南雲忠一中将を再評価するスレ(散)
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南雲長官はもっと評価されるべき(38代目)
前スレ
[37代]南雲忠一中将を再評価するスレ(阿)
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1562598586/
(>>9〜霧中変針の章、>>517〜友永隊艦攻全力案の章)
過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし
admiralnagumo@ウィキ
http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo
戦史検証が中心になるので、雑談は支隊スレへどうぞ
【飛越し着艦】本日の南雲部隊司令部 1AF【離着艦】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1384660511/ >>824
そうですね、何より多聞丸自身が嫌がりそうな気はしますが・・・
でも、男なら一度はなってみたい職業に挙げられますよね。
「オーケストラの指揮者」、「聯合艦隊司令長官」、
あと何だっけ
>>825
過去スレでも話題になりましたが、大艦隊を率いる能力って、
具体的に何なんでしょうねぇ
潮風のにほひ・・・かな >>826
そんな・・・こんな過疎スレで、スレ主が発言しないと、すぐに消滅するがな
南雲スレの98%は、GF長官で出来ています。
>>827
ああ、わかります。
朝日新聞が批判するから、政府の方針は正しい、みたいな。
おっと >>822の続き
真っ先に思い浮かぶのは、天候の影響です。
悪天候で、索敵機が引き返すのはよくあることですし、
実際6日のミッドウエー近海は、天候が悪かったようです→>>685 >>830の続き
また、燃料不足の線も考えられます。
「さらに痛手だったのは、航空機への燃料補給設備が破壊されたことで、
以後の燃料補給をすべて手作業でやらなければならなくなり、
航空部隊に急速補給を実施して再出撃させることが不可能となった」
(『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウエー』)p129
こんなところにも、友永隊攻撃の影響が表れていますね。
B−17への補給を優先して、PBYは満タンに出来なかったのかも。 >>831の続き
他には、搭乗員が疲労しすぎて、
700浬の長距離哨戒は不可能な状況だったとか。
何しろ5月31日から始まって、一週間も休みなしですからねぇ
ほんと、おつかれさまです。 ============================================
第2次世界大戦当時のアメリカの搭載機が多い理由
============================================
・グラマン社特有の翼の折りたたみ方法(F4F、F6Fは非常にコンパクトに格納できた
・露天繋止の数が多い(特にエセックス級は飛行甲板が広い為)
・格納庫の天井が高く、吊り下げて格納可能 ・・・ https://i.imgur.com/Onotrir.jpg
吊り下げ格納は、空母レンジャー(CV-4)から対応。
大型空母のサラトガより、エンタープライズの方が搭載機数が多い運用が多かった。
★エセックス級の搭載機定数
1944年初頭
戦闘機36機(ヘルキャット)、艦上爆撃機36機(ドーントレス)、艦上攻撃機18機(アベンジャー)+飛行隊長用1機の合計91機 か、
戦闘機36機(ヘルキャット)、艦上爆撃機32機(ヘルダイバー)、艦上攻撃機18機+飛行隊長用1機の合計87機
※アベンジャーは雷撃機以外の運用もある。
1945年にはカミカゼ対策で戦闘機の数を増やし、合計100機を超える運用になった
>>833
========================================
翔鶴の搭載機状況(画像はプラモデルより拝借)
========================================
翔鶴は、マリアナ沖海戦時77機搭載だった。
(零戦34機、天山12機、彗星18機、二式艦上偵察機10機、九九艦爆3機)
ミッドウェイ海戦の反省から偵察機を増やしている。
☆翔鶴は2段格納庫
格納庫の合計面積は広いが・・・
格納庫画像 ・・・ https://i.imgur.com/F1Mjyi6.jpg
★グラマン社の戦闘機のように翼をコンパクトに折りたためない。(格納庫画像・左上)
★日本の空母は格納庫の天井が低く、将来に大型化する搭載機に対応できない
また、CV-4以降の米空母のような吊り下げ格納も不可。
格納庫内が天井ぎりぎりですね(格納庫画像・右上)
★エセックス級空母のように、何十機も露天繋止するような運用はできない
資源が豊富なアメリカは波浪などでの損耗も折込済で、
多数の護衛空母から補充できた。
イギリスも露天繋止には消極的で搭載機数が少ない。
アークロイアルは2段格納庫で72機で計画していたが実際は48機だった。 唐突に搭載機数云々の話をし出して何をしたかったのか意味不明
なんか全体的に雑過ぎて突っ込み所いろいろあるけど一つだけ言えば
イギリスも露天繋止には消極的で搭載機数が少ないなんていい加減なことが書けるんだろうな
例えばインプラカブルは何十機も露天繋止積めるし実際に積んでいるし最初から積むことも前提だぞ >>833
==============
格納庫 検証
==============
●赤城の格納庫 ・・・ https://i.imgur.com/BImcpAi.jpg
・格納庫の広さは合計約8640u
・3段格納庫の最下部は補用機用
・格納庫の形が歪で、途中でかなり細くなっている部分があり収容に難がある。
旧式機の定数91機だが、ミッドウェー海戦時69機で蒼龍並の少なさ。
戦艦からの改造でもあり、格納庫の設計が酷すぎるかな。特に艦橋の位置が悪い。
==
エセックス級空母は、格納庫約4250u(1段格納庫)だが、天井が高く(主翼をはずした状態)で吊り下げ格納可能
大戦末期のカミカゼ対策で、戦闘機数が増大し、152機も搭載した空母(タイコンデロガ、ワスプ)もある >>833
露天前提は、色々運用が大変そうですが・・・
>>834
台風銀座の日本近海で、露天は有り得ぬ
>>835
英空母はもともと搭載機が少ない印象がありますね。
露天しなければ、ただの軽空母・・・
>>836
艦橋は位置より大きさの問題でしょう。
司令部を置くには狭すぎる。 >>832の続き
ところが、機数が半減しているのに、索敵範囲は
それほど変わっていない。
200度〜20度(全索敵開度180度)を22機
↓
250度〜20度(全索敵開度130度)を10機 >>838の続き
もともと南方から日本軍が進攻してくる可能性は少ないので、
南西方向から北西、北方にかけてを重点的に索敵すれば、
十分に目的を果たせると思われる。
そして実は、前日までの22機による索敵は、
22線ではなく、二機一組(時間差で同じ索敵線を飛行する二段索敵)の
11線だったとうかがえます。 >>839の続き
ここから、索敵間隔は、
180度÷11線=16度から、
130度÷10線=13度と、
それほど変わっていないですね。
上記を整理すると、色々制約が多い中で、
二日目も索敵を継続しようとする基地側の努力の跡が見える。
ただ問題は何といっても、進出距離ですね。
700浬から250浬に短縮では、あまりにもこころもとない。
この事実を、スプルーアンス少将は知っていたのでしょうか。 >>837
搭載機数36機の正規空母を渡されたら何をすれば良い? >>817
昭和17年においてどうだっかの話をするとまた様子が違うと思うし
爆弾の性能の進歩を掌握してた将官クラスは限られてるだろうから
技術史的な観点はともかく、司令官の作戦指揮を分析するならば、
誰がいつどんな認識だったかをその根拠の当否から論じないと意味がないと思います
昭和17年といえば
150kg爆装で航続距離延長を諦めた時期からまた爆弾は進化してて
山口少将(のみならず空母部隊)が対米戦で使ったのは新しい世代の爆弾
防御甲板の貫通を期待された九十九式二五番通常だけでなくて
九十八式二五番陸用は鋼板25ミリ貫通して自爆せず
各航空戦隊では短遅動の信管を付けて大型艦に投下されるまでになってるから
例えば飛行甲板ですら表面で自爆して数時間で修復されるような穴しか開かないというような威力不足は恐れられてない
(その場合は秒時が一番小さいのを使うはず)
そして少なくとも山口少将の部隊については、
おそらくは悪天候時に撃角が小さくなることを恐れて陸用爆装のみによる攻撃隊は編成してない
用心を重ねて基地攻撃にも貴重な通常爆弾を混ぜている
こうした流れを見れば、即時発進の意見具申も、敵空母の封殺が可能という見通しのあるもので
また却下された理由も、封殺が不可だからというものではないだろうと推測できる
改良を重ねた爆弾が(空母部隊には)行き渡り
かつ実際の使用状況から考えて、
昭和10年ごろに一連の実験をした頃とは認識が違うのではないかと思われる 矛盾してるみたいだけど、矛盾ではない
艦攻隊や艦爆隊の通常の戦術に期待して陸用爆弾を半徹甲弾的な設定の信管で装備させることと
悪天候により投下高度低下や降下角の低下した場合の備えに通常爆弾を混ぜることとは
両立する概念である >>842
それの話ならもう壊滅すらありえる危機的状況だから非効率承知で何でもいいから叩き込めいう発想だろうよ
とりあえず攻撃当てればイケかもしれないしダメかもしれないけど、そんなこと言ってられない
という話であって敵空母の航空能力奪えると思っていたから具申したんだとするのはちょっと違うでしょう >>841
まずは腹ごしらえといきましょう。
>>842-843
日本海軍恐るべし、ですね。
陸用爆弾ですら、瞬発で使おうとは思ってないのか・・・
>>844
意見具申の時点で、「危機的状況」だったのですか。
それは悲観的ですねぇ >>840の続き
ミッドウエー島を基点として、進出距離250浬ということは、
例えば米空母が、島の北方100浬に居たとしたら、
空母基点で考えると、自身の150浬先までしか、
索敵範囲に含まれていない
ということになる。
となれば、200浬先の敵空母に易々と主導権を
握られてしまいますよね。 >>846の続き
この状況で、母艦機の索敵を実施しないとは
正気の沙汰とは思えない。
もちろん、スプルーアンス少将は基地の索敵計画を
知らなかったのでしょうが。
このあたりのグダグダっぷりは、
どこに原因があったのか。 >>847の続き
もともと、作戦計画(OP29−42)の中で、
Long range aircraft retire to OAHU when necessary to avoid such destruction.
「破壊を避けるために必要ならば、オアフ島まで長距離避退しても可とする」
テンプレ>>1「米海軍作戦概要」
PBYの温存方針を明確に示しており、
戦闘二日目ともなれば、それまでの広範囲に及ぶ索敵態勢が
維持できないことも、十分に予測できたはず。 >>848の続き
ニミッツ長官は、前線の指揮官の意思を尊重し、
上級司令部が介入することを良しとしなかったようですが、
基地と洋上部隊の連繋を緊密にするような措置を講じるなど
出来なかったのか。
(たぶん色々やっていたのでしょうけど)
”第16任務部隊の索敵機は何処に在りや、全世界は知らんと欲す”
とでも打電しますかねぇ イラストアリス級6隻で、イギリスも露天繋止したが
アメリカ製の航空機があればこそ。
多数の護衛空母から、損失の補充に余裕ができたから消耗品と割り切れる。 >>833
>>841
★1945年1月の搭載機定数
□エセックス級空母
合計102機
VB- 15機 ヘルダイバーかドーントレス
VT- 15機 アベンジャー
VF- 36機 F6FヘルキャットかF4Uコルセア
VBF- 36機 F6FヘルキャットかF4Uコルセア
夜間戦闘機や指揮官機の有無によって搭載機数の違いがある。
この時期になると、F4Uコルセアの割合が増えてくる。
急降下爆撃はF4Uコルセアで代用可能だった。
菊水作戦(1945年4月)以降は、さらに戦闘機を増やした
□カサブランカ級護衛空母(別名カイザー級)
合計28機(戦闘機FM-2 16機)
FM-2は、F4Fの軽量型で主に護衛空母用で、
F4Fのシリーズでは生産数は4127機で最も多い。 >>833
★1944年11月7日搭載機定数
□エンタープライズ
合計98機
指揮官機 1機 F6F-5
VF-20 15 F6F-3 (初期量産型)
4 F6F-3N (夜間戦闘機)
35 F6F-5 (改良量産型)
VB-20 24 SB2C-3 (無線機と酸素供給装置も新型に変更)
VT-20 19 TBM-1C (燃料タンク増)
--
F6F ヘルキャット
SB2C ヘルダイバー
TBM アベンジャー(ジェネラル・モーターズ社生産機)、TBF アベンジャー(グラマン社生産機)
※戦闘機の後継F8Fベアキャット(軽空母ラングレーが日本攻撃の為に移動中に終戦)、
攻撃機の後継A-1 スカイレイダーは太平洋戦争の実戦には間に合わず。
機種 爆弾等搭載量kg
九九艦爆 250kg ×1発 1、60kg × 2発 (発動機1070馬力)
九七艦攻 800kg魚雷×1発、最大800kg爆弾×1発
ドーントレス 1000lbs(454kg)爆弾×1発 など「魚雷攻撃はできない」
ヘルダイバー 1000lbs(454kg)爆弾×1発か2000lbs(907kg)爆弾×1発 など
アベンジャー Mk.13魚雷×1発 か 500lbs(227kg)爆弾×4発
彗星 胴体250kgまたは500kg爆弾1発
天山 九一式航空魚雷1発 か 最大800kg爆弾1発
F4U-1Dの爆装 3000lbs(1361kg)、(発動機2000馬力)
--
流星改ー 胴体500〜800kg爆弾1発、または250kg爆弾2発 か 魚雷1発
スカイレーダー 3215kg (発動機2500馬力) >>1
●飛行隊の戦闘経過
(1)ミッドウェー空襲隊
△友永丈市大尉指揮:零式艦上戦闘機36機、九九式艦上爆撃機36機、九七式艦上攻撃機36機、合計108機)
友永隊から、第2次攻撃が必要と要請。
(2)偵察機として赤城 、加賀から九七式艦攻各1機、重巡洋艦利根、筑摩から零式水上偵察機各2機、戦艦榛名から九五式水上偵察機が発進
(3)各空母より零戦1個小隊3機が直掩のため出撃。1機が故障のため合計11機で上空警戒
(4)四空母に分乗している第六航空隊の零戦21機を使用できるよう準備を指示。隼鷹にも補充用の零戦12機あったが距離が遠すぎた。
(5)米空母攻撃用に待機中の攻撃部隊
△零戦36(各艦9)、艦爆36(飛龍18、蒼龍18)、艦攻41(赤城17、加賀26)の精鋭部隊だったが・・・
まだ米空母は未発見だったので、雷装から爆装(第2次ミッドウェー空襲隊用)への転換で混乱。
(6)アメリカの基地航空部隊による攻撃開始
戦闘機、パイロットの能力差で、日本側の圧勝で空母4隻への被害なし
(7)エンタープライズ、ホーネットから117機の攻撃隊発進
時間差で、ヨークタウン35機の攻撃隊も発進
日本空母3隻大損害。
(8)飛龍の反撃(稼動可能40機を2波に分けて攻撃)
△午前8時出撃の攻撃隊(小林道雄大尉指揮、艦爆18機、零戦5か6機)・・・艦爆13機、零戦4機(不時着1)を失う
△午前11時30分出撃の攻撃隊(友永大尉指揮、九七艦攻10機・零戦6機)・・・艦攻5機、零戦機(不時着1)が撃墜され、使用不能艦攻4機
偵察機の情報から、アメリカ軍の空母戦力が空母3隻(エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウン)と、今頃判明・・・
▲残存戦力は、零戦10機、艦爆5機、艦攻4機
この段階で、アメリカ側も艦爆隊以外は壊滅的だった。
(9)エンタープライズの艦爆24機が、飛龍を攻撃。
前部格納庫周辺が大火災となり、巻雲が魚雷で処分。 >>845
敵空母にこちらが攻撃隊を送る前に敵空母から先制攻撃されてしまうなら危機ですね
言うまでもないけど山口や南雲の擁護や糾弾みたいな話をする気は無いがな >>844
第三次空母攻撃を戦力不足を理由に一時間延期して薄暮攻撃とした(結果、発進前に被弾)例があるから
取り敢えず空襲効果を度外視で発進ということはないように思われる
戦闘詳報ではこれを批判して攻撃隊は躊躇わず出せと書いてる
10機も冷戦をつける予定なのに攻撃を躊躇ったのは
艦爆は対空機銃にやられやすいから6機では食われてしまうと思ったのかも
もちろん出してしまった方が被弾時の火災は防げるし、飛行機と搭乗員を無事な空母に移せるから
空中退避としては意味がある
しかし発着の手間がものすごい空母では空中退避はなかなか決心できないものですよ ちょっと思ったこと
米空母で露天繋止の機体が多い(ことにより搭載数が多い)のは人手が多いからではないか
警戒機の発着のたびに何十機も前へ後ろへ移動させてるわけだから
日英に比べてやたらと多い人員が配置されてる理由もこれではないか
ダメコンにも有利なのはあくまでおまけで >>855
小林隊の大損害が理由でしょ?18機の艦爆を出して帰ってきたのは五機で小林隊長
だけでなくニ小隊隊長も戦死するという酷さだったから。
零戦は六機付けたけどTF-17に達した時はたったの四機になってたのも原因だけど。 >>856
アメリカの消化班は日本の空母の10倍くらいの人員だったらしい。
だからエセックス級空母の大火災でも沈没を免れた。
(特にフランクリンとバンカーヒル)
炎上中の空母の護衛の巡洋艦や駆逐艦が豊富だったのも大きい。 >>845
恐るべし?
陸上爆弾は瞬発信管しかつけないなんて考えは元からないよ
建造物など非装甲物破壊したい時は表面で爆発させるより中で爆発させた方が良いのは当たり前だから瞬発信管は望ましくない
98式陸上爆弾の話ならアレは通常爆弾の簡易代用であり、装甲目標は視野に入れられている
支那事変の地上攻撃で硬目標に対し苦労した経験があり、装甲以外にもコンクリ目標に対して瞬発だと困るわけでな アメリカの原子力空母は、機体のメンテナンスは格納庫内の甲板で行い
悪天候以外は、露天繋止が標準。
アングルドデッキの為、着艦中も駐機スペースのやりくりが容易で
●原子力空母(ニミッツ級)の格納庫内
https://i.imgur.com/bKeYhdw.jpg
□ニミッツ級 格納庫の長さ208.5m、幅32,9m、高さ8.1m
--
F/A-18
全長17.07
全幅11.43m、翼端にAAM各1発装着時12.31m、翼端折り畳み時8.38m
全高 4.66m
●フライトデッキコントロール
露天繋止の搭載機のやりくりを模型で検討している。
https://i.imgur.com/H22zVP6.jpg
紙幣にトランプ大統領のサインがあったが、記念にサインを残す習慣がある? >>857
おそらく攻撃を躊躇う理由は、支那事変と第一段作戦の戦訓、敵空母部隊の対空砲火に関する報告が決定的と思われる
当初、白昼攻撃の予定では10機も零戦を付けられる予定だったわけだから戦闘機対策は講じてる
だけど対空砲火については数で飽和する以外にどうしようもない
艦爆隊がやられたのは想定外の大損害だったけど
士官が一人しかいない直掩隊を出して全機が釣られてしまい、攻撃隊をやられるのはウェーク島空襲でもやってるから
攻撃隊の援護を徹底出来てないのは責められても仕方のない部分
それこそ偉い人は教育、訓練、気風による部下の失敗に責任を持たなくてはならないから
直掩の2機だけ分離して敵の艦爆隊を攻撃したという説もあるけど
その場合、兵曹が重松大尉を無視した挙句、第二小隊三番機を取り残して未帰還にさせた件として大問題になってるはずだから
すれ違った敵機を攻撃したのも、空戦すら始められないまま何分もF-4Fに艦爆隊を攻撃されてしまったのも
重松大尉が6機をまとめて行動させ、攻撃隊を離れてた傍証
で、こうした行動による損害はもうウェーク島空襲そのままな訳だから >>850
かつては英国の空母レンタルするくらいだったのになぁ
>>851-
後半につれて戦闘機が増えていきますね。
>>853
ありがとうございます。
第二次攻撃隊を出したかったなぁ・・・未練 >>854
あ、すみません、本職が確認したかったのは、
”壊滅すらありえる>>844”こっちの方です。
例えば、基地攻撃隊にも先制攻撃されていましたが、
「壊滅すら有り得なかった」のですか?
>>855
そうですね、なぜか第三次攻撃を薄暮攻撃に切り換えた
=敵に先制を許す壊滅すらありえる危機的状況
を、山口少将が選択したのに、スルーされちゃう不思議。 >>856
なるほど、それは考えていませんでした。
さすがの米帝さまも、飛行甲板上では手押しするしかないのか。
>>857
その理屈だと、意見具申時もあてはまるのでは・・・
>>858
そうですね。本職も
米空母のダメコンが優れている理由は乗員数が多いから派です。 >>859
ありがとうございます。一応過去スレでも紹介しましたが、
『日本海軍の爆弾』(兵頭二十八/著)には、
「昭和15年の文書には二五番陸用爆弾は瞬発信管をつけないと
壊れてしまうと注意を促している」(p59)
とあります。
爆発の効果よりも、弾体強度不足による不完爆を恐れての対応ですね。
昭和17年当時は、その問題は解決されていたということか。 >>849の続き
結局のところ、スプルーアンス少将が索敵を行わなかった理由は
謎のままです。
当然やるべきことをやらなかったのだから、不可解という他ない。
それを強引に理由付けしようとすると、
ビュエル氏のように苦しい言い訳(>>684)をするしか
無いのです。 [ミッドウェー海戦](6月6日(0400時頃)日本時間)
(5日)1400時
×(B)日本空母1隻撃破(飛龍)
北西方向に約180浬
(5日)0730時 ┌┘
×(A)日本空母3隻撃破(赤城・加賀・蒼龍) ┌┘
西方に約190浬 △北緯31度・西経176度
↓ 米空母部隊(スプルーアンス少将)
(エンタープライズ・ホーネット)
(5日)2320時
×(C)日本重巡衝突(最上・三隈)
南西方向に220浬
■ミッドウェー島
※方位と距離は、米空母部隊の視点から。 >>866の続き
史実の経過に戻りますと、
既述(>>717-718)の通り、
ちょうど夜明け前に、ミッドウエー島西方海面で
日本軍の重巡部隊が発見されたとの潜水艦情報が
スプルーアンスの手元に届きます。
これを受けて、米空母は「敵巡洋艦追撃」のため、
南西方向に針路をとった。 >>868の続き
>>867の地図を見てください。
前日に日本空母が居た北西海域を横目に
右側背をガラ空きにしたまま、のんきに巡洋艦退治ですよ!
もし同海域に、生き残りの敵空母が居たら?
5隻目の空母が接近していたとしたら?
まさに”不意の横槍を入れる”絶好の機会を敵さんに
プレゼントしていたわけですね。 >>869の続き
この航跡図を見るだけでも、
スプルーアンス少将が、いかに的外れで意味不明な行為か
明らかに分かるでしょう。
日頃、南雲長官に講釈を垂れる空母戦術家?の皆さまの
ご高説を賜りたいものですな! ★零戦の生産機数(ソロモンの消耗戦で1日平均5機程度生産では補充が間に合わない/他の機種はもっと少ない)
:
1942年4月 76機 ●ドーリットル空襲(空母ホーネットからB-25による帝都初空襲)
1942年5月 86機 珊瑚海海戦(祥鳳沈没、翔鶴大破、航空隊大損害)
1942年6月 74機 ●ミッドウェー海戦大敗で零戦の保有数も激減
1942年7月 87機 飛鷹竣工(第三艦隊「南雲忠一中将」(空母6隻 翔鶴、瑞鶴、瑞鳳、隼鷹、飛鷹、龍驤)
1942年8月 103機 ガタルカナルの攻防で泥沼の大消耗戦開始、第1、第2次ソロモン海戦など大小の海戦多数
1942年9月 126機 改マル5計画に修正(改大鳳型空母5隻、雲龍型空母13隻、戦艦110号艦(信濃)の空母化など
1942年10月 137機 南太平洋海戦(21号電探のおかげて、ドーントレスに奇襲されるようなことはなかったが・・・)
1942年11月 147機 第3次ソロモン海戦(制空権を失っており、戦艦比叡を喪失、新戦艦2隻の砲撃で戦艦霧島も喪失)
:
(省略)
:
1944年4月 458機 零戦の生産ピーク。F6Fなどの新型機に性能で対抗できず消耗が続く
1944年5月 327機
1944年6月 300機 マリアナ沖海戦(攻撃隊は爆装零戦で数量を補うが目ぼしい戦果なし)
1944年7月 278機
1944年8月 367機 雲龍、天城の空母2隻竣工(航空隊が壊滅状態で、出撃機会なし)
1944年9月 380機
1944年10月 339機 台湾沖航空戦(空母11隻撃沈の"大本営発表")、レイテ沖海戦では空母搭載機は定数割れ(4隻で116機)
1944年11月 224機 ●昭和19年11月24日、マリアナの基地からB-29による帝都初空襲
:
(省略)
:
1945年8月 93機 ダンフォール作戦中止、8月15日玉音放送、9月2日降伏文書署名
ーー
・零戦の総生産数 約1万機(三菱製3810機、中島製6208機)
・改大鳳型空母の1番艦竣工が1947(昭和22年)の見込みで、到底間にあわず雲龍型空母建造優先で全艦キャンセル >>863
山口司令が第三次攻撃を薄暮攻撃に切り替えた理由は戦史叢書だと
1攻撃兵力の艦爆がかき集めて6機しかない
2第一次攻撃隊の損害から考えて昼間強襲となるのでは攻撃成功の見込みが薄い
3薄暮まで待てば損傷機の修理で攻撃兵力を増やせる可能性がある
4薄暮攻撃なら敵防空戦闘機の視界狭小となり防空戦闘機の活躍を抑えられる
5事前情報の総合で健在の敵空母は残り一隻になると判断していることからその程度であれば現在の味方の防空戦闘機数的に守り通せる
という経過らしいしそれほど批難されるものではないのでは? >>861
より機数の少ない友永隊の艦攻は半数が帰還している。
この攻撃で重松大尉は戦死しているから問題化する士官はいないのでは?
但し部内では問題とした空気があったようでその後、ラバウルに赴任したM兵曹は
態度が悪かったこともありT少尉に制裁を喰らわされたが。
>>862
カミカゼ対策で艦爆を減らして戦闘機を増備するのあたって海兵隊のパイロットに離着
艦訓練を施して賄いました。
>>864
早朝から続いた戦闘の繰り返しで搭乗員と兵は疲労困憊。少しでも休ませたかった
のではないかとT少尉はその著書で書いていますね。 >>871
ありがとうございます。
一説には、緒戦の頃、あんまり連戦連勝の大本営発表ばかり
するもんだから、早く戦争が終わっちゃうんじゃないか気運が出て、
中島も三菱も、ライン増設などの設備投資を渋ったという話も >>872
ええ、本職も賛同しますが、
即時発進具申のときも、友永隊の収容や護衛不足など
色々懸案がありました。
しかし、「空母戦は先手必勝」理論の一点張りで、
孫子まで持ち出して、南雲長官を叩きますよね。
その理屈を貫くなら、薄暮攻撃もまた非難されるべきでしょう。
「兵は拙速を尊ぶ」(笑)なんでしょ? >>862
なるほど、そうやって搭乗員を確保していたのか。
>海兵隊のパイロットに離着艦訓練を施して賄いました。
日本側の話だと、
戦闘機乗りが艦爆乗りに転向するのは容易だが、
逆は難しいとかなんとか。
どっちも大変だと思いますがねぇ >>870の続き
ここから、スプルーアンス少将の作戦指導は、
更に迷走を深めていきます。
6日夜明けから、日本重巡追撃のために
南西へ航走していた第16任務部隊ですが、
彼らが最上と三隈を攻撃したのは7日でした。 >>877の続き
「あ・・・ありのまま今 起こった事を話すぜ!
俺は、200浬先の敵巡洋艦を攻撃するために
行動を開始したが、実際に攻撃したのは翌日だった。
な・・・何を言っているのか、わからねーと思うが(以下略
いやぁ、事実は小説よりも奇なり、ですな。
まる一日追いかけてたら、そのまま水上砲撃戦になりそうですが・・・ >>878の続き
戯れは、この辺にしておいて、
PBYによる250浬の索敵(>>784)ですが、
あまり役に立たないかと思いきや、
なんと、敵空母を発見してしまった!
日本時間6日0500時、6V55機から報告、
2 battleships and one carrier afire, 3 heavy cruisers,
bearing 324, distance 240, course310, speed 12.
「戦艦2隻、空母1隻、重巡3発見、空母炎上中、
ミッドウエー島からの方位324度、距離240浬、針路310度、速力12ノット」 >>879の続き
これはお手柄ですね。
ミッドウエー島から240浬ということは、索敵範囲(250浬)の
ほぼ先端、引き返すギリギリのところで見つけたわけです。 [ミッドウェー海戦](6月6日0500時頃)日本時間
(6日)0500時
×(D)日本空母1隻炎上中(北西方向に約240浬)
(5日)1400時
×(B)日本空母1隻撃破(飛龍)
北西方向に約180浬
(5日)0730時 ┌┘
×(A)日本空母3隻撃破(赤城・加賀・蒼龍) ┌┘
西方に約190浬 △北緯31度・西経176度
←┘ 米空母部隊(スプルーアンス少将)
(エンタープライズ・ホーネット)
(5日)2320時
×(C)日本重巡衝突(最上・三隈)
南西方向に220浬
■ミッドウェー島
※方位と距離は、米空母部隊の視点から。 復員船用の空母2隻
最初に完成した鳳翔と、最後に竣工した葛城
笠置、生駒、阿蘇、鞍馬、伊吹などは未完成だが沈没しなかったので写真はあり
マリアナで艦隊決戦するには着工が1年遅かった。
あ号作戦に
雲龍型7隻、伊吹型1隻(搭載機400機程度)が就役していれば、もっと派手な戦いに。 >>882
空母だけが完成していても戦力にはならない。
高度な技量の塔乗員とそれを支える整備員、空母を
運用する乗員等、当時の日本海軍には、全てが欠けていた。
さらに、空母を護衛する駆逐艦、巡洋艦の不足は
言うまでもない。 1年着工ずれただけで仮想戦記になるけどな。
たらればのミッドウェイも同じ。のこのこ発進した主力部隊とか >>883
空箱でも意味あるよ空母は
マリアナにそれだけ追加すれば490機を一度に発進できる
飛行甲板の枚数が増えれば多少撃破されても影響が少ない
作戦の自由度が上がる >>885
彗星や天山が揃わなかったのか九九式艦上爆撃機を載せていてそれでも足りず
爆戦と九七式艦上攻撃機まで枯れ木も山の賑わいの如く掻き集めていた状態
なのですが? 更に給油艦不足で決戦海域を日本の都合が良い場所を想定した作戦しか立てられ
なかった状況なので空箱の燃料までは手配できない >>885
だから箱だけあってもそれ以外が用意できないのであればいくら空箱でも意味があると言ったところで話にならないということでしょ
飛行機も乗員も燃料もない空母なんて本当にただの空箱なんだから何をどうしようが使い道があるはずもない
動けないんだから 日本海軍は地上で撃破された戦闘機や爆撃機が多すぎ
カラー実録太平洋戦史で、機銃掃射で炎上する映像ばかりでねえ。 うーん一概に地上撃破といってもねえ
哨戒機不足で重要な方面に少数機の哨戒しかしてないところを奇襲されるのと末期ラバウルみたいに航空優勢を失って毎日一直配置で基地上空で邀撃戦やってて被害が出るのとでは理由も異なるし >>852
その後の CV-6 エンタープライズ
★1944年12月〜1945年5月
エンタープライズは、夜間戦闘部隊に所属変更。サラトガなども一時所属
夜間戦闘部隊は特攻機の基地攻撃に効果的だった。
☆1945年5月1日の定数
NIGHT AIR GROUP NINETY
ComNightAirGrp 90
VF(N)32機、VTB(N)27機 合計59機 (夜間戦闘用で搭載機はピーク時の98機から減少)
★1945年5月14日 特攻機により大破、修理中に終戦
★1947年2月17日 除籍
記念博物館船としてエンタープライズ保存活動は失敗。
空母はアラバマ、ノースカロライナなどの戦艦より人気がなかった。
★1960年5月 完全に解体 >>882
逆転マリアナ沖海戦!、絶対国防圏を押し返す!
○前倒し就役
(雲龍型7隻、伊吹型1隻) 雲龍、天城、葛城、笠置、阿蘇、生駒、鞍馬、伊吹
(追加合計306機 紫電改ニ 141機、彗星 126機、天山 138機、彩雲 21機)
○建造中の最終決戦兵力
雲龍型7隻 5009号艦 秩父、5010号艦 磐梯、5011〜5015号艦
改大鳳型5隻 5021号艦 赤城、5022号艦 加賀、5023号艦 蒼龍、5024号艦 飛龍、5025号艦 龍驤 ========================================
紫電改ニ、烈風改、流星 VS アメリカ新型機
========================================
1945年以降で実戦配備予定の新型機
戦闘機
F8F ベアキャット(空母搭載機、F6Fの後継機)
P-51H マスタング、Hは速度向上型。ダウンフォール作戦(日本本土上陸作戦)で全てH型に置き換え予定
攻撃機
A1 スカイレイダー 爆弾搭載量3トン超(空母搭載用に主翼の折り畳み可)
ジェット機
P-80 シューティングスタ >>871
零戦から新型機への更新遅れが致命的だったなあ。
烈風を見限って紫電改約1万機生産予定が、B-29の爆撃でわずか400機程度だった。
ーー
紫電改ニは空母機用仕様 >>890
日本の軍用機の被害の大半は地上撃破
これは日本軍の作戦行動の暗号がほぼ完全に解読されていたせい
いまから攻撃しようと滑走路に並べているところを米軍に強襲されてしまう
これを米軍は「七面鳥撃ち」と呼んだ(七面鳥は飛べないから)
「七面鳥撃ち」は「マリアナの七面鳥撃ち」が新聞の見出しとして有名だが
記者がそれ以前から米軍内で使われていた言葉を拝借しただけ >>896
トラック大空襲で新品の零戦五二型を300機近く地上で焼かれたのにも懲りずに
ダバオ誤報事件でせっかくかき集めた零戦を約100を焼かれた。
米軍が地上で大量の機体を焼かれたのはパールハーバーとマニラだけだった。 >>882-
むむ、マリアナの話が始まってしまったな、
あとは東雲長官に任せよう >>881の続き
それでは、PBYが発見した「炎上中の空母1隻」とは何か。
これは飛龍で、ほぼ間違いないでしょう。
前日からの経過を振り返ってみると、
14時に飛龍は被弾>>881の(B)
山口少将の奮闘も空しく、南雲機動部隊は壊滅した。 >>899の続き
しかし、前部リフトが吹っ飛ぶほどの衝撃だったが、
機関部に損傷はなかったため、飛龍は28ノットを出すことが
可能であり、北西方向に避退します。
ところが格納庫の火災が徐々に艦深部に拡大して、
日没後の18時半頃には、機関停止してしまった。
その後も消火活動に尽力するも誘爆を止められず、
日付の変わった6日0015時には総員退艦。 >>900の続き
山口少将と加来艦長は艦に残った。
夜が明けた0210時、駆逐艦巻雲は魚雷2本を発射し、
飛龍は沈没した・・・
はずでしたが、実は飛龍はまだ浮いており、
それに気付かないまま、機動部隊は避退してしまった。
その漂流する飛龍を、主力部隊の空母鳳翔から発艦した
九六艦攻が発見します。
驚いた南雲長官は、駆逐艦谷風に、飛龍の捜索と処分を命じた。 >>901の続き
だいたいこんな流れになります。
6月6日(日本時間)
0210 駆逐艦巻雲、飛龍に魚雷発射
0330 鳳翔の九六艦攻、漂流中の飛龍発見
谷風、飛龍捜索に向かう
0500 PBY、炎上中の空母1隻発見
時刻不明 飛龍沈没 >>902の続き
飛龍の沈没位置について、一航艦の戦闘詳報には、
「北緯31度27.5分、東経179度23.5分」
と記されています。
これは、PBYが発見した位置>>881の(D)とも一致しており、
おそらく発見後、しばらくして沈んでしまったのではないかと
思われます。 飛龍は一旦は火災が鎮火しかかったので艦長が駆逐艦に消火を止めさせたら再燃し
て手が付けられなくなり更に機関科との連絡も途絶したので「機関室全滅」と判断され
処分が決定したという何とも冴えない最期となった。 >>904
そうですね。機関科はまだ生きているのに雷撃処分されることに・・・
ちなみに、鳳翔の九六艦攻が飛龍を見つけたときには、
飛行甲板上で手を振る人影を見つけたとか。 >>903の続き
PBYが報告した炎上空母の艦位は、
米空母から見ると、北西方向に約240浬
やや遠いですが、攻撃隊を出せる距離です。
多聞丸健在なら、全速で敵に向かって進撃し、
距離を縮めてくれるでしょう。 >>906の続き
残念ながら、飛龍はすでに作戦能力を失い、
ただ漂流するだけの鉄のかたまりと化していましたが、
もし、飛龍が夜間に普及して戦線に復帰していたら?
5隻目の日本空母が加わっていたら?
のんきに重巡退治にいそしんでいる間に、
側背から、日本攻撃隊が飛んできますよ! >>907の続き
スプルーアンス少将が、この日の朝、索敵を実施しなかったことが
いかにとんでもないことか、少しは想像できるのではないかと。
改めて言いましょう!
「君、空母部隊指揮官には向いてないから、水雷屋に戻った方がいいよ」
ですね。 >>908の続き
この240浬という彼我の距離は、
前日にヨークタウンが出した索敵機の進出距離(250浬)と
比較してもギリギリで、
更には、黎明時には米空母部隊はもっと東に居たから
より距離は離れていたことになります。 >>909の続き
実際、索敵機を出したとしても発見できなかったかも
しれません。
しかし、ここでは結果論に陥るよりも、指揮官の思考過程こそ
重視されるべきかと考えます。 >>910の続き
「索敵計画を立案した吉岡乙参謀は、索敵機そのものの機数を
7機に減らした。その理由について、後に彼はこう釈明する。
”攻撃機を索敵にまわすのはもったいない、と言う発想があった。
そのせいで水上機を数多く使うことになった”
だが、この判断の根底には、
”敵空母はミッドウエー沖には出現しない”
という思いこみがあった。
希望的観測といって良い」
(『ミッドウェー海戦第一部』森史朗/著)p320 >>911の続き
例によって、南雲司令部の索敵軽視批判です。
過去の海戦と同程度の七線一段索敵を実施してさえ、これほど
悪しざまに叩かれるのですから、索敵を実施しなかった米空母は
何をかいわんや、ですよねー
>”敵空母はミッドウエー沖には出現しない”
>という思いこみがあった。
からこそ、索敵機を出さなかったんですよね。 >>912の続き
何度も言いますが、索敵軽視ではなく、索敵”無視”ですよ。
そこには、どれほどの「希望的観測」があったのでしょう!
どう思われますか、森センセ 五十六、南雲が更迭されない人事の限界
連合軍各軍人の回想録は、「日本の兵は優秀だが、将は凡人ばかり」の評価
功績があった人物が嫉妬や妬みで閑職に回されるなども多かった。 >>911
敵空母が出てこない筈なのに艦攻の半分が雷装命令が出ているという矛盾。 >>914
まぁ、大抜擢されたすぷー様がこの体たらくですからねぇ
>>915
出て来ないと言われて、何も準備していないのは「凡人」ですな >>913の続き
指揮官にとって、最も大切なのは、
「適切な情勢判断と迅速な決断」です。
具体的に何をするのかというと、
昔から決まっていまして、
敵の捜索→発見→敵味方の識別→
脅威の評価→攻撃成算の評価 →
攻撃の決断→攻撃→
戦果の確認と評価→脅威の評価に戻る >>917の続き
これは、陸戦でも、水上砲戦でも、航空戦闘でも同じ。
将来、宇宙戦争が始まっても変わらないでしょう。
銀河の歴史がまた(ry
スプルーアンス少将にとって致命的なのは、
「脅威の評価」を間違ってしまっているところ。 >>918の続き
敵空母と敵巡洋艦と、
どちらを優先すべきかと言えば、
言うまでもなく、前者ですよね。
現にスプルーアンス自身、この後、PBYの索敵報告を受けて、
「炎上中の日本空母」を攻撃目標に変更しているのだから。
そこまでするのなら、なぜ最初から「敵空母の捜索」をしなかったのか。 >>919の続き
>>909の通り、索敵機を出したところで
見つけられなかった可能性は十分に考えられます。
しかし、前日に敵空母が所在した場所、
>>881の(A)赤城・加賀・蒼龍撃破と、(B)飛龍撃破
は、200浬以内だから捜索可能なはず。
最低限、それだけは確認した上で、巡洋艦追撃に移ったところで
何の問題もなかったのでは。
もっといえば、索敵と重巡追撃は同時並行で可能ですし。 >>920の続き
それをPBYの報告を受けて、あわてて目標変更する姿は
無様としか言いようがありません。
完全に優先順位を間違っています。
古今の戦史で、判断を誤った例は数多ありますが、
その大部分は、入手した敵情が誤っていたことが原因で
それを結果論で非難することは、慎むべきと思います。 >>921の続き
しかし、スプルーアンス少将の場合、結果論云々の話ではない。
>>917の通り、これは戦術のイロハというべきもので、
知らないはずは無いし、
”敵情を入手しようとする努力を怠った”彼は、
スタート地点にすら立っていないのです。 >>922の続き
もはや、すぷー様の名誉を守るためには、
「基地航空隊の索敵を信用していた」説で押し通すしかありませんな。
というわけで、続きです。 >>923の続き
PBYが炎上する日本空母を発見したのは、0500時(日本時間)
ですが、それを米空母が受領したのは、0815頃
なんと、3時間以上も経過した後です。 >>924の続き
「午前6時(日本時間0300時)、ミッドウェー島の北東約130浬に
達したとき、彼(スプルーアンス)は、索敵機からの電波を接受し
始めたが、その受け取った第一電は、先に衝突した2隻の敵巡洋艦
に関するものであった。
これに引き続いて、その北西方約200浬に、敵軍の大部隊が
ある旨の情報が入った。
当時炎上中の航空母艦飛龍に関する、索敵飛行艇からの報告が
遅延混乱したために、別に2隻の敵航空母艦が若干の被害がある
にしても、なお海上にあるような印象を与えたのであった」
(『モリソン戦史』第3巻)p337 遡れば、今の中国共産党があるのはミッドウェー大敗から
始まっている。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。