●「小浜市付近」の経緯
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a145032.htm
>以来福井県、特に若狭の住民は、この三十年近く「いつか新幹線が通る」という悲願で生きてきた。
>そのために原発銀座を許容するという苦渋の選択を受け入れてきたのである。

ttp://toyokeizai.net/articles/-/98080?page=3
>ところで、なぜ北陸新幹線は小浜市経由とされたのか。在来線は米原駅を起点としているのに不思議な話である。
>与党の検討委員会でも質問されたが、国交省は回答できなかったという。

>北陸への新幹線誘致活動が始まったのは1960年代だ。当初、福井県も含めて沿線の自治体や政治家は「米原ルート」を推していた。
>しかし、1972年になって、中川平太夫福井県知事が突然「小浜ルート」を主張し始め、田中角栄首相に直談判を繰り返す。

http://arc○hive.fo/vojTc
>もともと、米原ルートが有力で、北陸新幹線の沿線各都府県が67年に結成した建設促進同盟会の冊子にも「東京から長野、富山、滋賀を経て大阪に至る構想」と書かれ、滋賀県も同盟会に参加していた。
>73年の福井県議会会議録でも、議員が「政府や関係機関に強く印象づけられている敦賀から米原へのルート」と発言し、当時の中川平太夫知事が「米原へ出るのは図面でも慣行でもそうだ」と応じていた。
>ところが、5期務めた中川知事が72年ごろから小浜案を主張。知事をしのぶ「中川平太夫傳」などによると、田中首相に陳情を重ね、
>田中氏も同書への寄稿で「中川君は度々早朝から私邸にきて『若狭回りこそ福井県発展の第一歩だ』と力説。
>73年9月12日、ヒザ詰め談判にきて『ここで若狭ルートを決めて貰(もら)わないと帰らない』というのだ」と振り返っている。