【日本的スノビズムの】蓮實重彦7【法王】
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蓮實重彦映画ベスト10
2018
@『ア・ゴースト・ストーリー』A Ghost Story:92分
A『蝶の眠り』나비잠/Butterfly Sleep:110分
B『きみの鳥はうたえる』:106分
C『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』Ex Libris--The New York Public Library:205分
D『バーニング劇場版』버닝/BURNING:148分
E『寝ても覚めても』ASAKOT&U:119分
F『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』Certain Women:106分
G『アンダー・ザ・シルバーレイク』Under the Silver Lake:140分
H『甘い抱擁』THE KILLING OF SISTER GEORGE:138分
I『ゾンからのメッセージ』:117分
J『鉱ARAGANE』ARAGANE:68分
2019
@『アド・アストラ』Ad Astra:124分
A『天使』ANGEL:91分
B『空に聞く』:73分
C『多十郎殉愛記』:93分
D『モガンボ』MOGAMBO:116分
E『運び屋』The Mule:116分
F『さらば愛しきアウトロー』THE OLD MAN & THE GUN:93分
G『嵐電』:114分
H『宝島』L'île au trésor/Treasure Island:97分
I『ヴィタリナ』Vitalina Varela:130分 >>3
大江死んだよー
蓮實は大江になりたかったんだろうな 渡辺一夫を愛したが渡辺は大江を愛し蓮実は愛されなかった
蓮実が「○○は××に愛されなかった」という言い回しを多用したのはそのため 渡辺一夫は偉大な仏文学者ではあるが三島由紀夫が岩波書店御用達と揶揄したように典型的な戦後民主主義者
弟子の大江健三郎も小説は面白いのに随筆などで披露する思想はつまらないものばかりなのは師匠譲り そういうこと言いがちな人ってだいたい当人が自殺するんだよな 蓮實―中村光夫、柄谷行人、浅田彰など、田山花袋の「蒲団」の価値を認めなかった時点で、
蓮實、柄谷、浅田らの文芸評論の価値はほぼゼロになったと見るべきではないか。 嫁を看取ったらこの世と蓮實を繋ぐものが何もなくなる 石川淳をボロクソに言ってたけど石川淳の小説好きなんだよなあ >>12
さすがの蓮實も高齢で本数観るのが辛くなったのかな? >>16
石川淳は本当にダメだ
狂風記、至福千年、白描、佳人
どれを読んでも物語にすぎず、小説の実質を掴んでいない そういう意味での「小説」なんか今誰も書いてないじゃん
ちょい昔の流行り病みたいなもんでしょ >>19
誰も書いていないからこそ、大江、古井、中上の小説が愛おしい
村上春樹も物語作家だし、その他の作家も同じだ ちょっとまて、「小説」ってなんだ?
面白い答え求む >>23
フィクションということなら蓮實の『赤の誘惑』を読めばいいのではないか。 >>18
優れた物語の書き手というだけで十分だろ。
あんたはしょぼい渡部直己か。
蓮實や渡部は死んだフォルマリストというだけ。 藤枝静男が好きなのもわかるし安岡章太郎が好きなのもわかる
だが志賀直哉が好きなのは理解出来ん 大江死去に関する讀賣への蓮實のコメント
「ただただ悲しいだけ。日本だけでなく世界文学にとっての損失。
最近のノーベル賞作家とは散文の質が異なる。もうこういう作家は現れないだろう」 昨年はゴダールで今年は大江か
蓮實の周辺も寂しくなってくるな青山真治もいないし……
追悼文といえば新聞で市川崑のこと書いたことがあって(蓮實が市川崑大嫌いなのは有名)文章の内容がツッコミ入れたくなるくらい適当だった >>29
年末には吉田喜重が亡くなり、葬儀委員長をやった 蓮實さんさっきセブンイレブン羽○木店で
ゼリー飲料と紙パックジュースと冷凍食品買ってたよ 424 田中淳 ◆ANNA//s1pY [sage] 2023/03/15(水) 19:50:32.25
大江の政治的な姿勢、人生観などを述べた発言や評論/エッセイは凡庸だが、その小説作品は凡庸さからはかけ離れている
なぜ凡庸な人間がかくも素晴らしい作品を書くのかというのは今後も日本語表現の歴史における謎として残る
関係ないが、齋藤飛鳥は大江の愛読者だという 4月はフランス語の余白に!
月刊蓮實重彦はまだまだ終わらない! >>28
蓮實は吉本隆明の時もコメント書いていたな
他の二人が松浦寿輝と中沢新一だった 430 田中淳 ◆ANNA//s1pY [sage] 2023/03/17(金) 11:48:31.03
大江後期の、前・中期と較べよりノーブルになったゆるやかな文体は素晴らしい 今時だれもハスミンの言説なんて気にも留めないのが盛者必衰やね 未だに大手出版社からの新刊が絶えず
映画館でのトークショーは満員札止め
一昔前より人気出てるよ >>37
なお増刷の有無
映画館のそもそものキャパシティ
何よりも事実の存在確認について。 >>40
蓮實信者ではないが新刊が出ることや満員になること自体がすごいこと。なんでそう否定的に見るんだ? でもそれってジジイやおっさんが支持してるだけだからなあ
若い映画ファンへの影響力は皆無 評価サイトを見て決めてしまう自分で物を考えることをしないあるいは考えるという行為さえ頭にない若い世代の人(あくまでも一部だが)はそうだろうな。 蓮實がさんざん使い続けてきたショットという蓮實語をやっと去年になって説明する本を出すとか、
なぜもっと、分りやすく伝える努力をしてこなかったのか、不思議だ。 >>41
法律用語かつ実証が求められる科学全般で使用される用語。 >>44
でも昔は蓮實が映画をどう判定してるかって結構大事だったのよ
おかげで罵倒されたパゾリーニやヘルツォークやカルロス・サウラなんて欧米と異なり日本じゃあまり評価されてない
逆にヴェンダースは蓮實が持ち上げまくったから映画の守護神のように持て囃されてた
「73年の世代」も90年代以後はイーストウッドを除いて皆ダメになったというか…… >>47
確かにそうだな。ただイーストウッドに対する蓮實の異常な持ち上げ方は今でも理解できないが。おかげで『ハドソン川の奇跡』みたいな普通の映画がキネ旬で一位になってしまった。 >>43
例えばお前が思う若い映画ファンに影響力絶大な批評家って誰よ >>47
蓮實に激しく反発する四方田犬彦が最近パゾリーニの高額本を出したな >>26
丸谷才一は石川淳を日本モダニズム文学の嚆矢と高く評価して藤枝静男は文章が下手すぎてそれが芸になってるとまで批判してるな
三島由紀夫を批判して大岡昇平と安岡章太郎の評価が高いのは蓮實と同じなんだが 蓮實は『小説から遠く離れて』で、石川淳、丸谷才一、村上春樹を否定した
退屈な予定調和の物語しか書いていない、と
一方、大江健三郎と中上健次は言葉が独走する驚きの構造化されがたい衝突
としての小説を書く作家として賞賛する >>53
蓮實の大江や筒井康隆に対する評価は、ただの世渡りの一環であり、
予定調和の物語以下であることは間違いない。
中上健次には我欲の独走はあったかもしれないが、独創はないだろ。
秋元松代や石川淳の真似をしていた。 >>54
文学の評価に絶対はないから、お前がそう考えるのは自由
上記5人の作家への評価は俺は蓮實に賛同する
しかし蓮實の他の作家への評価では、結構意見が異なる
例えば藤枝静男や河野多恵子を俺は評価しない >>55
絶対というなら、蓮實はむしろ絶対ゼロに近い。
何がお前だw 中上健次は『枯木灘』以前の「十九歳の地図」や「一番はじめの出来事」「灰色のコカコーラ」「鳩どもの家」などは好きなんだけど
『水の女』『鳳仙花』以降明確に日本のフォークナーを目指しだしてからは苦手っていうか……単に好みの問題なんだが >>43
そこまで断言しているのだから若い世代に影響するのある評論家が誰なのか俺も知りたい 蓮實重彦を頂点とする気取った映画評論家に飽きてくると、意外に面白いのが戦前派の津村秀夫。
実際に黄金期の撮影所の錚々たる映画人と交わってるからね。
蓮實みたいなドリーマーとリアリストの違いかな。 「遅れて来た映画批評家としての哀しみ」は蓮實の魅力の一つである。 >>64
どうしてこんなズレたことが書けるんだろう? >>61
実際にその人たちに会って同時代を生きたなら
ヌーヴェルバーグの時期の山田宏一もそうだな
蓮實も渡仏してるけどあくまで学問のためで本人もその頃はゴダールの作品しか観てないと述べてるから山田宏一のようにカイエ・デュ・シネマの連中と映画を語り合ってたとはやはり違う
だから個人的にトリュフォーへは思い入れが深いがゴダールやロメールをそんなに神格化してはいない
ただヌーヴェルバーグが運動として落ち着いてきた時期に渡仏したから厳密に言えば山田宏一も遅れてやってきたわけだけど 蓮實はここ五年くらいだと海外ではどんな作品、監督を評価してるの? クリント・イーストウッド、ペドロ・コスタ、レオス・カラックス、ホセ・ルイス・ゲリン、ジム・ジャームッシュ、侯考賢あたりかなあ >>68
ありがと。ただ質問の仕方が悪かった。ここ5年くらいで出てきた海外の監督やここ5年くらいの海外作品だとどんなのを評価しているのかと思って >>57
分かるわ
習俗やらなんやらにがんじがらめにされて持ち前の生々しさがなくなるんだよな
それを文体でカバーしようとするようになって当たりはずれも大きくなった >>68
それは大昔からだろw
近年よく名前を出すのはデヴィッド・ロウリーやケリー・ライヒャルト
小森はるか、小田香だろう
濱口や三宅には留保があるように見える >>70
こちらこそ頓珍漢な答えをしてしまって
すみませんでした ただ蓮實重彦の注目している監督ってかなりコロコロ変わるのですよ
古いですがタランティーノも『イングロリアス・バスターズ』の時は一定の評価をしていて、その後の『ジャンゴ』で疑問符がわき、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ははっきり否定しています
濱口竜介も『寝ても覚めても』で日本映画の第3の黄金時代が到来するなどと言っておきながら、『ドライブ・マイ・カー』はそんなに評価していなくて、亡くなった青山真治の作品には敵わないという趣旨の発言をしています >>72
FILOのインタビューでもそのあたりの名前は出ていたものね。90分という上映時間に特別な思いがある蓮實は例えばノア・バームバックをどう見ているのだろう? 目をフランスにやればいま一線で昨日を撮り続けている監督、例えばジャック・オーディアールとかミア=ハンセン・ラヴとかルイ・ガレルとかは関心外なのだろうか? >>76
好きじゃないんじゃない?蓮實的には即座に峻別できるようなことのような気がする 『映画狂人』のどれかはわからないけど70年代くらいの発言で今の映画界をリードしているのはスイスのアラン・タネールとベルギーのアンドレ・デルヴォーとカナダのジル・カルルだというのがあったんだけど
アラン・タネールとアンドレ・デルヴォーはわかるがジル・カルルだけがさっぱりわからん >>49
町山、宇多丸、高橋ヨシキ
こいつらに蓮實は勝てんよ 弟子にあたる黒沢清や故・青山真治
そして影響を受けて蓮實も目をかけている阿部和重や中原昌也などは蓮實が嫌ってる映画監督も評価しているからなあ
まあそれを言ったら淀川さんも蓮實とは褒める映画貶す映画が全然異なってたんだけど ハスミン、齟齬の誘惑に所載の講演で
タイタニックを褒めていた!
エクセレ~ント! オツムが弱くて覇気の無い人間が蓮實信者になる。
これは柄谷や浅田、東らの信者の場合も同じだ。 >>43
蓮實自体が古くなっていることは否めないがそれより前にいまの若い世代は本読まないだろう。影響力があるのはせいぜい評価サイトくらいでは? >>78
どういう風に峻別するの? ロメールは好きでもミア=ハンセン・ラヴはまったくダメ? >>63
フィルム自体がなくなってなければ結構観ることは出来る。U-NEXTにですらまあまあある 蓮實は「73年の世代」からフランスの監督は選んでいないが、所謂「ポスト・ヌーベルバーグ」(ジャン・ユスターシュ、フィリップ・ガレル、モーリス・ピアラ、アンドレ・テシネ、マルセル・アヌーン、ポウル・ヴェッキアリなど)の中ではユスターシュしか評価してないの? 結局は個人の好みを理論武装してるだけだからなあ
蓮實の好き嫌いを絶対視するのはよくない
もちろん参考にするだけはのはいいと思うけどね それよりも配信限定の映画は映画と呼べるのか、お前らはどう思うんだ? ドゥルーズが『シネマ』で自分の嫌いなパゾリーニやヘルツォークを評価してるからってドゥルーズに映画はわからないは夜郎自大だろう >>94
ネトフリは(劇場での限定公開はしているが)もう無視出来ないのではないか? 問題は彼らや彼女らがなぜネトフリで撮る(あるいは撮らざるをえない)かということ >>93
その理論武装の具合いがすごいからついクラクラときてしまう時がある 別に絶対視したっていいじゃんw
たかが映画なんだから ここは文学板だぞ
なぜ映画の話題ばかりなのか
蓮實の文芸評論を論じよう >>95
日本語訳が出る前に(出ないと思っていた。実際翻訳完結まで長い時間がかかった)いきがって原書を購入(Iだけ)そして数ページであえなく挫折(そりゃそうだ、自分の語学力では)。この手の本は若いうちじゃないときついがあなたのレスを見てトライの気持ちが湧いてきた。もちろん翻訳でだがそれにしても高い >>99
まずは自分から語らないとダメだね。でも文芸と映画は蓮實の二本柱、車の両輪のようなもの。文学板とはいえ分けるのは難しいし分ける必要もないのでは? それにいかに蓮實の映画論に影響を受けた人が(反対の見方含めて)多いかという事 >>99
正論です
その通り
>>101
映画板でやったらどうですか?
それか
たとえばフローベール論とかについて論じては?
わたしは蓮實さんのフローベール論、いまいちピンとこなかったんだけど
いや、ここが読みどころなんだよ
みたいな話してくれたら嬉しい 映画板に移って、映画論を戦わせてくれ
ここでは蓮實によるフローベール、大江健三郎、村上春樹、私小説などを論じよう >>104
映画は映像、文学は言葉
全然違うわ、ボケ >>102
>>103
映画板には(俺も含めて)馬鹿ばかりだ。それに比べてこのスレの住人のレベルは高いからな。
>>102
トピックを提供してくれてありがとう。ただ申し訳ないが馬鹿の俺では答えられない。まず蓮實のその本を未読だ。蓮實の本を読むにはフローベールをまずは読んでからだがまだ『感情教育』も『サランボー』も読んでいない。さらに『家の馬鹿息子』も当然未読だ。という訳で俺は完全に力不足だが、前にも言ってようにこのスレの住人は優秀だからいい議論が出来ると思う。
参考までにどこがピンと来なかったの(俺じゃ話甲斐がないのは分かってはいるが)? >>103
映画板で話すことかもしれないが、例えばフローベールについても『ボヴァリー夫人』については蓮實自身がアレクサンドル・ソクーロフが映画化したものについても言及しているから、蓮實の中では映画と文芸を明確に分けてないような思う >>106
わたしだってぺらっと読んだだけの
一知半解者で詳しい人に教えてもらいたいクチですよw
でもまあ、行きがかり上いわせてもらいますと
蓮實さんはフローベールは一切Emma Bovaryとは書いていない
ということをやたらドヤ顔でいってるんですが
それって蓮實さんがドヤ顔するほど凄い指摘なのかなあ
などと思ってしまったのです
なんか重箱隅ツツキ野郎感が気になったので
うーん、ってなったというわけです 蓮實は小説でも映画でも誰も指摘していない、どうでもいいことを
得意げに指摘して、悦に入っている性格なんだから、
それを分かった上で、蓮實の評論に付き合うしたたかさが大切だ
たまに映画の話が交じる程度ならよいが、延々と映画の話題を続けるのはやめてくれ でも、このスレで映画の話題を書き込んでいる連中は
フローベールや大江健三郎をろくに読んでないんだろうな
映画評論家もそんな映画バカだらけだしな 蓮實のテマティスム的テクスト論には俗流精神分析みたいなところもあるのよな、お前らには気づけないかもしれないが、ここには作者すら意図したかどうか分からないこんな連関があって、じつは構造的になっている、だから凄いのであって、お前らが有難がっているものなど習慣に囚われたものに過ぎない、本当にその精神に触れたくばまずは表面と戯れなければならない……まあ、20世紀的だよね >>110
それではあなたの蓮實のフローベール論に対する見解はどうなんです? >>110
映画バカの映画評論家など最高ではないか。文芸評論家の基礎はとにかく本を読むこと、映画評論家ね基礎はとにかく映画を見ること。ただクロスオーバーしているのは蓮實はじめ少ないのかもしれないが(中条あたりはどちらも少なめだと思うけど) >>110
前者はともかく後者の大江なんて時代錯誤の反日左翼じじいなんだから当時はともかく今の時代に読む価値ないだろ >>116
大江の小説を読んでないのがよく分かる
市民運動家の彼の言動と彼の小説はまるで違う フローベールに比べたら大江などカスだろ。並べるのが恥ずかしい。 >>117
『ヒロシマ・ノート』は心情的にも信条的にも合わなかったが、同時期に書かれた小説は全然違うし何より面白い >>119
その二人に漱石も加えて蓮實をみんなで論じればいい >>115
その発想の延長線上にラーメン評論家がある
ラーメン評論家のブログに蓮実文体との類似が指摘されるのも納得できる >>122
後学のためにそのラーメン評論家の名前を教えてくれ ラーメン評論ブログを何個か見たらうんざりするくらい似かよっているから私の言ってることがわかるよ >>105
脚本は文字で書かれている
戯曲は文学の範疇 蓮實は脚本を論じない
常に映像のみだ
それを忘れるな >>124
自己主張したけりゃ一個くらい貼れよ無能 >>124
山本とかはんつとか読んでみたが俺にはどこが蓮實文体との類似なのか分からなかった >>111
誰かにユングぽいと言われてたよな
日本浪漫派ぽい感じはする >>126
いや蓮實は映画のストーリーにも言及するよ
本当に映像だけを語っているわけではない >>130
ストーリーではなく、蓮實は脚本を論じない
>>125は脚本のことを指摘している 脚本を問題にすれば、外国映画の字幕翻訳のことも絡んでくるが、翻訳に触れたら、揉めることも多くなるだろ。
有名字幕翻訳家の戸田奈津子の誤訳を問題にする事件があって随分揉めた。 >>130
近著の『見るレッスン』でも脚本はどうでもいいと言い切っているからな >>134
映画の話題をやめさせたかったらそれ以上に文芸ネタを投入しないとダメだよ。フローベール論など全然続かなかったじゃないか 最近、蓮實さん訳の三つの物語+十一月が文庫で出たと思うのですが
誰か読んだ人いますか?
解説部分やフランス語の出来る方がいればその翻訳の特徴など
わたしのような素人(馬鹿?)にも分かるように教えてくれたら
チョーうれしい >>140
フランス文学スレにソルボンヌ博士だという住民がいる。
フランス文学スレでその人にきけばいい。 蓮實のその翻訳は20年前に講談社世界文学全集で読んだ
小説も翻訳も特筆すべきことはなかった
以上 >>80
じゃあお前はそいつらのスレにいたらいいんじゃないのか?
なぜコチラに来ているんだ? >>80
映画だろうが小説だろうが所詮最後は個人の趣味にすぎない
蓮實の言っていることも最後は本人の趣味の正当化ではある
じゃあその3人も自分の趣味を本にして蓮實のファンを奪えるようなものが出せるか証明したらいいだけだ 実際この人のファンて何に魅力を感じてるの?
本人の人柄は鼻持ちならない嫌ったらしい感じしか無いし、書いている文章はわざと韜晦めかして
どうでもいい様な些細な事を指摘してるだけだし。
権力欲が異常に強くて、エリート意識まる出しの薄っぺらい人というイメージだな
東大総長の肩書外したら、どれだけの人が見向きもしなくなるか興味があるね
フランス語が堪能ならば翻訳だけに専心してくれた方が、よっぽど意義があったと思う >>146
あなたが書いてあることがまさに魅力だな >>146
町山、宇多丸、高橋ヨシキのファンが敵視して気になる存在ってことじゃないのかな
この3人の「感想」は一般観客レベルなので、それはそれで俺らと同じレベルってことで大事だと思うよ 脚本を軽視してる蓮實は商業映画を撮れないわな
基本的に映画は脚本がないと金が出ないんだし >>149
別に本当に撮ろうとは思ってはないだろ。俺は映画の面白さは基本マキノのいうスジ・ヌケ・ドウサだと思っているが、だとか溝口の映画なんでもいいけど『近松物語』なんかを観ると映像が全てと言う蓮實の言っていることが分からないでもない ドゥルーズより志賀直哉がのほうが偉いで笑いを取りに来る。
天才より気違いの方が偉いには首肯シュコウ 蓮實や山根が取上げないと「知らない」「見ない」という映画ファンは、
映画ファンではなく、単なるブランド好き。 >>153
町山が行ったことをオウム返しにする連中も同じだな >>152
ドゥルーズは天才というよりは秀才だろう。ドラえもんで言うと出来杉くん→秀才、のび太→天才 そもそもドゥルーズと志賀直哉を比べてどうするという話。
そして、天才と秀才の違いなんてそれぞれがそれなりに分類しとけば良い話なのですよ。 志賀直哉と島崎藤村を比べたいね
白樺派と自然主義
『暗夜行路』と『家』 > 彼らはよく、社会に貢献したいと口にする。
> なんでも社会悪のネトウヨを自殺に追い込むことが、社会に貢献することなんだそうで。
> イジメや嫌がらせで社会に貢献できる教師や警官になるために、あえて帰化したんであって、祖国同胞を裏切ったわけではなく、心は●●人なんだそうだ。
>
> 昔は帰化すると裏切り者と呼ばれたりしたが、祖国に国籍を残したまま帰化する方法が確立された現在では、社会に貢献するためにむしろ帰化することが推奨されている。
> 拳銃所持で前科のある生粋の反日家ですら、今では普通に帰化している。
>
> ●●学会などはネトウヨ認定した日本人を盗撮して、痴漢の写真だと言ってばらまいている。
> それらの写真は、集団ストーカーに使用される。
> 彼らは集団ストーカーを、[地域で子供を守る安心安全パトロール]と称している。 蓮實さんの表層批評というのは文学で言うところのニュークリティシズムを映画でやろうということだろ
それそれでいいと思うが
それだけでは抜けてしまうところがあると思う
つまり話の面白さ、ストーリーテリングの技術といったそもそも面白いのかという根本的な認識が欠けてしまうように思う
特に蓮實さんの文学趣味を見ていると、つまらない作品を過剰に持ち上げているところをみると面白いものがわからないんだな 今時ドゥルーズ(笑)がどうこうで盛り上がるのは蓮實スレくらいだなw 物語は通俗的なので、評論家は嫌う
江藤淳もそうだった
文学ではいかに言葉が芸術的表現に達しているか、問われる
エンタメ小説とは違う そこが紋切り型だと思う
面白い物語を構築する技術というのは極めて高度なもので
物語を壊すよりも遥かに難しいことがわかっていない
面白いものを軽蔑し難解そうなものを称揚する
これこそインテリの紋切り型をやっている じゃあ、お前が物語を重視する文芸評論家になればいい 芥川龍之介と谷崎潤一郎の論争も決着はつかなかった。
芥川が死んでしまったからな。 面白さってのは筋だけではなく、ガジェットとかキャラクターとか構造とかいろいろな要素も含めてだけどね 物語だけを楽しんでほしけりゃですよ?
あらすじをA4一枚程度にまとめて
それを読ませてくださいよ
こっちは忙しいんだ、長ったらしいものを
読まされて物語が売りです! は迷惑だよ 蓮實の矛盾はハリウッド映画は物語構築の技術の結晶で
それを浴びるように見ているくせに
それには一切気が付かず
文学に対しては物語批判序説を書いているところ 三浦雅士が言っているじゃないか、蓮實重彦の批評は内容ではない。ただ戯れの軌跡を残す文体のみが思想の役割をもつと。
映画論もその軌跡の一つなのだから、物語としての役割は殆ど気にしてない >>171
何という本で言っているの? 読んでみたい >>172
柄谷行人「近代日本の批評」だったかな。
柄谷、蓮實、三浦、浅田4人の懐かしき討論集 三浦雅士って丸谷才一と鹿島茂とで『文学全集を立ちあげる』という本を上梓してて
その中で丸谷才一が嫌がってるのに三島由紀夫は文学全集からはずせないと力説してたが
派閥みたいなのには属さない人なのかね
山口昌男との共著や『村上春樹の読み方』なんて本も石原千秋たちと出してるけれど 三浦の「青春の終焉」は名著。
この人は文壇の人間ではないし、一番好きなのバレエとか舞踏だしね。
その辺はなんの忖度もいらなそうだな >>153
昔は日本でも文藝評論家などが社會的な影響力を持つていた時代もあつたが今の時代に評論家が評價してそれを作品や監督に對して一定の影響力を與へられる人間も蓮實が最後の人だろ 蓮實が若い頃は物語やテーマばかりを読む批評が幅を利かせていてそのアンチテーゼとして表層批評宣言をした気持ちはよくわかるけどな >>95
パゾリーニの初期作品は好きだと言ってたけどね 逆に評価してるセルジオ・レオーネもイーストウッドと組んだドル箱三部作は評価してないと言ってた 仏文学者や文芸評論家というより完全に映画評論家だよな 上梓してる書籍も圧倒的に映画関係のほうが多い たぶん後生の評価も映画評論家だと思う 何か虚しい感じもする >>179
パゾリーニの初期作品といっても『マンマ・ローマ』の名前挙げてて、蓮實が大好きなアンナ・マニャーニ主演作品だから、パゾリーニだからというよりマニャーニ目当てじゃないの。
レオーネの『ウェスタン』を除いて所謂マカロニウェスタンは大嫌いみたい。わざわざアメリカで撮られた西部劇ベストなんて企画やったりしてる(ちなみにその時の1位はペキンパーの『昼下がりの決斗』。スローモーション演出取り入れ出してからのペキンパー作品も好きだけど前よりも落ちるそう)。 80年代の蓮實・柄谷・浅田彰は磯田光一の仕事も批判してたが
磯田光一の『鹿鳴館の系譜』『戦後史の空間』などは名著だと思うがなあ >>183
他人の意見など参考程度に聞いてたらいい
間違ったことや馬鹿なこともいっぱい言っているから >>180
蓮實は小説より映画が好きだね
俺はもう映画は飽きてしまった
小説は古今東西の名作を読み尽くしたい欲求がある 海外の文学は原文で読まなきゃ意味ないよ
翻訳は絶対駄目
特に詩は翻訳不可能だよ 文学板では翻訳ダメ、原書のみという書き込みが多いが、
そんなヤツでも英語だけとかフランス語だけなんだよな
欧米だけでも、英仏独西伊露くらい読めなきゃ話にならない
それが出来る日本人はまずいないよ >>185
映画はトータルで何本くらい見たの? どんな本を読んでいるの? ≫英仏独西伊露くらい読めなきゃ話にならない
≫それが出来る日本人はまずいないよ
蓮實重彦は、露以外は読めるだろう。
ロシア語ができない(もしかして、できるかもしれないが)かわりにオランダ語やデンマーク語やスウェーデン語などは読めるのではないか。
なお、先生は、英仏伊については、それで映画評論を書くくらいできる。 >>188
映画は数千本、小説もエンタメを除いて日本、海外のものを千冊以上読んだ
文庫化され今も売られている有名作家はほぼ読んでいる
最近は絶版や未文庫のものを集めては読んでいる >>190
丁寧に回答いただきありがとう。その中から映画と本で5つずつ選ぶとしたら何になりますか? 今後の参考に是非させて欲しい 自国向けに文学売りたい人なんていないよ。求愛なんだから。
翻訳と原文を載せとけばいい。そうすれば押韻もわかる。 まあブッダの言葉でも訳者があれだと人生論みたいで宗教的じゃない。岩波は人生哲学。 しかし考え方がわかるだけでも翻訳は有用だが、その時その現実の問題を
翻訳はうつさない。 小津安二郎じゃないが、芸能界の「東京物語」とかあれば、最高に悲惨だろうな。
地方から出てきたタレント志願の女の子たちが、東京で下卑た男達に弄ばれ、AVやソープやに
身を落としていく。地元のタレント志願の女の子たちは割と安定した人生を歩んでいく。
サラリーマンでも、地方から出てきた組は色んなハンデがあって貯金も中々できないが、地元から
会社に通う奴は貯金もどんどん貯まる。仕事も落ち着いてできる。
今は、小津の「東京物語」の頃よりも、上京組と地元組の格差は開いてる気がする。
自分を振り返っても、地元の関西の学校を卒業して関西の会社に就職して、幼馴染たちと連絡を取
りながら、仕事をしてた方が遥かに良かった気がする。
上京のメリットが低下したか、殆ど無くなったにもかかわらず、上京の流れが止まらないから、日
本の経済や文化の停滞が続いてるのではないか?幼馴染たちとの連絡が無くなることは少子化にも繋
がってるような。 優良店に務めればいいじゃん。客運命の夫しかとらないで待ってるだけで部屋に入れない。 >>191
映画
ドライヤー「奇跡」
溝口健二「近松物語」
ヒッチコック「めまい」
ゴダール「軽蔑」
タルコフスキー「鏡」
小説
バルザック『従妹ベット』
ハーディ『日陰者ジュード』
カフカ『城』
フォークナー『響きと怒り』
埴谷雄高『死霊』 >>189
実用的なスピードで読めないと読めるとは言わないし、実際に読むのが遅い人はその言語では読まないと思う。
千坂恭二などドイツ語が読めるふりをしてるが、実際に読んだドイツ語の思想書などごく僅かだろう。彼など微妙な個所を読み取る力など殆ど無いだろう。
時間を途方もなく掛ければ読めるかもしれんが、それは事実上は読めないということ。 >>198
ありがとう。『鏡』は未見、本は全部未読だから大変参考になりました >>198
埴谷雄高の死霊は面白さがわからんな
バルザックとフォークナーは面白いが登場人物が破滅するなど悲劇で終わることが多いからへこんでる時に読むと精神的にきつい
あとバルザックは冒頭の舞台の説明が長くてそこは退屈 >>198
こういっては何だが映画を数千本観たにしてはメジャーどころ揃えてきてマニアックなものはなにも無いな
小説もそうだけど なんかどっかの真面目な昭和の文学青年みたいなセレクションだな 俺が聞いたことに誠実に答えていただいたのに、なんかすまない 俺が選んだ10作はオーソドックスで、あまり面白みはない
誰か他の人で、もっとユニークな作品を挙げられるなら、レスしてくれ ディレッタントは誰も読んだことのなさそうな作品を挙げない
なぜならスノッブに見られたくないから それでは聞いた俺から。観た映画の本数、読んだ本の数は遥かに少なく比ぶべくもないが
映画
『太陽がいっぱい』
『トリコロール』三部作
『汚れた血』
『右側に気をつけろ』
『逃げ去る恋』
本
『アルマンス』
『危険な関係』
『恋愛のディスクール・断章』
『不滅』
『奇岩城』 数千冊、数千本を通過したとは思えないセレクション。
その1/3の数で十分に挙げられそうです。
そして、数を挙げることのはしたなさに気がついていない鈍感さ。
どうせならば「僕らの7日間戦争 Part.2」くらいは挙げていただきたい。 イントレランス
風と共に去りぬ
ベン・ハー
アラビアのロレンス
地獄の黙示録
わたしも数千本は映画を見ているけれど、あえて5本えらべというのなら、↑のような誰でも知っているものになる。 自分の好きな映画・本披露はもういいよ
聞いてるの一人だけだろ >>210
底意地の悪さがにじみ出たレスだ
はしたなさ、鈍感さだって
わざわざ書き込むようなことかよ >>215
底意地の悪さがにじみ出たレスだ
はしたなさ、鈍感さだって
わざわざ書き込むようなことかよ >>198
人の好き嫌いに口出すつもりはないけど何か普通のラインナップだね
何か意図があるのかな これだけは、見ておけとか、読んでおけとか、言いたい人も多いからw
実際に友人の家に行って、本棚を見ると意外な本・雑誌やビデオやらが一杯見つかるものなんだよ。
そういう感動はネットでは無理。 映画
「元禄忠臣蔵・前後篇」
「金語楼の天晴れ運転手物語」
「女王蜂と大学の竜」
「偽大学生」
「怪談おとし穴」
文学
「成田三樹夫遺稿句集・鯨の目」
「夜明け前」
「粘土のお面」
「あくたれ童子ポコ」
「つづり方兄妹」 もしも仮に蓮實がこのスレにいたら、どうような映画や本を選ぶのだろう? 新潮に山根貞夫の追悼文
群像の大江追悼特集にも名前がある
いずれも新聞広告より あ、文学界にも名前がある
トリプルクラウンであるw 小説にしても映画にしてもマイベストって人格証明というか「わたしはこういう人間でございます」っていういわば履歴書なんだよ
お前らのベストからは自意識しか感じない 平野啓一郎 三島賞選評
[『伯爵夫人』は第二次世界大戦を背景に、体質的とも言える文体で、『摩羅』と『睾丸』と『おまんこ』の逸話を綴ってゆくが、ページを捲るほどに、生臭い大きな陰嚢に包まれてゆくような息苦しさがあった。/『活劇』として配置された『金玉潰し』は、ペンチで爪を剥がすといった類と同様で、文学とは無関係に強烈な痛みの感覚を引き起こすが、それに見合う高揚感や象徴性は欠けていた。知的な意味では、読後にこそ始まる小説なのだろうが、主人公の祖父が射精なしで『女を狂喜させる』ことに徹していた理由が、『近代への絶望』と『仄めかされる』点など、私は、つきあいきれないものを感じた。/本作を推した委員の一人は、自分はこの小説が好きではなく、新しいとも思わず、内容的にも無意味だが、この趣味の世界の完成度には頭を垂れざるを得ないとの意見だったが、私は全く賛同出来なかった。 「生臭い大きな陰嚢に包まれてゆくような息苦しさ」
平野文学全作品中の最高の文は、まちがいなくこれだろう。 >>224
蓮實のベストの選択からは何を感じるのよ 蓮實のスレだから、権威主義者が多いので、好みが狭い範囲に収束するのは致し方ないようなw ゴダールやトリュフォーらがまだ長編映画撮る前のカイエ・デュ・シネマで執筆してた今年のベストは有名作も多いから現在容易に観られるものもあるが未だに日本公開もされてなければDVDやBlu-rayとしても発売されてないような映画もあるな 蓮實重彦の増村保造の評價ってどうなんですか?
また蓮實の増村保造論讀める書籍があればヘえてほしいです。 他人の創造物にたかって飯の種にして
散々毒を吐き
自分が映画界に残した功績は1グラムも無い
評論家ほどの憎まれ役もない 蓮實重彦が他の評論家と違ふのは映画監督を何人も育てたことと、蓮實が評價したことでそれまで無視されていたドン・シーゲルやリチャード・フライシャーなどの娛樂職人監督の評價を日本で上げたこと。イーストウッドの評価が日本でも高ひのも蓮實重彦の影響だと思ふ。それからK澤や溝口と違つて海外ではほぼ無名だつた小津安二郎の評価を上げたことも功績だな。 映畫監督や映畫關係者への取材などの貴重な資料も殘してくれた。 旧字と新字、歴史的仮名遣いと現代仮名遣いが、ごっちゃなのはなぜか。 映画をたくさん鑑賞されている蓮實スレのみなさんは、
当然、映画音楽もたくさん聴いていらっしゃる。
そこで、坂本龍一の映画音楽に関する皆さんの評価はどのようなものか、
それをおたずねしたい。 「戦場のメリークリスマス」のメインテーマ「Merry Christmas Mr. Lawrenace」は教授のオリエンタリズムと西洋音楽の混交がみごと。
黛敏郎は一番好きな曲と言ってたな。それはどうでもいいか。
他の劇伴も使いどころ方が良くて、効果的になってたなぁ。
後期では「トニー滝谷」もとても好きだか、病気発覚後の「The Revenant」がイイ。
Alva Notoと共作で、旋律よりも教授好みのえげつないテクスチャー感が映像とマッチしててイケる。 ともに孫正義氏が大株主であるアメリカの芸能プロの所属タレントであったイーストウッドは、
坂本龍一に映画音楽を依頼していない。もちろん、同じ事務所のタレントであるYOSHIKIという人などは全く眼中になかっただろう。
日本を舞台にした『ブラック・レイン』『ラスト・サムライ』は、日本での配収をそうとう当て込んでいただろうに、
『ラスト・エンペラー』のスコア・プロデューサーだったハンス・ジマーが音楽を担当した。
ジマーは『カンフー・パンダ』とかのほかの東洋ものでも音楽を担当している。
これは、けっこう宣伝効果があっても、坂本龍一の音楽では、技術不足のためほかのマイナス面がおおきすぎて、
メジャー作品では「使えない」からではないだろうか。 黛敏郎は、弟子が穂作曲などで坂本龍一に浸かってもらっていたはずだし、
坂本龍一のお父さんとは友達だろう。 >>237
訂正
×孫正義氏
〇ソフトバンクホールディングス >>231
蓮實の増村への評価は高いのではないか。まとまった形での増村論は読んだことがないが。ただ同じ大映を支えた監督としては三隅の方をより評価しているように思う 蓮實は増村保造はかなり評価してたよ
三隅研次の他に大映だと森一生も評価してる
映画狂人に載ってるような短文で褒めるというのはあるけど、小津や溝口や成瀬巳喜男などを除くと、自分で日本の映画監督の本を上梓するというのはないんじゃないかな
蓮實の好きな加藤泰や鈴木清順や吉田喜重も単独で本までは出してないと思う
そういうのは山根貞男に任せてたんじゃないかな 映画監督論はもうお腹いっぱいだ
蓮實はなぜ三島由紀夫や村上春樹を嫌い、大江健三郎や中上健次を褒めるのか >>232
蓮實重彥氏に關しては樣々な評價があると思ふのですが(特にシネフィル)、K澤C、周防正行、萬田邦敏、鹽田明彥、山眞治などの映畫監督を生み出したといふ事實だけでも充分な評價を出來る人だと個人的には思ひます。 >>243
同じ大映でも田中徳三に対する評価はそんなに高くないような気がする >>244
当然お前はその答えを持っているのだろうから、まずはここで言ってみてくれ >>247
田中徳三もちゃんと評価してる
あまり見られてない監督だけど優れた監督だから是非観てと講演会で述べてた
作品だと『疵千両』というのがお気に入りなんだと >>250
そうなんだ。自分の不明を恥じる。何ていう題目の講演会だったのだろう。聞いてみたかった 60年代後半の学生運動や新宿のアングラ文化なんかには冷淡というか否定的だよね
音楽も初期の日劇ウェスタンカーニバルは見に行ってたけど自分にとっての音楽はパリ留学の時に聴いたアート・ペッパーのライブでおしまいとか言っててビートルズなんかのロックはやはり否定してる 蓮實重彦を語るなら、作品を自分で掘って宝物を見つけることってことなんだけどな。
肩を並べようと必死に後を追いかける姿ほど滑稽なものはない。 >>252
ジャズはそれなりに好きだったのかな。『随想』でアメリカの大学の学長とのジーン・クルーパとハワード・ホークスの『教授と美女』(多分に自慢は入っているが)の話を読んでみても >>253
そうやってあなたが見つけた物を映画でも小説でもいいから披露して欲しい >>249
>>255
こういうのを紋切り型という >>256
答えを持ってない馬鹿にだけは言われたくない >>256
言うなら蓮實のスレだしフローベールの『紋切型辞典』くらいのことは言ってくれ。もっとも読んではいないだろうが >>247
深作欣二しかり、工藤栄一しかり、鈴木則文しかり、中島貞夫しかり、「見てみると面白いのに、面白くないんですか」ということをわれわれはいい続けたわけです。東映だけの問題ではありません。大映の田中徳三や三隅研次についても同じことがいえました。
http://flowerwild.net/2006/11/2006-11-08_133443.php >>259
深作については『蒲田行進曲』の時に
「深作欣二はこれまで何のために映画を撮ってきたのか」と手厳しく批判してる 233吾輩は名無しである2023/04/09(日) 01:41:36.88ID:vNFyexmF
蓮實重彦が他の評論家と違ふのは映画監督を何人も育てたことと、蓮實が評價したことでそれまで無視されていたドン・シーゲルやリチャード・フライシャーなどの娛樂職人監督の評價を日本で上げたこと。イーストウッドの評価が日本でも高ひのも蓮實重彦の影響だと思ふ。それからK澤や溝口と違つて海外ではほぼ無名だつた小津安二郎の評価を上げたことも功績だな。 映畫監督や映畫關係者への取材などの貴重な資料も殘してくれた。
>>245
233は直さないのですか。 >>243
弟子筋の木下千花と吉田広明がそれぞれ溝口健二論と三隅研次論は書いてるからな >>261
この様子じゃ『紋切型事典』を読んでないどころか存在すら知らないな >>259
なんとなく蓮實の中での評価は三隅>増村>田中だと思い込んでいた。間違った認識を改めさせてくれてありがとう >>265
おそらくプログラムピクチャー系の監督に絞った話してるから増村保造の名前は出てないだけだと思われる。増村保造は作品がその種のランキングに何本も入るし無視されてたわけじゃないからね。
三隅研次とか田中徳三はキネマ旬報のベストランキングで名前が上がることはほぼないし批評家から軽視されてた職人監督のわけじゃん。一方で黒澤を論じてる人が三隅なども見ているはずなのに無視みたいな時代が続いたのも事実その文脈で話してると思われる。 蓮實は大映や東映の監督はよく褒めるけど東宝の監督だと成瀬巳喜男以外あんまり言及しないよね >>264
「私のレスは紋切り型ではないから的外れ」と言わないのは偉い。自覚があるわけだから。 >>268
少し返しが上手くなったじゃないか。>>261とは別人か? ただ絡んでくるだけではなく映画でも文学でもいいから話をしろ。蓮實スレなんだからな、分かっているか? >>267
そもそも黒澤明を評価していないね。それに松竹ヌーヴェルヴァーグの監督も評価は低いんじゃない? 大映『大菩薩峠 完結篇』(第3話)が森一生監督作品だということを昨日知った。
過去に3回くらい通して見ているのだが、しかし、これまで第1話,第2話とおなじく、
第3話も三隅監督作品だと思っていたのだった。 この板に「お前を犯す」そして、
「憎いはずはない」という三隅監督作品『眠狂四郎』(たぶん無頼剣だったと思う)のセリフを書きこんだら、
年寄だといわれたことがあるが、
むかしの映画監督の作品をたくさん見ている皆さんも
きっと年寄なんでしょう。 文学板なんだから、文学を語れよ
フローベール、シモン、夏目漱石、大江健三郎
お前ら、低能だから読んでないんだろ? >>270
蜘蛛巣城は傑作とか言ってたし全く評価していないわけではないと思う。ただ過大評価されてるとは言ってた気がするな。
松竹ヌーヴェル・ヴァーグの監督の評価だとこれだろうな 吉田喜重>>>大島渚>>>>篠田正浩 30年くらい前までの文芸批評家は映画を低俗なものと軽蔑してたな。
そう言う発言を当時の雑誌の対談で読んだ記憶がある。
蓮實一派が勢力を増すと、映画に対する偏見は少なくなっていった。
でも現在でも、映画を下等なものと一蹴する文学愛好家が一定数はいる。 いまどきそんな狭い視点でもの語ってるのは高齢者だろw
比べるものかよ 30年前にそんなとち狂ったこと言ってた批評家なんていたか? 花田清輝や埴谷雄高それに三島由紀夫や吉行淳之介や清岡卓行も映画について論じてる
花田清輝や埴谷雄高や清岡卓行は映画論の本を出してる
吉本隆明や寺山修司も映画の本がある
大岡昇平もコッポラの『地獄の黙示録』についてエッセイでかなり語ってた >>276
蓮實もSFやミステリーは低俗だと言わんばかりの振る舞いしているじゃないか
SF小説も一切読んだことないでしょ多分
同じだよ 蓮實はバタイユ『眼球譚』、クロソウスキー『ロベルトは今夜』、アポリネール『一万一千本の鞭』、ピエール・ルイス『母娘特訓』のようなポルノも性格からして低俗と全く読んだことがなさそうな気がする >>275
確かにそうだ。黒澤は過大評価と言っていた。また吉田のことはすっかり抜けていた。思い込みを正してくれて感謝 >>281
挙げている作家、作品はどれもフランス文学を語る上で欠かせないものばかりじゃないか。蓮實が読んでいない訳ないだろ >>281
加えて『赤い帽子の女』や『四畳半襖の下張り』も当然読んでいるだろう 評論家でしかない蓮實が映画監督を育てたというのは、まさに蓮實カルト。
映画監督は助監督の修業期間で成長するんだろ。
映画監督の経験もない蓮實が育てられる訳がない。
黒沢清、青山、周防その他の蓮實に対するお世辞を真に受ける奴が多すぎ。 >>285
蓮實が大學で映畫論の講座持つてたこと知らないの? >>278
むしろ蓮實が登場したことで映画を語るのはオシャレ、かっこいいみたいな風潮が出来て映画=高級みたいなイメージが出来た気がする 低学歴が当たり前に芥川賞獲る時代に文学の権威とか言っても じゃ、高学歴が支えるべき文化ってものが存在するんですか? >>285
周防なんか『変態家族 兄貴の嫁さん』観ただけで蓮實が育てたことが分かるだろうに >>286
だからそういうのを座学というんだよ。
座学だけではアクティヴな映画監督は作れないんだよ。
映画監督はアクションが重要。 >>292
蓮實の講座が監督論とか映画史だと思ってない?加えて技術の習得の前にいかに多くのインプットをするか、どのような姿勢で映画を観るかが非常に重要。蓮實はそれを教えた >>293
俺は>>286ではないがあなたの言っていることがよく理解出来ない。重要だと言っているアクションを体現している監督を具体的に何人が挙げてくれると分かり易いのだが キムベイシンガーとかいるじゃん。列車のエロス。論理哲学考。障碍者ポルノだと子の能力が
限定される。 >>285
蓮實から学んだというブラフが効く世界だから
利用しているんだからお互いさま ≫蓮實はバタイユ『眼球譚』、クロソウスキー『ロベルトは今夜』、アポリネール『一万一千本の鞭』、ピエール・ルイス『母娘特訓』のようなポルノも性格からして低俗と全く読んだことがなさそうな気がする
蓮實重彦の『伯爵夫人』は、ポルノ風だろう。
もちろん、ポストモダン的に利用したということではあろうが、
アポリネールの影響は大きいように思う。 >>299
蓮實は官能文学は好物だと思うよ(大がつくくらいに)。古井由吉でも『辻』を特に評価しているのではなかったっけ >>300
古井の『辻』はとてもよい
過大評価されている『仮往生伝試文』なんぞよりはるかによい
蓮實の文学鑑識眼はさすがだよ >バタイユ『眼球譚』、クロソウスキー『ロベルトは今夜』、アポリネール『一万一千本の鞭』、ピエール・ルイス『母娘特訓』
こんなのは大衆文学ではなく気取ったスノッブの好みそうな作品 >>290
発狂するな低学歴
インテリ間に於ける文学というものに対するプライオリティが
一昔前に比べて著しく低下したと言うだけの話
お笑い芸人が高学歴化してるのと対照的 >>304
ということは、ご自身で自分が社会的にも創作的にも全く通用せず、誰の相手にもされていないことにお気づきになった…ということでしょうか… 坂本龍一氏がテレビCМで宣伝していたエクソルが森林を伐採をしてメガソーラー発電所をたてたこと、
そして、坂本龍一氏が代表を務めていた森林保護を目的とする一般社団法人に協賛しているのが神宮外苑再開発を行う伊藤忠グループの会社であること、
坂本龍一というのは、ちょっと考えられないような人だとあらためて思った。 こういう坂本龍一を批判してる風な発言をされる方がここにもいる。
自分を含めた人間のアンビバレンツな側面が全く見えてない。
そもそも坂本龍一に何を期待しているのか。
おそらく80年代からの彼の発言を追ったこともないでしょう。 渡部直巳のアンビバレントな側面も全く見えないからな。
ちなみに、形容詞はアンビバレント。
また、アンビバレンツ Ambivalenzはドイツ語です。英語はアンビバレンス。 >>298
>>蓮實から学んだというブラフが効く世界だから
利用しているんだからお互いさま
俺はそういう賤しいことはしないのでお互いさまではない。
アポリネールのような貴族にはポルノは書けないが、
庶民の蓮實にはポルノは書けるはずだが、蓮實の才能的にポルノは無理だ。 アポリネールの『一万一千本の鞭』はポルノの傑作ですよ。
エロチシズム文学作品の中では、わたしは二番目に好きだ。
ちなみに、一番好きなのは『О嬢の物語』。 >>311
ポルノは見せびらかしたり誇るものじゃない。
サドにポルノは書けないが、ジョン・クレランドはポルノの傑作ファニー・ヒルを書けた。 それは『ラディカルな意志のスタイル』の「ポルノグラフィ―的想像力」におけるスーザン・ソンタグの分類に近い。
ただ、ソンタグはたしか、ポルノ小説の『ファニー・ヒル』は低級で、
エロチシズム文学であるバタイユの作品などは高級だ、というようなかんじで、
312さんとは価値観が逆だった。 >>312
ポルノとアポリネールの話が終わってからでいいので、アクションを体現しているとあなたが考える映画監督を何人か是非教えていただけませんか >>308
インチキをアンビバレントと言い替えただけ >>313
ジャネットみたいな他人の意見を紹介するだけの人間には文学板は楽だろうが、
俺のような陽キャでオリジナリティー豊かな人間には文学板のような他人の考えを盗んでやろうとか、他人の失敗を喜ぶ奴らが99%の板は面白くないんだよなwwww 大体が蓮實の顔が公に晒されていて、彼にポルノが書ける訳がない。
あの顔を思い浮かべたら、ポルノにはならない。
ポルノは基本的に作者はまじもんの無名でなければならない。 >>316
>>293の意見は単なる否定でしかないが。オリジナリティ豊かな所で説得力のある具体例をもって自説を展開して欲しいものだが ソンタグは、柄谷行人の天敵でもあったのだ。
対談、鼎談で、世界的知識人の中で、ソンタグはおそらくただ一人だけ八百長をしない人ですから。
リアルファイトが苦手な両御大にとっては、彼女はプロレスをしてくれなかったので、
対談の相手としてはもっとも苦手なタイプだったしょう。 >>320
対談、鼎談がプロレスであるとは正に言い得て妙ですね >>320
対談や鼎談をしょっちょうやってるのは日本だけだ。
欧米は殆どゼロだ。 >>226
気持ち悪い、鬱陶しい、知的退廃の世界。
文学者が尊敬の対象でなくなったのも当然だね。 新潮に載った山根貞男追悼文によると、シャンタル夫人は入院中らしい
蓮實は一人暮らしで、食事に不自由しているんだろうな >>320
松岡正剛は自分はソンタグに気に入られてたとかジョナス・メカスは会ってみるとつまらない男だったとか述べてるが本当かなあ
なんか山師っぽいところがあるんだよね >>300
古井由吉や後藤明生と同じ所謂「内向の世代」でも黒井千次、高井有一、阿部昭などはそんなに評価してないんじゃないの 細野晴臣の『地平線の階段』では、スーザン・ソンタグの本からの引用がけっこうあった。
柄谷行人の『リズム・メロディ・コンセプト』というエッセイは、
その『地平線の階段』から引用していた。
松岡正剛がソンタグに特に気に入られたわけではなく、
工作舎で翻訳をしていた英米文学者の木幡和枝が気に入られたのだろう。
松岡はその彼女の相棒ということでそれなりに接してくれたということではないだろうか。 木幡和枝訳
スーザン・ソンタグ
『この時代に想うテロへの眼差し』(スーザン・ソンタグ、NTT出版) 2002
『良心の領界』(スーザン・ソンタグ、NTT出版) 2004
『同じ時のなかで』(スーザン・ソンタグ、NTT出版) 2009
『私は生まれなおしている - 日記とノート 1947 - 1963』(ソンタグ、デイヴィッド・リーフ編、河出書房新社) 2010
『夢の賜物』(ソンタグ、河出書房新社) 2012
『こころは体につられて - 日記とノート 1964 - 1980』(ソンタグ、デイヴィッド・リーフ編、河出書房新社) 2013 - 2014
『イン・アメリカ』(スーザン・ソンタグ、河出書房新社) 2016 わたしとしては、『ラディカルな意志のスタイル』(むろん晶文社の)を
最初に読んだ時の感動は忘れられない。
いまや最初に読んだ時の感動が忘れられないなんていう気持ちになる本は、
そのほかに一冊もない。 スーザン・ソンタグの批評における美と倫理
鹿児島大学
https://ir.kagoshima-u.ac.jp › ...
PDF
柴田健志 著
↑を読めば、ソンタグと蓮實重彦の批評理念が,ひじょうに近いということがわかる。
そして、じつは浅田彰も近い。
ただし、蓮實や浅田の批評が、その理念に忠実であるかどうかは、また別の問題である。 >>335
ソンタグと蓮實や浅田がどう近いのか、もっと的確に一言で言えるはずだが。
やっぱり、ジャネットはキモをつかんでない。
こんなpdfをありがたがる奴がデカい面晒してるぐらいだから?
俺が自信を持つんだよ。 感性的認識というべきものがあり、
そして、すぐれた芸術作品は認識それ自体の範囲を拡張する、
このような考え方が共通しているのだ。
また、美についての感受性をつよめることが、すなわち倫理性を高めることだ、
という信念を持っているのも、これらの人たちのちかいところである。
ちなみに、柄谷行人は、そういうところは全然ない。
これまでわたしは、こういうのを新カント派美学だとおもっていたが、
バウムガルテンに由来しているらしい。
たしかに、ハイデガーもバウムガルテンのことを
あれこれ書いていたように記憶している。 なお、柴田健志氏は、バウムガルテンの美学とカントのそれと間には、
断絶があるかのように書いている。しかし、カントの趣味判断、美的判断に関する論説をなどは、
案外ちかいのではないかと思う。ハイデガーも、美の「認識」にかかわるときは、
カントの言う「構想力」(想像力)は、悟性におけるカテゴリーの拘束を離れて「彷徨う」というかのようなことを述べていた(『問う人と日本人との間の言葉についての対話』)。
これに関しては、ドゥルーズも『カントの批判哲学』で、似たようなことを述べていたと思う。 >>337
お前みたいに何でもかんでも似てるで繋がて行けば、
何も分からなくなってしまう。
お前の認識力がぼやけてるから、お前が説明すれば、何でも一緒になってしまう。 スレ全体を見ると、ジャネットが大量のコピペを投稿し、レスの間を右往左往することで、レスの流れが濁ってしまい、濃度が薄まり、何が何だか分からなくなってしまう。
それがジャネットの意図なんだろうが。俺やその他の人が鋭いことや重要なことを言っても、ジャネットのコピペの山と、無駄の多い、まったく研ぎ澄まされてないジャネッ
トの大量のレスで埋もれてしまうんだよ。 ソンタグと蓮實重彦の批評理念の共通点で、重要なものを一つ忘れていた。
芸術作品の個別性は、その内容ではなく、その様式・スタイルにある、ということである。 蓮實重彦が選んだ
BBC非英語圏の映画ベスト10
1位 残菊物語(1939年、溝口健二)
2位 その夜の妻(1932年、小津安二郎)
3位 鶴八鶴次郎(1938年、成瀬巳喜男)
4位 素晴らしき放浪者(1932年、ジャン・ルノワール)
5位 スピオーネ(1928年、フリッツ・ラング)
6位 ミス・メンド(1926年、
ボリス・バルネット)
7位 たそがれの女心(1953年、マックス・オフュルス)
8位 はなればなれに(1964年、ジャンリュック・ゴダール)
9位 悲情城市(1989年、侯孝賢)
10位 牯嶺街少年殺人事件(1991年、エドワード・ヤン) >>335
ソンタグの言いたいことはよく分かる
ただ蓮實は作品に驚くというよりは結構権威的だよ >>335
ソンタグの「反解釈」は批評家にありがちな作品を意味をかぶせて支配する態度を批判して
むしろ作品に対してひざまずくべきだということだと思う
蓮實のテマティスムは記述的ではあるが、規範的でもある(つまり価値をどっかから持ってきている) >>338
〈(カントは)超越論的理想が経験的に生産的な構想力の所産であることを拒否しているのみであり、それが
超越論的構想力の所産であることは、排除してはいない〉
(ハイデガー『カントと形而上学の問題』) >>341
>>ソンタグと蓮實重彦の批評理念の共通点で、重要なものを一つ忘れていた。
キモが分かってれば、忘れる訳ないわな。加えて、様式やスタイルを実際に鑑賞すること自体がジャネットには無理だ。
あんたは芸術音痴じゃないか。
スーザン・ソンタグも岡崎乾二郎も浅田彰も蓮實重彦もみんな、フォルマリストだよ。
その彼等は皆、クレメント・グリーンバーグ・チルドレンだ。
だが、日本における大きな問題は彼等が自らをフォルマリストとしたことは一度もないこと。
彼等はあくまでフォルマリズムやモダニズムを論じる立場であるにとどまっているのだとするところだ。
これは実質的に彼等がポスト構造主義者でありながら、それを否定することとも似ている。
だが、グリーンバーグやソンタグを除く彼等にフォルマリズムやポスト構造主義以外のアイデアがあるかといえば、皆無なんだよ。
これは非常に狡い態度だ。 >>350
>>
〈(カントは)超越論的理想が経験的に生産的な構想力の所産であることを拒否しているのみであり、それが
超越論的構想力の所産であることは、排除してはいない〉
(ハイデガー『カントと形而上学の問題』)
これは誤訳の可能性があるな。 +uFXq1Ghは渡部直己スレでセクハラパワハラアカハラの矮小化をはかってますね
太陽光発電のための森林伐採を認めていたらすべての森林伐採に賛成しないといけないのか
more treesで伊藤忠に協賛されたら伊藤忠の神宮外苑再開発に反対したらいけないのか
是々非々ではないのか
坂本龍一を「ちょっと考えられないような人」とまで呼んでおいて
渡部や早稲田の問題を「他愛ないといえなくもない」と片付ける
「資本主義の問題こそ重要なのだ」と言っとけばフェミニズムなど些細な事と高をくくっている悪しきスガ秀実イズムである
小池都知事の「しらけた返事」を擁護しているわけだが
公僕たる政治家はどんな市民の意見にも誠意ある態度をとるべきではないのか
「パヨク相手だったら政治家は失礼な態度をとってもいい」と言ってるようなものだ
322吾輩は名無しである2023/04/11(火) 17:10:15.89ID:+uFXq1Gh
坂本龍一氏がテレビCМで宣伝していたエクソルが森林を伐採をしてメガソーラー発電所をたてたこと、
そして、坂本龍一氏が代表を務めていた森林保護を目的とする一般社団法人に協賛しているのが神宮外苑再開発を行う伊藤忠グループの会社であること、
坂本龍一というのは、ちょっと考えられないような人だとあらためて思った。
被害者女性にはまことに申し訳ないが、渡部直巳は、他愛ないといえなくもない。
323吾輩は名無しである2023/04/11(火) 17:20:46.14ID:+uFXq1Gh
わたしは、小池都知事が好きなわけでもなんでもないが、
坂本龍一氏の手紙に対し彼女がしらけた返事をした気持ちも理解できる。
おもうに、小池氏は、元キャスターですから、マスコミ商売人同士、坂本氏がたいがいどういう人か、
よくわかっていたのではないでしょうか。 「坂本龍一こそ真の悪(欺瞞)であり渡部など他愛もない
小池都知事は坂本の悪(欺瞞)を見抜いていた」
+uFXq1Ghはこう言いたいのだ
そして渡部問題は問われない
そもそも柄谷蓮實が渡部早稲田のセクハラパワハラアカハラに知らん顔しているので
ソンタグとか批評空間の豆知識トリビアを披露しながら
渡部問題を「他愛ない」とやり過ごすのが21世紀の柄谷蓮實信者として正しいのかもしれませんね
「文学批評の可能性について、渡部直己ほど真剣に考え続けた者がいるだろうか。
その業績は批評の歴史における貴重な指標となるだろう」(柄谷行人)。
「明治維新を文章体験として相対化すること。『日本小説批評の起源』(河出書房新社、2020年)以降の渡部直己の仕事は、
その政治的な一点において他を圧倒している。その視点をさらに深く推し進めているこの最新作は、
批評的な実践がかつてなく弱まっている二十一世紀の日本にとっては過ぎた収穫にほかならぬ」(蓮實重彥)。 >>354
検索してビックリ!
その帯文、フェイクじゃないのね!
渡部の『子規的病牀批評序説』22月曜社に本当に蓮實と柄谷が寄せたものなのね!
蓮實も柄谷も内心ではゴマスリ渡部なんかバカにしてきたんだろうに、今さらセクハラクズ
にサービスしてあげなくてもいいのになあ。
このamazonの書評そのまんま。
「とかく文学の深淵の世界は浮世離れしているようだ。元東大総長が推薦しているようだが、
こういう著者を業界の重鎮や出版社が支持していると、この業界自体が社会から淘汰される
ことになるだろう」
河出も渡部のセクハラ発覚後に著書(『日本小説批評の起源』20)を出してあげてたようだし、
日本の大学・文壇ってマジ終わってるんだな、、\(^o^)/ ID:hAYrDYqYさんなどにいわせれば、
それはたんに、渡部直巳の批評は全体的にいいが、ある行いは悪かった、
ということなのだろう。
大澤真幸にかんしてもおなじことがいえる。
大澤はそのうえ、書いたものの多くを無料公開していますから、
ガツガツしていないというところは、私は非常に好きですがね。
私としては、言行一致というのは倫理の基本だと思っているから、
とくに言論人に対して、批評はいいが行いは悪い、なんていうご都合主義の割り切り方はできない。
むかしから森林保護活動をしていたような団体などが、ゾーニングについてちゃんと法整備をしてくれ、
といっていたときに、そういうのはそっちのけで、
震災のどさくさまぎれにソーラー、ソーラーという宣伝の音頭取りをしていた坂本龍一のような人が、
かたほうでは森林保護活動の一般社団法人の代表もやっていた。
なお、一般社団法人というのは、出資者に対し利益配分ができないということで、
法律用語としての「非営利」の事業体だというだけであって、一般用語としての営利事業ができないものではないし、
また、儲けた金を理事やら「従業員」やらが給料の形でもらうのは、何の問題もないのである。
要するに、有名人が自己のイメージを利用して金もうけでやっていたということにすぎないのではないか。 たとえば、暴力団が、動物愛護を目的とする一般社団法人をやっている、なんて話もあるらしい。 私は、小池都知事がいいとは全然思わないが、
海千山千のキャスター上がりの政治家だもの、
たいがい坂本龍一みたいな手合いは見飽きているだろう。
「明治神宮にお手紙を出したらいいのでは」というのは、
国と都にいうような俗受け狙いのことをしないで、直接神宮にいいなさいよ、
権利関係からすればそれが筋でしょう、
という皮肉だろう。 >>341
ソンタグは中身もちゃんと問題にしているよ わたしの祖父なんか、奉公に来た15の女の子に手を付けて
子供を産ませていますよ。それが地元に銅像たってますから。
なお、その女の子というのが、私の祖母です。 小池都知事の坂本龍一氏に対する返答が、それでも少し手心を加えているな思うのは、
わたくしにいわないで、坂本さんが直接お取引をなさっている伊藤忠グループにおっしゃれば、
とはいわなかったところだ。 安部首相が天皇家を圧迫してたのを小池は真似て、明治天皇所縁の財物へ地方権力者として、手を掛けたんだろ。
坂本龍一は出自的に神社の犬神人(いぬじにん)の立場から、神社の木を伐採することはまかりならぬと言っただ
けのような。 ≫「パヨク相手だったら政治家は失礼な態度をとってもいい」と言ってるようなものだ
↓も私の書き込みです。
雑談スレ
12吾輩は名無しである2023/04/11(火) 04:02:29.11ID:+uFXq1Gh>>20
池田信夫ブログ
戦争を「外交の失敗」と考える日本的平和主義
坂本龍一氏が死去した。彼の音楽についての評価はともかく、その政治的発言は陳腐な左翼の典型だった。(以下略)
13吾輩は名無しである2023/04/11(火) 04:05:24.56ID:+uFXq1Gh
“All war represents a failure of diplomacy.”
― Tony Benn
「全ての戦争は外交の失敗の表れである。」
「戦争は外交の失敗以外の何物でもない」
(ピーター・ドラッカー)
「彼(坂本龍一)が無知なのはしょうがないが…」(池田信夫)
「少なくともヨーロッパにはそんな(坂本龍一が言ったような)言葉はないが」(池田信夫)
坂本龍一は何もおかしなことは言っていなかっただろう。 >>359
内容について何も述べないで、作品の様式についてのみ述べる、
なんてことが、そもそもできないだろう。
内容について述べるというのは、つまりは概念について述べるということだが、
それは作品の一般化であって、一般化しえないような個別性はスタイル(フォルムではない)にあるのだ、
という考え方を、ソンタグはとっているということですよ。
柴田健志は、そのスタイルというのは、バウムガルテン的な感性的認識というべきものによって認識されるものだ、
というのだろう。
ハイデガーのカント的判断力の解釈風に言えば、内容は存在者であって悟性的なカテゴリーと図式機能の所産だが、
スタイルは、存在を存在たらしめている何か、であって、それは生産的な構想力の(直接の)所産のようなものだ、
といえるだろう。
悟性的なカテゴリーと図式の また、悟性的なカテゴリーと図式の機能によらない、
構想力に直接に由来する「理想」というべきものがある、
というのが、ハイデガーのいうことで、美(学)と倫理(学)とのあいだには必ずしも「矛盾」がない、
ということだろう。
こういうのは、たしかにポモ的な考えだろうが、ポモ的だから悪いということもないと思う。 >>362
神宮外苑地区におけるまちづくりに関する再要請について
東京都は、昨年5月、神宮外苑地区におけるまちづくりについて、多くの都民の共感と参画を得ながら推進するよう、事業者に要請しました。
この要請に対する事業者の取組状況を踏まえ、本日、改めて事業者に対し、早急に具体的かつ効果的な対策を示すとともに、主体的に実施するよう要請を行いましたので、お知らせします。
記
1 要請先
三井不動産株式会社代表取締役社長
宗教法人明治神宮宮司
明治神宮外苑苑長
独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長
伊藤忠商事株式会社代表取締役社長 東京都は↑のようなことは、前から言っていたのではないか。
三井不動産株式会社代表取締役社長
宗教法人明治神宮宮司
明治神宮外苑苑長
独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長
伊藤忠商事株式会社代表取締役社長
大岡越前ならともかく小池百合子は要請することしかできないのだから、
それに手紙を書いてもしょうがないので、
坂本龍一は↑に手紙を書くべきだっただろう。
とくに伊藤忠グループに対しては、わたくしの代表を務める一般社団法人は、
貴社グループとは縁を切ります、いままでお世話になったぶんは、わたくし坂本の私財からお返しします、
くらいのことを言えばよかったのではないか。 >>365
×「矛盾」がない
〇「矛盾」があるわけではない トウキョウは平家に荒らされてるから平家に高い敷居で避妊するべき。
でもことの発端は源氏の速い次元が犯してる。
というか正当な方がいるので源氏の街が東京じゃないなら東北にでも追われて終われ。平家は源氏の姫を人質にとるな。 代々木公園でも住之江公園でもそう眺めると妖気が漂うだろう。
国内もあれている内戦の一致が大事。 お互い様だが第一加害者は源氏、再犯は平家。
そうすると公園利用者など減って儲かるわけ。 >>365
×悟性的なカテゴリーと図式の機能によらない、
〇悟性的なカテゴリーと図式の機能の概念としての結合によらない、 関西阪神震災もあったしに明治神宮や増上寺、靖国神社の様な信仰スペックの寺社がないとな。
そういうことがトラブルを解決する。
とはいえ京都は宗教都市としてよく機能してるがスケールが小さい。
つまり檀家制度ってことね。 悟性ってのはハンデみたいな意味で見かけ上の能力での繁殖を否定した、人種差別思想のような
もの。 関西に阪神震災もあったし明治神宮や増上寺、靖国神社の様な信仰スペックの寺社がないとな。
そういうことがトラブルを解決する。
とはいえ京都は宗教都市としてよく機能してるがスケールが小さい。
つまり檀家制度ってことね。関東大震災後復興がポイント。 皇居とかも痛んでるしどうせなら新築にしたらどうだ。大戦を乗り切るのに
古城というのも。皇居の次の地主が来てもいい。 ある意味で軍師統帥みたいなのが要塞構えてりゃいいじゃん。君主は軍師に頭があがらん
だったら上だ。 君主より軍師の質で戦争が決まるのに君主なんて仰いでいれるか。
宮内省の病院もあるんなら、軍医師まで考える。 天皇将軍国王の次の出世になる若い身分が実権とか。権力とか。 軍医師のほうが社会のもとの役割である障碍者支援に詳しい。 万博の跡地どうかな。ユニヴァーサルが子供で 跡地の寺社に大人。
まあ四谷教会や神戸モスクも含めて。 民族血統が違うのに東京一極集中したのは歴史の間違い。 それを徹底しないといい種ができない。古い⇔新しいは平等ではいけない。 万博には世情で軍事的な面を押し出していかないと。予定変更。
相すれば日本二勝目とれる。三勝目が障害者芸術祭。三勝目まではい確証。 普通の兵士の能力のみならず死傷兵回復の能力で常に本命になっている軍の支部。 ロシアがクリミア(ナイチンゲールの聖地)がある強みというとわかる? 攻撃魔法がなくても困らないが回復魔法がないとどのゲームつまりリアルもクリアできない。 攻撃魔法は常になくてもいいが回復魔法は定期的にも急にも必修。 コロナの時代に人を傷つけること償うことの意味を問い直してみたい。
相手に恐怖やスリルを真に与えるのは呪い呪文などではなく実は祈り、祈祷という不思議な。 紀伊国屋書店
NAM生成
柄谷 行人/浅田 彰/坂本 龍一/山城 むつみ/村上 龍【ほか著】/NAM学生【編】
しかし、坂本龍一を批判して、批評空間グループ支持者みたいにいわれるというのは、
なにがなんだかわからないな。 意志と解釈的循環 ―ヨーロッパ精神の危機と 存在論生成の連関をめぐる試論 宗近真一郎( ) 大阪経済法科大学 アジア太平洋研究センタ
[…解釈と はむしろ対象内容に歴史的規定性を呼び込む反 動的な装置ではないのかと問いかけたのがスー ザン・ソンタグである。ソンタグは、現代的な 理解に相同する解釈行為によって世界は「意味」 というフィクションへと委縮すると明言した。 ハイデガーが現存在に肉薄すべき意志の媒介と して選択した解釈は、ソンタグにとっては作品 に接近し、それを疎外するための公準である。 もともとそこにあった意味(根源)を現前させ ることは、ハイデガー的には解釈の本旨である に違いないが、ソンタグは、世界そのものが解 釈によって感覚出来なくなり見えなくなる、と いう。 あげく、ソンタグは「解釈学の代わりに、わ れわれは芸術のための官能美学を必要としてい る」というマニフェストを述べるが、ここで転 倒されているのは解釈だけではない。意味も意 志も根源性もなにもかもが転倒されると考える べきである。その転倒は、実は、ハイデガーが 根源性への記述的意志を存在の解釈学と呼んだ ときに始まっていた。] >>396
誰だったっけ
文学の議論をやる時に柄谷が坂本龍一も連れてきて
素人を文学議論の場に連れてくるなと相互罵倒合戦みたくなった文学者がいた記憶がある wiki 神宮外苑
日本文化芸術研究センター - 2010年7月、老木大木など貴重な樹木が生い茂る神宮外苑内権田原交差点側の一角を伐採切り拓いて、京都造形芸術大学と東北芸術工科大学が共同で設置したサテライトキャンパス[25]。 2010年には、浅田彰が京都造形芸術大学大学院長だった。
そのころ「老木大木など貴重な樹木が生い茂る神宮外苑内権田原交差点側の一角を伐採切り拓い」た
ということであった。
坂本龍一は、小池都知事、都倉俊一文化庁長官らに、公儀の手紙を出す前に、
浅田彰と絶交すべきだっただろう。 wiki
一般社団法人more treesは、音楽家坂本龍一氏の呼びかけにより、2007年に発足された森林保全団体。
坂本龍一氏は、2007年にはすでに、森林保護活動のための一般社団法人を設立していたのである。 wiki 神宮外苑
(山口敏夫元労相は)東京五輪自体が当時の招致委員会評議会議長で、後の大会組織委員会会長森喜朗が広告代理店電通などとチームを組んだ再開発の為の巨大利権だったと述べている[16][17][注 2]。 坂本龍一
Ryuichi Sakamoto
サウンド生成・出力システム(スピーカー・カバー’モノリス’:FRP、鉄)
人工空間のなかで音による自然の刺激を
36Fのこの空間で足をとめると、ゆらぎのある不思議な響きが流れていることに気づきます。しかも、さまざまな音がさまざまな場所から聴こえてくるように思います。意識をして聴くと、音は常に変化し続けており、そのしくみに疑問を抱くことでしょう。
これは坂本龍一さんによる「windVibe」という、音の作品です。坂本さんは電通ビルに作品を設置するにあたって、「ビルという人工空間で長い時間を過ごすオフィスワーカーには、もっと身近に自然を感じてもらう刺激が必要ではないか」と考えました。そして出来上がったのがこのサウンド・インスタレーションです。オブジェのようなスピーカーが二組と、壁の中や床にもスピーカーが埋め込まれており、屋上の風向風速計からの電子データによって複雑なサウンドが自動生成され、広いエレベータホールをひたひたと満たしていきます。指向性スピーカー*を採用していることで、立ち位置を変える度に音の変化が感じられるのです。坂本さんは閉ざされたガラス張りの建物に「電子の穴」をあけて自然環境を取り入れる、と作品のコンセプトを語っています。 坂本龍一作の「環境音楽」が流れる電通ビル内で、
「ビルという人工空間で長い時間を過ごすオフィスワーカーには、もっと身近に自然を感じ(坂本)」つつ、
社員たちは「巨大利権」(山口敏夫談)のために働いていた、
というわけである。 独占禁止法違反容疑による起訴について
NEWS RELEASE
発信元:株式会社博報堂DYメディアパートナーズ2023年2月28日
当社は、2022年11月28日、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が発注する第32回オリンピック競技大会(2020/東京)及び東京2020パラリンピック競技大会に関して実施される各テストイベント計画立案等業務委託契約等に関し、独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いがあるとして、東京地方検察庁による捜索差押え及び公正取引委員会の立入検査を受け、以降、東京地方検察庁による捜査及び同委員会による調査に全面的に協力してまいりましたが、本日、当社社員が同委員会の告発を受け、東京地方検察庁より起訴されました。 2011年4月21日
伊藤忠商事株式会社(本社:東京都港区、代表取締役社長:岡藤正広)と環境コミュニケーション分野において実績を持つ株式会社博報堂DYメディアパートナーズ(本社:東京都港区、代表取締役社長:大森壽郎)は、協働でファッションをテーマにした地球温暖化対策プロジェクト「Fashion Earth Project(ファッション アース プロジェクト)」をスタートしていますが、この度、一般社団法人more trees(本社:東京都渋谷区、代表:坂本龍一氏)の協力の下、CO2削減を目指し、森林保全に関する取り組みを開始します。今後も環境保全の取り組みを広め、地球温暖化防止への貢献を目指します。 公園と寺社教会モスクなどが一体となったような。万博跡地に。 表参道など思い出すよな。
西宮えびすなどは集客はするが街中でごみごみしてる。 都市は生物からの恐怖退却してるんだけども、野生の生物に嫉妬させる何かはあるな。
しかしトウキョウに緑が多いということは未来計画緑を増やせということかもな。
都市がなかった環境を考えて人間のエゴと自然自然生物が共存する。
でも人間の種は比較的新しく生物に料理したり、案内したり、下取りの奴隷の仕事が
いいと思う。東京日本国中に生物が溢れたら。魔物も呼び込むだろう。 例えば森林公園浴を一カ月してる人としてない人を健康診断血液検査するとか。 ただの森林では環境が厳しすぎるかもしれない。森林公園なら環境にも連動して優しい。 芝離宮庭園になど行くと高速道路や新幹線の高架、羽田の発着便など自然と何層にも
またがる都市文明が共存していて面白い。 本来あったはずの自然、必然的に消えていった自然、その悪影響。 都市の土地を人間だけが使う開発で野原や森林を削るというのはよくないエゴではなか
ったか。 環境と文学 川村先生がやってたけど 大雪の日の六義園は雪が解ける都心より
雪が積もって綺麗でした。自然の生態系のコードなどが破壊されてはいないか。 単純に自然を守るというより共生なんだろうな。エゴを消して、自然に下取りして
自然の声を聴く。 子供たちから見てバッカスの魔法のように緑や森林が都市に食い込んでくるといいね。 インターネットも魔法のようだ。仕組みを知っている科学製品
ということじゃなく不思議な機械。 機械を知らない文明があったら彼らはどう説明するだろう、そのような意見が逆に
仕組みを知っている人より間違っていないのでは。 新女神転生シリーズの東京のマップそんなのと照らし合わせたら文明論になる。
重要なダンジョンポイントに緑が多い。 緑が孤立するから女性が孤立するのか、隠れ場所がないから痴漢やセクハラに会うのか。 女性らしさってのは女性の本質で都市構造自体で守ってないと。 女性だけを傷つけるなという議論じゃない、それと付き合ってるていた男性のこころの傷の
問題でもある。けども女性が主体自体なら、男性は副次助動詞的。 完全にということであればうちらの時代はひどい時代だった。改善より完全でなくては
ならなかっただろう。 トウキョウだけじゃなく都市構造に弱点があってはいけない。人が多く集まるというのも
楽しい反面セキュリティーが甘い。退却した人間は新しい問題に直面する。 自由民主党に監視の目がなくたとえば被害妄想のような、法律もセクハラを是認している。 そういうことも自然という人間の先祖、自然生物なども、に聞いてみなくてはならない。 自然から離れて自分たちで生きるというエゴに女性も男性も犠牲になってきた。 そういう意味では自然の復興自然への回帰、永劫回帰なんてどうでもいいだろ。 あと50年後の未来を思い描いてみている・・・・・。その頃には生後百年が近いね。 都市社会というのは自然生物の社会や人間の自然としての身体、精神の本質の欠落。不思議と自然で修行している
人が多いだろう。 古代では統合失調症は山に入っていってたというね。集落からはなれて。 間違ってる面と間違っていない面なら完全にはならないがパーセンテージを上げる
ことはできるね。 そうすれば生物たち人間も含めては新しいよりよいフェイズに入るだろう。 未来世界 アニメで見るような ではないということだ。 未来社会がもう存在するわけだが、それとは違うよい質のものになる可能性も
ある。未来をまねるのではなく未来を考える。 便利になっても人間の本質がスカスカになるようなことではいけないし
自然が多いほうが特殊能力がないなど精神の貧困も起こりにくい。 都市と郊外で宗教が成り立つような本当の意味での都市宗教。 そう思うと過去も未来も超えているだろう。将来予測。 プロジェクトに寄稿してるだけだけど。まあ一素案にすぎない。 「新・戦場のメリークリスマス」
天皇が重篤の状態にある1988年12月。
著名な作家となっていたロレンス元中佐に、
BBCから昭和史のドキュメンタリー番組のリポーターとして日本に行ってほしいという依頼がある。
ロレンスは最初は依頼を断ったが、孫の一言で、考えをかえ、引き受けることにする。
訪日したロレンスは、日米混血の女性アシスタント兼通訳とともに、様々な人に会う。そのなかに、原軍の遺児で右翼思想家・活動家となっていた原がいた。
よかったら誰か続きを考えてください。 村上春樹って何でそんなにダメなんだ
村上龍は評価してるがそんなに変わらんだろ あいつには日本がないからな
どこかの国を舞台にしても書けるものばかり
そりゃまともな文学者は好きにならんわ >>457
例へば、春樹の小說は登場人物と名前を變へれば外國でもそのまま違和感ない。村上春樹の小說には日本である必然性もないし土着性もない 233吾輩は名無しである2023/04/09(日) 01:41:36.88ID:vNFyexmF
蓮實重彦が他の評論家と違ふのは映画監督を何人も育てたことと、蓮實が評價したことでそれまで無視されていたドン・シーゲルやリチャード・フライシャーなどの娛樂職人監督の評價を日本で上げたこと。イーストウッドの評価が日本でも高ひのも蓮實重彦の影響だと思ふ。それからK澤や溝口と違つて海外ではほぼ無名だつた小津安二郎の評価を上げたことも功績だな。 映畫監督や映畫關係者への取材などの貴重な資料も殘してくれた。
↑は直さないのですか。 >>461
なぜ文学に土着性が必要なのだ? 例えば阿部公房を見よ 土着性でいったら初期の大江健三郎(障がい持ったお子さんが生まれるまでね)も日本はないと思うけど 春樹好きうざいな
勝手に好きになってろよ、ここに書き込むな
まともな人間は低俗すぎて読むにたえないけどな >>457
その違いが分かる人間だけが文学の玄人だ 日本語で書かれていること以外の土着性なんて語るまでもないことなんじゃないでしょうか 今我々に必要なのはハワードホークスについて語る事ではなく、
毒にも薬にもならないような映画を180本以上撮ったリチャードソープについて語る事だ。 ここは文学板だから映画を語りたければ、映画板へいけ >>463
横からだが、村上春樹に土着性を要求した柄谷行人、浅田彰、蓮實重彦らは、フォルマリスト的に典型である自己言及性を土着性と見立てて、それをフォルマリストとして要求したのではないか?
村上が小説の中で、自分の育った鳴尾の浜の変貌ぶりについて語る部分があったが、確かに、西宮や芦屋という地域に思い入れを持つのは難しい気もする。あの辺は海岸線以外に印象が無いがそれも随分変わってしまった。これが柄谷の尼崎の出屋敷みたいな庶民的な街なら、随分違ってたかも。浅田の神戸も何区か知らないが、新興住宅地とかだと、あまり思い入れが無いと思うが長田区のスラムとかなら懐かしいだろう。
西宮や芦屋は所得や生活水準や進学率が高いことを自慢するだけで、文化は何もないんだよ。 >>468
そうだな。ついでに450本以上の映画を撮った小林悟についても是非語ってくれ >>471
すまんが俺の頭では自己言及性がなぜ土着性なのか理解できない >>473
自己が生命体として土着性を持ってるとしか言えないね。
これ以上は言えん。 >>475
そんな面白い遊び道具がなくなってしまったいまの人(特に若い世代)は何で遊んでいるのだ? 村上春樹嫌いな人多いんだな
大学で近現代日本文学を学んだが大学教授で村上春樹を馬鹿にしてる人はいなかったぞ
埴谷雄高や中島敦を研究している教授も村上春樹は評価していた
だからなんだになるが文学部の教授も文学のプロではあるだろ
「低俗」の一言で片付けてよい問題じゃないのではないか 村上春樹の時代に早稲田の一文はなかったように思う。
あと早稲田の教育学部の文学系とか、後発世代がこれから席巻するかもな。
専門の師範学校なんていいもの書くよ。一文で文学が専門ですとか。
村上春樹ぐらいで難しいとか驚いてちゃいけないね。 慶應が記述、小論文 客観テスト とバランスよく伸びている。 しかし頭でかい政府に頭小さい人までつながれなきゃいかんのか。 >>474
やっぱり俺のオツムでは分からん。教えてあげてもいいという親切で奇特な人がいたら是非頼む >>477
同意。好き嫌いや小説感の違いは理解するが、低俗とかつまらないの一言で切り捨てていい作家ではない >>462
クリント・イーストウッドのような1.5流(決して2流ではない)の監督の評価が日本で異様に高いのは蓮實の犯した罪だと思うが、なぜあれほどまでに肩入れするのだろう 今年のカンヌ映画祭のコンペティション部門にノミネートされた監督だと蓮實は誰を評価しているのだろう(常連組含めて錚々たる面々だ)? それよりもヴィクトル・エリセの新作が楽しみなのかな? 映画の話題はやめろ
村上春樹は絶賛はできないが、無視もできない作家だ
エンタメ性が強いので、ノーベル賞は無理だろうがね しかし「ある視点」部門は名前すら知らない監督がほとんどだ。蓮實はこのあたりまでカバーしているのだろうか? >>462
蓮實にはジョン・フォードに続いて是非ともドン・シーゲルの回顧展をシネマヴェーラ渋谷でやって欲しい。もちろんトークショー付きで やっぱりな、蓮實の読者はレベルが低いんだよ。だから、蓮實が暴君になる。
元々、金井美恵子のような馬鹿メスを中心に集めて信者にして、信者向け商売をやってたのが蓮實自身なのだから。 蓮實が大江を褒めて石原を貶したら、金井が同じことを書いていて笑った
金井の小説なんぞ読む気にもならん そうなんだ。毎年やってたんだろうか。挙兵の時だったが。 将来は成功するかもしれないけどいらないもの学んでて迷惑、警察刑務所刑事裁判など
ミステリーとかぐらいか。 >>346
数ある小津の作品から『その夜の妻』とは。サスペンス味とユーモアもあって確かに面白いけど >>485
蓮實が大好きなヴィム・ヴェンダースとウェス・アンダーソンが出品してるな それに蓮實が評価してる是枝も出してる >>496
蓮實はヴェンダース好きだよな。『東京画』など自分が絡んでいることもあるかもしれないが(それにしても『東京画』は素晴らしい映画だ) たけしの新作は秀吉の映画か
ようやく撮ったのね
でも秀吉役がたけしなのはなんか違うんだよな
秀吉ってもっとチビでハゲでいやらしいイメージだからたけしの感じではない 秀吉といえば竹中直人
無能の人がベネチアで批評家連盟賞獲ったときは
竹中と蓮實が現地で握手してる写真が
映画のパンフレットに載ったはず >>500
『山形スクリーム』があまりに酷かったために以降は竹中監督作品を見ることをやめてしまって今日に至っているが、蓮實は彼を評価しているのかい? >>501
現物を引っぱり出してみた
ヴェネチア映画祭受賞記者会見録(抄録)のページに
蓮實重彦氏と喜びを分かち合う監督という一葉がある
パンフレットには蓮實も寄稿していて
(竹中直人は優れて「封建的」な映画作家である)
ゴダールの映画は誰にでも撮れるという宣言を皮切りに
それは「民主的」な平等の権利の擁護でなく
「誰でも撮れる」が故に、映画では血筋の良い者が
勝利するという「封建的」な美徳の擁護であると続ける
以下、無能の人の数シーンを取り上げ
とあるシークエンスなど「殆ど成瀬巳喜男ではないか」
と持ち上げつつ、「封建主義者」竹中直人は血筋が良い
監督であると結んでいる >>502
わざわざありがとう。しかし成瀬にも比肩しうるとは物凄い高評価だな。蓮實が評価しているからという訳ではないが『無能の人』だけは見てみようかな 映画しか語れないゴミどもめ
蓮實にはサラムボー論や感情教育論も書いてもらいたい >>502
実は映画監督としての竹中直人は余りちゃんと観たことがなく、前に試しに『サヨナラCOLOR』05
を観たらやたらどうでもいい小ネタ・脱線・説明台詞が多く冗長だったなあ。
あんなの切ればいいのに竹中本人は面白いと思っていたのか?
たぶん竹中に対等に意見できるプロデューサーではなかったのだろう。
脚本は馬場当と竹中の連名だが馬場は実際にどれだけ関わっているのか?
蓮實が『無能の人』91をそこまで評価していたのは知らなかった。
たぶん周防正行経由で竹中を知り、「シネフィルの俳優が監督に挑戦!」とそこで評価が
甘くなったのだろう。
※自分自身は『無能の人』は観ていない。今後も観る事はあるかな?、、
蓮實重彦については、セクハラ渡部直己の著書に帯文を寄せた時点で「そういう人」としか
言い様がない。
蓮實のこれまでの勿体ぶった言説など全て現実社会とは乖離した知的スノッブ向けジャーゴンでしか
なかった。
そうした虚飾を剥ぎ取れば年少の友人のセクハラに寛容になれてしまう如何にも日本的な
古くさい男尊女卑の高齢男性がいただけだったね。
ま、日本の或る種の教養人の紋切型ではあるか、、石原慎太郎や筒井康隆と同系の人種でしか
なかったな、、 蓮實重彦は、たしかにそういうところは、石原慎太郎と似ているかもしれない。
だが、石原慎太郎と一番似ているのは坂本龍一だろう。
この二人は、利権にたいする貪欲さが、ほかの知識人・文化人とはけた違いである。 >>507
前述のように『山形スクリーム』しか見ていない私が言うのもなんだが、貴方と同感で竹中の映画には観客不在の自己満足的なものが多いように感じた。キチンと映画の文法は意識しているし撮影監督の力量か綺麗な画もある。映画に関しての素養も愛情もある。しかし仕上がった作品は映画的な興奮を私にはもたらしてくれなかった。
竹中は仕上がった自分の作品を客観的に一観客として見てみるべきである。独りよがりの演出、自己満足の演出になっていないか(これは彼の演技にも言える)? 竹中は世阿弥の言う離見の見を知っているのだろうか >>505
で、『ボヴァリー夫人論』はどうだったのだい?
映画しか語ることの出来ないゴミより >>497
でも蓮實って『夢の涯てまでも』以降のヴェンダースはほとんど論じてないんじゃない?
『ベルリン天使の詩』もアンソニー・マンを観てから撮ればよかったと批判まではいかないまでも全肯定ではなかった
弟子の黒沢清は『パリ、テキサス』で見切りをつけて以後の作品は観てないそうだが青山真治のほうは最新作も追って観ていた >>511
確かにそうかもしれない。自分も『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が面白くなくてヴェンダースはずっと観てないけど。『夢の果てまでも』は結構好きで『ベルリン・天使の詩』は駄作。ともあれヴェンダースも77才ということで蓮實がこの新作を観るかどうかは別として自分は久々にヴェンダースを観てみるよ >>500
秀吉のイメージは緒形拳だわ
そもそも秀吉はあれだけ人たらしで魅力的などこか憎めない人物だと言われてたんだからこの人にならついて行きたくなるみたいな魅力を出せなければ行けないと思う >>513
秀頼可愛さのあまり秀次を切腹させただけでは飽き足らず、子供や女性を含めた秀次の一族を三条河原で次々に首をはねて公開処刑を行った秀吉のことは当然ご存知ですよね 吉川はすみん
本名 吉川蓮民
元自衛官の現役AV女優が政治家女子48党から世田谷区議選に立候補だとw
お前らどうすんの >>516
俺はどうもしない(出来ない)けど。蓮實がどうするかだ ビートたけしや太田出版はタケシのある事件を境にアメリカの諜報機関の手下になった訳だろ。
そしてそれに、柄谷行人や蓮實重彦は乗っかった。蓮實が小津の「東京物語」以来の動かざるを得ない日本人を撮った映画を評価するのは良いが、
ビートたけしの映画の警官のバイオレンスにはリアリティが少しも無くて、まるで日本の警官がCIAの諜報員のような超越的大胆さがある。 >>513
秀吉の身長150以下だよね
実際にそれくらいで世間的なイメージでも同じだろう
身長170で恰幅もいいタケシのイメージとは違うんだよな本当に ま、たけしの映画だからね。
仄めかされてる内容を聞いている限り、衆道だったり暴力的だったりがクローズアップされてアウトレイジの時代劇版の臭いがしているけど、フロイス的な視点でたけしの冷たい部分がうまく出てるとおもしろそう 豊臣秀吉なんて面白くなるわけがないだろう。
たいがい戦国武将ものの映画なんぞやめてもらいたい。 >>516
世田谷区民の民度が心配
蓮實スレの民度もアレだけど 浅田彰の言うようなポストモダンは、なんでもありだから、ソーカルの言う「知の欺瞞」だけでなく、
あらゆる「欺瞞」に、たいへん都合がいいのだ。 >>490
岡田斗司夫とか町山智浩の元祖やなハスミン 浅田彰も、友達ではないアーチストのときとおなじように、
普通に批評すればいいのだが、蓮實重彦が蓮實スクールの映画監督を誉める時とおなじように、
仲間内だと、どうしても大げさに褒めちぎるようなことになる。
やはり、そういうのはわざとらしいと思う。
浅田彰は、1990年代前半の映画音楽が坂本龍一のピークだった、という。
それはそのとおりだろう。
たしかに、坂本龍一の映画音楽には、ほかの日本の作曲家ではまねできない知的で品の良い美々しいリリシズムがある。
しかし、欧米の一流どころと比べると、悲しいかな技量的にだいぶ落ちるわけで、
楽曲的な出来栄えは、クラシックというよりは、歌謡曲のアレンジに近い。
浅田にしても、そうしたことは当然わかっていると思うのだが、けしてそれはいわない。
また、ポストモダン云々というところにしても、それは坂本龍一がいわばマルチタレント的な完成品だったとはいえる。
ただ、商業音楽に携わっているひとは、多かれ少なかれ、日本でも遅ればせながら、
みなポストモダン的だったであろう。 浅田彰は奈良美智を小汚い絵とか、宮崎駿を現代風の絵にアレンジした民話の絵本とか言って否定してるくせに村上隆は褒めてたから、アートに関しては一切信用してない 浅田彰はシュトックハウゼンの9.11は芸術という発言をマスコミによる恣意的な誤報と気が付かず「だからロマン主義は駄目なんだ」と批判してた時点で現代音楽批評も怪しいと思った
これがもしブーレーズの言葉だったら批判しなかったんじゃないの ほんとここいる奴らはコロッ騙されちゃう純真親父ばっかなんだろーな 個人的に又吉直樹の小説は好きじゃないから
なんで古井由吉があんなに可愛がっていたのか理解できない 反日本語論、親父に捨てられた。グレアムグリーン現作の第三の男の映画、ラストのオーソンウェルズをどう蓮見さんは捕えるかな?昼下がりの情事の蓮見さんの評価も気になります。 初期ATGって大島渚や吉田喜重そうして羽仁進や黒木和雄や松本俊夫それに寺山修司といったあたりでしょ
一時期大島渚にこって資料を集めてたことがあるんだけど
菅見するところ70年代の蓮實は日活ロマンポルノや鈴木則文には言及していてもATG系の作品や監督は特に何も論じてない
実は吉田喜重を褒め始めたのも遅くて本人は吉田喜重は1963年の『嵐を呼ぶ十八人』で認めたと述べてるけど
70年代の対談などを読むと所謂「松竹ヌーヴェルヴァーグ」そのものに批判的で
マキノ雅弘の自伝『映画渡世』こそ真の日本のヌーヴェルヴァーグだとか東映の「集団抗争時代劇」こそヌーヴェルヴァークとか述べてる >>534
古井のこと大好きだと至る所で言っていたからじゃないの? >>539
蓮實はともかく俺には実相寺昭雄の良さは分からない。二期会の『カルメン』も見たが演出先行で作品の本質を捉えてない。ただ『アリエッタ』や『ラ・ヴァルス』を見てないので最終的な結論は保留しておく 同世代の監督には厳しくなってしまう
みたいなこと言ってたな
若松孝二足立正生あたりの評価はしてないよな 同世代の監督に厳しくとは言うけど
同世代の小沼勝や曽根中生や澤井信一郎のことはリアルタイムでベタ褒めしてたじゃない うん
監督が同世代だと厳しい評価になる
偏愛してる同世代の監督がいる
両立するよね 蓮實昔はヘルツォークと比較してヴィンダース持ち上げてたのに最近は全く言及しなくなったよね
蓮實の近年の深作欣二評価は盟友の山根貞男の影響かな 山根貞男は石井輝男を評価していたが蓮實は石井輝男は批判してた
海外の映画監督だと山根貞男はウォルター・ヒルを絶賛していたけど蓮實は無関心だった
山根貞男は押井守や宮崎駿などのアニメ映画も評価してたけど蓮實はアニメは全然言及せず >>545
そうなんだよな、石井とか好きそうなのに(特に新東宝時代の作品とか) 映画なんてデビッドクローネンバーグだけ観れば良い。馬鹿げている。 クリント・イーストウッドの新作が決定したみたいなので蓮實も喜んでいるだろう。ここまで来れば作品の出来不出来などもはや関係ないだろうし 蓮實さんのフーコーに関する本があったような無かったような。 >>552
1978年に『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』という本は上梓してる ありがとうございます教えてくれて。図書館頼りに、読んでみます今度。 デリダが1番ややこしいような。東浩紀さんはデビュー作良かったなあ。郵便的! >>552
渡辺守章との共同編集だが『ミシェル・フーコーの世紀』というのもある ありがとうございます。フーコーもタンジール滞在していたと最近知ってびっくりしました。知の考古学、言葉と物、監獄の誕生だけしか読んでません。 ところで蓮實はアケルマンはどうなの?
今日都内で見てきたけど悪くはないけどめちゃくちゃ良くもなかったな 映画を観てから、蓮實の評価が気になる人が多いんだよなww
蓮實も信者もどっちもどっちwww 蓮實もヌーヴェル・ヴァーグ全般が好きなわけではないんだよな
ゴダール、ロメール、シャブロル辺りは好きなんだろうけどトリュフォーはそこまで好きではないと思ってる 山田宏一と共著で『トリュフォー最後のインタビュー』という本を出してるし
映画狂人に載ってるけどトリュフォーが亡くなった時に追悼としてトリュフォーの監督した映画でベストを作ってる
トリュフォーが好きじゃないってことはないんじゃないかな
逆さまにシャブロルはまた映画狂人だけど大した監督じゃないみたいなことを書いてた
まあシャブロルも評価はしてるんだろうけれど >>559
何ていうか蓮實はフランス映画に一時期距離を置いてて、所謂ポストヌーヴェルヴァーグの監督たち、ジャン・ユスターシュは大絶賛してるんだが、他のモーリス・ピアラには批判的で、フィリップ・ガレル、アンドレ・テシネ、ポール・ヴェッキアリなどは特に言及無しみたいな。「73年の世代」にもフランスの監督はあえて入れてない。
蓮實がまたフランスの映画監督を論じ始めるのはジャック・ドワイヨンやレオス・カラックスが登場しだしてからじゃないかな。 ゴダールは右側に気をつけろが1番かなあ。。。もう金が無いからクローネンバーグさんの映画だけ見れば良いや。ヌーベルバーグは無学の表れです。 蓮實重彦は仏文学者や思想家としてよりも映画評論家として後年名前が残ると思うよ >>564
俺もゴダールは『右側に気をつけろ』が一番だと思う。レ・リタ・ミツコのCD何枚も買って一時愛聴していた 右側に気をつけろ
東京国際映画祭で上映された時
審査委員長のグレゴリー・ペックが全く理解できず頭痛で体調を崩したという噂を聞いたことがw >>568
ゴダールが何も取れなかったのはそいつのせいだったのかw >>563
さらにその後のフランス映画の監督についてはどう評価しているのだろう。アラン・ギロデイは好きみたいだが >>566
英語版の蓮實のWikipediaも映画評論家、フランス文学者って順序で表記されてるしな >>570
ギロディ批判してなかった?
映画というより文学、的な感じで >>563
俺もそのあたり苦手だわ
ガレルはまだ好きだけど 教養という意味では戦前にバタイユらと一緒に当時最先端の思想哲学をフランスで学んでた岡本太郎のほうがありそうな気もする >>573
息子のルイ・ガレルも映画を撮る年齢になったのか。『バリの恋人たち』は嫌いではない。それにしてもフランス人は恋愛心情の映像化ということにかけては世界一かも >>572
そうかもしれない。評価しているのはギヨーム・ブラックの方だったっけ? >>571
フランス語版もその順番だな。もっとも英語版からそのまま訳しただけかもしれないが 蓮實は妻がフランス語圏出身なんだから、二人で協力して日本文学を仏訳したり、フランス文学を和訳したりの
作業をやってないだろ。だから、突き抜けた明晰さを獲得するチャンスを不意にしてしまった。夫婦仲が余り良くなければ
しょうがないwww >>578
『反=日本語論』の後書きだか解説だかにシャンタルが寄稿した程度か? Wikipediaは信憑性に疑いがあるから信用してないんだけど
それにしても英語版Wikipediaの三島由紀夫や村上春樹のページの情報の充実ぶりに対して中上健次はちょろっとしか書かれてないな
日本語版では中上はノーベル文学賞候補だったとまで書かれているんだけどねえ >>580
中上健次は英訳された小説が少ないからだよ
仏訳の方が多いくらいだ
ノーベル賞は翻訳が多くないとムリだ
そういう事情を知らない人間がすぐノーベル賞にふさわしいとか書くが、
さまざまな条件が整わないと、そう簡単に取れるものではない 渡部直己が中上健次と古井由吉と金井美恵子の文章は外国語には翻訳不可能と述べていたが
大江健三郎も翻訳出来たんだから無理ってことはないんじゃないの
サイデンステッカーの力が大きいとはいえ谷崎や三島の文章訳すほうが難しく思えるんだけど とにかく日本語を読める外国人の文学研究者がその作家に惚れ込んで
ぜひ自国に紹介したいと思ってくれないことには翻訳はされない
中上健次はそういう外国人に恵まれなかった だからそういう人を柄谷行人や蓮實が探すべきだったんじゃないの
あれほど中上健次に入れ込んでいたのならさ
それでも作家に惚れ込んでぜひ自国に紹介したいという外国の文学研究者がいなかったとすればある意味それが中上健次の限界じゃない >>584
なぜ蓮實は>>578も書いているが自分で(少なくともフランス語には)訳さなかったのだろうな?確か小津の未映画のシナリオは仏版ルミエール掲載のためにフランス語に翻訳したのではなかったっけ 蓮實夫人は日本語が上手ではないので、それは難しかっただろう。 >>586
蓮實一人でも十分に可能だと思うが、何か理由があるのかな? 中上作品レベルの日本の小説をフランス語に訳すのは、蓮實重彦でも難しいだろう。
そもそも、外国語で小説の文章を書くというのは、外国語の小説の文を母語に訳すのとは、
わけがちがう。
論文みたいなのならば外国語で書くのもそう苦労ではないだろうが、小説はそうはいかない。 外国語で小説の文を書くのが、そんなに簡単なことならば、
一攫千金をねらって英語で小説を書くような人がもっといてもいいだろう。 映画は虚構じゃ無いかと思われます。演技を現実的に撮影するわけで。早くクローネンバーグのクライムオブヒューチャーを観たいですが、再生機械のケーブルを親父に捨てられましたから、iTunes store で買います。 またそのゴダールを観た後に、あなた方がどういう行動を取るかが重要だと思いますとの確かスタジオボイスの見解が更に印象づけます。右側に気をつけろ。映画史は吉祥寺のバウスシアターに、幼馴染のインテリ女性を誘ったんですが、淑女的な断り方をされました。。。観たいなあ映画史。惜しい👦がいなくなる。 須賀敦子ってイタリア文学の翻訳者で明晰なエッセイストの人がいたが、彼女はイタリア人の文学者と結婚してた時に、イタリア文学の和訳と日本文学のイタリア語訳を夫婦で共同でやったが、そういうことをやらないと突き抜けた双方向の翻訳力は養成できないんだよ。蓮實は浅田に語学力の無さをからかわれるぐらいで、とても単独で中上作品を仏訳出来る力など無いだろ。
外国語で小説を書く難しさは、あの秀才のナボコフが「ロリータ」を英語で書いた時の辛さを告白したので分かるが、それですら、たぶんナボコフには当時、ハーバードの文学部の学生だった息子の手伝いがあったはず。
だから、大学卒業後にドイツ語を習得した晩学の多和田がドイツ語で小説を書いてることが、不思議なんだよ。ウンベルト・エーコの「フーコーの振り子」ではドイツ語の勉強は一生かかる、というぐらい奥が深いというが。
蓮實に中上の仏訳が出来るぐらいなら、浅田がとっくにやってるだろ。
語学取得にはセックスが関わってる。だから、非モテには語学の奥義を窮めるのは難しい。 >>592
だから須賀はエッセイの中で(何という題名かは忘れた)ドナルド・キーンの『紫苑物語』の英訳について色々と言っていたのは(もちろんネガティブな意見)そういう訳だ >>592
となると世界の言語の中でも難しいとされる日本語で小説を書いているリービ英雄とか楊逸とか李琴峰とかは凄いことなのか 浅田彰よりは、蓮實重彦のほうがモテるのではないか。 リービ英雄www懐かしい。しかしあのジャギはワイドショーはみやねなのかTBSなのか或いは噂の東京マガジンだかなのかわからん。日経mjとか定期購読系の卑怯なジャギか。Twitterのジャギ情報は正気の沙汰ではないwww 蓮實はフランス語や英語の小説を原書で読むことはできるが、
翻訳はあまり好きではないようだし、得意でもない
最近若い頃翻訳したフローベール『三つの物語・十一月』を文庫で出したが、
その解説は若い時のもので、新たに書いてはいないように積極さはない
サルトルのフローベール論『家の馬鹿息子』の翻訳も引き受けたが、結局やらなかった
まして日本語を外国語に翻訳するのはさらに至難の業だから、やるわけない
そこまで中上健次に義理があるわけでもない >>597
じゃあ蓮實がヴェンダースに頼まれてルミエールに載せるためな小津の映画化されなかった脚本(題名忘れた)を仏訳したのは例外的なことか 野坂昭如によれば三島由紀夫の華麗な文章は翻訳の際かなり削ぎ落とされ
むしろ英訳版のほうが読みやすいと当時言われていたんだと >>599
外国語への翻訳ということならむしろ野坂の文体の方が難しいようなので気もするが。三島の文体は華麗ではあるが理知的でもあるので英語にとかはまだ訳しやすいのではないかと思ってしまう 90年代に知的な物に少しでも関心があった文系の学生は文学系統なら『批評空間』を片手にし柄谷行人を崇め、映画関係なら『リュミエール』を片手に蓮實重彦を崇めると言うのがかっこいいって風潮があった 80年代は浅田彰の「スキゾ・パラノ」という言葉が流行ったな
ネオアカには中沢新一も含まれていた >>602
確か人スキゾ・キッズとか言われていた。今ではもう完全に死語だが 渡辺和博のマルキンマルビも流行った
1984年、中曽根内閣時代か 確か中沢新一を東大の教官に迎えるという話の時に採用賛成派と反対派で討論みたくなり
蓮實は賛成派じゃなかったっけ 今更ながらだが『小説から遠く離れて』を買ってしまった >>603
>確か人スキゾ・キッズとか言われていた。今ではもう完全に死語だが
そうでもない。千葉雅也の『動きすぎてはいけない』では浅田彰について、ドゥルーズ
の良き理解者としてかなり引用解釈されている。
《ここに現れる「対象を容赦なく突き放し切って捨てる」という表現は、きわめて
強く、酷にさえ感じられる。切断は、この場合は、能動的な知性による訣別の所作
に他ならない。スキゾ・キッズは、勝手に訣別する。溌溂たる訣別。しかし、
子供の「気が散る」こと、また「よそ見」「寄り道」という表現は、気が散ってしまう
、視点が移ってしまう、そして徘徊してしまうといった、もっと非意志的な身振りを
示していないか。スキゾ・キッズの本性は、受動的・惰性的な非知における切断
ではないのか。このことは、特定の対象への集中、視野狭窄、常同的な所作、ー
「自閉的な」ーにさえ、通じているだろう。》『動きすぎてはいけない』2013年
初版36頁
というふうに、2013年刊行の若い研究者の本でもドゥルーズ=ガタリの遺した
分裂症的思考は資本主義社会を生き抜く有効なスキルとして称揚されている。
それを日本で提示したのは浅田彰の功績みたいにね。 >>601
問題は“知的”な人間ではない圧倒的多数の人間をいかにして組織できるのかだよね。
柄谷・蓮實の愛読者など微々たるもの。愛読者だけじゃない人間をいかに組織できる
のか。2000年NAMはその萌芽にみえたんだろうが。しかし今から思えばアレもまた
世の中では少数の知的な集団にすぎなかった。
いつでも問題はそこに戻ってくる。 >>608
そうなんだ。千葉の著作は未読なんで知らなかったがスキゾ・キッズも浅田もまだaliveなんだ。もっとも『アンチ・オディプス』を数十ページで投げ出した俺には何も語る資格はないが、蓮實は千葉にとってドゥルーズの予期理解者なのか? 超越論的統覚は、じつは超越論的構想力(想像力)の所産である。
ゆえに、例えば、美の経験において、構想力が彷徨うとき、超越論的統覚もまた惑乱する(統合失調する)。
「スキゾ」論の肝心なところは、こういうことで、ハイデガーのカント論が先駆だと思う。 >>609
そういうエリート主義みたいなところを吉本隆明にスターリン主義者と批判されたんじゃないの 「真理」や「主観」の専制によるパラノ状態から逃れて、
複数性や自由へと開かれる生き様がよい、それをスキゾ的というのが、
『構造と力』のころの浅田彰の理解だろう。
複数性の自由がいいんだ、というのは、
ニーチェ→ハイデガー→アーレント、そしてドゥルーズやフーコーなどもポモ思想に受け継がれる考え方であろう。
なお、真理や(ひとつの)主観の専制政治による複数性の(いわば)「抑圧」、というのは、ニーチェの『権力への意志』に出てくる。
すでに『悲劇の誕生』のころから、似たようなところはあったようにも思う。
ドゥルーズも『ニーチェと哲学』で、(たしかにおぼえてはいないが)一章さいて論じていたのではなかったかな。 ちなみに、パラノ的思考の哲学に於ける完成形が、ヘーゲル弁証法だというのが、
当時のお決まりの理解だった。 ドゥルーズと法/マゾッホ紹介を読む
志紀島 啓 / シキシマ ケイ
( CiNii ID: 9000329424820 )
要旨 哲学者ジル・ドゥルーズは『アンチ・オイディプス』において、自身の思想を体現する形象として「スキゾ」の概念を打ち出した。それに先立つ『マゾッホ紹介』(以下ではPSMと略す)ではサディズムと対比しながら、マゾヒズムの論理が語られている。
PSMにおいてサディズムとマゾヒズムは、単に加虐・被虐を好む性的倒錯を指しているのではなく、法規範に対する異った二つの脱構築的態度として記述されているのである。そこでマゾヒズムという概念はのちの「スキゾ」の原形であると考えられる。PSMではドゥルーズの法規範に対する基本的な考え方が述べられている。ならばPSMを読解することによってドゥルーズの(反)法哲学を明らかにすることができるだろう。
本論ではドゥルーズが「マゾヒズム」と呼ぶ概念が(スキゾフレニーではなく)自閉症に近く、「サディズム」と呼ぶ概念がスキゾフレニーに近いことを示す。さらに法哲学の書としてPSMを読解する以上当然であるが、マゾヒズムの政治について批判的に考察する。 「ここに現れる「対象を容赦なく突き放し切って捨てる」という表現は、きわめて
強く、酷にさえ感じられる。切断は、この場合は、能動的な知性による訣別の所作
に他ならない。」(千葉)
これは浅田彰の「スキゾ」論に関して述べたところなのだろう。
浅田の「スキゾ」は、「サディズムに近い」ものだと、千葉は言っているのではないのか。
ほんとうは、マゾヒズムに近いものであるはずだろう、千葉はというのではないか。
しかし、志紀島的には、それはむしろ浅田に理解が正確だといううことになるのだろう。 〈スキゾ・キッズの本性は「(中略)「自閉的な」ーにさえ、通じているだろう。〉(千葉) ×千葉はというのではないか
〇と千葉はいうのではないか カットアップに対してピックアップを選んでたドゥルーズ、ガタリの本はあまりも下らない。ケインズやクルーグマンが正しい。 ドゥルーズ『マゾッホとサド』
[サディスト的イロニーとは、次のようなものをいうのである。 つまり、サディストはみずからの分解した自我を必然的に外部へと投射し、同時に外部なるものを唯一の自我として生きる手段たる、二重の操作をいうのである。]
これは換言すれば、自己分裂しつつ他者に対して開かれている、ということで、千葉雅也的には「動きすぎている」ということだろう。
浅田彰的な「スキゾ」は「動きすぎている」し、サディズム的である、ということになるのではないか。
浅田逃走論が、現在、オルタナ右翼的な「加速主義」として復活しているのも、
もともとが「動きすぎ」を称揚していたサディズム的な思想だったから、当然だということなのではないだろうか。 千葉雅也本人は、日本の場合、浅田逃走論の「消費の加速主義」には、
新反動主義的な加速主義に対する抑止効果があった、かのように述べ、
いちおう矛先をそらしているようである。↓
千葉雅也「エレクトリック」『新潮』2月号
@masayachiba
英語圏でD&Gのアンチ・オイディプスと言うと、70年代のアナーキー・ドラッグ文化もあり、90年代UKのニック・ランドなどのサイバー・リバタリアン方面もあって、バタイユともつながる破滅を辞さないテクノ加速主義という文脈がそれなりに文化的リアリティをもっており、そこが日本と違うことに注意。
午前0:46 · 2017年12月5日
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千葉雅也「エレクトリック」『新潮』2月号
@masayachiba
·
2017年12月5日
日本の場合、加速主義を「死へと爆走させる」というニック・ランド的な路線は(ランドは『千のプラトー』における脱領土化と領土化をペアで考える論理を批判する、脱領土化オンリーだ!と。僕とは逆だ)、浅田彰の「消費の加速主義」によって抑止されたのかもしれない。 >>617
「しかし、志紀島的には、それはむしろ浅田に理解が正確だといううことになるのだろう」
ちゃんと読んだら志紀島の説はそういうのではないようなので、
↑は削除。 《ドグマなき、ネオリベ全開のジャングルを生きるための現代思想》浅田彰×千葉雅也 “思想界の2大スター”が徹底討論
「ドグマなき」とか「多様性の時代」みたいなお決まりお定まりの文句は、
たぶん、千葉雅也の持論がそうなので、その線でいきたい、ということで題名やテーマになったのだろう。
浅田彰は、ああそうですか、いいですよ、みたいに、いつものテキトーに合わせていた感じだろう。 しかし、浅田彰は、表向きの「多様性」とは裏腹にドクマティックな画一性が、
現在のグローバル資本主義にもとづくリベラルデモクラシーの正体みたいに考えているのは、
明らかなのではないか。
浅田 千葉さんの言われた流れで言えば、東西冷戦終結後に多文化主義が広まる一方、そうした相対的な価値を通約するものは価格しかない、つまり多文化主義という表層の背後のグローバル資本主義がすべてを支配する状況になり、儲かるかどうか、役に立つかどうかのプラグマティックな〇×式思考が広まってしまった。それに対し、現実はもっと複雑なんだから複雑に考えようよ、と。 今時ドゥルーズガタリは下品なポルノ以上の糞話題だ。 >>624
「ドグマなき」は、当時というか近年のドグマの所有者の代表である
柄谷を意識して柄谷を挑発したのだろう。
ドグマと画一性は関係ないが。
ジャネットや青木じゃ無理。 石原慎太郎の登場って何であんなに文壇の大事件だったんだろう
『太陽の季節』やその後の作品を読んでも特に感心出来るところってない
福田和也が『わが人生の時の時』や『弟』を大絶賛してたから読んだけどそんなに良いかなあ 石原慎太郎は西村賢太が褒めてた「価値紊乱者の光栄」とか「自らを信じる情熱」とか初期のエッセイは若者の情熱的感覚に溢れてて結構好き。
保守政治家になり、くそツマンナイ発言繰り返して意識的に自らを汚しきった感はあるよね。 >>630
福田和也の鑑識眼はまるで信用できない
『ぼぎちん』なんて駄作を傑作と評価しているのはコイツだけだしな 石原慎太郎元都知事のおかげで最近行った新宿がとても良い街になりました。悪口書いて、申し訳ないです。石原裕次郎さんの歌が大好きです。ブランデーグラス、我が人生に悔いはなし、夜霧よ今夜もありがとうが好きです。赤いランプの終列車が聴きたい気分になります。 太陽の季節はあの辺りの文壇が小粒続いてる中で、若者視点のインパクトがある作品書く新人が出てきたから過大評価受けた部分はあるわな
福田和也が石原慎太郎の作品を褒めてたのは一種のヨイショというかネタなんじゃないか 福田和也って戦略的に保守やってた人だろうし
見る目自体は柄谷行人にも信頼されてたから確かなんだろうが、その戦略性故にどこまで本気で言ってたのかは分からないよなぁ
もっともわが人生の時の時自体は大概の人が褒めてるし悪くない作品だとは思うけども 福田和也は柄谷や浅田彰たちが坂口安吾を褒めてるのに対して
どう考えても太宰治のほうが小説は上手いだろと批判してたので小説の鑑定眼は確かだと思う >>627
ばからしいので、そういうのはやめてくれないか。
グローバリズムというのは、何もかもが世界市場の支配の下に服するべきだとする新自由主義のドグマーだろう。
《ドグマなき、ネオリベ全開のジャングルを生きるための現代思想》浅田彰×千葉雅也 “思想界の2大スター”が徹底討論
「ネオリベ全開」ならばグローバリズムのドグマの下にあるということでなければならないだろう。
「浅田 千葉さんの言われた流れで言えば、東西冷戦終結後に多文化主義が広まる一方、そうした相対的な価値を通約するものは価格しかない、つまり多文化主義という表層の背後のグローバル資本主義がすべてを支配する…」
というのだから、世界中が、「相対的な価値を通訳するものは価格しかない」というグローバリズムのドグマティックな画一性に埋め込まれているのだろう。 >>634
石原慎太郎に比べてリアルタイムでの第三の新人の評価って低かった
その後みんな文壇の大御所になっていくのだけれど亡くなってから現在でも読まれてるのって遠藤周作くらいじゃない
吉行淳之介なんて存命時の名声からすれば忘れ去られっぷりが酷い 昭和35年放映のテレビインタビューで谷崎潤一郎が
最近の若手の小説には関心しない、と否定的なんだが
石原の太陽の季節は褒めてて、意外だったな >>637
グローバリズムはドグマという程のものではないだろ。
もっと緩いものだよ。思想の教条というよりも、トレンドのような
軽薄なものだろ。 何か一人で突っ走ってる奴がいるなあ
やりたきゃ自分で専用のスレ立ててやれよ >>621
ジャネットは加速の意味を分かってないだろ。 >>642
誰のことを言ってる?
俺には一人が突っ走ってると言うより、殆ど皆が殆ど進んでないように見えるが。 >>613
スターリンは知的エリートではない。
柄谷や蓮實は庶民的に分かりやすく説明するほどには明快に理解していなかった面もあるだろ。 ジェフミルズさんは音楽は現実逃避だ、と哀しい言葉を言うので浅田彰さんの闘争論の英語でも読んで欲しい。音楽は現実であると思う。そして文学はある意味では総合芸術の映画より凄い。東野圭吾さんとか読むとそう思う。 力と交換様式を読む、は新書ですね。期待します。個人的に絶対買わなきゃならぬ。 柄谷行人『交換様式論入門』
〈レーニンは、労働者は自然成長的にはブルジョア的意識をもち、階級を揚棄する階級意識をもたない、
ゆえに、階級意識は“外部”から注入されなければならない、と考えた。ルカーチの『歴史と階級意識』(1923)は、それを哲学的に基礎づける仕事です。彼
らの場合、”外部“とは、指導的知識人(党)がもつ観念ということになります。しかし、これは、プラトンの哲学者=王と同じものであり、結局、党の独裁体
制を根拠づけるものにしかなりません。〉
こういうのはスターリン主義の指導原理の一つだ。
>>613
≫そういうエリート主義みたいなところを吉本隆明にスターリン主義者と批判されたんじゃないの
↑の方の理解は正確である。
>>645
この言いがかりのほうが、わけがわからないのである。 >>648
>>この言いがかりのほうが、わけがわからないのである。
言いがかりというような性質じゃないが。
わけが分からないのは耄碌のせいだろう。 バカな奴の書いたことが意味不明なのは当たり前だから、
耄碌でも何でもないだろう。 >>650
いよいよ、ジャネットの耄碌がはじけ飛んだかwww お前らは哲学板の浅田彰スレがあるからそこで続きやれ >>652
哲学板を追放されてから、2年ぐらいかw
俺のような鋭い奴を哲学板が許す訳無いだろw >>608
↑で浅田彰と千葉雅也のスキゾをめぐる話が出たから、
蓮實重彦の労作である『マゾッホとサド』に関係することを書いたのである。 内容の良し悪しは置いといてスレチだから、ちゃんと話したいだけなら哲学板に移住したら良いと思うよ
現状じゃただの半キチの荒らしとして白い目で見られてるだけだし
もし本当にそうならNGで対応するしかないけども… >>624
にしても文芸誌掲載の対談である。
そもそも哲学の話なんかしていないからな。文芸誌に掲載しているような雑学レベルの話をしているので。
柄谷行人も文学界で特集したばかりではないの。 >>601
で柄谷行人の思想誌と蓮實重彦の映画誌の話が出て、その後は、↓の私の書き込みしか蓮實重彦に関係する話が出ていない。
>>621
>>655 >>607
で、『小説から遠く離れて』を買ったという書き込みもあった。
これを見落としていました。 >>660
それは俺だ。まだ届いてないから読んでないけど 柄谷行人さん、交換様式はもしかしたら、バロウズのノヴァ急報からの引用ですか?Dとか書いてあるしなあ。スレ違いすいません。読書します。 スレタイに「スノビズム」とあるけど
これらのレスこそスノビズムそのものだと思う 俗物なのか?皆んなが皆んな?まあ俺もAKB48の恋するフォーチュンクッキーが好きだしなあ。そう言う意味合いなのか?www snob スノッブ (snob)は、一般に 俗物 、また スノビズム (snobbism)は
俗物根性と訳される。 多くの場合「知識・教養をひけらかす見栄張りの気取り屋」
「上位の者に取り入り、下の者を見下す嫌味な人物」「紳士気取りの俗物」
といった意味で使われる。 元々 イギリス の学生の間で使われていた 隠語 であった。
(wikipedia)
だからさしずめまあ蓮實の100%かどうかは別として、彼とか浅田彰とか柄谷行人
とかそのお仲間はその種の名詞が該当するってことでしょうね。まさにソレという(笑)
それでそういう知性を我々民衆のために善用してくれていたらまだそれでもいいわけ
だけど。閣僚を説得してくれたり。役人を動かしてくれたり。教育委員会を
動かしてくれたり。
たとえ鼻持ちならないヤツでもね。しかし彼らがやるのはたいがいは
大衆の無知を嘲り笑うことばっかり。「バカばっかりだからこうなる」みたいにね。
身銭を切って役人と衝突も辞さず動いてくれる奴らじゃないから。傷だらけに
なって大衆のために闘ってくれる人間のことをsnobとは言わないよ。
いくら我々でも。 ≫大衆の無知を嘲り笑うことばっかり
蓮實重彦、柄谷行人、浅田彰、がたとえそれだとしても、
坂本龍一のように、民衆の良心や善意を、売名と金儲けに利用しようとするよりは、
まだマシですよ。 坂本龍一はアイドルの歌謡曲作ったりして大衆のために働いてるじゃん 森林を破壊しまくっているような会社の支援を受けて森林保護活動をする、
というのは、統一教会の支援を受けてカルト宗教問題に取り組む活動をする、
みたいなものだろう。
蓮實、柄谷、浅田らは、そこまでテキトーなことはしていないだろう。 何だか前読んでた反日本語論が無くなったのが少し痛いなあ。 >>671
金のためで何が悪いの?
資本主義社会じゃない
それとも共産主義社会が理想なの? >>670
政府批判しておいて自分は国立の東大総長じゃん 表向き慈善活動なのに、実態は汚い金儲け、というのは悪いだろう。 それに、坂本龍一は、斎藤幸平の提唱するエコ社会主義を支持している。
つまり資本主義社会否定派である。 RADIO SAKAMOTO 気候危機に対する処方箋【20220501OA 坂本龍一 斎藤幸平】
坂本龍一はエコ・マルクス主義の旗手と、過少生産様式がいいんだ、
みたいなことでうなずき合っている。
ただ、斎藤幸平の商法が、かつてのポモ知識人の粗悪も粗悪な焼き直しみたいなものだから、
その言を真剣に受けとる人もいないだろう、ということで
坂本龍一はプロレスのつもりだったのかもしれない。 >>673
思ったより早く釣れたな。俺は金のためが悪いとは何も書いていない。>>675の意見には賛成するがな 蓮實と坂本龍一ってそんなに親密な関係なのかよ
糾弾するなら坂本龍一かYMOのスレでやればいいだろう
完全にお前らスレ違いの荒らしなんだよ 文芸評論家、フランス文学者、小説家としての蓮實重彦について、
スレッドの話題を限定したがっているあなたが、率先して何か書きこめばいいじゃあないの。
何か書いてくれたら、それにレスしますよ。 >>635
うまいから褒めるってのも違うんじゃないか?
坂口安吾の桜の森の満開の下みたいな傑作を太宰は書いてない 坂口安吾、太宰治、それらのスレッドでやったらいいのではないか。 『近代日本の批評 文庫版「明治・大正篇」P338〜339』
〈福本は( 自ら)考えたわけですよ。考えるってことは抽象的な議論を好むこととはまったく別の話で、ものを読むことができた上で、しかも分析=記述による健全なイメージ形成能力があるってことです。これは前にも言ったけど、明治政府を資本家による権力と規定した労農派的な見解が「二七年テーゼ」に盛りこまれたら、これはどうしたっておかしい。福本和夫は、知識と分析とによってそれ(明治政府)を「絶対君主制」と考えたわけだけれど、「二七年テーゼ」にそれが盛り込まれていないから、福本が(共産党の指導部から)消えたと思っているような人たちはものを考える資質を欠いているわけでしょう。〉
()書きは引用者。 683の座談会のときには、柄谷行人も、そうそう、なんてうなずいていたものだが、
最近は↓なのである。
There is no such thing as Japanese Marxism
An interview with Kojin Karatani
Brian Hioe and Houston Smallin
Following the Russian Marxists (the Comintern), the Japanese Communist Party regarded Japan’s political system as an absolutist monarchy where capital colludes with the emperor, representing the landlord class. It is clear that, their view was based upon economic determinism. They advocated overthrowing the emperor as absolute monarch, but it was absurd to make such claims in this period. Financial capital was dominant and universal suffrage had been implemented since 1925.
ロシアのマルクス主義者(コミンテルン)に倣い、日本共産党は、日本の政治体制を、資本が地主階級を代表する天皇と結託した絶対君主制とみなした。彼らの見方が、経済決定論に基づいていたのは明らかである。彼らは、天皇を絶対君主だとして打倒することを提唱したが、しかしこの時代にそうした主張をするのはばかげていた。金融資本が支配的であり、そして1925年からは普通選挙が実施されていた。 「福本和夫を福本和夫にふさわしく読むためにわれわれは21世紀を 待っていたのだ」
蓮實重彦 『福本和夫全集』こぶし書房 推薦文 坂本龍一さんをタメ口目線で言う人は死別の悲しさや残念感が理解できるだろうか? フェネズさんとタッグを坂本さんが請け負った曲を聴いたら、どう言うフィーリングなのかな。死者に鞭打ちたく無い私も死者に鞭を打つ。あまりにも悲劇だ。prohet5だかのアナログ的な要素は僕は音楽的なアナログシンセの温もりを理解してないし。スペルミスすいません。reaktorは俺は坂本さんより、失礼ですが、上手な自信があります。 >>688
いつかやっちゃんの演奏を聴きたいね。
実は俺は若い頃、仲間にやっちゃんと呼ばれていたんだw
俺のことを知らない奴は、「あいつはやくざなのか?」と不思議がってたがw
まじで、身体をいたわれ。 そういうと、僕もヤクザでは無いのに、"俺はヤの字"とか、寝言を言いますwww 僕よりも、IKTSさんの音楽をsound crowdで是非聴いてみてください。彼は楽器を全部売り、maxmspだけでフーリエ変換やグラニュラーを追求するelectronicそのもの電子音楽家です。コアな諸外国の方に高評価を受けてます。そんな尊敬するIKTSさんでも音楽で金銭を稼ぐのに苦労しているそうです。金銭的にサポートしてくれたら更に光栄です。IKTSさんだって置き場があればMOOGとか、アウトボードが欲しそうだし。彼の素晴らしい音楽をタダで聴く自分は嫌いです。 >>691
iktsはディスコで売れそうだな。
サウンドクラウドは従業員の20%を解雇したらしいが。 少しスレに話を戻しておくと蓮實は音楽について語るのはJazzくらいであとはほとんど何も言わないな。クラシックなどかなりの数をマニアックに聴いているとは思うのだが IKTSさんを上から目線で侮辱するわけ?てめえはmaxmsp使えるの?糞が。なんでディスコなんだよ!原辰徳だなあ。 日本でDjカルチャーからjazz,電子音楽、現代音楽を結びつけた第一人者は竹村延和だね。
もちろんmax使い。ブログも相当本読んでそうでオモロイで。 >>681
柄谷たちの坂口安吾評価って主に思想面だからね
夏目漱石より森鴎外のほうが小説を書くのは上手いと同じで純粋な小説家としての評価なら太宰治のほうが上でしょと福田和也はツッコミみたいなのを入れたんじゃないの 連投になってごめんなさいだけど
評論を書かせれば小林秀雄のように
歴史小説を書かせれば司馬遼太郎のように
小説を書かせれば中上健次のようにって
坂口安吾と中上健次の文学は全然別物だと思うんだよな >>696
ディスコでDJやって、自分の曲をバンバンかければ、収入も増えて、音楽機器も買えるだろ。
浅田彰が見事は晩年様式とした、坂本龍一追悼文が哲学板や文学板で話題になったが、晩年様式には
大江健三郎のそれがあり、その前にエドワード・サイードの晩年様式もある。坂本が好きだった二人の批評家に
坂本を並べたのは浅田の思いやり?
さらに、サイードのポピュラー音楽への言及はアドルノの影響を強く受けてると言うから、日本のアドルノを自称する浅田には
手前味噌の気味もある。
アドルノやサイードのポピュラー音楽、特にロックへの若干の嫌悪はやはり、ロック・スターの顔が音楽雑誌の表紙を派手に飾るなどの
アイコニックなところが、アドルノやサイードらの芸術批評家には受け付けられなかったということかも。
浅田自身もロックは嫌いだろうから、その点は確かに日本のアドルノを自称するだけある。
晩年様式や 浅田彰はロックを認めてるし
アドルノが嫌いだったのはジャズだぞ >>703
サイードもロックの影響力を認めていた。
多分アドルノはジャズロックを嫌ったろw
アドルノが亡くなる1969年頃にはジャズロックも
登場していた。 第3の男のオーソンウェルズをどう捉えるのかが気になります蓮實さんが。 frank zappaフランク・ザッパがロック関係の人物にしてはiconicアイコニックなところが非常に薄かったことが、アドルノの絶賛に繋がったかも。 蓮實は吉本隆明の追悼文で吉本にアドルノをやっつけてほしかったと書いてるのだからアドルノは嫌いだろう アドルノはジャズのインプロヴィゼーション即興を否定したことで有名だが、それで蓮實はむかついた。
蓮實は、運動神経の無い人間に文章は書けないと言うが、文学において文章を書くことは徹頭徹尾、インプロヴィゼーションであり、
それは蓮實にとっては運動神経のことだったから。
日本のアドルノを自称する浅田にとってのインプロヴィゼーションは、マイルス・デイヴィスの「クール」のこと。 >>710
文学板だから聞くけど亡くなった富岡多恵子の詩についてはどう思います? 竹村延和も即興嫌いなんだよな
嫌いというかそれただの手癖じゃねって 即興は能力の誇示でしかないからな
世界に立ち向かう振る舞いではない >>714
連歌の複雑な音楽版でしょ?
複雑な約束事を守る能力があることの誇示。 アルバートアイラーは苦手だ。マイルス、オーネットコールマン、sun raのsound of joy. 糞が!てめえらは宅録しねえから退屈なんだよ糞みたいだし知識が。 それらの名前をあげて批判って……
単にお前に音楽聴く耳がないだけだろ いや、あなたはDTMやってる?私は稼ぎまくり!tunecoreで!reaktorとreasonのプロだもん。糞が。 何なんだよお前らの音楽の話題。もう23年も宅録やっているんだよ俺は。 教授、高橋さん死んだから後追いなのかな。。。辛い報道ばかりだ。 坂本龍一の一般社団法人に金を与えて、その坂本代表のイメージを利用したグリーン・ウォッシュができなくなるので、
神宮外苑再開発を請け負っている商社や森林を破壊しまくっている再エネ会社も
きっと嘆いていることだろう。 マジで日本、在日帰化人の俺はウィリアムバロウズを一番愛して1番日本では詳しいんじゃないかなあ?山形浩生さんはビジネスが大変だからなあ。 >>725
訂正
×グリーン・ウォッシュができなくなるので
〇グリーン・ウォッシュをしていた会社は、それができなくなるので 蓮實スレは映画版でやってくれという要望も多かったのに、文学板でやれば、今の展開がむしろ
尋常だろ。 蓮實重彦は映画評論家だと思ってたからな
小津をえらく気に入って、小津映画の広報係みたいなポジションだった 東京物語とかクソだよな。やっぱりデビッドクローネンバーグ以外観なくて良い俺は映画。 >>732
映画の板では蓮實の映画の評論は極端だから嫌われてて、どのみち荒れるのよ
それにしてもここも荒れすぎ >>736
蓮實には信者が多いから、嫌う人も多くなるわな。 吉本隆明も映画の本を出してるけど
映画評論ではなくて何故今この映画がヒットしているのか、この映画が高く評価されているのはどういうことかみたいな内容の本だった
花田清輝って現在は忘れられて批判されてること多いけど、あの独特の文体って結構好きなんだけどな
「爆裂弾記」のような戯曲や「小説平家」のような創作も面白かった 吉本は貧困の思想だか買ったなあ。忘れた書いてたの全部。 花田清輝の「アヴァンギャルド芸術」所収エッセイ「ビイヴァ」はソ連の記録映画のビィヴァをディズニーのアニメ「バンビ」と比較して、
ビィヴァ上げ、バンビ下げを非常に無理してやってる。あれはいただけない。 [主人公の実存を、生得の本質から説明することがこの小説の目的であり、結論を先回りするならば、彼が、時間経過によっては、決して変化し得なかったことこそが最大の強調点である。従って、結果は原因であり、原因が結果なのである。]
(平野啓一郎『三島由紀夫論』「仮面の告白」論から)
この超絶的な天才の中の天才が書いたとしか思えない「『仮面の告白』論」の文を、蓮實重彦だったら、どう評するだろうか。 平野は三島自身が自分の出自に拘り続けたことを暗に言ってるんだろう。蓮實がどうとかより、ジャネットが先ず評するべきだろ。
蓮實に評する義務はないw
そういうとこがジャネットの耄碌なんだよ。 わたしとしては、実存や本質、原因や結果、という見慣れた言葉が使われているということしかわからないな。 >>743
三島が生臭いものや鶴屋南北の作品の怪異なものに
惹かれたことを考えてみれば良い。 蓮實スレで文学板だから聞くけど澁澤龍彦や生田耕作はどう?
仕事としてはいい結果を残していると思うけど 小川公代
@ogawa_kimiyo
芥正彦の「他者」に関する質問を受けて、即座にサルトルの論を援用する三島の慧敏さ。三島は、エロティシズムは主体的意思を持たない「他者」に対して発動するというサルトルの論を起点に、相手の「肉体を縛ることはそのエロティシズムにとって邪魔な主体的意思を封じること」という他者論を展開。
午後7:04 · 2020年8月26日 >>746
こいつはジャネットと同じくらい阿保らしい女だなwww セリーヌって結局フランスでは晩年に再評価されたのか
それとも対独協力者として不遇のまま亡くなったのかどっちなんだ わたしは、蓮實重彦先生訳の『マゾッホとサド』を座右の書にしているものですから、
小川氏のようなことはいいませんよ。 『三島由紀夫対東大全共闘』
[三島]私の大嫌いなサルトルが『存在と無』の中で言っておりますけれども、一番ワイセツなものは何かというと、一番ワイセツなものは縛られた女の肉体だと言っているのです。
サルトルが『存在と無』の中で自と他の関係を非常に分析しておりますけれども、エロティシズムは他者に対してしか発動しないですね。
今暴力の話が出ましたが、暴力とエロティシズムは深いところで非常に関係がある。
他者に対してしか発現しないのが本来のエロティシズムの姿です。
ところがその他者というものは意思を持った主体である。
これはエロティシズムにとっては非常にじゃまものになる。
ですから、とにかく意思を持った主体を愛するという形では、男女平等というのは一つの矛盾でありまして、お互いの意思によって愛するというのは本当の愛のエロティシズムの形じゃない。
相手が意思を封鎖されている。
相手が主体的な動作を起せない、そういう状況が一番ワイセツで、一番エロティシズムに訴えるのだ。
これが人間が人間に対して持っている(注─性的)関係の根源的なものじゃないかと思います。 蓮實重彦『伯爵夫人』の主人公二郎は、三島由紀夫らしい文学青年の平岡と同級生という設定だったはずである。
44歳になってもその平岡君は↑の通りだから、普通に考えて青年時代はもっと子供だったろう。
二郎のほうが、だいぶ「大人」だったのではないか。 サルトルがロリコンで、少女をサルトルに手配したのが彼のパートナーのヴォ―ヴォアールだろ。
ナボコフの「ロリータ」に登場するロリコン30男のフンバートはサルトルがモデルかもな。フンバートの体型的な下半身の貧弱さがサルトルに似る。ナボコフはサルトルが大嫌いだったという。
だが、やっぱり、女を卑怯なトリックや他人の助けを借りて女を拘束してレイプするよりも、民主的に女から拒否されるのが男にとっての幸せではないか? ボボあるとか、女だから当たり前だが、下品すぎだろw >>746
>>三島は、エロティシズムは主体的意思を持たない「他者」に対して発動するというサルトルの論を起点に、相手の「肉体を縛ることはそのエロティシズムにとって邪魔な主体的意思を封じること」
それはサルトルの体格や体力が貧弱だったことも大きいだろう。
三島の何時頃の発言か分からないが、筋トレと剣道を少しぐらいやろうが、身長の無さや、たいした筋肉量でもないから、女に見た目の恐怖感を与えることが出来ない。
身長2mで130キロあれば、大概の女は金縛りにあうだろ。 >>754
完全に見目麗しいという名前に負けている 自由を奪うと誘って逃げるだけでエロス性欲は弱い。
しかし緊縛などは思い出になるな。 死んだ後に刑務所はない。精神病院があるだけだ。神だし。 一番わいせつなのはね
人間の頭の中身ですよ!
しょっちゅう
エロいことばっかり考えやがって! 『凡庸さについてお話させていただきます』を再刊して
もらいたいんだが。 蓮實は三島のどこが嫌いなの?
おれは映画でも小説でもああいう強迫観念が強いというか何かに妄執するキャラの作品好きだけどなあ
ヒッチコックのめまいとかブニュエルのエルとか 文体の運動神経が悪いと言っていたような……
丸谷才一が三島を嫌っていたのは手元に本があるから簡単に説明すると三島の非論理的なところが体質的にダメ。『金閣寺』の美に対する嫉妬で放火も意味不明。自分が学んだヨーロッパ文学とは程遠いもの。「天人五衰」の御門跡が昔の恋人を覚えていないはアナトール・フランスの『ユダヤの太守』の真似で、晩年のピラトにイエスについて聞いてみると「イエス?記憶がない」と答える。あれは論理的。「天人五衰」のほうはわけがわからない。そんな理由。 >>文体の運動神経が悪いと言っていたような……
こういう主語の無いレスを無視するのが良識的なスレ民だろw
土人以下の人に文学を語って欲しくない。
「運動神経が悪い」という読者を舐めた言い方を平気でやる蓮實には文学を語る資格はない。
これが分からない人は蓮實と一緒に死ねば良い。 運動神経が悪いはたしかによくわからんな
自分は三島はむしろ今風のラノベっぽく軽快すぎる気がするけど 蓮實や柄谷行人が推してた中上健次は三島由紀夫のファンだったというのは皮肉だよね
何なら大江健三郎と三島なら中上は三島のほうを選んでた 三島は表象系の中村光夫(蓮實の先達)とも仲が良かったけど、三島には表象を超えたもの、つまり物質性が強かった。
それを中上は認めざるを得ない。 石原慎太郎も好きだったから単にマッチョイズムのほうに魅かれてたんじゃないの
晩年のエッセイも男の遺言みたいなお前は北方謙三かよというものまで上梓してたから 蓮實重彦スレ好きだったんだけど
荒らしがあまりにも酷くてもう誰も寄り付かない
なんか悲しい
どうしてこうなったのか 蓮實と全然関係無いジャズがどうした浅田彰はどうしたがずっと続いていただろ
それから一気に過疎った
昔はもっとこのスレに書き込む人は多かったんだよ 全くのウソである。
書きこむ人なんかもとも僅かしかいなかった。 >>774
実際北方謙三って過小評価されてると思う ジョンカーペンターはエスケープフロムLA最高。当たり外れ多い監督だなあ。しかし全く最近映画観てない寂しい。。。 「コラテラル」程度の凡庸なアクション映画を「知能指数が高い」とか言って褒めてる蓮實さんも焼きが回ったとしか言えませんなw
「焼きが回る」・・・歳を取るなどして頭の働きや腕前など、能力が衰えて鈍くなること >>785
まあヴェンダース程度を評価してたときもあるし昔から謎評価するときは多々ある フライシャー、アルドリッチを褒めてデパルマ、ウォルターヒルを足蹴にしていた頃はカッコよかったのにw 映画の題名や監督の名前を挙げても、
それのどこがどうだというのが一言もない。 佐藤忠男の言うところの「アメリカ映画は娯楽、ヨーロッパ映画は芸術、アジア映画は勉強」をアメリカ映画の娯楽作品でも芸術として評価すべきものはあると日本で広めたのは蓮實の功績ではあると思う
フライシャーやアルドリッチは本国アメリカでも2流のアクション監督という評価のようだし(アメリカ人が書いたアルドリッチ本にアルドリッチについての本を執筆すると言ったらロバート・アルトマンの間違いじゃないのと友人に聞かれたとある)
もっとも73年の世代もそうだが蓮實も芸術映画に対するこだわりは強くてイーストウッドを芸術家みたくあまりに高尚なものにしてしまったという功罪のほうの罪の部分はあるけど ビートたけしを評価してしまったレベルだから井筒監督以下の見識しかない こいつのが荒らしやろ
蓮實の話題でさえ荒らし認定して 文学板だから蓮實重彦の文学観の話をしましょうと言っても阿部和重とか蓮實は本気でその人の文学認めてるの?みたく案外難しいんだよな
どうしても例えば日本の近現代だと大江健三郎や中上健次や後藤明生とかの話になってくる
藤枝静男でも富岡多恵子でもいいけどさ
蓮實って世代が近いということもあり所謂「内向の世代」の作家を褒めること多いけど黒井千次や高井有一や阿部明らについては何か言及してる? 第3の男、原作のグレアムグリーンの方を図書館で英語で読みましたが糞つまらなかったです。グレアムグリーンってアメリカ人にとって日本人による村上春樹みたいなものなのかなあ。映画は素晴らしいですマジ。6回は観た。No.1映画をヒストリーオブバイオレンスにするか、第3の男にするか悩んでます。 >>794
第三の男って映画もぶっちゃけ微妙じゃね? ラストシーンが良いけどなあ。オーソンウェルズが観覧車に入ってくると鳥肌が立ちます。 >>796
『第三の男』は普通に面白かったが、映画史に残る傑作とまでは思わない 東欧や中欧の神秘化はウンベルト・エーコが最後ではないか。 鴻巣友季子 @yukikonosu
ヴィヴィアン・リー出演映画を観なおしてるけど、Waterloo Bridge は邦題が「哀愁」。
大尉が身寄りのないバレエダンサーの女性にぐいぐい結婚を迫ったかと思うと戦地に行ってしまい、
そのことで失職した女性と親友は食べるのに困って仕方なく街に立ち、終いには…という悲劇を「哀愁」というのはなあ。
ただ、これもヴィヴィアン・リーの代表作として定着しているから、邦題は替えられないでしょう。 後藤明生は「笑い地獄」とかまぁ面白い作品もあるけど、どうにも今となってはどうにもバタ臭い実存的不安とか不条理感といったモチーフがなんとも言えない恥ずかしさを感じさせる。
これを現在の通俗に合わせて書き直したとてうーん…
ま、好きな人はすげえ好きになりそうだけど、なんか田舎臭くてね 蓮實重彦の文章を引用して、それについての書き込みをすればいいのではないか。 後藤明生については蓮實がかつてやたら持ち上げたけれど、
今やほぼ文学界で取り上げられなくなった作家だね
自分は存命の時から、あああみだくじみたいな小説を書く人ねと思っていた 藤枝静男や阿部和重もどうってことはない作家だね
大江や中上とは格が違うし、古井や村上龍もこいつらより上 藤枝静男は面白い。大江、中上、阿部和重なんかと比べる人なのかは分からないが。
この人の力の抜き方と私小説感はたまらない寓話性を持つ 村上龍ってそんなに良いかなあ……
「コインロッカーベイビーズ」も「テニスボーイの憂鬱」も「愛と幻想のファシズム」もなんかなあ
吉本隆明が指摘しているように読んだあとに何も残らないというのが正鵠を射てるんじゃない ウンベルトエーコのフーコーの振り子だけは20歳の時で無学だったので、手に負えないくらい難しかったです。プラハの墓地でも図書館で借りてくるかな。 村上龍の面白さは、いなたくて劇画的な素朴さなんじゃない? >>804
後藤明生は文体が全く古びていないのが凄いんだろ
実力のある若手の書いた作品といっても今でも通用するぞ いま、このスレをだらーっと再読してて、>>280にハッとした。
純文学とエンタメの違いは、蓮實が読みそうかどうかであると、無意識に思ってる人たくさんいそう。
純文学とエンタメの違いだけでなく、あらゆる文学作品を、なんとなく蓮實の批評対象になりそうかどうかという
基準で脳内分類してる人ね。
俺もそう。そういう基準が心のなかにある。
京極夏彦を読んだとき「蓮實に相手をされない側だけど出来のよい作品」に初めて出会った気がしたのを覚えてる。 読んでてなんとなくこの作品、蓮實に媚びてるなあと感じることもあった。
阿部和重のデビュー作は極端な例すぎるけど、なんとなく蓮實に誉められたがってる感じがわかる作品ね。
たぶん脳内に蓮實が住みついてる作家もいるんだろう。
逆に自分の脳内蓮實を嫌悪してる作家もいるように思う。ノーベル賞ちょっと前の大江とか。 蓮實重彦の読書範囲は極めて狭いから
その外の巨大な領域には蓮實の影響力はゼロだけどね
文芸誌とか新聞の文化部文芸部門とかたこつぼの中で影響力があるかのように見えただけで
ミステリー、SF,ファンタジーなどのエンターテイメント
あるいは現代文学の世界では全然影響力はなかった 更新された筑摩のエッセイ、今回はつまらん
ロケット打ち上げ失敗は予想していたなんてどうでもいいよ エッセイは映画関係除くと蓮實はつまらないよ
本人は否定するだろうが典型的な左翼か戦後進歩的文化人という感じで
良くも悪くも元東大の総長だわと思う いや、俺は映画にはもう興味はないので、映画のエッセイはどうでもいい
大江など文学関係のエッセイは楽しいし、パソコンとスマホが壊れた話も良かった 「楽しい」「良かった」
アイドルのSNSと同じだよな
興味のない人にとってつまらなくても何の問題もない それじゃ蓮實が「教祖」と批判していた小林秀雄や吉本隆明と変わらないじゃない 今やハスミンが立派な「権威」であり「教祖」になってしまったな 誰も褒めない「殺し屋ネルソン」を孤立無援で賞賛し、
俺って天才じゃねと一人ほくそ笑む、そんな人間 >>819
そうなるとかつて柄谷行人がそれで小林秀雄をぶっ叩いたように坂口安吾の「教祖の文学」で今度は蓮實がぶっ叩かれる訳ですよ >>821
シネマヴェーラのドン・シーゲル特集は蓮實の陰謀か? >>1
大物映画評論家「シンゴジはゴミ。『君の名は。』は見る気もない。アニメ映画は映画と認めない」 [248929749]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1685454855/ >>824
いつもの蓮實の作為的な挑発ではないか。しかし2のレスの「だれ?」に驚いた。映画見てていい意味でも悪い意味でも蓮實の名前を知らないとは 此の御仁は今の本邦に於けるドラマ映画の実写界隈が
幼稚な価値観に堕落してるのを如何にお考えやら
役者女優ですらジャニーズやアイドル女優ばかりが偏重されてるし
世界観すら清純派の金太郎飴状態でグラドルやギャル等を排除するから多様性の現状に則してない
オマケに韓流の台頭を許しては其れと裏取引する様な
芸能界と実写界隈の不甲斐なさを >>824
NHK-BSで「荒野の女たち」放送せよ!
元東大総長の権威でゴリ押しに期待してるの俺だけ? >>825
Z世代が蓮實重彦を知ってたら逆に驚かない? >>828
映画ファンなら世代関係ないと思ったが、ニュース速報スレだったから無理はないかもしれない >>827
今年4月のシネマヴェーラ渋谷での蓮實セレクションのジョン・フォード特集でかかっただろう 柄谷行人ってどこまでも批評家だと思うけどね
海外で賞取るってことはそれだけ思想として無害ってことだよ
陰険な見方をすると「日本では革命論がこのように去勢されました」くらいの当てこすりの意味くらいしかないんじゃないか >>822
時代的にはほぼ確実にそうなんだけど
厄介なのはこいつをぶっ叩くと
半ば公然の秘密に留まっているはずの
批評行為そのものの終焉を公に宣言することになるんだよなw >>827
「東大総長」の肩書きなんて役に立たない ジョンウォーターズはシリアルママが一番好きだな。しかし結局はクローネンバーグになるなあ。。。最新作はつまらなそうですなクローネンバーグ。 ジャックロジエが死んだ。
ヌーベルバーグの終焉を感じますな。 ご冥福をお祈りします。ヌーヴェルヴァーグは何だったかを総括全て時期に来ているのかもしれません >>836
>>批評行為そのものの終焉を公に宣言することになるんだよなw
柄谷、蓮實や、彼らを教祖と仰ぐお前のようなゴミが終わってるという話であって、批評が終わった訳ではない。
お前のようなゴミカスは哲学板の柄谷や東浩紀スレに溢れてる。 >>843
先ず、柄谷、蓮實を師匠と思っていない。
>批評が終わった訳ではない。
その価値基準の根拠はどこにある?
テーマにしても技術史にしても伝統芸か漫談になるだけでしょ。
お前の方が批評の権威性にすがってるだろ?
表現における絶対評価の不可能性を加味してない。
蓮實の時点で趣味判断だよ。
小津の再評価や画面の運動を叩いてもせいぜい黒澤復権になるから、
そもそも蓮實をぶっ叩いても無意味ってだけ。
今や芸術そのものに可能性がないんだから。
お前が考えなしの豚で問題意識ないから
言ってることが的外れで、とんちんかんな属性を叩く暴言しか出ないんじゃないのか? >>843
世に出回ってる批評を見てみろ。
批評を批評していっぱしの批評になるものばかりじゃん。
ゲームやAI辺りでちょろっと再興するけど、属人的じゃないから、いずれ技術論や解説に負けるんじゃないか? >>843
このバカが考えた批評は死なないなんて態度は、いずれ居直りにしかならない。
好嫌ではない。商業的ではない。という批評を延命させるための批評になって、いずれアリバイ作りにしかならない。 >>844
>>半ば公然の秘密に留まっているはずの
批評行為そのものの終焉を公に宣言することになるんだよなw
これが権威主義でなくてなんだ。 >>847
公になればいいと思ってるけど?
なんで誰もやらないかの説明してるだけ。
質問も作れないのに勝手な決めつけで属性叩くなバカ。
むしろアンチ蓮實なのは読めば分かるだろ?
大方、そんなことやると痛い目見ますよ〜?って牽制に見えてたんだろ?
それはお前がスノッブだからだよ。 >>848
お前は権威主義者だ。話を逸らすな。
権威主義者には何の価値もない。
お前が何を付け加えようが、変わらん。 >>849
いい加減文脈読めば?
批評から権威主義的な根拠が消失することに対して、
お前が読み損ねた部分を書き加えてるだけだぞ?
読みが外れただけのお前の強弁で現実が変わるとでも思ってんのか?
シンプルにバカだからバカって言ってるだけで、批評から権威性が消えてもかまわんのよこっちは。 >>850
文脈を読めよとは笑わせるwwww
犯罪的にしつこくて狡くてせこいw
お前は今に凶悪犯罪を犯すだろう。 >>851
お前の理解力のなさや
蓮實派と決めつけたことを改めない態度や
主観の肯定ぶりのほうがよっぽど凶悪犯罪者の思考だぞ?
少なくとも草生やしても事実は変わらないけど、ほんとにお前頭大丈夫か? >>852
>>批評行為そのものの終焉を公に宣言することになるんだよなw
堂々とこういう馬鹿な発言をしたお前が他人に理解を求めるとか笑わせるなw
お前はゴミカスでしかない。
852の発言だけで俺はお前を切り捨てた。
まともな頭を持った人間はこんなことは言わない。
お前は凶悪犯罪を犯さないように慎重に生きろwww 以下は永遠に晒し続ける価値のある愚かで滑稽なレスですwww
836吾輩は名無しである2023/06/04(日) 04:34:32.38ID:FKZLGmqs>>843
>>822
時代的にはほぼ確実にそうなんだけど
厄介なのはこいつをぶっ叩くと
半ば公然の秘密に留まっているはずの
批評行為そのものの終焉を公に宣言することになるんだよなw >>855
そいつはただ厄介な事情を述べてるだけじゃね?
お前の読解能力の方がおかしいぞ >>856
>>そいつはただ厄介な事情を述べてるだけじゃね?
836の発言が、ただ厄介な事情とは、836も良い仲間を持ったもんだなww 要するに蓮實スレには俺以外は、馬鹿阿保しかいないということかw >>856
>>お前の読解能力の方がおかしいぞ
読解能力というなら、822を836は理解できたかどうか疑わしいw
お前ら阿保馬鹿同士の互いを理解する程度は、正常な頭の者には分からんだろww 最近の文芸評論家だと浜崎洋介が頭一つ抜きん出てるな 御前〈ムスィユー〉は「深層(意味)ではなく表層(テクスト/画面)を視(み)ろ」など云ったことが
当たり前になり過ぎて軽んじられてる風がある
御前〈ムスィユー〉が云うまで──少なくともこの邦(くに)では── “当たり前” ではなかったんだよ 世継ぎが絶えたことにより蓮實(偽)伯爵家は断絶か(´・ω・`) 深層と表層は上下するだけ。下は低級の粘り負け表象は心かわさず。 表層。20年前のあの子とこないだのあの子は同じイデアだがアウラが進む。
二十年という時間はない。記憶に永遠の時間がある。 2000前の戦場のソクラテスは二千年という時間を乗り切ったわけでなく
いまさっき戦場で戦ってきて息があがっていただけ。それが書き物読み物のプラトンイデアの永遠の時間。 カントの時間論がしぼむ。戦場の議論は互いをよく老けさせる。 対女性のネットや携帯検索はアリストテレスの詩学の時間。距離経験というものが
色気を放つ。 カントは永遠に失敗して死んだ。スピノザは永遠を分節している。 しかし死は永遠となり批判を止める。スピノザは永遠の未来子孫を掲示した。 ヒュームは無神教に対決し勝利、デカルトは思えずなく捕食された。 フロイトラカンユング
は精神身体のゆがみを分析慈善し、ヘーゲルは絶対永遠の精神を保証する。 ソクラテス以後ではヒュームが一番哲学的だと死のとこで随想していた。 カントと法律は相性が悪い。刑務所と精神病院の違い。 ライプニッツは量子力学でつまずき永遠に刑務所の中にいるも同じ。
ヤスパースの補完は余っている。 心理学より唯物自体神学かもな奴隷的で本質がスカスカであるから。 何か魂や精神のようなものは重税に供儀するもののような。 その方が現代統合失調症が自由。フリーだ カーロ 女皇
幻覚があるのはある意味幻魔がいるから。
マンデイ潮が満ちるは月経が障害に起こり梅雨の季節に台風寿近い。
シャーマンの祈祷で繁殖を担おうぞ。 神が造ったものでも悪魔が生んだものでも。そっち側にいる。あちら。 現代の精神は貧困で経済式は精神と相反する。盗み覗きたかり壊し抑制。 何もしないでいるのも過失何も知らないでいるのも過失しかし処女は天然で
精神を保持し神童に愛されるだろう。 資本と自由を分ける、祖国フランスの自由に精神の光あれ。 死刑の後の生物の思い。刑務所のレベルの低さと精神病院のレベルの高い陰口。 陽性症状と陰性症状 キリストヨハネは リズムが目立って単純すぎる。
独りで自我でカードを倒すこともなく、対射で多人格対応をその都度分かれさす。 キチガイはコテ附(つ)けてくれていてあぼーんが容易だから救(たす)かるは https://www.youtube.com/@novapolicelee
来週から7年ぶりにDTM始めます。チャンネル登録して聴いてくれたら嬉しいです。スレ違いですいません。 434 田中淳 ◆ANNA//s1pY [sage] 2023/06/23(金) 07:57:34.21
とうとう中上が岩波文庫入りしたか >>859
知識を提示するのとひけらかすのは違うぞ?
ひけらかすのがスノビズムならお前はただ前提の共有に対して悔しがってるだけで
バカを誇ってることにしかならないんじゃないのか? ずっとバカのさじ加減ひとつのお気持ちばっかで
スノビズムかどうかから話が進まないんだよな
こっちは批評の死について話聞きたかったのに 『山女』の公開が四日後に控えているが、時代の “宿命の女〈ファム・ファタル〉” である
山田杏奈のスクリーンに映(うつ)し出された “現在(いま)” を瞳(ひとみ)に焼き附(つ)けるために
何(なん)としてでも映画館に駆け附(つ)けねばなるまい 村上春樹が本当に気持ち悪いのはよく云(い)われるポルノ小説みたいなところじゃなくて
どうやら本当にかっこいいと思って(るらしい)嬉々としてナチス・ネタをやるところなんだよねえ このスレッドでは「ボヴァリー夫人論」はどういった評価なんですか(通りすがり) >>751
お気楽なこと言ってるけど
1989年の女子高生コンクリート殺人事件には届かないインテリの戯れ言だね 白黒映画や無声映画の話にしましょうよ。。。白黒映画タマラン。。。DVDプレイヤーが無い。。。 >>908
愛と暴力と他者の関係という
三島が言ったことが最も現れたコンクリ事件の事例を挙げて
三島が言ったことを否定してどうしたいのか >>751
ピンクサロンの女らはロープで縛られてなくても、風俗店のルールに縛られてるわな。
おっぱいや太ももを触られたぐらいで騒いだらいかん、怒って客を殴ったりしたら首だとか、店長に言い含められてるだろ。
ルールに縛られた女はまともに反撃する恐れが無いから男は安心して自分のスケベな欲望を解放できるんだよ。
単に男が卑怯なだけ。 >>911
コンクリ事件は身も蓋もない卑怯と劣情の暴走であって
愛とかエロティシズムとか文化の次元に達しない現代の野蛮
三島はこういう汚い欲望のアナーキーを予見できず
格好よく自己陶酔的に死んで行ったと言えよう >>913
そのエロを抑圧した果ての暴力だからな
根本は同じだろ
三島批判するにしてもその核は彼の語ったエロスの問題にはない
ナチに与したの一点張りでしつけのレベルでハイデガー批判してる精神勝利に飢えた連中と同じ 表層批評は云(い)わば洗練された印象批評
しかし芸術を鑑賞するうえでそれは圧倒的に “正しい”
「構造の分析」という “基本” を履修したあとはひたすら表層批評の “腕(うで)” を研(みが)きなさい 御前〈ムスィユー〉は三島なんか嫌いだし興味もないんだから御前〈ムスィユー〉のスレで三島如(ごと)きの名前出すなよw
“ラヴェル” が下がるw 蓮實が本当に一番好きな映画監督はマキノ雅弘とラオール・ウォルシュではないか? 御前〈ムスィユー〉はカサヴェテスの名前をほとんど出さないけど興味ないんだろうなあ
やたら日本のシネフィル筋(?)の間で人気あるよね今 三島は『仮面の告白』だけでいいよw
あれは本当に凄い
あとは要らないw
最初の一作で燃え尽きちゃった感じだな 『仮面の告白』だけエクリテュールの質が異質なのよ
あとは駄文の山 ヘミングウェイみたいだなw
『陽はまた昇る』という中々(なかなか)な作品を書いてあとは長いだけのハーレクイン・ロマンスみたいなのを二つ書いて終わったというw
とてもじゃないがフォークナーと並び称していい存在ではないw つか
今このスレってコピペおじさん居ないの?
>>コピペおじさん
たけしおじさん、COVID-19で亡くなっちゃったみたいですよ!
それだけを伝えたかった
ではまた二年後! グレアム・グリーンはイギリスの作家なのにアメリカ人と勘違いして
映画「第三の男」は最高とか……馬鹿か
だから「第三の男」も英米合作でイギリス人のキャロル・リードが監督してるんじゃねえか 逆だよ
蓮実に対してやたらと敵意剥き出しにする連中がバカだらけ >>928
ナチ原因でハイデガー批判って簡単じゃん 難解な物を有り難がるとそういう馬鹿げた発想に行きつくのか >>930
蓮實ってこういう場合分けを知らない安直なバカに支持されたのか >>930
お前が表象(笑)批評しかできないだけなんじゃないか? 重要なのは「マイナ・保険証 一本化」への賛否などではなく「マイナ」という醜悪な語彙を口にせずにおくことだ
https://www.webchikuma.jp/articles/-/3163 >>933
ならちゃんと言うわ。
ハイデガーのナチ関与に関しては新しいものは何も出てこないないぞ。
ガクチカ的な処世術としての正義感の披露には役に立つから頑張ってくれ。 蓮實重彦のデヴィッド・フィンチャー評価ってどうなんですか? >>936
歯牙にも掛けていないのではないか。ただ『Mank』だけはマンキーウィッツ(兄)の話だから多少は興味があるかも。しかし蓮實は『市民ケーン』は過大評価だと言っているし、そもそも映画はショットが全てでシナリオは関係ないと言っていりから内容はどうでもいいかも。もし蓮實がフィンチャーを評価しているのであれば、どなたか訂正願います 因みに自分はフィンチャーは『セブン』以外は面白いと思わない。『ゾディアック』とか長いだけでそれだけ時間かけても現実の事件のすざましさを描き切れていない。『ダーティーハリー』の方がよっぽど面白い。蓮實の見方が知りたいのであって誰もお前の意見は聞いていないって。はいその通りなんで引っ込みます >>938
そういった感想こそが必要だよ。
どのみち絶対評価を志向する人間は消えないんだから。
ショット論も90分適性論も物差しのひとつに過ぎないのに本人ならまだしも金科玉条にしてる読者の多いことよ。 弟子の黒沢清はドン・シーゲルでも「ダーティハリー」はなあ……という評価なのが面白い(マグナムという必殺武器が出てくるのがダメなんだと) 柄谷は初期デリダまでしか理解できなかったが御前〈ムスィユー〉は中・後期デリダも評価している
そこが大きな違い
柄谷は頭が固いので「テクストの戯れ」という戦略が理解できない >>937
ショットが重要=内容はどうでもいいにするなよw
御前〈ムスィユー〉は一度もそんなことは云(い)ってないw
御前〈ムスィユー〉が一貫して云(い)ってるのは映画はショットと内容両方よくないと駄目ということ >>942
『見るレッスン 映画史特別講義』で言ってなかったっけ >>940
二作目とか題名が『Magnam Force』だからな 内容に感動する感性がなかったらフォードや小津の映画になんか感動しないよw つまり、フォードや小津はショットも内容も善(よ)いということ >>945
シナリオ云々はまあ蓮實一流のレトリックだろうから、そのまま受け取れないが ジェーン・バーキンが亡くなったな。今日発売のキネ旬にシャルロットの『ジェーンとシャルロット』インタビューが掲載されていて不思議ない因縁を感じる。蓮實はセルジュ・ゲーンズブルクはともかくジャック・ドワイヨンは評価していたが彼女の死について何を思っているのだろう >>947
偽伯爵(実際は野州(下野国)士族(しぞく)) >>950
野州士族程度を御前と呼ぶあんたはどんな身分なんだよ? >>938
ゾディアックは蓮實は年間ベストに入れてたんだよな 「ソーシャルネットワーク」は好きかな
ウォルフガング ペーターゼンって蓮實好みしそうな監督だけど言及ないよね >>952
そうなんだ、『ゾディアック』は蓮實の好みなんだ。意外だった。さしたる根拠はないのだがペーターゼンは蓮實の好みではないのでは?『U・ボート』とか悪口言ってそうだし 過疎ってる文学板だけどなんだかんだで蓮實スレは埋まるのが速い フィンチャーってもう映画への情熱は無くなったのかな? 宇野維正の『ハリウッド映画の終焉』の中では『
Mank』は最後の映画を撮る監督たちの章に書かれていたが、論旨から言っても映画への情熱がなくなったとは読めなかったが ヴェネツィア映画祭のコンペにも新作の『ザ・キラー』がノミネートされているくらいだから、まだまだ映画な対する情熱はあるだろう。ただネトフリに本格的に軸足を移すかもしれないが >>951
農奴(のうど)から視(み)れば士族様の御当主は御前や ちなみに、『大岡越前』というドラマでは片岡千惠藏演じる越前の父親は越前配下の者や
町人たちから「御前(ごぜん)」と喚(よ)ばれていた
これは旗本なので大身(たいしん)と云(い)えば大身(たいしん)だが フィンチャーは『Se7en』あたりの頃は日本では馬鹿にされていたが、のちの作品で黒沢清に通じるような
「映像のフェティシスト」であることが理解されて日本でも人気が上がったな
実際、黒沢はフィンチャー好きなんだよな >>962
訂正
フィンチャーは『SE7EN』や『ファイト・クラブ』あたりの頃は日本では馬鹿にされていたが、 >>904
「ナチス被(かぶ)れ」は中学二年生で卒業しようや…
それじゃほんとの “厨二病” だよ… >>951
江戸時代、武士は全国民の7%しかいなかったんやで
御前〈ムスィユー〉の家は苗字帯刀を許された名家(めいか)や(だから御前〈ムスィユー〉もこれを誇りにしている)
君の家は、間違いなく農奴(のうど)や 最近なぜフィンチャーの話題ばかり振ってくるやつがいる? 蓮實の映画批評って惚れっぽく冷めやすいというか……
例えばインドのグル・ダット最高!と言ってたのに今は名前すら出しやしない フィンチャーの「映像のフェティシスト」っ振(ぷ)りは『SE7EN』の刻(とき)に既に顕(あらわ)れてたからねえ
オチがあれだがら誤解されたというか莫迦(ばか)にされたけどもw >>968
銀残しの話なら蓮實も食らいつくんじゃない >>967
ヴィム・ヴェンダースも一時期持ち上げてたのに今は話題にすら出さなくなった気がする >>969
あの手法ね
『EUREKA ユリイカ』のクロマティックB&Wにも通じるものがあるね 『ポゼッション』は御前〈ムスィユー〉はどう評価してるんだろうか
映像はヌーヴェル・ヴァーグ/73年の世代系統で好みだと想(おも)けど、
内容がグロくて下品だから好きではないか >>970
ヴェンダースは音楽ドキュメンタリーが多くなったり、良作を発表しなくなったから褒めようがないって感じじゃない?
かといって悪口も言いたくないだろうし
昔の作品派今でも好きだと想(おも)うよ 中上健次が亡くなったのが1992年
“ポスト ‐ 中上健次の時代” に登場した「96年の世代」
●文学 阿部和重 群像新人文学賞受賞作『アメリカの夜』(初出:「群像」1994年6月号)
●フットボール 中田英寿 リーグ戦デビュー(1995年3月25日)
●映画 青山真治 初の劇場用長編映画『Helpless』(1996年7月27日公開)
●J ‐ ポップ@(男性アーティスト) スガ シカオ デビュー・スタジオ・アルバム『Clover』(1997年9月3日発売)
●哲学 東浩紀 初の単著『存在論的、郵便的』(1998年10月30日発行)
● J ‐ ポップA(女性アーティスト) 宇多田ヒカル デビュー・スタジオ・アルバム『First Love』(1999年3月10日発売)
など
儂(わし)は詩壇については昏(くら)いんだが、この時期に登場した表象文化論系の詩人で
代表的な人がいたら訓(おし)えてくり >>975
❌リーグ戦デビュー
⭕リーグ戦デビュー(Jリーグ) >>970
いい加減1人の映画監督を褒めるために別の監督を貶す論法はやめてほしい
ヴェンダース持ち上げるために蓮實がファスビンダーを貶したから海外では巨匠なのに日本だとほぼ無名の存在になってる
これはスペインのカルロス・サウラも同じ
スペインを代表する監督だが蓮實がエリセ褒めるのに当時叩き台として使ったから日本だと微妙な評価のまま だったら、ファスビンダーが好きな人、カルロス・サウラが好きな人は言説で御前〈ムスィユー〉に
“闘(たたか)い” を挑めば善(よ)かったじゃん
御前〈ムスィユー〉は嫌いだから言説で叩いたわけで、それは言論の世界では当たり前のこと
自分(たち)に “腕(うで)” が無いのを他人のせいにしちゃいけない 「批評」とは自分の好き嫌いを表明することだろ
それを已(や)めろとか言論封殺だは 「言論」とは “真っ向勝負” の “腕と腕” の場だからな
手加減してくれとか、“甘い” 浮雲
人情紙風船
西鶴一代女がようやく日本でも4KリマスターBDが出るみたいだね 蓮實重彦も今年で87歳だから昔から言っていたフローベール論をいい加減完成させてもらいたい
仏文学者としてもそれを書かないと意味がないでしょう
それに同じく昔から予告してたポルノ小説を書くはどうしたの? 釜山国際映画祭がアジア映画ベスト100
蓮實重彦が選んだベスト(年代順)
その夜の妻(小津安二郎)
人情紙風船(山中貞雄)
鶴八鶴次郎(成瀬巳喜男)
残菊物語(溝口健二)
渇き(グル・ダット)
非機械的(リトゥック・ガタク)
下女(キム・ギヨン)
休日(イ・マニ)
忠烈図(キン・フー)
牯嶺街少年殺人事件(エドワード・ヤン) >>984
内田吐夢本は本人が書いた自伝から鈴木尚之の伝記や四方田犬彦の研究書と様々あるのだけれど1953年に帰国してから東映入社あたりが曖昧なんだよな
鈴木尚之の本では公式の1954年入社ではなく1956年に正式に契約を結んだと書いてあり
マキノ雅弘の「映画渡世」だと内田吐夢は本当は日活に入社を希望してたけど断られて東映と述べられてる
よくわからないのよ >>984
満映時代の内田に興味があるのだが蓮實の内田考はそのあたりは出てくるのかな? >>983
『「ボヴァリー夫人」論』がそうだったんでしょ?もう出さないでしょう。
アレがそうなら。ま読んでないけどね。フローベール論はサルトルの良い作品が
あるしね。あれは凄い。読ませる。ここまで核心に迫るのかと震える本サルトル
のは。
皆さん色々言ってるけど、蓮實さんて自分がいかがわしい偽物だって自分では
思ってるでしょう。自分の評価とか鵜呑みにしないほうがいいですよ、くらい
思ってる。吉本さんの批評の方がよっぽどまともですから、吉本さんの批評を
読んだ方がいいですよ、くらいに思ってるんじゃないの?対談でも散々吉本から
「本気でそんなこと考えてるんでしょうか」とか言われてるし。表層批評につい
てね。「蓮實さんはフランス現代思想を知って感化された」て見破られ、しかし
その批評理念では読めない作家がいることも指摘されて、色々言ってた。いいや
そんなことはないとばかりに反論してたが、どうみても吉本のほうが批評家。
言ってることが分かり易いし批評もきちんとしてる。核心に迫る迫力がある。
蓮實さんのはどっからみてもフランス現代思想。それ以上でも以下でもない。
表層批評の元はそれ。その弊害ももろに見せてる。 ていうか。「そんなことくらい分かって蓮實さんの愛読者は読んでるんですよ」
とか言われそうだけど。なら言うことはないですけどね。 ちなみにサルトルの『家の馬鹿息子』は吉本流にいえば「悲劇の解読ーフロー
ベール論」。フローベールの生まれる前からの両親の心理、生後に受けた、優秀
な兄との比較。兄の引き立て役として連れてこられたかのようなコンプレックス。
余計者=自分という自意識。そこから始まる生涯の、現世への呪詛を描く。
書かれたのはサルトルの方が早いけど内容としてはまさに「悲劇の解読」なんです
よね。後者は出版が1979年。サルトルのは日本での翻訳刊行が1982年。本国
フランスでは1971年に1巻2巻同時刊行で吉本よりも早い。しかし内容まで
吉本が知っていた保証はない。サルトルのは大部であるし、内容が似ているのは
偶然というほうが正しいでしょう。ああいうところが一流の文芸批評家は
似たことを考えるんだなと思ってしまいますね。 表層批評って要するにニュークリティシズムでしょ?
作者を持ち出さずに書かれたものだけを材料に考えるっていう。
映画なら画面に写ったものだけを論じなければいけないというね。
それはそれである意味正解なんだが、欠けているのは「物語論」
話の面白さやストーリーテリングの技術という最も大事なことを蓮見さんは論じることができない。
細部を議論するのはいいけど、結局全体はどうなの?という判断力はない 蓮實さんて苦労ネタやトラウマや、そこから作家が生まれたり、作品でトラウマ
を再現したり、そこに触れないように触れないようにしたい。だから不自然が
生まれる。彼の手にかかるとみんなスマートな作家と作品に早変わりする。彼の
手法そのものもスマート。でもそういうのって人間のリアリティから目をそむける
ことでもあった。なんで彼が90年代まで柄谷や浅田みたいなのとつるまなきゃいけ
なかったのかといえば、彼の中の、リアリティから視線をそむけたい心性が
マルクス主義に囲われたのが正しいでしょう。『悲劇の解読』の読み方でも
悲劇というのは作家以前に日常の中でつまずいたり傷を負ったり早い話が
作品でしか生きられない人間だった。そこで悲劇が出てくるのに肝心なポイント
が、読めないというよりは読みたくはない。そこが彼の個性だし面白いところ
だし、また意味不明な(笑)ところでもある。しかし、そこでサルトルの
フローベール論の迫力には勝てない原因を自ら作ってもいる。サルトルには
蓮實さんみたいな妙な美意識や自意識はないから。それこそ反対に生存の
リアリティから眼を離さないことを執筆の原動力にするわけだから。
そこで自分に枠をはめてしまう蓮實さんが勝てるわけがない。 面白いとかつまらないはそんなもん結局は個々人の主観だからな
いちばんどうでもいい要素だわ 表層批評を宣言し画面を徹底的に追う方法論によって評価基準を作り上げた蓮實とその周辺の人々がいて、そこで取りこぼされた(主にB級でキッチュな)映画を愛したのが、町山を筆頭とする秘宝系の人々であり、彼らは対抗するための方法論としてストーリーを分析して社会的背景も含めて深く解読するという蓮實らとは真逆のものを採用した、みたいに理解できるだろうか? プログラムピクチャーを積極的に評価したのは蓮実がそもそも先じゃん >>995
B級とかキッチュとかで秘宝系を押し込めるのは流石に視野が狭い
町山の映画解説をみても古典的な名作も扱っているわけでそこにとどまらない面白い作品ならなんでも取り上げるという当たり前のことをやっているだけだろう
むしろ教科書的な映画感と権威に依存しているのが蓮實だと思う >>995
評価の手法が異なるだけで蓮實は所謂B級映画、プログラムピクチャーと呼ばれる映画人も積極的人取り上げている。鈴木則文とか このスレッドは1000を超えました。
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