじゃ生体で輸出して現地で慣習に法った処理をしてもらうのがいいのかもね 話は変わって、戦時中の日本の徴用船で冷蔵設備をもったものは水産会社の中積み船が多かったのだけど、
これは糧食輸送よりも弾薬や火薬・発破類の輸送に回されることが多かったらしい 安定化された装薬ならともかく、当時の工事用ダイナマイトとかだと自然発火、自爆の事故が多いからかな? 大井・北上は重雷装艦なんてキワモノでなくて、
缶と機関を半分下ろして、倉庫にして、デリック付けて
大発と上陸援護とか高速輸送艦でよかったんじゃね?
前部の14センチ砲4門、後部に12.7サンチ連装高角砲あたりで
発射管全廃
何なら、攻勢機雷敷設艦という手もあるし。 >>49
スレタイを音読して、自分でスレ立てしような。 あと知恵で、ww2で日本海軍でたくさん作れてそこそこ使えた量産型駆逐艦て
基準排水量950トン, 重油300トン,航続距離18ノット,5000浬
1軸,9500馬力, 水管缶2基、最大速度25ノット
12.7センチ40口径単装高角砲2門(もしくは12サンチ45口径高角砲2基)
61センチ4連発射管1基,25ミリ機銃10門、爆雷24個
小型の船でシフト配置機関ってあんまし意味ないし、ww1だと地中海まで二等駆逐艦で航海
できたんだし、量産のネックは機関生産と複雑な高角砲だよなぁ
反論は認める 米護衛駆逐艦って18ノットだって?
割り切りなのかいな 日本の大型艦艇の被雷頻発や作戦の柔軟性が低かったのは
油槽船が足りないのもあるが
駆逐艦の少なさが大きな要因
開戦時に111隻、開戦後に
夕雲など18隻、秋月12隻、島風1隻
松32隻の合計63隻しかこさえてない
25ノット、950トンでも100〜200隻あればねえ、警戒艦艇が少ないと米潜対策や防空に穴空きまくり でも艦隊駆逐艦、護衛駆逐艦を合わせて1000隻な米国にはどうやっても勝てないよな >>33
全部大陸で火遊びし借金つくった陸軍が悪い。 >>54
大型艦狙わずに周辺の小型艦狙うように真面目に体当たり攻撃をすれば何とか
なるかもしれない。 虎の子二航戦に曙潮しか付けれないんだもんな
曙に責任はないわ 2本でも3本でも魚雷があれば
とりあえず反撃の姿勢がとれて
敵艦隊に回避を強いることで
逃げるチャンスが出来る >>58
さんざん既出だが、最たる例が初月だよね。 >>51
一等輸送艦「魚雷発射管負けてくれまへんか?」 >>60
あんまり武装を強化すると、少しでもヒマがあったら船団護衛に投入されちゃうぞ〜? ラバウルの航空要員を引き上げさせようとして
飛行機救難船を派遣したらいいの復路で米駆逐艦に捕捉されて撃沈されてなかったっけ?
こういう危険な任務なら魚雷を打てる船の方が良かったろうなあ 裸で二等輸送船出すような時期にどうしろと
おまけに案の定アメ公の駆逐艦に洋上で捕捉されて… せめて水雷艇あたりを要員回収にラバウルに派遣できなかったのかな >>64
五十歩百歩では?
フィリピンだったかで海防艦でそれやって
やっぱり沈められてるし ルソン決戦末期にフリッピン大統領を乗せた陸攻が台湾に飛んでたな 雑役船(救難曳船)長浦だな
確かに反撃能力を持っている駆逐艦輸送をやりたいわけだけども、それをやるには連合艦隊なりから引っこ抜いてこないといけないのと、
下手に大規模にやるとどうしても通信解析で察知されて大空襲くらってしまうのが難点
そうしたネズミ輸送が破綻した後の、GFでなく4Fや根拠地隊の手持ちの船舶(だから戦闘艦艇でなく雑役船や特設監視船の大型のもの)が1隻2隻で包囲をすり抜けていく突破輸送を試みる方向にシフトしていくわけで、
その失敗例が長浦の件だし、特設監視艇レベルでこっそりやって成功している例もあるので、文字通り無線連絡0での丁半博打状態なのを忘れちゃいかん 無線連絡すると暗号が読まれてる!
と今村さんが山本さんに忠告したのに
事前連絡して時間厳守でブーゲンビルに到着するから、、、、 海軍の体質として指摘される部分なんだけど、陸軍も離島への飲用水補給船なんかを回すときは同じ事をやってしまてんだよね
つまり、空襲を受ける事が前提になると、航空機でも補給船でも到着から出発までの瞬間だけ受け入れ態勢を作り上げて、それ以外の時間は分散疎開しないとイカン
早手回しで準備したら必要なときに爆撃済みで、準備が遅いと着陸、荷役ができないものだから、自然とこまめな連絡をせざるをえなくなる
この辺、上手くいっているのは、機帆船でのアリ輸送なんかで適当に入港してもその場で大発や使役の人間集めて対応できる量に減らすか、
出発地受け地が同一部隊、同一組織で連絡士官同士がツーカーで符牒一つでなんとなしに判るようになっているかのどっちかのパターンだね 図面と言われてちょっと期待したけど
やっぱ側だけなのね 復元作図してる側が内部構造にまで興味がある層とは思えないから
無粋を承知でいくつか突っ込ませてもらうと
・砲の楯が上部平面では角に丸みが付いた新型で描かれてるけど側面は峯風型・樅型辺りで使ってた角ばった旧タイプ
まあこれは海軍の公式図でもやってる事ですが
・側面では描いてある二番連管前の連装機銃、上部平面は銃身しか描かれてない、艦橋横の留式機銃は上部平面では完全に省略
・逆に上部平面には描いてある艦尾両舷の爆雷投射器は側面では描かれていない(首尾線上の絡車が描いてある) 太平洋戦争で日本が不利だったのは、ロンドン条約で駆逐艦が規制されてしまったからだな。
日本の様に工業力や生産力が劣る国は、平素より艦隊型駆逐艦を作り貯めておかないと不利。
アメリカみたいに戦争が起きてから大量に艦隊型駆逐艦を建造できる国と対峙する場合に、
補助艦艇の軍縮条約は非常に不利に働く。 あと100隻あったとしても、
100の悲劇が増えるだけにしか思えないのは何故だろう。 主力艦の数がー補助艦艇の数がー以前に国力の差がどうしようもない訳で
そういう国力の下で平時に建造できる数をちまちま貯めた所でいざ開戦すればじきに引っくり返されるのがオチ
あと平時に大蔵省からどういう名目で建造費を毟り取り続けるのかな
駆逐艦の数を増やす代わりに何に皺寄せして減らすか?になっちゃうだけでは >>75
むしろ駆逐艦建造予算を架空計上して大和を作ってるわけで…
駆逐艦増やす代わりに何にしわ寄せって、戦艦や空母減らすとも思えんから補助艦艇や特設艦艇(になるフネへの補助)だろね。 あと、仮に平時は予備艦扱いでプールしといた駆逐艦があったとして、それらを現役復帰させたら今度は
乗員不足で海防艦や二等輸送艦を動かせないとか、そんな話になりそうな…
それを避けようとしたら人件費だのがトンデモ無い事になる上に若年労働者不足で経済が成り立たんとか、
結局国家規模で破綻しそうな気もするのよね。
八八艦隊計画とかそのへんどうする気だったんだか… かくしてバックアップ、裏方陣が史実より更におぼつかない超短期決戦型海軍が出来上がりましたとさ
特設船に徴用される民間船ももっと酷くなるでしょうね >>78
損傷艦の修理でドックも資材も足りず、海防艦や丁型駆逐艦、戦時標準船の建造にも支障をきたしそうな…
出師準備の段階でボロが出て、燃料も油槽船も足りないからミッドウェー海戦どころか珊瑚海海戦も起こらず、
FS作戦なんか考えた事も無かったりして。 まず国力を史実の五倍から十倍に増強、機械化による無人化、省力化を進めて大艦隊を小人数で運用可能にしないとな
(仮想戦記脳) 大和武蔵に信濃やめれば駆逐艦90隻くらいの予算にはなるけど、
それだけ作るドックやら、一番問題になる機関を調達できるのかってのもあるな。 色々な意味でコスト安いからな。 大和型戦艦は。
開戦前にその存在を政治的に活用出来なかったのは惜しいが。 >>82
第2次世界大戦あたりの「秘密兵器」って、大抵は「公開した方が戦争起きにくかったんじゃ?」ってのが多いからね。
(なお、フェアリー・フルマーがどうとかいう話は何も聞こえない) 日本の駆逐艦が200隻多かったら米がもっと作るだけだよ >>85
じゃあその限界を確かめてやるさ!ってやったら負けてもーたからな…
あと、アメリカもヨーロッパと太平洋で二正面戦争やってたけど、日本も中国大陸と太平洋で二正面戦争やってて、
しかも人口半分、同盟国は遠くはるか彼方、一番怖い仮想敵国まで目の前にあるってのを忘れちゃイカン。 とりあえず南太平洋の島嶼航空基地を使って邀撃漸減作戦やると決めた段階で、せめて航洋型対潜護衛艦のタイプシップぐらいは作っておくべきだったんじゃないのかな。
北方警備艦占守型を一応まともな対潜護衛艦の御蔵型にするまでに開戦から1年以上もかけた末に、対潜護衛艦の数が揃った時にはほとんど手遅れになってたことを考えると・・・・・ >>87
戦前の日本にとっての通商線は南洋には無かった。
戦前の護衛艦のタイプシップが駆潜艇で、何故駆潜艇がタイプシップたるか、
と言えば、それは防護すべき主な通商線が門司〜上海間だったから。
本土〜内南洋間は完全な作戦輸送の範疇で、作戦輸送がメインになると
今度は護衛艦の出る幕は無くなる。
…つまり、数ある後知恵の一つに過ぎない。 >>87
>南太平洋の島嶼航空基地を使って邀撃漸減作戦
戦前にゃそんなもん考えた事も無くて、
「戦争始まったら早期講和目指すけど、無理なら講和できるまで頑張れ」
ってだけの話だもんね。
漸減作戦にしたって舞台は中部太平洋だし。 マーシャルが漸減作戦に組み込まれたのって開戦直前と言っていいし >>87
>>88
航空撃滅戦の発想が全くなかったわけでなく、11航空艦隊の編制と補給船の編入、旧式駆逐艦の哨戒艇への改装配備といったあたりで傾向は見られるのよ
ただ、ソロモンまで足を延ばして手を広げるほどのものでなく、イメージとしては1〜6次マーシャル沖航空戦の方が想定状況に近い
そうした飛行場整備の設営隊、警備防衛の陸戦隊、それらを緊急輸送する駆逐艦(哨戒艇)を包括した軽戦部隊5万人構想ってのがあって、それの第一弾が上述のものというか開戦前に準備出来た戦力よね
こうした構想とある程度の準備があったから、ソロモン戦後の基地航空への大転換(サイパン戦、マリアナ沖海戦)、一航艦(基地航空)メインでの反撃構想ってのに移行がすすむわけよ
それが実際に戦力整備が間に合うかどうか、前線での消耗の方が大きかったかというのはまた違う話よね 1〜6次はギルバード航空戦じゃないかって気はするけど言いたいことは判る 船団護衛艦のタイシンプは駆潜艇ではなく新造掃海艇だろう派のオレが通り去りますよっと >>93
航洋護衛艦と沿岸護衛艦みたいなもんかな?
あるいは新造掃海艇だと敵前上陸の護衛や火力支援まで想定してるから、いわば「戦闘護衛艦」とでも言えそうな。 >>94
個人的には勝手に「三等駆逐艦」相当と思ってるけどね
外洋に出て、艦隊に随伴していく掃海艇(駆逐艦もどき)
沿岸で鎮守府や警備府基点、指揮系統も基本的に防備戦隊や根拠地隊になる駆潜艇
といった住み分け感でのイメージだけどね 日本海軍の掃海艇は二等駆逐艦の雷装なくして、機関も最低限にした簡易型駆逐艦。 >>95>>97
そこまで行くと駆逐艦というより航洋砲艦というかスループやコルベットって感じかな? >>99
まさしく一次大戦の英国のスループを意識しての話だと思うよ >>101
イメージ的にはそんな感じだよね。
実際には量産が全く追いつかんので、しまいにゃ駆特や哨特の出番となったが。
まあ相手が相手だけに何を作っても結局な…という空しさがどうしても残るな。 >>101 , >>102
あの辺面白いのは、特型(吹雪型)が軍令部の当初要求だと平射砲2基+高角砲だったのが平射砲3基6門になってるのに、
掃海艇は平射砲単装2門+高角砲1門の組み合わせでサイズダウンしているけどもイメージを踏襲した上に爆雷兵装もちゃんと配備しているあたりよね >>103
そこから一応、「艦隊決戦兵力」と「シーレーン維持兵力」の双方を別々に整備しようとした痕跡はあるのよね。
決して「戦前の日本海軍」は決戦一辺倒では無かったと。
でもそうしたプロトタイプを整備してるうちに、「あれ?もしかして決戦に全力注ぐしか無いのこれ?」って気づいちゃったんだろうけど。 >>104
それは全て、条約時代の日本海軍の想定戦場に基づく
決戦海域は内南洋、支作戦にフィリピン封鎖、通商路は東シナ海からせいぜい南シナ海まで
行動圏が広くないから護衛戦力も600トン級程度でよかったし、そのつもりで戦時量産に備えた試作を行ってた
全ては世界大戦が悪い
蘭印やソロモン海まで足を伸ばさなければならなくなったから1000トン弱クラスの大型護衛艦艇が必要になり
そのプロトタイプは北方警備の海防艦しかなかった >>105
そこがよくわからんのだけどさ。
とにかく数を揃えるならイギリスのフラワー級みたいなんではアカンかったのかい?
あっちだって北大西洋はそんな近い距離じゃなかろうに。 >>106
決定的だったのは「適当な大きさのプロトタイプ」がよりにもよって占守型だったこと
北方警備のための特殊設計てんこ盛りの贅沢艦を量産のベースにしたことで護衛艦の充実がとことん遅れた
アレ駆逐艦と大して変わらないくらい建造に手間かかるんだぜ?
それを量産向きに改設計できたのは実に1943年7月、大戦も後半に入ってからなんだ
つまり入り口から間違ってたの
占守をテストベースにするくらいなら、イチから新規に図面起こした方がまだマシだった
その分第一艦の竣工は半年くらい遅れたろうが、その遅れは次の半年で取り戻せただろう 仮に本土からトラック・パラオまでの航路しか想定してなかったとしても、途中の戦闘で燃料消費する可能性を考えれば、掃海艇や駆潜艇の航続距離2000海里は短すぎたんじゃ無いかという気がするけど。
状況によって外南洋に警備兵力を常駐させることも想定外では無かったはずだし。 >>108
それは「通商路」ではない
だから艦隊護衛、せいぜい二線兵力としての旧式駆逐艦で十分というのが戦前の判断 どうかなあ。
第一次戦時標準船は戦後に不良船舶が余ると困るとか悠長な事を言ってたからな。
史実の海防艦みたいな極端な簡易化は尻に火が付かないと無理だと思うぞ。 >>106
ハリファックス〜ロンドンと、門司〜シンガポールはどちらが距離が長いと思う?
それが日本がフラワー級を要求しなかった理由だよ。 >>111
ウ〜ン。
南氷洋まで行くようなキャッチャーボートでも本土から直航はしないってか。
考えてみりゃ当たり前だが、それでも海トラの類で本土からラバウルまで直航したのがいなかったっけ? >>108
そこが船団の直接護衛の発想でいくのか、例えば佐世保鎮守府のカバー、高雄警備府のカバー、シンガポールに前進していく南遣艦隊の直接護衛という形でいくのかて発想なんよね
開戦前の確実に自由航行的な海上交通路は台湾以北だし、そこより南は上陸船団的な直接護衛でいくという発想なら掃海艇、駆潜艇の2000海里でなんとかなるわけで、
そこは戦間期の600トン縛りの流れ、大蔵省折衝との艦サイズ縛りの流れ、今まで駆逐艦を作ってこなかった地方造船所で作れるサイズでの警備艦艇という縛りの流れを同時に見にゃいかんよね
事変勃発後の地方の遠洋漁船の造船所への設備拡充の支援とか指示内容なんかよくみたら駆潜艇の整備できるようにサイズアップしてたりでなかなかおもしろいよ >>112
船団護衛とキャッチャーボートの回航は違うし、援英船団と違って、
門司〜シンガポール間はほぼ全ての航路が対空対潜の脅威に晒されるから、
途中寄港を
嫌がるしな
(最初の頃はマニラ港で分散とかやってたが、マニラ沖で待ち伏せされる
ようになってマニラに寄らなくなる船団が増えてくる)。
イギリスだって援ソ船団には小型艦ばかり付けたりはしなかっただろ?
船団護衛艦の足に船団の行動を制約されるのを嫌がって、ヒ号船団には
丁型海防艦をテスト以外では付けなかったくらいだしな。 >>114
ごもっとも。
ただ、そのために緒戦から護衛艦艇の数が揃わないってのがどうもシマラナイ。
何やっても1944年半ば以降は手も足も出なくなるといっても、後世に禍根を残してしまったのは事実だし。
じゃあ決戦兵力で勝ってりゃ良かったかといえば勝てないしで、>>107のように「最初からボタンをかけ間違えてた」感は残るな…
極端な事を言ってしまえば、(満州事変まで遡って)とてもじゃないけど戦争できる状態になかったって結論になるけど。 >>110
かといって後期の戦時標準船みたいなの作られても困るんだが
海防艦等護衛艦艇にしてもソナーがあれじゃ史実みたいに潜水艦にやられるだけだし
経空脅威にある程度対応するには結局こっちもエアカバーいるだろ >>116
「結局」ってそんな、できたためしも無いのに… 小型護衛艦艇の数揃えられないなら山汐丸やしまね丸みたいなタンカーに飛行甲板張った船に複葉機載せて昼間潜水艦封じ込めて夜間は高速離脱とかの方が良さげかと
特空母付き船団の昼間の損害は末期戦ですら許容範囲内な訳だし >>118
あきつ丸以外は戦争に間に合ってないのに、んな無茶な…しかも本来は着艦考慮してなかった強襲揚陸艦だってのに。 >>119
後知恵万歳で言っただけだよ
何どうしようと昭和16年17年に海防艦やそれに相当する対潜護衛艦を数十隻、下手したら百隻以上揃えるのは無理だけど重要船団向けに10隻かそこらの簡易空母作るのは不可能じゃないだろう
大西洋におけるCAMシップMACシップの戦訓が伝われば可能じゃないかな、と >>120
ん〜海軍はそんな母艦へ載せる飛行機も搭乗員も余裕無いとして、陸軍航空隊にその種の余裕があるかどうかかな。
機材は赤とんぼでもいいとして余裕があるか、洋上航法のできる搭乗員含め人員の余裕があるか。
たぶん実際には護衛に使うよか、航空機運搬船として用いることで正規空母すら動員してた海軍の空母の負担を
減らす効果が一番じゃないかな。その意味で簡易空母は整備しても無意味じゃない。 そうして前線の飛行場に航空機が行き渡れば洋上哨戒や上空援護も出来る様になるかも知れないね
(戦闘機や軽爆が簡易空母で先着、制空権確保→重爆や輸送機が空路到着→航空哨戒開始って流れ) 2次上海の時には1ヶ月の航空機損耗が20%を越えており
大至急で航空機補充計画と輸送計画が立てられた。
この時の計画では浅間丸級3隻改装準備促進、給油艦高崎、剣崎の改装準備、
特設水上機母艦機内丸級2隻改装、特設航空機運送艦甲(氷川丸級)2隻、
特設航空機輸送艦乙7隻
激戦が続けば建造迄いったかもしれないけど、昭和12年末には損害減少してしまい計画延期・・・
喉元過ぎれば熱さを忘れるって事ですな。 そもそも中支戦線の拡大自体が無駄な国費の浪費と日米戦招いてるので >>120
無理でしょ。
WWI当時の不良戦標船だって船舶造成補助出しても中々排除しきれなかったのに、
「簡易空母」みたいに本来の目的以外が優先するフネなんかは船主が持ちたがらないよ、
完全に戦時になってる訳じゃない状況だと。
>>122
ならば簡易空母じゃなくて寧ろ航路帯に沿って航空基地作ればいい、という
アメリカ戦略爆撃調査団の指摘に戻っちゃう。
で、そんだけの航空基地を作って維持するだけの各種余力があるのか、といえば…。 赤とんぼだって貴重な練習機
これを他に回すと搭乗員養成に支障が出かねない
ただでさえ日本の練習機の数はすくないのに・・・・
アメリカは言うに及ばず他国はこの手の練習機って万の単位で生産してる >>122
飛行場作るため陣地作るヒマも無く働かせ、歩兵部隊を消耗させちゃう日本軍だからな…
超有能な設営部隊が無いと無理な話なんよ。さらに維持となると補修もさることながら補給が。
国力の都合上、どうしても「面での維持」ができなくて、「点での維持」しかできんのよね。 国力あっても、当時じゃ同調圧力とか権力闘争とかで変な方針を決定して敗北しそうな悪寒 >>126
戦時でも航空機生産の3割が赤トンボから九九高練や二式練戦といった初等、中等練習機なんだよな
実際できるとしたら練習航空隊や実戦部隊の錬成部隊を航路沿いに置いて洋上飛行訓練かねて船団との接触、前方哨戒させる史実の末期の状態だろうけど、
これも補給に適した港町付近におくのか、哨戒網に穴が開かないように飛行計画にあわせた立地を優先するのか、それによって新たな補給線が必要になるのかってあたりで八方ふさがりに、、、 点でなく面を確保しようとしたら広く薄く予備もなくであっさり突破されて、重点配置しておけばと叩かれるしなあ イギリス人は分割統治で点しか支配せずにインドを統治した。
五族協和とか言ってるお人よしには無理。 >>133
日本だって戦争に負けた時は今の英国以上に号泣した。
植民地時代に五族協和とかいう日本人には今のやり方の方があってると思う。 英国wはあの時にもう負けていたんだよw
勝ったのは米くらいw
日独 伊()wは戦には負けた()
それと旧植民地wの勝鬨にはワロタw 何年か前にどのスレで見たのか忘れてしまったのですが帝国海軍の艦名カタカナフォントが載ってるウェブページご存知の方いませんか? >>106
>とにかく数を揃えるならイギリスのフラワー級みたいなんではアカンかったのかい?
>あっちだって北大西洋はそんな近い距離じゃなかろうに。
フラワー級コルベットはイギリスでも沿海護衛艦
もちろん、実際にはそんなこと言ってられなかったんだけど、
大きな問題として洋上給油の頻度が増える
リバー級フリゲートは計画当初から無給油での大西洋横断能力が求められていた
そもそもあれはブラックスワン級スループの補助なので、
コルベットとは位置づけが全然違う フラワー級コルベットとは何か、と着目点によるのだけども、
大型漁船作れる造船所で建造可能なもの、艤装品を商船規格で賄えるものという見方をするのなら駆潜特務艇とか船体サイズ的には駆潜艇がカウンターパートになるんだよ
コルベット、スループだと燃料切れでの早期離脱、分離って運用上の問題が判ってたので、船体を大型化して2軸コルベットとか長距離コルベットと仮称された後のフリゲイトに切り替えていくわけ
この辺の流れは、掃海艇とか駆潜艇を切り捨ててギリギリまでサイズアップできたもの相当の丙丁型海防艦にミリ替えた日本も結果として同じなわけね >>139
>コルベット、スループだと燃料切れでの早期離脱、分離って運用上の問題が判ってたので
フラワー級に当初求められていたのは、英仏海峡と北海入り口での哨戒を担当して
艦艇のローテーションを補助することだったらしい
所詮、武装トローラーの拡大版にすぎないわけでそんなとろだわな
ところがノルウェーとフランスが落ちてそんなどころじゃなくなってしまった
大西洋にウヨウヨUボートが進出してきた結果、外洋での船団護衛の一角を担う羽目に >>139
丙型海防艦に対応するのは、英だとキャッスル級コルベットかな
小規模な造船所で建造できる限界、80メートル以内に船体長を抑えたが
6000海里の航続距離によって外洋護衛艦の最低ラインを追求した
リバー級やロック級は商船構造と言っても、もう少し大きいドックが必要になる >>138-141
こうした流れ、視点の提示からのレスがこのスレの醍醐味だよな >>138-140
流れとしちゃイギリスも日本も結局同じ事に…ってのはわかるのよ。
ただ、日本の場合は量産型海防艦の数が揃うまでのなりふり構わぬストップギャップが欠けてたんでないかい?って話。
そこに至るまでのプロトタイプが掃海艇にしろ占守型にせよ、ちと贅沢に過ぎた結果として数を確保できず、海運業者から
後世に至るまでの禍根を残したのが悔やまれる。
どのみち守り切れないのは仕方ないにせよ、汚名を着るまでに至らない方法は無かったものかと… >>144
元々そうした禍根残す前に短期決戦でけりをつける事が唯一の対策だろうからなあ
海防艦や駆潜艇、護衛駆逐艦なんざ平時に建造しても使い道乏しいし、いざ戦時には陳腐化している可能性も高い
かと言っていざという時にすぐ量産に入れる様な艦艇を一々開発し少数だけ配備するのも非効率だし
イギリスでさえ開戦から暫くは「何故前大戦であれだけやられたのに潜水艦対策してないんだよ」と言われるレベルの体たらくだった訳だし 2等駆逐艦カテゴリは廃止しない方が良かったんじゃ無いかな。
艦隊決戦志向にしても、決戦前の主力水雷戦隊損耗を抑制すべく、航続力のみ1等駆逐艦と同等で、速度、武装は妥協した艦隊外縁警備用の低コスト艦艇があった方が良かったと思うけどなあ。 >>146
一等駆逐艦を必要数建造した上で更に二等駆逐艦を整備できるならやってたかも知れないけど
両方の建造費の捻出ができず一等駆を削って二等駆に回すか二等駆を諦めるかの二択になるのでは
もし両方の建造費が確保できたら「んじゃ一等駆を更に増勢すんべ」になるオチが見える
航洋護衛艦のタイプシップには何を当てたらまだマシだったんだろう かといって12サンチ砲連装二基4門 ソナーはない 重油石炭混焼缶 速力18kt みたいなの作られても
困るしな そもそも「駆逐艦は大型であるべきか小型であるべきか」「駆逐艦の機関は重油専焼であるべきか
重油石炭混焼であるべきか」ってのは日露戦争後からの海軍の一大研究テーマだったんだし。
「小型駆逐艦は日本近海の襲撃行動ですら編隊行動が出来ないレベルで行動に難渋する」
「真夜中に無灯の状況でも襲撃行動の際には混焼では排煙が目立ち過ぎて邪魔でしかない」
なんて事実は演習を積み重ねた結果として海軍は掌握してた訳よ。
(何で「日本近海での襲撃行動」まで検討しているかと言えば、日露戦争の戦訓と、忘れがちだが
アメリカ「ホワイトフリートの訪問」って事実が海軍には重い事実としてのしかかっていたんだろう。
「ホワイトフリートが大挙して日本全国を周回訪問出来た」と言う事は、「日本近海の通商路まで
大型艦艇で破壊出来る」と言う能力の現れだからな)
そうすると「航洋護衛を成立させるためには、否が応でもアメリカ艦隊の脅威を排除しなければ無理」
という結論しか出なくなる訳で。 >>148
一等駆逐艦の増勢にしても二等駆逐艦とハイローミックスを目指すにせよ、大和級戦艦の建造を取りやめないと予算無いッス。 >>151
大和以前に一等駆逐艦一本鎗での整備は確定してるからその辺は関係がない。 >>152
まあ大和級に関してはあくまで予算獲得のためのダミーだから、大和無ければ駆逐艦そのまま建造したって意味では無いけどね。
でも、どのみち人員含めた予算無いのは確かなんよね…
限られた予算で、低レベルながらも対空・対水上・対潜にバランスとれて航続距離も長く、戦時には急速建造で数増やせそうな
プロトタイプとはどんなフネか。
史実だと掃海艇だったわけだけど、門司〜シンガポール航路を想定に入れれば別な形になっただろうって流れよね? >>153
上に書いてるように、限られた予算なら一等駆逐艦がどうしても優先されるから、単に「大和を断念すれば」
って話じゃない。
水雷艇が復活したのだって飽くまで条約の網目を抜ける方便であって、本気で小型駆逐艦を欲した訳じゃないからで、
小型駆逐艦を欲さない理由は上に書いた通り。
低レベルな護衛艦を最初検討しなかったのは、同じく上に書いたように、「大型艦艇を大挙日本近海を行動させる
能力のある相手に低レベル護衛艦じゃ文字通り『蟷螂の斧』でしかない」という理由で、日本近海ですら護衛を成り立たせる
為には「相手の大型艦艇を排除可能なフネ」が絶対に必要になる、という大前提をクリアしないと話が成り立たない。
日露戦後の陸海軍が相克していても「緒戦での比島攻略」に関しては相克する事が無かったのはその為で、
史実ではラッキーが重なって短期での攻略に成功しているが、本来比島攻略は年単位スパンでの
行動が前提になっていた、という事も忘れてはならない。 護衛艦のタイプシップの話だけど、実は英でフラワー級になった経緯に
リベット構造だったということもある
キングフィッシャー級スループの船型簡略化して量産向きにする案もあったけど溶接に信頼置けなかったのと民間造船所に設備が足りなかった 米がリバー級をタコマ級として建造するとき
電気溶接とブロック工法を全面的に取り入れて
これが英でロック級とキャッスル級にフィードバックされた
どこかの国で聞いたような話だけど、
何が足りなかったのかを考えるヒントにはなるかど >>154
小型駆逐艦て言ってもタービンや減速機は必要だし
思ってるほどコスト安くならんのよね >>154
さてそこで問題になるのが
「比島攻略を数年スパンで考えてたのなら、その間のシーレーン維持はどうするつもりだったんだろう?」
なんだよね。
いわば太平洋戦争終盤の状況が緒戦から続く想定だったわけで、連合艦隊主力は東から来寇する米艦隊へ
対抗するため貼りつけと想定したとして、航続距離の長い対潜艦艇は何だかんだで必要じゃなかったの?と。 決戦で戦艦沈めたらやりたい放題!って考えていたと思う >>158
そんなん、巡洋艦に襲われたらイチコロじゃん >>160
シーレーンに巡洋艦が出没するような状況で何年も比島戦やるつもりだったのかね?と思うと、さらにおかしな話よ。 >>158
南方に「原油」取りに行くこと自体がそもそもの想定の外にあるからな。
で、フィリピン近郊は戦闘中、ってだけだな。その場合潜水艦が云々なんて出る余地もない。
(戦前、日本が原油輸入してたのはアメリカで、アラスカまで給油艦ピストン輸送で送り込んでたんだから、
南方の石油について考えてないのは或る意味当然だったりする)
潜水艦の拠点がマニラに有ったら南方以前に日本近海の通商路すら危ないわけで、
そんな状況で「航続距離が云々」なんて悠長な事は言っていられない。 >>161
巡洋艦どころか戦艦を日本近海まで送り込むだけの力はある、ってのがホワイトフリートの日本訪問だからな。
因みに1年間の戦闘でも遥か極東に有った巡洋艦三隻に散々シーレーンを脅かされたけどな、日本は。 >>162-163
となるとなおさら、>>154でアナタも言及した
>本来比島攻略は年単位スパン
に疑問が出てくるわけよ。
通商路の安全が確保できない状況がヘタすりゃ何年も続くって想定の戦争計画ってどうよと。
南方へのシーレーン以前の問題になっちゃう。
だから掃海艇と駆潜艇を整備したのだと言われても、それで解決できるのは中国向けと国内沿岸航路だけで。
そこから導き出される結論としちゃ「真面目に対米戦をやろうなんて、実は考えた事すら無かった」って事になる。
それはそれで艦隊現存主義としちゃ妥当なんだけど。 >>161
背景がどうあれ巡洋艦が出たら前の戦争みたいに( )巡洋艦を当てるか、
水雷部隊を当てれば良いだろ?
それで相手は撃滅される。
前の戦争みたいに >>164
自分で163以前の主張の正しさを認めてるじゃないか<航続距離の短い護衛艦艇で充分
マニラ周辺が戦闘海域ならば、東から来寇する米艦隊迎撃に注力する為にも門司〜上海の
対潜艦艇は絶対に必要になる訳で、それが13号型駆潜艇がタイプシップになる理由だし。
史実は忘れがちだが、「対米英戦」で有って「対米戦」ではないんだぜ。
だからこそ南方原油地帯の事は十全には判ってなくて、それ故に「荷出し用の
内航中型タンカー不足の所為で、予測より沢山原油を算出してるのに積み出しが
追い付かず、余った原油をそのまま燃やしている」なんて不始末まである。 戦前の日本が南方通商航路の安全についてどう考えていたか?
1940年の鉄鋼石輸入
中国・満州・台湾・朝鮮 計1,944千t
南方諸国 計3,288千t
その他 計841千t
石油と並んで産業に不可欠の鉄鉱石は多くが南方諸国から輸入されています。
広域を占領している中国も1,400千tとかなり多いのですが、
それでも上記の通りです。満州事変や支那事変開始前だと中国以外への依存度がより高かったかもしれません。
ボーキサイトに至っては1940年時点ではほぼ全量が南方諸国から輸入されています。
時期の明記が無い別資料(1930年代末頃か)によれば以下の数字もあります。
鉄鉱石…中国1,263,4千t、豪州225.4千t、インド143.5千t、その他2,421.4千t
であり、中国の占領地も相当ですが、中国+豪州+インドの合計に匹敵するだけの量が他国から入っています。
銑鉄…インド375.3千t、満州271.2千t、その他505.5千t
これもインドからも相当入っている上、インド+満州の合計に近い量が他国からも入っています。
以上より、戦前も日満支台を除く航路、又は南方航路の価値が小さかったと断ずるのは誤りでしょう。
ただ対多国戦争や長距離航路防衛を想定すると計画が成り立たない為、
次善の計画としてまずは台湾以北の航路の安全を図ることを一つの基準としていたのではないでしょうか?
太平洋戦争では、欧州でのドイツの活躍と日本の初戦の順調な戦況に支えられて結果的に航路の安全が比較的保たれていた面がありますが、
海軍の戦前の構想とは相当異なった形での航路保護であったのでしょう。 >>164
で、「その巡洋艦はどっから湧いて出るんですかね?」って疑問が出るわけよ。
相手が1隻だからこっちも巡洋艦1隻で追えばいいってもんでもないし、相当な戦力割かれちゃう。
つか、それが相手の目的になる。 >>166
比島以南とのシーレーンが確保されてないのに、どうやって何年も比島戦やるつもりだったの?って回答にならんのよ。それじゃ。 >>168
難攻不落のシンガポールからでしょ?
AとBさん仲良いし >>167
>対多国戦争や長距離航路防衛を想定すると計画が成り立たない為
要点はこれなんだよね。
対英戦にせよ対米戦にせよ、南方とのシーレーン確保できてないと長期戦は無理な話。
>次善の計画としてまずは台湾以北の航路の安全を図ることを一つの基準としていたのではないでしょうか
となると、「比島戦を何年もやろうなんて最初から思ってなかった」つまり対米戦をする気が無い戦備だったって事になる。
日本海軍というのは「抑止力艦隊」以上のもんじゃなかったと思うのよ。 >>170
英米の巡洋艦じゃなくて、日本海軍の巡洋艦はどっから湧いて出るのって話よ。
辺境向け軽巡戦隊や水雷戦隊をいくつか引っこ抜いても米太平洋艦隊主力と勝てる見込みを保ちつつ、さらに船団護衛も…って話になるでよ。 >>171
「帝国海軍作戦計画書」昭和11年版では、対米戦の第一段で陸軍と協力しルソン島とその付近諸要地、
グアム島を攻略し、第二段で来航する敵主力艦隊の撃滅としています。
計画も時期によって異なると思いますが、
S11年にはルソンは早々に占領し米主力艦隊を待ち受けるのが本筋だったことになります。
しかし、昭和8年頃から艦隊決戦前にルソンを占領することの能否と可否が真剣に検討されていたようで、
米艦隊の来寇が意外に早い場合には先に艦隊決戦を行う構想もあったそうです。 >>172
バラで来るなら、まあ三隻だったら正しくは前の前の戦争か、
艦隊組んで粉砕するだけでしょ。 >>174
で、主力同士の決戦に影響無い範囲の小艦隊じゃ掃討できんし、さりとてそれ以上引っこ抜くと決戦に影響出るし…
航空隊も相当数割かないとアカンと思うよ。
バタヴィア沖海戦みたいに上陸船団へ突っ込んだ挙句に最終的にゃタコ殴りならわかるけど、3隻バラバラに
ヒット・エンド・ランやられるとそうそう捕まらんから戦力誘引されっぱなし。
事例としちゃ、むしろWWIのエムデンを参考にした方がええんでないかと。 >>173
その場合のシーレーン維持は何が担う事になってたかが、興味ありますな。
むしろ「さっさと米主力艦隊が来てくれて撃滅されてくれないと、戦争計画が成り立たん」って雰囲気を感じます。 >>175
相当あかんと言う結論であってると思うが。
大日本帝国は1945年でなく1942年で投了に
なったろうが、上村さんみたいに罵倒されたくなければ
大型水上艦をどうにかする事に専念すべき
…マラヤやABDAラインの崩壊と同様に、
呆気なく占領は出来たがね >>177
決戦を捨ててでもそうする計画(想定)があったのか?って話なんよ。 >>178
決戦を捨ててまで何するの。
…大型駆逐艦などの個艦を生産性や対弾性無視してまで
攻撃力上げてるのも、そう言った相手にとっても高価な
兵器と対抗する意図もあると思うがな。
別に小笠原沖での戦闘に特化してた訳でもないんで。 >>176
昭和11年版では
「支那海及び南洋群島方面の海上交通線は状況許す限り之を確保するに努む」
そうです。「状況が許す限り」「努む」と二重に不確定にしていますね。
まずは決戦に集中したいのでしょう。
兵力は明記していませんが、南洋群島方面でグアムの攻略や防備、
敵基地破壊、敵交通路の扼止は第四艦隊と横須賀鎮守府部隊の協力によりますから、
自身の交通路の保護も恐らくこの兵力が当てられるのでしょう。 もっと恐ろしい文章も発見しました。
昭和13、14年度計画では
「帝国領土付近海面(及び支那沿海)以外の海上交通の保護は必要に応じ適宜部隊を指示して之を実施せしむ」
そうです。
なんだかどこかで聞いたような文章ですね。「高度の柔軟性を持って臨機応変に対応する」とか。フォーク准将…
とは言え、上記は対米戦の場合で、対英戦の場合は
「日本海、黄海、東海、南支那海及び南洋群島方面の海上交通を確保す」
としており、南方航路の重要性を認めていますね。兵力にも対米戦より余裕があるからだそうです。 >>179
「何するの?」って聞きたいのはこっちですわな。
アナタが>>160>>165>>170>>174>>177で書いたような事が起きたら、決戦そっちのけになりますよって話なんだから。
そのための対策としてアナタが書いた内容だと、決戦との両立ができんのよ。 >>182
両立出来なきゃそれで終わり、と言ってるんだが。
日露戦争で第二艦隊がウラジオ艦隊撃滅出来なかったら
、と同じように考えてる訳だがどうしたんだ?
先の大戦の状況は日露時とは別の意味で付いてただけで、
どちらにせよ弱装備の拡充はされんと思うぞ
(日露戦争時は、実質世界初の戦闘巡洋艦作ってるし >>180-181
本質的に植民地警備部隊である英極東艦隊を相手取るまでは戦力に余裕ある、という感じですね。
対米戦に関しては…限界がどうしても見えますね。
国内向けには重要事項を棚上げしつつ「無視はしてませんよ」という官僚的作文、むしろ国外向けに
「攻めてきたら通商路保護を放り出しても反撃するので、ただでは済みませんよ」という、
やはり抑止力メインの戦力整備だったのかな、という印象を受けます。
他にどうしようもないとは海軍も理解した上で、「できるなら対米戦したくない。というか無理。」がやはり本音だったのかなと。 >>183
「それで終わり」が結論なら史実そのまんまなんで、もう横から口挟まんでいいですよ。
アナタが>>165みたいにテキトーな茶々入れるからメンドクサくなるのです。 >>185
「高度の柔軟性を持って臨機応変に対応する」
ちゃんと対処方法出してもらってるじゃない(草も生えん
南方作戦が想定されてた速度で展開されてたら
(まあ山下将軍は干上がってたとして)対潜艦艇に
整備割くぜいたくなんて無いと思うぞ?
まあ史実より酷くなるのは当然だと思うがな 本質的にはマリアナや小笠原、フィリピン近海で小競り合いするレベルの軍備で、それ以上の戦争は望んでいなかったし備えてもいなかったのが対米(+英)軍備
本格的な戦争じゃなく紛争だから大陸ルートの交易は維持されるから、航路帯護衛は日本本土から大陸に限定って想定
それだから本格的な戦争仕掛けられない様に対米英比率に拘るし、制限下で最大の戦闘力得る為の設計になる
そんな海軍が長期戦に備えた遠洋型護衛艦艇を計画整備するなんて戦略の破綻を自ら認める様なモノさ >>180の補足
南方航路は位置的にはもしかしたらルソン攻略支援の第三艦隊にやらせるつもりかも知れません。
でもこの艦隊は米東洋艦隊の撃滅にも使用される位の戦闘力のある艦隊ですから、敵主力艦隊との決戦にも必要なんですよね。 >>184
英の仮想敵は日本
史実は欧州で戦争始まったので実現してませんけど、
なければ本国、地中海から増援、シンガポール沖決戦構想です。 >>187
一応昭和5年4月以降の研究で、防備部隊に多数艦艇や航空隊の整備を計画し、
その中で沿岸配備の1200屯級海防艦12隻や1500屯乃至500屯級砲艦15隻や、
通商保護の基幹としての1200屯級海防艦24隻なども計上されているんですが、
これはある程度長距離護衛を意図していたように思います。
しかし予算として認められることはなかったんですよね。
瞬間風速的には米国と互角以上に戦える海軍を建設する代わりに、
犠牲になった部分ですね。
いらないと思っていたわけじゃなくて、その余力が無かったということでしょう。
その判断の是非は別として。 >>187
ワシントン、ロンドン各軍縮条約で結局は希望する対英米比率を認められず、個艦戦闘力増強も友鶴事件と第4艦隊事件で見直しを余儀なくされ…
って時点で、対米戦備は一度破綻してるんですよね。
そこから無条約時代に突入するとはいえ、中部太平洋決戦なんてやったら大勝利したとしても継戦能力の維持にとても自信が持てないって事で
真珠湾攻撃に至ったんでしょうけど。 >>189
イギリスの立場からしたら「シンガポールさえ陥落せず頑張ってれば、セイロンなどインド洋の後方拠点もあるし巻き返せる」って事でしょうね。
史実ではそうならなかったものの、対英蘭限定だったら掃海艇や駆潜艇が順調に船団護衛をできたのかどうかが興味あるところ。 >>190
そのあたりを切り捨てた時点で、「海戦要務令」的な対米戦は諦め、次善のプランが研究されてたんじゃないかと思います。
とはいえ、その研究が戦力整備に影響を与える事なく太平洋戦争が始まってしまったのかなと。
そこに小艦艇整備のチグハグさや、何とはなしに漂う悲壮感の元があるような。 戦前の時点では日本単独での戦争しか想定していない訳で、
南方通商路って時点で想定不能な訳です。
米とやるなら、英はシンガポールに艦隊派遣、不測の事態に備える、当然対日貿易は停止でしょう。
英とやるなら、米は比に艦隊派遣、不測の事態に備える、同じく対日貿易は停止。
どちらも対日戦くらいでは宣戦布告することに不利はありませんので。
南方資源押さえるというなら、つまり世界を相手に一人で戦うという事です、そんな想定は戦前日本はしていません。
史実のドイツの動きを規定事実として後世の神の目線で見てるから、
何故南方航路の保護を早い時点で考えていないのかとの話になる訳です。 >>188,>>190
基本的には南遣艦隊とか前進していった根拠地隊や鎮守府の防備戦隊のリレー式護衛が念頭に有ると思いますね
というのも、この隻数に関する言及はこのスレなんかでも触れられているのですけど、その上級組織が何個戦隊(司令部)欲しいという所まで具体的には進んでいないのが一つ
もう一つが、シンガポール〜内地のようなハッキリした航路が見えない分、一貫護衛するべき船団数が出てこないって話ですね
間接的には大型砲艦とか海防艦(大型)が12隻とかで駆逐隊相当の旗艦みたいな言及はあるのですけども、基本的には「海面防備」であって「(直接)船団護衛」ではないという視点が必要だと思います >>195
何度も繰り返してしまって申し訳ないのですが、「小艦艇の戦備を見る限り日本海軍は対英米戦をする気が無かった感」がますます強まりますね。
そうなると対中・対ソくらいしか相手がいなくなりますが、それには過剰戦力とも思えますし、誰を相手にしようとしていたのか奇妙に思えます。 何故、日本の船団護衛が後手に回ったのかについての伏線を考えたのですが
1.日露戦争時の露グロモボーイ、リューリクの東京湾付近、WWT独巡エムデンのインド洋での通商破壊戦が太平洋戦争冒頭では起きなかった。
2.米ヒューストン、蘭のデロイテル等蘭印近辺の東洋艦隊をとっとと片づけた。
3.瑞穂は撃沈したけれど、開戦当初はダメダメな米潜水艦の艦艇起爆魚雷
で安心したところを
4.空母ホーネットによる奇襲空襲
で、おったまげてしまって対応したのがミッドウェーだが結果裏目に出て更に手が回らなくなり
という感じでしょうか?
ニミッツ提督に魚雷が糞だと潜水艦艦長が直訴したことも効果あったんですかね?ところで
5.独仮想巡コルモランと豪軽巡シドニーの戦い
はWWU当時、日本では通商破壊戦と船団護衛戦の例として注目されなかったのですかね・・・? 戦争となった場合、南方航路が設定できない、だから自軍根拠地以外は考慮の他。
つまり守るべき航路は中国満州朝鮮、日本沿岸と限定する訳です。
南方資源地帯占領して云々は昭和14年あたりからの話なので準備できてなくて当然と言えば当然。 >>190
世艦320号(特集・日本海軍の海防艦)の「海防艦建造構想の変遷」から引き写すと
「ロンドン条約では新たに補助艦艇が制限を受けることとなったため、軍令部と海軍省軍務局は昭和5年4月から国防所要兵力量の改正を研究した。
この過程で通商保護や哨戒などに当たる防備用艦艇として、沿岸に配置すべき駆逐艦20隻、1,200トン級海防艦12隻、1,500ないし500トン級海防艦15隻、600トン級水雷艇24隻、駆潜艇16隻を常備とし、
さらに戦時の所要兵力として水雷艇56隻、900トン級海防艦(簡易型、速力20ノット)および砲艦96隻(重要船舶の直接護衛用)、1,200トン級海防艦24隻(通商保護の基幹となるもの)、駆潜艇160隻の建造案が研究され、
ここに初めて通商保護、船舶護衛などに用いる海防艦の構想が姿を現したのである。」
1500ないし500トン級が砲艦なのか海防艦なのか違いがある(海防艦が1200トン級と簡易型900トン級なんでやはり砲艦ではないかと)けど概ね同じ元ネタからかと
この時点で直接護衛も一応視点に挙がってはいる様子
これに北洋警備の必要性とそれに駆逐艦でなく専任の艦艇を充てたいという思惑が絡まって海防艦が北洋警備が主務という考えになっていく感じで
この後のマル一計画マル二計画での1200〜900トン級海防艦の建造要求に繋がる流れ 支那事変や欧州大戦が起きていなければ、対米単独戦争が起きても英仏が日本と断交するとは限りませんよ。少なくとも日本はそう思っている筈です。
だから海軍の作戦計画(多分に作文ですが)でも一応南方航路の保護に触れているんですね。実効は怪しいとしても。
もし英仏勢力圏からの輸入が止まれば対米艦隊決戦に勝利しても日本の国自体が持ちません。
支那事変、欧州大戦、仏印進駐がないまま対米戦があったら、ある程度作戦計画に沿った戦いが起きたんじゃないでしょうか?
米主力艦隊の来寇は予想よりずっと遅い筈ですけれど。 >>200
ほぼ同じ文面が戦史叢書「海上護衛戦」にありまして、そちらでは1500屯乃至500屯型は砲艦とされています。
フリゲートみたいな物を想定していたのでしょう。 戦争始まると他国への輸出は戦争支援となるので中立条項に従い停止する。
支那事変で双方宣戦布告しなかった理由ですよね?
米はよく言われるのでわかるのですが、英仏他国も同じだったんでしょうか? >>202
たぶん世艦のも戦史叢書が元ネタでしょう
マル一・マル二計画の1200トン級海防艦4隻の構想としては上掲の世艦から
基準排水量1200トン 速力20ノット 12.7cm連装高角砲2基4門 対空機銃若干 爆雷投射機2基 爆雷若干 九一式探信儀装備(航続距離は記述なし)
これは艦形をマル一は900トン、マル二では1100トンに縮小して兵装も削減した案を出したけど結局どちらも通らず
マル三で860トン平射砲単装3基、投射機1基に削った案でようやく通過(これが占守型)
もし当初の1200トン案が量産型海防艦のタイプシップとなっていたら…とは思うけど建造数の都合で結局900トン級にランクダウンしちゃうだろうなあ、とも >>203
米国の中立法にも段階があるようで、
1935年の暫定中立法では、禁輸品目は武器弾薬、軍用器材
1936年の改正では、借款やクレジットの供与禁止が追加
1937年の恒久中立法(但し39年5月まで)では、武器弾薬以外の重要資材について、現金払いの船持ち(米国船は使用できない)の制限
1939年の改正では、武器弾薬、軍用器材の禁輸を撤廃し、現金払い船持ち(米国船は使用できない)の制限とする
とありまして、1937年改正の厳しいものでも、自前の船で現金払いなら重要資源を売ってもらえ、1939年の改正後は武器弾薬までOKとなります。
英仏に同様の法律があるかどうかは浅学にして知らないのですが、日本の対一国戦争計画ではシャムなど第三国の中立について気にしていますから、うまく立ち回って輸入は続けたい意向は見えているように思えます。
まあ現金払いの原則を適用されると金保有量の減少が続く日本としては厳しいですし、対米一国戦争でも他国の好意を失うやり方では、禁輸される心配は常にあるとは思います。 >>156
溶接は日本が保守的だったというより、
どこも30年代末に試行錯誤してんのよな
軟鋼なら問題なくても高張力鋼だとクラック入ったり歪み出たり >>206
あと、細かい所だと溶接部分の検査、評価方法の差があるの
基本的にはX線検査器、要はレントゲン持ち込んで溶接部分を写すようなものなんだけど、
米国はそれを小型化できて船体の側面にでもぶら下げて見れた(全部見たわけじゃなくて、計測例積み重ねて作業手順に反映できた)のだけど、
日本だと小型化に手間取って工場据え置きサイズにとどまったからそうした手順等へのフィードバックが遅れた面はあるのね
というか、そうしたフィードバックが材料だけでなく、溶接面の開先の取り方、それにあわせた溶接脚長の関係とか、開先をとるためのガス切り、機械加工の標準化ってあたりで纏められたかどうかって視点で見るとすっげえ面白い >>204
>もし当初の1200トン案が量産型海防艦のタイプシップとなっていたら…とは思うけど
タイプシップをめぐる議論はなぜそういう艦が検討され、
最終的には却下されたのか、時代背景を考えることが必要
植民地を持ってる海軍、例えばフランスは1920年代後半に
ブーガンヴィル級通報艦みたいな軽巡を代替する低速だが
大航続力の鑑定を整備し始めていた イギリスも同時期通商路保護用の艦艇を建造し始めていたが
ロンドン条約の直後、1931年度計画あたりから
新造駆逐艦の建造枠を稼ぐために、従来は駆逐艦が担当していた植民地への
船団護衛を制限外艦艇で代替することを本格的に検討し始める
これが1200t級大型スループの流れになっていく これらのスループは当初、ブーガンヴィル級に匹敵するような
砲艦的役割も検討されたが、結局軽巡の代替は無理ということで
両用砲を搭載して、駆逐艦以下を撃退できる水上火力と対空火力、
対潜艦も兼ねた存在としてまとまった マル一・マル二計画で要求された「海防艦」は、
これらの流れを横目に見た結果と考えられる
けれども、本来この艦種自体、植民地との長距離航路を前提としているので
日本では優先度の低い、中途半端な存在ということになり
実現しなかったのはむしろ当然だとも言える 補足
この種の艦艇を実際必要としていたイギリスでさえも
1000tを超える護衛スループの建造はタービン機関や
両用砲などの調達も含めて負担であり、
結局、レシプロ機関を搭載した800tのハルシオン級掃海艇を
対潜護衛用にも用いることでお茶を濁すことになった 矢張り日本にも米並の国力を与えてから詳細検討すべきであるという結論だな ハルシオン級掃海艇は護衛任務を想定して喫水が深く
乾舷が高く長船首楼で航続距離も長かったが、
肝心の掃海で使いにくいということになり別途掃海艇の建造が必要になった
結局、開戦直前に泥縄的な建造が決まったフラワー級を除けば、
どの艦も急造護衛艦のタイプシップにはなりえず、
1941年にブラックスワン級護衛スループを参考に船型を簡略化し、
単能対潜艦化することでコストを下げ、フラワー級の機関を流用した
リバー級フリゲートが設計される
それでも掃海具を搭載することで汎用性を持たせたいという考えは捨てられなかったが
結局戦局の激化でそんなことは言ってられなくなり、掃海具を廃止して
爆雷投射機を増設、搭載数も増やすことになった
要するに時期こそ違えど日本とやってること自体は大差ない
なんで大差ないのかと言えば予算もだけど機関の調達が
最大のボトルネックになっているからだつたり >>216
つまりはそういう事で、戦争しないで艦隊現存主義をとり、最終的には旧式艦置き換えのタイミングで
正面戦力の量的縮小と質的向上を図って最低限の威容を保ちつつ、それで戦争しないのが一番
良かったんで…
まあ言うが易し。 つか、仮に1941年12月に太平洋戦争が開戦に至らず、その後も何となく危機感は感じつつ戦争は回避できたとして、
史実でいう改夕雲級だの改秋月級は、ヨーロッパでの戦訓を元に大幅に改められたのかねぇ…?
もはや死んだ子の年を数えるより、そういう話をした方が良さそうな。 >>216
常識的にはそうなるのが、仮想戦記脳には頭の痛い所だ。
だが、薩摩の連中ならなんだかよくわからんがチェストーと叫んで戦争吹っかけてくれるのではないだろうか。 >>216
いや、いずれは太平洋や東シナ海の制海権を巡って戦争することになるよ
・日本がアメリカと同等の国力があれば
充分豊かなので、戦争する必要がない
⇒アメリカはアメリカ並みの国力があったが、
より豊かになるために戦争をした
・日本がアメリカ並みの国力があれば、
戦争の喪失が物凄いことになるから戦争にはならない
⇒日本は自国を上回る国力の清やロシアと戦争をした
戦争が起こらないためには、
両国の戦力が余り(日米よりも更に酷いレベルで)にも掛け離れているか
核兵器で抑止しあうしかない >>220
そのあたりで気づくんだけど、基本的に日本が欲しいのは「大陸の利権」だったんだよね。
なので今までの議論で明らかになったように、小艦艇が守るシーレーンも基本的にゃ日本本土〜大陸間に留まる。
だけど>>167が指摘したように1940年代に入る頃にゃ南方の利権も重要になってきて、必然的にボルネオや蘭印との
シーレーンが重要視されるようになって、史実通りの太平洋戦争が無ければ、結局はマル五計画あたりからかなりの
修正が入ったんでないかと。
さて、そうなった既に1950年代の日米戦やいかに…
でもその頃になると、遅れてたマンハッタン計画も進捗して史実通りにトリニティ実験は行われてただろうから、
カギを握るのはゲ号実験の進捗と核兵器の小型化かな。
なんとなく日本海軍的にはレギュラスみたいな核巡航ミサイル搭載潜水艦を改伊400級として建造しそうな?
でもその当時だとまだ核兵器の取り扱いに注意を要するもんで、妙に排水量が大きくて怪しげな潜水母艦が建造されるとか。 >>222
1940年代末だとソ連も核実験に成功してるから、日本としちゃ米ソどちらと組むとしたら…どっちだろね?
ソ連は米と核戦争したくないし、米は日本を弱体化させてソ連へ先に攻め込まれてもかなわんし、
案外そこで当の日本の思惑とは全然違うとこでバランス取れて戦争起きないかも。
仕方ないので国共内戦へ介入して日米ともに国民党を妥当して傀儡国家を作ってしまい、大陸航路を
掃海艇や駆潜艇で頑張って維持しつつ「大規模なベトナム戦争」でもしますか。 北方漁業利権警備用に占守型作ったんだから、これから耐氷耐寒能力除去して南洋利権警備用艦艇作ろうという発想が出てきてても良さそうだけどな。
そこまで準備できてれば御蔵型まであと一歩・・・・・ >>224
その占守は竣工後ずっと南方に配備されてましたよ
明らかに南方警備の知見を積ませる目的ですね
そして帝国海軍は、マル5計画にやはり4隻の海防艦を組み入れてます
これが南方向けになった可能性は高いでしょう
とにかく、占守が護衛艦のタイプシップになったことは致命的ともいえる失敗でした
北方向けの船体はタンブルホームやキャンバーといった特殊構造のため、非常に加工が手間でした
これを簡易な直線構造にしようと思っても、イチから強度計算やり直しですから大変に時間を要し、
新規設計と変わらないくらいの遅れを生んでしまいました
カタログ的には護衛艦向きの性能をしていた占守ですが、量産を考えればまるで向いてなかったのです
そもそも量産を考えた艦ではありませんでしたから当然なのですが >>221
これは私の説明不足でしたか。むしろお説の逆ですね。
もともと中国は重要な相手国ですが、日本軍が占領して独占性が高まるにつれ重要度が更に増していきます。
南方はそれにつれ相対的な重要性は低下していくのですが、石油やゴムなど中国からは獲れない資源は依然として依存せざるを得ないというところです。
例えば上で挙げたより古い数字、支那事変前の1935年の鉄鉱石を例にとると
英領マレー 1,405千t
マレー連邦+非連邦 1,471千t
フィリピン ※2,906千円 マレーの価格で換算すると約284.8千t
中華民国 ※1,0916千円 マレーの価格で換算すると約1,069.8千t
満州国 403.4千t
朝鮮 228千t
中国+満州+朝鮮+台湾(実質的な量は算出無し)は1701.2千t
マレー+フィリピンは3160.8千t
1対1.85
それに対し>>167で挙げた1940年の数字では
1対1.69
年が進むごとに相対的に南方の地位は低下しているのです。
しかもこれ、満州をほぼ独占したあとの数字です。
というわけで、鉄鉱石の点では南方航路の重要性はむしろ1935年の方が高いことになります。 一方鉄鉱石と並んで工業に必要な石油についてはやや異なります。
同じく1935年の数字で
米国 95,220千円
蘭印 36,512千円
国内+植民地 14,141千円
6.73対2.58対1で米国航路が最重要です。
しかし米国と戦争になれば供給が止まりますし中国からは実質的な量は得られませんから、
日本と植民地間より1対2.58で南方が重要であることに変わりはありません。
当然海軍もこれ承知している筈ですから、南方航路の重要性は理解していても、
その航路防衛まで手が及ばないと考えていたと見る方が正しいでしょう。 占守の工数が馬鹿みたいに多いのについては三菱造船所の艦艇設計部が変な方向に気合を入れすぎたのが原因らしいが >>226-227
南方以外で産出する資源はそちらから、どうにもならぬ石油は南方から。妥当ですね。
石油の代替資源が見つかりでもしない限り、太平洋戦争が勃発しない場合は以下のようになる感じでしょうか。
・戦略的にアメリカへの依存度を下げ、南方の石油をより重要視して将来的な対英米戦へ備えた戦備を行う(史実ではそれができぬ内に開戦)。
・アメリカと関係改善して協調路線を取り、従来通り大陸とのシーレーンを重視した戦備を行う。
このどちらを選択するかによって、「太平洋戦争が史実通り発生しなかった世界での1940年代小艦艇整備」は大きく変わる感じですね。 >>228
そこで艦政本部から「将来的に量産型のプロトタイプにするから工数削減を考慮せよ」って指導でもあれば別でしょうけどね。
配備先はともかく北方警備用という事と、「軍艦」だったので場合によっては大陸の砲艦同様に外交的な役割も考慮されたんでないかと。 >>226
中国自体の資源産出もそうなんだけど、
華僑のネットワークによる仕入れルートも馬鹿にできない訳で、闇ルートね。
戦時中に闇市でウラン仕入れたとか、色々すごいからなあそこ。 >>230
外交的な役割とかの部分は簡単に削れます
占守のボトルネックは船体形状そのものです
通常の艦艇とまるで違うんですよ
ネット上で見れるのだとこんなとこですか
https://blog-imgs-51-origin.fc2.com/r/o/u/rouenn/20130105200127e92.jpg
よく見てください
甲板は中央が盛り上がって舷側に向けて下がっていく、丸みを帯びた形状になってるでしょう?
また船体中央部では最上甲板より水線部の方が膨らんでいるでしょう?
この複雑な形状と、それを前提にした構造設計こそが占守の建造を複雑・長期化させた最大の要因です
なんでこんな複雑な形状かといえば、北方警備は氷との戦いだからです タンブルホームに耐氷構造外板、荒天航行と着氷時の重心上昇を考慮した復元性設計、耐寒構造に解氷用蒸気を作る補助缶
艦政本部の要求だろうけど任務の特殊性からしょうがないですわな ええ、困ったことにマル急計画の海防艦でもこの設計が引き継がれてしまったわけで
択捉型はまさに簡易占守で船体形状は基本的に同じですからね 阿部安雄氏は設計発注先の三菱に戦時量産の原型にもしたいとの考えが、
明確に伝えられなかったんじゃないかと書いてますね。
結局OK出してるところから見ると、書いてみただけの要求だったんでしょうかね? まあほとんど顧みられなかったのは間違いないですね
スペック的には確かに戦時量産のプロトタイプにふさわしいのですが >>232>>234>>236
ありゃりゃ…タンブルホームと言われるよか図面見た方が説得力ありますねコレ。
しかしこれしか無い以上はプロトタイプにするしか無いと。
航続距離を除けばふさわしそうな橋立級砲艦をプロトタイプに、ディーゼル積もうとか検討しなかったんでしょうか? >>238
掃海艇は門司〜シンガポール間の護衛に通しで使うには足が短いんだ。 >>215で書いたけど、艦隊掃海艇に対潜艦兼ねさせるのはどこも考えるが
いざやろうとすると使い勝手が悪い >>237
砲艦で船団護衛はやったけど結局対潜能力も対空脅威に対する反撃能力も不足してただろ
狼群とエアアパッチに対抗するにはまず上空に直掩つけねえと なんで船団護衛艦が難しいかっつーと、
一に長大な航続距離、ニに対潜兵装積めるだけ、
三に可能なら対空兵装ハリネズミ、
ていう極端な「単能艦」だからじゃないかな
戦時には唯一の正解だけど平時に提案しても通るわけがないw >>242
平時だと殆ど必要のない船になるかなぁ
予め数を揃えておく・・ってのが無理難題なんだよね これで二十年も三十年も使えるならまだしもあの当時の小型艦艇の寿命じゃあね
当時の制度や情勢からしてアメリカ沿岸警備隊のハミルトン級カッターをフィリピン海軍のコルベットになんて風にはいかないし 戦前にあんな贅沢な漁船使える漁師なら漁に出る必要が無いぞw
一部の遠洋漁業除けば焼玉エンジン載っていれば上等で大半は帆船や手こぎ舟なんだし >>237
橋立に限らず、河川用の浅吃水にあわせてつくると外洋での荒天での復原性に無理が出てくるの
この辺りは水雷艇も同じなんだけど、燃料缶水の消費が多くなるとトリムが過大になったり重心上昇したりで無理が出てくる
>>245
駆潜特務艇は当時の1ハイ船主に使わせるにはちょっと高級すぎる所がありますね
あと、あのサイズで建造するのなら京丸クラスの鋼製船体の捕鯨船(キャッチャー)とか、宮城丸といった各県の漁業指導船クラスまでサイズアップしたい所ですね >>246
いや、借金して買うから漁には出るだろ
まぁ、なんだ、戦争しなけりゃいいな >>248
焼玉エンジンから見たら滅茶苦茶高級なエンジン載せてる、ってのは「維持費が掛かる」って
事でもあるんだぜ。
しかもあの大きさのフネとしては異例なまでに強力なエンジンを選択してる、というのもある<駆特と哨特 >>248
あんなもんを買える様なお大尽なら自分で漁に出る必要はなかろ 特設駆潜艇第十八日東丸がスペック的には近いけど、こいつはディーゼル220馬力
捕鯨船だと340トンあたりが多い、ちょっと船型小さすぎかな。 竹筋コンクリートで250トン、400馬力1軸、12ノット、8ノット3000海里
8サンチ砲1門、爆雷48発
こんなんで良くね? コンクリ船は輸送用でしょ
(磁気魚雷も反応しません >>251
一号型掃海特務艇がまんまそういう船だね ただ武装トローラー(アドミラルティ・トローラー)自体は
WW1時点の漁船を改造できるとか、逆に漁船に戻せるものから
WW2前には、漁船建造している造船所で急速建造できるというコンセプトへと発展していた
フラワー級コルベットは特設艦艇系の最上級で正規艦艇の廉価版という位置づけなので
見た目に反してかなり贅沢
もともと16ノット以上出せること前提で端から重油専焼だったり、
船型が漁船型ではあるけど優等の捕鯨船をベースにスケールアップして
さらに軸回転数上げたり、スコッチボイラーから水管ボイラーに転換したり >>252
せめて船として成り立つスペックで妄想を纏めてくれ >>257
>ただスピードが
そこで2000〜3000馬力級の捕鯨船用機関が必要になってくるわけ
https://s.maki88.com/archives/179
坂上茂樹さんのブログにも出てくるけど、
漁船というよりはもともと貨物船用のレシプロ機関の流れ
ただそうすると造機能力足りないと戦標船との食い合いになってしまう
イギリスは植民地含めて帝国標準舶用機関みたいな扱いだったので余裕があったけど
アメリカとドイツ、イタリア、日本はディーゼル護衛艦を重視していた >>257
せめて重油石炭混焼缶じゃないと使えないからね
エゲレス人もこういうのは護衛艦艇飢饉のときの一時しのぎの案でしか提案してないし
日本も石炭炊きのふねは大戦後期ですら第一線にはあまり出してないでしょ? >>260
> エゲレス人もこういうのは護衛艦艇飢饉のときの一時しのぎの案でしか提案してないし
実際にはむしろ逆なんだけどね
バセット級トローラーが戦前から想定してた補助艦艇
フラワー級コルベットの方が間に合わせの産物「だから」高スペックなの
ASWの一線で通用する性能を求めたから
用兵側の20ノットは欲しい、できるだけ安く
いやそんな無茶なっていうせめぎ合いから
重油専焼、16.5ノット、爆雷40発、投射機2、爆雷軌条2
簡易式ではないASDIC固定装備、
ていうスペックがまとまってくる
だから贅沢すぎて戦前には出てこない 哨戒トローラーとの最大の違いは、速力、水測とパターン投射できる爆雷、
つまり対潜艦としての最低ラインを満たしているかどうか 海防艇とか果たして船として成り立つものだろうか
コンクリート船が戦闘艦艇になるかどうか
ひたすら妄想レベルとは思う >>261
ただ
巡洋型20knオーバーの大型潜水艦が100隻以上ウロウロしてる
太平洋ではフラワーclassの船でもあまり使えなかったんじゃ…
先に出したメクロン或いは上にも出てるブーゲンビルみたいに
(仮装)巡洋艦とも渡り合える火力あるいは機動力を持つ艦艇の
整備に専念すべきだったのではと思ったりする。(拡張の余地あり
後は輸送船の高速化(第4次戦時標準船の前倒し)とか
沈めるのに無駄手間掛かる船(コンクリ製)の大量生産とか >>265
> >>261
> ただ
> 巡洋型20knオーバーの大型潜水艦が100隻以上ウロウロしてる
> 太平洋ではフラワーclassの船でもあまり使えなかったんじゃ…
うん
太平洋のことも考えると24ノットは要るよね、
できれば5インチ両用砲も欲しいなって考えて
実現しちゃったお金持ち海軍があったんだわ >>265
まあ作れないフネの事を考えても仕方ないから、「せめて浮上襲撃だけは食い止めよう」的な発想に留めた方が… >>266
週刊空母とか地球破壊爆弾とか、火葬戦記とかなろうでやってくれ、頼むから 海防艇は、
・回天や海竜などを貨物駅の岸壁から洞窟陣地まで運搬できる超大発的運用
・雑役船(曳船)のように、湾口や港の哨戒警備、武装大発的な自衛火力と小型爆雷のプラットフォーム
と考えたら悪い船じゃないんよね
語弊承知で言えば、駆潜特務艇の2サイズダウン、大発の1ランクアップ的な運搬艇と考えるべき位置づけだね
>>267
米潜の対空機関砲をつかった横殴り掃射とか考えると、量産型海防艦の12センチ砲って捨てられないんだよな
それでも丙型丁型だと人力旋回なので反航してたりすると照準が追従しなくて色々と辛いのだけど 海防艇を100隻、竹筋コンクリートで建造しても
節約できる鋼材は2万トンか
チリも積もれば、、、微妙だな 宮沢賢治の石灰工場を一つコンクリート船専従にするw >>269
G18型空母が本当に10ヶ月で作れるなら
日本だって隔月正規空母くらい作れたんだよな
載せる飛行機がないけど 特設監視艇は速度が遅くても良いんだし、50トンー200トンで1000隻もこさえるんだから
竹筋か鉄筋コンクリート船でよかったんではないのか?
中の人には不満かもしれんが コンクリート船は水線下に穴が開けば
ただちに沈むんだぜ・・・ 日本の場合だと建造実績、もうちょっと言えばどこまで乱暴使いすれば壊れるのかという知見が無いから遠洋漁船クラスでは作り難かったの
米国の場合は内航河川での大型バージで実績あったのである程度の使いどころがわかってたから作ったのであって、特設監視艇クラスのヨットでは量産はしてないし、
このサイズの船だと金網で船殻編んでコンクリを塗り込む形式になるから日本が期待してたほどの期間短縮や鋼材節約には至らないのね
あと、こうしたメッシュへの吹付方式をやろうと思ったらコンクリの吹付、コンプレッサーなんかが大量に欲しいのだけども、日本だと建築的には耐震の観点から薄肉吹付け式の建造物の実績が少なかったため機械自体が少なく、
関東軍の築城本部に試しに買ってた1台があったぐらいって回想もある >>279
陸軍「赤紙だ。左官できるほど健康なら国の役に立てるぞ!良かったな!」 >>280
左官「べらんめぇ、共産党の新聞なんか取らねぇよ!」 鉄筋にセメントを絡ませるコンクリ打ちに、塗慣らし仕事の左官をつれてきてもダメだろJK FRP素材を戦前にどうにかして作るとかのほうがまだセメントに拘るよりましっぽい
どっちも無理だが 水密ではないけど、航空機の補助翼あたりの帆布張りのドープ塗装(重ね塗り)なんかは近いな
繊維を縦横方向の織り重ねて隙間を塗料で埋めて平滑、ある程度の気密を持たせて金属外皮に準拠させる
折り畳み浮舟なんかだとこんな構造のものもあったはず 陸軍の折り畳み艇はベニヤのパネル構造で継ぎ目がゴム板で曲げられるようにしたものだったっけ? 陸軍のカロ艇が海軍の魚雷艇よりもって話も、結局は横浜ヨットの人が
「陸軍はエンジン馬力に併せて船体モデルを縮尺したカクカクな図面もってきたけど、海軍のT−1系の線図をその縮尺に当ててみたら上手くいった」
とか言ってるので、判らない所はプロパーに丸投げで今くいってるパターンよね >>290
横浜ヨットは小型舟艇や高速艇のノウハウはそれなりにあったからな >>289
ヨットやカヌーにハマってたことがあるんだけど
木公三郎先生とか高速艇の丹羽誠一氏とか堀内浩太郎氏とか、
馴染みのある名前がときどき出てきて面白い 甲標的母艦より魚雷艇母艦として千代田は運用したほうがよかった
日本における魚雷艇最大の問題は、洋上運用を考慮せざるを得ずゆえに艇が大型化しやすいことと、それに伴い適当なエンジンがなくなってしまったこと
第一号型魚雷艇を基本として、
2枚舵化、左右の7.7mm×2を前後に配置し、後ろは13.2mmとした魚雷艇(のちに爆雷2発搭載)
2枚舵化、魚雷兵装を全廃して、40mmを前が単装・後ろを連装とした護衛艇(のちに爆雷4発搭載)
これを母船運用に改めれば諸問題も解決する
>そんなのわかっているわ
失礼しました >>293
どのみち空母に改造されちゃうから、陸軍の特殊船みたいなのを魚雷艇母艦にすりゃいいんじゃ。
要は長距離進出を自力航海じゃなく母艦でやりゃいいだけでしょ? 日進(敷設艦甲)が魚雷艇搭載してなかったか?
て輸送任務だけか
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%80%B2_(%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E6%A9%9F%E6%AF%8D%E8%89%A6) 魚雷艇母艦は横山ノビーが小説の中で雲龍をワスプ級揚陸艦みたく改装したのを登場させてたなあ
>>295
水上機母艦は色々な任務に使われるよね
秋津洲も魚雷艇輸送しててアオシマのプラモには魚雷艇がボーナスパーツで付いている 輸送輸送輸送、駆逐艦も軽巡も水上機母艦も空母もみんな武装輸送艦だな 魚雷艇の任務は、艦隊決戦時における敵戦艦隊を護衛している駆逐艦攻撃用
決戦海域近くで母艦の艦尾スリップからの滑り落とし発進、発進後母艦は後方退避
決戦後、再度進出した母艦へ収容
さすが45cm空気魚雷では戦艦に致命傷を与えることは難しいものの、駆逐艦は被雷即一時的に行動不能
甲標的と違って行動半径も索敵半径も命中率もあるし、なにより安い
千代田搭載の場合、艦内7隻(2+2+2+1。艦尾スリップ上にもう1隻)+艦上4隻(隠すなら2隻)、そして水上機12機
日進搭載の場合、艦内7隻(2+2+2+1。艦尾スリップ上にもう1隻)+艦上4隻(隠すなら0隻)、そして水上機12機 米艦隊の外周警戒スクリーンを魚雷艇群で切り裂くには数をどのくらい投入しなきゃならんのでしょうね
そしてそれらは攻撃後の帰投が望めるのかしら 第二艦隊とともに引き裂くから何ら問題ない
従来なら第二艦隊の駆逐艦搭載魚雷の半数程度は外周警戒スクリーン突破時に使われる
その外周警戒スクリーン突破時に使用する駆逐艦用魚雷を減らすのが魚雷艇の役目 そういわれましても、自軍だけ全艦投入で、
相手の想定をいくつに見積ってるんでしょうか? 56フィート/17m型艦載水雷艇は蒸気レシプロの頃は一軸
内火機械化の時にディーゼル1基または石油発動機2基らしい
レシプロ時代で15ノット程度、内火機械だと10.5ノットだから19世紀の末頃ならともかく対艦攻撃に使える代物じゃないよ >>302
それは名前だけ水雷艇で実態は単なる大型ランチだからね
昔の主力艦は実際に小型水雷艇積んでいて砲撃で大破させた艦にトドメさすの狙っていたけど実用性が乏しいんで廃れている 内火艇で敵を駆逐とか…大発で魚雷艇と戦わせる並みに酷いな >>305
前弩級戦艦の時代だったら言うほど酷い話でもない
(艦載水雷艇はその時代だと中型艇に類するくらいの大きさだから)。
で、艦載水雷艇の呼び名はその頃のものだからな。 武装大発が意外に手強かったからPTボートに機関砲搭載するようになったくらい >>299
> そしてそれらは攻撃後の帰投が望めるのかしら
望めないので爆薬をバウに…あれ、前世で聞いたような… >甲標的よりは生存確率高いよ
そりゃ燃料切れても浮いていられるからね、損傷してなければの話だが
発進しても外洋上それも合戦海面で艇体を揚収できるんか
母艦設備を持つ艦でないと揚収できんのだが鉄火場の近傍まで入り込めるのか
結局甲標的の当初構想みたいに攻撃後は乗員だけ収容して艇体は放棄することになるんじゃねえの 最初期案の一つでは内燃機関付きの
甲標的もあったような。
シュノーケル実用してたのか半潜没だったのかは知らんけど。 >発進しても外洋上それも合戦海面で艇体を揚収できるんか
水偵も外洋上それも合戦海面で艇体を揚収しているし
航続距離のお勉強
第一号型魚雷艇 30ノットで210海里 半径80海里程度
甲標的甲型 6ノットで84海里(水上不明) 半径25海里程度
甲標的乙型 6ノットで500海里(水上) 半径48海里程度(トイレがないという生理的問題で) 甲標的の水上航行時は司令塔だけが海面より突き出ている状態
当然波が荒ければディーゼル発電機使用中に吸気をするため開けたハッチから浸水するので、
昇降式吸気筒を設置している 甲標的はフィリピンの作戦で基地に帰還して再出撃できた例があったんでディーゼル搭載の型が開発されたそうだ
ちなみに潜水中はバケツで用を足すのは大型潜水艦でも同じ
日本潜は浅深度でなら使えるトイレが付いてたけどね 水偵って全備でも4トン行かないんよね、直接戦闘が任務の艦艇にも搭載できるくらい
一方魚雷艇は17〜25トンあるので母艦にはそれなりの力量のクレーンと艇を艦上に置く架台とスペースが必要、すぐ近くに戦艦レベルの大型艦が居ても収容はできない
(艦載水雷艇が約24トンなんで戦艦なら吊れるデリックはあるけど置くスペースと架台がない)
結局収容となると武装が貧弱な母艦が敵前へ突入して行なう事に
そして水偵なら1艦で1〜2機、航空巡でも最大6機で済むけど魚雷艇母艦が複数隻の艇を収容となるとどれくらい時間が掛かるのやら 陸軍だとバケツじゃなくて重油入り一斗缶だったな
なんかあるたびにひっくり返るそうでキツかったとか 臭いを防ぐために重油を入れておくのはデフォだけどウンコさんが沈んでくれるとは言っていない(キリッ おーい、甲標的乙型全没排水量48tだぞー
まあどれだけ大きく見積もっても水上排水量43tを下回ることはあるまい
「千代田」甲標的母艦改装時の甲標的想定重量は約42t(「日進」建造時の甲標的想定重量は50t)
甲標的を帰着甲板支柱にある40tと20tの2つのクレーンで持ち上げる(「日進」も同じ)
第一号型魚雷艇の排水量は20t
お前は全く甲標的を知らない 細田守監督の
未来のミライ
で一等輸送艦が出てたのにはワロタ 甲標的発進時42t+97式魚雷2発合計2.1t=44.1tとして、
「千代田」は12艇搭載なので529.2t
4列3段。ただし、1回の発進は6隻
第一号型魚雷艇の排水量は20t(全備)で、
「千代田」の艦内最大7艇で140t
甲標的の幅2倍≒第一号型魚雷艇の幅
第一号型魚雷艇の長さ1.3倍≒甲標的の長さ 魚雷艇なんか無改造の一般商船で運べる
嵐で流されたりしたけど >>323
それな、曳航フックとかちゃんと艤装を準備してなかったらだいたい曳航索切るか、しゃくられて被曳航物を壊すパターンだぞ >>325
「インフラ」と単純に言っちゃうけど、大力量デリックが付いてて
魚雷艇まで搭載輸送出来るアメリカの貨物船と、戦車の輸送時に
デリックの力量の制約が戦車の重量を制約する日本じゃその辺も
全然違うんだよな。
戦前の輸出品目を考えると、日本の貨物船に大力量デリックが求められないのは
当然ではあるし。 往きは綿や絹載せてても帰りは大型工作機械乗せたりしてるわけだが・・・ >>327
そういうために起重機船がいる
必ずしもヘビーデリックが必要なわけではないのだが、定期航路で1航海に1件くらいはそんな大物があるよねってのが米国、
必要なときに起重機船を借りてくれば間に合うよねなのが日本
そんだけの取扱量の差があったって意味やね いや日本にもガントリークレーンのある港くらい明治時代からあるわけだが・・・ >>329
あるけど本当に少数だよ
昭和30年代くらいまでの横浜港の写真とか見りゃわかるけど
つか港じゃなくて船のデリックの話だろ? 船のデリックで言うと日本の高速ディーゼル貨客船に装備されてた物でも日本の戦車くらいは吊れる
ただいっぺんに降ろせないんで港の無い所だと降ろす前に沈められて重装備の大半水没なんて事もある ただし、船のデリックの能力を勘案した結果、日本の中戦車は15トン上限になってしまった 一式中戦車でも17トンだぞ
だいたい商船ならデリック二基で重量物吊る運用とかしてるのに適当な事言わないように 日本戦車の制限て列車輸送とかトンネルとか橋の制限でしょ
船の能力で制限は聞いた事無いな このデリック制限説ってどこから来たんだろう?
陸軍は基本的に対ソ連を考えてるんだから、本島と大陸を優秀船でピストン輸送するだけだろうにデリックが〜とか言うとは思えない 軍は民間船建造の時に補助金出して仕様を変更する事もできたしトンネルや橋みたいに
後から簡単に変更できないってわけでもない
だいいち鉄道みたいに規格が決まってるわけでもない船のデリックに合わせて戦車を設計とか
思いつきで書いたにしても変だと思うだろ・・・ 桟橋の荷重制限がとかデリックの性能がってのは確かに言われてはいたなあ
だけど一番は中国の田舎の一般的な橋の荷重制限だって聞いた気がする
無論国内事情も大きいけど
結局「多分こうじゃね?」って事をもっともらしく言いふらしている内に諸説の一つとして定着してしまったのではなかろうか? 昭和5年くらいから通商保護や哨戒などに当たる防備用艦艇として、沿岸に配置すべき
駆逐艦20隻、
1,200トン級海防艦12隻、
1,500ないし500トン級海防艦15隻、
600トン級水雷艇24隻、
駆潜艇16隻
を常備とし、
さらに戦時の所要兵力として
水雷艇56隻、
900トン級海防艦・砲艦(簡易型、速力20ノット)96隻(重要船舶の直接護衛用)、
1,200トン級海防艦24隻(通商保護の基幹となるもの)、
駆潜艇160隻
の建造案が研究され、
ここに初めて通商保護、船舶護衛などに用いる海防艦の構想が姿を現したのである。
まあ以上は知られている文章 内容を見れば
洋上では当時の潜水艦の索敵能力を考慮してほぼ無視し、むしろ単航する敵(仮装も含む)巡洋艦との戦闘に備える
近海では出入りする港や航路が決まっているので、対潜水艦戦として駆潜艇を配備
防備用艦艇
駆逐艦 隻数から考えて、峯風型・神風型駆逐艦をそのまま
1,500トン級海防艦 単独運航想定。1,200トン級海防艦の耐氷構造版。一部はオホーツク海作戦も想定か?
1,200トン級海防艦 船団旗艦。6インチ砲4門搭載
500トン級海防艦 駆逐艦との併用運航想定。4.7インチ砲2門搭載
600トン級水雷艇 船団護衛艦。汎用(対艦重視)
900トン級海防艦・砲艦 後の橋立型砲艦に近い。ただしディーゼル
駆潜艇 近海用
船団護衛艦艇に正解はない
ただし、造船力を無視して汎用化・量産化を考慮していなかったのは使い捨て薩摩海軍のなせる業か? >>338
沿岸哨戒や漁業保護に北方警備が海防艦の任務で長距離護衛が任務になるのは対米開戦後でしょ 南方の港の荷揚げ荷受け能力が低いのとデリック問題を混同してるだけでないの むしろまともな道路がほとんどない南方だと港に荷物を降ろしても目的地に運べず山積みになるだけなんで
目的地の近くの海岸に直接降ろしてたんだけどね 荷揚げ能力については本土の主要港ですら滞船だらけで
問題になってたからね
この手のインフラ不足はあらゆる所に圧し掛かっていて
戦力整備にも支障が出てる
そして解決の為の資金や資材は軍が持ってってしまうという悪循環
陸軍も海軍も「日本」というタコの足喰いしてた様な所が・・・・・・ 甲標的母艦って発進させた甲標的の再収容は考慮してたのかな?
北上のスリップウェイから回天を投入発進する実験の際の写真だと発進架台は本体と一緒に海中投入する様子だけど甲標的でも同様?
同様なら回天も甲標的も戦闘海面直前で投入後に架台を回収することは考えてないのでは
とすれば再収容するなら収容後に使う架台を予め持っていなければならないが
それと搭載時はバージに載せた甲標的を舷側からクレーンで吊り上げて艦内に取り込むけど洋上に浮かんだ状態の甲標的でも同様にできるのかな?
甲標的の全長に対して収容口の長さにあまり余裕なく搭載には熟練が必要だったそうだけど
あと甲標的の幅=直径は潜水艦史では1.85〜1.88m、魚雷艇各型の幅は特務艦船史で4.3mだそうで
甲標的母艦に魚雷艇を収容するなら艦内の移送軌条や通路、発進口の幅を広げなければならんような、それに通路や発進口の高さは大丈夫? 当時は荷役で滞船なんてどこの国でも普通で運行期間の半分は荷役時間よ
アメリカだろうが893が仕切る荷役人が船のデリックブームで人力荷役して荷抜きし放題
コンテナ輸送とクレーン荷役が登場するまでほとんど状況は変わらなかった >>344
最初の構想では発進後の再収用するつもりだったけど
結局は乗員だけ回収して船体は爆破処理して自沈させる用になった >>345
マーティン・ブランド主演の社会派映画があったような。
それにしても何で輸送関連の話が続いてるんだろ。
蝶々トンボも言うつもりは無いけど流石にスレ違いでは 甲標的は構造見れば分かるけど魚雷撃ったら航行困難だから攻撃後は捨てて脱出が前提
ところがフィリピンで攻撃後に自力帰還して再出撃できた艇があったんで魚雷発射後に
航行可能に改良して充電機能を付加した丁型を作った 無学な甲標的狂ID:vi0FtYJcにエサを与えないでください >>350
占守型が1500トンだなんて書いた覚えは無いんだが・・・
旧式艦の流用が主だった海防艦に新造艦が採用されたのが占守型
任務上航続距離が長くて長距離輸送護衛に使えそうだったから流用されただけで
それまで海防艦の任務に長距離輸送護衛なんて無かったて話は散々既出でしょ 日本海軍中枢は第三次ソロモン海戦までアメリカを格下扱いしていた
おそらく山本五十六など連合艦隊中枢に至っては自分が死ぬまでそう思っていただろう
神風型〜夕雲型各駆逐艦でソロモン方面かつ第三次ソロモン海戦までに撃沈された艦(たぶん12隻)
神風型 なし
睦月型 睦月、弥生、菊月
吹雪型 吹雪、叢雲、綾波、朝霧、暁
初春型 なし
白露型 夕立
朝潮型 夏雲
陽炎型 早潮
夕雲型 高波
半年程度で12隻沈められたら真っ青になるほど、日本海軍の継戦能力はなかった
何よりこれだけ簡単に沈められても平賀譲が東大学長に再任されたこと >>351はあとの海防艦を当時の海防艦に無理やり当てはめてレスしただけか
それなら当然話はかみ合わないわ それまでに撃沈された連合軍駆逐艦の隻数は何隻なんだ
簡単に沈んだとか涼月に誤れw >>353
何が言いたいのか分からん
海防艦と他の艦の用途を混同してるのかね?
港湾防備や輸送船護衛は敷設艦艇や駆潜艇の任務で沿岸航路しか想定してなかったんだが >>335
そうした重量物用デリックを持っている船=大物を運ぶ事を考えている=倉口(上甲板も中甲板も)も大きく作っているとか、
船内の甲板強度的に重量物を補強なしで詰めるって面があるので、逆説的に「○トンデリック持っている船なら○トンはそのまま積み込んでセーフ」な目安はでてくるのを誤読してんじゃないかって気はする 白露型までは軍縮条約の兼ね合いから、排水量を制限されたため少しでも武装へ廻したいため防御を削っていたのはわかるけど、
少なくとも朝潮型からはそういった制限はなくなったので、どうしてシフト配置にしなかったのかわからん
夕雲型の玉波で 1942年3月16日起工→1943年4月30日竣工。これは実験艦島風以外の水雷駆逐艦最終の清霜でさえ1か月程度しか増えていない
(部品がそろえばの話)
この建造日数は第一次世界大戦時の磯風(天津風)型駆逐艦(常備1227t)とさほど変わらない >>357
戦時標準船の各型デリックを見ていくと、
A型はメイン5トン6基、30トンデリック1基。
重量物用で開口部大きいD型も30トンデリック1基ある。
ただしデリック可動範囲外には置けない。
運転技能ある人員居るならパレット敷き詰めた上で甲板、船倉を自走させる手段はある。 >>358
シフト配置で2200トン、在来配置で2000トン、カタログスペックは互角ですとなれば貧乏な日本海軍は在来配置で2000トンを選ぶさ
仮に2200トン許されるなら発射管か主砲を増やすと思われる >>360
なら大和もハッシュハッシュクルーザーでよかった 普通の商船輸送なら砲塔やキャタピラ外した状態で船積みじゃないのかね
輸送艦ならそのまま載せるだろうけど 帰投するまでが出撃です!
って教えそれを叶える鑑定を用意すべきだったな 無学な甲標的狂ID:vi0FtYJcが無学なりに調べて来ましたよ
甲標的母艦への搭載方法ですが
40トンクレーンと20トンクレーンの2基吊りとなるのは甲標的の重量の他に
細長い甲標的の艇体中央にクレーンジブの先端を持って来にくいからでは、と
1基吊りで舷側より内側の収容口まで持って行くにはジブを長く取る必要があるがそうすると旋回半径が大きくなり吊り荷が艦上を通過するエリアが大きくなる
2基吊りで首尾線に平行向きで移動させたほうが空間利用が上手く行く
20トンもなく甲標的より短い魚雷艇でも40トンと20トンの2基吊りしなきゃ駄目かもね
できれば機銃甲板下に白沙みたくガントリークレーンでも付けたいところ(目立ちまくって特殊用途艦だとバレバレになるでしょうが)
あと千歳・千代田は機銃甲板の存在でクレーンの高さを取れない
収容口は機銃甲板の下なのでジブは物を吊った状態で機銃甲板の下を潜らせる必要がある
(40トン・20トンクレーンともジブとポストを結ぶ材が付いててジブは昇降できない様子)
ああ、それと機銃甲板下の舷側部は短艇置き場なんで
甲標的でも魚雷艇でも何か吊って収容口まで持って行こうとするなら
停泊中なら短艇は海上に降ろしててクリアだけど作戦中は上は機銃甲板、下は架台に載った短艇が邪魔ですね
作戦中に収容するならまず短艇を海上に降ろすところから始まるのでは
日進が重機材や魚雷艇を輸送搭載できたのは機銃甲板がなくクレーンジブの昇降、吊り荷の高さで自由度があったからという見方もできませんかね
実際に機銃甲板がない瑞穂と日進は40トン・20トンともジブが昇降可能ですし >>363
一回限りの艦隊決戦で使う予定だったしなぁ >>362
へたに分解すると後で再組立の手間が出るので、普通は弾薬や燃料、車載重機を取り外す程度に抑える
砲塔を外すってのは後で軸心あわせて上手く旋回できるように再調整が必要だから普通はしない 前線じゃ岸壁に横づけして降ろせない事も多いんで艀とか使う
戦車だろうが野砲だろうがすぐ使える状態で揚陸
https://i.imgur.com/REJpXeq.jpg 大発に軽戦車載せてるところかね
中戦車とか特大発要りそうだが バラストタンクに注水して船傾けて、舷側から滑り落とすのはLSTだったか? >>368
横だが>>367は米海兵隊のM2戦車を揚陸準備してるところ
https://en.wikipedia.org/wiki/LCM_(2)
太平洋だと自航できる揚陸艦の耐航性の問題もあるし、地形の問題もあって
揚陸艇と軽戦車に頼らざるを得ない d-dayじゃ浮航改造のM4シャーマン降ろしていっぱい沈没させてたな・・・ >>373
それでも軽戦車やLVTでは過酷な上陸戦には脆弱すぎるから無理したわけで
実際、ソードやジュノービーチは戦車揚陸に成功したことが効いてるしね 揚陸艇で砂浜にのし上げればいいと思っても、砂質によってはキャタピラでもスタックしてしまうから
スノコ状にネット敷いたり、先にロードローラー持ち込んで土を転圧したりと色々大変なんよね 絨毯巻いたボビンを自走させて上陸用の道作ればよくね? ボビンの付いた工兵戦車を揚陸させるための…以下ループ的な あれ?その絨毯巻いたホビンに火薬ロケットぐるっとセットしておいてその推進力で一気に海岸駆け上がればよくね? 砂浜が軟弱だとボビンがとんでもない方向に走るから
ボビンの下に敷く絨毯を敷くボビンをだな… 荷役や港湾に魚市場と運輸系も建設業は
今でもマフィアの凌ぎなのw まあ、ロケット砲を大量に打ち込んだほうがいいな。
硫黄島並に入念な陣地構築してなけりゃそれで終わる。
(米軍並みの物量を前提として) >>384
真面目な話をすれば、人を集める、船や天気にあわせて定時とかカレンダーとかを後回しになる仕事をする、
働きぶりを評価するための基準を体力なり出来高なりとする以上はそれ以外のものを相対的に低く評価する、
そうした商売で有る以上は仁義の切り方なり、自力救済どうしのメンツの保ちあいが先に来る文化になってくる
今の日本がある程度穏やかになっているのも、そうした仕事のやり方を暴対法なりで裏口潰していったことや、入れ墨追放なんかを営々努力し続けた結果よ
それでもまだ、「侠気51%が山口組、堅気51%が上組」とか言われるような雰囲気は残っているわけ デリックなんか国策で昭和13年建造分から20t対応型しか認めないとかできただろ
接地圧
95式軽戦車(形式不明)0.646kg/cm2
97式中戦車(ノーマル)0.64kg/cm2 (47mm砲搭載は0.663kg/cm2)
三式中戦車0.77kg/cm2
四式中戦車0.82kg/cm2
M3軽戦車0.736kg/cm2 (A3は0.75kg/cm2)
M4A1中戦車初期0.9661kg/cm2
三号戦車D型0.65kg/cm2
四号戦車D型0.71kg/cm2
T34/76(1941)中戦車0.74kg/cm2
Jagdpanzer 38(t) Hetzer 0.85kg/cm2
大発動艇(D型。基本ペイロード12t)で無理やり全備13tの89式中戦車を載せたけど、
全備15tの97式中戦車(ノーマル)の搭載はできないため特大発動艇を作り運用させた(これでも基本ペイロード16t)
特大発動艇(基本ペイロード16t)-銃座=十七米特型運貨船(基本ペイロード16.5t)
超大発動艇:艇長20.5m 基本ペイロードおそらく18.5〜20t(資料がない)
大発動艇(5式大型発動艇):艇長20.5m 基本ペイロード30t >>387訂正
大発動艇(5式大型発動艇):艇長「25m」 >>387
助成、許可制度でなく、強制的な「標準船」を選択させるためにはどこから海事行政を改変しないといけなかったのかぐらい考えよう 標準船が強制だぁー
バカかお前
強制ならコンクリート船を無理やり作らせることができるだろうが >>390
無理矢理作らせて、やっぱりダメだったんだからキミの負け<コンクリート船 コンクリ船は機銃掃射に耐えたんで沈まずに済んだ事があったとか コンクリート船はある程度の損傷を被ったら修理は鋼船より面倒じゃないかね
まぁそんな損傷したら既に浮かんでなくて修理は必要なかったかも知れないが コンクリ船(EC型戦時標準船というより武智丸型)は、造船所のほとんどが鉄と電気の供給量を減らされたくないため建造拒否を行ってしまった
なので作ったのが土木会社(船体のみ。艤装は三井玉島)
作られたコンクリ船は音響起爆式機雷の信管作動に必要な音量をコンクリートが吸収してしまい、
2E型戦時標準船さえほとんど抜けなかった関門海峡すら抜けて日本海−瀬戸内海の輸送を行っている(同所で触雷したこともあったが小破にとどまっている) 特に第二武智丸は3回触雷・神戸でP-51の機銃掃射をうけ32発の弾痕を受けたが、その都度「沖」で直している
なお、第三武智丸は小豆島の沖で触雷沈没している(水圧式か?) 武智丸は見に行ったことあるけど
あんなちっぽけな船が輸送船として
外洋まで出ていたことに
驚きを感じざるを得ない・・・ 当時は干舷が無くなるほど荷物積んで舳先に座って足を降ろすと海面に足がつくような状態で
航行してたくらい
だから小さくても意外に荷物は運べた・・・何かあったら一瞬で沈むけど >舳先に座って足を降ろすと海面に足がつくような状態
「モニター艦(エリクソン式砲塔のほう)は石のように沈む」というのを思い出した
コンクリ船は機銃掃射なら耐えられるけどロケット弾以上を受けたらどうなるんでしょ >>386
昨今各団体で分裂しているのは
同和と在日の対立からそらあ在日wは潰すでしょw
それと半グレを使うからややこしくなっているのw
もう米も餌をやらなくなったし()w
鎬も大変でつねw コンクリ船を持ち出さなきゃいけなくなった時点で諦めろ >>394
既設の造船所が乗り気でなかったのは鉄と電気の配当が減るってのは裏付けないぞ
一応なりと(材料が届く限り)軌道にのっている現状の量産システムを0からやりなおし、コンクリ打っても2週間は養生期間が必要になるという所での船台のスケジュールが狂って建造線表が維持できなくなるため
そもそもコンクリ船の計画経緯が鋼板の生産量減少を補うためのアイデアの一つなのだから、引き受けたら鋼材配当を減らされるからという説明がおかしい コンクリ船の機銃掃射とか衝突の修理を沖でやったというけど、その前に造船所に入れてセメント補修させたけど
鉄船と勝手が違ってすぐに剥離とかおこしたから、沖で損傷個所はつってセメント盛り直したって話
ネタとして面白いからスゲー優れていると書きたがる人が多いけど、向き不向きがあるってだけ 輸送艦船スレがないからここでやるか
第1次戦時標準船は戦争後使用も考慮されていたため、丁寧に作られている
量産性を欠いたリバティ船といったところか
しかし、第2次以後の戦時標準船は二重底や隔壁の各廃止をしており、GHQですらそのままでの利用を禁じたくらい
要するに座礁してもすぐ竜骨が折れて使用不可
こんなレベルだから、(爆弾とか)被弾したら即終了というのはコンクリート船でも第2次以後の戦時標準船でも同じ
なら、日本でふんだんにある材料にて作るのが国力低下率の観点からも重要 >>407
いや、みんながツッコミ入れてるのは
「材料あれば作れるってもんじゃないぞ」
って事なんだが。。。 >コンクリート船は、通常の船舶と異なり耐水性・水密性に優れるが、大量の型枠用木材など費用は鋼材船の2倍を要し、建造はコンクリートの性質上冬季でも温暖な地域に限定され、鋼材船の代用品でしかなかった。
(Wiki「武智丸」より)
まぁ鋼材が欠乏して、それでも金が掛かっても構わないから喉から手が出るほど船が欲しいという戦時の追い詰められた状況でないと手を出さない代物だよねえ
「松根油は神風だ!」的な悲哀を感じる 型枠のコストについては、
再利用出来る鋼性型枠を使うことでクリア出来る >>410
「鋼材が不足している」から代用材料としてコンクリート使おうと言っている時に、「再利用出来る鋼製型枠を使う事でクリア出来る(キリッ」
なんて言い出す奴は大体無能でバカだ。 >>411
本当にものを知らん奴だな
鋼製型枠ってのはあくまでも一つの例であって
別にアルミ製型枠でも良いんだぜ? 松根油こそアイディア倒れで実績無しの徒労だったわけだが・・・
状況次第で橘花の燃料には使えたかも?って程度
まだ大豆油の船舶燃料のが実績があるレベル >>412
「鋼材が不足している」時で、「航空機の生産に注力している」状況で「アルミ型枠でもいいんだぜ?(キリッ」とか
言い出すのは大体無能でバカの上に間抜け野郎だw なんでここまでコンクリ船に拘泥するんだろ?
「コンクリ船こそ船腹不足の救世主!」とか? >>416
繰り返し使う単能機材に部材が割ける余裕があるなら「金属供出」なんかしてないだろ。 鉄製の型枠云々は満州で連続検討を企図した川南造船のアイデアの一つにはあるのだけど、
実際の事を言えば良い剥離剤が無い限り付着してしまうので、あの時期の日本だと要注意の技術よね
<剥離剤との相性にあわせると海水中でのイオン化で溶けるコンクリになったりする >>420
雪風なんか菊水作戦の時に天ぷらの匂いだったらしいね。 生コンを枠に流し込むから不味いんで
左官がコテでペタペタと完成まで不休でやればええねん レゴみたいにコンクリブロックを組み合わせるブロック工法()でいいのではないだろうか >>422
型枠とコンクリの間にコンニャク塗った和紙を挟めば良いだろ こうなったらもう副業でアイドルやってる某農家グループに証明してもらうしかないんじゃ? >>426
コンニャクと和紙は戦略兵器枠で全部持ってかれてるからナイナイよ むしろ蒟蒻で船作れば、砲も魚雷もボヨヨ〜ンと跳ね返すと思うわ アルミの型枠ね
アルミは電気の缶詰と言われるくらい精錬に電気が必要な事をご存知ないのか・・・
若しくはそれを分かっていた上で、戦前〜戦時中の電力供給量がふんだんにあったと考えているのか・・・
色々と謎な発想だな >>430
次はジュラルミンと言い出すんじゃないか? もし鋼材に余裕があっても感応機雷に強いとか口実を付けて何としても工数と費用がかかるコンクリート船を作りたいのかも
セメント業界からの工作? >>432
コンクリートって何を何を混ぜて硬化させるんだっけ?w >>434
豆乳(遺伝子組み換えでない)と、にがり(塩化マグネシウム) >>424
だからそれが>>283のフェロセメント船
型枠使う代わりに金網に塗り付けることで鉄筋としての効果も持たせる
19世紀からある技術で比較的軽量で実用的だけど、連続建造に向かない
コンクリートシェル構造とかで型枠を離型できる技術は
>>422の言うようにまだこの時代にはない
最近ポリマーを使って型枠再利用するやり方もでてきたらしいが 土木業界というよりも、造船業界が海軍主導の戦時造船に組み込まれた結果の陸軍系の小型内航船のために統制外の業種を使うためってパターンだろうな セメントは日本で唯一自給出来る
マテリアルの一つなんやあ><; w でも、そのセメントを焼いて作るキルン(炉)は、1/3 は外地に展開した作戦軍の需要の為に搬出し、1/3 は航空産業用の軽金属精錬に転用移設されたので、実質的なセメント生産量は 1/3 に落とされているんだよなあ >唯一自給出来る
>マテリアルの一つ
んん?
重隅だが「唯一」自給できるマテリアル「の一つ(=二種類以上ある)」って何かおかしくね?
セメント焼く燃料って石炭だっけ 鉄鉱石が無ければ砂鉄から高純度の製鉄する日本舐めんなよ 木炭で踏鞴製鉄っすか
近代の戦需を賄うには山はいくつ禿山に変わるのだろう >>441
毎度のことだが、突き詰めてくと大抵の結論は
「みんな貧乏が悪いんや!」
になるのがナントモ… 金持ちに喧嘩売っちゃいけないよな
って最近の国際情勢みていてつくづくと思うわ >>444
戦時中も大車輪で作ってたんだぞ!
まあそれでウハウハしてた人達いたし 今でもたたら製鉄並みの高純度の製鉄は特殊な設備を使わないと無理
さらに超純鉄まで作っちゃったのが日本 >>449
…でもそれで戦争に勝てるか、となるとな…。 火縄銃に使われてた螺子の作り方が分からなかったからって手で削って作って量産
見本置いていったオランダ人が今度は売り込みに来たら大量の日本製の銃に白目剥いた有様 >>451
まあ、ウハウハしてたのと関わってたので<ミーの祖父
ただまあ、焼け石に水やね >>453
逆に言えば、それだけ国力も生産能力も無いから貴重な生産力としてウハウハできたと言える。
大抵の産業がそうだけど、最後なんか事実上軍に接収されてたんじゃ? >>454
それあるな
米とかもちろん軍需景気ではあるけど戦時でも普通に競争激しかったし >>452
火縄銃のネジは、ヤスリで一個ずつ削って作っていたんだよ。
そのできたネジを使って、赤く焼けた銃身に入れて、カナヅチで
叩いて、あとで外して、めねじを作った。
火縄銃はカスがたまりやすいので、ネジは回して外せるようになっていたとは
思われる。 >>456
そりゃ作り方知らなかった日本のやり方w
欧州じゃ15世紀から初期の旋盤で転造してるw 幕末に欧米に視察に行って、ネジを機械で作っているのを見て驚いて、
1個のネジを大事に持ち帰って遺品として現存していたな。個人名は忘れたが、
幕府幹部。
小艦艇の話に少し戻すと、軍艦の鉄板つなぎ合わせは、鋲打ちだったが、
爆弾があたると、鋲がゆるんで水漏れするのと、溶接の方がつなぎ目で重ねる必要が
ないから軽くできるので、太平洋戦争の少し前あたりから電気溶接になったはず。 溶接は突き合わせだけじゃなくて当てがね重ねへり継ぎ手とか結構な種類を使い分けるんだが 電気溶接を広範囲に用いた最初の艦艇はS2年度計画の八重山II
その後S8年度計画の大鯨でえらい目に遭う
第四艦隊事件で溶接の発達にブレーキが掛かったのは痛い
まぁ溶接が発達したおかげでブロック工法での急速建造が物になってた訳ですが >>461
アメリカなんか1945年の時点で重巡の艦首を荒天でもぎ取られてるし、問題は早く分かった方がいいのよね。
まあ一番はもちろん「多少の問題はあってもそれを埋めて余りある生産力」なんだが。 >>459
その話って最終的に本田宗一郎がプラスネジをアメリカからこっそり日本に持ち帰る話じゃなかったっけ。
TVでこの前見たような。 >>459
このスレでそういう適当な事書くのは感心しないな。
日本の海軍で最初に全溶接を取り入れたのはスレ住人の殆どもよく知るように「大鯨」の建造時になるが、
これまたよく知られたように、2万トン弱の艦体がサギングを起こしたりして何度か艦体を切断して応力を逃がす工事を
してたりする。
そういう知見が有ったから、それ以降の建造艦艇では鋲打ちと電気溶接を併用している方が多い。
溶接自体が当時の先進技術だった事も有って判らない事も多くて、アメリカでもリバティ船が熱性脆化で進水後に両断して
沈んだりしている事例もある。 戦後のアメリカで注目されたのは、戦艦大和の建造技術よりも戦時標準船2Eの溶接量産技術だった!という与太話を思い出したん そりゃ大和は冒険できるフネじゃないし。そのわりに18インチ砲艦としてはコンパクト
すぎるという話も聞くけど。
2E船は尻についた火が盛大に炎上したから出来たフネだろうwww >>465
それって「ああ日本でもやってたのでできたのね(じゃあウチの下請け頼もう)」って意味での注目だったような。 アメリカから見た2E型なら「こんなもん使ってたのか!」といった悪い意味での驚きしかない様な気が・・・・ 第二期戦標船は簡略化しすぎで後期にまた変更したくらい不出来で戦標船全部駄目伝説になったレベル どうせ一年もつかどうかだからなんて酷い理由で簡略化されるんだからなあ >>468
一応与太話によると、「2E型の工場はリバティ船よりも効率的になるように建造されている!」とアメリカ人に驚嘆されたそうな
ただしソース不明 >>461
第四艦隊事件で溶接の発達にブレーキが掛かった
というのは確かに有名だったな。
それで鋲打ちにある程度もどったんだよな。 >>459
面倒がらず「幕末 使節 ネジ」とかでぐぐれば速攻で小栗上野介(小栗忠順)の名前が出て来る >>471
改E型向けの4造船所(三菱若松、播磨松浦、川南深堀、石川島東京)とか、三菱広島のようなA型専用の造船所のレイアウトとかをみて、
造船所の流れ作業とか、タクトシステムがある程度機能している所をみて評価をしているのは確か
ただ、リバティ船以上云々ってのは当時の造船学会の引用記事とか、元造船官の堀元美や東京帝大の吉識助教授(当時)の回想だと見たことはない
あくまでドックをたくさん作って、ブロックを大型トレーラーでガンガン運んで力任せにやる米国式とはちょっと違う、船台一つに対して真横にブロック工場をつくって横持ち距離を最短に、船台占有時間を最短に組む管理システムという所の評価だったと思う >>このスレでそういう適当な事書くのは感心しないな。
>>面倒がらず「幕末 使節 ネジ」とかでぐぐれば
アタマは良いのに、攻撃的な言葉を付け加えるから
敵を作る言い方だわ いつの間にか来なくなったけど居たね
うろ覚えや半端な下調べをそのまんま書き込んで突っ込まれたら「知識量はあっても人格形成に失敗しているな」とか嘯いてた人
自分の不備は棚に上げ人格攻撃で自尊心を満たす時点で「人格形成に失敗」の域と思うけど
>アタマは良いのに、攻撃的な言葉を付け加えるから
>敵を作る言い方だわ
これは「攻撃的な言葉」「敵を作る言い方」ではないと思っておいでの様子 何の前置きもなく当時の新聞記事文をコピペし始めて
「いきなり貼られてもそれで何を言いたいのか分からない」と言われたら「分からないなら去れ!」とか言い出した事もあったねぇ
まぁその御仁とは別人だと主張するだろうけど
アンカーの付け方が違う程度でやってる事言ってる事は酷似しているため
もし本当に別人なら文体と内容を改めたほうが同一人物の謗りを受けずに済むのでは そんなことはない・・・違うと思いますよ・・・・
そんな気持ち悪い言い方・・・・・・
特定はできたな。ヤホーID で hige4005 だ。
hige4005は、執拗な嫌がらせを繰り返しつづける、すげー嫌な奴。
これで、ネット情報として、hige4005は悪名が記録されたよ。
よかったね。本も出してるね。
(仮題)Fictional exciting battle of World War II powered by Chiebukuro (ナナこのシリーズ)
nmuras (著), iikuni1180 (著), fuji mikasa (著), u samonji (著), oumumaru (著), wakka obgy07 (著), typa97fighter (著), その他募集中 (著) hige4005 (著) (著), ナナこのパパ (編集)
これでお前は終わりだ。執拗な嫌がらせを続けるから
こうなる。 あとで実名も判明するだろうよ。北海道で農業やってるというのは
ダミーの欺瞞情報だろう。 IDをコロコロ変えて書き込みするのは、悪いことをやってるのを自覚
しているのに、なんで改めないだろうね。 追記で^^;
すみませんお互いに行き違いがあったようです・・・。
質問を立てましたから・・・・・それを見てください・・・謎は解けたと思います^^;
失礼しました。
上記のような、こんな言い方できるのにね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12121022972 hige4005でぐぐったら、でるわでるわ。
こんなつまらない文章を読むのは苦痛だわ。 あとは、hige4005と、このスレの発言を
いちいちリンクして、思い出して
本だのネットで登場したら、くりかえし書き込んでやればいい。
hige4005が俺に対して悪口を続けてやったようにね。この原因は
加害行為を続けるhige4005本人にある。今回もまたやったから、
仕方なく、こういう対抗措置をとっただけ。 結局、 ID:b/eE4bFA=ID:rXgUvkxw=人格形成に失敗したな氏 でFA?
で、このスレにこの御仁は要る?要らない? hige4005(一応ウロボロス)
職業 :農夫(完全ウソのダミーではない)
自己紹介 :水虫持ちの蒼き変態さんです。猫が好き。
ただの変態じゃなくて、記憶力を駆使して相手を非難することが多い。
自己IDは毎回変える。
以上、ネット上で情報保存 >>486
俺のIDをNGワードに登録するといいよ。
一日変わらないから。
お前のIDはいちいち代えてくるので
表示されてしまって困る。 >>486
hige4005 は、いつもの調子はどうしたの?
やってることはせっかくの記憶力を
そんなことに使っているのだからねえ。 Yahooで過去のhig******情報を読むと、自己の個人情報も
ときどき書いてるから、本名特定は時間の問題だな。
・・・・・・というクセのある書き方をしなければ、改めていれば
わからなかったのにね。他の人からの忠告を無視しつづけたせい。 yahoo知恵袋で最新は、
hig********さん リクエストマッチ 2019/7/1419:14:48
すでに出てますが霧島、比叡、榛名、金剛ですが
霧島は、眼鏡をはずしてる画像ですね^^;
だな。ここの質疑応答で、hige4005が5chでどんな態度をとっているか
正体の悪事を暴露すれば、他の人からの過剰な好評価を、真実値に戻すことができるわけだ。 >>486
hige4005はこのスレに要らない。
どうせ別IDで他人のふりをするなら、
別人になりきれば、いいんじゃないか。
無理か。 ID真っ赤に染めて何レスを私怨の「対抗措置」でリソース無駄使いしてまともなレスを押し流し続けるか見物ですな、ID同様に顔も真っ赤で今夜は眠れないかな?
そして別に幾らでもhigeとやらへ「対抗措置」をぶち込んでくれていいのよ?
こちとらそのhigeとやらとは方位も距離も高度も全く違う所に居るんでhigeとやらの本人特定に成功しようが何らダメージを受けないんですわ(自分の知識と判断は絶対に正しいと盲信してる誰かさんはハッタリと捉えるだろうが)
一方的に罪を被せられたhigeとやらには一応気の毒だが、どうぞ存分にその勝手に決めた仮想敵を誤射して昂ぶり狂う自尊心を慰めてくださいな
あと、人格形成に失敗したな氏は過去の恥ずかしい書き込みを掘り出されると発狂するのか
じゃあ幾つか
・リバティ船は喫水が浅く大河を遡れるからリバー(河)船
・艦首のフェアリーダを「波除け」と言い宇宙戦艦ヤマトの画像を貼る
・那須戦争博物館のおじか(生名)艦首に付けられた菊花紋章を「サイズがだいたい合ってる」
まだあったっけ?必死チェッカーで執拗に他スレでの書き込みを追跡してたのもあるか? hige4005とは別人で、
>>493のような執拗な中傷癖のある人物がいる
ということで判断しとくよ。
リバティ船=リバー(河)船 と誤判断したのを
しつこく持ちだして攻撃しているのは>>493本人だから。
文中に ‥‥‥‥ という書き込みをしているのが特徴だから
それをキーワードに検索をくりかえせば、どのみちわかること。別人かどうかもね。 黒人の船底勤務だ、異常な25ミリ話題推し&昭和の遺物ネタも追加ヨロ 陸軍の大護衛艇ってあるけど、魚雷艇じゃダメだったのかなコレ >>498
船体の構造的に機帆船というか駆潜特務艇に近い存在
魚雷艇みたいな滑走して高速を狙うタイプの船は外洋のうねりに乗るとスピード出せないのとガソリンエンジンが長時間運転に向かないので、
例えば台湾〜沖縄本島くらいの距離を走りたいのなら護衛艇みたいな構造の方が多少の時化でも走れるって利点があると思う >>498
魚雷艇や航空機などからの脅威に対して護衛する、いわば「魚雷艇駆逐艇」だからねぇ。
いずれ多用途化を求められるとしても、護衛対象にさほど航洋力が無きゃ、外洋で魚雷ぶっ放す駆逐艦になりようも無し。
じゃあ拠点防御はどうするって、そっちは専門の軽快艇に魚雷積んだ方が理にかなってるだろうし。 魚雷艇なんかは海峡とか沿岸部の比較的波の穏やかな海域で使うんで滑走艇が向いてる
時化てたら魚雷艇サイズの小型艇はどっちにしてもまともに走れないよ
陸軍の場合は中国沿岸部や河で使うから喫水が浅くてジャンクより速いなら何でもよかった
海軍が新型魚雷艇の設計に利用した陸軍のカロ艇は滑走艇だし 何レスも使って他所の住人を晒し本名特定を仄めかすとか如何に5ちゃんでも迷惑行為だよ・・・・
どうしてもやりたければここを巻き込まず一人で最悪板あたりでやってくれんかね >>501
その回想は陸軍の高速艇関係者が元ネタだけど、その陸軍のカロ艇の線図を実際に引いた横浜ヨットの中の人はカロ艇の線図はT0系の尺度合せしたものと言ってるんだな
だから陸軍の方が優れていたとするのは短絡的な評価(というかウラ取りしてない)で、大量生産をいっぺん忘れてエンジンに併せて設計した陸軍系があの時期はイイ性能を出したのだと評価しなきゃいけない
エンジンが同クラスになる91式空冷とか71号6型を積んだ魚雷艇がより高性能を残し、300隻の大量生産のために旧式の空冷エンジンを無理やり積んだ艇がダメダメで、そのダメダメな艇と比較試験をしている所を意識してみないとイカンのね >>503
いや手頃なカロ艇を参考にしたのは語られてる話だし陸軍が海軍より優れてるだなんて
尺度にもならん話はしてないんだが・・・
だいたい魚雷艇に適当なエンジンが無くて古い航空エンジンや自動車用エンジンを
改造して載せたりしたのも急ぎで必要になったからよ
米軍でも慌てて戦車に航空エンジン載せてたくらいだし 本気でhigeとやらを叩きたいなら5ちゃんよりもhigeとやらが実際に活動してる知恵袋でやればいいのに
それをやらないのは衆人環視の元プロフ出して見識知識が下なのを晒して敗退するのと人違いだった場合を恐れて
だからネットの掃き溜めの隅でポーズだけ威勢よく愚痴るだけ
相手の手が届かない場所から名無しで陰口大言壮語って悪い意味でのねらーそのものの性根だけど
煽られ耐性がゼロ未満じゃあねらーは向いてないな >>504
うーん、微妙に話が通じてないなあ
あの陸軍のカロ艇と海軍の乙型の比較試験をしている段階で、陸軍は旧式だけど水冷の航空エンジンを使用して試作で、海軍はその次の段階での空冷エンジンで無理している段階なんよ
だもんで、あのカロ艇を参考に乙型をってのは陸軍関係者の回想だけの孫引きなんよ
その巷説としてのカロ艇を参考にしたというのはあるのだけど、その内実は海軍と横浜ヨットで蓄積していたT−0系の船体モデルをエンジン出力にあわせてサイズダウンしたものだし、
陸軍は陸軍でいいエンジンがなくなったらもう作れないと認識しているし、そのため海軍みたいな空冷でなんとかしようとせずに、あっさり諦めて徴用の機帆船や大発で代用している >>506
日本造船史がソースのwikiの記述は間違ってるという主張なのかな
当時は陸海軍が予算取り合いしてる仲だし企業は片方の補助金で開発した物を相手に提供するのに
納得できなくて会社の中で陸軍と海軍で課を分けさせられてたくらい
同じ会社でも陸軍側のデータは海軍が勝手に使えなかったわけで陸軍の協力があった
て話は辻褄が合うと思うんだけど? CMB直系の高速艇甲、排水型の乙と、
MASに強い影響受けたがステップ排したVボトムのT-0、T-1は
技術的に大きく違うんだよな
キャビンテーションの問題とかラダーの配置、軽量木製船体とかは
海軍側と横浜ヨットでテストを繰り返してノウハウ蓄積してる
ところがSボートに刺激されて甲型魚雷艇へと移行したので
宙ぶらりんになっていたところに入ってきた発注が陸軍の高速艇丙、
ここで得られた運用実績を参考にしたのが海軍の乙型という流れかと 高速艇の建造は軍という単位で見た場合あくまでも傍流のエピソードなので
日本補助艦艇物語にしても日本魚雷艇物語にしても、筆者が
>>506の言うような当時の横浜ヨットの内情に踏み込めてない感がある
戦後、舟艇協会にいた関係者が存命のうちにまとめていたら
もうちょっと整理できたかもしれないが むしろ陸軍船舶部を知らなさ過ぎるんじゃないかね
カロ艇に限らず軍用艦艇全般の開発設計しててノウハウは製作を行った企業だけの物じゃない
○ゆの開発で海軍が協力したように魚雷艇開発で陸軍が協力したのは事実だろう >>505
句読点(、)を付けてね。他の書き込みでもね。
執拗なリバティ攻撃は一人だけで(そんなに楽しい?)
逆にキーワードに使えるからあと「、」で特定しやすい
じゃん。過去スレ検索は面倒だからあとで。 つーか、びっくり。
「。」もついてない投稿がここで連続してるじゃん。
自分に対して自分でコメントしてる・・・別人になりきっているんだからいいか。 >>510
陸軍船舶部なめてんのか!て話じゃなくて、
この手の木製ハードチャイン魚雷艇ってすごく特殊な代物なんですわ
カロ艇自体は陸軍のものだから>>507の海軍が同規模の艇開発するときに
陸軍に断ってデータ見せてもらったり、テスト用に実艇もらうのはわかる
でもアジ歴のカロ艇線図見てて思うけど、設計に携わりそうな人って
戦後考えても艦政本部第四部関係者で誰と誰かなってレベルなわけ
鋼製の大型船体なら沢山いるけどね
陸軍独自開発なら、滑走艇の専門家養成して実験蓄積していたことになるけど
1930年代以降の滑走艇の技術革新に知見があって、参考文献集めててとなると
かなり絞られてくるわけで 打ち間違えてた
キャビンテーション>キャビテーション >>515
特殊な船でデータ蓄積が要るから専門家ほどデータたくさん持ってる所に協力頼むと思うぞ
だいたいその専門化が陸軍の作ってる滑走艇が優秀だと判断したから参考にしたんだろう
何をムキになってるのかね >>517
ムキにとかそういうことじゃなくて…
もしそれが正しかったら、日本の滑走艇設計にかかわった人たちの
相関図が全部変わるんで、今までの本は全部無価値になるし
ゼロから改めて調べなおしていかないといけない話なのよ 変な例えだけど、九試単戦て実は三菱でも堀越チームの設計でもありません、
二年前に原型機を陸軍と中島で作ってました、とか言われたら、
そりゃ大変だ調べなおさないと、てなるじゃないw
そんな高度な話じゃないけど要はそういうこと >>518
滑走艇の設計担当してた技師でも滑走艇の開発しかしてなかったわけじゃないだろう
関わってなかった技師でも必要になれば開発に参加する
海軍の開発が止まってる間に陸軍が研究してたんだから陸軍の方が進んでても変じゃないし
有名な技師じゃないと優れた設計ができないってわけでもない
日本は天才より無名技術者が支えたのはよく語られる話だし >>520
>海軍の開発が止まってる間に陸軍が研究してた
時期的にT-0以前に陸軍で開発が先行していたことになるんだけど
戦後の業界でもまったく無名?テストベッドの記録は?
むしろMAS輸入のきっかけは?て話になっていくわけですよ まあ陸海で人的リソースも分ける建前でも、同一人物が両方のバッヂ持ってて適宜付け替えるような運用の会社もあったし…… >>521
そりゃ終戦で資料は燃やすし開発から離れた技師なんかいくらでも居るだろ
設計なんかしてるより田舎に帰って畑耕さないと生きていけないとか
陸軍船舶部って画期的な船とか結構作ってるけど開発者の話なんか見た事ある? >>523
もし陸軍の滑走艇開発で資料や文献をご存知ならご教示願います、割とマジで >>524
そんな物は見た事も無いけど海軍の技術者が参考にするような船を作ってたのは事実だからね とりあえず陸軍の滑走艇開発は1926年にイギリスから輸入した魚雷艇かららしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%80%9F%E8%89%87%E7%94%B2
やっぱり技師の名前とか出てこないけど海軍に技術協力したくだりは出てる
中国沿岸部で活動するのに小型高速艇に関心があったのは説明されてる 陸軍て海軍が関心薄かった頃からワンワンレーダー開発して配備したり我が道を進んでるなw 陸軍が海軍より10年以上前から高速艇の研究してたのも知らず
ボート屋が魚雷艇を開発してたみたいに勘違いして珍説吹いてたって落ちだったのな >>526
高速艇甲の原型になったと言われてるソーニクロフトCMB40フィート型は
技術的には1910年頃に作られたスピードボートの延長線上にある
https://spitfiresofthesea.com/an-offensive-need/
ステップ付のラウンドボトムでWW1のイタリアMASも基本的には大差ない
ところが、小山捷氏か丹羽誠一氏が書いてたと思うけど、
30年代中盤の海軍の魚雷艇への再注目はステップの無いハードチャインV型ボトムの
BPBやヴォスパー系列の艇を日中戦争中に鹵獲したところから始まっていて
ここで大きく設計の傾向が変わっている
もちろん輸入した新型のMASも参考にしてるけど、
海軍技術研究所の水槽で行われた実験結果をもとにして船型決定、
建造したのがT-0、T-1という流れ >>528
横浜ヨットがなぜ重要かっていうと、ダブルorトリプルプランキングの
ハードチャインVボトム艇は建造ノウハウ持ってる場所が少なくて
隅田川造船よりむしろこっちにやらせる必要があった だから>>506のカロ艇は実は海軍と横浜ヨットの線図を利用して〜て
話は時期的にも建造場所的にもすごくすっきりする話なんだけど、
いやそんなことはない、てなると陸軍独自の開発系譜を調べないとね、
て言ってるわけで >>528
>陸軍が海軍より10年以上前から高速艇の研究してたのも知らず
海軍がCMBになぜあまり興味を示さなかったのかというと、
単に無関心ではなくCMBの航洋性の低さから、利用価値が低いと見做してたことがある
BPBやヴォスパー系列はWW2中のMTBやMGB、PTボートの基礎になっていて、
CMBに比べて航洋性が大きく向上している
ここで条件次第では太平洋でも結構使えるんじゃね、という話になって
注目が高まってきたわけ
陸軍は上陸用舟艇や河川用舟艇の延長で考えてるからこの辺のハードルは低いけど、
カロ艇以前に新世代の航洋滑走艇に注目していたり実験艇を建造していた
記録はあるだろうかと >>532
だから海軍の水槽での実験結果が言ってるじゃない
ただ上でも書いたけど、単に線が引ければ従来工法で建造できるわけではなくて
木製軽量船体のノウハウがないとこの手の艇は無理なのよ >>503でカロ艇はT-1のスケーリングだと主張してるのに>>529でT-1がカロ艇の原型と
イギリス艇と異なる型だと言ったり支離滅裂に見えるんだが・・・
結局>>531は陸軍の開発を知らなかったから想像で思った話なんだよね? >>535
自分は>>503とは別人なので、念のため >>535
>陸軍の開発を知らなかったから
そりゃそうなんだけど、
でも>>526だって結局、ウィキペディアの記事持ち出して
1926年にイギリスから~とか言ってるレベルなんでしょ
そんなこと自分含めて誰でも知ってるわけで、
「陸軍が10年先行していた」という言葉の内実を知りたいのに
それ持ち出されてどやあされても正直困る >>537
イギリス艇を輸入してから陸軍が改良してたのはwikiでも書いてるレベルだろ
開発者の名前が分からないから造船所でパクったとか主張するのは珍説以外の何なんだよw >T-1がカロ艇の原型とイギリス艇と異なる型だと言ったり
読み間違えてるのかもしれないけど、そんなことは>>529で書いてないぞ
時系列整理すると
1937年頃?(上海で鹵獲とあるので)に手に入れた
BPB(orヴォスパー)に刺激されて海軍で魚雷艇への注目が再び高まる
↓
バリエット製新型MASの輸入(1939頃)
↓
比較試験と水槽実験、T-0の開発(1940)
↓
一号型魚雷艇(T-1)の開発(1941)
という流れなので、設計が41〜43年頃に開発されたカロ艇に
フィードバックされたという>>503の話は蓋然性が高いんじゃないか、と言っている >>538
CMBを改良したってのはわかるけど、あなたの説だと
高速艇甲→?→カロ艇に至るミッシングリングが説明できてないのよ
実際、高速艇甲は太平洋戦争中まで実戦運用してるわけで、
もし本当に陸軍が10年先行していたなら、少なくともその間に
試作艇が建造されててしかるべきだし、高速艇甲もおそらくとっくに
二線級装備になっていたはずなわけで 技術者馬鹿にしてるのか?
設計パクッてたらすぐ分かるしそんなの参考にさせてくれなんて言うわけないだろ
だいたい陸海軍はリソース黙って使えるような仲じゃないだろ あと「改良」いってもそのウィキペディアの記事読んでも
別に抜本的な船型変更したなんて話は書いてないわけで
実際、高速艇甲は実艇の写真みても最後までWW1期のCMBの拡大版だよねっていう
>開発者の名前が分からないから造船所でパクった
あとどんどん変な風に曲解するのやめて欲しんだけど
海軍が技術提供してカロ艇建造、今度は海軍でも乙型建造することになったんで
カロ艇を参考に、て流れがどうしてパクったとかいうことになるのか >>540
なんで改良がミッシングリンク()なんだよ
陸軍の大発とはしけの間の存在があるのかよ >>542
カロ艇のために海軍が資料渡したとかそれこそどこにも書かれてない珍説だろw >>541
陸軍がこの時期に宇品じゃなくて横浜ボートに建造依頼したこと自体が
海軍の魚雷艇建造を参考にしたいと考えた間接的な証拠じゃないの?
そもそもあそこ1940年の時点で海軍の指定工廠だし
海軍に高速艇甲の実艇も提供してるし(おそらく1940年の比較試験用)、
「仲が悪いから参考にできるわけない」という根拠は何なのか
今度ウチでも高速艇作るんで、おたくの造船所使わせてねという
流れだったと考える方がむしろ自然ではないのか >>543
単に拡大発展ではなく異なるタイプだからでしょ
カロ艇がT-0やT-1に先行してたというならそりゃ陸軍の設計を
海軍が参考にしたんだろうということになるだろうけど、時系列的には逆なわけで、 >>545
陸軍が海軍にカロ艇の設計図を提供した逸話はあるが海軍がT-1の情報を陸軍に提供
なんて話はどこにもない
お前が陸軍の開発を知らなかっただけでなんでそんな珍説を吹けるのか理解できんw >>544
陸軍から艇の提供があったくらいだから海軍が協力してもなにもおかしいことはないし
同じ造船所がからんでいて、しかも線図が残ってるんだから
「いがみ合っていたのでお互いに何も教えなかった」なんて推測する方が
よほど珍説じゃないか? >>547
そういう逸話はあるけどでも実はカロ艇の設計自体が横浜ヨットで
T-0系を参考にしている、と言っているのが>>503だろ
自分は本人じゃないから、おかしいとおもうなら>>503に
出典なりソースなりを聞くのが筋じゃないの? いやマジ陸海軍は仲悪かったしw
だいたい陸軍は先にイギリスから輸入した艇で研究してたんだから情報共有してたら
海軍がイタリアから輸入して別系統で開発なんてしてないっていうw >お前が陸軍の開発を知らなかっただけで
あとさ、あなた陸軍の高速艇開発についてウィキペディアの記事貼っただけで
それ以上のこと何も言えてないんだけど
よくお前は無知だとか威張れるね >>549
書いてて自分で変な話だと思わないオツムなのかw
なんで海軍がT-1パクった艇を参考にして魚雷艇作らにゃならんのよw >>550
>だいたい陸軍は先にイギリスから輸入した艇で研究してたんだから情報共有してたら
>海軍がイタリアから輸入して別系統で開発なんてしてないっていうw
意味不明なんだけど
じゃ陸軍が1926年のCMB40ft以降、他に外国から艇を輸入、調査した形跡はあるの?
海軍は1920年代にCMB55ft型輸入、日中戦争中に英のPBP製税関艇を鹵獲調査、
その上でイタリアから新型MASの輸入という段階を踏んでるけど
それとも陸軍の無名の技師が独自改良の上、海軍を超える艇を創り出したので
海軍が頭を下げて図面を貰いにきたというストーリーなのか >>552
T-0系列の発展がT-1で止まって、一度甲型魚雷艇に移行しようとした間、
陸軍で発展型の開発生産が進んでいたら参考にするのは当然じゃないのかね
しかも自分のところの造船所で
それとも「仲が悪いので教えてあげないよ」だったのかな? >>554
別に変じゃないだろ
10年開発してりゃ海軍の技術者が数年かけた物よりいいのができてても不思議には思わん >ID:ei5L4kX1
>ID:3ew/VCaW
2人で仲良く議論してるとこ申し訳ないが…
ID:ei5L4kX1が>>531で
>いやそんなことはない、てなると陸軍独自の開発系譜を調べないとね、
と書いてる以上、調べてもないことでアレコレ議論しても水掛け論にしかならなきゃ新事実が出ても検証なんかできんから、
続けるならホドホドにしときなさいな。 カロ艇は陸軍が開発して海軍に提供したのは分かってるんだからカロ艇が海軍の魚雷艇を
パクったと証明されない限りID:ei5L4kX1が珍説吹きだという事は変わらんけどな >>558
アンタもせめて「新しい事実があるってなら、いつか証明されるのを期待しないね」くらいで収めとくといいかと。
2人して引っ込みつかんようになってるだけじゃんけ。 辻褄も合わんような妄想で新事実を期待しろとか言われてもな
チラシの裏にでも書いてればいいのに おまえら落ち着け
カロ艇の話は、海軍が陸軍に線図を提供したわけでなく、横浜ヨットが持っていた海軍系の高速艇の線図を陸軍にも流用したって話だぞ
そもそも千葉四朗は95式折り畳み艇とかの仕事で陸軍のキワモノ舟艇にだいたい絡んでいるのと、
千葉はディープV型の高速艇を作りたいのに、丹羽誠一が育って好き勝手動き始める前の海軍はSボート系の円型船型推しだったから、
宙ぶらりんになってた船型をこれさいわいと陸軍に押してみたりとした経緯があるんよ >>562
>>503さん?もう少しその辺の話詳しく頼む
今ちょうど、世界の艦船の魚雷艇絡みの記事を引っ張り出して貼ろうとしてたところ 世界の艦船1983年10月号の米PTボート特集から
丹羽誠一氏の記事抜粋
「…旧日本海軍の高速艇技術もスコット・ペインの影響を色濃く受けている。
支那事変にあたり上海で入手した45フィート税関艇が1936年ブリティッシュ・
パワー・ボート製であり、これが日本海軍のハードチャイン艇の方向性を決めている。
筆者が第2次大戦後高速艇を造り始めたとき、何より参考になったのが戦争中に建造した
魚雷艇であり、技研での船型試験の資料であった。…」(75頁)
同編集部記事
「…スコット・ペインの系統のものをショート・タイプと呼ぶこともある。
彼が設計した45フィート(約13.6メートル)の監視艇は、イギリスをはじめ、
アメリカ、日本などの魚雷艇の手本となった。…」(78頁) 同小山捷氏記事
「…日本陸軍は上陸用舟艇の整備に熱心で、イギリスのソーニクロフト社の高速艇に
興味を持ち、これと同型のHBKと称するものを建造蓄積し、その主機関には
アメリカのものを採用する一方、国産も研究していた。この艇は上陸用舟艇の
連絡指導用として活用された。海軍が魚雷艇を再認識したのは、英米独伊の各国が
近代化された魚雷艇を宣伝しだしてからである。しかし本当に意識したのは、
1937年(昭和12年)、支那事変の時である。揚子江に派遣されていた日本海軍の第3艦隊の
旗艦出雲が、たまたま支那海軍の魚雷艇(ソーニクロフト社製のCMB-55)の急襲を受け…
この事件から魚雷艇の試作をするということになり、各国の魚雷艇の特長を検討して
T・0型というのが計画され実験された。…幸いこの間に支那事変で拿捕したBPB社製の
関維(装甲税関監視艇)、ソーニクロフト社製CMB-55およびイタリアのバグリエット社から
輸入したMAS-18が横須賀に集められ、実験艇とともに各種の実験が行われ…
船型については海軍技術研究所の水槽で模型試験を行い…」(102頁) というわけで海軍の主流はドイツのSボート系なんだろうけど(鋼製化狙ってただろうし)
S-0の時点でハードチャインV型の英米系の流れも入ってたのかな、と考えてた >>562
また適当な事書いてるなw
カロ艇の図面提供を受けた話は日本補助艦艇物語で技術士官だった福井氏が書いてる事だろ
ソースは何なんだよw >>562はカロ艇開発の時の話だと思うぞ
カロ艇は高速艇丙を一部設計変更したものとなってるからヤッパリ全然違う話なんだが じゃあ甲と丙(カロ艇)の間にあった高速艇乙がデザインスタディだったのかというと
滑走艇ではなく排水型で特に目新しい部分もないしね いやカロ艇は昭和16年から陸軍運輸部金輪工場で建造されてた高速艇丙を高火力のPTボートに
対抗できる駆逐艇にも使えるように設計変更したもので仕様変更で18年始めに竣工したのよ
量産型は昭和18年6月から日本造船、横浜ヨット、南国、大原、前田、三菱長崎にて製造
横浜ヨットは生産を受け持った企業のうちの一社にすぎないわけで・・・ 大型艦並みの建造期間でワロタ
一人で作ってたんじゃねw >>571
陸軍つか昭和造船史ではそうなってるんだけどじゃあ
横浜ヨットは単に昭和18年から量産した工場の一つに過ぎなかったかっていうと、
アジ歴で閲覧できる線図は昭和17年に作図されてるのよね
しかも「カロ艇」とすでに呼称されている
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14020254500 >>573
そりゃ途中で設計変更してるけど設計図できてないのに建造続けるわけ無いからね
ソロモンでPTボートに遭遇して設計変更したなら設計図は昭和17年で変じゃないよ 福井さんはマニアで戦後も色んな所から資料提供を受けて取りまとめているのだけども、やっぱり東京帝大系、設計関係の人脈がメインなのね
そこから少し離れる九州帝大・西武造船学会とか、ヨットや軽構造船がメインになる高速艇、機関関係は別個の人脈で戦後も仕事が進んでいたから、これらの方面に関しては伝聞、巷説が先に来るから調べが甘い所が多いのよ >>575
知り合いが舟艇協会の関係者なんだけど、舟艇技報あたりに出てくる話と
結構食い違いがあるなあとは感じる
どっちが史実に近いかどうかは別の問題として 元海軍技術士官で人脈使って調べられるから間違えないなんて断言できないが
ソースも出せない与太話とつじつまが合わないから間違えてるなんて頭可笑しんですかね?w >>577
ちゃんとした人が出てきたから、そろそろアナタの出番終わりみたいよ? >>578
ちゃんとしたソースはどこですかいな?w >>511-512
句読点なしが識別ポイントって…その識別法だとここまでの581レス中で何%が同一人物からのカキコになるんでしょ
実際にカウントしてみて句読点なしは識別点たり得ず逆に句読点を付けてるのが少数で絞り込まれ易い側だと体感していただきたく カロ艇は設計も変更も陸軍の金輪でやったとされてるのに何で横浜ヨットで作った話が出るのか
不思議だったけど調べたら横浜ヨットに開発を丸投げされた伊号高速艇の話があった
やっぱりソロモンで必要とされた高速輸送艇でV型船型の甲型魚雷艇を拡大したような船
これは凌波性に問題があって改良を受けて採用されてる
時期的に重なるしどうも関係者が混同して語ってるような気がすr 一応、大日本絵画の日本陸軍の船艇だと
カロは昭和16年の初め頃から陸軍運輸部で研究開始
昭和16年の中頃に試作し始めたが、それが完成しないうちから各所の造船所に発注内示
その時に横浜ヨット工作所より「4mmベニヤを二枚張にすれば軽くなるし、船型を改良すれば37ノットは出せる。コレで試作したい」と言うので別途試作させる事に
そして昭和18年3月下旬に起工、7月下旬に進水、8月2日に完成
試験では計画通り37ノットでて性能が良かったが、対魚雷艇用に兵装強化する事に
12月に二次試作艇が完成。第一型式とする
昭和19年7月に650馬力空冷航空エンジン式が作られ、26ノットくらいしか出なかったが第二型式とした
また、昭和19年6月に九八式850馬力航空エンジンを使用した試作艇が完成し、これを第三型式とした
同年8月4日から7日にかけて、空力推進式の試験が行われ、これを第四型式とした
とこんな感じらしい。なので一型は横浜ヨット製と言える…のか?
まあこの本、wikiにある運輸部型?の八九式航空発動機三個積み試作艇についてはスルーしてたりとか一型の図が空冷式になってたりとか本文で九七式とあるのに表では九八式になってたりとかなんか怪しい感じ
というか八九式航空発動機ってなんだよ。九八式じゃ無いのかよ >>583
昭和17年にカロ艇とされる設計図があるという事は横浜ボートで18年に竣工してから
魚雷艇に対抗できるようにしたという説明が合わなくなるね
金輪工場で建造が始まった頃は高速艇丙だったのが途中でPTボート対策で仕様変更して
カロ艇と呼ばれるようになったのはだいたい共通の話だし
経緯を見るとやっぱり伊号高速艇と混同した話に見える >>583
>その時に横浜ヨット工作所より「4mmベニヤを二枚張にすれば軽くなるし、船型を改良すれば37ノットは出せる。コレで試作したい」と言うの
>で別途試作させる事に
ダブル・ダイアゴナル・プランキングてやつね
これ自体はカロ艇の話とみておかしくない
この知見がなかったのもそれまでCMB系の設計でやってきたと考えれば納得はいく
残ってる昭和17年9月(?)3日の図面とも符合するし
4式2型駆逐艇仕様書(案)とも一致する
(ダブルプランキングでボトムがトリプルプランキング)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14011003600 >>586
この場合、何を指して混同と考えてる?
少なくとも>>583の話にT-51系と混同する要素は一つもないけど
日時が甲型魚雷艇≒伊号高速艇と混ざってること? >>587
すでに指摘したけど引用の話だとPTボートに対抗するための仕様変更は試作艇ができた後の18年
実際には17年には仕様変更されたカロ艇として設計図が作られてる
横浜ボートに開発が任されてたのは伊号高速艇なのでそっちの話と混同されてるんだろうて事 >>588
>実際には17年には仕様変更されたカロ艇として設計図が作られてる
>>573の図面でしょ(S.17.09?.03)
横浜ヨット側の作図だけど、それがおかしいってこと? >>589
いや逆で図面が正しくて説明の方が間違ってるんじゃないかって話
18年に試作艇が完成してからPTボートに対抗する仕様変更があったのならそれ以前に
カロ艇と呼ばれてるのは変でしょ
説明自体が伊号高速艇の開発をした時の話と混同してるんじゃないかって事よ >>590
ああなるほど
でも、第1~4形式の話は駆逐艇と完全に符合してるんだよな
第四形式は実際プロペラ推進式だし
そうすると昭和18年云々の部分が間違ってることになるのかな >>591
たぶん開発の経緯から混同してるから怪しい部分はかなり多い・・・
開発に関わってる人でも担当箇所以外は伝聞なんてのが普通だし この時期は人も一気に増えているのと、使えそうな既存のデータを流用するのとが混在してるしね
カロ艇は高速艇の改良って部分も、「船体設計の系譜としての意味」と「予算の継続、付属部品や設備の管理組織を含めての継承」のための改良型扱いの二重の意味があるのと、
試作とか船体模型までの検討形式だと二段ステップとか水中翼船形式とかも含めて改良型として研究を進めているからなおさら評価に困るね >>593
その辺混同されてるかもね、「(設計の)改良」なのか「後継」なのか
高速艇(丙)の実態がまったくわからないことにはどうしようもないが 戦闘機のキ番号とかでも、技術的には全くの新設計なんだけど○年度計画とかの絡みで番号はそのまま改良型扱いとかあるな 海軍の魚雷艇もどれだけ種類があるんだってくらい仕様変更多いし量産型でも微妙に違うな
陸軍のは部品の一部を運んで現地で調達した木材とかで現地生産もしてるし >>590
因みに同じ本に伊号高速輸送艇ものっていて、そっちだと
昭和17年くらいに横浜ヨットへ高速輸送艇の研究を依頼
昭和18年初頭に研究がまとまる。試作へ
昭和18年3月24日に完成した試作艇を試験。が、燃料漏れにより機関室炎上。試験中止
5月に修繕終了、再試験。が、爆雷の導火線に火が付いたまま落下せず試験員が抱き抱えて投棄するなど不具合が多い
他には建造中に燃料タンク内のガスに引火し破裂、台湾回航中に機関故障し大島付近で座礁沈没など
試運転の結果、計画の要件を大体満たすものとして量産されたのが伊号一型
第三研究所にて新型試作艇を作る事に
昭和19年1月下旬から研究開始、二月上旬に設計開始〜下旬に完了
3月に日本造船にて試作艇制作開始
7月下旬に完成。28日から8月1日まで試験
第二次試作艇では主機を650馬力三機に変更。試験の結果、主機として問題なく使用可能と判定
ただし一部改修が必要とされ、10月30日に工事完了
12月15日から2月4日にかけて第二次試作艇を横浜から宇品へ回航
ついでに試験。(試験結果は長いので略)2月中旬に研究終了
この第二次試作艇を伊号二型とする
横浜ヨットによる伊号試作艇は3月、カロ試作艇は8月完成との事なので、一応この辺りは混ざっていないようだ >>597
議論の本筋とは違うが、「泥縄」って言葉しか浮かばんな… >>597
伊号高速艇は横浜ヨットで悪戦苦闘して18年9月に試作艇竣工
手直しした試作2号が19年初頭に完成して生産開始
フィリピン戦に間に合うよう3月にはSS艇で曳航してマニラに向かって喪失出しながら6月には到着
その資料の通り19年の十月に完成なら間に合ってないのでそこも齟齬があるね・・・ 3月に出発じゃなくて派遣を命じられたのが3月だた
すまソ 爆雷に導火線てw
陸軍は潜水艦にも破甲爆雷でも使ってたのか?w 時限薬盤式ってのが導火線みたいな火導薬を仕込んだ薬盤を回して設定する時限信管なんで
それと勘違いしてるんじゃないかね
記述は細かいけど個人に聞いた話っぽいエピソードやね >>599
高速輸送艇二型の研究原簿がアジ歴に上がってるんだけど、昭和19年7月27日に試作完了ってあるよ
そちらのソース元見た事ないからから予想なんだけど、その試作2号って試作「二型」じゃくて試作一型「2号機」なんじゃ無いの? >>603
失敬たしかに二型と試作2号の読み間違えだた
試作一号の不具合の話の後で新しい試作したって書いてたからそっちが試作2号かとオモタ
横浜ヨットで手直しした試作2号の話は出てなかったのか 高速艇の事故例のものかはわからないけども、連絡艇なんかで積む爆雷や簡易爆雷なんかで投下時に摩擦式(マッチ式)で発火させる導火線タイプもあったようだからその可能性もある 横浜ヨットの中の人の回想とか、ほんとおまいらよくこんなこと調べられるな なにか高速艇丙につながる手がかりはないか探して見つからなかったけど、
代わりに高速艇甲について少しわかった
『昭和造船史』によると1937年に海軍が陸軍運輸部から高速艇甲(または派生型)を入手して
魚雷追躡艇公称第1000号としているが、おそらくその艇の図面がこれ
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C14020226200 件名の「魚雷追跡艇艤装及構造図」では昭和7年となっているが、
最終頁の史料寄贈時メモから分かるように、昭和12年ごろに
陸軍運輸部の市原健蔵技師らが海軍の呉水雷部の求めに応じて
高速艇甲の図面を提供したとある
https://blogs.yahoo.co.jp/nisikisenn2/13622199.html
市原健蔵氏はこういう方らしい 最初はひょっとしたら「高速艇甲」と名乗ってはいるが大正期のものと
のちのものは完全な別物になっていたかも…とも思ったが、
少なくとも図面を見る限りでは高速艇甲はソーニクロフトCMBの
系列艇であることは間違いない
ただ、1926年に輸入したとされるCMBよりも船体構造が改善されていることがわかる ソーニクロフトはWW1期の旧式魚雷艇の船型のまま生産を続けたため、
1930年代の技術革新(BPB、ヴォスパーのVボトム艇)に乗り遅れて
WW2には戦力となるMTBやMGBを生産できなかったが、中華民国や
フィリピンなどへは輸出を続けていて、初期と後期ではいくぶん構造に違いがある
1926年に輸入した時点ではおそらく単板張りだが、
後期では二重張りになった艇がイギリスに現存している この図面もその改良に準じたと思われるアップデートが施されていて
船体が内側檜、外側チークの二重張りになっている
しかも内張りと外張りの間に堅練り白ペンキを塗りこんで処理するように
工作指定が書かれている
これは木造艇建造ではよく知られたやり方で、水漏れを防ぐとともに
船体のモノコックとしての強度を高める効果がある
ここから、運輸部の高速艇甲は単に大正期のままではなく改良で
高速発揮のための船体強化を施していったこと、当時の新型CMBに
準じるものでそれなりに高性能だったこと、またかなり曲がりの強い
木造船体をきちんと施工できる腕のいい造船所を抱えていたと推測できる 一方で、高速艇甲の構造は全く量産向けとは言えず、工作が極めて難しく
材料も合板ではなく無垢材、しかもチークのような南洋材で
一品もの的につくられていることもわかる
30年代の魚雷艇設計の革新はハードチャインV型船体の採用だけど、
同時にベニア(薄板)を尿素系接着剤を多用してできるだけ
釘を使わずに積層する工法あってなので、運輸部がこれらに
どの程度知見があったのかは相変わらずわからない >>605
小型艇ってしぶきと揺れが凄いから導火線の出てるのは使わないと思う
導火線を内包してるのも見た事が無いんで摩擦式でも手榴弾みたいに遅延用の火導薬が
入った金属管みたいなのじゃないかね >>581
そもそもお前の文章よみづらいよ。途中で
読むのをやめてしまう。 >>597
>>(昭和19年)12月15日から2月4日にかけて第二次試作艇を横浜から宇品へ回航
ついでに試験。
フィリピンの戦いに間に合わなかったようで、
魚雷艇開発手遅れだな。 つまりお前らは俺様ちゃんに忖度して俺様ちゃんが読み易い文章を書け、ということ? その調子なら、最初からカット(読まない)の判断がしやすい。
hige最新
キラ付艦+海防艦2隻(Lv30ちょっとぐらいまでの)+潜水艦
(当然ながらLv9まで)
の編成で・・・ボスマスに行っても、海防艦2隻が結構攻撃で
相手を弱めたり・・・海防艦自体も最後の雷撃を受けてくれて
キラ付艦の被弾率が更にさがりますよ。
爆雷攻撃で潜水艦デコイですね。
(後海防艦は雷撃がないので・・・旗艦MVPが取りやすい
ですよ)
元気ないな。確かに別人くさい。 制空権を奪われつつあるフィリピンで
日本軍に魚雷艇があったところで大して活躍できないのでは
寧ろ甲標的丙の方が 魚雷艇隊が夜襲突撃したら米艦隊が対空砲火始めて大した損害も無く離脱できたエピソードがあるんで
むしろ航空機より安全だったかも
日が出てる間は手当たりしだい銃爆撃されてすぐに戦力無くなっちゃったけど エンジンが航空機系統だから、エンジン音がまんま航空機だったとかいう思い出話が有ったな。それでかな?
逆にマルレとかはトラックのエンジンだしバレバレなのだろうか? 同じエンジン載せてる機体でもスピットファイアは数マイル先から爆音が聞こえるのに
ハリケーンはすぐ背後に迫るまで音が聞こえないくらい音が違ったりする
日本の魚雷艇はメインの航空エンジンのほかに静穏航行用の自動車エンジン載せてる型もあって
意外に夜間の接近は容易かったかも? >>622
MASやMTBの一部にも付いてるね、巡航/静粛行動用の補機
レジスタンスとかスパイの輸送でも重宝したらしい それって英語のマリーンとマーリンを読み間違えた人くらいでは・・・ PTボートは低速時に水中排気で減音していたと
向こうのネットフォーラムで読んだけどどういう仕掛けなのかわからん
71号6型にあったかどうかはわからないけど、
コピー元のイソッタ・フラスキー二Asso1000には減音効果のある水冷式排気管が付いてた
https://oldmachinepress.com/2019/04/05/isotta-fraschini-w-18-aircraft-and-marine-engines/
"The marine engines had water-cooled exhaust pipes and a reversing gearbox coupled to the propeller shaft." 航空スレでマーリンをマリーンなどと書くと激しく馬鹿にされるから常識知識なんだがw 同系統のイソッタAssoエンジンを積んだスウェーデンの魚雷艇
https://www.youtube.com/watch?v=_m35AyI9vbE
スーパーチャージャーの甲高い音が特徴なんだとか >>628
昭和は調べるのも大変だったし又聞きも多かったからね あと戦後にマーリンエンジン積んだレース用のスピードボートがあったから
そこからの連想じゃない? いや、でも>>629は随伴してる船のタービン音かな?
こっちが分かりやすいか、たしかに高周波の金属音
https://www.youtube.com/watch?v=RuZzLoybrc8
1942年スウェーデン建造だが設計はイタリアのバリエット社で、事実上MAS500型 >>626
> PTボートは低速時に水中排気で減音していたと
> 向こうのネットフォーラムで読んだけどどういう仕掛けなのかわからん
エルコPTの排気系はネットで見たことがある
見つかったら貼る 4サイクルエンジンだと排気は冷却海水と一緒に水中に排出するのが一般的でね? >>634
ヒギンズはそうなんだけど、エルコは少し違ってた筈 大戦中の舟艇だと冷却排水と排気を分けてる船が多いんじゃないかね
戦後は一緒に水中排気するのが多くなったけど最近は環境汚染防止で浄化装置つけて
空中排気が増えたらしい 舶用で水中排気前提で排気圧を高めにしたものでないと海水が逆流するからねえ 帰宅したので…
エルコの排気管は空中に出てるんだけど艇尾に垂直のマフラーがついてて、
低回転で静音航行したいときはマフラー上部のバタフライバルブを閉めると
水面下に排気できるようになっている
http://www.williammaloney.com/Aviation/PTBoat/PTBoatStern.jpg
保存艇ではバタフライバルブの開閉紐がオミットされてるけど本来はこんな感じ
http://www.ptboatforum.com/cgi-bin/MB2/netboardr.cgi?fid=102&cid=101&tid=4030&st=20&nd=30&pg=&sc= この方式だと途中にアンチサイフォンバルブが要りそうですな
排気の切り替え装置が不明の船でも排気系統図に付いてたら分かるかも? >>640
http://www.ptboatforum.com/PTFdocuments/ELCO_Parts_Catalog_NAVSHIPS%20_312-0003_58MB.pdf
P.193(219)からのパーツ表を見る限りではなさそう
普段は(エンジン停止時も含めて)バタフライバルブを開いたままにして、
エンジン始動中の排気圧をかけた状態からのみバルブを閉じて運用するんじゃないかな この時代だから操作ミスで故障や事故になるのは普通の使い方だったのかもですな・・・ >>642
この時代の軍用機と同じで、あまりフールプルーフ感はないかもね
運用してたのも高学歴多かったらしいし、魚雷艇部隊
それでも運用マニュアルをレベルや担当ごとに細かく分けて
現場用には平易でイラストが多いもの配布してたけど
ミスを減らしたいていう意図がよくわかる、チェックリスト付いてたり それこそ>>630的な話でいうと、昔の通俗軍事本だと
そういうマニュアルの体系化、階層化を
「文盲でもわかるようにしてた」みたいに書いてることがあって、
ああ、全然本質を理解できてなかったんだなあと
正直、いまでもまだ遅れをとってる分野だと思う 当時兵役につく人は本当に文字も読めない学校も通ってなかった人も多かったんで
特に分かり易い工夫をしてたのは本当だと思う
近年でもフライトマニュアルでチェック項目が前に来てたんで酸欠になって墜落
最初に酸素マスクの装着を書くように勧告が出たくらいなんで欧米が何でも進んでる
とは思わないけど・・・ 日本は識字率高いから〜みたいな一種の幻想だ罠
大学出でも自家用車運転経験ないのが普通の国と百姓がトラクター操作してる国、
どっちが機械壊さない扱いを知ってるか考えたら >>647
戦後もそういう感覚はあったかも
近代化が急激だったんで、ほんの一握りのメカオタボンボンと
機械なんか下々の連中に任せとけ、みたいなお公家様的ド文系と、
学歴は低いけど理工系センスがある人たち、
本当に何も知らない僻地の先住民族と大差ない人たち、
あまりにもばらばらで話が通じないパターン アメリカは英語の読めない奴が結構居ただろうな
中南米やヨーロッパ移民は母国語しか分からんし日本人がアメリカに行ったらだいたい文盲 液冷エンジンの整備マニュアルすら揃ってなかったんじゃなかったっけ? >>650
そこはちょっと違っていて、整備部隊も大拡張するものだから、整備部隊もたとえば栄系オンリー、金星系メイン、
誉も扱えるとか液冷アツタ中心とかなんでもござれなチームとかで守備範囲を区切って教育期間圧縮をねらった結果でもあるんよ
そこで空地分離した後で飛行隊と整備隊がリンクしているうちはいいのだけど、
中継基地に不時着したとか空輸中に立ち寄ったとかで慣れてないエンジンがくると大変であった、と
このあたりは予備士官の整備(航空)なんかの教育課程で、自動車とか航空、一般機関・機械科を優先的に誉や液冷系のコースに回し、
鉱山とか土木科とかの数学の教育は受けているけども熱力学はちょっとな出身者を壊れにくい栄専従のコースをつくって配属したとかが傍証になるね >>649
それは結構あるかもやね
漢字使う日本人が中国語の説明書見てワケワケメ的な・・・ >>651
>熱力学はちょっとな出身者を壊れにくい栄専従のコースをつくって配属
水メタ積んだりちょっとチューンされると即死しそうw そういった所を含めての生産機種の整理、エンジンの統一化だし、軍艦も一緒なんだろうな >>652
WWIIの頃のアメリカのマニュアルが図表を多用した可視性の高い理由だよ<文盲
日本人が英語が読めない、ってレベルじゃなかったからな。 パイロットや艦艇の基幹乗員はどこの国でも軍の専門教育機関出ないとなれないから
文字が読めない人は居ないね
マニュアルが必要なのは軍務全般だから当然読めない人も混じってるけど 物理的に読めないというよりいわゆるローコンテクスト文化ならではの産物やな
>アメリカのマニュアルの出来の良さ
読んでると実際、操縦したり整備できそうな気がしてくるのは素直にすごい
軍事本や戦記に出てきて具体的になんのことかわからなかった装置の意味が
一発で理解できたこともあるし ハイコンテクスト(京都やイギリスの婉曲的)文化はわからん。
10フィート棒がなぜ10フィート棒なのかとかも、解説なしだと???になるからなあ。 少なくても米軍機のマニュアル見ても全く操縦できる気がしない(´・ω・`) >>661
あれらも本当によくできてるらしいよ
ただ当然ながら求められる基準が高いだけで
基準以下の人達には関係ないからそれでいいんだろう 九三中練の復刻版マニュアル(取扱説明書、操縦術教科書)を読んだけど
現代人がカタカナ旧字文語体の読み進めで劣るし現物を触れたり見たりできないのもあって「??」ってなる
取り扱ったり飛ばしたりする専門教育を受けるからにはこの程度理解できないと役に立たないのは分かるけど練習機でこれか…
発動機や無線機の取説は含まれてないけど別途あるんだろう >>661
そういうのは単独飛行できるパイロットが読むマニュアルなので日本語で書いてあっても
普通の人は飛ばせないです・・・
最初に読むフライトマニュアルは飛行機の飛ぶ理屈と基本的な操作と挙動及び緊急操作が
書いてあるだけで教官の操縦するのを見て説明を受けて覚える段階から進まないと無理
それから練習機のマニュアルで機体の特徴に合わせた操作ようするにテールドラッがーは
操縦かんを引き寄せて抱え込みながらエンジンを始動しろとか覚えて行って実用機の
マニュアルが理解できるようになるのよ 旧陸軍でいうとOO教範とかは教科書で、OOの参考が参考書
で、OOの参考とかだと図が多く比較的わかりやすく書いてあって多分コッチがメインだったのだろう
逆に教範は参考を読んで理解した後だと要点だけまとまってて復習しやすく、サイズが小さい(今の文庫より小さい)からどこでも確認できる
全く関係ないが、現在でも教科書を最初に読むと何も理解できないが、参考書を勉強してから教科書を読むととてもわかりやすくまとまっている事に感動するそうだ 操縦は機体の操作だけじゃなくて航法も覚えないといけない
船みたいに細かく分業されてないから普通に大変
だから単座機のフェリーや長距離進出には複座機のエスコートが重要だったのよ
ようするに機体のマニュアルいくら読んでも飛行機は飛ばせませんというこt 当時は艦船でも一回進路変更したら隊列バラバラなんてザラでしたし(´・ω・`) >>619
日本の魚雷艇隊と交戦した
海戦?があったはず。オイラが見た資料は
米軍の魚雷艇と交戦して負けた話だったが 魚雷艇同士の打ち合いはレイテで
米艦隊を夜襲したら航空攻撃と誤認され対空戦闘される中全艇帰投したのは沖縄か >>658
操縦してみたいよな、魚雷艇
いや、凄まじい乗り心地なことは知ってるけど ホルムズ海峡とかソマリア沖とかなら訓練させてくれる私設団体あるんじゃない? >>670
商社に入ってレアメタル担当になって東南アジアに出張すると乗れますよ 魚雷艇とかの滑走艇だと通常走行と滑走だと操縦法から変わってくるから割りと航空機みたいな
段階教育だったんじゃないかね >>675
魚雷艇学生とかの回想見る限りだとそこまで区切ってない、というか艇の性能が安定していないので水雷襲撃の基本は座学なり教習艇で体験するけど、
あとは配属された部隊で艇の性能にあわせていろいろ考えようって状態 高速滑走中に魚雷が片方しか落ちなかった場合とかの訓練もやるんだろうな、嫌な予感しかしないが。 航空機なら投下失敗で安全装置の外れた爆弾魚雷を載せたまま着陸着艦はさせて貰えない
後はわかるな(´・ω・`) 投下できなかったら降ろして貰えないのは日本だと戦時中から決まってたみたいだけど
アメリカは事故起こしてても禁止にしなかったのかね?
日本より安全基準が低いとか意外に思うんだが・・・ 逆に考えるんだ。
日本よりパイロットの安全を重視していたんだ。 ハンコックは乗員70名吹き飛ばされてますね(´・ω・`)
パイロットが無事だったのかわかりませんが(´・ω・`) >>677
一度に魚雷2発とも投下?、ああ、そ、そうだよな。2発投下でいいよな。
甲標的が1発ずつ射たないと安定しない話を思い出した >>682
乗員70名を火だるまにさせてパイロ
ットを厳重注意したくても死んでたら
叱れないな 母艦(母集団)を守るために機体(個人)が勇を奮って努力するのが先か、
属する仲間を守るために母集団がダメージを受けることを是とするかの違いではあるが
日本だと前者で、米国は後者であるパターンが多いけど、勝ち戦だから後者の立場にいられるって面はあるよな 別に爆弾が落ちなかった時は敵に体当たりしろとは言いいませんが
米軍は腐るほど飛行機を持ってるのに機体を捨てて脱出しろとは言わなかったんですかね?(´・ω・`) そもそも、ネットに上がってるハンコックの日誌だと
ノーマルランディングしたら500ポンド爆弾爆発しちゃって死者多数(てへぺろ)
みたいな感じで、投棄失敗どころか爆弾抱えたまま着艦するのが普通みたいな感じだけど 投弾操作してなかったら空輸してるのと変わらないから日本軍でも普通に降りれる
安全装置が外れた状態で降りるのがヤバすぎるだけ >>690
てことはよく日本海軍は着艦前に投棄してたとか、米海軍の規定では〜とか
まことしやかに語られてるけど都市伝説に近くて
単に着艦時の最大重量オーバーしてなければOK、て話なの? 日本海軍は投下せずに戻っても安全装置解除せずに海に投棄して着陸が基本よ
特攻機でも戻れば爆弾捨てて着陸するし桜花も使わなかったら無人のまま投棄してくる
陸軍はどうしてたのか知らないけど・・・ FA18ホーネットの新型は、前型とは大幅に変わって
爆弾を大量に積んだまま着艦できるようになっていたはず あと、日本の空母の場合は着艦制動装置の能力が雷爆装状態に対しては弱いからってのもあるはず >>692
初期の陸軍特攻隊員で通常攻撃に切り替えて帰還した人の手記だと、そもそも投下できないよう固定して専用機だったので、
投下できるよう手直しして出撃してたなんて話も(戦場ロマンシリーズとかの元ネタなのかな)。
個人の手記だし誇張があるかと思いきや、「信管は投下を想定しないので着発1つだけだったが、投下するので
弾体尾部の1つもちゃんとつけた」とか、冨永4航軍司令官の脱出機種についての記載とか細かいのではてさて。
むしろ既存機を特攻専用に改修しなかった場合なんかは事実上普通の爆装で出撃したと考えられる。 ハンコックの話気になってネットで読んでみたら、おそらく
爆弾倉の中でラックから外れて作動してしまったんだろう、と >>677-678
あと魚雷艇が落射失敗したら〜てのは航空機と違ってそこまで深刻じゃないです
別に片側残ってたら転覆してしまうとかじゃないので >>695
今コミック連載している不死身の特攻兵の佐々木さん達が使用していた九九式軽爆も爆弾投下出来ない様に細工されていたのを現地の工夫で解除して通常爆撃出来る用にしていたね
コミックの元になった本人の手記にも記されているよ 陸軍は海軍の要請した特攻隊編成に反対してなかなか実行しなかった話があるけど
陸海軍の特攻にたいする考えが違ってたんじゃね
海軍は赤トンボすら特攻機に改造した時に投下装置付けてそれで戦果挙げてるのに
陸軍は桜弾なんて離陸したら着陸も困難で自爆以外ないって機体を作ってたりする >>698
名前思い出したが、俺が読んで>>695で書いた手記とはその人のことだ。
その九九双軽、最後は夜間飛行でバーティゴに陥り、背面飛行のまま燃料切れ直前で姿勢や機位がおかしいのに気づいて、
最後はどうにか立て直して海面に不時着水したやつでしょ? >>699
対艦攻撃にあんま自信無い上に、体当たりじゃ生半可なことじゃ一機で大戦果とか無理!とみなしてたのは事実で、
そういう意味じゃ陸軍の方が同じ特攻やるにしても「当たればいいってもんじゃない」と真っ当な考え方してたかも。
あと、自爆しかない特攻機作ったって意味じゃ桜花とか作った海軍も同じだわ。 >>701
まさか桜花って最初からパイロットが乗ってると思ってないか?
発射前に母機から乗り移るんだが・・・
引き返す時に捨てようがパイロットは戻ってくるわけで桜弾みたいに離陸したら
敵を見つけられなくても自爆するしかないって機体とは違うんだが? >>702
さすがに今更桜花を見てそんなこと言い出す奴が…
ってアナタ。
そりゃ桜花でも11型や22型限定の話だわ。 桜花の戦果は、米駆逐艦1隻だけ
というのが昔の戦記本には載ってた
けど、今ではもっとあるみたいね >>703
まさか地上発射の桜花だったら飛んだら終わりだと思ってた?
自力でフェリーできるように着陸できるようになってたんだが・・・ wikiによると
軽空母サン・ジャシントの艦首至近海面に桜花が突入し爆発する姿が映っており(サン・ジャシントに損傷なし)
とのことだが、尾翼をみると桜花ではなさそう。
https://youtu.be/jyn5pNi9nEs?t=13 >>705
そらアナタ、特攻機だってフェリーの時には着陸くらいしますわ。
だいたい洞窟だの潜水艦から出撃した33型だの43型がどこへ帰るんですかね… 靖国に帰るさ
性能と訓練で劣り出撃しても無駄に散るだけだから
ならば少しでも命を散らす意味をって発想は解る
ただ、特攻とか降伏が認められないときの最終手段だよなぁ
駆逐艦で特攻とか考えてみたけど普段から特攻みたいなものか
暁とか集中砲火の一瞬で沈んだんだっけ >>708
まあそのへんに関しては「決死」と「必死」は違うってことで…
でも日本海軍は戦艦を特攻させちゃうからな…大戦艦に帰ってくるなって命令出すんだから、いよいよ帰る根拠地も
無いとなれば、普通に駆逐艦にも特攻命令が出て、今度こそ作戦中止命令は出ないんでそね。 駆逐艦で潜水艦を狩るより駆逐艦を潜水艦基地に特攻させる方が効率いいんじゃね?
と思いついたイギリスを馬鹿にするのは止めてさしあげろ >>710
サン=ナゼール強襲のことだと思うが、
ドックじゃなくて潜水艦基地か。別作戦か 突入したのは駆逐艦じゃなかったけどゼーブルッヘ襲撃とか?
アレ無茶苦茶な英国脳全開でかなり好き Uボートブンカーへ突入する(パイロットは直前で脱出)無人爆撃機のテスト中に爆発事故でケネディの長男が死んだって話も。 >>713
ゼーブルッヘ襲撃をぐぐって初耳情報。
旅順港閉塞作戦みたい >>714
テストなのに本物の爆薬積んで点火装置を稼働状態にしてたっていう暗殺 ゼーブルッヘ襲撃作戦はイギリス人でなきゃ立案も実行もせんわ
Uボートが出入りする運河の河口を塞ぐために
・陽動として旧型巡洋艦と徴用フェリーボートを改装した強襲艦に陸戦兵員を載せドイツ側が防御陣地を築いていた防波堤に横付けして揚陸、襲撃
・更に防波堤へ乗り入れる鉄道線路の鉄橋を爆薬詰め込んで丸ごと爆弾と化した小型潜水艦で爆破
・そうやって大騒ぎしている脇を閉塞用の旧型巡洋艦3隻が突入
・閉塞艦が突入に成功したら強襲艦は陸戦兵員を収容し離脱、閉塞艦や爆弾潜水艦の乗組員はモーターランチ他で収容して沖の支援艦船へ輸送
以前に三脚檣の掲示板で連載してたのを読んで知ったけど冒険小説顔負けの作戦 まあ旅順港閉塞作戦を数倍緻密に数倍大規模に行った様なものだけどね 敵国の港を閉塞させるなんてのは古来からの定石だから
自国の船をわざと沈めて封鎖するのなんか珍しくもない とはいえ、実際に実行して成功しそうっていうと英海軍なイメージなんだよね。
ヨソがやるとどうもフテクされたような態度に人員配置って感じで、忌み嫌いつつ仕方ないからやる作戦って感じ。 >>722
アボルダージュとか帆船時代からの伝統があるし
コマンド部隊も優秀な人員揃ってて機会あればやったるぜ、
みたいな気風があるのかもね>英海軍 >>722
あと階級社会だからこそ、従事した連中に出世の目が出てくるつか、
あの危険な作戦でヴィクトリアクロス受賞した誰某と同じ部隊でした、
みたいなのは相当ハクがつくんじゃない?退役後含め というか、英国海軍のノリとして大艦隊で制海権を基本的に確保済みだから、
その次の手としての根拠地破壊、泊地ごと殲滅をやるって発想が普遍的な面も
WW1でのモニター艦整備して陸地に接近狙うのもそうだし、WW2でのフランス降伏後の艦隊接収or殲滅もそう
その流れでああした突撃案件も具体的にでてきてしまうと そう言えば高雄の爆破に成功したのも英のミゼットサブだったな
南極のスコット隊といい冒険心()に溢れたトミーらしい。 白瀬隊は南極の前に北極に向かっていて、占守島で越冬してるな。
占守島の海峡は軍艦の泊地に使えるが劣悪。 冬の低気圧であまりの強風怒濤で(幌筵海峡の外はもっと大波)
艦首で錨の巻き上げ作業のため決死隊をつのって作業したが、
大波がきて水をかぶり、超低温の海に投げ出されて死亡するか、
舷側の手すりに激突して重傷。北方向けの海防艦は艦首まで甲板
下の通路が設けられたのも納得 >>729
日本の海防艦も番号じゃなく
花の名前にすればよかったのに。 二等駆逐艦・丁型駆逐艦「あぁん?我らから艦名を奪う所存か?」 どうせなら城名にして無駄に強そうにしよう
海防艦三木、墨俣、信貴山、新府とか 量産型では元ネタを捻り出せなくなって史実同様の番号名になる未来が見えるんですが 原、帰雲、鳥取、高天神、備中高松には乗りたくないな・・・ >>735
世田谷とか小弓(後の生実)とか郡上八幡とかだって嫌だぞ…。 島国で島嶼名はごろごろしてても量産型では止めたんですけどね
激戦地で著名でも大坂や熊本とかも使うん? >>737
鹵獲海防艦(のち軽巡)も「五十島」「八百島」(実は固有の島嶼名ではない)だしな。 >>737
直球以外は別名もありでないかと。白鷺とか。 水雷艇「白鷺とな?うちらの鷺や鵲と紛らわしいのう」
別名をありにしてもこっちはこっちで他艦種の命名規則に触れるものが多数では 今でも海自と海保と水産庁で艦艇名かぶりまくりだから無問題 >>742
管轄が別組織だから被っても現状では問題ないってだけじゃね? 20-60m程度の船って何かないかな?クラフトゲーの参考にしたいんだが >>745
そりゃあるが、外見とか何か希望は無いのか? >>729
38年度から42年度でこの進化だから日本もだけど
戦時急増艦は進化とか割り切り早いよな >>747
電気溶接とブロック建造方式の採用で船型が大きく変わっってくる
あと、狭いデッキに新型の艤装兵装を効率よく置いて、
コントロールルームも設置しないといけなくなったり
ソナー室、レーダー、HF/DF、ヘッジホッグ、スキッド、
K砲、エリコンやボフォースの銃座 ふと思ったんだけど爆雷投射器って米英とも大雑把なイメージではK砲だけど
Y砲って日本の他にどこがあるのかな 爆雷投射機をぐぐったら(飛ばすこと自体は文章読んで知っていた)
ニコニコ動画で漫画形式のがでてきた。
爆雷を支えている腕(柄)ごと飛ばすんだね。もったいないような気もするが、
ジェット艦載機をカタパルトで発進させるとき使うワイヤーも
一回飛び立つごとに海へ放り捨てて、使い捨てだそうで。 陸軍で航空爆弾を迫撃砲で投射する方法を研究した際も砲身に棹を差し込んで先端に付けた板の台に爆弾を括り付けてたはず
軍艦雑記帳とか読んでたから投射箭ごと打ち出すのは普通に感じてた
(雑記帳の投射箭の絵は海軍の実物とは違うと資料を集めた後で知ったが)
占守の公式図でも投射箭を投射器の近くに置いてる様子が分かる
三式投射器を多数並べた鵜來型や丙型丁型は大量に消費するだろうけどどこに置いてたんだろう NavWeapsを見るとY砲はアメリカのMk1、5、7、8が該当でMk1が1917年とのことなのでWW1時には既に制式
”Marks 5 and 7 were modified versions of the Mark 1 and the Mark 8 was not in service."とあるのでMk8は実戦使用されてない様子
NavWeapsでは日本のDepth ChargeにType4てのがあるけど概略図は三式爆雷のものっぽい
Type88、91、95、2まであってType3はないけど海外じゃ三式爆雷=Type4という認識なのかしら >>750
WW1時点では英は片舷投射機(厳密にはK砲は米の俗称)、米が開発したのが両舷投射機(Y砲)だった
K砲への置き換えが進んだのは、両舷投射だと障害物の無い艦尾中心線に配置しないといけないから
あとY砲はもともと左右で深度調定変えて使うんだけど、
30年代後半に英の対潜戦術が進化して、
浅・中・深3層に10発程度の爆雷をパターン散布するのが理想的と考えられたから 多連装前方投射型の爆雷が日本にも欲しかった
音響探査装置ももっと新型が欲しかった
海防艦も数が欲しかった
対潜哨戒機も数が >>756
だってみんな貧乏が悪いんだもん。見せるための戦力で本当に戦争しちゃダメ。 いまNHKでガダルカナルやってる。クインシーの残骸でてた。 >>758
ハードやソフトというより国力や国家戦略の問題で、日本は明治維新以来現在に至るまで、国力を維持するために必要な
シーレーンを単独で防衛可能な戦力を整備したことなど、一度たりとも無い。やりたくても無理なんだから。
そんな国力を一時的にでも持ち得たのは最盛期のイギリスやアメリカの話であって、アメリカですら今じゃ
そこまでの能力は無い。
そのへん理解できてない外交力の問題なんだけど、それはこのスレじゃどうしようもないので
「せめて少しはマシになる話を」「スレタイ通りの艦艇が活きる道とは何だったのか」
という話題も最近増えてる。 >>760
あーすまん、そういう大局的な意味で書いたんじゃなくて
>>756へのレスで、仮に技術的に同等なもの保有出来たり、
ある程度機材揃えられても運用成績上げられないって意味
>>754は45年時点でのマニュアルだけどORの落とし込みとか
運用結果のフィードバックがもう隔絶しすぎていてクラっとしてくる
こんなのと大戦後半からいきなり対峙したら
そら一方的虐殺にしかならんわ潜水艦部隊、て >>758は45年時点でのマニュアル
書き間違えた 潜水艦の獲物を空母機動部隊だの爆撃機だのがボコスカ沈めてる有様だし 潜水艦戦は技術的な要素より暗号解読が大きいよ
今のソナーやレーダーでも軍艦が巡航してたら潜水艦に攻撃されるまで気がつかないのが普通 >>765
エニグマ解読は決定的要因ではない、と最近では言われている
解読までのタイムラグあるし
あとWW2の可潜艦と戦後の潜水艦は全然話が違う たとえ通常動力潜でもWW2までは基本、索敵も襲撃も
浮上行動あってナンボなんで 古い本で暗号解読が実情以上に評価されたのは
ハフダフの機密解除が遅れたこともあるんだとか
あと太平洋だと散開線運用のせいで推定位置出しやすいから
大西洋以上よりも有効だっただろう >>766
いやこの場合は米軍が商船暗号解読して待ち伏せできた話ね
いくらレーダー載せてても潜水艦の高さじゃ目で見張るのと大して変わらん発見距離
暗号で待ち伏せできたから日本側はどこを走っても潜水艦に遭遇する
アメリカの事だから凄い数の潜水艦を配置してるんだと思い込んだっていう・・・ >>769
さすがに夜間や濃霧では肉眼とレーダーが変わらんってこたないかと >>770
いや夜間の潜水艦の被発見は下がるけど潜水艦側からの発見距離なんか変わらんよ
レーダーの位置が低すぎるから
霧ならそれこそ情報が分かってればレーダーエコーの識別が容易くなるけど
情報が無ければ識別失敗は普通にある >>771
識別の問題か…ところで当時は「敵味方識別」どころか「目標かどうか(虚探知ではないのか)」の確認って重要視されてたのかな?
アリューシャン戦で米海軍の(誰もいないとこへの)レーダー射撃とか、スリガオ海峡海戦で日本側駆逐艦の島への雷撃とか、
どうもレーダー情報を鵜呑みにしすぎる感が。
それに逆探で探知されてることを考えたら、識別にそんな余裕かけられないんじゃないかって疑問が出るんだけど、どうなんだろ?
マニュアルはともかく現実には「探知して何かいるとわかればとりあえず一発」ってなりそうなもんだけど。
だからこそ病院船なんかは必要以上に装飾してたんでないかい? >>772
だってレーダースクリーンには潜水艦の潜望鏡すら映るのよ
相当小さい物でも映るんだけど画面いっぱいにそんなエコーが満天の星のごとく映ってるわけで・・・
さらに大きい物体ならエコーも大きいかと言えばそうとは限らないっていう
だからレーダーオペレーターは怪しいと思ったエコーに印を付けてジーと変化を観察する
経験と感が頼りな識別してるのよ(今でもコンピューターの補佐があるけどやってる事は同じ) >>773
それじゃ目視確認せずレーダー頼りってことにならん?
スマン煽りじゃないんだ、書かれてることをそのまま受け取るとそう読めちゃうんだけど、そういう事言いたいんじゃないんだろなと思って。 >>775
当時の射撃用レーダーは照準器に付いてて照準手が目標を確認できるけど索敵レーダーは
オペレーターが直接肉眼で確認する手段が無い
潜水艦のレーダーだと探知できる範囲が肉眼で見える範囲と大差ないから方位○○に感あり
と監視員に怪しいエコーの方位を連絡はできるけどね 海防艦でレーダー担当者の戦記を読んだら、レーダーを稼動している時間よりも
修理している時間の方が長かったとあったな。 修理と言うかメンテというか。
真空管って只でさえ不良品で無くとも切れるものなので、開戦後の回路部品は…… 当時の真空管は量産向きじゃないうえに寿命も歩留まりも悪かった
いよいよ切迫してあちこちの電業に手当たり次第に生産命令出してたら
東芝がこんなのよりもっと生産容易な高品質なのが作れると言って出してきたのが
万能真空管ソラだった
これは本当に生産容易で耐久性も優れてたんですぐレーダーや通信機に使われたけど
本土空襲も始まって十分行き渡る事もなく惜しいシロモノだった ググってみた
ゲッターをアースして両方の電極の橋渡しを
遮断してしまえば,電気容量をもっと小さくすることができるのではないか。そ
のためには真空管をつくるとき,ゲッターの部分をアースにいくようにつないで
おけばよい。幸いなことに,陰極はアースになっているので,その陰極との間が
つながるように,ゲッターが飛び散るのを想定して,その部分にアクアダング(グ
ラファイトの微粉を水に溶いたもの)を塗りつけた。すると,電気容量を示す計
器の針がスーッと下がったのである。
軍部の方たちが来られて,固唾をの
んで見守っているわれわれの目の前で,その真空管のテストをされた。FM2A05A
用に設計された兵器にそれを当てはめてみると,50 個全部が合格した。軍の方
たちの喜びようは大変なものだった。よくやったとお褒めの言葉をもらってから,
私は頼んだ。
「実はお願いがあります。この真空管はどこの国にもない,全く新しい考え
でつくりあげた日本独特の真空管でありますから,難しい数字や記号をつけずに,
どうか日本的な名前にしていただきたいのです」
すると空軍の木田達夫大佐が提案された。
「飛行機に積む通信機用の真空管だから『ソラ』という名前はいかがでしょう」
陸軍に不満はあったかもしれないけれども,みんな「ソラええ名前や」という
ことで私の発明した真空管は「ソラ」という名前に決まった。 まあ電子機器で劣るのが定説の日本でも出来のいい物も少しはあったよって話で・・・ 駆逐艦や海防艦に積んであった大砲や高射砲は、砲弾や弾速や炸薬量は充分なのに
測距や夜間といった情報処理のソフト面がダメダメで、その結果、本日8/15は
敗戦の日という有り様に。 そういや大護衛艇の舟艇砲とか山砲のまんまだから、測距とか無しでやってたのかな
絶対当たらないような気がする つかそれで有利になる戦闘はいくらかあるだろうけどそんな事で戦争に勝てるなら苦労しないっていう >>785
装甲艇の57mm砲なんかは熟練砲手が撃てばほぼ百発百中だったそうな。
まあ熟練してなきゃどこ飛んでくかわからん代物で、頼るべきは腕しか無いって意味でもあるけど。 例えば上で挙がった万能真空管のソラが史実から1年早く実用されたとして戦況全体にどれほど変化が見込めるか、というと…
技術革新が自軍側にだけ起きるとか虫のいい仮想戦記だわな 電探も水測も、無線機による空中指揮も上手くいって、空母が4、5隻分くらい損害を避けることが出来て、米空母はもう2、3隻沈めることが出来て、
マリアナの時には攻撃隊発艦時に翔鶴と大鳳の損失が無くて改装空母が3杯くらいは正規空母に置き換わった状態を想定しようか、
その結果は(以下略) >>789
ついでに搭乗員の養成がうまくいって新機種も次々に前線へ到着、敵の潜水艦策源地を撃滅し、
駆逐艦も多数建造されて輸送船が安心して航行できる環境程度は追加しようじゃまいか >>790
駆逐艦が消耗しつくして船腹が足りなくなったからソロモンからバイバイしてるので、そこが改善されてるウチはマリアナが後ろにズレるだけな罠。 祥鳳・瑞鳳・大鯨・千代田・千歳・瑞穂・日進を
甲標的母艦化を諦めて全部蒼龍級船体で建造
最上型の改装は無しにして予算とドックを開ける
関東大震災では天城は無事で、空母化の後の機関換装も必要なし
これで中型空母を7隻増やせる まあ、仮想戦記的勝利(たぶんMI成功)からガ島確保してしまったら、次は何処に向かうのか。
米の母艦航空戦力が枯渇してから再建まで、ある意味自然休戦(除く潜水艦)みたいな話にしかならんのだろうか。
どうせエセックス級が揃って大機動部隊が湧いて出てくる時期は固定なのだから、何をやってもワルプルギスの魔に勝てないで次のループに臨むほむらみたいな感 MI作戦の後はハワイ攻略に決まってたんじゃないの? だったら最初から取っておけ
第二波やって、やっと日本機が消えたら戦艦が突っ込んでくるって
学研のおまけ仮想戦記を読んだことあるな
そこで終わっていたけど 真珠湾攻撃の時に第三次攻撃を行っていたら日本側にも被害が
勝ち逃げできたから真珠湾攻撃は評価されているわけで 真珠湾攻撃(史実)で評価?
あのおかげで、日本海軍は確実かつ早期の敗北が決定した
真珠湾攻撃で狙うべき「米艦船」は、戦艦でも巡洋艦でもなく、駆逐艦などの対潜艦艇と工作艦
第二波の目標は航空機と重油タンク、湾外へ脱出した駆逐艦などの対潜艦艇だけでよい まあ真珠湾攻撃についてはアレコレあるけど、スレタイに沿う話題があんま無いのよね。 甲標的の投入は明らかに間違いだよな
甲標的が補助艦艇扱いなのか潜水艦扱いなのかは知らんが >>802
甲標的は強いて言うなら真珠湾攻撃時だと「兵器」扱いだから(その後も番号でしか呼ばれてない)、
補助艦艇と呼ぶのも潜水艦と呼ぶのも微妙なんだよな。
話題としてはこのスレでもいいのでは、とは思うけど。 後知恵であれこれ言うのはだめだけどさ 湾内突入じゃなく周辺航路で
機雷敷設でもしたほうがましだったんじゃないかと 甲標的は元々外洋で運用するつもりで開発したから小さいわりに小回りが効かなくて
狭い湾内での機動が難しいって定説
でもシドニー湾攻撃の時は実戦果挙げてるんだよね
目と鼻の先の距離で外して別の艦に当たってるけど・・・ >>796
冬の荒れた北太平洋を約2週間
カイコ棚に詰め込まれての航海で
陸の兵隊さんが無事とは思えない。
戦艦突っ込みで終わるしかないな。 >>807
北の荒海で、あまりの船酔いで
足の踏み場もないほどぎっしり倒れた兵員室、
最大の楽しみである食事でさえ、放棄して
食わないまま寝てる(というか船酔いで苦しんでる)
という実話陸軍兵。 >>806
マダガスカル島で誕生した親独派の政権を倒しに来た英陸軍の上陸を
支援したHSSラミリーズを擱座せしめたのも我が甲標的ですよね?
何年か前にマダガスカル島に取材に行った日本のTV撮影チームの
映像に甲標的の残骸があったように記憶しております。
時期に恵まれたのかもしれませんが独ゼーフントより戦果が多い気が。 無条約前に駆逐艦母艦とか大鯨みたいなのを2隻は追加で建造できなかったのかな?
最上の8インチへの改装とかせんでいいから
そういうロジスティックや空母に改装可能なら船を優先して建造しておけよ
とは思う そこまで先見の妙があったら、あんな自体に陥っていないし
戦争も起こらなかっただろうな まあ、ロ35の大量生産を実行できない点でも近代戦は無理だな 米軍はミッドウェーで最上型が20cm砲になってるのを知って驚いたくらいだから
戦争初期にはそれなりにインパクトの有る改装だったんでしょう
計画倒れで終わった主砲換装計画が多い中だと大型軽巡から重巡に計画通りに
クラスチェンジ()した最上型は評価に値すると思う >>812
>>814
制限外艦艇の枠組みに収めるには速力20ノットの制限は無視出来ないんだが。
だから大鯨も剣埼も第一状態では20ノットの枠内で計画決定していた訳で。
後ろロ35じゃ通商破壊戦論者の好きなアメリカ沿岸での通商破壊なんざ
逆立ちしても無理。
戦勢が敗勢に有る時の生残性向上改造も無理(大きさに余裕が無い為)。 数が足りないのがいろんな作戦の不利に繋がっている
伊号なんか生産辞めてロ35に傾注するだけでも改善する
数こそ正義 20ノットのしばりとか別に構わないやん
缶と機関の追加スペースを空けておけば良い
なんならディーゼルエレクトリックにしておいて艦本式タービン設置の後は
ディーゼルは発電目的で据え置きで構わん どうせ大型軍艦しか狙っちゃ駄目
暇こいている時でも商船や駆逐艦には一本しか魚雷使っちゃ駄目
この体質が変わらない限り伊号が呂号になろうがUボートになろうが変わらない >>817
しないよ。<ロ35型
昭和19年後期から、大きいところでは艦橋のUボート類似の換装迄含めた
大工事までやっても生残性は大して向上しなかった。
(ロ35型唯一の残存艦が艦橋は無改装のロ50、と言うのは寧ろ皮肉だ)
開戦劈頭だとロ35型じゃハワイ沖に行った後、ついでの米西岸での
通商破壊戦も出来ない。
物理的に出来ないからな。
今の御時世に数だけ揃えて、と言うところで、WWIIの軍用機の数を揃えても何ら
意味が無いのと同じ。 艦艇にしろ航空機にしろ造れば乗組員や搭乗者は自然と涌き出て来ると思ってるようなのが多いのは何故?
それこそ人材軽視と言われても仕方が無いのでは
伊号を呂号にしたところで生産のネックは内火機械なんで隻数は増えないという罠 それとも海防艦・敷設艇向けの内火機関を呂号潜増産に回すのかな
そうなったら海上護衛は史実から更にガッタガタですね 援英、援ソみたいな大船団が手頃な航路でうようよいるわけでなし
通商破壊なんぞ言ってないよ
マリアナ海戦でもその他でも潜水艦の哨戒網を広げる意味で
ロ35は適任だし、量産効果で建造に1年しかかからない
数は正義! 哨戒網拡げたり二段三段哨戒したりしても運用がウンコだから対潜艦艇や航空機の餌食になる艦が増えるだけじゃないかなあ >>823
Uボートだって在来型は1943年から比例級数的に喪失が増えてるから数は正義にはなり得ない。
数が正義になり得るのは、総合的に性能が高くて喪失し難いという付帯条件を満たさない限りは
成立しない。
多分Uボート辺りに夢見てるんだろうが、残念ながら日米共通の見解で、在来型Uボートは
「水中運動性の能力が低くて低評価」なのが現実なのだ
(だからこそ大多数のUボートは精々出撃2〜3度で喪失してしまう)。 伊号に比べれば小型で水中操縦性が高くてロ35は好評だったわけで
ラッキーストライクを狙うには数だろ?、 可潜艇の性能に大きな期待はしてないから
戦場に展開出来る数こそ正義! >>827
だから先に書かれている通り機関の製造能力がネックになるから大して数増やせないんだよ
まあ小型な分発見され難く発見されても高い運動性で逃げ切る率も高いとなれば前線で生き延びる艦の数は増えるだろうけど >>829
その辺も生残性向上改装を受け入れられる船の大きさが必要になる、というのが820の指摘だろう。
出来る傍から撃沈されてしまえば戦場に展開できる数なんて増えないんだがな。
多分ID:FWjebrNWの頭の中身は潜水艦はロシアの兵隊程度の認識なんだろ。
そんな消耗戦した所為で戦後ロシアはソ連崩壊までずっと苦しみ続けた訳だが。 初質で悪名高いカスミンの主張そのまんまなんよね<伊号止めて呂35に絞ればよかった
まあアレはとにかく通商破壊戦をやれば勝つる!で思考停止して、じゃあ呂号の航続力でどの輸送路に投入するの?って問いには答えられなかったし
1隻当たりの内火機械の数は潜特型除いて伊号も呂号も変わらないから呂号に絞っても隻数はほぼ変わらないよ?にも返答できなかった
しかしねぇ、否定的意見に目もくれず執拗に同じ主張を繰り返すところまでカスミンをデッドコピーしなくても良かろうに… >>828
数を増やすための予算がありません。
というわけで例によって皆さんご一緒に。
「みんな貧乏が悪いんや!」
基本的に、攻める戦力も守り切る戦力も、両方はもとよりどちらか一方ですらも単独では整備しきれないので、
「日本に攻め込むとメンドクサイな…」と思わせる戦力整備だけして、実際には何されても戦争しない
現存艦隊主義が正義を上回る大正義。 伊号だって大馬力艦本式ディーゼルを製造できなくなって低馬力に切り替えてる
台数が同じでも、伊号よりロ号の主機の方が小馬力で気筒数やサイズが小さいから工数は低減して
生産性は上がるだろう? まあハ201みたいにロ号でも1軸にする英断があればさらに工数は減って万歳なんだが ロ35型は形式的にロ33型海中6型の後継、つまり海大型の小型版として作られている
なので、速度が優先されてしまった
機関は
ロ33型:21号8型2基3000PS 1基あたり8気筒・450rpm・ボアストローク450×420mm・重量32t(34.5t?)
ロ35型:22号10型2基4200PS 1基あたり10気筒・510rpm・ボアストローク430×450mm・重量不明(42.5t?)
ちなみに22号8型もあり、1基あたり8気筒・550rpm・ボアストローク430×450mm・重量26t・1700PS
通商破壊用と割り切るなら、この22号8型を採用して、水上最大速力を下げておけば12ktで10000海里程度も可能だったかもしれない >>809
真っ昼間からなすすべもなく
相次いでやられてますな ドイツの場合、対戦後半には水上戦略も洋上航空戦略も無しに潜水艦一本だったから
なぶり殺しだったわけで
まがりなりにも昭和20年上四半期まで航空機、水上艦艇で立体戦を維持できた日本では
可潜艇であっても数があれば米艦隊に
一撃のチャンスはあった
と言ってみるテスト >>834
工数減らないし速力が出なければ配置場所に就く前に撃沈されるだけだな。
後潜高小みたいに小さくし過ぎると魚雷発射の反動で艦首が浮いてしまう、なんて問題も有る。
ID替えて下らない思い付きを幾ら並べても現実は非情なのだよカスミンの亜種クン。 >>837
もういい、お前はよくやったよ。
あとは誰からも無視されて一人寂しく鳴くようになる前に、ここを去った方がいい。 魚雷を発射すると艦首が海面に出てしまうのは大型潜水艦でもよくある事よ
潜水艦のトリムはそれくらい絶妙
日本潜水艦で自動懸垂装置付いてた艦なら防げた現象だけど >>836
いくら末期とはいえ海防艦2隻立て続けに食ったのかよ、と思ったら
音響誘導魚雷使ってるのな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AF_(%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6) >>840
いんや、潜高小の場合は発射すると重量バランスの問題で艦首が完全に水面上に出てしまう、
という問題が有ったそうな。
これは完全にスレ違いになってしまうが、伊14潜の乗組員の手記で潜高小の訓練を眺めてたら、
訓練魚雷発射で艦首が完全に水面上に突き出してしまっていたそうな。 >>836
大西洋でも米がMk.24フィドーで沈めた潜水艦が相当数あったり
末期Uボートの攻撃成功例もG7es(FaTを誤認した例も含めて)を
撃ち込んだのが多かったらしいから誘導魚雷はそこそこ戦果挙げてるんだなと >>841
最大速度は12ノットにも達した。
ってマジか。「にも」って。 >>843
その重量バランスがトリムなのよ
日本の大型潜水艦には自動懸垂装置って水中で自動的に水平を保てる装置が付いてて
トリムバランスが他国の艦よりずっと楽だった
終戦直前にドイツの潜水艦を接収して使えるように訓練したけど海底に突っ込んだり
海面に飛び出したりで操縦の難しさに閉口したエピソードもある >>848
自動懸垂装置の仕組み知らないのか・・
どんな音なんだw >>846
もとは航空機用の初期の短魚雷だからね
その代わり潜望鏡深度まで上がらずにソナー頼りに射出したり、
運用の幅が広がった >>849
ドイツ近くまできたイ号潜水艦は
自動懸垂装置はうるさいので使わなかった
と便乗技術者の手記にある。帰途は撃沈。 >>850
もっと速度あるんじゃないか?。12ノットでは
よけられてしまうぞ。 >>851
海面に艦首突き出すより見つかりやすいとか本気で思ったのかね? 重隅だが
自動「懸吊」装置?自動「懸垂」装置?
どっちでも引っ掛かるんだが 俺は「懸吊」しか見たことないな
釣り合いを自動的に保つ装備なんだし「懸垂」は無いっしょ wikiだと吊のほうだったわ
アジ歴だとどっちもかからんから開示資料に入って無いのかも試練 >>852
12ノットであってるよ
もともと対水上艦用に開発されたドイツのミソサザイと違って
航空機から急速潜航した潜水艦を攻撃する目的の兵器
ただ、当時の護衛艦はソナーで潜水艦を探知するとき、相当低速でないと
雑音でまともに聞こえなくなるから、潜水艦にも自衛兵装としての意味があった
https://www.researchgate.net/publication/312221907_The_Mk_24_Mine_-_FIDO_US_Homing_Torpedo_1943
戦後型のMk.43でモーターの改良とアクティブ誘導で20ノットくらい出せるようになったはず >>852
伊52潜を沈めたときの攻撃パターンが上のリンク先に載ってるけど、
速度も射程も限定的なので、航空機の場合は先にソノブイを投下して
八の字を描きながら推定位置に近づいて投下するらしい
(NHKドキュメンタリーで撃沈時の音声が出ていたあれ) >>852
https://maritime.org/doc/jolie/part2.htm2
先に海防艦47号を沈めた方が20ノット出る長魚雷のMk.28で
13号を攻撃した方が艦尾発射管のMk.27短魚雷(12ノット)なのかな 12ノットの魚雷って聴音で探知するのは難度が高くないですかね
電池魚雷で航跡ないから聴音頼りだし探知できた時点で聴音速力から振り切れる速力へ持っていける時間的距離的余裕があるのかしら
そも聴音で探知できても音響追尾魚雷だと早期に気付けるのか疑問
えらい低速の魚雷だと思いながら転舵で交わすも変針して追ってくるのでそこで追尾魚雷と悟って、そこから対処(増速して振り切るとか音響デコイを投入するとか)の余裕が残っているか ロ号に乗せるディーゼルエンジンがないのなら焼き玉エンジン乗せればいいじゃない(byマリー)
石炭缶を載せた潜水艦(ゴクリッ) 潜航中の潜水艦というノロノロ速度相手なら12ノット魚雷でもいいだろうけど、
もっと速度の出る海防艦に向けて射って命中させたというのがミソだな。 イ200って急速潜航2分もかかるとか、水中高速航行で水面に目立つ波が立つとか
潜望鏡を上げると速度を落とさないといけないとか
水中航行で安定性が欠けるとか
潜航浮上の際の上構造の海水の出入りが思うようにいかないとか
なんでそんなことに? 酸素魚雷と比較すると92式電池魚雷の低性能とかメンテナンスの面倒さが目立つから生産に躊躇するのは分かるが
日本海側の場合、魚雷の生産不足って深刻だったの?
戦闘艦艇は魚雷を撃て、商船は砲で沈めろ
つうのは潜水艦の搭載魚雷数の問題で、総生産量の問題ではないよね? >>867
完全にスレ違いだな。
いい加減にしろカスミン亜種。
こっちか他の潜水艦スレで聞いてこい。
日本潜水艦総合スレッド 94番艦
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1562764962/ >>864
後部発射管から対潜攻撃に入ろうとしてる敵艦にぶっ放すって米潜の定番戦術がある
TDCの緒元入力が半自動化されてるのでそういう射法をやりやすかったらしいが
音響追尾魚雷だと低速でも命中を期待できたかも >>864
丁型海防艦が17ノットを出してる時に12ノットの魚雷を当てた、というのなら確かにスゲーですけどね
潜水艦を探知しようと速力を聴音器の有効範囲まで落とした状態で音響追尾魚雷を放たれたら
探知できても増速の余裕が無い距離だったら全速35ノットの駆逐艦でも12ノットの魚雷に喰われる
艦尾側から接近されたら自艦の機関音推進器音に邪魔されて探知もできないまま被雷だってありえる
対潜艦が12ノット以上出しているなら真正面からでもない限りまず喰らう事はないだろうけど
潜水艦側がそんな速力を出している相手へ12ノットの魚雷を放つ理由は無い
そしてその速力で対潜艦側は水測がどれほどできるのかな https://ameblo.jp/rekisisuki/entry-11561351674.html
「見張り員の絶叫「雷跡左40度!」、艦長「取り舵一杯!」白い雷跡が艦側をかすめていく。
5分もしないうちに「雷跡右30度」、「面舵一杯!」。
これもかわしたが、3回目はどちらから来たのか分からないまま艦尾に命中した。
…爆雷員は吹き飛んだのにどこから出てきたのか、燃えさかる後甲板で
爆雷が誘爆するのを食い止めようと必死になって海に放り込んでいる者がいる。」
https://en.wikipedia.org/wiki/USS_Torsk
"At around 12:00, a second Kaibōkan arrived in the area to hunt for Torsk;
the latter fired a second Mark 28 torpedo and then dove deep to evade any depth charge attacks.
After reaching a depth of 400 feet (120 m), she launched a Mark 27 torpedo, a passive acoustic torpedo.
Shortly thereafter, the hydrophone operator detected a large explosion;
this was the Mark 28 striking the Kaibōkan, and a minute later the Mark 27 struck the vessel as well. "
両舷から雷撃を受けていると海防艦側は判断してるけど、
最初のMk.28音響誘導魚雷(20ノット)が追尾してきたんだろうな
水深120mから射出したMk.27(12ノット)は命中しなかった可能性がある
爆雷の誘爆または投棄の爆発音を誤認したか
あと>>861のリンク貼り間違えてた
https://maritime.org/doc/jolie/part2.htm いや1本被雷したとして、最初のMk.28の方が外れた可能性もあるか、ごめん 以降、潜水艦の話を続けるやつはスレ違いスルー&NGで 呂号潜の人はともかく、上の話は海防艦47号と13号の最期だし
スレチどころかむしろ本筋じゃねーの? 潜水艦戦で最大速力を出していたとは考えにくく、おそらく12ノットかつ小型ゆえ、艦尾の機関騒音にかき消されて探知できなかった
下手したら、海中深くから昇っている最中に探知を始め、海面下を水平航行せず斜め下から命中したかもしれない
この辺りは沈没したから本当のところはわからないけどね >>876
どんな使い方をしたのか気になって検索してた
http://www.bergall.org/cutie.html
分かったことは…
Mk.28がドイツのG7esを参考にした純水上目標用(潜望鏡深度以上で使用)なのに対し
Mk.27「キューティ」はMk.24「フィドー」対潜航空魚雷の派生型
Mk.24/27は速度が低いが、初の3次元機動が可能な短魚雷で
目標をロストした場合、設定深度で周回捜索するように設計されている
自艦に戻ってくる危険があるので潜水艦では深度150フィート以上で
後部発射管から射出する(大深度でも発射できるスイムアウト方式)
要するに対潜艦が食いついてきたところで下からぶっ放すわけだな 間違えた
目標をロストした場合、設定深度で周回捜索するように設計されている
↓
目標を探知するまで、設定深度で周回捜索するように設計されている 堀元美も言っていたがな
同一船型でそこそこの性能を大量生産することこそ
近代戦の要 ・潜望鏡深度よりずっと深くから発射され斜め下方から昇ってくる
・回避しても周回捜索してくる
・しかも無航跡
対潜艦側もこんなの喰らうとは思いもしないよな
性能素性が分かってても実際に投げ込まれたら失探やむなしで速力上げて振り切る他にどんな対処法があるんだろう
あとカスミンの劣化焼き直しな呂号潜一本槍話はもう勘弁してくれないかな >>871
左から来て、かわした魚雷がUターンして
5分もしないうちに今度は右側からきて
これもかわしたら、またUターンしてきて
海防艦のウエーキに隠れて見えなかったか
艦尾に命中といったところかな。
航海長の話からは魚雷はやや早い印象がして
20ノットぐらい出ているようでもある。 沈没したわりには助かった乗組員の人数が多い。
陸地がすぐ近くで漁船が多数きてくれたことが主因だとすると、
外洋で魚雷で撃沈されてときの戦死者って、爆発とかよりも
救助されなくて溺死した人の方がずっと多いんじゃないかな。 一号海防艦なんかあれだけ舷側にしがみついている人が写真にくっきる写っているのに生存者ゼロだもんね... 神奈川沖で米潜水艦に魚雷で撃沈された日本海軍駆逐艦だと生存者なしで行方不明だな
何はなくとも僚艦と航行しないと怖いよね 松も生存者ほぼゼロ。朝霜生存者なし。
沈没時に生存者救護作業がないと悲惨 神奈川沖といっても伊豆七島の沖だから陸側からも島側からも視認できる距離でもなく定期 というより、アメリカの機銃掃射=戦争犯罪がそれだけ熾烈だったということ 米軍エースパイロットなんか日本軍基地攻撃で撃墜されたのを日本潜に救出されて助かってるんだけどな >>888
グレゴリー・ボイントンだな。
1944年1月といえば連日100機の空襲中か。
ラバウル港には小艦艇しか居なかったはず。 日米とも航空戦の予想される海域に派遣される潜水艦はパイロットの救助任務与えてたから
潜水艦に救助されるパイロットは結構居た
米軍は救助任務のために潜水艦乗員を島へ上陸までさせてたけどな >>880
ソノブイだのホーミング魚雷だの、末期のASWはどこかの火葬戦記状態だな orz 日本もMAD搭載哨戒機から対潜爆弾自動投下してたくらいだし 特攻隊員が不時着で黒島にいて
マルユが引き取りに行っていた MADだと目標の識別できないから爆弾自動で落としたらヤバいなw 連合軍側も1941年からMADを運用しはじめていて
43年には一般的な装備になってたとあるけど
具体的な運用実績とか、KMXと比較した史料が見つからない 英軍が香港で海底設置のを使ってたのを日本軍が占領した後で発見してる
日本のはもっと前に気象観測で開発したのを転用した奴 数百メートルー1キロあたりで目視で見つけた潜望鏡に数発の爆雷を投網のように打ち出せる前投兵器の開発が欲しかったな >>898
それは戦前から英が試作していて効果薄いってことで
ヘッジホッグやスキッドの開発に移行した 我が国だと、対潜弾とか対潜噴進砲か?
実戦に間に合ったのは三式八糎迫撃砲と二式十二糎迫撃砲だけど… 前投兵器が有利なのは日本も分かってたから対潜弾や迫撃砲使ってたわけで・・・ 前投兵器自体は作るの難しくないけど、
実用的なものにするための水測との連動の方が課題になる 単に潜望鏡狙って撃つだけならボフォース乱射するか
ハント級の一部みたいにバウチェイサー積むほうが効果的だったので アスディックとソナー系もっとましなの付けないと前方投射ってだけで
劇的な改善にはならない あと英軍ならスキッドもけっこうつかってるしな 水測単体の性能自体は改善しているが、水測員の養成も間に合わないし、艦レベルでの運用なんかもヘナチョコだし色々ダメです 米軍は日本のほとんどの船団に直接護衛がついてるのに感心はしてた
効果的かどうかは別にしてもね 20ノット出る優秀客船の場合、低速船団と分離して高速で独航してう回航路でもよかったかもね >>907
おっとそこにB-25があらわれました
どうする?
→にげる
たいくうせんとう 昭南島〜佐世保の航路はいくら航路を秘匿しても、南沙諸島の座礁を回避するルートとかバーシー海峡、台湾両岸、東シナ海と
暗号解読がなくても航路のノードというか中継地点が決まっていて
潜水艦に捕捉されやすいんだよな
北大西洋みたいに自由な航路選択が難しい 独航船はもし襲われて攻撃を受けたことを発信できずにやられたら安否すら分からなくなるからなぁ 特設監視艇は目視頼みだったわけだけど
簡易な水中聴音機を海中に垂らしたら数十海里先の機動部隊の航行音とか探知できなかったのかな? >>912
他の水中雑音と区別できるスキルをもった聴音手が全ての監視艇に配属できるくらいいれば。 >>912
特設監視艇レベルで運用できる吊下式の聴音機だと使用範囲1000mとかなんで目視の方が断然になる
有用だったのは無線機による敵信の受信なんだけど、ここも乗組員に遠洋漁船の無線士あがりとかの個人スキルに頼りがち むしろレーダー装備の米機動部隊の中に日本の特設監視艇が紛れ込んでて米軍が仰天な有様 小沢部隊からトンボ釣りのため分離した杉と桐が
デュポーズ隊に紛れ込んでしまった話は、ネット上では
小沢部隊に再合流できたのに敵部隊だと勘違いして
離脱してしまった、という話になっているね。 >>916
レーダー持ってるのにそんな間違いするわけ無いじゃんって感じなんかね >>917
ひょっとして、まるっきりの創作話かもね。
夜間に敵艦隊に合流してしまった話自体が。 >>918
なんでそう思うのかわからんが、だとしたらなぜそのような話を作る必要があったのだろうって不思議に感じる。 迷子になった単座機がようやく編隊を見つけて合流したら敵機の編隊だった、的な個人体験ならまだしも
小粒とはいえ艦橋要員でも複数が乗り組みの艦艇がそれも2隻、杉も桐も残存したんで経験した生存者が居ると思うんですが
創作なら誰がどんな目的で話を創ったんだろ? 敵艦隊に紛れ込んだ話を証言しているのが桐艦長だけ。
戦後何十年もたってから出た話であることなど。
エンガノ岬沖海戦の熾烈な囮戦闘に参加したのに、ほ
とんど役立たないわまま戻ってきたためか。 大惨事ソロモン海戦みたいに夜間に彼我の艦隊が交錯したら当たり前のように起きる混乱ではある この紛れ込んだってのも、歩兵同士が本当に隊列に一人紛れ込んだのをイメージするのか、
水平線に艦影みかけたので近寄ったら敵だったからバレる前に逃げたという空母戦特有の前衛と本隊が視認距離外にいるような距離感をイメージするかで全然違うからな それ以前に「最初から叩く気満々で全てに悪意で解釈する」みたいな話をマジメに議論してもなぁ…
これ言い出したら戦史業書なんかも創作多数になるでしょ。
お得意のアジ歴なんかにはなんか書いてないのかね。 アジ歴も日本側の事後報告が公文書元に羅列してあるだけで事実無根とか普通にある 歴史モノは全てそうだけど、タイムマシンでも持たない限り事実無根なんて断じ方もオカシイのよね。
誰が本当のことを記録してるのか、あるいは誰もいないのかなんて誰にも言えないわけで。
だから「最初から俺は何も信じてない」的な議論にはノレないな。 >>926
は?命中を記録してても相手の記録に無ければ誤認とするのが当たり前なんだが?
アジ歴はあくまで日本側の記録なんだから戦果や評価に関して誤認があるのは当然の話
日本側の記録に関しても事実誤認はあるけどな
まさか米軍側が公文書で残してるkillレートが真実だと寝言言わないよな? >>927
どっちかが真実という話ではなく、どっちも確かめる術が無い場合があるよねという話をしてるんだが…
声を荒げりゃ話が通ると思ってないかい?そういうのもう飽きられてるよ。 つか、そんな事よかやるべきは>>916の話の出どころじゃないかな。
少なくとも俺はそんな話(杉と桐が小沢艦隊を敵艦隊と誤認して戦場離脱)、初めて聞いたよ。
いったいどこでそんな話が??? >>916では「ネット上では」と言ってるからwebでアクセスできる何らかの媒体だろうけど >>929
レイテ沖の日米決戦 佐藤和正
という本に載ってた。というか月刊「丸」の
連載が本になったもの。 >>929
杉と桐が小沢艦隊を敵艦隊と誤認して戦場離脱
というのはwikiなどで出てる。詳しいのはココ
ttps://dic.pixiv.net/a/%E6%A1%90%28%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6%29 「敵艦隊に合流したとき巡洋艦に向けて魚雷を射っていれば必ず撃沈できていたな」
という意味のセリフが本に載っていたが、杉とともにもし射っていれば
伊勢と日向が大破かな。 wikiだと逆に「なんか味方だったという説もあるよ」くらいの扱いだな
参考文献が2018年みたいだが、最近出てきた新説なのか? 「レイテ沖の日米決戦」はハードカバー版が1988年、31年前の発行だそうで
丸への掲載はもっと前の筈 確かに18時頃分離された2隻が仮に20ノットで南下を続けたとしても23時頃の謎の艦隊発見まで100浬、
185km程度にしかなりませんから米機動部隊の位置に達するのは無理のように思えますね。 >>931>>935
それなら「丸」への連載をリアルタイムで見てたし、>>934のセリフも記憶に残ってる。
そしてそれが元ネタなら、「無線電話の受話器を取ったら英語が流れてきて仰天した」というくだりが入ってるはずだよ。
味方と思って合流したら無線電話からは英語、闇にすかしてよく見たら艦形が味方じゃない…って話だったから、
文章の解釈をめったくそに間違えたんじゃなかろうか?? >>936
戦場では起こりがちな時間や位置の誤認、あるいはオカルトネタくらいに留めといた方がいいんじゃないかな。
元ネタでも米艦隊側では気が付かずに記録に残ってないっていうから、真実はどこにあるのか誰にも証明しようがない。 >>936
戦場では起こりがちな時間や位置の誤認、あるいはオカルトネタくらいに留めといた方がいいんじゃないかな。
元ネタでも米艦隊側では気が付かずに記録に残ってないっていうから、真実はどこにあるのか誰にも証明しようがない。 夜間の謎の会敵?のあと、朝からは日本空母部隊から攻撃隊が発艦していったが、
敵空母との距離はたったの1時間ほど。巡航速度が300kmとして日米の空母部隊
の距離は300から400キロの近さ。マリアナ海戦で片道3時間以上かかって大量
に撃墜された反省か、未熟搭乗員がさらに増えて着艦も難しいため、攻撃後は空母に
帰らずに(たった1時間なのに!)フィリピンの航空基地に着陸を指示されてる。
そして、桐と杉は日本の空母部隊の直衛についていたが、洋上の燃料給油に失敗して
おり、でも他の艦艇では出来ていたことから両艦ともにまだ訓練中もしくは技量未熟
だと思われる。伊勢日向は前衛部隊として空母よりも前方に出ていたとされ(日本空母
の直衛だったかどうか?)、アメリカ空母部隊も、デュポーズ隊は分離して前衛として
近くまで来ていたため(夕方には日本空母に直接砲撃)、近いといえば近い。
夜間合流したとき無線電話からは英語が聞こえてきてびっくり、は、上空を哨戒していた
アメリカ偵察機からの会話だろうという推定がされている。 >>941
不意の会敵は24日夜、デュボーズ隊分離は25日
時系列が合わないんだよね >>936
仮に20ノットでまっしぐらに南下しても185km程度か。前衛部隊に合流したか
どうかとなると完全否定するには微妙な距離だな。
>>937 闇にすかしてよく見たら艦形が味方じゃないという話は、夜間とはいえ
伊勢と日向を見間違えるかな。秋月型駆逐艦は空母直衛にいたままのはずだし。
味方誤認説は伊勢と日向と秋月型駆逐艦4隻が前衛として分離してこの隊と誤認した
とされているが、そもそも小沢部隊は護衛艦艇が少な過ぎる。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:1944.10.24_小沢艦隊陣形(訂正).svg
空母直衛駆逐艦は、槙と桑だけになってしまう。
デュポーズ隊は
重巡洋艦ウィチタ、ニューオーリンズ、軽巡洋艦サンタフェ、モービルの4隻をはじめとする巡洋艦隊 >>942
えっ、「レイテ沖の日米決戦」では合流相手はデュボーズ隊とされていたぞ。
うーん・・・・・ いま手元にないのだけど、佐藤和正のレイテ本は、時系列確認しないで山城の最期の命令そのままに扶桑が指揮を引き継いだと書いてるガバガバ本しゃ無かったっけな?
関係者の適当な記憶そのまま未検証で活字にしてるような。 >>945
西村艦隊のくだりは間違いない。
でも1980年代までの戦史編纂なんて大なり小なりそんなもんで、当時としちゃガバガバってほどではない。
だって「さまざまな資料を突き合わせた神の視点」が誰でも容易になるのは1990年代後半移行だもの。
軍事系雑誌読み漁ってた人間からすりゃ「ああここはちょっと違うけど艦名マチガイか事実誤認かな」で済むレベルよ。
だからガバガバとか言わず、「そう書かれていた事実とその意味」という資料になる。 >>944
「分離後のデュボーズ隊」とは書かれてないし、そもそも米艦隊の陣容や所属部隊を確かめる術が無かった状況だから、
合ってるとも間違ってるとも両方言えちゃうし、言えないのよね。
いわゆる「なんか戦艦とか空母とか巡洋艦とかいるけど味方っぽくない」ってだけの話だから。
何をどう考えたって、謎は謎のまま、何かを断定する方がオカシイって結論にしかなりえんよ。 >>946
まあ強く責め過ぎかな。
でも当時すでに時雨艦長が、先に扶桑が脱落して……と書いたのが活字になってたと思うけど発表の時系列は確認してないからアレだな。
読者としては思わずツッコミ入れたとこではある。 >>948
丸の掲載戦記に限った話じゃないけど、全てを鵜呑みにしないで誤記誤認は自分の中で直しつつ、一歩引いて自分の中で整理する糧にしとくってとこね。
どれだか忘れたけどプリンストン撃沈を敷島隊の戦果にしてる戦記もあったし。 >>943
当夜の米機動部隊の位置は記録があります。
2022に第二群(ボーガン)と第四群(デヴィソン)に対して25ノットで北進し、もっとも北に位置していた第三群(シャーマン)に合同するよう命じています。
3つの空母群が合同したのは2345で、位置は北緯14度28分、東経125度50分でした。
一方戦史叢書の行動図から小沢機動部隊の24日の位置は前衛を分離した1515で北緯18度45分あたりです。
ここから本体は西進したあと北上し、1800過ぎに2隻を分離させることになります。
仮に西進中に2隻が分離されたとし、更に20ノットで一路南下したと仮定して謎の艦隊と接触した23時頃には約185.2km。
緯度の1度は約111.3kmですから23時に仮定される位置は北緯17度5分付近となりますね。
2345の米機動部隊との距離は緯度で言えばまだ2度37分、つまり約291kmほど離れていることになります。
両軍の位置の認識が正しかったとすれば、2隻の駆逐艦が米艦隊に接触するのはやはり無理のように思えます。 では前衛はどうでしょうか。行動図ではもっとも南に位置していた時期には北緯16度45分付近に達していたとしています。
これは北上を命じられ開始した2230頃の位置と思われます。
米夜間索敵機は0205に自軍艦隊の北方約85浬(約157.4km)に5隻の一群、その後方40浬に6隻の一群を発見しています。近い方が前衛のように思われます。
米艦隊は0時に北緯14度31分付近にあり北東の針路をとっていますが0245の位置は行動図では北緯15度42分付近。
そこから85浬北方だと北緯17度7分あたり。
2隻の駆逐艦が遭遇したのはこの前衛である可能性は辛うじてあるかもしれませんが前衛の北進が遅すぎ断言できるほどの位置とも言えないようです。
遭遇したのが23時より2〜3時間早いとすればまだ南下中だった前衛と接触した可能性がより高くなるようように感じられますが。 >>950-51
結論が「記録を信じる限り無理だけど、さりとて真相はわからない」にしかならん話、まだ続けるの?
続ける目的がよーわからんので口をはさみにくいぞ。 >>952
遭遇したのは米艦隊の可能性は殆ど無い。
前衛も微妙。遭遇時間の記憶に誤りがあるとしたら可能性はあるかも知れない。
位の話ですね。 >>953
叩きたいわけじゃないのだけど、どんな結論にせよ
「どこかで何かを間違ったんだろうな…でも証言する人が他にいないし、わかんないな。」
にしかならんのよ。敵も味方もその2隻を確認してないし。
変に誰かが推測とか独断と偏見で決めつけ始める前に、打ち切った方がいいんでないかな…
半ばオカルトネタで
「実は記録に無い米艦隊がそこにいたに違いない」
「松本零士のケースゴールドネタで、まほろば艦隊やもしれん」
「いやいやタイムスリップしてきた海自の練習艦隊が…」
とか、そっちのノリで続けるならともかく。
…つか、小沢艦隊と米第38任務部隊の空母任務群以外、本当にどの艦隊もその海域にいなかったのかって疑問もあるのよね。
でもそのくらいは誰かが考えて調べてるだろうし。 >>954
何かより迫れる資料なり見解なりをお持ちの方が居られるといいな、というつもりです。
そこそこ知られた話ですから検証した方も居られるかも知れないなと。
かくいう私は「艦長たちの」をいま手元に持たないので遭遇説に好意的な条件を仮定して迫ってみようと試してみた次第です。
原著にはもっと具体的な条件が記されているのかも知れませんね。
尚、米水上部隊が分離され空母の前に出るよう命じられたのは25日0240。レキシントンの北方10浬に進出しました。
ではおやすみなさい。 既に考慮済みでしょうけど
日本軍の記録は日本時間で米軍の記録は現地時間でしたっけ 暫編第一軍さん、とっても詳しい解説ありがとうございました。感謝しております。 >>951
>>米夜間索敵機は0205に自軍艦隊の北方約85浬(約157.4km)に5隻の一群、その後方40浬に6隻の一群を発見しています。
「夜間」索敵機は、北方約157kmに
5隻の一群、その後方40浬に6隻の一群を発見。
最後方の6隻は空母4隻に、護衛はわずか2隻か。もしくは空母を2群にわけたか。 「杉」と「桐」が何に遭遇したかについては別解釈をweb上で見かけたが、
「敵前逃亡するために口裏を合わせた。戦後の証言も意図的な嘘」
と断言していてさすがにurlを紹介することも、またこの解釈に同意することも躊躇われる。 敵前逃亡呼ばわりかよ。時雨もベラ湾夜戦だったか他の3隻が撃沈されたときも
ただ一隻だけ帰ってきたのを罵られていたな。戦後の解説で。 創作呼ばわりする程度の感覚で敵前逃亡呼ばわりしてるのかもね 敵前逃亡するために敵前逃亡したと虚偽の説明をするとは斬新な解釈ではあるな。 夜間の合流は大変難しいのに(電波封鎖)、それでも味方部隊へ合流に成功したが
英語が聴こえてきたので敵だと思ってすぐ離脱してしまった、という経緯だとすると
むしろリアリティはあるな。仮想戦記ではこうは書けないだろう。創作だと願望が
反映されてしまって自分に不利になることは書きづらいからだ。 まるっきりの創作話かもとか言われてなければこうまで続いてないだろうけど
言いだしっぺはどの立ち位置の人物が創作してるという意味合いで言ったんだろ?
直接当事者?聞き取り者?話を伝聞した第三者?それともこれらの組み合わせ? >>964 質問は1つぐらいにしないと、
そんな立て続けの聞き方では返答むりぼ >>964
意味合いとしては「叩くネタ切れでなんかそれっぽいの見つけた」じゃないかな…
ホラ、叩く相手探してウロウロしてるみたいなの、いるでしょ。 >>966
加えて「定説に囚われず斬新な発想ができる俺カッケェー」てのも含んでるんじゃ
自分の願望が反映されてしまって無意識に解釈の舵を自論に有利な方向へ切ってないか常に戒めておくとする 貧乏でなく艦種統合ができなかっただけ
船団護衛艦(艇)に特別装備付の海防艦を当てたり意味不明 >>971
艦種統合って具体的にどういう話だろう…そうすれば勝てないまでもマシな戦いになりそうな話?(結論出尽くしているので半ばあきらめつつ) 万能兵器目指した汎用兵器は実際の現場では帯に短し襷に長しになりがちなんだよね でも予算の都合で汎用性を強く求められる日本
戦後もそれは変わらないという(´・ω・`) 掃海艇が敷設した機雷を敷設艇が掃海する、という艦種名称への挑戦が実際に可能な海軍ですし >>974
海自の第1世代くらいまでじゃ?と思ったけどFFMが再来になるのか… 駆潜艇、敷設艇、(艦隊)掃海艇、(のちの)海防艦→掃海駆潜艇
ベースは夏島型敷設艇(マル4から簡素化した平島型敷設艇)
巡洋艦、軽空母、高速給油艦→巡洋艦(巡洋艦以外は船体のみ使用)
ベースは最上型軽巡後期(鈴谷型)
15.5cm砲のまま航空巡洋艦となった最上=利根型
4番砲塔を撤去=阿賀野型
上側をすべて撤去して、軽空母の一部設備を設置=剣埼型高速給油艦
剣埼型高速給油艦をフル軽空母化=瑞鳳型軽空母
天龍型と夕張→測量艦化
駆逐艦、急設網艦→駆逐艦(急設網艦は船体のみ使用)
ベースはシフト配置にした陽炎型駆逐艦
秋月型は作らず、球磨型軽巡を改造
潜水艦はイ15(のちイ54)型とロ35型へ統合
正規空母で翔鶴型は作らず史実の雲龍型を作る。ただし、マル4で大鳳は建造
どうにかして藤本喜久雄のクビをつなげなければ史実通りになってしまう
なので、当時の杉政人艦政本部長をいろいろ使う 急設網艦は搭載物の状況次第でGM値の上下が大きく変わるんだけど船体を駆逐艦と共用できるの?
てえかL/B比の大きな高速船形が急設網艦に使えるの?? 港湾の内外で小回り性能活かして戦う駆潜艇と長時間船団エスコートする海防艦の共通点なんか潜水艦沈めるの目的とした船以外は無いぞ
敷設艇は搭載能力や敵に発見された際逃げられる速力を本来与えたいし、掃海艇は静粛性や安定性欲しいし
条約の制限下で無理しまくった為に高コストの最上型ベースに高速給油艦とかレクサスの後席潰してピックアップトラック作る様なもんじゃん
急設網艦を陽炎型(しかもシフト配置?)ベースとか正気? >>978
上の方で呂号潜のスレチ話題を繰り返してたカスミン亜種だろ。
スルースルー。 もしかして:「急設」網艦=敷設巡洋艦ばりに高速で進出しつつ防潜網を展開する艦種と思っている
あれは「急設網(前線泊地で短時間で展開する防潜網)」艦なんですが
16〜20ノット程度の艦と駆逐艦とで船体を共通化とか戦闘機をベースに哨戒機を作るようなものでは
敷設艇ベースの護衛艦艇は航続力が足りず海防艦の代わりを務められないし
最上型の四番砲塔を撤去で阿賀野型の代わりとか全く意味が分からない
小型化が要求される水雷戦隊旗艦用なのに船体サイズは1万トンクラス、それでいて砲塔は一個減らして弱兵装化、マジで何がしたいのか理解に苦しむ
そしてまた出た呂35型への拘泥
まだ続けるようならスルーですかねえ ロ35型以外に当時の戦前海軍が認めるわけないだろう
本当はUボート7型の日本版を大量産したいところだけど、それには空母赤城を提供するくらいの手土産が必要だし
"急設網艦は船体のみ使用"が読めない輩多くて笑う
機関はディーゼルになるし、第二砲塔が載っている部分は移設するし
小型水雷巡洋艦なんか敵前衛に配置された敵軽巡と刺し違えるだけでほとんど無意味
見つからないようすり抜けるのなら、できるだけ小さな高速版夕張が最適
史実の阿賀野ができた頃には、アメリカはクリーブランド級をセコセコ作っているんだぞ
4番砲塔を撤去するのは、水偵の爆風破損をできるだけ防ぐためと居住環境などを少しでも良くするため(跡には12.7cm連装高角砲を置く) >>982
荒らしカスミン亜種には誰も用は無いんだ。
キミの下らんオナニーはチラシの裏にでも書きなぐり給え、見苦しい。 敷設艇で航続距離が不足するなら改良すればいいだけ
機雷を40発降ろして、40トン分の燃料庫を作れば14ノットで4000海里は行くだろう >>984-985
バカ妄想でスレ荒らしするバカスミンの亜種は邪魔。
失せろ。
お前のバカ妄想は航続距離と違って燃料も無いし、能力も無いからなw >>977>>982
船体だけ使用?
んな高性能追求している分高価で建造工程も多い陽炎型の船体を特に速力必要としない補助艦に転用?
大蔵官僚が呆れて以降の予算案全却下するわ
翔鶴型の経験無くして大鳳とか何寝言ほざいているの?
で被弾に弱い安物空母の頭数だけ増やすのに防空艦を球磨型の改装で済ますとか正気? 天龍型と夕張を測量艦に、つーのも訳が分からん
30ノットオーバー出せる測量艦??どこでどんな使い方をするのを想定してるんだ?
あと日本海軍の主戦場は地中海でも北大西洋でもない太平洋全域なんですが
なんでVII型レベルで事足りると思ってるのやら、アメリカは海大7型クラスのガトー・バラオ級を投げ込んで来てるんですが
その辺を全く考慮せず量産量産って唱えてるだけってマジでカスミンだぞ 敷設艇ベースでは局地の対潜掃討までは使えても航洋護衛艦としては船体過小でしょ
例え機雷を降ろして燃料を増載しても洋上の対潜はまだしも航空機には為す術がない
8サンチ高角砲の1、2門でB-25や艦載機を相手にどうしろと?
必要性能の下限から編まれたのが丙型丁型海防艦の計画だと分かってるのかね
機雷40発降ろしてって数字だけで簡単に言うが敷設艦艇では機雷を出し入れする機雷庫は船体内の一等地に置かれる訳で
そこに重油タンクを置くのかね?
「タンクの配置くらい変えるわ」って言うかも知れんが、それはもう船体の共用ではなくなってる 阿呆はまあスルーとして>>989の視点は重要
実は英のコルベット/フリゲートがなんで成立するのかって
対空/対艦火力ほぼ捨てて対潜に全振りしてるから
逆に英艦が最低限確保していた居住性切って航続力も妥協して
積める限り対空兵装載せてるのが日本の丙丁型海防艦
つまりこれ以下は航洋護衛艦として絶対無理なの
もちろん米の護衛駆は全部兼ね備えてますw >>982
その船体だけ使用ってのがガワしかみてなくて復原力の検討とかが甘いって話や
そもそも上海事変時の敷設艇燕や夏島の実績から、輸送船団に随伴させるには700トン以上の船体がほしいという評価があって、
そこからの占守型や橋立型砲艦にフィードバックされて、さらに敷設艇や掃海艇、橋立型は浅喫水を狙いすぎて遠距離航行にはちょいと劣るって流れを無視してどうする 船体を使用って拘ってるけど船体の『線図』を流用って意味か?
タービンとディーゼルとで機関の占有サイズも重量もタンク類・所管系統の配置も違ってくるから肋材や機関の支持構造が共用できる訳がない
船体外部のラインは同じにできても内部の空間配置や支持構造、重量配分、強度配分は別物
外側の形に拘泥し過ぎて却って内部の構造や配置に無理が生じる可能性もあるのに外部ライン『だけ』の共用をごり押しする意図はなに?
こういうのが正に「定説に囚われず斬新な発想ができる俺カッケェー」だな タービンとディーゼルどちらかを積んでた同型の海防艦あったね >>994
丙型と丁型は大きさは似通っているけど、機関の相違に由来する艦内配置の違いは
結構あるんだが。 諸元 丙型海防艦/丁型海防艦
基準排水量 745トン/740トン
全長 67.5m/69.5m
最大水線幅 8.4m/8.6m
喫水 2.9m/3.05m
機関出力 ディーゼル2基2軸1900馬力/タービン1基1軸2500馬力
速力 16.5ノット/17.5ノット
燃料搭載量 重油106トン/重油240トン
航続力 14ノット6500浬/14ノット4500浬
推進器軸が2軸と単軸の時点で完全に別物でしたな
丁型のほうが丙型より全長・幅・喫水とも大きいのは燃料と予備水を含まない基準排水量の値だから
丁型は燃費の良くないタービンで余計に燃料を積む上に缶水まで抱えるから兵装が丙型と同一でも船体規模は大きくなってしまう >>996
海防艦の場合だと、特に機関の相違で水測室の場所まで変える必要が出るし、
タービン機関だと軽荷状態でも適切な喫水を取れるような設備も必要になるから
見た目だと煙路と煙突形状以外に大した違いは無いように見えるけど、
中身は全く別物、と言っても言い過ぎじゃないくらいに違ってくる。
現に寸法はほぼ同大だけど、燃料搭載量は丁型の方が100トン程余分に搭載出来る。
(が、航続距離は丙型に比べて劣り、門司〜シンガポール間を丁型は補給無しでの
行動は無理だった) 細かい事言えば、双眼鏡の台座の防振ゴムだって、丁型は駆逐艦と同じ規格で薄板1枚入れれば良いが、甲乙丙は2枚キレイに入れて締めないとチラついて海面見張れないとか細かい指摘点はいっぱい
燃料タンク缶水タンクの位置が変わるって事はタービン軸受け減速歯車の潤滑油注油のラインが変わって缶水タンクの中貫通させたりとか艤装箇所まで見始めたらきりが無いね このスレッドは1000を超えました。
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