夏目漱石の『こころ』
不朽の名作にして純文学の頂点に立つ作品、夏目漱石の『こころ』について語りましょう 主人公がいいんじゃないの?池でどうかした方。他人が’描’かれていて
ぶれてボケてない。 「私」は「先生」にも傾倒しているが、
実はまだ若くて綺麗な奥さんに惹かれるところがあって先生のお宅に通っているのだ あの後「私」は「先生の奥さん」と結婚したという評論家もいるが俺はそれは間違っていると思う 父危篤中なのに、先生の亡くなった後の未亡人に会いに電車に飛び乗る「私」
留守中に父親が無くって遺産分割の話し合いにも出られずハブられるね
その代わり奥さんと結婚して、先生の財産を受け取るかもしれない罠 国語の授業では先生の遺書の部分しかやらないからなにがなんだかわからんよな
あの人は高等遊民なの? 明治天皇が死んだという理由で、最後は先生が死んで終わりだった?
天皇主義者でも、ましてや当時を生きていた訳でもないから
明治天皇が亡くなったから死ぬという感覚が全くわからない
ましてや、「こころ」の中の先生は軍民でもなければ、作品の中でそういう思想が強いという描写もない
当時の庶民の感覚だと共感するのだろうか 昭和天皇が崩御された後に殉死した老人もたくさんいたよ >>17
調べたら昭和天皇の時は10人ほどいたみたいだね
明治天皇の時は調べても出てこなかったけど
当時は禁止されていたらしい。
漱石だったり、そういう一部の人には衝撃を受けた事件だったぽいね
ただこれが大衆の心を掴むかどうかはなんとも言えない ibooksで読むかな。途中で積読状態になりました、この作品 >>16
理由というよりも、きっかけだったんじゃないかと思う 擬古文調はリズムもよく耳障りもいいから、古典芸能の素養がつくだろう。
現代語訳でもいい。 森鴎外の『舞姫』は高三の国語の教科書に載っていた。
夏目漱石の『こころ』は俺が使っていた教科書には載っていなかったから先生がプリントしたもので高三の時に授業で習った。 軍人や元大臣が明治天皇に殉死するなら納得できても
ニートだった先生が明治の精神に殉死すると言っても「えっ?」という感じだよな
死ぬ機会を得たかっただけだろうな 明治天皇が死んだ時に夫婦で殉死した軍人がいたけど
漱石は衝撃を受けたんだろうね
ただ殉死を描きたかっただけかもしれない。作品の中の都合というより、作者の気分 先生はどういう学問を研究しているのですか?それとも学者ではなくて思想家なのですか? 思想家の人もいるのかい。僕は学者も兼ねているけど。暦学とかにくわしくなりたいね。また聖夜の誕生を祝うために。 先生は優れた思想家なんだから本でも出版すればよかったと思う。才能の持ち腐れだな。 >>24
働きもせずにウジウジ悩んでいたのが原因。
死ぬほど働いていれば悩んでいる暇はない。 先生は明治文学の象徴だよ
時代だから明治天皇と一緒に死ぬしかない
平成文学はもうすぐ死ぬだろ? 明治時代は士族で教養はあるけど働き口がなく、ブラブラしていた人は結構いたらしい
戦後「勤労」が憲法で義務とやらおかしな事を規定されて容認されない存在になって来た 働いたら負けかも知れないと思ってしまったんだろうな イギリスでノイローゼ気味になったそうですが、偉いのは恐らく阿片類には手を染めなかったっぽいからかな >>37
生来怠け者だった性格に加え働かなくても食べていけるお金があったから。 漱石は裸体画に衝撃を受けたくらい生真面目な人なので麻薬をやるという選択肢がそもそもないと思います。けっきょく発病しても向精神薬すら自分からは飲まなかったんじゃないかな。あまりに症状がひどいので奥さんが食事に混ぜて飲ませた説がありますけど。 先生のような高等遊民的な生き方に憧れる。社畜は勘弁。 「こころ」って言うほど良くないな。
厨二が好みそうな作品名ではあるが。 女の取り合いで勝った、負けた奴が自殺、
それを永年気に病んでいた、明治天皇崩御、
おれも自殺、それだけのことを長々と、
いじいじした暗ーい漱石、不健康だなあ 先生に働かなくても暮らせるお金があったのが不幸だった。
貧しければ生きるのに精一杯で悩んで入る暇がない。 小説とは荒唐無稽、普通の世界ではありえぬことを
表現するのが真髄。さて我が金之助のココーロは
あまりにも現実的でくだらねえ、どんでんがえしの
つもりがとんだ茶番。 草枕の時代より、大学も進んでいて、昔の国立大学などに
負担を掛けないような仕事ができていればいいのかもね。 夏目漱石って本質的に根が暗い人だったんだと思う。
「坊っちゃん」なんかだって大人になってから読むと非常に暗い小説。 主体性の欠いた人間が状況や人間関係に強いられてなんとなく動いた結果
窮状に追い込まれていく、というパターンで
自意識だけは過剰だけど事態の打開につながらないのでもだえ苦しむだけで終わる
そういう作品が多い >>54
なかなか鋭い観察力ですね。
でも、我々一般人の多くは、 貴方のように「主体的に動き、窮状を打開し、
人生に成功する」・・事なく、
「もだえ苦しむだけで終わる」んだと思うけどね。
>>53 の方と同様、つまんない人生を送ってる者と拝察申し上げます。
漱石に拘泥せず、好きな事を思い切りやって下さい。ご自分の為に。
>>55で、おまいさんは悶え苦しんどるのかえ?、で? くだらないコメントばかりでびっくりする
たまたまバカしかコメントしないのか
あるいはこの作品がつまらない作品だからか >>55
>でも、我々一般人の多くは、 貴方のように「主体的に動き、窮状を打開し、
>人生に成功する」・・事なく、「もだえ苦しむだけで終わる」んだと思うけどね。
漱石の作中人物はいちおう主体的に動いた結果、窮状に追い込まれ
それ故に「意識」獲得することになる
世間一般の人は「根を生やして」(坑夫)生きているので
逸脱もそれほどなく「意識」の獲得までには至らない
そういう世人との意識上の格差が更に苦しみを倍化させるというのが
漱石作品上の主人公たちの特徴ですね
ドストエフスキーなら「自然の悪意」(白痴)と表現するような
自意識による業苦であり
それ故に「意志を持ったものが勝つのじゃ」という呪詛も生まれる
漱石作品の人物は盲目的な意志に身をゆだねるにはあまりに理知的であり
それは漱石自身にも当てはまる
本当に不幸な人だったと思いますね
私はそれに倣おうとは思わないな、苦しいだけだもの
ああいう病者の作品が「国民文学」として賞揚されるのもよく分からない
漱石作品といちばん遠いところにいるのが我々日本人大衆ですよ >>59
こんばんわ。
何言ってるか分かりませんが、繰り返します。
漱石に拘泥せず、好きな事を思い切りやって下さい。
漱石は日本国民に愛されて幸せだと、私は思います。
もし本当に、貴方が現在の日本人大衆の代表で有るならば、もはや
日本は終わってるはずです。
>>60
>漱石は日本国民に愛されて幸せだと、私は思います。
漱石は赤日しんぶんと赤波しょてんに愛されて幸せだと、私は思います。 これは幼稚な構成と幼稚な思想でできた幼稚な作品といったん評価した。
しかしこのような謎の先生がいて、その謎を明かして自殺する、という構成の
日本初の作品であって、その後、硬軟取り混ぜたストーリーで何度も真似されて
逆に初発の作品までも陳腐に見えるようになったという可能性は高いと思う。
これは思想、つまり結局人間はエゴイストで、それに絶望し自殺するという安易さ陳腐さも
同様で、さんざん真似された結果である可能性が高いとも思う。
確かに他の作品の三角関係とかに比べると、はるかに高校生の夏休みの感想文に
ふさわしい作品で、そういった意味でのレベルの低さ、青さというものがあるのかもしれないが、
それ以上に現在では陳腐なぐらいにありきたりさに満ちた作品になっていることのほうが大きく、
それは逆に言えばそれだけ使い古されるぐらいに影響を持った作品だったと言えるのかもしれない。 活字で残る小説家は幸せ。
音楽家くわしくは音楽演奏家は作曲家と比べて
すぐに忘れられる。リストやパガニーニは作曲で
記憶にとどめられているだけ。ひどいのは指揮者。
聴覚に訴えるものは歴史にのこらない。
一世を風靡したと言われるアリスチド ブリュアン
なんてロートレック、スタンランがのこしたポスター
で知られるのみ。 指揮者は漫画でやテレビで残るW
のだめカンタービレとかで、馬鹿な女どもをイケメン玉木が喜ばすW
軽薄馬鹿な漫画女がイケメン指揮者を持ち上げる。
クラシックの世界で作曲家が偉いのは当たり前。
演奏家は作曲家の奴隷に過ぎない。 こんばんわ 説教マンです。 今日は暑かったねーー!!
所で、66,67にお説教申しあげます。(大いにスレチだが)
あんたらクラシック音楽について何か言ってるが、到底
音楽の信奉者とは思われない。
我々の耳に入って来るのは演奏家の奏でる音であり、芸術と評される音楽に
誰が偉いとか、誰が可哀そうだとかの感想を持つのは、心酔する音楽を持っていない証左。
このスレでも言ったと思うが、「芸術を分析するのは、分析して飯を食ってる
連中ならまだしも・・」我々一般がするべき事じゃあない。
先ず、好きか嫌いかを言えば良い。
>>67
> 演奏家は作曲家の奴隷に過ぎない。
貴方がクラシック音楽が好きじゃあない証左。
嫌いな事物に対してコメントする理由は、それこそ心理学で分析済み。
お前にとって思い切りやりたい好きなことは、説教か?
つまんない人生だなw 赤波や赤日の宣伝で虚名を博した小説家について
語ることがすくないせいか、みな苦心しているのだ。
演劇も悲惨だね。役者も死んだらまあ十年もしないうちに
忘れ去られる。 九代目市川団十郎が名優だった?
はてね? サラ ベルナールが大女優だった?はてね? >>68によりますとアリスチド ブリュアン は
クラシック音楽かてなことになーるw >>68
俺がクラシックファンじゃないのは当たり。
だが、クラシックの世界の作曲家と演奏家の地位関係ってそんなもんだよ。
色んな人がそういうことを書いてルンダヨ。
ジャズの場合は違うらしいけどね。 >>73アリスチド ブリュアン はジャズじゃないよ抱腹絶倒 >>76面白い しかし La Goulue はブスだねえ
アメリカ人Loi(正しくはiにウムラウト)e Fullerももてたね
世紀末には奇抜なにんげんばかり 77,78の先輩方へ・・一寸面白い年表です。
1839 ダゲレオタイプ 写真
・・・
1862 Loie Fuller 生誕
1864 川上音二郎 〃
1866 La Goulue 〃
・・・
1877 エジソン レコード
1889 大日本帝国憲法 発布
1895 日清戦争
・・・ それにしても露伴のいさなとり、鯨獲り、はAlexandre Dumasの
小説のごとく仕掛けに満ちたロマンです >>80
露伴好きの先生よ!
漱石スレに粘着しないで、自分で露伴スレ立てなよ!
漱石の他スレで五重の塔を絶賛してたので、青空文庫見てみた・・・
「木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる
岩畳作りの長火鉢に対ひて話し・・」・・・五重の塔
二行目に進む勇気は無かった。
c.f 「山道を登りながら こう考えた」
>c.f 「山道を登りながら こう考えた」
まずc.fはまちがいcf.が正しい。日本文学を論ずる
なら「参照」としたい。次に、「こう考えた」は「かう
考へた」が正しい。
豎子>>81は露伴の格調高き文語を理解できぬ
と自ら語れり。 露伴の五重塔なんか冒頭なんか。から。までが400字ぐらいなんだが、ここじゃそんな投稿は不可能w
一般からは風采上対照的な二人の大工の五重塔建築受注から竣工までを巡る人情話と見られてる?から映画やテレビで何度も取り上げられたんだろう。
まあ、今では五重塔の先祖であるstupaやpagodaは仏教美術や仏教研究上、大体は仏像よりも大分、重視されているが、そういう観点は露伴「五重の塔」には殆どないような。 >>84
俺は一応、世間の解釈を想像したんだが。
君の読みを披露してくれ。
君に出来るんならね。
出来ないんなら黙ってれば良い。
>>85
爆笑の理由が言える奴を見たことない。 されば我が尊敬せる>>83先生の答を読てかう考へた。
先生は果して>>81中の露伴子の文章の漢字全てを可読や否や?
青空文庫なるものの文章は総振仮名なりや否や?
さうして竃の上の鶏が糞をまる。 >>87
>・・・鶏が糞をまる。
どこの文ですか?
長野出身なんだけど、長野ではこの「まる」がまだ残ってる。
古語は田舎に残る・・は本当。
古文のどこかで見た記憶が有るか今ではなんだったか記憶がない。
「おまる」との相関が強いと思われる。 越後のりょうかんさん、万葉調の和歌たくさん、腸カタルを病んだ。
、、、、くそまりくらし、、、、
私の郷里では「しっこまってこ」つまり小便してくる。 >>87
漢字全てを読むのは無理だな。ルビがあるから助かってる。
まあ、それで読むには全然不自由しない。
これでも、長文体は花田清輝や石川淳で慣れてるから。
>>87
「糞まる」は日本書紀ではしょっちゅう出てくる表現だろ? 露伴の「魔法修行者」の中で九条植通について書かれた部分は何と、花田清輝の「鳥獣戯話」の中の九条植通について書かれた部分の半分以上にそのままに近い形で引用されるぐらい、花田は露伴が好きだった。ちゃんと露伴の「魔法修行者」の名前を出してる
部分が最初にあるから、悪質な引用では全くない。
露伴の「魔法修行者」では、西洋のヘルメス思想と日本の神秘思想の共通点に注目してる。
露伴はかなり先を行ってた。 >>91
スレチ、自演、アラシ。
スレ主に何か挨拶したら! 江戸人にしては洒脱皆無
ふざけをユーモアと誤解した官費洋行帰り >>96
若い頃の漱石はそうではなかったのです。ある事件を境にして、鬱になってしまったんですな。
そのあたりの事が、この「こころ」という作品のメインテーマになっているわけです。