三島由紀夫Part60
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三島由紀夫
本名平岡公威
1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)
前スレ
三島由紀夫Part59
https://mevius.2ch.net/test/read.cgi/book/1588773402/ 『憂国』の次の会話変じゃね?
「ここでよく呑んだもんだなあ。加納や本間や野口と」
「よくお呑みになりましたのね、皆さん」
「よくお呑みになりましたね」か「よくお呑みになりましたものね」だろ
どの版もこうなってるが 夫の交友を妻が想像して言うことによって
夫と妻は結婚しているが当然のことながらお互いの知らない人生や交友関係を持ってきたというニュアンスを
出したかったんじゃないの? 天人五衰の最後門跡(聡子)は惚けてただけなの?
それとも触れられたくない事だったから?
或いは仏教的な観点で他意があるという事?
あれだけのシリーズ長編作で最後があれとはちょっと物足りないかな〜
ヤボな質問で悪いけど 仏教の唯識派に詳しくないんでたぶんだけど
堅実な人生を歩みながらも友人の輪廻転生の真否を問い続けた本多の一生があの一言で足元から崩れ
夢かうつつか虚実定かならぬ混乱に陥ることによって人間の認識や生の頼りなさを表現しようとしたんじゃないの? 仏教の唯識派に詳しくないんでたぶんだけど
堅実な人生を歩みながらも友人の輪廻転生の真否を問い続けた本多の一生があの一言で足元から崩れ
夢かうつつか虚実定かならぬ混乱に陥ることによって人間の認識や生の頼りなさを表現しようとしたんじゃないの? であの結末は三島一世一代の大長編を根底から覆すものであり
しかも読者がそれを読むのは三島の自裁後という仕掛け 天人五衰のラストは衝撃だったなぁ
豊穣の海がそもそも月の海で……なわけだしね >>104
ん? 読んでないのか?
「ここ」ってのは主人公ふたりが新婚の新居を構えた家の部屋だぞ しかし何か物足りないな〜
聡子は勿論、その後の透、慶子、慎子、飯沼の親っさん、勲と同士だった人達とか
個人的には慶子が好きだったな〜
本多がまだ中年の頃ジンジャンばかりに現を抜かさないで慶子と契りを交わして欲しかった(笑)
絶交なんかしなくていいのに >>105
一番ヒントになるのは最後のエッセイ『小説とは何か』だと思う
それによれば、三島はふたつの世界を同時に生きている 文学と現実と
ところが3巻『暁の寺』が完成した瞬間、『暁の寺』を書いていた時間だけが
本物と確定し、現実(楯の会の活動と解釈していいかと思う)の活動のほうは
「ゴミくず」になったのだつうてる ゴミくずにしたくなかったのに
だから全巻の完結時は現実の活動(切腹)を本物と確定させ、豊饒の海のほうはラストで
「ぜーんぶ作り物の嘘でした」とゴミくずみたいに扱ったということではないか
つまりあのラストは一種のメタ展開 >>110
ん? 新居では妻の知らない夫の付き合いを
勘づいちゃならんという決まりでもあるのか? それにしてもあの結末を物足りなく感じる人もいれば
タイトル込みで衝撃だった人もいれば(オレもそう)
ゴミのように感じてる人もいて
何事も心々だなぁとは思う そうなんだよな
現実と呼ばれているものも、確固としたたったひとつの真実みたいなものが存在してるように錯覚されるけど、実はそんなものは存在しない
とか言いながら芥川の藪の中を思い出したり すべては阿頼耶識が生み出した幻だった
本田も聡子もすでに別次元にいる 三島は226の青年将校が好きで好きでたまらなかった 憧れだった
輪廻転生じゃないけれど自分は磯部浅一の生まれ変わりと言ってたぐらいだからね
日本古来より連綿と続いてきた武の精神の発露 そこには必ず美があった
三島もそこに加わりたかったのかもしれない で、結局透は輪廻転生の一人だったの?
違うんだろ? 慶子が透の偽物性を暴く場面好き
何度も読み返してしまう >>121
日本の大学は政権の顔色を窺うばかり。
学問レベルが落ち続けるのは当然だよね。 >>120
俺もあの場面大好きだな
慶子は聡明で頼りがいもあるし妖艶な感じの女だったんだろうな〜
それにしても本多には暁の寺の頃にでも月修寺に赴いて欲しかったな
蓼科に会って聡子の話を聞いた時に直ぐにでも行くべきだったんだよ(笑) https://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/x/2020-11-28/07/75697/4756412/
11月28日土曜
NHKFM 午後9時00分〜 午後10時00分
クラシックの迷宮 ▽黛敏郎の歌劇「金閣寺」〜三島由紀夫 没後50年〜
楽曲
「歌劇“金閣寺”(抜粋版) ※原作:三島由紀夫」
黛敏郎:作曲
溝口…(バス・バリトン)宮原昭吾、女…(ソプラノ)中村邦子、柏木…(リリック・テノール)中村健、
父…(ハイ・バリトン)山田茂、母…(ソプラノ)乗松美代子、有為子…(アルト)松尾地恵子、道詮和尚…(バス)村本和修、
鶴川…(ハイ・バリトン)酒井義長、(語り)清水紘治、(合唱)日本プロ合唱団連合、(合唱指揮)田中信昭、(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)岩城宏之
(55分20秒)
<〜NHKのアーカイブスから〜 ※1982年10月18日東京文化会館でのライヴ録音>
http://www.nhk.or.jp/radio
NHKラジオ らじる★らじる >>112
私も豊饒の海のラストはメタ展開で合ってると思う
三島の死と重ねて初めて理解できるもの
ゆえに純粋にそれだけで自立している文学作品として見ると
なんじゃこりゃとか上の人のように物足りないとか
大澤真幸が言ったようにこんな終わり方でいいのかという疑問が出てきてしまう
純粋に文学作品として読むとあなたの言うように(つか三島が言ったように?)
小説なんて全部つくりものでしょっていうニヒリスティックな終わり方なんだと思うけど
そういう持って行き方も最後聡子にああいうふうにいわせるやり方でよかったのかと
いう疑問点は残る
でも露骨に全部紙に書いた小説でしたみたいな終わり方じゃ狙いがバレちゃうしね 三島はあの結末で
人間の人生なんて全部つくりものでしょと言いたかったんだとオレは思うが >>126
弁証法なくして平岡家ごときが成り上がるのは絶対に不可能であると三島由紀夫は最初から十分に知っていたのに処女作『花盛りの森』での「弁証法に毒されない真実」を捨て去ることができなかった
そして最後になって自爆して壮大な居直りを図った 小説も人生も作り物となったらちょっと平板で凡庸な考え方になってしまうと思う
そこらの誰でも言いそうな
三島の場合、文学と人生とのせめぎあいに問題があったのだから
人生すべてが作り物というより(それ自体は私も否定しないが)
小説の作り物さを否定して人生のほうを獲得したかったというほうが当たってると思う
だからこそ遺書で 自分は文士として死んだのではなく武人として死んだとか
自分は最後に文学を捨てたのだから戒名に文の字は不要 武の字をいれてほしいとか
言ったんだと思う(実際は文の字は武のうしろだけど入れられた) どっちにしても、作り物さの虚無を最後に提示する目論見だったとしたら
聡子にああいうことを言わせる終わり方がベターだったのかという疑問は残る希ガス 壮烈な三島美学の完結だという見方があるが、この話を聞いて私は涙がこぼれた。
三島君はヤアッと大声もろとも短剣を突立てたそうだ。
切腹の作法で、武士が腹を切るのに懸け声をあげるなどは聞いたことがない。
切腹には脇差を遣って短刀はつかわない。それにあの辞世である。
「益荒男が……」と短冊に書いて「三島由紀夫」と署名してあった。
辞世には名前は入れないのが故実である。
三島君は、わざわざ姓まで書き加え、更に落款を押している。
ものを知らぬにもほどがあると、普通なら私は呆れたろう。
週刊誌にこの『辞世』のグラビアを見た時はぼろぼろ涙がこぼれた。
三島君が武士の作法を知らぬわけはないと思う。
あれは死をかけた三島君の狂言ではないのか。
http://www.audiosharing.com/people/gomi/tenno_koe/ten_04_1.htm 「天人五衰」のラストで衝撃受けて三島の墓参りしたわ
こんなことしたのは初めて
拝観はできないけどいつか円照寺もお参りしたい >>131
その三島自身が人一倍に作法にこだわり実際に華族(といってもいろんな華族がいるだろうが)に取材した太宰治を毛嫌いしていたのだ
言葉遣いがなんであれもし上級国民がいるとすれば津島家の方が平岡家よりも上級国民だろう
もちろんそのことも三島由紀夫は十分にわかっていた 以下は三島の「奔馬」の一節
沖津磐座は崖道の上に突然あらわれた。
難破した巨船の残骸のような、不定形の、あるいは尖(とが)り、あるいは裂けた巨石の群が、張りめぐらした七五三縄のなかに蟠(わだかま)っていた。太古から、この何かあるべき姿に反した石の一群が、並の事物の秩序のうちには決して組み込まれない形で、怖ろしいような純潔な乱雑さで放り出されていたのである。
石は石と組み打ち、組み打ったまま倒れて裂けていた。別の石は、平坦すぎる斜面をひろびろとさしのべていた。すべてが神の静かな御座(おまし)というよりは、戦いのあと、それよりも信じがたいような恐怖のあとを思わせ、神が一度坐られたあとでは、地上の事物はこんな風に変貌するのではないかと思われた。
こういうのを三島の神道知識の無さの証拠みたいに批判する人もいるが。
むしろ、三島は旧約の荒ぶるヤハウェみたいなのを思い描いていたような。 三島の文学的帰結として45歳がリミットだった それをどう成就するか?
あのような手段を選んだのは三島の物凄い自己顕示欲であり虚栄心なんだよ >>136
たしかにもはや青年ではないが青年将校ならギリギリの年齢だろう 大江は20代で作風変えたからいいものの三島みたいなパンク精神はいつまでも続くわけじゃないだろうしな
老齢でどんなの作るんだろうとは気になるが >>136
老醜に対する異常な嫌悪感とか恐怖もあったように思う 予定されてたつうか定家卿だけは書きたいなって漏らしただけだったような 三島には夭折願望のあったようで
神風連の乱だったかの志士が45歳で45歳はギリ青春だからセーフ(大意)と書いてたのを読んだ記憶がある まあ45がギリだと思うけど、あの人の夭折主義wからすれば
引っ張りすぎって気もする
でも保留することが私にとってすなわち書くことなのだと言ってるからなあ 俺は三島には三國志と平家物語描いて欲しかったな〜
ま、そういうのは書かないだろうけど 歳下専だったのよ。
だから歳を取るのに耐えられなかったのよ。 聡子「松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。」
本多「・・・(内心ずっこける)」
我々の人生とはかくのごとき幻であり、虚無である
記憶もなければ何もない庭というラストシーンはその象徴である 三島由紀夫の自決に関して、歳上の小林秀雄や同世代の吉本隆明は共感してる部分があるんだよな。
逆に年下の江藤淳や石原慎太郎は冷めた目で見てるんだよね。
なんなんだろうね。 でも普通に考えておかしいわな「清顕知らね」
わざととぼけたか、ぼけて忘れたか、修行の成果で忘れることができたか
納得がいかない人は多いのは当たり前だと思うけど三島本人的にはあれで
カタルシスがあったんやろな
自分は『金閣寺』のラストの「生きよう」のほうがひっかかる
まあこれもよくいろいろ言われているラストだけど
あそこは怨敵となった金閣を滅ぼしたことでこのあと牢屋が待ってるだろうけど
という含みも込めて「今私は生きている」のほうがしっくりくる
やっぱり三島にとっては「生きよう」でよかったんやろけどな
ボクシングなんて始めたりしてw >>148
それは年齢的に戦前の思想や空気が血肉に入ってるかどうかの差だと思う
それは三島も言ってる 入っていない人間は信用できないってね
三島は昭和元年石原は7年生まれで三島と石原は7歳違うが昭和20年を基準に考えて
それは7歳という歳の差だけじゃなく時代という大きな意味がある >>150
「戦前の思想や空気が血肉に入ってる」人こそ、信用できないと思うんだけどね。
軍人たちはもとより、教育者も戦前戦後で豹変した。
何万人の部下を死に至らしめても、戦後は優雅に暮らした軍人もいるし、戦争自慢の軍人もいた。
ちなみに吉本隆明は、三島の死に対して「疑似朝鮮的な武士道とともに、どこまで本気なのか」という疑念を表明してる。 三島は2.26事件の蹶起将校のような青年の純潔性を評価するが
天皇も含めた戦前の伝統保守の思想にそれほどこだわりがあったとは思えない
父親がと祖父が官僚でそこそこ出世し
とくに祖父は原敬の懐型として活躍(そして失脚)した人物でもあるから
裏の事情にはそこそこ通じてるわけで
まあ、逆に実は戦中の延長線上にある経済中心の社会に対して
偶像化された天皇や日本の伝統を提示したんだろうけど
そういうロマン主義的美化は偽りに過ぎない
という事は本人も分かっていただろうし
小説というジャンルを通じてやろうとしたのは
不快で醜悪な現実を観念装置を通して転倒しようという試みだっただろうし
それでもまあ、本人が若干述べているように
生活のために書いたと思われる通俗的な作品も多かったけどね
倫理的で美的価値を追求するものとしては
この現実との妥協が自己嫌悪にもつながっただろうね
別に死に至るまでの約10年にわたる右翼的行動が
その反動だったとは言わないけど
あれは政治や思想と言うよりは本当に個人的な美的価値の追求だった思うけどね
そういう意味では本当に文学的だったとは言えるけど 『にっぽん製』や『恋の都』といった恋愛大衆小説まで読まれているのかな 三島由紀夫 = 国家社会主義労働者党、で合ってる? 昨夜のETV特集
三島演出の「サロメ」観てみたかったなぁ >>154
どこから仕入れた情報なの?
それとも閃いた? >>120
>>123
名シーンですよね
透への批判であり、戦後を生きてきた三島さん自身の苦い自己批判だと思った
あと透は確かに「悪」ではあるが、非常に可哀想に思える >>156
楯の会はファシズムの要素があったという話は >>49 透はあんなことにならずに本多をいじめまくって、半グレみたいにでもなって、すべてを無茶苦茶に破壊して終わるみたいなラストでも良かったんじゃないかと思うくらい、悪な透のキャラクターは魅力的に感じる 現実は幻であろうともそれを拒否し現実を見続けた結果 >>157
夢を見たことがない、という告白で、やっぱり輪廻から外されてたんだなーと憐れに思ったわ でも盲目になった透と、あのキ○ガイ(精神的盲目)の彼女との暮らしって、春琴と佐助みたいに幸せなのかもね 幼いジンジャンが本多に私は日本人の生まれ変わりだ
その節はお世話になりっぱなしですみませんというところはすげえチープな気がした >>68
このスレでもアベガーかよ
ほんと気持ち悪いな 三島スレにはウヨクがイッパイいるはずだから煽ってやれ
という低能がいるってことでしょ >>171
安倍さんやトランプさんの熱狂的な支持者は気持ち悪くないの?
レイプ被害者を叩くのも、男の本領なの? 政治家とその支援者の胡散臭さなんて
絹と明察とか宴のあととかできっちり書かれてるでしょうが
一度関わったら清廉潔白なんて夢物語なんだよ この手のお花畑に取っちゃあ
ウヨクは胡散臭くて劣悪
サヨクは清廉潔白で優良だからな 文化を守るという行為だって行動だから体鍛えて武力を持たなくてはならない
そして日本の文化を保証しているのは天皇だから
天皇が武力をも統括しなくてはならないてな意味だったように思う
かなり前に読んだからあれだけどとにかくあまり説得力はなかった >>178
「天皇が武力を失って文化が花開いた」が真実 >>178
もちろん三島由紀夫は権威と権力の違いは知っている
知っていて知らないふりをしている >>179
横から失礼
それは貴方の考えなのか三島が文化防衛論で述べているのか
どっちなの? >>181
横には横でw
それは自分で読むことが先決じゃない? >>182
オレもかなり昔に太陽と鉄と一緒に流し読みしたことがあるだけだから偉そうなのとは言えんが
どんな内容だったっけともうググってしまったよ
まあ暇があったら読み直してみるよ
>>183
ということでうググってみたところ
貴方の言う「通説」を三島は批判していて
>>178氏の記憶が三島の論旨に近いようですね ところで「十住心論」読んだ人おる?
昔坊さんに露骨に「阿頼耶識とはどういう意味ですか?」
と聞いた事があるんだが「そういうのに興味あるの? それなら十住心論」読んで貰うしかないな〜」と言われたよ
ここにいる知性豊かな方々なら読んだ事あるんじゃないかと思ってな >>185
ご遺族はお気の毒ではある
あの何事につけてのかたくなさは、遠くへ行ってしまった(ただ死んだという意味だけじゃなく)三島氏を
せめて他の何らかのかたちで自分たちの手元に置いておきたいという強い願いに思える >>187
『十住心論』の内容を簡略に示したものが『秘蔵宝鑰』らしいが
その角川文庫版なら本棚に積んである
アラヤには積もるという意味があるようなので(ヒマラヤの語源らしい)積読はもしかして正しい読み方なのか? 阿頼耶識とかは頭で考えてたって仕方ない
坐禅瞑想と共に学べ >>191
座禅は体力ある者が絶対に有利
本当はさとりとは無関係であるべきだ >>176
>>178
橋川文三に「天皇が軍隊と直結した途端に
三島の言う文化概念としての天皇は政治的天皇にすり変わる」
と指摘されて三島がギャフンと参ったと書いているね
橋川の主張はこんな感じ
明治憲法体制の下で天皇は、文化の全体性を象徴する意味を失ってしまった
というのが三島の理解ではなかったか。
近代史以降、1度もその本質である文化概念としての姿を
示されたことは無かった
ということは、近代国家の論理と、文化概念としての、
いわば美の総覧者としての天皇の論理は相容れないものを含んでいた。
事実、国学者たちが構想した天皇統治の美的ユートピアは維新後数年ならずして次々と崩壊した
天皇が軍と結びついたら政治化する
三島の目的が文化概念としての天皇の擁護にあるとすれば
それは論理的でも現実的でもない >>192
道元も安楽の法門と言ってるように、坐禅は体力勝負じゃないぞ
障害的な問題で座れないなら寝てやってもいい >>193
ギャフンと参ったつうてるけど本気で参ったとも思ってないんだよな
そのあとには「参った」という責任感を感じなかったのも事実だよーん
って子供か5ちゃんの喧嘩みたいなこと言ってるw
まあそもそも三島が本気で天皇崇拝してたかつうたら疑問だからな
なんか肉体的行動(武or軍事行動)やら切腹やらのために担ぎ出してきたってほうが
よく評論家がいう「なぜ三島は急に天皇天皇言い出したのか」って疑問に答えてる気がするし
つまり三島にとっての天皇は大大前提の出発点、いわば第一ボタンではなくて
最後にもってきた帳尻合わせなので、天皇の存在意義を批判されても彼は何も痛痒を感じない 性急に答えをだそうとしてた感があるのかね
そりゃ天皇にたいして戦中から崇拝の感情はあったんだろうけど、死ぬために急いで考えたと >>198
逆説的だが、かつての新左翼の行動に三島の死への願望が触発されたのだろう。
こうした政治的な渦の中で死んでいきたい、と。
ただ三島は、多数派につくのは絶対に拒否したい。
新左翼に対抗できる精神的な死の支柱。
天皇だ。
天皇をシンボルとしたクーデターが自分の死に場所だ。
残念ながら、その時は新左翼も天皇も、死に値するシンボルではなくなっていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています