サマセット・モームはどうでしょう part4
月と六ペンスにはお世話になったなあ。筆名のもとにした。通信添削の。 これでも昔は成績優秀だったんだよね。 虹も15分出ていると もはやそれを眺めている者はいない ゲーテ 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。 マザーテレサ 日本語はいちいち登場人物を描写しなくても、年齢や性別などが判断しやすい利点があるよな モーム 「働いているあいだは自分を忘れることができるので、労働は賛美されるのである。 愚かな人間は何も仕事がないと退屈する。 労働は、大多数にとっては、アンニュイ(倦怠)から逃れる唯一の道だ。 で、だからといってそれを神聖と呼ぶのは笑止千万。 怠惰でいるためには、多くの才能と豊かな教養が必要である。 あるいは特別製の頭がいるのだ サミング・アップ モーム 「名所見物にはあまり興味が持てない。世界遺産に熱を上げる人があまりに多いので、 そういうところに行っても私は夢中になれない。(……)一番興味があるのは人間であり、人間の送る生活である 人生が作家に既製(レディ・メイド)の物語を提供してくれることはめったにない。 実際、事実というのは扱いが厄介である。事実は作家の想像力を刺激するようなヒントを与えてくれるのだが、 一方で作品に有害でしかない権威を行使しがちなのである」 「筋の主たる効用に多くの人が気付いていないようだ。筋は読者の興味をある方向に導く。 それが小説の場合おそらく一番大事なことである。 というのも、読者の興味に方向を与えることによって、読者があるページから次のページへと読み進むように仕向けるからであり、 読者の心に作者の望むような気分を醸し出すからである。 作者は常にサイコロに仕掛けをしておくのであるが、そのことを読者に悟らせてはならない。 筋を巧みに操ることによって、どういうふうに騙されたかを気付かせないまま、読者の注意を引きつけることが出来るのだ ・モーパッサンとも比較されるが、伏線を計算して配置するプロットに技巧を凝らした小説にはあまり関心をもたなかったとされる。モーパッサンが出来事に焦点を当てたのに対し、 チェーホフは人物に目を注いだといえるかもしれない。典型的なチェーホフの物語は外的な筋をほとんど持たない。 その中心は登場人物たちの内面にあり、会話の端や細かな言葉、ト書きに注目するほかない。しばしば語られることではあるが、チェーホフの小説や劇においては何も起こらない。 あるいはロシア人研究者チュダコーフが指摘するように、 「何かが起こっても、何も起こらない」。チェーホフが内面のドラマを展開させる独自の手法をもっていたことは疑いようもないだろう 演劇革命を起した。一に、主人公という考え方を舞台から追放した。二に主題という偉そうなものと絶縁した。三に筋立ての作り方を変えた モームって面白いんだな 高校のときの英文解釈でお世話になったぐらいの認識だったんだが 何気なく新潮文庫の「英国諜報員アシェンデン」を読んだらすごくはまった もちろん訳者の金原瑞人さんの翻訳のうまさもあるんだろうけど いやあ、新しい発見だわ(´・ω・`) 1923〜29年、アメリカの雑誌『コスモポリタン』の依頼で寄稿した掌篇30篇。 当時既にアメリカの雑誌は広告のためのもの。記事は「広告に読者を近づけるエサ」。小説も同様で、第1ページは挿絵入りで掲載しても後ろの方は広告ページの間に入れられてしまう。 しかし、編集者はモームに「広告のヒモのつかない作品」を書いてもらった。見開きページで完結するような短い作品。 この作品集の書名は『コスモポリタン』誌に由来するが、各作品の登場人物が故国を離れた人たちであることにもよる。モーム自身が世界各地を訪問した“国際人”。 諜報活動をしていたという説もある。各国の中心都市や観光地ではなく、田舎、辺境、孤島、外国航路の船内など。著名人も登場しない。 「異国の土」より。 私は諸国を放浪するのが好きなたちだが、それは、荘厳な史跡を探ねるためでもなければ、明媚な風光をめでるためでもない。どんな遺跡を見ても、私にはなんだか退屈だし、 いかに美しい景色、すぐにあきあきするからだ。私が旅をするのは、人間というものを知るためなのだ。といっても、おえら方に会うためではない。 私は大統領や国王のお出迎えに、道路ひとつ横切るのもたいぎなほうなのだ。作家には、その著書のなかでお目にかかればたくさんだし、画家にも、その画のなかで会えば充分だ。だが、ある宣教師の不思議な身の上話を小耳にはさむと、その人に会うために、 千里の道も遠しとしなかったし、また、ある玉突きのゲーム取りと近づきになるために、うすぎたないホテルで、二週間もねばったことさえある。広い世の中には、思いもそめぬところで、ひょっくり出くわして、これはちょっとめずらしい、 と眼をまるくするような人物がよくいるものだが、そのほかには、どんな人に出会っても、私が驚くようなことはまずないといっていい。…… われわれが限られた時間内に鑑賞するのであれば、「現在生産されているものよりは、古典を観賞するほうが、平均して効率がよくなる」と言えるでしょう。 これは、全く単純な算術計算であり、実に単純な功利主義です。 ただし、この結論は、多分間違っていないと思います。 「組織がどのように動いているのか」のメカニズムを知りたいのであれば、経営学の本を読むよりは、トルストイの『戦争と平和』を読むほうが、ずっと効率的でしょう。 人を説得する術策を知りたいのであれば、シェイクスピアの『マクベス』で、魔女たちがどのように巧みにマクベスを操っているかを見れば、説得術という売れ込みで 書かれている本を100冊読むよりもはるかに効率的でしょう。新訳聖書も、説得術に関しては、最高の教科書です。 あるいは、謎解きであれば、そのトリックや方法論において、コナンドイルの『シャーロック・ホームズ・シリーズ』を超えるものはないでしょう。 もちろん、昔書かれた本には、PCやインターネットをどう使ったらよいかという類いのことは書いてありません。ですから、そうしたことについては、いまの時代に発行されている書籍を読むしか方法はありません。 しかし、人間が作った組織や、人間の心理は、この当時と基本的に変わっていないのです。ですから、トルストイやシェイクスピアのような洞察力を持った人が書いたものを読む方が効率がよいことは、もともと明らかなのです。 「アシェンデン」「コスモポリタンズ」「かみそりの刃(上・下)」 「カジュアリーナ・トリー」「アー・キン」「魔術師」「中国の屏風」 「昔も今も」「片隅の人生」 「女ごころ」 「グレアム。グリーン曰く、子供時代は作家にとっての預金残高である。その伝でいけば、少なくとも私は億万長者の家に生まれた。」 文豪モームが東南アジアに残した?の正体 医師にして謀報員でもあったW.S.モームは多くの作品で東南アジアを舞台にしながら、 決して現地の人を主人公にしなかった。その謎を追うフォト&エッセイ。 アジア幻想−モームを旅する 著:村松 友 キサラスイが滅多に人前では弾かない五弦琴(トンコリ)の音が、 聴いたこともない私たちの耳奥で聞こえたようになるのは、作者の技量に他ならない。 アイヌが和人に、という構図だけではない。 ヤヨマネクフを教える学校の道守先生は薩摩の出身で、事あると西郷先生の話ばする。 ヤヨマネクフ達が和人の子と喧嘩になり、和人の親が学校に乗り込んできたが、 その中の長篠軍曹が場を収めるどころか、ヤヨマネクフ達に謝罪する。 「なぜ謝ったのですか」と尋ねるアイヌの子らに長篠が語る。 「私とここに居る江別の親たちは、東北の大名家に仕えていたが、 維新の時に起った戊辰の戦で賊軍とされた。 戦って敗れ、領地は取り上げられこの地に流れてきた。 正しからずんば賊となる、それは断じていかん。 今回の事の非は我らにある、だから謝ったのだ」 道守先生が言う 「長篠さん、私は薩摩の産で西南の戦のおりは薩軍に居りました」 「ほう」 「奥羽の方々の太刀の利きこと、よく覚えておりますぞ」 「オノゾミダバ、マダイヅデモ」 「御免」 一礼して、長篠は帰っていく。 アイヌを見下す和人、そしてその和人も敗者である。 対する薩摩の道守先生が勝者だとかそういう事ではない。 このようにお話は重層的な誂えで進んでいく。 ”優勝劣敗”は自然の道理なり、アイヌ人種においても免るるべからず”。北海道で学校勤めをしているとき、和人によく聞いた」 「どういうことだ」 日本語を交ぜた太郎治の言葉に、ヤヨマネクフは首を傾げた。 「アイヌは劣っているから滅びる定めの人種ってことさ」 それからの太郎治の話は、聞いていて胸が悪くなった。北海道のアイヌは窮乏し、人口も漸減している。その原因の説明にさっきの道理とやらが持ち出されるらしい。和人の中での議論は そこから二つに分かれる。だから放っておけ、あるいは、人類愛として保護すべきである。ただし太郎治の見たところ、窮乏の原因は和人による場所と漁場、狩場を奪われたことにある。 この小説のなかで、和人やロシア人は、「マイノリティの文化を『教育』によって破壊し、同化させようとする侵略者」としてだけ描かれているわけではないのです。 和人は、自分たちを「弱者」とみて、関税自主権を奪い、領事裁判権を持っていた西欧諸国に対して、「強い国をつくる」ことで、不平等条約を改正していったのです。「自分たちは頑張ったらできた」人たちは、得てして、「お前たちができないのは頑張らないからだ」と見なしがちです。実際は、それなりの人口がなければ、大国に対して抗うのは難しいのだけれど。 そこには、「自分たちもいろんなものを犠牲にしてきた」という矜持と悲しみがある。 「滅ぼされないためには、強くなる、勝つしかない」というのは、たぶん、間違ってはいない。 「入墨、入れたのか」 「わたしは、アイヌだから」 チュフサンマの言葉は言い訳ではなく、決意に思えた。 「やっぱり、嫌?」 「いや」と答えた震えているのは、自分でもわかった。 「きれいだ。きみは、美しい」 正直なところは、好きになれない。嫌悪はまったくないが、慣れない料理のような感覚がある。だが、自分がだれであるかを決定した妻のふるまいは、何よりも美しいと思った。 「好きになれない」「慣れない料理のような感覚」であるけれど、それを否定していくだけの「美しさ」がある。「決意」の美しさである。そういう「意味」はわかるが、それはあくまでも「意味」である。「頭」で理解する「美しさ」である。 ひとが「何よりも」というときは、もっと「生理的」なのものであると、私は思う。「頭」ではなく「肉体」の反応だと思う。その、「肉体」の反応が欠けていると思う。 「慣れていない料理」ということばがあるが、「慣れていない」けれど、口にした瞬間に吐き出したいと思ったけれど、吐き出せない。舌にひろがり、のどに流れ込んだ何かが意識を裏切るように「料理」をむさぼる。そういう感覚があるとき、 それを「おいしい(美しい)」と言うのだと思う。自分の信じていたものが叩き壊され、自分が自分でなくなってしまう。そういうときが「何よりも」というときではないのか。 別なことばでいうと「敗北感」がない。あ、私は妻に負けてしまったというような敗北感(妻は自分が自分であるということを決定することができるのに、自分はできない。自分にできないことを妻がやってしまったという敗北感)が具体的に書かれないかぎり 「何より」という「感覚」は生まれない。そういうものを書かずに「何より」ということばで処理してしまっている。そこが、つまらない。 たいへんな情報量があり、それがとても巧みに処理されている。それは理解できるが、どこまで読んでも「わくわく」しない。登場人物の「肉体」に出会った感じがしない。ストーリーを読んでいるという気持ちにしかなれない。手応えがない。つまずかない。ことばが「ストーリー」に従事しすぎている。 「お言葉を借りれば、見直される必要なんてなかったんですよ、俺たちは。ただそこで生きているってことに卑下する必要はないし、見直してもらおうってのも卑下と同じだと思いましてね。 俺たちは胸を張って生きていればいい。一人の人間だってなかなか死なないんだから、滅びるってこともなかなかない。今はそう思ってます」 「わたしの考えとは、少し違うようだな」 伯爵は面白そうに言う。 この戦争は、もう少し続く。ひどい光景がまた繰り返されるだろう。 それでも生きよう。そう思った。生きたいと思えるまで生きてみよう 川越 少数民族のキャラクター全般を通じて、「文明人が忘れた人間の真理を彼らが保っている」 というようなオリエンタリズムをもって書くことは注意深く避けました。 「ですが白人種以外が文明を理解できるとも思えませんな。滅びゆくその日まで伸び伸びと暮らさせてやったほうが よいのではありませんか」 「高度に発達した文明を持つ我々には彼らを適切に統治し、より高度の発展段階へと導く必要と使命があります」 耐えられなかったのは、その学校の教師たちはアイヌを不潔で蒙昧であると決めつけていて、 生徒にあからさまな蔑視を向けるか、よくても憐憫の情で接することだった。 授業ではことあるごとに、アイヌであることをやめて和人(日本人)になることが推奨された。 「私たちは滅びゆく民と言われることがあります。けれど、決して滅びません。 未来がどうなるか誰にもわかりませんが、この録音を聞いてくれたあなたの生きている時代のどこかで、 私たちの子孫は変わらず、あるいは変わりながら、きっと生きています」 「もしあなたと私たちの子孫が出会うことがあれば、それがこの場にいる私たちの出会いのような 幸せなものでありますように」 生きるための熱の源は、人だ。人によって生じ、遺され、継がれていく。それが熱だ。 これからも、同族たちにはさまざまな困難があるだろう。同化の圧力、異化の疎外、蔑視、憐憫、薄れる記憶。 もし祈りの言葉が忘れられても、言葉を奪われても、自分が誰かということさえ知っていれば、 そこに人(アイヌ)は生きている。それが摂理であってほしいと願った。 また、桜の国で [著]須賀しのぶ ポーランドの首都ワルシャワの郊外を歩いていると第2次大戦末期の1944年、ナチス・ドイツの占領に対して国内軍が武装蜂起した「ワルシャワ蜂起」の慰霊碑や慰霊塔をよく見かける。だがそれは、ワルシャワが体験した戦争のほんの一部にすぎない。 東京とは異なり、ワルシャワでは39年の勃発から45年の終結までずっと戦争の惨劇が繰り返されたからだ。 日本でそれほど知られていないこの時期のワルシャワを舞台に、一人の在ポーランド日本大使館外務書記生の運命を描いた小説が本書である。難しい外国語や資料の制約など幾重もの壁を乗り越え、これだけのスケールをもった小説に仕立て上げた著者の構想力に心を動かされる。 言うまでもなく戦争とは国家と国家の戦いである。そこでは各人がどの国家に属しているかを問われる。誰が「友」で誰が「敵」かが問われるのだ。しかし本書に登場する主人公は、日本人でありながら同盟国であるドイツに蹂躙(じゅうりん)されるワルシャワでポーランド人とともに戦う。 そしてワルシャワ蜂起では体を張ってドイツ軍の戦闘行為をやめさせようとする。 このとき、主人公と行動を共にしていたのは、アウシュビッツから奇跡的に生還したユダヤ人と、日本の敵国であるはずのアメリカ人であった。3人は民族や国籍の壁を超え、戦争の惨劇を繰り返してはならないという思いを共有するに至る。 そんなことが可能だろうかといぶかしむ向きもあろう。所詮(しょせん)はフィクションではないかという声も聞こえてきそうである。 だが私はそうは思わなかった。ワルシャワは、第2次大戦の前にも分割によって国を失う悲劇を体験している。そうした悲しみの歴史に寄り添おうとする著者のワルシャワに対する愛情には、深く胸を打つものがある。 この町を歩いていると、日本人であることを忘れそうになる瞬間が確かにあるのだ。 原武史(ハラタケシ) 放送大学教授=政治思想史 1962年生まれ。著書に「『民都』大阪対『帝都』東京」(サントリー学芸賞)、「滝山コミューン一九七四」(講談社ノンフィクション賞)、 「昭和天皇」(司馬遼太郎賞)など。 小説まだ読んでないがエッセイはすばらしいな ありきたりの言葉でありきたりのことを書いてるのに何故かとても美しい 「政治のマクロを無感動に鳥瞰する旧来の望遠鏡をたまにはうち捨てて、 名もない衆生の嘆きと喜びの詳細を、データによるだけでなく、生の風景に分け入り、わがことのように書き抜く意気地と、どこまでも人間くさく低いまなざしが、まずもって必要ではないか。」 「もの食う人びと」で、同じような場面に遭遇したそうです。 フィリピンのキタンラドという山奥の地で、老人から残留日本兵の人肉食の話を聞いていた時のことです。 そこに赤い背広の男がスーッと通り過ぎて行ったというのですね。 著者が書こうとしている残留日本兵の人肉食の話とは、むろん全く関係ありません。 著者は全体の趣旨に整合しないと判断し、この赤い背広の男のことを文章には書かなかったそうです。 そして後年、後悔したといいます。 「私はなぜ、赤い背広の男を、あたかも双頭の人物が風景に含まれていなかったことにするように、あっさり消去してしまったのだろうか。 それは、どう謙虚を装っても権威の臭いの漂う既成の意味世界に、私自身もとらわれているからだ。 それがどんなにささいな規模であれ、風景の反逆を描かず、気づかないふりをするのは、 つまるところ、書き手が世界に反逆したくないからなのだ。意味を壊すのが怖いからだ。古くさい意味世界を守りたいのである。新聞とはそういうものだ。 しかし、不整合のない風景は、字を費やせば費やすほど、そして整合して見えれば見えるほど、嘘である。ひどい嘘である テクノロジーの発展は大量の情報を記録することを確かに可能にした。反面、蓄積されたはずの情報は氾濫する新しい情報に押し流され、底に沈み、眼前の景色からいつのまにか消えていく。過去のデータが知識や知恵、あるいは歴史といった有機的な姿となって立ちのぼるのは、そこに向かって懸命に手を伸ばす人びとの存在が−いうなれば、現在から未来に向かう営みの力があればこそだろう。 その輝きを、澄んだまなざしで誠実に写し取ってきた作家が高山羽根子だ。 芥川賞を受賞した本作の舞台は沖縄。主人公の未名子は、港川にある私設の郷土資料館で資料整理の仕事を手伝っている。資料館といっても、民俗学者だった老齢の女性がひとりで収集した、おびただしい聞き書きのメモやら再生できないカセットテープやら謎の骨やら剥製やら、ひどく雑多な情報を貯(た)め込んだだけの建物だ。 周囲からは気味悪がられているが、学校を休みがちだった未名子は中学生の頃から出入りさせてもらううちに歴史や文化に興味を持てるようになった。 ある日、沖縄に大きな台風が到来し、未名子の家の庭に見たことがない生き物が迷い込む。調べてみると、今はなき琉球競馬で活躍した幻の在来馬であることが判明。ほどなくして資料館の閉鎖が決まると、未名子は馬と共に、そこに記録されたものを守るべく奔走していく。 資料整理の作業とは別に、未名子は生計を立てるために別の仕事についている。その内容というのが、世界のどこか遠い場所にいる知らない人たちにオンライン通話でクイズを出す、という珍妙な代物なのだが、 このやりとりが非常に面白くて味わい深い。人の知識というものが、自らの人生の中にある一瞬一瞬と、他者のそれがふいに触れ合うことで練り上げられていくものなのだということ。そういう過程の中でこそ、個人が個人であることの孤独を言祝(ことほ)げるのだということ。その真理のてざわりが、ロマンティックな軌跡を伴って浮かび上がる。 琉球合併や戦禍によって歴史が何度も細切れにされてきた土地をモチーフに、記録と記憶のあわいに宿る希望の光を物語の形に織りあげた傑作だ。(新潮社・1250円+税) 評・倉本さおり(書評家) ジョゼフ・コンラッド『ロード・ジム』(1) http://oceanic.blog70.f c 2.com/category20-1.html 気圧医学が専門の愛知医科大学・佐藤純医師によると、温度、湿度、気圧が大きく変化すると、耳の奥にある「内耳」と呼ばれる気圧センサーが作動して、自律神経が乱されるということです。 このセンサーが特に敏感な人は、急激な温度差や気圧の差が起こると体がついていけなくなり、耳のセンサーから痛みを作る神経や脳の奥にある脳幹などに連絡がいき、 頭痛、めまい、耳鳴り、けん怠感などが引き起こされます。これが天気痛です。 製薬会社などが2020年6月に行った調査によると、「天気痛がある」・「天気痛がある気がする」と答えた人は、女性の78%にのぼっています。一方、 男性は半数以上が天気痛がないと答えています。女性の方が、自律神経がもともと乱れやすいこと、耳の気圧センサーが敏感ということが原因とみられています。 ぜ天気痛が増えているのでしょうか。原因として、まずは異常気象があります。近年、ゲリラ豪雨や台風の大型化などで、気圧、気温、湿度の変化が激しくなっています。 次に、生活スタイルの変化です。最近は夜型生活など不規則な生活スタイルの人も増えています。また、 長時間スマホを利用することで、自立神経が乱れやすくなるということもあります。 耳の血行をよくする耳ほぐしが効果的です。耳の奥の気圧センサーが原因だからです。 (1)耳をつまんでひっぱる (2)ゆっくり耳を5回まわす (3)耳を包むように折り曲げる (4)手のひらで耳を覆ってゆっくり回す 『名作挿絵全集(全10巻)』(1979-1981年、平凡社) 1 明治篇 2 大正・時代小説篇 3 大正・現代小説篇 4 昭和戦前・少年少女篇 5 昭和戦前・時代小説篇 6 昭和戦前・現代小説篇 7 昭和戦前・戦争小説篇 8 昭和戦後・時代小説篇 9 昭和戦後・現代小説篇 世界の二大歴史書といえば,司馬遷の『史記』とヘロドトスの『歴史』だ。歴史とはこういうものだ,という規範を作ったのはこの二人である。しかし,両者の歴史観は全く異なっている。なぜかというと, それぞれ書く目的が違っていたからだ。 司馬遷が『史記』で書きたかったのはただ一つ,「武帝は正統である」という事である。この国には古代から多くの皇帝が帝位についたが, それは天命を受けた皇帝が付いたのであり「正統」である。武帝はその正統を受け継いでいるのだよ ,ということを言うために,かの膨大な『史記』を書いたらしい。 要するにこの書は「皇帝の正統の歴史」であって,中国の歴史ではないのである。中国国民の歴史なんて彼の意識にはないのである。 一方のヘロドトスも自分の見方で『歴史』を書いた。彼は地中海文明の変遷をを書き記したが,その基本的な考えは「歴史は変化である,変化は対立・構想により起こる,ヨーロッパとアジアは永遠に対立する二つの勢力だ」という3点に集約できる。対立, つまり戦争を記録するのがヘロドトスにとっての「歴史」なのである。このヘロドトスの歴史観がそのまま,ヨーロッパ文明の歴史観になってしまった。だから,私たちが学んだギリシャやローマ時代の歴史は戦争のことしか書いていないし, 中世から近代までのヨーロッパの歴史も戦争主体の説明が続いている。だから,昔の人たちはのべつまくなしに戦争ばかりしていたんだ,野蛮だったんだな,と考えてしまう。 要するに,「歴史」の源流とも言うべき『史記』と『歴史』は全く異なるのである。変化のないことが歴史だと言う考えと,変化がなければ歴史ではないという歴史観では一致点はまるっきりないのである。 一方,我が国最古の歴史書といえば『日本書紀』だ(ちなみに本書では,『古事記』は平安初期に書かれたもので,しかも江戸時代に大きく手が加えられている偽書である,と断定している)。これはガチガチの「公文書」である以上,書いた目的がある。 それは,「日本には中国の最初の皇帝が出現する前から天皇がいたんだぞ。その子孫が天武天皇なんだぞ。 しかも,中国の皇帝には連続性がないが,日本の天皇は万世一系の血統で繋がっていて,はるかに正統なんだぞ。どうだ,まいったか」という対外的アピール,いわば宣言文なのである。だから, 日本書紀の半分を占める神話の部分は日本民族の過去の歴史ではなく,現天武天皇の正統性と,天皇の君主権を説明するために加えられたものと見る方が自然なのだ。 大体,文字もない古代の歴史が口伝だけで何百年も正確に伝えられると考える方が不自然なのである。 『歴史とはなにか』 (岡田英弘,文春新書 例えば,インド文明が歴史を持たなかった理由,イスラム文明に歴史観が希薄な理由,アメリカがなぜあれほど独善的に「自由」を押しつけるのかという理由,マルクスの唯物的史観の背後にあるゾロアスター教の影響,中国政府が世界中の非難を浴びながらいつまでもチベットや 内モンゴル自治区の迫害を止めない理由・・・などが,目から鱗が落ちるように判ってしまうのだ。なるほど,中国は「中国国境の中にいるのは中国人(=漢人)であるべきだ」と考えていたのか。 あるいは,なぜナポレオン戦争以後,ヨーロッパ中に国民国家が次々生まれた理由もよく判るし,それ以前は国家とか国民という意識すらなかったというのも面白かった。要するに,国家とか国民というのは,「ある目的」のために人工的に作られたものだったのだ。 そしてそれが,今日の国民国家に繋がるんだけど,現在のイラクの惨状を見ても判るとおり,「とにかく国という枠組みを作ろう」という目標自体が不自然であり,それが混乱の原因になっているようなのだ。 要するに,国とか国民という仕組みに制度疲労がきているのである。 。気になった用例にはアンダーラインを引いておく。(愛するがゆえ自分色に染めていく。) 犬笛は犬には聞き取ることができるが、人の耳では聞き取ることができない音を発することから、転じて、特定の層を意識して 暗号のような表現を使い(特に人種差別的な)メッセージを発信し、人心を操る政治手法のことを指して、「犬笛」と呼ぶことがある 政治家が特定の有権者を意識して暗号のような表現を使い、「人心を操る」政治手法のことを、「犬笛」戦術と呼ぶ。 犬にしか聞こえない周波数で鳴る笛と同じように、その意味が分かる人にだけ分かるように工夫された、多くの場合は人種差別的なメッセージのことだ。 大学生のころ、廃品回収のアルバイトをした。某有名企業の社宅から依頼され、古新聞や古雑誌の回収に向かった。 トラックを運転する回収業者のおじさんは、助手席の私に向かって「今日は期待できる」と興奮気味だった。 帰ってきて荷を降ろすと、おじさんは成人雑誌の選別を始めた。 「一流企業ほどいいものが出るんだ」と言って自分は「いいもの」を何冊か取り、そうでもないのを私にくれた。 Wealth is not his that has it, but his that enjoys it. 豊かさとは持つものではなく、楽しむもの。 【ベンジャミン・フランクリン】 A glossary of よく使う関西弁 ええで Ok ええよ Sure ええな I’m jerous ええわ No thank you ええって I’m really ok ええやん Nice ええやん? Who cares? ええやん! Mind your business アミメアリを使って実験したところ、働きアリの労働に「ただ乗り」して、労働せずに産卵ばかりするアリが交じっていることを発見しました。 観察していると、働きアリは働かないアリの分まで労働するため早死にする。働かないアリは多くの子を産みますが、 産まれてきたアリも遺伝的に働かないので、働かないアリのコロニーは次世代の個体を残せなくなるんです。 行動経済学で言われてきた「力を合わせれば大きな成果が得られるが、他者の働きに期待して怠ける者がいれば協力が成り立たなくなる」 という「公共財ゲーム」のジレンマを、アリ社会の中にも見出せました。 裏切り者がいないかを監視し、厳しく罰する ほかにも「裏切り者がいないか監視し、見つけたら厳しく罰する」という習性も見つかっています。 一般に、幼虫を育てたり、エサを捕ったりするのが働きアリの仕事で、産卵を担当するのは女王アリです。 こうした役割分担を守らずに、産卵する働きアリもいます。 アリ社会では「産卵=働かないこと」を意味するので、産卵する働きアリが出現すると、他の働きアリが産卵を妨害したり、卵を破壊したりします。 どうです??人間社会を彷彿とさせるでしょう? しかも、その「取り締まり」の度合いが集団の成熟度によって異なるということも突き止めました。 働きアリの数が100匹未満の若い集団の場合、 ほとんどの卵が壊されます。 ところが200匹以上の成熟した集団になると、破壊された卵は20%程度でした。つまり集団がまだ非力な時には規律が優先され 「強い取り締まり」が働きますが、集団が成長すると「取り締まり」が緩んで働きアリの利己的行動もそこそこ許容されるのです キップリング。日本ではジャングル・ブックの著者として知られるが、他の著作は、意外にも多く出版されていないのが実情だ。 本書は、インド、インドネシア、南アフリカ……。首都、ロンドンを遠く離れ、大英帝国の辺境で働く男たちの物語を中心にした短編集だ。 キップリング="帝国主義文学の第一人者"としての作品を気軽に味わえた。 金持ちには子供はいない 相続人がいるだけだ ユダヤの格言 一日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい 旅は男の船であり、港である。 そして男は自殺するかわりに旅にでる 「「文学」へのリスペクトが感じられ、かつとてもていねいに書かれていて好感を持ったが、積極的に推すことができなかった。」「「長すぎる」と思ったからだ。」 「新人作家だけが持つ「手がつけられない恐さ」「不思議な魅力を持つ過剰や欠落」がない。だが、それは、必然性のあるモチーフを発見し物語に織り込んでいくことが非常に困難なこの時代状況にあって、「致命的な欠点」とは言えないだろう。」 ウェブサイト「ユニクロ―LifeWear magazine―村上春樹に26の質問」に掲載された同氏のインタビュー内容が発端で「SNSはいっさい見ないそうですが、その理由は?」という質問に対し、以下のように答えている。 「大体において文章があまり上等じゃないですよね。いい文章を読んでいい音楽を聴くってことは、人生にとってものすごく大事なことなんです。だから、逆の言い方をすれば、まずい音楽、まずい文章っていうのは聴かない、読まないに越したことはない」 月と六ペンスはサマセット・モーム版の、グレート・ギャツビーに思えた。 理解し難い画家の人生と肖像に、作者がいろいろ仮託している 司馬遼太郎は、長い間日本から遥かに遠い僻陬(へきすう)の海に位置するアイルランドに強い関心を持ち続けてきた。 その国はかつてシーザーも征服欲を 刺激されないといわれるほど厳しい風土の国であった。しかし司馬遼太郎はアイルランド人が 古代ケルト民族から受け継いできた比類ない「想像力」と、孤高の精神を見つめようとする ヴィエルの<青春の痕跡>を追う。やはりスペイン・バスク出身のロヨラはパリでザヴィエルと出会い、 二人はやがてイエズス会を結成する。司馬さんは二人のバスク人キリスト者のなかに対照的な精神性を感じとった いま情報テクノロジーの支配する社会で、もっとも痩せているのが、「文学の言葉」です。「ケータイ」とインターネットの表現が、この国の人間の表現をおおいつくす時代が遠からず来る、 それが老作家のペシミズムです。しかも、そこに大逆転の時がありうる−世界的にその徴候が見えている−という思いも棄てられません。 そうなれば、若い層から実力ある働き手の層にまで、知的で柔軟な、言葉の革新をなしとげる新種族が登場するはず、と私は信じます。その革新の手がかりとなるのが、 この国の近代化でつねにそうであったように「文学の言葉」だと続けると、我田引水にすぎるといわれるかも知れません。 しかし、漱石のみならず、諭吉も、まず「文学の言葉」の人だったと考えて、かれらのもたらした流れを辿り直してはどうでしょうか? 私は永く「文学の言葉」で生きてきました。そしていま、社会の表現と認識の言葉をリードしてゆく層の人たちが、「文学の言葉」と無縁になっているのを実感します。また外国の知識人が、日本の知識人の言葉をどこに見出せばいいか、戸惑っているのにも気付きます。 私は自分の晩年の仕事をやりながら、T・S・エリオットの「老人の愚行(フオリー)」という言葉に挑発されていました。生きている内に自分の名の文学賞を作るなど、 その一種ですが、死んでからではやることができないと思いきって引受けました。私は、いまも注意深く見れば創られている、 力にみちた「文学の言葉」を、知的な共通の広場に推し立てたいのです。上質の翻訳にして世界に向けても押し出します。 そして、この国でも海外でも、あの「文学の言葉」に共感した、ということが相互理解のきっかけだった、善き時代をよみがえらせたいとねがいます。 電子計算機を使ふ人間が、ともすると忘れてゐることは、電子計算機の命令に従つて 動くのはよいが、人間は疲れるのに、電子計算機は決して疲れない、といふことである。 人間にとつて、疲労は又、生命力の逆の証明なのだ。 三島由紀夫「クールな日本人(桜井・ローズ戦観戦記)」より 278名無しさん@公演中2010/10/22(金) 21:13:43ID:oVnvVEjg テレビによつて、いくらでも雑多な知識がひろく浅く供給されるから、暇のある人は テレビにしがみついてゐれば、いくらでも知識が得られる代りに、「中国核実験」と 「こんにちは赤ちゃん」をつなぐことは誰にもできず、知識の綜合力は誰の手からも 失はれてゐる。無用の知識はいくらでもふえるが、有用な知識をよりわけることはますます むづかしくなり、しかも忘却が次から次へとその知識を消し去つてゆく。 電子書籍は、グーテンベルク以来の文字文化の革命であり、大きな可能性を持つフロンティアです。電子書籍の波を黒船にたとえて既得権益に閉じこもったりせずに、 さまざまな利害関係者がともに積極的に関与し、読者に対し、紙書籍では不可能な付加価値の高い作品 を提供することを目指したほうが合理的であり、出版、ひいては経済の活性化につながると考えます まったく新しい視点でクラシック映画を観る方法を教えてくれるのがローラン・デュリューの作品だ。 ―ボブ・ゲイル (『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ脚本家/プロデューサー) 『ジョーズ』『シャイニング』『ゴッドファーザー』『E.T』『.パルプ・フィクション』 『ティファニーで朝食を』など数々の名作が、MONDO、そして世界中の映画製作者に認められたアーティストの手により、ここに蘇る。 映画のオルタナティブ・ポスター制作で知られ、世界中にファンとコレクターをもつベルギーのイラストレーター、ローラン・デュリュー初の作品集。 佐藤優「彼(菅)は凄腕官房長官のように言われているかもしれませんが、基本はゴリ押し一本ですから。 バッターボックスに立てれば三振でもいいと言う、そういう感じ。沖縄問題を見れば分かりますよ。 引くことが出来ない人なんです」 初めてビジネス書籍のライティングをしたとき、編集さんから「形容詞はいっさい使わないで書いてください」と言われて、驚いたことがあります。 というのも、それまで私が原稿を執筆していた女性ファッション誌では、「美しい」「かわいい」「甘い」「若々しい」「優しい」……などの形容詞のオンパレードで、いかにキャッチーな形容詞を使うかがライターの腕の見せどころだったからです。 ■なぜ形容詞を使ってはいけないのか しかし、これら「美しい」「かわいい」などの形容詞は、人によって受け取り方がまちまちになる、あいまいな言葉です。 ファッション誌であれば、夢やあこがれを提案する媒体なので、それぞれの読者が思い思いにイメージをふくらませてもいいのですが、ビジネス文章では、 受け取る相手によって解釈が変わる文章はトラブルのもと。形容詞はビジネス文書にはご法度なのです。 形容詞だけではなく、「静かな」「親切な」などの形容動詞や、「速く」「上手に」などの副詞も、人によって解釈が変わるあいまいな言葉が多いので、できるだけ避けましょう。 メールや企画書の中で「『すぐに』提出します」「『強い』インパクトが期待できます」などの言葉を使っていませんか? 「すぐ」も「強い」も主観的な言葉で、人によってとらえ方が変わります。ですから、これらの言葉を、誰が読んでも誤解がない文章に変えていきます 『すぐに』提出します」→「今週金曜日の正午までに提出します」 「『強い』インパクトが期待できます」→「昨年比3割増の収益を見込んでいます」 などの数値に置き換えて、誰が読んでも同じとらえ方ができる文章にします。 同様に、「人気のレストラン」であれば、「2017年上半期のA社の口コミランキングで、エリア2位の人気レストラン」とか、 「3カ月以内の予約は100パーセント取れない人気のレストラン」などと数値を交えて書きます。このように数値で説明することで、 書き手と読み手の間にある「人気」という言葉に対する受け取り方のズレを防ぎます。 必ずしも数字に置き換えられない感覚的な言葉を扱わなくてはならないときも、できるかぎり「具体化」します。 具体化するときは、5W1Hを意識します。いつ、どこで、だれが、どれくらい、なんのために、どんなふうに、のいずれかを明確にすることで、読む人が理解しやすくなります。 私の場合、ライター人生の前半は、ずっと美容関係の原稿執筆をしていたので、美容師さんやヘアメイクさんの 「もうちょっとふんわりさせて」とか「この空気感がかわいい」などの感覚的な言葉を、読者に対して「翻訳」するのに苦労した経験があります。 このような場合も、5W1Hを意識して、できるだけ具体化します。 たとえば、あるヘアメイクさんが「髪にワックスをつけてふんわりさせて」と言った言葉を、「髪を乾かしたあと(When)、耳の付け根よりも上の部分の髪に(Where)、 マット系のワックス(What)をあずき1粒ぶん(How much)のばしてつけます。根元を起こすために(Why)ドライヤーをあて(How)、空気を入れて(How)立ち上げて」と書いたこともあります。 1.井上ひさし氏との対談 @司馬:関西人から見ると東京は東北人が作ったと考えるところがある。A井上:東北人から見ると東京は長州人(と薩摩人)が作ったと考えるところがある。B司馬:合理主義というのは哲学者が生んだものではなく、貨幣経済が密度高く行われることにより生まれた。京都で室町時代から貨幣経済が稠密に行われ、 その余波を受けたのは大坂ぐらい。それ以外は明治以後。C井上:奥羽山脈とつながりの少ない福島県と宮城県は東北ではなく準東北で、東北は山形、秋田、岩手、青森という感じ。 2.大野晋学習院大学名誉教授との対談 @司馬:日本語にはラリルレロから始まる言葉がない。ろうそく、ラッパ、らっきょうとかは漢語。江戸時代にロシアをオロシャとしか言えなかった。AB司馬/大野:母音をたっぷり発音するのは関西式発音で必ず聞き手にわかる。関東では荒っぽく母音を落とすことがあり聞いて非常にわかりにくい。大阪の漫才は日本語の正統な流れ。 C大野:漢字が日本に入ってから1500年。その間に漢字を日本語の造語要素として採り入れながら使いこなしてきた。あまり漢字制限するのは文化的に不得策。 3.徳川宗賢学習院大学教授との対談 @徳川:関西風の言葉の調子(母音を融合させない)も西の方へ行くとあるところで止まってしまう。中国地方は上方と違っても、海を隔てた四国が上方に近い。A司馬:広島、岡山が関西からみれば標準語に近く聞こえる。阿波、伊予へ行くと私らが失った上方弁をまだしゃべっている感じ。 B徳川:北のほうでは越前、加賀、能登、越中…、その辺までは上方風の感じ、そのはずれが佐渡。C司馬:若狭は上方ですけど、越前に行くと違うような感じで東国のにおいがやっぱりする。 4.多田道太郎京都大学名誉教授との対談 @A司馬/多田:美人は動きの中で見出される。静止したり写真に撮ったりすると美人じゃない人が多い。われわれが女性にひかれる場合の 一番のポイントというのは女性のしぐさである。B多田:ではどのような身振りをしたら一番魅力的に見えるか、 昔は人の目を見なかったとか、笑う時に口に手を当てるとかだったが今は必ずしもそうはいかない。 C多田/司馬:名は体をあらわすというのは、名前が人生に対するしぐさというか親の希望を表すわけで、名前はむしろ、親を判断する手がかりになる。 5.赤尾兜子氏(俳人)との対談 @ABC赤尾/司馬:(俳句というものは日本化された漢語イメージから成立する文芸かとの司馬の問いから始まって)俳句の原型になる基礎的な 構築の言葉の根は、漢語、漢文的系列によってこのわずか17音の詩を構築したということ。芭蕉自身が若いころ漢語まじりの作品をいっぱい書いている。 芭蕉はそれで自分の骨格をつかみ、その上で和語だけの(例えば)「さみだれを集めてはやし最上川」とか「何の木の花とは知らずにほひかな」となる。 6.松原正毅民俗学博物館センター長との対談 @松原:万葉仮名ができる6世紀後半くらいまで500年以上にわたり中国に営々と行っては漢籍を持ち帰り、漢文を習った連中が上層部に相当蓄積された。後に空海のような天才が出てくるが、 それを生むだけの厚い土壌が形成されたということだろう。A司馬:関東には百済から入植者が大量に入り、子音をうまくしゃべれる連中が沢山いた。東京の人が比較的うまく子音を言えるのは、 その残映と思う。私ら関西人はそれに劣等感も持ち、しまいには開き直り、我々の方が縄文の正統と思うところがある。 「団塊の世代が大きな担い手だったというのもノンフィクション史の大きな特徴です。政治の季節を知る彼らにとってノンフィクションは一種の自己表現の『物語』でもあった。ところが時代が下るとファクトと 読者が直に結びつくことを理想とするジャーナリズム観がノンフィクションにも及び、本来その間をつなぐはずの書き手の透明化が求められているように感じています」 そんな現代の気分を吹き飛ばすような、大宅壮一と沢木耕太郎が放つ強烈な個性が印象的だ。 「大宅はノンフィクションの時代を用意した人物として重要です。書き始めるときはそれほど意識していなかったんですが、大宅に触れる分量が自然と多くなっていって評伝的な性格も多少ある本になりましたね。 一方の沢木は方法としてのノンフィクションというものにかなり意識的。ノンフィクションが包含する『物語性』をよく分かっている人だけに読者を獲得できている。2人の存在があったからこそ、この本が書けたという指摘は当たっているかもしれません」 日本ノンフィクション史 - ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで (中公新書) 武田 徹 アンドレ・ジイドの『ソヴィエト旅行記』から、海外の影響を受けて、ルポルタージュという表現形式を自覚した日本は、出来事の推移を追って報告する物語性や統一性のある文学に気づきます。 火野葦平『土と兵隊』や石川達三『生きている兵隊』など従軍報告として、まずルポルタージュは出現しますが、そこは軍の影響による物語性の強いルポルタージュでした。 その後、戦後民主化革命のルポ、マルクス主義の下のルポ、米軍批判的なルポと、価値観の強い見方からの深く鋭いリアリズム追求が強くなります。 またジャーナリズム系の週刊誌のルポルタージュも増えますが、物語性の強い商業主義的ルポとなります。 同時期、1960年、『世界ノンフィクション全集』が筑摩書房から刊行。ノンフィクションという自伝・伝記・旅行記・探検記・手記・日記・人類学的作品 をも含む雑多ジャンル集合のノンフィクション概念が形成されていきます。 ここでは記録性が重視されていましたが、徐々に物語性の重要性も強調され出します。 その後、1970年、大宅壮一ノンフィクション賞ができ、1979年沢木耕太郎『テロルの決算』で日本におけるニュージャーナリズムの作品が確立。ノンフィクションが一つの創作カテゴリとして自立します。 日本のノンフィクションは、その後、社会学というより、文学として構築され、海外のリテラシージャーナリズムやアカデミック・ジャーナリズムという記録の高い形態から乖離します。 夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。 米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著 https://kaiyoboken.com/ ロードジム 河出文庫 柴田元幸 帯 丸谷才一 コンラッドは男の名誉という小説にふさわしくらなぬ主題を選び それについて男同士が語り合うという凝った手法で書いた。 長編小説の魅力を十分に味わわせてくれる名編である 翻訳も上出来 「諸君の今日まで捧げてきた偉功は決して消えるものではない。 いま日本は戦いに敗れたりといえども、日本国民は……諸君の勲功をたたえ、 諸君の霊に涙して黙祷を捧げる日がいつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし」 派手なアクションを避け、地道にスパイの心理を追うスパイ小説の王道を切り開いたアンブラーの初期の代表作。 「探偵小説味のある作品を書いている現役の作家で、文学者として最も優れた人は誰かと考えてみると、 英のグレアム・グリーン、仏のジョルジュ・シムノン、それから英のエリック・アンブラー、この三人が特別に際立っている」 江戸川乱歩はこう書いた ブーラ氏は「両親はホロコーストの話をする時、怒りや報復ではなく、生を祝福し前を向いて生きることの大切さを説いた。それが私の世界観を形成した」と語った 池澤夏樹(いけざわ・なつき) 1945年、北海道帯広市生まれ。作家、詩人。ギリシャや沖縄、フランスに住み、2009年から札幌市在住。芥川賞を受賞した「スティル・ライフ」のほか、「静かな大地」や「カデナ」など作品多数。朝日新聞朝刊で小説「また会う日まで」を連載中。 招致段階で、当時の安倍晋三首相は、東京電力福島第一原発事故について「状況はコントロールされている」と発言しました。原子炉建屋内にはメルトダウンした核燃料が取り出せないままで汚染水も日々たまっているなど、事故が今も収束していないのは周知の事実です。 当初盛んに言われていた「復興五輪」もウソ。結果として、東北復興とは何の関係もない五輪でした。 招致委員会が提出した立候補ファイルでは、開催時期の東京の気候が「温暖でアスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」とうたっていました。 池澤さんはインタビューの後半で、1964年の東京大会と今回の大会との違いを語ります。そして、自らが住む札幌市が2030年冬季五輪の招致を目指していることにも異議をとなえます。 8月の日本は、北海道も含め、どこも暑いことを、僕たちは知っています。大会開催中、テニスのジョコビッチら、選手からは異常な暑さに怒りの声が上がりました。 最大のウソは、日本政府が、「国民の命と安全を最優先する」と言い張り、五輪開催に伴う新型コロナ感染拡大のリスクを無視し、開催を強行したことです。 >>64 一番重要な情報が書かれていない 福永武彦の七光り Conquer yourself, not the world. 世界ではなく、己を征服しろ。(デカルト さしえの50年 単行本 – 1987/5/1 尾崎 秀樹 (著) 宮脇俊三 時刻表好きで国鉄の複雑なダイヤを愛好し、私鉄は国鉄に比べてダイヤが複雑ではないためあまり食指が動かないと言っていた。 巧みな乗り継ぎによる旅行案を考えるのが楽しみであり、うまい案ができたら旅行に出たという。 『線路のない時刻表』では未開通路線の仮想の時刻表を作成したりもしている。 紀行作家としては、地理や歴史の深い教養に裏打ちされた簡潔かつ格調高く、軽妙なユーモアにあふれた文章を書くことで知られる。 また熱心な鉄道ファンでありながら、専門用語などを殊更に羅列したり、評論家ぶったりするなどの、 ごく一部の趣味者に見られる嫌味さが作品内にはほとんどなく、飄々とした文体が多くの人々に受け入れられ、鉄道ファンにとどまらない多くの愛読者を惹きつける。 このため、典型的な鉄道ファンであるにもかかわらず、「鉄道ファンとは違って…」と鉄道趣味への誤解と相まって評されることも多い。 処女作『時刻表2万キロ』で「鉄道に乗る」ことを趣味とする者の存在を世間に認知させ 鉄道の次に好きな乗り物は路線バスであり、飛行機はその逆で乗るたびに早く着陸して欲しいという気になったという 宮脇俊三 山岳景勝地には、道路ではなく、鉄道を。 鉄道紀行の第一人者だからこそ描ける、壮大で優しい夢の列車たち。 登山者も鉄道ファンも、誰もが心暖かくなる名著、ヤマケイ文庫で復刻。 「自然保護と交通渋滞の解消のためには、観光道路からクルマを排除し、代わりに鉄道を敷くべきだ」 1991年、月刊誌『旅』に掲載された「夢の上高地鉄道」はクルマ横行社会への反省と鉄道復権の追い風で大きな反響を呼び、その好評にこたえて著者は全国各地の山岳鉄道を考察した。 鉄道旅行の第一人者が、日本の山岳地帯の環境保全と観光を両立させるために鉄道を走らせる「夢」を描いた名著。 長らく入手困難な状況だったが、黒岩保美による表紙カバー絵もそのままに、ヤマケイ文庫で復刻。本文挿画も黒岩保美の作品を忠実に収録している。 ■収録タイトル 「上高地鉄道」「富士山鉄道・五合目線」「伊勢志摩スカイ鉄道」「屋久島自然林保存鉄道」「比叡山鉄道」「奥日光鉄道」「志賀高原鉄道・草津白根線/奥志賀線」 「蔵王鉄道」「菅平鉄道・根子岳ラック線」「奥多摩湖観光鉄道」「立山砂防工事専用軌道」「粗谷渓鉄道スリル線」 「スノウドン登山鉄道(イギリス)」「ブリエンツ・ロートホルン鉄道(スイス)」「シーニゲプラッテ鉄道(スイス)」「シンプロン峠鉄道(スイス・イタリア)」 「善に対して真剣になれず、美しき悪業に対してのみ真剣になれるような、奇態な性癖を己に生みつけたのは誰なのだ」―対象の善悪を問わず美しいものへの惑溺に情熱を燃やし尽くした谷崎 誰が己を、天に逆らって生きなければならないような人間に生んだのだ。善に対して真剣になれず、 美しき悪業に対してのみ真剣になれるような、奇態な性癖を己に生みつけたのは誰なのだ。己は己の背徳について、天罰を受ける覚えはない! ー異端者の悲しみ 世の多くの人達は日常を退屈と見なし、さまざまな形でロマンティックな世界に憧憬を抱く。ところがここにロマン主義の弱点を見抜き、持前の機智とユーモアと皮肉 と諷刺で平凡な日常を非凡な喜劇的世界に転じた作家がいる。漱石が「平凡の大功徳」を心得た写実の大家と絶讃し、 山本健吉が「世界で一番平凡な大作家の一人」と評した、英国の天才女流ユーモリスト、ジェイン・オースティンである ジェーン・オースティンの描いた世界は、言うまでもなく後の女流作家の描いた 世界にくらべれば無限に狭い。しかしそれを言うなら、小国はいつでも大国に敗れる ものとは限らない。私自身はたえず小国の勝利を信じつづけてきた者であることを この際申し添えておく。」 「ジェーン・オースティンの描いた世界は、言うまでもなく後の女流作家の描いた 世界にくらべれば無限に狭い。しかしそれを言うなら、小国はいつでも大国に敗れる ものとは限らない。私自身はたえず小国の勝利を信じつづけてきた者であることを この際申し添えておく。」 『ヴィクトリア朝の英文学』(G・K・チェスタトン) 制作者である黄はこの騒動について「音楽には翼がある。私が作ったこの曲は自身で世界各地へと飛んでいった」とし、 戯曲が意外とシェイクスピアの次くらいにはかかってんだよな 『老人と海』は現代アメリカ文学の「弱点」を「長所」に転換したものとして福田は了解したのです。それまでのアメリカ文学はヨーロッパ文学と比べ、「人間の捉え方が浅い」と感じられたのです。イギリス、フランス、ドイツといった文学には 「時間の累積」があります。その差は国の成り立ちからいって埋められるべきものではありません。ヨーロッパの文化を一斉に取り込んだためで「人間の捉え方」にもその差は歴然としています。 ただそれは同時に19世紀ヨーロッパ文学の行き詰まりが明確になってきた時でもあったのです。「第一次大戦後、 イギリスに『意識の流れ』を描こうという流派が出現しました。フランスには『自意識の文学』とでも名づくものが出現した」のですが、 そのために個性を追求する余り、行き詰ってしまったというのです。 それは絵画の方でもいえることで、「対象を正確に観察し、それぞれのちがいを描きわけえるリアリズムが完成してしまったあとでは、画家の関心は、対象の個性というものから 離れて対象を眺める眺めかたに個性を賭けるよりほか手がなくなった」それが「シュールリアリズムやアブストラクト」の絵画なのです。 この行き詰まりは「個人主義」の限界にもなりました。ヘミングウェイやフォークナーはフランス文学の影響下に成長した作家ですが、彼らの作品ははじめてジードやサルトルに認められ、行き詰っていた現代ヨーロッパ文学は彼らに 学ぼうとしていたのでが、やはりフランス文学とアメリカ文学の間には根本的に違ったものがありました。 現代に絶望を抱き、「社会的連帯感」とか「人間の善意」に対して否定的な態度を示しても、フォークナーの小説のように、「いままでアメリカ文学には見られなかった個人の内部にひそむ暗欝な情念が追求されており、 そういうものは社会性という公約数で割り切れない」のですが、それは「社会的善意にたいする反動ではないか」と思われ、「なんでもかんでも割り切れる透明で平面的なアメリカ社会と、 その空間の原理によって造りあげられた人間像とにたいし、なんとか文学らしい深みと陰翳とを与えようとして、 無意識の情念が追求されだしたのではないか」という「わざわざ隙を見つけた」感があり、「それは絶望ではない」のいうのです。 だがヘミングウェイの『海と老人』には彼の手法として「ハードボイルド・リアリズム」(非情の写実主義)があり、「肉体や行動への無意識な信頼」に よってそれを否定しています。そこには「理想に裏切られたことについてのいささかのセンチメンタリズイム」も見られないのです。ヨーロッパ文学のように、 「精神は精神によって、あるいは自意識は自意識によって否定するとすれば、そこに意識が意識をうたう抒情がでてくるのでしょうが、肉体的行動という外面的なものによって否定すれば、どうしても ハードボイルド・リアリズムにならざるおえない」のです。それがまたヘミングウェイの作品がアメリカ文学の伝統たる通俗性をもっている理由でもある、と福田は言っています。 そして『日はまた昇る』『武器よさらば』『持つと持たざると』『誰がために鐘はなる』といった長編は「精力の濫費」「徒労のエンタテイメント」といった弱点を免れない。 「ヘミングウェイのうちに、なんらかの意味で思想的なもの、倫理的なものがあるとすれば、それは一種のストイシズム」であり、それを『老人の海』のサンチャゴは体現しているのです。 いままで、かれの作品では、否定のあとに開けられた空洞を、もっぱら肉体的情念で埋めていたのですが、この作品ではそれが 精神的に肯定されることによって、倫理への通路が開かれているようにおもわれます。 しかも、そこにはなんの感傷的な抒情もなく、ハードボイルド・リアリズムは手堅く守られており、 眼に見える外面的なもの以外はなにも描くまいと決心しているようです。 心のなかに立ちいって、ひとの眼にふれぬものを引きだしてやろうとする主観的な同情はぜんぜんありません。なるほどサンチャゴの独白や心理描写はありますが、それらはつねに外面的行動に直結しております。心理描写といっても、 ひとつの行動にはひとつの心理しかないと断定しうるような心理描写であり、ひとつの行動からいくとおりもの心理を憶測しうるというような、そういう複雑であいまいな、いいかえると弁解がましい心理描写ではありません。 すべてが単純明快です。老人が実際におこなったこと、そしてその周囲にたしかに存在した事物、それ以外はなにも描かれておらず、またそれだけはひとつ残らず描かれているようなたしかさを感じます。 ヘミングウェイに関して、福田氏は本論に入る前にアメリカ文学の歴史を俯瞰し、社会主義的、文明批評的な小説が多く、欧州のような文学伝統の土壌がないところでアメリカ文学が育っていたが、と前置きしている。 だからパリのカフェで「あなたたちはロスト・ジェネレーションね」と有名な女流作家にヘミングウェイは揶揄された。それもまた有名な話であろう。 だが福田氏は『老人と海』を読んで、おなじ虚無主義の多いアメリカ人作家のなかで、ヘミングウェイに一種のストイシズム、イギリス清教徒の子孫としての倫理的なものを直感的に発見され、次のように言う。 「その虚無的な否定と冷酷な突き放しとにもかかわらず、むしろその反対の旺盛な現実肯定ないし現実謳歌を感じとる」 以前のヘミングウェイは「敗北者に同情を抱かない」。「勝ち抜き、生き抜く」男の冷酷と、思想のなさ、倫理のなさを描いてきたが、『老人と海』でトーンが変調していることを直感的に福田氏は感得したのだ。 つまり「否定を肯定に転換する」のが『老人と海』である。 過去のヘミングウェイの作品は「否定のあとに開けられた空洞を、もっぱら肉体的情念で埋めていた」けれども、『老人と海』も確かに「肉体的行動にたよってはおりますが、それが精神的に肯定されることによって、 倫理への通路が開かれている」として、福田氏個人も読後感は「心身の爽快さをおもえる」「剛気の文章」であると昭和28年に自ら翻訳した『老人と海』の解説を書いている福田恆存 読まれなくなったのか。 おもろいのに。 たった100年前の本なのに、もう廃れてなくなっていくのか。 「目的」「目標」「手段」の違い 目的⇒あなたが最終的に実現したいこと。 目標⇒あなたの目的を実現するために、やらなくてはいけないこと。 手段⇒あなたの目標を実現するために、おこなうこと。 「雨」 意味がわかった瞬間落ち込んだ 俺も男だからな… 「雨」はモンスーンという風土に呑み込まれていくキリスト教徒の白人をペン1本で描いているのが素晴らしい。 太平洋のジメジメ感がこれでもかというくらい描かれている。 文章の描写力という奴だが、近年では評価しにくいんだろうな。 雨はいいね あらすじだけ見ればありきたりっぽいけど 描写を追っていくと衝撃的 長崎で見た、踏み絵の木枠についた指の跡のことを、東京へ帰ってからも私は忘れられませんでした。夕べに散歩する時、夜に酒を飲む時、黒い指跡が目に浮かびました。 そして三つのことを考え続けたのです。ひとつは、踏み絵を踏んだ時の気持ち。次に、踏んだのはどんな人だったろうか。そして、私がその立場にたたされたら踏むかどうか。 強い信念を貫き通すより、踏む可能性の方がはるかに高いと思ったな。拷問は苦しいだろうし、やはり家族まで殺されるのは可哀そうです。 私は弱虫なのです。これは、今日会場にいらっしゃるみなさんの三分の二は私と同じだろうと思う。 小説というのは、やみくもに書くのではなく、自分の視点から書くものです。そして『沈黙』は、〈迫害があっても信念を決して捨てない〉という強虫の視点ではなくて、 私のような弱虫の視点で書こうと決めました。弱虫が強虫と同じように、人生を生きる意味があるのなら、それはどういうことか――。 これが『沈黙』の主題の一つでした。 メルヴィルを評価できなかった見る目のない通俗作家。 通俗作家ってのは一般的にその時代においてもてはやされ 作者が亡くなると信じられないぐらい綺麗さっぱり消えるものだが モームは残り続けてるのが不思議ではある 面白いし 1874年生まれ 通俗だろうが何だろうが、すごく優秀で透明なレンズで景色を見ているかのような文章が素晴らしい まだ子供の頃に養父からフランス語学習のために新聞を朗読させられたのが関係あるのかもしれない >>87 モームは世界十大小説に『白鯨』を選んでいる read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる