【局地戦闘機】雷電その12
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素直に細胴と捻り下げ主翼で作ってたら
機動性では五式戦と近似、上昇と速度は史実の雷電級の
かなり有望な戦闘機になってたのかな
相変わらず高速機動性は低いけど 捩じり下げあるよ雷電
中央翼取付角2度、翼端0度
独軍戦闘機相手なら高い運動性って事になるんでは?素雷電 旋回戦でFw190Aに勝るキ44よりも上なんだから
Fw190Aよりかは上ではあろうね そう言えばスピットも予兆なく失速する悪癖あったんだっけ
それでも独軍相手ならドッグファイトで勝てたんだよなぁ
零戦にそれでは勝てなかったのも納得 雷電に時間掛け過ぎ
試作の雷電のペラを大きくして正式採用
視界改良も必要無し
即金星零戦の開発に行けばよかった 彗星 陸上瑞雲
これも偵察機運用だけだったら空冷にする必要なかった
3式戦闘機 首無しは生産数間違えたな
4式 これも大量生産でポカやってる
金星1式戦闘機の13ミリ×6で十分だわ
戦時に無駄ばかりやってる
保険で手堅い空冷の機体を用意する気がなかったのが痛い 雷電の資料本、世傑No.61
日本側の空戦撃墜主張でこれしかない
B-24×1、B-29×19、F-13×1、F6F×2、P-51×1(<これ赤松)
実際に米軍側と突き合せたら更に減る
とても独軍機と比べるようなスコアではないな
特に対戦闘機のスコアはあんまないし それって本土防空で、バリクパパンの油田でのデータって入ってない? 前スレの資料だが入ってるらしいな
1944年9月のバリクパパンからとある
報告戦果ベースなのでB-24とB-29のうち5〜6機は不確実とのこと >>9
75年以上昔の事を、後知恵、浅知恵で
あの時はこうすべきだった、ああすべきだったと語ってしまう奴の方が遥かに痛い そりゃ330万人も死ねばそうはいかんだろ
負けて良かったとか いかれている 8mm厚防弾鋼板を要求したってことは、対戦闘機戦も、当初は結構やる気だったんだろうね 今から2000年以上前のカンナエの戦いが
現代の軍事教本に載っているらしい >>16
当初と言うより
むしろ末期は割りと対戦闘機戦に出てる
使ってみたら案外対戦闘機戦に使えることが分かって
出撃することが増えたと言う記事も読んだことはあるけど
元ソースが不明なので半信半疑
ただ8月15日はF6F相手に出撃してるから
やれないと言う認識では無かったのだろう 要求の7.7ミリは小型機も相手にしようと考えてた証拠 当初の要求だと零戦に金星搭載して燃料減らして主役再設計でファストバックにすれば達成できてしまう
速度345節、20ミリ4挺が雷電生き残りの条件
逆にそれを達成できると信じたから金星零戦却下されてる(実験機の要目表のJ2M2) 8月15日にやれなという認識で出撃したのは、戦況がよくわからない単なるバカなんじゃないの?
そういう無能集団という事を言いたいなら合ってると思うが。 J2M2の計画は最大速度349節上昇力4分59秒'6000m
実現できてたら確実にこっちを選ぶところだが
一方でライバルの金星零戦の性能
昭和17年までに可能
A6M6(計画)とほぼ同等
栄三一型1300馬力(金星五〇型相当) 速度315節
昭和18年までに可能
A6M8(計画)
金星六二型1500馬力 速度325節 上昇力6分'6000m
いずれも20ミリ弾倉バルジなし、翼幅11m
武装と防弾を強化の場合
昭和18年10月に空技廠で検討の金星零戦
金星六二型1500馬力 速度302+12節
翼面荷重134かつ航続力A6M5の8割
計算すると、21.3uだと不可なので
翼端切ってない場合全備重量3000kg
発動機の換装と航続力の回復(A6M8と同じタンクの配置と仮定)と水70Lの搭載、機体後部の補強(燃料タンク設置のため)でちょうど収まる
翼幅12m、機銃も機首7.7ミリ2挺主翼20ミリ2挺
後のA6M8と全然違う機体と思われる
なお実際の雷電は…… >>3
当時の戦闘機で主翼に捩じり下げが付いてない方が珍しいだろ
まさか零戦しか捩じり下げになってないと思ってないよな? >>10
>独軍機と比べるようなスコア
ルーデル回想録?
ユダヤ人とスラブ人を沢山殺したのが「輝かしい戦果」www 栄と金星は巡航燃費で1.5倍も違うからなぁ
二式大艇がスラバヤに進出した時に陸軍の基地に燃料の融通をお願いして快く承諾されたのに
一機でドラム缶80本だとバレたら即追い出されたという・・・ 栄・護・誉の3シリーズとも
同級の三菱エンジンに比べて燃費良いしね・・・
護がコケたの地味に痛いな 最初からソロモンへ進出していなければよかった
ソロモンに投入した戦力を
全部ハワイ・ミッドウェーに投入すればよかった そもそも、オーストラリアを連合軍反撃の拠点にするのを予防、
米豪分断のためにわざわざあっちまで行ったわけだが、本当に
必要なことだったのか? >>15
お前がその時代に生きてたら救えたと?
そりゃ凄い
救世主だな >>28
護が成功してたら十六試艦攻の計画は一年繰り上げ、銀河と流星が昭和18年末までには主力化
高高度性能を上げた改良型使えば雷電も水メタなしで大成功と薔薇色だっただけに 護まではキャブレター方式なんだな
誉でインジェクションになったのは自社製の噴射装置ができたからなのかね 燃料を負圧で吸いあげるかポンプで噴射するかの違いでキャブは無くなってない キャブ車がまだ買えるとか
日本機スレって
車持ってない貧乏人ばっかだな 車用品を見てて、もしタイムトンネルがあったら
このパーツやオイルを1940年代前半の日本に
届けてやるのに、と思うことは稀に良くある 飛行場に空襲くらってあわてて作り出したのはいいけれど
相手が弱すぎて需要がなくなった結果、凝りだして失敗したのがな
後知恵では素直に早期戦力化を目指して鍾馗みたいなスタイルにしておけばよかったのか >>34
キャブレターには燃料チャンバーの違いでフロート式(吸引)とダイアフラム式(噴射)があるが
燃料噴射装置(フュエルインジェクション)とは区別されてる
お前は噴射だから混同してるだけ >>10
腐っても1500hp以上出る大馬力エンジン搭載して、600機以上作られたのにこれか…
まぁ、機数単位で見た疾風も紫電改も、似たようなもんなんだろうけど いや、日本側主張でこれか
これが事実だとするなら、それは少ないな
結局火星積んだフォッケウルフテイストな雷電にすれば正解だったの? >>39
うん?だから中島の誉も噴射気化器だろ?
ハ40のスロットルボディ、燃料噴射とは別だろ >>43
ダイヤフラム式キャブレターはフロート室をダイヤフラムポンプに置き換えた物で
日本の燃料噴射ポンプはボッシュと同じ金属製ピストン型ポンプで全く別物
だからハ40も誉もキャブレター式と呼ばず噴射位置が違うだけの同じ燃料噴射式
ダイヤフラムポンプはオイルに強い合成ゴムが無いと作れない 誉がキャブレターを低圧燃料噴射装置に改める計画だったって聞いた事があるが、あれは何だったんだろう
レスバに参加とかじゃなくて普通に分からないので喧嘩腰でなく説明してくれると助かる 話がかみ合ってねえ?ハ40はわかってるっての
誉は噴射式気化器の一種だろ?って言ってるの ID:nZjnOoHZ のせだいろ
部品コストも高く、供給量も限られるならインジェクターをわざわざ使うんだから
どういう利点で採用されたか書けばいいだけなのに
馬韓な言葉遊びで無駄にスレを伸ばす 誉に噴射式気化器はなくて従来の気化器
燃料噴射は試作だけか あらら金星じゃなくて火星だった
色々紛らわしくてスマン エイムックから誉の取り扱い説明書の復刻出てるの買っただけで忙しくてみてなかったわw
ダイヤフラムを使わない低圧燃料噴射式のフロートレス気化器を開発、二二型には間に合わず終戦前の5月ごろから生産に移行したとある 連山1機で零戦20機分のアルミを使う
B-24なら同じくらいだろうし、
B-29ならもっと多いだろう
そのB-24とB-29を偵察機型を含めて21機撃墜
雷電は620機くらい作って179機が残存
戦闘以外の損失も含めて失われたのは440機
四発重爆換算で22機分 火星だな釣られて誉だと思っちまった
ちなみに金星が燃料噴射になるのは百式司偵用の金星六二型から ベンツやBMの燃料噴射と噴射気化器の区別はちゃんとつけような だーら
筒内直接噴射かどうかの話をしてんのか、気化器で噴射してんのかつー話の区別はつけろ
教条主義みたいに「ねんりょうふんしゃわ、」とか言い出すと萎える 筒内直接燃料噴射かどうかなんて全く話をしてないんだけど 日本は燃費問題でキャブレター式から燃料噴射式に移行する計画だったて書いてるけど
ホントなんかね
栄なんかキャブレターだったから当時の燃料噴射より燃費が良かった説があるんだが 燃料噴射は噴射量を減らすと圧が減るから燃料粒子の分散がうまくいかずに気筒ごとにばらつき希薄混合気の燃焼が困難
キャブレターは流路を絞って高速な乱流に燃料を拡散するから希薄空燃比の混合気が均一に作れるから
低ブースト低回転にセットしやすいとは聞くなあ 霧化性能自体はキャブレターの方が良い。しかし、レーシングカーみたいに気筒毎にキャブレターを付ける訳にはいかないので、各気筒に均等に混合気を分配するのは難しい。それが振動の原因にもなるし。 >>60
理論が理解できない→わかる
理論も理解できないネット知識しかないバカの意見が正しいと言い張る→基地外
そのバカな自分の思い込み一回完全に捨てろよ
車も持ってないからそういうバカな事を真顔でいう
車屋でもバイク屋でもいいから
「インジェクションより燃費がいいからキャブ車探してます」
って言って来いよ基地外 >>64
恥さらしの馬鹿はお前w
当時のインジェクションが今の車みたいな電子制御だったとでも思ってるのか
アナログ機械制御のポンプで燃費がいいわけないだろアホw >>65
>>54
電子制御とか何処にも書いてないだろ
やはりバカには理解できなかったか
難しいの悔しいのうwwww 相変わらずID:rscgQ8BSみたいな当時の航空エンジンと今の車のエンジンの違いも知らない奴がいるとか クソ悪い巡航燃費のアツタを見れば燃料噴射だから燃費が良いなんて話にはならんと思うが
当時は今のコモンレールみたいな噴射圧力も無いんだよ? >>41
フィリピンと沖縄の戦いに使われてないからでは
そもそも積極的に戦闘に出される事自体少なかった
本土防空は高射砲のイメージ >>69
本土防空は高射砲と、双発ファイターの屠龍と月光やで
単発機は飛燕が武装防弾降ろして体当たりしとったな
結局迎撃機とは何だったのかっつー話だな 月光と、P-51がついてきて以降の屠龍は夜戦だろ、陸軍だと単発戦闘機は一式から五式まで全て本土防空で迎撃に上がっている
隼は軽くて上昇力が良かったので、意外に高高度で戦えてる(火力がアレなので戦果はお察しください)
フィリピンで鹵獲された雷電はそこに配備されていたものではなく、バリクパパンの381空用の機体が中継地点であるマニラに不調で
置いていかれたか、そこまで持ってきてものを隊の操縦士が取りにこれなかったからかで放置されていたもの
この他、終戦時にシンガポールにあった雷電21型2機が英軍に鹵獲され、テストされている 戦闘機の訓練部隊の元山空には雷電や紫電が搭乗員や整備兵の教材として少数送られていたが
他にも送られていたのかな 高雄空(二代目)に3機、故障や事故で胴着して2機壊し、後に1機は九州への移動の途中で増槽が壊れ、台中に置き去り
神ノ池空に4機、しかし誰も乗りたがらず格納庫に放置、後に谷田部空が引き継いだが、ろくに使われてない
他、新造機を空輸する部隊である1001空が、臨時に防空隊を編成し、名古屋空襲でB-29を迎撃 旧軍だと防空任務は基本陸軍で海軍は海軍基地防空だけが任務だったって話だから
敵機の予想進路見て空中退避したり迎撃戦果が少ないのも普通のなんじゃないの? 迎撃機でも無い屠龍が重爆キラーとしてそこそこ頑張ってる時に、迎撃機という触れ込みで作られた雷電ェ…、と「迎撃機とは?(笑)」という意味を込めて書いたので、もちろん夜戦という事はわかっちょります。
結局火星が悪いんや…直径デカい引き換えに信頼性高いかといえば故障も多い方だし高高度上がるとへばるし >>75
米軍の破壊目標は色々あるが関東だと中島飛行機が一番デカい目標なんで。海軍も月光…、じゃなかった結構必死に守った。 陸軍の一式戦・四式戦作ってる太田・宇都宮工場や、海軍の零戦のうち6割以上作った小泉工場とか、関東の拠点破壊されたらマジで陸海単発戦闘機の半数以上供給絶たれる。 地震の被害からは容易に復旧したものの、名発が爆撃でやられたので三菱発動機の機体はかなり活動を制約されてる
名発と武蔵野の二箇所だけは守り抜けよという話
名発を守れてれば雷電ももっと活躍できたかもしれないな 三菱 名古屋工場 月辺り雷電生産数
1月 2月 3月 4月 五月六月七月8月 9月 10月11月12月
1944 17 26 9 22 39 44 34 22 16 20 18 7
1945 17 12 29 16 0 8 7 27
盛り返しては爆撃で生産が絶たたれてる感じかな
神奈川県甲府
1月 2月 3月 4月 五月六月七月8月 9月 10月11月12月
1944 1 0 0 1 2 3 4 6
1945 13 8 23 15 10 20 22 0
台湾から8400人の少年労働者を集めた工場
直接攻撃は無いが、サプライチェーンが壊れた結果らしい
B29都市爆撃の結果がででてるな なお高座海軍工廠製の雷電21型・88機は完成度が低く、離着陸訓練専用に制限された >>80
三菱名古屋の最後の27機って凄いな
良いところ17日までの記録でしょ? >>74
おー、やはり少数機が教材用に送られて放置という状況は何処も変わらなかったんだなぁ
一応新鋭機だし、搭乗員の役に立ってないのはもったいないなぁ
整備兵の記録を探せば出てくるだろうけどせめて整備訓練には役に立っていたと考えたいが 紫電や雷電は当時の回想でとにかく事故が多いと聞く。
紫電の場合、特に主脚周りの事故(地上滑走時に回される重大事故)が多く、
343空戦闘301の1/1時点の保有機紫電12機紫電改1機が補充を受けながらの事故損失で
1月中に紫電15機、紫電改3機
2月中に紫電10機、紫電改2機
210空でも訓練中の事故損失は
1月中に13機、2月5機、3月10機、4月16機
こうしてみると紫電の生産機約1,000機がなぜまともな戦果を挙げられなかったか一目瞭然 試験した米軍パイロットにterrible fighter(おっかない戦闘機)とか言われてしまった紫電、どんだけピーキーなんだよ
しかし、先にもっとピーキーな雷電に乗った事がある日本の搭乗員には大したことがなかったと、世傑に書いてあった >>84
未だに紫電が千機も生産された事が信じられん
どこで消えた?って感じよな 一方の雷電は
雷電は302空の保有機リストがあるので(可動機、整備、修理中機)、20年6月以外は1日付け
19年4月 5 6 7 8 9 10 11 12
(3,0) (9,7) (10,4) (33,15) (22,19) (27,15) (14,31) (10,30) (21,22)
20年1月 2 3 4 5 6/30
(26,25)(31,19)(24,16)(26,23)(6,42)(45,16)
20年5月の修理機は鹿屋への派遣機(19機)含む。
6月の可動機は鹿屋、352空への派遣、譲渡機含むと推測
直近に大規模訓練などをやると可動機はがくんと下がるので可動、修理の割合は参考程度で
>>80で挙げてくれた生産数では月産30〜50機で推移、302空の保有機は19年夏以降終戦まで40〜60機弱で推移
他の航空隊への供給や戦闘損耗、自然損耗を考えると初期はともかく、後半は事故が多かったわけではなさそうだ。
もっとも302空の保有機に高座工廠が計上されているのか不明だが 19年頃だと実戦部隊で基礎訓練してた有様なんで事故が多いのも仕方ないかも
なにしろ機体がが少なくて当時の日誌見ると九七戦と三式戦を交互に使って同じ内容の
離着陸訓練してるくらい
経験の浅いパイロットはとにかく飛ばせという事なのか基地の上空警戒は初心者が受け持ちで
九七戦の乗って高度8,500mで単機哨戒してたのが書いてあった 1000機前後と言う生産機数は同じようなものなのに
銀河と紫電って存在感が全然違うよな・・・ フィリピンで鹵獲されて試験された紫電11型は、米軍のレポートではえらく低評価だったらしいが、どう書かれていたんだろう 飛燕はP-51とよく間違えたし紫電はグラマンとよく間違われた
機種を間違うのはよくあるが頻繁に出会う敵機と似てるのは非常に面倒なわけよ 三菱雷電は太ったけど
中島雷電だったら鍾馗にニアピンだったろうと想像がつく
では川崎(土井)雷電ならどうなった?
アスペクト比は?
急降下限界速度は?
スプリットフラップじゃ済まなかったよね? 川崎はki-64やらki-88みたいなトンでも戦闘機設計してるから雷電どころではないわけだが 土井さんにこれ以上負担かけるなよ
3式戦の機体にライセンスして貰ってアツタつけななさい
3式戦の方がB29イッパイ落としてるし
空戦戦果も多い
川崎は1月19日の米国の爆撃で、兵庫県明石市のエンジン工場完全に焼けちゃたから
いろいろ大変になるし 土井さんなら雷電をどう造ったのかに興味があるのさ
その余裕があったかどうかではなくね >>96
飛燕二型改がその答えでは…。
ホ5を使わないで機種延長分を本来の飛燕に戻せば、3.5トン程度に軽くなるしね。 解説 三式戦一型乙→一型丁 機首ホ103→ホ5で全備340kgアップ
つまり二型から機首ホ5を引いてホ103に戻すと340kgダウン。3825→3485kg。
主翼機銃はエリコン機銃に換装で70kgほど増加?
よって3.5トン強。翼面荷重的には雷電と変わらんで。 >>94-95
キ45 1937.12〜
キ45改 1940.10〜
キ48 1937.12〜
キ56 1939.08〜
キ60 1940.02〜
キ61 1940.02〜
キ64 1940.08〜
キ66 1941.09〜
キ85 1941.12〜
キ88 1943.08〜
キ89 1944.08〜
キ91 1943.05〜
キ96 1942.08〜
キ100 1944.08〜
キ102 1943.04〜
キ108 1943.04〜
キ119 1945.03〜
こんだけ仕事出来る人なんだぞ?
あと2〜3機種くらいはやれるやろ(・ω・) >>99
でもki-61-IIで主翼を層流翼にするのを提案された時は生産が落ちるのを理由に却下したそうで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています