【ガス】川端康成【自殺】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
文学】川端康成が恋人に宛てた手紙見つかる
1 :( ´`ω´) ★@転載は禁止:2014/07/08(火) 12:39:00.21 ID:???0
■川端康成が恋人に宛てた手紙見つかる
ノーベル文学賞を受賞した文豪、川端康成が学生のころに恋人に宛てた手紙が、神奈川県の
自宅に保管されていたことが分かりました。この恋人との思い出は、初期の主な作品の題材に
なっていて、研究者は川端文学の原点を知る重要な資料として注目しています。
保管されていたのは大正10年、学生だった川端康成が文壇デビューした年に伊藤初代という女性に
宛てた手紙1通と初代から川端が受け取った手紙10通で、川端が晩年まで暮らした神奈川県鎌倉市の
自宅にありました。
初代は川端の7歳年下で初恋の人と言われ、川端が22歳のときに一度は結婚を誓い合った仲ですが、
初代の側から婚約を破棄したことで2人の恋が終わり、その理由は今でも明らかになっていません。これらの
初代との思い出は、「南方の火」や「篝火」といった川端の初期の作品の題材になったほか、映画化された
作品「伊豆の踊子」にも影響を与えたとされています。(後略) 初恋の相手とされる伊藤初代(1906〜51年)と交わした書簡計11通が見つかったことが8日、分かった。
川端康成記念会が確認した。相手への思いを綿々とつづった文面は若者の純愛を伝え、川端作品の背景を実証する貴重な資料となる。
同会の水原園博理事によると、11通のうち10通は初代から川端宛て。1通は川端が初代宛てに書いた未投函(とうかん)の手紙だった。初代は東京・本郷のカフェで働いていたが、
岐阜県の寺の養女となった。21年、22歳の川端と15歳の初代は婚約。しかし初代は「ある非常」を理由に約束を破棄する。
川端による未投函の手紙は約700字。初代からの返事が遅れていることについて「恋しくつて恋しくつて、早く会はないと僕は何も手につかない」
「本当に病気ぢやないのかと思ふと夜も眠れない」と切実な思いを記した。書いた時期は不明だが、文面から21年10月下旬以降とみられる。
一方、初代が手紙を書いたのは同年9月から11月にかけて。10月下旬までは「私の様な物を愛して下さいますのは私にとってほんとうに幸福なことです」とつづるなど、信頼と愛情で結ばれた関係を示していた。
だが11月初旬に届いた手紙は、初代が一方的に別れを告げるものだった。結婚の約束を果たせないのは「ある非常」のためであり、
それを話すくらいなら「死だほうがどんなに幸福でせう」とする激しい内容。川端は24年に発表した短編「非常」でこの手紙をほぼそのまま再現しており、
体験に基づいて作品を書いたことが裏付けられた。11月下旬の最後の手紙で初代は川端への不信感と恨みをつづり、別れは決定的となった。 結婚の約束を果たせない「ある非常」とはなんなの。川端もわからなくて混乱したんですかね。 投函されなかった手紙が残っているというのもいかがわしい。 川端が晩年自殺したのは作家としての性だと思った。
しかしもし彼が伊豆に行かなくて、踊り子と出会わなければ
どんな作品を残していただろう。
もしかしたら帝国大学にでもいる間に自殺してたんじゃないかなって
ふと思うことがある。 日本の有名人は、晩年は、本当に遊んで暮らしたい。
それには、自殺で別人になるのが、最も手っ取り早い。
川端康成の『雪国』は、アイヌの歌人バチェラー八重子を記念している。
川端が新潟の旅館に逗留した日は、バチェラー八重子の50才の誕生日。
そして、その日は、ヒトラーがムッソリーニと初会談を行った日でもあった。
自殺する有名人は、たいてい別荘地で別人になりすまし、
警察の手厚い警護で、悠悠自適の生活。
日本の文学はインチキ野郎の集合体。
作品も、ほとんど、「丸投げ」、「産地偽装」。 川端康成がノーベル賞を受賞した日は、
東京オリンピック50周月記念日だった。
またまた、やらせ。
日本の文学に、「真実」は存在しない。
「丸投げ」、「いじめ」・・・・・何でもありの世界。
元短大教授で阿部知二研究会事務局長の森本穫(おさむ)さん(72)=姫路市八代本町=が、
上下巻で計1600ページ超の大著「魔界の住人 川端康成 その生涯と文学」(勉誠出版)を刊行した。
長年にわたる川端康成研究の集大成として書き上げたといい、
森本さんは「川端康成に興味を抱く全ての読者に読んでもらいたい」と話す。 >>92
ヤツの目の光、ありゃただもんじゃないよ。
恐怖だよ。
本人には悪いが、川端康成は無能力者。
特に、日本のサムライに、ろくな人種はいない。
気持ちが悪い。 伊豆の踊子と眠れる美女くらいしか読んだことないが
これから短いのをちょっとずつ読んでこ
最近の神奈川・静岡中心のテレビ放送にはうんざりだ。
だが、その裏には、深刻な客離れがある。
そうだろう。人間は一度嫌いになった所には、普通二度と行かない。 先程ようやく『雪国』を読み終えたが
おもろかった!
こういう話だったのね
ところで冒頭の「国境」
あなたは「くにざかい」派?
「こっきょう」派? ■■■
通名の方々:
テレビ局・新聞社・ラジオ局・出版社・
芸能人・テレビに出てる人・本を出している人・雑誌の表紙・芸術家・
スポーツ選手・アダルトビデオ・性風俗・ヤクザ・暴力団・部落(同和)・
教員・大学教授・ノーベル賞受賞者・医師・弁護士、検察官、裁判官・政治家・公務員・
経団連・経済同友会・公益法人・旧軍人・巣鴨プリズン・明治政府〜・
塾・予備校・専門学校・ 自動車教習所・ 商店街・飲食店・寺・2ちゃんねる・
■■■ 講談社文芸文庫から短編集がでますね。初期作品のなかには後の『雪国』をおもわせるモノもあるそうで。 川端氏本人はくにざかいと読まれたそうだけれど、こっきょう、と読む人が多いと聞くと、
それでもいい、と言われた由。
掌の小説、新潮文庫でてのひらの小説、とルビが振られていたように思うけれど、川端氏
なら、たなごころ、でもいい、と言いそうな気がする。 有名な「雪国」冒頭の二番目の文章
「夜の底が白くなった」
に対して、数頁あとに、
「雪の色が家々の低い屋根を一層低く見せて、村はしいんと底に沈んでいるようだった。」
とある。新感覚的な表現を解説しているように読める。
雑誌の初出は、「国境のトンネルを抜けると、窓の外の夜の底が白くなった」だそう。
雪国は細切れに発表したものをあとでまとめて一つの小説にした、ということなので、時間の流れがぶちきれている
ように感じるのはそのせいもあるのだろう。 「古都」は今では悪名い朝日新聞に連載されたもので、現在我々が読んでいるのは、新聞にかなり手を入れた
ものになっている。特に最初のほうは、大鉈がふるわれている。
気になっているのは、千重子の幼馴染の水木真一なんだけれど、彼は次男らしい。長男は竜助と名づけられている。
このネーミングから、腹違いの兄弟かとも思われるのだけれど、少なくとも幼少のころは兄弟一緒に育った記述がある。
さらに、千重子は竜助とあまりなじみがないらしい。これもちょっと奇異に思われる。 夏目、三島、太宰、泉鏡花、あたりは読んだけど
芥川、川端の作品てあまり読んだことがない。
でも、ガス管くわえて死んだ川端の死に様は
正直パンクだと思う。
連れ合いの嫁に死なれ、ノーベル賞とったあと
古美術商に売りつけられたものを買って借金がかさみ
弟子の三島の死に顔が目に焼きついて離れない。
これだけの不幸が老齢に鞭打つように重なれば、
不眠で自殺してもしゃーないと思うわ。
てか、このスレの人の薦める「川の音」と「眠れる美女」は
老後の楽しみとしてとっておくよ。 ついでに個人的な分析だけど
この自殺ループって大正時代の中也から始まってる気がしたのよ。
中原中也 → 太宰 → 三島 → 川端
中原は病死だけど、その後はバトンリレーみたいな感じで
自殺してしまって川端で終焉したような匂いを感じる。
それを思うと芥川や正岡子規に死なれた後も生き続けて
作家活動続けた漱石の精神力は、ある意味強靭だったと思うのさ。
漱石の『則天去私』を体得してれば、上記の作家さんたちも
自殺せずに済んだのかもとさえ思うのだわ。
つまり私は漱石のスレを探しにこの板に来たのだが
見つからなくて、ここにフラッと立ち寄ったのでした。
スレ違いでごめんご。 お前は友人が死んだら自分も死にたくなったりするのか、って話だな。
家族ならいざしらず。
まあ、そういう妄想は他人に語る意味がない。 非常とはやっぱり初代がレイプされたことだったんですね
非常がなければあの二人は結ばれていたのでしょうか >>113
おまえ本当に漱石の本読んだことあんの?
漱石の葬式の受付係をしたのは芥川と江口カンだぞ。 雪国を初めて読んでみた。
内容はよくわからなかったが、素晴らしい小説だとはわかった。
表現力がオリジナルで日本語をとりわけ美しくちりばめているところは並の人間ではないな。
今まで眠れる美女なんかも数回読んでよくわからなかったが、
歳をとってじっくり読むと良さがわかる作家なんだと衝撃を受けた。
もっと掘り下げて読んでみたい作家の一番になった。ありがとう。変態康成! 爺さんに好評だったのは「古都」
今では考えられない朝日新聞の連載小説だから、
単行本とは、特にはじめの方がかなり手が入ってよくなってるんだけれど
最後の変態はやめれ。 ↑変態に変態って言ってどこが悪い?
オマエは大変態だよ。大したもんだw https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%AB%AF%E5%BA%B7%E6%88%90
川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BBG%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC
エドワード・ジョージ・サイデンステッカー(Edward George Seidensticker, 1921年2月11日 - 2007年8月26日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E7%B2%BE%E4%B8%80
吉田 精一(よしだ せいいち、1908年〈明治41年〉11月12日 - 1984年〈昭和59年〉6月9日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%B3%89
長谷川 泉(はせがわ いずみ、1918年2月25日 - 2004年11月10日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E5%8B%9D%E5%BD%A6
武田 勝彦(たけだ かつひこ、1929年5月4日 - )
…
川端の研究者には多彩な人びとがいるので、芋づる式におっかけていくとネタはつきない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%87%8E%E7%AB%A0
秦野 章(はたの あきら、1911年10月10日 - 2002年11月6日)
川端が、たぶん一度だけ、政治家の選挙に駆り出されたことがある。
それがこの秦野章氏の東京都知事選。結果は美濃部亮吉の圧勝に終わった。
美濃部亮吉は天皇機関説の美濃部達吉の長男。
川端が亡くなったのは翌年。
日本が反日売国奴に蹂躙され、美しい日本が荒廃してしまうのではないか、
と言う危機感を古都執筆のころには表明していたから、
この政治的敗北?(笑 は彼の死に影響を与えたかも知れない。 名作「雪国」の参考書
●「北越雪譜」
●歌舞伎十八番の一、助六 この人は言われている複数の傑作を除くと
その他は読むまでもない作家ってことで桶?
つまりは全作品(代筆を含む)を読む必要はないという意味。 >>123
全集に採録されているのは、文学界の現在の研究成果として、川端作品と認められて
いるもの。
必要の意味がわからんな。なんか研究でもしているのか?
そのへんのミーハーなら読んで面白きゃいいんじゃないの? 二人ありがとう。
なるほど、いろいろと勉強になったよ。 川端ほどじっくりまったりゆっくり読みたい作家は日本人の中ではいない。
即効で読んでしまっては行間がまったく読めない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています