【ガス】川端康成【自殺】
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川端康成は2才で父が死亡、3才で母が死亡。
このように生まれた直後、両親が死亡、疾走する事例は、
天皇一族に頻繁に見られるトリック。 動画を見て、川端康成と三島由紀夫の馬鹿さ加減に驚いた。 例の動画を見て驚いたのは普通の人となんら変わらないレベルの話し方だってことだな
あとあの空気怖い
いきなり怒鳴りだしてもおかしくない 太宰治、戦前の横光利一や川端康成などは「新感覚派」、
それに対して「戦後文学」を担った大岡昇平や野間宏がいる。 川端が伝統という言葉をいってたけど
あれは荷風のことなんじゃないかな 自殺する文学者は多い。
方法はいろいろだが、理由は
「書けなくなった」
これだろう。 私は高校のときに“ただ有名だから”という理由で読んだのですが
その時は“う〜ん…全然良さがわからない”というのが正直な感想。
そして、つい先日 深夜のラジオ放送で雪国の朗読(ドラマ仕立て)を
聞く機会が。(現在私は40代)
本というのは読む年代によってとらえ方も感じ方も違うということで
じっくり内容を聞いてみたのですが、残念ながら
やっぱりいまひとつ感動がわかず…。 どの作品も女性が体を売る商売あるいはそれに近い性格であることを想定して、
そこに目を向けずひたすら無視することで平静を保とうとする気配と狂気を感じて読んでください。 出版社は編集者レベルで朝鮮系 だから日本人は作家にすらなれない
反論、異論は認めない、というのも現在の文壇のほとんどが
朝鮮左翼系だから
自虐史観を新聞、テレビと共に
誰が植えつけてきたか考えよう
気づけよ 日本人!!
もはやすべての文学賞受賞者は 朝鮮人認定式 と成り果てましたな
戦後、出版社が朝鮮人にのっとられてどこの賞も日本人が受賞できなくなった
だから文壇は左翼と反日の巣窟
おまいら、本なんて絶対買うなよ、朝鮮人に貢ぐだけだ >>21みたいな莫迦の悲しいところは自分が莫迦なのに気付けないほど莫迦なところ 川端康成のアホ振りは大したもんでっせ。
ある時講演を頼まれて断ったら、
「ほんなら先生、顔だけでも見せておくんなはれ」
と言ったら、ステージに出て行って、
「こんな顔でよかったら見ておくれやす」
と言いはりましたそうですわ。
そこそこの偉い人はこんなことできまへんで。 いろんな意味で大物だよな
冷静に読みといていくと、天然ボケがこの人のウリだとわかってくる 自分の範囲を知っているプロフェッショナル。
この範囲なら自分の右にでるものはいないという絶対的なものがあり
それ以外は受け流していた。稀代の目利き。 川端康成は最後までへぼ役者。
つまらないインチキ人生。 kawabataの雪国はいいでしょうに。
だがこの方は、友人である、横光利一さんの原稿を(亡くなっているのをいいことに)
そのまま拝借したwwから、感心しないですね。。
川端さんもいいが、私は横光もすき。お二方は対照的なんですが、新感覚主義とひとくくりにされている にしても、失礼なスレタイ。
心ある人はもう書き込まないでください。 近衛師団司令部庁舎は現在、東京国立近代美術館工芸館となっている。 天才と呼ばれる人は皆狂気を孕んでいる、そういう例は古今東西枚挙に暇ない
その狂気が人を引き付ける、川端もまたしかり
しかし7、やがてその狂気に作家は押し潰される
作品は作者の心の投影、作品の中に潜む狂気を感じ取ることが出来れば
より深く作品と作者を理解できるだろう 山の音は滑らかに読めたのだが、雪国はどうも読み難く、言ってることが解せない。難しい。
雪国って頭の悪い人には難しいの? 温泉町の芸者が売春婦にすぎないことは想定して読んでる? 三流小説です。
どうせ、ゴーストライターの作品だろう。 いや明らかに川端が書いていると思わせるような川端的なところの多い小説。 「…例えば『古都』を読むときも、あの時代の京の古い町屋だったらトイレは和式だろう、千重子は地味な柄の着物を捲りあげて便器にしゃがんで排泄したのだろうといったことを考えながら読まないと、正しい理解が得られない訳ですよ。
パンツはズロースほどではなくても、股上丈の長い白のシンプルなものだろう、とかね。」
「なるほど。」
「そうやって読むのが川端さんの小説の正しい読み方な訳。」
(p102〜103) 評論は全部伊藤整製
通俗小説は数知れずの亡者が書いたもの
コイツが書いたのは踊り子くらいかな
佐村河内,小保方なんかかすむほどのインチキ野郎
ノーベル賞も返上した方がいい 川端康成の書籍を何冊か集中的に読んだことがあるが何も残らなかった。 全然いい作家とは思わないけど雪国はなぜかすごく感動した >>46
『雪国』は川端康成のエッセンスが詰まったような作品だから、あなたには彼を好きになる要素がある。 「狂った一頁」見たけど大正時代にああいうものを作ってたのがすごいな
「ドグラ・マグラ」より早いよ >>48
大正後半から戦前昭和は大正ルネッサンスの反動保守化が凄いからね。
>>49
この点について前から気になっているのは、みち子(伊藤初代)はどうだったかということ。 9日発表された川端康成文学賞は、戌井昭人さん(42)=写真=の
「すっぽん心中」(新潮昨年1月号)に決まった。昨夏の芥川賞候補になり、
「やや重量感を欠く」と賞を逃した作品が、昨年の短編ナンバーワンに改めて選ばれた。
記者会見では、辻原登委員が「短い中にくっきりしたストーリーの流れと起伏があり、
男女の出会いから別れまでが、おかしく、寂しく、魅力的に書かれている」と選評を述べた。
追突事故で首が回らなくなった男と東京・上野の不忍池で出会った女が、
すっぽんを捕ってもうけようと霞ヶ浦を目指す。緩い道行きを描く筆致は一見、軽やかだ。
しかし、辻原委員は「時々、女性が凶暴な行動を取る場面などもあり、表層的な軽さではなく、
逆に人生に裏打ちされたものがある」と読んだという。
さらに、「川端康成の短編はエンターテインメント。川端賞は文章さえしっかりしていれば、
実験性や純文学性を尺度に選考してはいない。
(戌井作品は)川端康成の作品世界とも通じていると思う」と評した。 こいつって度変態だったんだってな。
それも谷崎をはるかに凌駕してたんだってな。
他殺だったんだろうな。
日本には、文学も芸術も学問も何もない。
あるのは、「動員」、「やらせ」、「インチキ」、「詐欺」、「横領」、・・・・・。
もう、どうにもならない。 ↑何を今更…
オマエって世間ってものを知らねーんだろうなwww 代筆ってのが痛いな。
それまでの功績を全否定してしまったとさえいえる。
ちなみに、
他の有名な文豪で代筆させた人っていたのか? >>59
代筆がないのは大江健三郎だけ
戦前は知らん 温泉宿の「五月と遊んでいたことのない彼女の張り切った腹」ってどういう意味ですか? 日本文学振興会は第151回芥川・直木賞の候補作を発表した。
芥川賞は5人、直木賞は6人がノミネート。選考会は7月17日、東京都内で開かれる。
芥川賞では、劇団を主宰する戌井(いぬい)昭人さんが5回目の候補に。
既に川端康成文学賞を受賞している。柴崎友香さんは4回目で、これまでに織田作之助賞などを受賞。羽田圭介さんは3回目で、3者ともに実力者だ。横山悠太さんは大学留学のため中国・北京在住。
今年の群像新人賞に輝き、大型新人と高い評価を得ている。小林エリカさんは漫画家としても
活躍している。 不眠症で悩んでいたらしい
電気カーペットにくるまって寝ていたのがよくなかったそうな そうでしょうね「山の音」でしょうね
三島は「眠れる美女」といっていましたが >>64
不眠症ではなく過敏症じゃねえの多分
>>66
川端は晩年、睡眠薬の多量摂取が原因で幻覚とかみていたっていうしな。
「ふすまの向こうに三島君が立っている」とか言ってたらしい。
幻覚でしょ全部。
三島は自分がとると予想していたノーベル文学賞を師の川端がとったので
二人の師弟関係はかなり微妙なものだったって言うしね。
難しいですよ人間関係は。
そろそろ、ノーベル賞がインチキだということに気付いてください。 「眠れる美女」って三島の代筆とか言う人もいるんだけど...どうなんだろね?
いかにも三島が好きそうな話ではあるんだが。この作品ベタ褒めしてんだよなあ三島がw 三島の弟を筆頭に家族は全員が川端が嫌いってなんかの本に書いてあった。
どういう意味なのか解らないが・・・
代筆云々のことなのか否かは解らんが。 根拠は
三島由紀夫の弟のウィキペディアのところ
の瀬戸内寂聴に対してのコメント 雪国、山の音、伊豆の踊子なんか読んだものですよ
懐かしい 川端に、三島が取るべきだったノーベル賞を盗まれたと
思って、家族は川端を大嫌いになっていたのかもな。
おそらくは、ノーベル賞には「日本人枠」みたいなのが
あって、川端の後に日本人がノーベル文学賞を取るのは
数十年先になるだろうと絶望感に打ちひしがれた?であろう
兄の事を思って、三島の弟は発言した?
確かに、三島がノーベル賞を取ってれば、たぶん自決は
なかったかも。
ま、ノーベル賞ぐらいでおたおたするなよと、一般人の
俺は思うがね。
当時は確かに、三島がノーベル賞を取るかもと、マスコミが
騒いでた時代でもあった。
そういう時代背景の中でノーベル賞を取れなかったことは、
三島にとっては「満場の中で恥をかかされた!」と、感じたん
だろうな。
今の世のように、失敗や挫折をギャグで処理出来る時代では
なかったw
当時も植木等とか活躍してたが、正反対のタイプだからw
今みたいにギャグが飽和状態じゃなかった。
今の日本はノーベル賞に対してはるかに冷めてるがw でも川端への推薦状書いていたんでしょ?
だったとしたら、みみっちいというか、それなら書かなければよかったのに
と思うが。
書いたのが事実ならばその後川端と疎遠になったらしいが、
それは三島自身の問題だと思う。
そもそも川端がいなかったら小説家にもなれなかったのだろうし。
仁義ってものは一生物だろ。ヤクザじゃないけれども。 川端康成は金銭にだらしなかったから三島とも金銭トラブルだろう
ノーベル賞は左翼賞なのは周知の事実だしそんなんものいらんだろ賞金はちと惜しいけど 毎年楽しみにしている人もいるんだよね
おれみたいに ちなみに内田百閧燻ぬまで金にだらしなかったらしいな。
方々から金借りて返済一切無しって人間たちだったとのこと。
小説は面白いから人間性なんてどうでもいいけど。 文学】川端康成が恋人に宛てた手紙見つかる
1 :( ´`ω´) ★@転載は禁止:2014/07/08(火) 12:39:00.21 ID:???0
■川端康成が恋人に宛てた手紙見つかる
ノーベル文学賞を受賞した文豪、川端康成が学生のころに恋人に宛てた手紙が、神奈川県の
自宅に保管されていたことが分かりました。この恋人との思い出は、初期の主な作品の題材に
なっていて、研究者は川端文学の原点を知る重要な資料として注目しています。
保管されていたのは大正10年、学生だった川端康成が文壇デビューした年に伊藤初代という女性に
宛てた手紙1通と初代から川端が受け取った手紙10通で、川端が晩年まで暮らした神奈川県鎌倉市の
自宅にありました。
初代は川端の7歳年下で初恋の人と言われ、川端が22歳のときに一度は結婚を誓い合った仲ですが、
初代の側から婚約を破棄したことで2人の恋が終わり、その理由は今でも明らかになっていません。これらの
初代との思い出は、「南方の火」や「篝火」といった川端の初期の作品の題材になったほか、映画化された
作品「伊豆の踊子」にも影響を与えたとされています。(後略) 初恋の相手とされる伊藤初代(1906〜51年)と交わした書簡計11通が見つかったことが8日、分かった。
川端康成記念会が確認した。相手への思いを綿々とつづった文面は若者の純愛を伝え、川端作品の背景を実証する貴重な資料となる。
同会の水原園博理事によると、11通のうち10通は初代から川端宛て。1通は川端が初代宛てに書いた未投函(とうかん)の手紙だった。初代は東京・本郷のカフェで働いていたが、
岐阜県の寺の養女となった。21年、22歳の川端と15歳の初代は婚約。しかし初代は「ある非常」を理由に約束を破棄する。
川端による未投函の手紙は約700字。初代からの返事が遅れていることについて「恋しくつて恋しくつて、早く会はないと僕は何も手につかない」
「本当に病気ぢやないのかと思ふと夜も眠れない」と切実な思いを記した。書いた時期は不明だが、文面から21年10月下旬以降とみられる。
一方、初代が手紙を書いたのは同年9月から11月にかけて。10月下旬までは「私の様な物を愛して下さいますのは私にとってほんとうに幸福なことです」とつづるなど、信頼と愛情で結ばれた関係を示していた。
だが11月初旬に届いた手紙は、初代が一方的に別れを告げるものだった。結婚の約束を果たせないのは「ある非常」のためであり、
それを話すくらいなら「死だほうがどんなに幸福でせう」とする激しい内容。川端は24年に発表した短編「非常」でこの手紙をほぼそのまま再現しており、
体験に基づいて作品を書いたことが裏付けられた。11月下旬の最後の手紙で初代は川端への不信感と恨みをつづり、別れは決定的となった。 結婚の約束を果たせない「ある非常」とはなんなの。川端もわからなくて混乱したんですかね。 投函されなかった手紙が残っているというのもいかがわしい。 川端が晩年自殺したのは作家としての性だと思った。
しかしもし彼が伊豆に行かなくて、踊り子と出会わなければ
どんな作品を残していただろう。
もしかしたら帝国大学にでもいる間に自殺してたんじゃないかなって
ふと思うことがある。 日本の有名人は、晩年は、本当に遊んで暮らしたい。
それには、自殺で別人になるのが、最も手っ取り早い。
川端康成の『雪国』は、アイヌの歌人バチェラー八重子を記念している。
川端が新潟の旅館に逗留した日は、バチェラー八重子の50才の誕生日。
そして、その日は、ヒトラーがムッソリーニと初会談を行った日でもあった。
自殺する有名人は、たいてい別荘地で別人になりすまし、
警察の手厚い警護で、悠悠自適の生活。
日本の文学はインチキ野郎の集合体。
作品も、ほとんど、「丸投げ」、「産地偽装」。 川端康成がノーベル賞を受賞した日は、
東京オリンピック50周月記念日だった。
またまた、やらせ。
日本の文学に、「真実」は存在しない。
「丸投げ」、「いじめ」・・・・・何でもありの世界。
元短大教授で阿部知二研究会事務局長の森本穫(おさむ)さん(72)=姫路市八代本町=が、
上下巻で計1600ページ超の大著「魔界の住人 川端康成 その生涯と文学」(勉誠出版)を刊行した。
長年にわたる川端康成研究の集大成として書き上げたといい、
森本さんは「川端康成に興味を抱く全ての読者に読んでもらいたい」と話す。 >>92
ヤツの目の光、ありゃただもんじゃないよ。
恐怖だよ。
本人には悪いが、川端康成は無能力者。
特に、日本のサムライに、ろくな人種はいない。
気持ちが悪い。 伊豆の踊子と眠れる美女くらいしか読んだことないが
これから短いのをちょっとずつ読んでこ
最近の神奈川・静岡中心のテレビ放送にはうんざりだ。
だが、その裏には、深刻な客離れがある。
そうだろう。人間は一度嫌いになった所には、普通二度と行かない。 先程ようやく『雪国』を読み終えたが
おもろかった!
こういう話だったのね
ところで冒頭の「国境」
あなたは「くにざかい」派?
「こっきょう」派? ■■■
通名の方々:
テレビ局・新聞社・ラジオ局・出版社・
芸能人・テレビに出てる人・本を出している人・雑誌の表紙・芸術家・
スポーツ選手・アダルトビデオ・性風俗・ヤクザ・暴力団・部落(同和)・
教員・大学教授・ノーベル賞受賞者・医師・弁護士、検察官、裁判官・政治家・公務員・
経団連・経済同友会・公益法人・旧軍人・巣鴨プリズン・明治政府〜・
塾・予備校・専門学校・ 自動車教習所・ 商店街・飲食店・寺・2ちゃんねる・
■■■ 講談社文芸文庫から短編集がでますね。初期作品のなかには後の『雪国』をおもわせるモノもあるそうで。 川端氏本人はくにざかいと読まれたそうだけれど、こっきょう、と読む人が多いと聞くと、
それでもいい、と言われた由。
掌の小説、新潮文庫でてのひらの小説、とルビが振られていたように思うけれど、川端氏
なら、たなごころ、でもいい、と言いそうな気がする。 有名な「雪国」冒頭の二番目の文章
「夜の底が白くなった」
に対して、数頁あとに、
「雪の色が家々の低い屋根を一層低く見せて、村はしいんと底に沈んでいるようだった。」
とある。新感覚的な表現を解説しているように読める。
雑誌の初出は、「国境のトンネルを抜けると、窓の外の夜の底が白くなった」だそう。
雪国は細切れに発表したものをあとでまとめて一つの小説にした、ということなので、時間の流れがぶちきれている
ように感じるのはそのせいもあるのだろう。 「古都」は今では悪名い朝日新聞に連載されたもので、現在我々が読んでいるのは、新聞にかなり手を入れた
ものになっている。特に最初のほうは、大鉈がふるわれている。
気になっているのは、千重子の幼馴染の水木真一なんだけれど、彼は次男らしい。長男は竜助と名づけられている。
このネーミングから、腹違いの兄弟かとも思われるのだけれど、少なくとも幼少のころは兄弟一緒に育った記述がある。
さらに、千重子は竜助とあまりなじみがないらしい。これもちょっと奇異に思われる。 夏目、三島、太宰、泉鏡花、あたりは読んだけど
芥川、川端の作品てあまり読んだことがない。
でも、ガス管くわえて死んだ川端の死に様は
正直パンクだと思う。
連れ合いの嫁に死なれ、ノーベル賞とったあと
古美術商に売りつけられたものを買って借金がかさみ
弟子の三島の死に顔が目に焼きついて離れない。
これだけの不幸が老齢に鞭打つように重なれば、
不眠で自殺してもしゃーないと思うわ。
てか、このスレの人の薦める「川の音」と「眠れる美女」は
老後の楽しみとしてとっておくよ。 ついでに個人的な分析だけど
この自殺ループって大正時代の中也から始まってる気がしたのよ。
中原中也 → 太宰 → 三島 → 川端
中原は病死だけど、その後はバトンリレーみたいな感じで
自殺してしまって川端で終焉したような匂いを感じる。
それを思うと芥川や正岡子規に死なれた後も生き続けて
作家活動続けた漱石の精神力は、ある意味強靭だったと思うのさ。
漱石の『則天去私』を体得してれば、上記の作家さんたちも
自殺せずに済んだのかもとさえ思うのだわ。
つまり私は漱石のスレを探しにこの板に来たのだが
見つからなくて、ここにフラッと立ち寄ったのでした。
スレ違いでごめんご。 お前は友人が死んだら自分も死にたくなったりするのか、って話だな。
家族ならいざしらず。
まあ、そういう妄想は他人に語る意味がない。 非常とはやっぱり初代がレイプされたことだったんですね
非常がなければあの二人は結ばれていたのでしょうか >>113
おまえ本当に漱石の本読んだことあんの?
漱石の葬式の受付係をしたのは芥川と江口カンだぞ。 雪国を初めて読んでみた。
内容はよくわからなかったが、素晴らしい小説だとはわかった。
表現力がオリジナルで日本語をとりわけ美しくちりばめているところは並の人間ではないな。
今まで眠れる美女なんかも数回読んでよくわからなかったが、
歳をとってじっくり読むと良さがわかる作家なんだと衝撃を受けた。
もっと掘り下げて読んでみたい作家の一番になった。ありがとう。変態康成! 爺さんに好評だったのは「古都」
今では考えられない朝日新聞の連載小説だから、
単行本とは、特にはじめの方がかなり手が入ってよくなってるんだけれど
最後の変態はやめれ。 ↑変態に変態って言ってどこが悪い?
オマエは大変態だよ。大したもんだw https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%AB%AF%E5%BA%B7%E6%88%90
川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BBG%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC
エドワード・ジョージ・サイデンステッカー(Edward George Seidensticker, 1921年2月11日 - 2007年8月26日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E7%B2%BE%E4%B8%80
吉田 精一(よしだ せいいち、1908年〈明治41年〉11月12日 - 1984年〈昭和59年〉6月9日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%B3%89
長谷川 泉(はせがわ いずみ、1918年2月25日 - 2004年11月10日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E5%8B%9D%E5%BD%A6
武田 勝彦(たけだ かつひこ、1929年5月4日 - )
…
川端の研究者には多彩な人びとがいるので、芋づる式におっかけていくとネタはつきない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%87%8E%E7%AB%A0
秦野 章(はたの あきら、1911年10月10日 - 2002年11月6日)
川端が、たぶん一度だけ、政治家の選挙に駆り出されたことがある。
それがこの秦野章氏の東京都知事選。結果は美濃部亮吉の圧勝に終わった。
美濃部亮吉は天皇機関説の美濃部達吉の長男。
川端が亡くなったのは翌年。
日本が反日売国奴に蹂躙され、美しい日本が荒廃してしまうのではないか、
と言う危機感を古都執筆のころには表明していたから、
この政治的敗北?(笑 は彼の死に影響を与えたかも知れない。 名作「雪国」の参考書
●「北越雪譜」
●歌舞伎十八番の一、助六 この人は言われている複数の傑作を除くと
その他は読むまでもない作家ってことで桶?
つまりは全作品(代筆を含む)を読む必要はないという意味。 >>123
全集に採録されているのは、文学界の現在の研究成果として、川端作品と認められて
いるもの。
必要の意味がわからんな。なんか研究でもしているのか?
そのへんのミーハーなら読んで面白きゃいいんじゃないの? 二人ありがとう。
なるほど、いろいろと勉強になったよ。 川端ほどじっくりまったりゆっくり読みたい作家は日本人の中ではいない。
即効で読んでしまっては行間がまったく読めない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています