夏目漱石 八十三夜
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夏目漱石 1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年12月9日(大正5年12月9日) 本名 夏目金之助 牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)出身 前スレ 夏目漱石 八十四夜 https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1490752239/ 今年は没後150年、盛り上がりイマイチの感ですね。 マンタンで漱石研究者・ダミアンさんが居る事を知ったが、漱石の海外事情 の情報の持ち合わせは無い。 漱石を取り上げる情報は少し多い気がしますが、 今日見つけた、中国事情・・・。 猫が数多く翻訳されているとの事。 枕の草子も人気・・を前に見つけたが 何か嬉しい。 やはり中国とのつながりは良い者だと感じます。 (昨日の 女性報道官のシャンシャン笑いが とってもステキでしたね!。) * 記事&出典 「現在は、ほぼ全ての作品が翻訳され、 『吾輩は猫である』は少なくとも20種類近くの翻訳版があるとされる。」 https://www.nippon.com/ja/views/b07201/ 3の続き 華春瑩報道官の笑いがもうつべに有りましたので・・・・ほっこりして下さい。 ↓ https://www.youtube.com/watch?v=FUv5H2MDYPU >>1 乙 【昔も嫌韓】夏目漱石(1867-1916年)「余は支那人(中国人)や朝鮮人に生れなくつて、善かつたと思つた」 全集未収録随筆を発掘★5 http://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1357700814/ >>7 マジレスすると、漱石のは嫌韓じゃなくて、悲韓、悲支、なんだよね。 朝鮮人や支那人の当時の状況を悲しんで、虐げている日本人に対して微妙な感覚を持った。 >>8 全くもって激しく同意。 当時のかの国等の疲弊は大変なモノで、あわれを感じたと思う。 馬鹿にする事と憐憫の情を抱く事は、全く違う。 漱石をヘイト利用するのは本当に腹立たしい。 中島敦そんな感じあるな 漢学に思い入れあるけど現実にも 向き合ってる感がある スレチご容赦 今の中国は良く分からんが、まあ中国の文化がすごいのは周知。 何となくひかれ、「燕京歳時記」なんぞ読んでしまう。 日本にも昔は有ったらしい「消寒図」、やって見たわ。 冬至から立春まで、一日一片の梅の花びらに紅色さすもの。 (81日で、九九消寒図ともいう) 漱石だって当然知ってたとおもう。 >>11 なんであれ、学問の歴史が桁違いだからね。 電子版でも、中国では莫大な史資料が無償で公開されてる。 欧米の民間無料電子版も凄いが、中国も十分匹敵している。 日本では、せいぜい原典PDFで読みづらい国会デジタル。 草枕の文言文訳とかあったらなあ 中国の古典学者にやってほしい >>13 中国語訳ということ? 知らないけど、あるんじゃないの? 3の資料見たが、「誕生の碑」の写真ひでーな! 海鮮チゲ・・・・。 食べ物屋が跡地に・・漱石先生!碑が有るだけで許して。 マークトウェインの生家がどうなってるか調べてみたくなった。 いや文言の語彙と文法だよ プラス正字でさ 「古典中国語」 >>18 時代によって少しずつ違うんだろうが、古典というのはいつのころを考えてるの? >>19 書物でいうと二十四史でいいじゃん 回りくどいね >>20 二十四史? 史記から明史まで、何年あると思ってる? じゃあ基本は史記でいいよ 語彙は必要なら新しいものも可 猫、海外翻訳されるのは嬉しいが・・・・・ I am a cat , 我是猫・・・・ではなーーって思う。 「吾輩」の由来も知らんが、我々はこの一語で全体の八割の雰囲気が分かってしまう。 世界一理解して貰えない言語じゃないか、と心配。 中国の古典学者じゃダメではないかな? >>24 吾輩、アテクシ、わたい、わて、おい、おいどん、あたい、私、それがし、ワシ、 みども、小職、それがし、拙者、てまえ、俺、僕、おいら・・・・・ → I で十分! ? 映画は兎も角、文学上で I 一個じゃ彼らも不自由を感じてると思う。 昔の英語では 男女別の I くらい有ったんじゃないかと推察するが・・。 >>25 十分だよ。 漱石は、吾輩という言葉にそんなに重さを置いていない。 当時の一般的な一人称代名詞のひとつ。 「僕は猫だ」という書き出しだったとしても、作品の価値がなにか変わるわけではない。 >>26 ・作家は言葉・文字にこだわり、その作品の価値は言葉を含むのは当然。 「僕」を選ばなかった漱石の「意気」を感じます。 ・小生の論点は、海外翻訳時、この日本の豊かな語彙をどれだけ訳せているか・・です。 「越えられない壁」に対しての一石です。 ・ 貴方の「十分」の説明を。 欧米では一人称がIしか無いから、それで十分・・と いう意味ですか? 吾輩の意の英語が有ったら、どうですか? >>27 漱石は文字には無頓着だった。 自分の漱石という名前すら、間違えて書いていた。 そもそも日本語は人に対する直接的な認識が弱く、その分代名詞も明確にならない。 言葉の違いにも認識の違いがあるが、漱石の場合は、むしろ人に対しては直接的な認識を持っているから、英語などの一般的な人称代名詞で十分対応できる。 >>28 レス有難うございます。 ※スレチ御免!のマークトウェインの生家 生まれた家は残ってない様ですが、4歳時の家は保存されてるらしい。 ↓ http://studyenglish.at.webry.info/201607/article_15.html 生家は写真だが、開拓時代を彷彿。 ・漱石の住居は、明治村に有るとの事で、行ってみたい。 行った人いますか? 漱石が愛用したという文机は紫檀の中国風の物。 手脂で深まった色を実際に見てみたいと思う。 (一寸調べたが、実物が存在するのか否か、分からなかった。) もう大分前だが、一時期手作りナイフを作って居た時ハンドル(握る)部分の 木材に紫檀系の材料を使い、手脂・鼻脂っを塗りたくり、良い色合いに成るのを 愉しんでいた。 漱石も塗りたくって愉しんでいた、と今日見つけた資料に書いてあった。 歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。 内地に跼蹐(きょくせき)してゐる間は、日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまい といふ考に始終圧迫されてならなかつたが、満洲から朝鮮へ渡つて、 わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、 日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた 同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。 彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、 真に運命の寵児と云はねばならぬ。 (夏目漱石:満韓所感) >>32 こういうので、ヤッター、日本人バンザーイ、とか感じる人って、どういう精神構造なんだろう? 幼稚で単純なだけ? 自己愛パーソナリティで、周囲から評価されないことの補償なの? 漱石を読もうとしただけ、まだマシ? 普通の感情だと思うけど 書かれたまんまだろう 有名文学者だから解釈したくなるだけ 西洋コンプでウジウジしてたのが 旅行で元気な日本人を見て 日本人であることも悪くないじゃん もっと悲惨な連中いるって肌で感じた そのまんま 聖人でも悪人でもない >>35 なんて単純なんだろうw やっぱり、幼稚で単純なだけなのかな? 一方で、こういうのにすがりつきたくなるところは、自己愛パーソナリティで、周囲から評価されないことの補償なんだろうな。 確かに日本人の未来は暗い。 悲惨な集団を見てああよかった あの中に生まれなくって誰でも思う ロヒンギャ族でなくってよかったーとか 漱石の時代は今みたいなポリコレ棒がなかっただけで なので時代を考えると本音としては ありきたりで特に思想を読み込む必要はないよね >>35 ここで何を言いたいのかが、分からない。 @「漱石は善人でもなければ悪人でもない」と解釈したって事か? A なにが「普通の感情」なんだかが分からない。 >>39 日本人は憐れだと暗い気持ちでいる知識人が 植民地へ旅行にいった。 そこで活躍している日本人を見て元気になって 俺らより可哀想な民族がいるんだなあーと 肌で感じた これどこにも謎ないだろw 卓越してもないしおかしな部分はない 近代化進む中でのごく普通の感想 >>40 イギリスと比べて日本の文明が遅れているかと思ったけど、追いつけるかもしれない。 それには頼もしさを感じる。 一方で、実際に働いているのは中国人だ。 自分がああいうふうに働くことはとてもできない。 日本人でよかった。 勝者としての振舞いは運命というものだろう。 こんなところだ。 日本人で助かったという気持ちは確かにある。 それは時代の趨勢だとも考えている。 愛国心などというものとは程遠い。 >>40 レス有難うございました。 *漱石の文机 続 本物は、県立神奈川近代文学館で所蔵との事。 但し常設展示品はレプリカ。 漱石山房記念館のもレプリカ。 猫・坊ちゃんを書き上げた机を探して見ようと思います。 現代の日本が貧しくなるにしたがって、愛国を叫ぶ人間が増えているのは確かだろう。 自分の生活は惨めでも、日本は凄い。 あの国と比べれば、日本の生活だってずっと豊かだ。 日本人は個性を消して、一丸となって国の発展のために尽くすべきだ。 企業が発展していくことが、国の発展につながるから、国民は黙って政府について行けばいい。 これは、自己愛を国家に結び付けているだけだけど、若年層の半数はこうした感覚のようだ。 >>43 だからさー、それをなんでココで表明してるのよ? 他にふさわしそうなスレ無いの? マジスレチ >>41 愛国心の話はしてないよ 理想の愛国心からは程遠くても別にいいでしょ >>44 表明ではなくて、>>40 みたいな人の分析なんだけどね。 漱石が愛国心というものを、偽りだとして否定してたのは周知のとおり。 その漱石の旅行の時の感想を、変に解釈されるのは嫌だなということで。 戦後の日本人は、漱石の合理的な感覚に近づいた時期もあったと思うけど、結局は、奴隷精神から抜け出すことができない劣等民族に戻ってしまったと思う。 だから、漱石の正確な受容のためには、少し回りくどいけど、現代日本人の感性を分析することも必要だという意味で書いてみた。 漱石のいら立ちは、現代によみがえってるんじゃないかな。 >>45 愛国心の話だよ。 理想の愛国心なんてものもない、というより、愛国心というのは偽りの心だということだよ。 日本のあそこが凄いここが素晴らしい、というのが、愛国心という偽りを現実化するためのプロパガンダだし。 子供は、一人では生きていくことができないから、周辺環境と一体化した感覚で自分と家族や友人や学校とが混然となった感覚で生きている。 だから、家族からの精神的ネグレクトや仲間外れなどのイジメは、時として子供の命を奪う。 そういう自分と環境との未分化な幼稚な心性が愛国という心を見出そうとする。 これは、自分が自然と混然となってしまう未開の心性でもある。 なんだ 俺は右翼志向じゃないよw 君みたいに漱石を理想化して 日本人はそれに近づいてまた劣化した みたいな壮大なファンタジーはくだらないとは思うがな 漱石がナショナリズムの暴走に関して無傷と 思いたい漱石ファンにとってその記事が ズキンとくるものなのはわかるが冷静になってくれ >>48 漱石を理想化しているのではない。 人間には合理的な精神が大切だといっている。 明治以降第二次大戦まで、天皇、国家という幻想に強く縛られていた日本人の精神が、大戦後、アメリカ的合理主義によって少し解放された。 もちろん、漱石といえども、天皇、国家の幻想から無縁であったわけではない。 それでも、現在の日本人の平均値?よりは、ずっと合理的だ。 日本のあそこが凄い、ここが素晴らしい、という「小さなファンタジー」が、「壮大な」国家主義につながることは、戦前の歴史がよく表している。 そうした作られた愛国心に乗りやすいのが、幼稚な精神であり、それは国家主義へとつながる精神構造だと指摘している。 >>47 それはちょっとついていけないな 愛国心という言葉に囚われすぎで 頑な過ぎる 「自分の所属する共同体に愛着を感じる」 ことを否定しても仕方がない どうしても俺はその「言葉」がダメだから勘弁してくれ というなら責めないけどさ >>49 日本が緩い権威主義的国家に傾きやすいのは確かだが 愛国という言葉をモグラ叩きすれば 戯画化された左翼像だけが膨張するだけ >>50 ついてくる必要はない、というか、現在風の日本凄いファンタジーに浸かっている人には、理解できない感性なんだろう。 そういう感性そのものが、幼稚で未開の精神なんだよ。 「自分の所属する共同体に愛着を感じる」ということ自体が、自分と共同体が混然として区別できない幼稚で未開な心性だと指摘している。 そうした心性を責めているのは、僕の方だw 西欧では、個人と共同体が別だという感性を身に着けている。 だから経済状況は別としても、EUという国家の解体に手を付けた。 実は、トランプ以前のアメリカも、TPPという国家の解体に手を付けようとしていた。 日本のTPP参加議論は、国家を維持したままで経済だけの交流という歪なものだったが。 >>51 愛国自体が戯画であると指摘している。 理解できないのは、君が幼稚で未開な心性から逃れられないからだろう。 えイギリスは脱退したし EUはEUという権威になっただけだよ 君はネトウヨにも勝てないかも 例えばEUでは病院が子供の治癒が不可能と 判断すれば親は安楽死選択を強制される 日本ではありえない国家統制だよ これがEUの個人主義の一面 >>53 じゃあ自分の所属するものに 思い入れを感じるのは幼稚なの? それとも国家だけダメなの? EU愛はOK? EU愛もダメ? 君の褒める高度成長期を準備した 維新以後の人々に愛国心は必要なかった? 非現実的だなあ >>54 経済の問題は別だと書いといただろ? もともとポンドを維持したままのEU参加は無理なんだよ。 子供の安楽死強制の問題とか、個別のマイナスを挙げても意味ないよ。 個人主義の結果として安楽死の強制があるとか、そういう話題を持ってくる精神が、まさに幼稚で未開なんだよ。 ああそっか「個人主義」という言葉を 漱石込みで神聖化しているのだな そして個人主義と愛国が相容れないという 言葉遊びか そりゃ机上の空論だよ >>56 例えばさ 今、EUは移民問題に苦慮しているが でも君の個人主義から演繹すれば 移民はどこまでオープンにできるのかな 国家が移民を止めるのは悪い国家主義? つまりさ君の個人主義の実態がわからんのよ 俺はナショナリズムを全否定しても物事は 解決しないし、幼稚、非合理と罵倒するのは 馬鹿げているという立場 >>55 まず、自分の所属というのがどういう意味を持つのかを考えよう。 収入を得るためであれば、労働者はその収入を増やそうと資本家と闘争もするが、それは愛ではない。 EUという制度が自分たちを豊かにすると思えば、EUの発展を期すが、それは愛ではない。 国家というのは、ある特定の利益集団による利益のための共同体だから、利益が反する集団にとっては企業と同様に闘争の相手となる。 これも愛ではない。 非現実というのは、現実の制度とは無縁の、架空の共同体を幻想する君のような心性のことなんだ。 >>57 個人主義というのは、現実の個人を重視する価値観。 国家という架空の共同性を愛せという愛国と、相容れるわけがないw >>58 移民問題は経済問題だから、経済圏の範囲をどうとるかという問題。 国家という幻想の問題ではなく、現実の市民社会の問題。 愛国心を幼稚、未開、不合理と指摘するのは、罵倒ではなく、ただの分析。 「馬鹿げている」というのは、君の僕に対する罵倒かも知れないがw 日本は歴史的に同質性が高く排除の論理が通りやすい これは言えるかもしれないな 自由主義国家となった今も絶えず抑制が必要 これは概ね同意だ しかし例えばEUの移民に祖国愛があっては幼稚 なのだろうか?或いは彼らが徐々に移住国に愛着を 感じることを表明することすら幼稚なのだろうか? こういう風に地に足ついた想像を広げていくと 国へ愛着を、合理的な優れた人間が捨てるべき 幼稚な思考だというのは徹底的な思想の恐ろしさを感じる 別にいいじゃん愛国心があったって 漱石の気持ちだってごく自然なものだし 漱石は個人主義教でもなんでもないのだから 後からみて矛盾したものを書くことなんてあって当然 こう考えたほうがいい >>61 経済問題って 例えば移民が入ることによる問題をどこまで 許容するかは経済的な問題だけではない じゃあ日本は経済的な根拠づけで移民排除しても 個人主義は傷つかないのか 君は逃げているな これはこれまでのフランス左派もそうだったのだが 自分が「寛容な人間と思われたい」からだな リアルな話を語りたくない 出来るだけ愛国心とか抽象概念の攻撃に終始したい、と >>61 もう一度言うぞ 君の個人主義にとって 移民は経済の指標が上向けば 無制限に受け入れるということで良いね? で相撲はどうだろう? 個人を国籍で縛るのは悪しき国家主義だから モンゴル人は無制限に入れるのが個人主義? 国がある個人主義を強力に推進している国 があるとする。仮にオランダとかな でそういう個人主義を打ち出す国の国民が 国に愛着感じたり、ほかの体制よりも好ましい と自信を持つのは愛国じゃないの? 宗教もあるな 現代の宗教は組織化されて巨大なものも多い 時に権威主義的国家の伴走者にも なるが、ポーランドのカトリックのように 抑圧に抗する基盤にもなる でさ、主要な宗教組織は明らかに一個人以上の 権力を備えた総合的な共同体なのだが、 信者が愛着を感じるのは幼稚なのかな? それとも国家じゃないから幼稚判定は しないのかな 自分の信じていた世界が(おそらく自分の 高齢化とともに)崩壊していくという 感覚はあるかもしれないが、愛国という 言葉とそれをピッタリとくっつけて身動き 取れないというのは本人の小さな満足でしかない 9moさんとのやり取りで、89jiさんの論は53と60に集約された。 9moさんご苦労さま&有難う。 89jiさんはこれまで、漱石関連スレで、自分の主張することなく漱石の 個人主義と満韓を繰り返しコピペ書き込みをしてた方だと思う。 つまりは「愛国」を憎み「個人主義」=好き勝手を礼賛している・・って事。 これまでに散々聞かされてきた、戦争ごめんなさい、二度と戦争を起こしません・・ のいわゆるリベラルの主張。 この呪縛から覚めようとしてるのが、現在の日本の状況だと思うが。 >>61 移民問題が、 >国家という幻想の問題ではなく、現実の市民社会の問題。 というのは意味が分からんな。自由主義国も中央集権なんだから そこから離れた市民社会なるものが主体的な決定ができるわけがない。 市民社会が存続することが可能な自由主義国の法律をつくるのは 国家のいち機関である国会なんだから。 満韓所感に戻ると、漱石ファンにとって衝撃的だったのは 文章上でだが、あっけらかんと悩みが解決しているところだろう。 すがすがしいまでの「日本人」への寄りかかり。 というのは漱石に植民地主義の影があることは理屈上であって、 あくまで彼は理想化された「悩める近代人」の典型だからだ。 彼のように結果的にだが、混迷する以前に亡くなったおかげで 名声が温存した文学者は多い。 それが「自分が優れた日本民族の一員であると実感できて安心した。」 なんてポッと書かれたら、戦後日本の左翼理想を、「悩める近代人」 に対して、(悪く言えば)仮託してきた層は動揺してしまう。 漱石は絶対安全地帯だったはずなのにってね。 だがこれは無い物ねだりだ。 >>62 愛国心というのは幼稚で未開な精神。 人間の歴史の中で、行きつ戻りつしながらも、消えていくものだ。 精神の進化がなければ、それは人間とはいえない。 幼稚で未開な精神を他人に強制するのが、いわゆるカルトだ。 恐ろしさを感じるなら、愛国心に象徴される、個人の共同性への同化に恐ろしさを感じなければならない。 戦時の日本やナチスドイツだけではなく、連合赤軍事件もまた、共同性への絶対服従という、共同体愛の産物なのだ。 >>59 愛の定義を狭くして、そのハードルを越えられないと駄目 という論法か。それは「恋は愛じゃない」みたいな言葉遊びだな。 >>64 もう一度指摘しておこうw 移民の問題は市民社会としての純粋な経済問題。 労働の担い手としての資本の利益と、先住市民の権益のバランスの問題だ。 資本の利益を強く打ち出していたメルケルなどの原理資本主義者と、賃金低下を懸念する労働者との闘争という側面が強い。 愛国政党がその隙に乗じて票を伸ばしたが、最終的な資本との対決を起こすわけもない。 オランダであろうが他の国であろうが、愛国などという感情を持つ人間がいれば、それは幼稚で未開な精神の持ち主だ。 君だって、まさかひとつの国の人間はみな同じ感覚を持っていると思っているわけではあるまいw >>65 いうまでもなく、宗教というのは国家と同じ幻想の共同体だ。 極端な例として、オウムがある。 自分たちで疑似国家を設定し、日本という国家に戦争を仕掛けた。 オウムが幼稚で未開なのはいうまでもない。 >>68 国家と市民社会は別の概念だ。 国家というのは共同的な理念をその本質として、市民社会というのは経済活動をその本質とする。 ひとつの共同体のある部分集合の利益を代表した法制度を体現するのが国家ということになる。 一方で、その法制度の中で、日々の日常的な経済活動を行っているのが市民社会であり、法制度に拘束され、法制度の理念と対立しながら活動している。 >>69 >>71 >あっけらかんと悩みが解決している 君が何回繰り返しても、あの短文からそんな感想しか持てなければ、文章を読む意味はない。 それは、なにより、その後の漱石の作品が物語っている。 「韓満所感」後の作品のどこをどう読めば、「あっけらかんと悩みが解決している」などと思えるのだろうw >>70 危険がある観念や政治思想なら他にもいっぱいあるよ。 たとえば個人の優位と自由の追求は、リバタリアニズムにつながるし、 EUのように寛容な社会は非寛容な社会を許容できるのかという問題もある。 現実に成功した西側の反共工作がいかに熾烈なものだったかはよく知られている。 連合赤軍事件を鎮圧したのは、国家に仕える警察の仕事だったよ。 それとも君が個人主義で極左を止めることができたのかね? 愛を単に「執着」としてみると、多くの犯罪は執着が原因だが、 だからといって愛を否定する人は稀といっていい。 君の思考は大枠ではそれほどおかしい点はないのだが、現実に無力 すぎるから心に訴えない。精神の進化?それはついていけないな。 そういう人類史的なスパンなら無責任になんでも言えるから説得力がない。 >>71 定義の問題に逃げても無駄だ。 国とはなにか、という質問に答えられる愛国者など皆無なのだからw >>76 日本がアメリカに大敗したように、戦争というのは、どちらかが勝者になり、どちらかが敗者となる。 連合赤軍もオウムも、日本国との戦争に敗れ壊滅した。 それだけのことだ。 僕は、愛を否定しているのではなく、愛国心というのは、愛ではないと指摘している。 >>75 記事から受けるインパクトはそうだろう。 あっけらかんとしているから、だから漱石を心の支えにしてきた 君が動揺しているのさ。しかしこういうことはよくあること。 そういうときは新しい現実を受け入れて一旦、冷静に対象との距離を 置かないといけない。自分のなかの漱石像が、なにやら足場の欠いた 大きな思想として肥大化していただけだとね。 >>79 誰もそんな印象は受けてないw 君の愛国妄想で印象がねじ曲がったのか、読解力がないのかのどちらかだ。 そもそも、文学者に大きな思想を求めるほど無教養な人間は漱石の読者にはならないだろう。 ちょうど君が、漱石を読んだことがないようにだw >>78 やっぱり「愛国」という日本語の語彙をどうしても受け入れられない だけのようだね。ちなみに西周はpatriotismに漢語出自の愛国を当てている。 EUへの愛は全て捨て去るべき妄想なのか? 遠い地での祖国愛は全て捨て去るべき妄想なのか? 個人主義を尊重する国で、個人主義を好むいち国民に 沸き起こる愛国心は全て捨て去るべき妄想なのか? 愛国の念から成し遂げられた普遍的人権に与する偉業はどう判断するのか? 「それは愛国ではない」と俺哲学から勝手認定するのかな? 「君が代」でもそうだけど、言葉そのものを観念として 一切拒否する人にはなにも通じないけどね。 あなたがもし老人ならば今の思想を大事にして人生を終えるのも 幸せな選択かもしれないが、もし老人でないなら、考え直すことを 真剣に勧める。下のような記事を読めば、君の大事にしてきた 無謬の個人主義がいかに無力でナイーブかがわかると思うよ。 https://www.newyorker.com/magazine/2017/12/04/the-french-origins-of-you-will-not-replace-us >>80 いや単純明快な「シナ朝鮮人じゃなくて日本人でよかった〜」を、 君が肥大化させた漱石思想のなかで、なんとかうまく都合付けようと 既存の俺漱石に回収させようとするのは、自己保身以上に意味が あることではないということだ。 素直に読めばいいだけ。再度書くよ。 日本人は憐れだと、西洋コンプでウジウジしていた日本人知識人が、 旅行先の植民地でもっと悲惨な民族を目の当たりにして、自信をつけた。 これだけ >>81 君はまるで日本語が理解できないんだね。 遠くても近くても、僕は、祖国愛などという感情は偽物だといってる。 家族の思い出だったり現実逃避だったりするだけだ。 いうまでもなく、それ自体は普通の感情でも、祖国愛などという形式に組み込んでしまうのは、「全て捨て去るべき妄想」だ。 「愛国の念から成し遂げられた普遍的人権に与する偉業」などというものも知らない。 「愛国の念」が戦争を引き起こすことはあっても、「普遍的人権に」寄与したことはない。 君が代というのは、いうまでもなく、明治初期に天皇崇拝を広めるために採用された古今集からの「盗用」だ。 まあ、当時の歌集には似たような和歌はたくさんあるが。 君は若くても年寄りでも、教養がなさ過ぎる。 若い人は若いなりに、年寄りなら当然の蓄積として、物事を客観的に見る教養が必要だ。 せっかく漱石スレに来たんだから、せめて、猫でも読んでみたらどうだろう? >>82 僕のレスを少しでも読めばわかるはずだが、「肥大化させた漱石思想」などというものは僕の中に微塵もない。 愛国妄想にとりつかれた君の目にはそう見えるのだろうが、それは幻覚だw 何回でも書いておこう。 漱石の「西洋コンプ」は、死ぬまで変わらなかった。 「愛国」という言葉に反射的に拒否反応を示すのは理解できる。 日本という観念そのものを社会構成主義的に批判するなかで 第一の標的だ。日本の近代史における含みは大きい。しかし だからといって「自分の国を大切に思うこと。」(日国) そのものを精神の未熟といったところでどうなるものなのだろうか。 では俺のこれまで使用した「愛国」を「自分の国を大切に思うこと。」と 全て言い換えても、すべてそれを否定できるというのだろうか? やはり「愛国」をことさら観念的に「個人主義」と対立させるのは 個人の思い入れ以上の説得力がない。 >>84 死ぬまで根底にある意識が変わらないことと、 そのときに「あー日本人でよかった」って思うことは矛盾しないよ 書いてないだけで、「あれ朝鮮人それほど不幸じゃないじゃん」 って次の日はまた別のことを思うかもしれない。難しい話じゃない。 一貫した思想的漱石像に頼りすぎるからそういうヘマをする。 >>83 祖国愛否定なら、じゃあ家族愛は捨て去るものかな? 家族愛は何親等まで適応されるん?でそういうことを君が これは愛、これは愛じゃない、っていうのは傲慢ではないかね? いい祖国愛も悪い祖国愛もあるね〜では気に入らないんだ? それでいいじゃん。 普遍的人権が普遍的人権を予め「知っている」人が 作り上げてきたと思っているのかな。そりゃ違う。 貴族の影響力の残すためとか、戦争に勝ちたいだとか いろいろなかで鍛えられてきた観念であって、「国家」と 同じくらいファンタジー。 >>83 「祖国愛などという形式」 ああその言い方はやっぱり政治用語としての利用とか、 語彙のシステムを指しているのか。俺は故郷を愛する気持ちの ひとつとして示しているだけ。それは実は都市愛かもしれないし、 町内愛かもしれないし県愛かもしれない。 でさそういった帰属意識の連続体のどこからが、「捨て去るべき幼稚な精神」 なんだい?アジア愛は駄目?カリフォルニア州愛は駄目? ある区分から突然批判の対象になるのかい? 君なんにも答えられないじゃん。なぜかというとね、泥縄的に一貫した 強い思想をつくりあげようとするから、軽く突っ込まれただけで窮するのだよ。 5ちゃん思想家の多くは整合性のある強い思想を好む。でもそれは強面なだけで 話していくとだんだんおかしくなる。君もそう。レス量が増えると自然に 比例しておかしくなる。これは別に譲歩していい部分を譲歩せずに 全て正しいという方向に固執するから。 このあいだは、広辞苑は中国の行政区分欄での「台湾省」掲載のみで 客観性のない欠陥辞書認定できるか、という論争をした。俺はそれだけでは 欠陥とはいえず、同時に政治的には批判も当然ありうる、とした。 フォークランドを英領とだけ書く辞書や、竹島を係争中と書かない 辞書もその記述ひとつだけでは欠陥商品じゃないですよと。 しかし相手は、欠陥だという指摘がおおよそ「政治的」であることを 認められなかった。で俺は「いや政治的な批判は悪いことではないですよ、 台湾政府の抗議は政治戦略としては正当ですよ」とも言った。 無論、相手は納得しなかったがね。 「携帯」を引いて「携帯電話の略」という語義がない辞書は欠陥、 とか言って破れかぶれだったな。 そういや書き忘れてたけど、 >現実の制度とは無縁の、架空の共同体を幻想する 『想像の共同体』読めばわかるけど、近代の国民国家は、 さまざまな現実の制度、コミュニケーション行為のなかで 生まれてくるものだよ。たとえばマスメディアの全国放送は 制度的なもので、国民国家の意識と無縁どころの騒ぎじゃない。 現実の制度とは無縁っていったい何を指してそう言っているの? 国民国家は架空、君の家庭や会社は現実? >>85 愛国心というのは、自己愛の拡張だと書いたつもりなんだけどね。 君には理解できなかったみたいだけど、自己中心的な感性が強い人間ほど、愛国を強調する。 右翼に経済犯が目立つのも、彼らが右翼を騙っているからではなく、右翼の感性そのものに自分の利益を追求する精神があるからだ。 他者の存在を重視し、他者の価値観を認める、漱石の「個人主義」は、その意味でも、愛国の対極にある考え方だ。 >>86 漱石の文章についてなら、「あー日本人でよかった」ではなく、「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた」だよ。 苦しい労働を強いられている支那人や朝鮮人ではなかったことを、「まあ善かつたと思つた」わけだ 文意として、両者は相当に違う。 その程度の違いは、読み取って欲しいものだと思う。 君が、「韓満所感」を「満韓所感」と読み違えたのも、そうした言葉の感受性の弱さから来るのかも知れない。 君は、「思想的漱石像」などと言ってるところをみると、漱石がDV男だったということも知らないようだ。 普通の漱石読者なら、漱石の家族に対する暴力的な行為は、誰でも知っていることなのにw >>87 家族への愛というのは、そこに具体的な人間がいる。 漱石が愛国を否定した大きな根拠は、国というものが抽象的に過ぎるから、ということだ。 僕自身は、それに加えて、愛国あるいは共同体に対する愛というのは、自己愛の補償的な心の動きであり、他者を対象とする愛という概念とは相容れないといっている。 家族というのは具体的なそこにいる人間への愛だ。 これが一族という範囲になると、そこにはすでに抽象性と自己愛の補償が侵入している。 共同体や国への愛と同じ擬制の愛ということになる。 >>88 何回も同じことを指摘しているが、僕は、「帰属意識」そのものが、捨て去るべき幼稚な精神だと言っている。 アジア愛も、カリフォルニア州愛も駄目だw 具体的な対象がなければ、それはすべて擬制の愛だ。 制度を愛するのが愛国だとでもいうなら、愛国とは政権への愛、ということになるw >>89 僕に対してなにか言いたいのかな? もしそうなら、曖昧にせず、きちんと書いてくれ。 >>90 『想像の共同体』という本は読んだことがないが、『共同幻想論』は読んだことがある。 国家と市民社会と家族の本質を論じた『法の哲学』も何回か読んだ。 なにが現実でなにが架空(幻想)であるかを考えるには、『共同幻想論』や『法の哲学』はとてもわかりやすくていい本だ。 もちろん、漱石の作品や、なかでも『文学論』は、漱石スレで愛国を議論したいなら、必須であることはいうまでもない。 >>96 apmさん やっぱり何チャラ巣窟だの、漱石DVだのは貴方ですね。 帰属意識・愛国を忌避したって一向に構いませんが、ココでは貴方の主張が 住人の気分を多大に害してることに気づきべきです。 漱石のネガティブな面のみを書きなぐるのは、少なくともこのスレコミュニティー にはそぐわないと思いますので、「ここへの帰属」も忌避してください。 多くの一般人は「愛」を信じています。 父母・家族・地域・国・地球・宇宙・・・自分を育てて呉れ、愛し暮れた他者を 愛するのに幼稚も高尚も無いと思います。 貴方の様な方の出現を、ある生物学者が予言していました。 種の保存を意図して来たDNAが突然その主目的を放棄するかもしれない。 >>97 君って、よほど日本語の理解力に欠けてるんだね。 君が思い描いている相手は、まったくの別人。 漱石が病的なDV男であったことは、漱石読者で知らない人はいないといってもいいくらい有名な話だ。 鏡子夫人も息子の伸六さんもはっきり書いている。 夫人は、むしろ、だからこそ、自分がそばにいなければならないと思った、とまで言っている。 僕は、「帰属意識・愛国を忌避」してるんじゃなくて、非難してるんだ。 「帰属意識」や「愛国」は、他者との争いを導くだけで、人には未開な残虐性すらもたらす。 その根拠は何回も書いた。 「帰属意識」や「愛国」が平和や人格の向上をもたらした例があるなら、教えて欲しいぐらいだ。 だからこそ、古今の思想家も愛国心を非難してるのだ。 繰り返すが、「地域・国・地球・宇宙」は他者ではない。 ただの現実を抽象化した概念に過ぎない。 設定された概念を愛するというのが、人間としての偽りではなくてなんであるというのだろう。 それは、漱石の考えでもある。 愛国という争いしか生まない擬制の愛、それも支配者の掌で踊らされる抽象的な擬制の愛は、当然のように非難され、捨て去られるべき醜い感情だ。 漱石を読んだことがなく、漱石に関してなにも知らない人がこのスレに来ることは歓迎する。 しかし、読んだ振りや、読みもせずに漱石の心情を「忖度」するような、シッタカ右翼君は、やっぱり、「このスレコミュニティーにはそぐわない」w >>98 分かりやすくお願いを含めて、箇条書きにするね。 @「帰属意識・愛国への非難」をご勝手にどうぞ、継続してください。 但し、「漱石&漱石の著作を冠したスレ」にはそぐわないので 「此れまでの貴方の主張・論及びそれに関係する漱石の著作物のコピペを 書き込まないで下さい。 2ch固有語では「アラシ」と呼ばれます。 Aあなたの論は非生産的であり、一般人にはそぐわない。 進化・進歩には議論はあるが、こと芸術に関しては非生産的な行動・言動は 非難されて当然と考えます。→Aのお願いへ。 Bアスペルガー気味なので、心療内科を勧めます。 C家庭を持ってみる。(無理そうなら、小動物を飼ってみる。) ご高説、有難う御座いました。 良いお年を! >>99 何回言えばわかるのか知らないが、漱石は愛国などというバカな感性を否定してる。 愛国心の否定は、漱石の課題のひとつだ。 それすら知らずに、愛国愛国と喚き続ける君が、荒らしというんだよ。 相手を「非生産的な行動・言動」ということにすれば、君は自分が無知無教養であることから免れるとでも思っているのだろうか? 根拠のない決めつけこそが、非難されるべき言動なんだよ。 ちなみに、言動というのは、言葉と行動をあわせた言い方なんだよw 君がアスペルガー気味であるのかどうかは知らない。 君が言葉に対して鈍感で、一般的な思想の知識もなく、普通のレベルの教養もないことも、問題にはしない。 しかし、漱石スレなのに、漱石も読まずに漱石の感性や思想を云々するのはやめるべきだ。 愛国と家庭とは、二律背反の関係にある。 一般的に家庭を大切にすれば、なおさら反愛国の感性が強くなる。 僕自身も、家庭を持ってから、反愛国の感性がなければ、家庭を大切にできないという確認ができたw 愛国とは、戦争を賛美し家庭を破壊するものだからだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる