どうしても意見の一致が見られないならとりあえずはじめてみて、問題があれば場所を移るか検討することにしましょうか とりあえず明日ははしがきについてですね。22時以降の書き込みになると思います 0285吾輩は名無しである2016/03/12(土) 01:09:19.72 ageるのは、というよりageてしまうのは、いちいちsageとかやらないから それと下の方にあると探すのがめんどいから まあ、他の住民に迷惑だということなら自分は書き込まんようにするが 他の住民、そうならどうぞそういってくれ 02862732016/03/12(土) 23:07:23.99 はしがき (p5〜p9)邦訳で4p そっけない文章でCoronary thrombosisで死んだH.Hの死(November 16, 1952)などが語られる。 ところどころ普通は使わない単語が入っており、言葉遊びになっているものが多い。 ロリータらしき人物の後日談もこのはしがきに書いてあるが、これも再読しないと分からない。 書き出しは“Lolita, or the Confession of a White Widowed Male” such were the two titles under which the writer of the present note received the strange pages it preambulates. 本文のラストが my Lolita.であることと対応している。(Lolitaで始まり、lolitaで終わる)
H,Hの弁護士であるClarence Choate Clark(CCC)は本文には出てこないが、ロリータの級友名が列挙されるなかにGordon Clarkeがいて、どうやらオナニー狂いのGordonの父親らしいことが分かる。 はしがきの作者ジョンレイジュニアは頭文字だけとるとJRJrになる。H.Hの精神鑑定行ったのは白黒男博士(Blanche Schwarzman) 作者の奇妙な家名(Author’s Bizzare cognomen)はABCとなる(続けて読むとABCは作者自身の発明である) 上の書き出しもwhite widowed, two titles, which writer, pages preambulatesとよく考えると不自然な構文と言い回しで文字を重ねる。 矛盾したカマトトは、paradoxical prude’sでp-p、コップの中の嵐はtempest in a test tubeとT-T-T describes with such despair; that had our demented diarist d-d-d-d tragic tale tendingでt-t-t shadow of this sorry and sordid business s-s-s などなど 4pの中に50近い頭文字の連続が含まれる。
登場人物Vivian Darkbloomはaabdiiklmnoorvv→Vladimir Nabokovのアナグラム。「アーダ」にはNotes to Ada by Vivian Darkbloomがついている 名前だけ、二回くらいしか出てストーリーにほぼ関わらない彼女が事件後に“My Cue,「私の指図」.という自伝を書いた、という一見無意味な一文の意味が変容する。 ロリータ本文とはしがきの両方にこういう言葉遊びをぶち込んだのはH.Hでも編集者JRJrでもなく、「My Cue(私の指図)」であるということ。 Adaは1969年、自伝「記憶よ語れ」は1966年、どちらにもDarkbloomが出てくる。 小説内、作家の回想、別の小説にこっそり出現するこの女性は羅列される固有名の中に忍び込まされている。 02872732016/03/13(日) 21:21:10.32 第一部一章 (p9) 1ページ以下 有名な書き出し Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: L-l-m-l-f-m-l-m-s-m-s-l-l-t その後もt-t-t-t-t-t-s-d-p-t-t-t、 Lo. Lee. Ta.となる。共感覚者ナボコフにとっては原色の世界が展開される。 0.8ページ程度だが、注釈本では数ページにわたることが多い。 ロリータはスペイン語のドローレスに由来して、意味は悲しみのマリアであり、「Lolita」発表以前にもスペイン語文献にはロリータという人名はそれなりに見つかる、 In a princedom by the sea.海辺の王子たちの王国はポーの「アナベル・リィ」の一節の海辺の王国をもじっている。 noble-winged seraphsも「アナベル・リィ」からの引用 I and my Annabel Lee— With a love that the winged seraphs of Heaven Coveted her and me. アナベル・リイとわが身こそ/もとよりともにうなゐなれど/ 帝郷羽衣の天人だも/ものうらやみのたねなりかし(日夏耿之介訳) Look at this tangle of thorns. L-(a)-t-t-t 明確な色を反映しており、表面上の意味は絡みつく茨のとげであり、自身をアナベルに出会ってしまったことの犠牲者としている 短い文章のほとんどがアナベルを示しているとともに、自分を王子、殉教者として神格化し、murderer for a fancy prose styleとしているあたりたちが悪い。 都合の悪いところになると文学的な修辞をちりばめて責任逃れをしようとする主人公だが、逆に性的な場面になると描写が手が込み始める、と言う意味では読みやすい。 02882732016/03/14(月) 18:55:36.89 第一部二章(p9〜p11) リヴィエラでの王子時代(1910〜1923年) ロリータの文章は一文ごとに「意味よりも響きや言葉遊びを優先した文(A)」「何かの引用など文学的な文(B)」「意味伝達を優先とする文(C)」が別れている。 H.Hの生い立ちとアナベルに出会う直前までの文章はありきたりな美しい回想のように、たんたんと情報が開示され言葉遊びの濃度が薄くなる。 しかし父方の祖父・父方の曽祖父二人・伯父の名前が(ワイン・宝石・絹・香水と)扱う品だけ語られ、父母も差し置いて母の姉「Sybil」だけが名前を提示される。 H.Hが16歳の誕生部を迎えるまでに「自分は死ぬ」というpoeticにsuperstitiousなこの名前はギリシャの「女性予言者」を示す。 10代前半の少年をさして “overwhelmingly obvious”「とんでもなくわかりやすい」という、非常に厳格な女性はH.Hを愛してそういったのだろう。 後にロリータの同年代の友人にこの言葉を向けるH.Hは「self-sufficient rapist with pustules」云々と悪意に満ちた表現になっている。 3歳で死んだ母、結婚してすぐにneglectされH.Hの家庭教師となり15歳で喪うSybil以外にも父の愛人たちや王女たち(Ruined Russian princesses)、使用人、友人にも愛されるprincedomの世界。 ただそれをmy cheerful motherlessnessなどと言ってしまうが。 性についてあけっぴろげに(delightful debonair)教えてくれる父は数々の女優などと浮名を流し、リセに3年行くときも愛人とその娘と旅行している。 奔放な父や伯父は混血(フランスとオーストリアに何かしらダニューブ河付近の血の混じったスイス人)であるのに対しSybilはvictoria期で育ったイギリス人女性。 母方の二人の祖父はともに牧師で奇妙な分野の専門家となっているが、paleopedology(古代土壌学)にはペドフィリアが潜み、風で鳴るハープは詩人の象徴。 父方の「商人家系と奔放な性」に対する母方の対比「学者、詩人、道徳、抑圧された性」。父性的なものは物質的で母性的なものは精神的とするべきか、 ほぼ(C)の文体だが女優である母にほとんど会ったことのない少年との会話は他と書き方が異なる オレンジ・青い宇宙の中の白い小宇宙・真珠・陰影・ピンク・青い瞳と蝋のように白い肌理、など一章で排除されていた色が現れ始める(1章ではアナベルと同じく、Loの描写に色がひとつもない!) 02892732016/03/15(火) 02:03:11.46 第一部第三章 (p11〜p13) アナベルとの出会い 前章の色を確かめるように、アナベルを思い浮かべるときはlittle ghost in natural colorsを目を閉じて想起する、と色が強調される。 Annabel Leighも混血であるが、英蘭のハーフ。Sybilの友人であり、19世紀後半においては表向き厳格なプロテスタント道徳が支配していた国でもあるため、Leigh夫妻はともに厳格で、H.Hは嫌っている。 Leigh夫人はわざわざ“結婚前はVanessa van Ness”とされるがこれは、例によってVaness Vanessの言葉遊び。 繰り返されるVanessaはJonathan Swiftが始めて発明した名前であり、彼の若い愛人の一人に彼がつけた愛称でもある。 Cadenus and Vanessaという880行の詩を残しているのでそれを調べてみるとその書き出しは THE shepherds and the nymphs were seen、 羊飼いとNymphは召還される Pleading before the Cyprian Queen. 女神ビーナスの前で懇願する The counsel for the fair began 公正なる裁判を Accusing the false creature, man. 過ちの生物、男を糾弾される The brief with weighty crimes was charged 短いけれど重大な犯罪がおかされた どう考えても「Lolita」の構想にこのアナグラムや言葉遊びを好むSwiftは隠れているだろう。Vanessaは愛人Esther Vanhomrighの名前を組み替えている。 Pale FireでもJonathan Swiftが言及される上にヨーロッパアカタテハ(Vanessa atalanta)が頻出していた。 一応、Vanessa atalantaの色はdark brown, red, and black wing patternであり、powderedというLeigh夫人の形容、Leigh氏のbrownというよくわからない形容はここでつながる。 タテハチョウ科はNymphalidae、アカタテハ属がVanessaになる。特に粉の着いたVannesa(Nymphalidae)である夫人は変態を終えた、成長したNymphetであり、だから嫌悪の対象になっている、と考えてみる。 同じ厳格で、年長であるSybilが白蝋のようで粉を吹いていない石女であることとは対照的であり、Loはいずれmetamorphosisを遂げることになる。(妊娠・出産への嫌悪?) 02902732016/03/16(水) 02:23:25.48 第一部第四章 (p13〜p15) 三章で、二度目の逢引きの不発から4か月後にCorfuでtyphusにより死んだ、とそっけなく書かれたAnnabelとの精神的・肉体的な交流が描かれる。 1923年の秋には、ギリシャでチフスは流行していたか?というと1922年にロシアで2500〜3000万人の感染があり、ベルリンにいたナボコフは強く覚えていただろう。 しかしロシア革命後の混乱において衛生がままならないためで、ヨーロッパではない。 わざわざ記されたCorfuという地名はtyphusの言葉遊びに過ぎないのか? 1923年、Corfuは8月29日から9月27日まで「コルフ島事件」でイタリアに占領されていた。 これはムッソリーニの権力強化の基盤になった事件で、後にナボコフが亡命するファシズムの先触れでもある。 Annabelが死んだとされる1923年秋にイタリア軍がCorfu島を砲撃・占領して多くの死者(多くは難民や孤児)が出て、「イギリス人滞在者の死者はいなかった」ことにイタリア側が安堵した。 か弱い生き物が傷つくことに.心を痛め、狂った紛争地(famished Asiatic country)でnurseになりたいという夢を持つ「イギリス人」少女がそこで死ぬことにはやはりナボコフの意図が感じる。 H.HはAnnabelと自分が弱いものに対する感受性を持つ、と言うが紛争地の看護婦になりたいと言う彼女に、自分は有名なスパイになりたい、と語る。 H.Hが延々と自分とAnnabelの共通性を主張しても、Lolitaと同様、H.HとAnnabelも本質的にはまるで似ていない。 Annabel Leeを殺した嫉妬の天使からのchilling windとAnnabel Leighの死因が異なること(fluなど、より対応する疾患はたくさんある)、Loの死因もまた違うことはH.HのAnnabelがLoにincarnationした、という思い込みの虚妄を暴く。 H.H(という偽名の男)が少年の時に出会った少女が本当にAnnabel Leighという名前である根拠もない。 一応、Corfu島はUlyssesがイタケーに帰還する直前に滞在したスケリグ島のことで、Nausicaa王女に求婚された場所でもあるし、名前の元となるKorkyraはポセイドンに、見初められ誘拐されて、島に住まわせられたNymphであって、という謎解きもできる。 NausicaaとUlyssesの出会いはLoを初めて見るH.Hの場面を彷彿とさせるが、テキスト上では興味深い(ナボコフが考えるなら仄めかすであろう)対応はなかった。 0291吾輩は名無しである2016/03/16(水) 07:17:38.14 ガンガレ 0292吾輩は名無しである2016/03/16(水) 19:44:44.87 ナボコフを楽しむには 原書と訳書と注釈書の翻訳が必要な気がしてきた 02932732016/03/16(水) 23:29:02.92 第一部第五章 (p15〜p20) 5章では華やかな都市での遊学をするH.Hが描かれる。1923-26年の中学生活はほとんど描写されず1926年以降のロンドン・パリでの生活が描写される。 友人には好かれるも、学業は散々たるもの、女性関係は「trauma」を理由にするが娼婦で満足する、と言う。 重要なのはいつのまにかSybilは(予言通り)死んでいるし。父親も何も語られることなく当然のように死んだことが語られることであり、H.Hが精神分析に熱をあげようと、才能がなかろうがどうでもいい。(それでも後で触れることになるが) とりあえず父親の消失を考えると、ちょうど1923年のAnnabelがコルフ島で死ぬとき、父親は愛人と旅行をしている。 その行く先がイタリアであることは偶然か。 前章で、ナボコフがAnnabelの死に「ロシア革命」「ファシズム」という歴史的事件を書き込んでいることが強度を持つなら、父の不可解な退場は説明できるか? H.Hは家族の死に無頓着、という伝統的な読解も正当で、母はあっさり雷に打たれて死ぬしAnnabelも1行で死ぬ。 ただ、父親はSybilと擬似近親相姦を行った上に忘却しているし、Sybil自身離婚していない状況で夫のいとこにして妹の夫とsexを行い、Cooper氏なる体の不自由な人物に言い寄られてもいる。 Cooper氏やLeigh夫妻はAnnabelとの密会を邪魔するもの扱いされるにもかかわらず、Sybilは一度も密会の邪魔をする人物としては描写されない。 “overwhelmingly obvious”という口癖が時間軸上Annabelとの関係以外でありえず、どうやら厳格なSybilは交際を常にからかっていたにもかかわらず、H.Hの回想ではAnnabelとの密会を邪魔するのは常に他の人間であり、 なによりも「V」たるvicious vigilance、Vaneesa Van Nessである。 愛人とその娘と旅行し、妻の姉と気まぐれに性交してそれを忘却し、自分の知る限りの性についてH.Hに教えた、というこの象徴的な父親は小説から姿を消してしまう。 二章で描写された豪奢な生活から、一転して1935年時点でホテル・ミラナをとうの昔に売り飛ばし、たいした遺産は入らない、という急激な没落はいつのことなのか? もちろん当てはまる事件は、1929年の世界恐慌であり、H.Hはこの1923-35年の父親の没落を書いていない。
H.Hから好意的に描かれる二人はこうして近親相姦や不倫の影をまといながら、読者の目を逃れるように小説から退場する。 0294吾輩は名無しである2016/03/17(木) 12:16:41.44 ニワカ研究者 02952732016/03/18(金) 06:25:37.41 第一部第四・五章 (p13〜p20) 第二章では意味伝達描写(C)が増え、言葉遊び(A)の濃度が薄くなったのと同様、Annabel後は(A)が増える一方(C)の描写が減少する。 この意味伝達描写の不足から目をそらそうと、この章では(A)(B)の描写にあふれている。少女への嗜好を語り、プルーストや精神分析への言及、Annabelとの性交を華麗な言葉遊びや修辞で語るH.Hに抗って(C)で語られるべき情報の再構成を試みた。 年表を書いてみると、1923年から1935年には具体的な時間記述は存在しない。(もちろんAnnabelの死とDoloresの生誕に気づく) ただ、H.Hが技巧を凝らした文章を無視するわけにもいかないので、再度彼の(A)(B)を味読する。 “The Proustian theme in a letter from Keats to Benjamin Bailey”は当時T.S.Eliotが再評価をしていたKeats書簡集を読み直したもの。10編残っているBaileyへの手紙の中に、ImaginationをAdam’s Dreamに比べて語るものがある。 適切な場所で適切な声で歌われた古いメロディを聞いて、初めて聞いたときの歌い手の顔をそれ以上なく美しく思い出す、という感覚と時間と記憶に関わる詩的経験のくだり。
H.Hは痛みと快楽(painとpleasure)を常に感じ、Annabelとの性交時にもeerie expression, half-pleasure, half-painを感じ、闖入者によって離れるときにもacheは彼に残る。生涯彼を悩ませる痛みは彼において快楽と常に一緒に出現する。 Annabelとは、出会う前から同じ夢を見ていた、1919年の6月に、迷子のカナリアが家に迷い込んできた、と語られる。 H.Hが精神分析の分析者になろうとしたことは同時期にロンドンへ移住したKleinらの分析を受けていることになる(資格のためには、自ら分析を受けなくてはならない)。 分析でpeculiar exhaustion, I am so oppressed, doctorとなったことは16-19歳のロンドン時代に既に自分の性的嗜好に向き合わされていることを示す。ロンドンを離れ、パリで「解放され」、Uranist(同性愛者)たちと交流する。 Nympholepsyを体系化していく過程は精神分析のparodyであり、欲望を理論化するすべを精神分析で学んでパリで開放してしまった、とも取れる。 有能な精神分析を受けていたらこの事件はなかったかも、と主張するのはナボコフの強烈な皮肉。 (アメリカでM.Mの自殺により精神分析にけちがつくのは1962年) 02962732016/03/18(金) 07:57:10.40 いずれLolitaが出現したときにNymphetは語られるが、この時点ではH.HはNymphetに会ってはいない。AnnabelはelfであってNymphetではなく、H.H少年はFoulet(牧神パンの小辞形)でしかない。 何がNymphetではないか、を列挙していく核心は、その美しさにまわりが気づかず、自分も気づいていない、ために無遠慮な視線を投げることが可能になるというところか。 少女を凝視しても罰せられない環境づくり(適切な時間と空間により強化される想像力!)にいそしむH.Hは窃視者では実はない。 だからLolitaの登場はHaze夫人もLo自身も半分裸でいることに無頓着であることにより、完璧なNymphetである。 睡眠薬を飲んでも寝てくれないにも関わらず、「自分から」H.Hを誘惑することで成立してしまう最初のLoとの性交はAnnabelと異なり失望を伴うことになる。 the nymphean evil breathing through every pore すべての「毛穴」から「ニンフとしての悪」が噴出してくる、という性交直前のロリータの描写はショックを受けるほどに変貌した元Nymphetへの嫌悪を示す。
Annabelの死因はTyphusだった。これは断じてTyphoid feverではダメで、全身に発疹ができる発疹チフスでなくてはならない。 ニキビのできないNymphet「ではない」Annabelは全身に吹きでものができるTyphusで死ななくてはならないし、その発疹に苦しむさまも描写されてはならない。 (Typhusはギリシア語に由来して、熱に浮かされた、Hazyな状態が語源であり、typhoid feverは熱に浮かされたという点で共通するが別の病原体による。このHazeはDorolesの姓であり、小説のいたるところにhazeは隠れている) 02972732016/03/19(土) 01:27:20.04 第一部第六章 (p20〜p24)(1935年の4月) 二人の対照的な娼婦について語られる。Madeleine(マグダラのマリアに由来)付近を歩いているときに、short slim girl passed me at a rapid, high-heeled, tripping step。 第一章を思わせるリズミカルな登場をさせた少女は、H.Hと同時にglanced back at the same momentと描写され、価格交渉に移る。100フランで、値切ろうとするが、3年前には学校帰りの彼女を見ていただろう、と思った瞬間値切るのをやめる。 誰もが18歳と答える娼婦にあってMoniqueはおそらく16,7歳であり、80人を超える娼婦の経験の中で最大の悦楽とうずき(gave me a pang of genuine pleasure)を味わえた、と150フランを渡す。 (oh, she had been a nymphet all right!) 無邪気に喜ぶMoniqueに翌日も逢う約束をとりつけ、都合四度買春するが、二度目以降は輝きが急速に失われ、風邪をうつされたこともあり思い出に保存することにする。(登場以外にもLoやAnnabelに対するような描写表現が散見される) 二人目はMoniqueに味を占めてより若い少女をいかがわしい女郎屋(Edith : riches or blessed' + 'war')を探して紹介された少女Marie。 女衒に連れられてみると生気のない、「15歳にはなっているだろう」、椅子にやる気なく座って人形をいじくり、奥には赤子がいる生活感に満ちた部屋のmonstrously plump, sallow, repulsively plain girlに出くわす。 ビデとベッドしかない、他の紳士に会わないよう工夫された部屋、しゃがんだ少年の尻よりも小さな尻、tight-fitting tailored dressは真珠色、会話も弾み、感謝もされ、軽やかなMoniqueとの対比はうんざりするほど。 これでもかと前半で讃えた描写をひっくり返して嫌悪感に満ちた描写。踵を返そうとすると少年や乳児や荒くれ者まであらわれ、Marieの贈り物を握らせようやく解放される。 Moniqueに与えた贈り物(50フランの追加)は感激され、H.Hがついていけないほど軽やかに駆け出すのに対し、indifferent handに押し込む。 16歳以上だがかつてNymphetであった少女とより若くてもNymphetからほど遠い少女を経験して娼婦漁りを断念し、結婚を決意する。(次章で、30歳近いが少女のようなValeriaと結婚することになる。) あまり自信はないが、二人の名Moniqueはmonos(一人)、Marieはアナグラムでarmie(army)。後者は荒くれ者たちとEdithの(裕福な+戦争)に響きあう。 02982732016/03/19(土) 22:20:17.28 第一部第七章 (p24〜p25)(1935年春以降) 前章で、独身者として娼婦を漁る事への危険を味わったH.Hは、もろもろの利得から結婚をしようとしてみる。別の目的のための隠れ蓑にされる二人の妻(ValeriaとCharlot)。 どちらもNymphetを堂々と凝視できる、という目的であり、結婚の時点では成熟した妻との結婚は直接Nymphetを抱くことが目的ではない。 相手はH.Hのspells of dizziness and tachycardiaを治療してくれた Poland出身の医者の娘Varerila。AnnabelのかけたspellはLoが解いた、と語られたことの反映。 しかしH.Hのspell(米語では発作)を解くことは彼の妄想のようにはうまくいかない。 42歳で心筋梗塞を起こすH.Hは生涯健康(healthy、sound)から距離を置く。しかし快楽でなく健康を象徴する人物もいて、H.Hは彼女らに捨てられ、あるいは自ら捨てることになる。(男性の場合は単に忠告を無視するのだが) Vareriaはラテン語のvalere: "to be healthy"or "to be strong"だが、医者の娘と言うだけでなく"to be healthy"であることは次の章でも明らかになる。
父の遺産として得たわずかばかりの金に加え、my striking if somewhat brutal good looksがあれば女性には困らない、という。 このH.Hの描写で「somewhat」とか「strange」という言葉は要注意。 (typical Nabokovian marker (equivalent to "somehow" or "for some reason"). By wakashima)H.H自身が気づいていないがナボコフがsubtle psychological explanation for the repressionが隠れている。 獣じみたところがある、という小説を通した象徴でもあるが、brutalは後に他の人物の顔の描写に使われ、H.Hの顔面的特徴をほのめかす。 ナボコフは精神分析には攻撃的だが、H.Hは精神分析に傾倒した上にこの後も精神分析に関わる人間であり、精神分析的に読むことを期待する描写をする。 さらに加えて、ナボコフは注釈なしでは意味を持たないような描写を目指す、という点で精神分析的な深読みを要求する、というねじれた関係を持つ。 02992732016/03/20(日) 19:04:13.13 ロリータ第二部が細かく価格で埋められている(Loの堕落をおねだりの価格や逃避行での観光料金で表している)というのはいいとして、ヨーロッパ時代(1910-1940年)には具体的な価格は限られている。 今回、ここまでで具体的な価格が提示されたのは買春に100フランを要し、さらに50フラン払ったというこの場面だけ。 19世紀の小説に親しんでいる読者にとってはあまりにも高すぎる費用と感じるはず。 鹿島茂によれば1928年の売春窟に潜入したジャーナリストは高級娼婦で代金は50フラン、取り分は20フランと記録している。 射精のみを目的にするサービスは4-5フランとされる。 1935年の、行きずりの少女の要求が100フラン(さらにチップが50フラン)という対価は異常に思える。 つまりはインフレの影響であり、50フランをもらって「これで靴下が買える」と喜ぶMoniqueは無邪気さを示すのはいいとしてやはり靴下しか買えないほどに時代は明確な不況なのだ。 アメリカの物価をこと細かく描写したナボコフが唯一ヨーロッパで物価を記入したのがこの数字だと思うと、どうしてもテキスト外の現実、1923年のルール地方占領をきっかけにしておきたドイツのハイパーインフレをベルリンで経験したであろうナボコフを想像してしまう。 03002732016/03/21(月) 02:59:50.73 第一部第八章 (p25〜p32)(1935年〜1939年) 健康にする女「Valeria」は娼婦漁り、nymphet漁りを一時的にでも中止させるだけでなく、身体上も健康にする。キュビスムの絵画を趣味とし、H.Hの眼や指関節(knuckle)を取り出して「ゴミのような」絵に書き込む。 眼はもちろんだが、このH.HのknuckleというのはLoのジーンズに手を伸ばそうとする場面やHazeが死んでLoを迎えに行く直前に出てくる。 さらにLoの夫と出会った場面で相手のきれいな手と比較して、これまで多くの女を痛めつけてきた、醜い手(フランス風に言うならドーセットの農民のようなknuckle)と形容されるように、H.Hのnymphetへの欲望を示す。
例によって登場シーンでは魅力的な描写を行うが、初夜の後に描写は反転する。 She looked fluffy and frolicsome, dressed à la gamine, showed a generous amount of smooth leg, knew how to stress the white of a bare instep by the black of a velvet slipper, and pouted, and dimpled, and romped, and dirndled, この浮かれた描写が初夜には孤児院でくすねてきた少女の服を着せて朝まで性交し、染められた髪の根の色や産毛が剛毛になっているのを見て幻滅する。 やせて青白い少女の代わりに、a large, puffy, short-legged, big-breasted and practically brainless babaを得たとするが、無口さだけは気に入っている(相手はそうではないが) みすぼらしいアパートで生活をする日々。隣の食料雑貨店の少女に狂気を呼び起こされるが、Valeriaによりafter all some legal outlets to my fantastic predicamentをえる。 おいしいポトフ(pot-au-feu)と生きたmerkin(ダッチワイフよりオナホールに近い)を求めて結婚し、少女への欲望が抑えきれないときにだけはけ口を求める。不機嫌に黙り込み、困惑させる。 三行半を突きつけられ、タクシー運転手をしているロシアの元大佐に奪われるのも当たり前だと思われる。