https://news.livedoor.com/article/detail/17128647/

-羽生先生は努力型という棋士で米長先生を挙げられました。
「50歳をすぎてから、自宅の隣に道場を建てた米長先生はすごい」と。
50代後半あたりで新しいことをやろういうという気持ちって、なかなか生まれてこないというところですね。
あとは道場の始まりが朝6時とかなんですよね。完全に体育会系の世界ですよね(笑)。
情熱というんでしょうかね。

いまの私と近い世代の人たちは、その道場に行ってたくさん教わって強くなれたというところもあるので、
後進を育てたという意味でもスゴいことだと思いますし、
そういう気持ちになって努力をされていたというのは大変なことだなと、自分の年齢が近づいてきたので実感しますね。

-同じぐらいの年齢に近づいてきて、それくらいドラスティックに新しいことにトライしていきたいという気持ちはありますか?

ーん、朝6時からというのは…(笑)。本当にスゴいんですよ、とにかく。
来ている若手の人たちもすごくて、朝10時から将棋会館で対局があるのに、
朝6時から9時くらいまで道場で勉強してから対局に行くんですよ。朝練って感じですよね(笑)。
だから私は数回しか行っていないです。起きれないで(笑)。

年齢とか実績とか関係なく、そういう気持ちは大事なんだなと思いましたね。
そういう気持ちが名人につながったというか、これまでのスタイルを完全に変えて名人を獲られましたからね。

-実際に升田先生と将棋を指されたことはありますか?
将棋を指したことはないんですけど、囲碁を教わったことは1回だけあるんです。

升田先生は早く隠居されていて若い人は誰も会ったことがなかったので、米長(邦雄永世棋聖)先生の研究会に伺ったときに、
「一回会わせてやろう」と升田先生を呼んでくださって、若手の棋士たちがご尊顔を拝ませていただいたことがありました(笑)。
本当の"レジェンド"みたいな。「本当にいた!」みたいな(笑)。

升田先生は囲碁が大好きなんですけど、強い相手と打つのは嫌いで、弱い相手と打つことをこよなく愛されていたんですよね(笑)。
私は初心者だったので適任だったみたいで、スゴいご機嫌になられて。
めちゃくちゃ怖そうな先生だったので緊張もあったんですけど「よかった〜」みたいな感じでした(笑)。

升田先生の将棋の内容は、データベースとかを見るようになってから気がついたんですけど、
現代の将棋を昔から指していたんだと思います。